あやかしの一族を退け、全智の木からフタエノユリハの種を授かったアーサーたち。しかし長い時を経て劣化した種の命は消えかかっており、アルフ族ですら復活は不可能だという。
唯一の希望はルルの中に眠る古代の力。失敗が許されぬプレッシャーの中、帰還したばかりのアリッサ、そしてエイジャーの記憶を参考に力を目覚めさせ、芽吹かせることに成功した。
誰もが望むパンデミックの終息、その片隅でアリッサの心境が複雑な理由とは…?
白壁に反射した陽光が朝の訪れを報せる。桃髪の少女は寝惚け眼を擦りながら今日の予定を思い出し、慌てて鏡を取り出す。
「…うん、変なところはないはず」
身嗜みチェックは毛先に至るまで入念に。故郷で否定された髪色もエイジャーに褒められてからは自信がついた。その事も加味すれば、我ながら外見はなかなかイケてる方だ─自分を励ます姿はなんともいじらしいが、そうするのには訳がある。
自分より前から旅を共にしている少女ルル。夜は同衾し、魂を重ねるという意味不明な奇跡まで起こした2人の絆には例える言葉も見つからない。
これで嫌なヤツだったら良かったのだが…純粋な敬意を向けてくれる相手を蹴落とすほど腐ってはいない。だからこそ訪れたアピールチャンスは最大限活かす。恋する乙女は前向きなのだ。
「頑張れ、あたし!」
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着替えを済ませたアリッサはある区画へと向かった。扉を開けた瞬間に漂う甘い香りと、テーブルに積み上げられた卵、バター、ハチミツの瓶…
ここは調理棟の外れにある趣味用のキッチン、職員や傭兵たちが使える私的スペースである。エイジャーらも着いたばかりなのか、準備はこれからといった風だ。
「あ、ししょーだ!おはよ〜」
やや眠たげに抱きついてきたのはルル。髪には早くもツヤが戻ってきており、入念に手入れされたことが分かる。羨ましい。
「おはようアリッサ。昨日はちゃんと休めたかな」
「はっはい!今日は頑張ります!」
─あんなに目を輝かせて。エイジャー君も罪な男ね〜
続いてやってきたのは中隊長のサラサ。心底微笑ましいものを見るような、ケンのない空気は噛みつく気すら失せさせる。
彼らは日々激務に追われる医者を労うために集まった。魔族討伐の報酬として得たレシピと報酬、どちらもエイジャーの自費である。
同期のニックはわざとらしくため息をつきながら、エイジャーの肩に手を回した。
「今回の報酬くらい好きに使ってもバチ当たらんと思うぜ?どうせ普段から節約ばっかでしょ」
「これが好きな使い方だよ。むしろみんなの手間を増やした事でバチが当たるかもね」
ニックの口ぶりからして金の使い方は有名なのだろう。事実、ゲンゼで得た報酬はすべて自分
「せっかくの待機休暇に手伝わせてすみません。1番美味しい状態で食べていただきたいので、どんどん作って配りに行きましょう」
「「「「おう!!!!!」」」」
こうしてサラサ部隊を巻き込んだ"調理訓練"が幕を開けたのだった。
─人数分の計量終わったぜ
─型にコナ振っといたぜ!気が利くだろ?
─た、卵って意外と割るの難しいんだな…
休暇返上のスイーツ作りは盛り上がり、調理場は実に賑やかだった。日頃剣を握っている男たちの四苦八苦する様はなんとも滑稽だが、みな楽しそうである。
そんな彼らを横目に見ながらアリッサは確信していた。勝った、と。
スイーツは完全回答を求められる学問だ。"少々"とか"お好み"がないから料理よりも性に合う。直情的な性格ではあるが、彼女もまた学者の卵なのだ。本人は認めないだろうが。
(工程は覚えたしバターも自前の熱で程よく溶かせる…いい感じ!)
「見てくださいダーリン、この完璧な生地の仕上がりを─」
「エイジャ〜みんなと違う感じになっちゃった…」
「ん…張り切って混ぜすぎたのかも。泡が立たないようにやると上手くいくみたいだよ」
"手のかかる子ほど可愛い"…動物が最初に使う戦略の1つだが、常に高水準を求められてきたアリッサには目から鱗であった。
隙を作れば接近できたという致命的な見落とし、手元には作り終えた完璧な生地。正解を選んで負けるという理不尽に硬直したアリッサの肩をサラサが叩いた。
「アリッサちゃんの生地、完璧だわ…エイジャー君はどう思う?」
「本当だ…たぶん今日イチだよアリッサ。仕事が丁寧なんだね」
褒められた。
君が1番だと褒められた。何より頑張りが評価されたのだ。恋情とは別の昂りによって、胸の奥がじんわりと熱を帯びるのを感じる。
ふと横を見るとサラサが小さくウィンクしている。そして音を出さない口の動きで、こう伝えてきた。
(好きな人に褒められるって嬉しいわよね)
(せ、先生…!)
