エグリ=マティアス教への事情聴衆の最中"犯罪者が堕ちるに至った経緯"にも目を向けるべきだと諭されるアルジード。両親を殺した怨敵に向ける同情などないと突っぱねるものの、その言葉が引っかかる。
これまで行ってきた杜撰な治癒が原因で足止めする事となったルルもまた、自身の力不足を悔やむように。
2人は再会したエイジャーに思いの丈をぶつけ、エイジャーもまた胸の内を明かす。どれも後味の悪い事件だったが、それぞれの場所で得た課題は次に進むための糧となる。
そんな3人のやり取りを傍らで聞いていたネロ─改め黙醢剣オメルタは、魔族となった友人の遺言とは関係なく、彼に力を貸してやろうと決意するのだった…
カビの香りが鼻につく、不気味なほど静かで薄暗い部屋の外から聞こえる足音。建付けの悪い扉が苦しげな鳴き声をあげると、仄かな灯がひとつ浮かぶ。
男はいま手足を縛られ、目隠しを施された上で床を舐めている。足音の主は自分の周りをゆっくりと、しかし圧を感じる調子で歩いている。まるで死刑の命を待つ執行人のように。
「どこの誰だか知らねぇが…客にこんな事していいのか?」
「決して安くないこの街で常連、それなのに生業が不明ときた。もっと早く気付けたろうに…アタシも老いたもんだ」
足音の主は質問を返さない。今は自分が話しているから黙っていろ、とばかりに。
「調査にはずいぶん骨を折った。身辺調査の人員と…範囲をもっと拡充する必要がありそうだ。金ってのは出ていくばかりさ、そうだろう?ボカット」
ボカット─それが床を舐めている男の名である。一夜の遊びに興じようとしていたところを捕縛され、外れにあるボロ小屋に押し込められたのだ。
なんとも不躾な扱いだが、思い当たる節がないわけではない。どう切り抜けるか考えていると、すぐ傍まで迫ったバラの香りが鼻腔を刺激した。
「アンタは時間差であの子たちを誘導した。約束の日に秘密の通路から街を出ろ、新天地への遣いが待っている…とでも言ってね」
ボカットの頬を冷や汗が伝う。この女は真実を握っている、下手な言い訳で切り抜けられる相手ではない…
"あまり利口ではないが、利益独占のためなら口を噤む女"…それが声をかける遊女の条件だった。何に使うか詮索するな、とも。
返せる見込みのない借金をチャラにし、品定めと称して花街で遊ぶことができるのだ、乗らない理由がなかった。その結果がこれである。
「た、確かにあんたの推理は正しいけどよ…ここまでされる謂れはねぇ!足抜けや引き抜きなんて日常茶飯時だろ!?」
「その目で確かめるといいさ。自分が何をしていたのかね…シンシア!」
恐ろしく静かな、新たな足音がひとつ。こんな状況下でも気が緩む、若い女性の色香を纏った足音は立ち上がらせると、慣れた手つきで目隠しを外す。
目の前に現れた─否、はじめからそこにあったのは、人間大の赤黒い何か。カビのような匂いを放つそれはわずかに動き、呼吸をしているようだった。
「デボラという名に覚えは?」
「可愛くてノリのいい子だった。誘いにもあっさり乗ってくれたし…ってまさか」
「そのまさかですよ〜。あなたが逃がした女の子たちは不治の病を植え付けられて、最後はこうなるんです。みぃぃぃんな」
頭が入ってくる情報を拒否する。こんなものは人間じゃない、情報を吐かせるために用意した魔族か何かだろう。そうに違いないと。
だがわずかに残ったヒトの面影を認識してしまった瞬間脱力、膝から崩れ落ちた。
「罪滅ぼしの機会をやるよ。誰に頼まれた?」
「違っそんな…オレぁこんなん知らねぇ!オレじゃねえ!!!」
2人の視線は冷たい。シンシアは"何か"の表面をわずかに削ると、切っ先をボカットに向ける。
「この赤カビを取り込むことで感染するらしいですよ?まあ、信じないならそれでもいいですけど」
「勘弁してくれよ!オレが話したってバレたら何されるか…!?」
切っ先はみるみる近付いてくる。手足を縛られたボカットに逃げる術はなく、目前に迫る"死"への恐怖に穴という穴から液が漏れる。
「ワグネス!オレが借金してたのはワグネス商会だ!だけど街から出した後のことは聞いてねえ!本当だって!」
シンシアの手がぴたりと止まり、後ろに立つ上司─マダム・ステイシーに振り返る。ステイシーが深く頷くのを確認すると、ナイフを納めて突き飛ばした。
「そいつはまだ生かしておきな。用が済んだらそうだね…敵討ちでもすればいいさ」
「意地悪なこと言うんですね。最後まで恨み節をぶつけられた仕返しですか?」
「後腐れがないようにやんなってことさ。愚かな知人ほど記憶に残るもんだよ」
それだけ言ってステイシーは小屋を後にする。たった今放った自らの言葉を、頭の中で反復しながら。
ステイシーとは親に"捨て石"として売られた自虐と、本名をもじった偽名である。アナベル・バラスティア…それが彼女の本当の名前。
(騎士団の連中から聞いた時は驚いたよ。裏に堕ちてまで探したアンタが、そんなところにいたとはね)
ロレンツ・バラスティア─それは端正な顔立ちに生まれてしまったが故に、自分より先に売られていった弟の名前である。珍しい姓に年頃も一致、ほぼ間違いないだろう。
遊女を使い、有力者だけに不治の病を植え付けるという不可解な犯行の動機も理解できる。かつて自分を苦しめた仕組みを利用し、とびきりの悪意を返そうとしたのだ。
(あたしだってこの仕組みが憎いさ。だけどねロレンツ…アンタが苦しめる側に回ってどうするんだい)
親に売られてからの人生は散々