「お手本としてアリッサちゃんの生地を焼いてみたらどうかしら。エイジャー君も手伝ってあげて」
(先生…!!!!)
気遣いに定評のある武官と聞いた時は首を傾げたが、今なら彼女の偉大さがよく分かる。この人が危機に直面した際は真っ先に駆けつけようと心に決めるアリッサであった。
─ここで一度取り出してハチミツを塗り直すらしい
─このタイミングで!?そういえばちょっと焦げてましたね…
お菓子作りに励むエイジャーの表情に安堵するサラサ。先方の意図的な共有漏れが原因とはいえ、ゲンゼでの一幕をフォロー出来なかった事が気がかりだったのだ。
途上ながらも和平の輪が広がりつつあったアストランデ。ようやく見えてきた希望は魔族の気まぐれによってすべて打ち砕かれた。
悲惨な時代を知るからこそ次の世代にはよい未来を残したい…その一心で剣を取ったサラサだが、結局は若い世代に重荷を背負わせてしまっている。その事がどうしようもなく情けなく、悔しかった。
(それでもひと時の安寧を作るくらいは、ね)
「あー、隊長サン?いい感じに締めてるとこ悪いんだけどさ」
「?…あ」
気まずそうに送られた視線の先には心底不満気なルルの姿。手には上手く仕上がった生地が抱かれており、褒めてもらう機会を奪った"敵"を真ん中に捉えていた。
(エイジャーサンが蝶よ花よと育ててるからさ、独占欲もすげーみたいで。ご機嫌取りは任せたぜ)
「…モテる男の子は大変ね?」
想定外の苦労を知り、サラサは困ったように笑うのだった…
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「ソラン氏からの連絡は」
─まだです
「薬の準備は出来てるわね?」
─ええ。あらゆる投薬方法に対応出来るよう、材料単位でも保管してあります
「患者たちのフェーズもかなり進んでいる、向こうの準備ができ次第取り掛かるから覚悟しておいて!」
─はい!!!!
一方こちらは医療棟…赤カビ病に立ち向かうべく編成された特別チームの長クオレアは深い隈を刻みながらも、慌ただしく指示を飛ばしていた。
人命救助、功名心、知識欲…理由はそれぞれだが、幸いにして医療班の士気は高い。彼らの熱気が疲れを誤魔化し、なんとか動けている状態だ。
(とはいえ病気の解析から薬の解析まで机に向かいっぱなし、さすがにしんどいわね…ん?)
クオレアは入口のドアがわずかに開いていることに気付く。その隙間から恐る恐る覗き込む、若き男女の姿も。
彼らにも見えるよう手招きするとさらに扉が開かれ、甘い香りとともにエイジャーたちが入ってきた。
「手軽に行える栄養補給をと思ったのですが…お邪魔でしたか?」
トレーの上に乗せられた、まだ湯気を放つ黄金の焼き菓子に注がれる医療班の熱い視線。クオレアはわざとらしく深く腰掛けると、大きくため息をつく。
「準備は万端、連絡はいつ来るか分からない…だったら今は全力で休憩すべきかしら?」
─先生〜…!!!
「徹底的に休んでもらうわ、あたしらが持っていくから座ってなさい!」
「中隊長が仕入れたお茶もありますよ。どちらがいいか聞いて回りますね」
・ ・ ・
・ ・
・
赤カビ病は2つの症状から成る。内外に強固な膜を張って薬を拒絶する赤カビと、免疫に擬態し狂わせる特殊なウイルス。前者はルルが蘇らせた"フタエノユリハ"によって対処できるが、後者は医学的アプローチが必要だ。
免疫はミクロの世界、擬態したそれを選んで取り除くのは不可能である。そのため彼らが考えたのは"免疫を徹底的に破壊する"ことだった。
「免疫は病気に抵抗するための機能よね…失くしたらヤバいんじゃないの?」
「驚くほど虚弱になるわね。そのままじゃ埃1つでも致命的…そこでアルフ族の知識が活きてくる」
曰く、アルフ族が管理する薬草に抗生物質のような働きをするものがあるらしい。それなりの反動と引き換えに生命力を爆増させるそれは、エイジャーやルルが使用した秘薬にも使われているという。つまり
①フタエノユリハから抽出したエキスで赤カビを引っ剥がし
②ホスピナス製の薬で擬態したウイルスごと免疫を破壊
③免疫機能が戻るまではアルフ族の薬で代用
…というのが予定している流れだとクオレアは語る。
「あとは患者の執念に委ねるしかないわ。…荒療治だけどこれが限界」
「短期間で糸口を見つけるなんてさすがです。…アルフ族への差し入れはまた後で、ですね」
医師たちのティータイムが終わりに差し掛かり、2人も片付けの準備に入る。クオレアは少し迷ったあと、エイジャーに声をかけた。
「あなたの偉業に立ち会うのはこれが2回目。今度は名を残してもいいと思うけれど?」
「そういえば昨日もそんなことを…あなたは一体」
「"12年前、グレイヤード、ドコンジオの葉"…あの時関わった者はあなたを覚えているわ。みんな会いたがるでしょうね」
クオレアが羅列したのはある流行り病に関する単語…早くも風化しつつある12年前の騒動と、自身を紐付けられる者はそう多くない。かつて所属していた部隊と上層部、そして新薬開発に携わった医師だけが知ることだ。
─ダーリン〜!そろそろ次に行きましょう〜!
「それぞれの場所で頑張る人がいるから困難を乗り越える事が出来る。俺はその中の一欠片でしかありませんよ。…それでは」
どこか寂しげな顔を隠すように頭を下げ、踵を返して部屋を出るエイジャー。"英雄"と呼ばれる男の言葉から謙虚さよりも、ある種の卑屈さすら覚えるクオレアであった…
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日頃頑張る医師たちを労いたい─そんな一言から始まり朝から取り掛かった作業も気付けば昼下がり。中隊の協力もあって予想より早く配り終えたエイジャーとアリッサは、小さな紙袋に詰めたそれを抱えて病棟を歩いていた。
共にお菓子を作り、もてなし、濃密な時間を過ごしたアリッサの足取りは軽い。一度戻った際、ずいぶん不機嫌なルルがいた気もするが…
その事もあってか次の場所には1人で行こうとしていたが、無理を言ってついてきた。せっかくのチャンスなのだ、出来る限り独占したい。
「そういえばどこに向かってるんですか?ここは患者しかいないはず…」
「ジャスパーのところだよ。ほら、俺を砲弾みたいに殴り飛ばした子がいたでしょ?」
名前を聞いて思わず眉間に皺が寄る。騒がしく、暴力的で、エイジャーに怪我を負わせた女。ましてやあの雰囲気─間違いなく"ライバル"、好感を抱くのは難しいだろう。
どこまで察したかは分からないが、エイジャーは苦笑しながらフォローに回る。
「あっちも酷い顛末だったらしくてね。どんな顔をして会えばいいのか…正直なところ、アリッサが来てくれて助かってる」
そういえば盗賊を追う鎖バカ、もといアルジードのお守りを任されていたことを思い出す。まさか大怪我でも負ったのか…
悪い想像がよぎる中、病室の扉が開かれる。そこにいたのは汗で作った水たまりの真ん中で、逆立ちで腕立てを行うジャスミンの姿だった。
「負傷したって聞いたけど…トレーニングして大丈夫なのか?」
「アッいや、えっと…師匠には秘密にしていただけると…」
「…とりあえず証拠隠滅からだね。それが終わったら罪を重ねよう」
そう言ってエイジャーは甘い香りを放つ紙袋をカサカサと揺らした。
水たまりを拭き終えた3人はそれぞれの顛末を報告していた。暴いた欺瞞、増えた傷、助けられなかった人…どちらもハッピーエンドと呼べるものではない。
おやつを持ち込んだのは正解だった。甘味と豊かな香りは緊張を和らげ、空気が重くなるのを防いでくれるからだ。ふうっと息を吐く勢いで、エイジャーが切り出した。
「奴らの悪意を予想できなかった俺の失態だ。君に辛い思いをさせてしまった」
「それは違います。この悲劇は私の力不足が起こしたものです」
「だけど…」
「師匠に言われたんです。この罪を背負ってもっと強くなれと。治す方法だってきっとあります。そう、きっと」
一足先に迷い、自分なりの答えを出したジャスミンの目は真っ直ぐだった。食い下がるのは却って無礼とみたエイジャーもそれ以上の言及は避け、静かに頷く。
「俺はまだ迷っているよ。今からでも連れ戻し、治療を受けさせるべきじゃないかって」
(………)
「行きましょう!あっでもそれって誘拐…むむむ困りました!ガベルさんに聞いてみます!?」
「ああいや、ジャスパーは療養に集中してくれ。本調子じゃないだろうから」
「なんのこの通り…あいだぁ゛ッ!?」
「大丈夫か!?傷が開いてないか確かめるよ」
「けけけ結構です!エイジャー君にだけは見られたくありませんので!」
ジャスミンの不覚によりいつもの調子を取り戻す2人を見るアリッサの目には、複雑な思いが渦巻いていた…
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時は夕方。片付けを終えた労い作戦チームは解散し、アリッサは屋上でひとり黄昏ていた。
魔法の才を見限られ、遺伝子目当ての婚姻に向けて仕込まれた数々の修行。当然料理もその中に含まれており、忌々しい記憶と強く結びついている。
だが今の気分は悪くない。皆に褒められ、感謝されたからだろうか。これまで拒絶してきたあらゆる過去も克服できるかもしれない。それを知れただけでも今日は有意義だったと言えるだろう。
欺瞞塗れのゲンゼ、子供すら穢すアラクネ。外の世界は悪意に満ちていて、その坩堝に飲まれる未来があったかもしれない。そうならなかったのは敵意を向けても見捨てることなく、世話を焼いてくれたエイジャーのおかげだ。
移動要員として説得した手前、赤カビ病騒動が終息すれば商会の護衛に戻らねばならない。ここで駄々をこねる事の意味は理解しているつもりだ。だが…
自分が抜けた後も旅は続く。知らないところで強大な魔族を相手取り、いつ死ぬかも分からない戦いに身を投じるのだろう。
その隣にはルルがいて、死線を潜るたびに絆を深めるはずだ。帰る場所がない過酷さを羨む気はないが、言い表しようのない感情が胸に広がっていく。
「もっと、一緒にいたかったなぁ…」
ぽつりと呟いた本音は誰にも届くことはなく、ただ風に溶けていく…
はずだった。
「ダーリン…?どうしてここに?」
「さっきの表情が気になってね。みんなに聞いたらここじゃないかって」
扉の開く音で振り返った先にはエイジャーが立っていた。どうやら別れ際の寂しさが顔に出ていたらしい。上手く取り繕っていたつもりだったのだが…
隣に並んだエイジャーは同じように空を眺め、しばらく唸った後─どこか気まずそうに切り出した。
「あー…さっきの呟きを聞いてしまった…んだけど…」
「…〜〜〜っ!!!」
深紅に染まった髪が炎のようにゆらぐ。分かりやすすぎる体質がつくづく憎い。エイジャーの気まずさもまた増したようで、目が泳いでいた。
「公言するには直球すぎだし大げさな信頼表現だと思ってたんだけど…やっぱりそういう事、だったりするのかな」
「そ、そそそ…そう…ですね…はぃ…」
あれだけアピールして気付いてなかったんかい、というツッコミが妙な空気と混じって出力を狂わせる。同時に確信した。自分は"脈無し"だと…
このままフラれるだけならまだマシで、気まずさから顔を合わせる機会すら無くなってしまうかもしれない。そうなればこの先の人生に待つのは虚無と絶望だ。
(会えなくなるのは嫌だフラれたくない脈もないダーリンより先に何か言えどうする何を言うべきどうするどうするどうする)
「ダーリンは!!!この先誰かを娶る気はありますか!?」
「!?いや、今は考えられないな…やるべき事があるし、俺はサーヤを守れなかった」
「じゃ、じゃあ魔族を倒してみんなを守れる英雄になったら?自分を許せますか?」
始めたからには押すしかない。完全に錯乱状態のアリッサの身体は言葉以上に迫っており、あっという間に壁際へと追い詰める。
だがエイジャーの顔に先ほどまでの焦りはなく、悲哀に満ちた声色で呟いた。
「…溢した命は戻らないよ。この先どれだけ救っても」
「!そ、それは…」
「……"お前だけのせいじゃない"ってよく言われる。だけどみんなを忘れて幸せに生きる資格はないさ」
「…あれだけ傷つきながら戦っていても、ですか」
「ルル、アル、そして君…必要としてくれる人がいるなら十分さ。むしろ部不相応かもしれないな」
そう言って笑う顔に光はない。陰があるのは分かっていたがここまでとは…こんな精神状態で誰かのために剣を振るっていたというのか。
偶然と勢いで曝け出してしまった憧れの人の闇、この機を逃せば触れることは難しくなるだろう。そしてまた命を賭けるのだ。孤独で終わりのない贖罪のために…
「そんなの…そんなの許せるかぁーーー!!!」
「!?」
「過酷な道を独りで生きる?ふざけんな!救う"みんな"から自分を外すなんて!」
アリッサの身体が燃えるように熱い…というより燃えているし灼かれている。激昂のあまりコントロールが利いていない証拠だ。
「ちょっ…アリッサ落ち着…!」
咄嗟に押し返そうとするエイジャーの手が止まる。灼けた皮膚を濡らす大粒の涙に気付いたからだ。
「大好きな人が堕ちる様なんて見たくないっての!あたしが貴方の幸せを"必要"としてる!そのためなら人生だって賭けてやる!だから…少しは救われようとしなさいよ…」
自虐観が原因で人を泣かせたのは2回目だ…無責任な改善策を口にするわけにもいかず、崩れ落ちるアリッサを抱きとめ、撫でることしかできない。
それでもいくらか落ち着いたようで、服を濡らす涙は止まっていた。…髪は深紅に染まったままで、何やら小刻みに震えているが。
「…れて」
「…?」
「勢いでとんでもない事を口にしてましたよね…今のぜんぶ…忘れてください…!あああぁぁ…!」
どうやら正気に戻った揺り戻しが来ているらしい。憧れの人に怒って泣いて命令までして、実質の求婚までしたのだから無理もないが。
先ほどまでの怒気はどこへやら、羞恥で転げ回るアリッサの顔が向き合うタイミングで止めた。
「忘れないさ。取り繕えないくらい本気で考えてくれてありがとう」
「あああぁぁ…もっとロマンチックにいきたかったのに…あたしのバカぁ…」
「あはは…アリッサ、あれを!」
指を差した先に広がっていたのは無数の白い花びらが舞う光景。ホスピナスでは植物の管理も厳格なため、これだけの規模で咲き乱れることはあり得ない。
風に乗り、手元に落ちてきた花びらは夕日を受けてもなお白く輝いている。二重に折り重なった奇妙な形状は、伝え聞いたフタエノユリハの特徴そのものだった。
「ソランさんたちが繁殖に成功したんだ。これで赤カビ病も治せる…良かった。本当に」
(こんなに穏やかな表情初めて見るかも…本当に自分より誰かの命が大事なんだ)
行き過ぎた滅私奉公の精神は理解できないし、少しは自分の幸せを優先してほしい。それでも彼の生き様が現れた表情を目の当たりにして、こんな人だから尽くしたいのだと確信する。
熱い眼差しが注がれる中、エイジャーは空を見ながらこう切り出した。
「当初の目的は達成したけど…もう少し一緒に旅をしないか?グルーノイさんには俺から頼んでおくよ」
「え…いいんですか?」
「ここには娯楽がないからね。大きな市場がある街でお礼するまで。その後についてはまた考えよう」
「本当ですか!やったぁ…♪」
「ソランさんたちに話があるから今日は解散で。"また明日"!」
そう言ってエイジャーは出口へ向かっていき─急ブレーキの後にこちらへ振り返った。
「さっきの"忘れてほしい話"についても少しずつ考えるよ。嬉しかったよ!」
再び帰路につくエイジャーの頬が赤く見えたのは夕日のせいだろうか…?
どちらにせよ思いの丈をすべてぶつけ、受け止めてもらえたのは事実だ。料理でアピールどころではない大躍進だ。アリッサの瞳に焦りや迷いはなく、明日への希望に満ちていた。
「魔族なんかさっさと倒してアイ・ラブ・ユーを勝ち取ってやるんだから!頑張れあたし!…あれ、そういえば」
「あれだけ不機嫌だったルルを置いて、どうやってここまで来たんだろ…?」
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宿泊棟の一室、エイジャーへ割り振られた部屋のベッドにはすやすやと眠るルルの姿があった。枕を強く抱き締めており、足りない何かへの不満が表れている。
ルルの傍には眠らせた張本人─魔力をアロマのような物質に変換し、半強制的に気を緩める従属呪文の使い手サラサが腰掛けていた。
(疲れが溜まっていたから眠らせるのは簡単だったけれど…アリッサちゃんのところに行かせたのはまずかったかしら)
(これは起きた時が怖いわ。エイジャー君、早く戻ってきて…!)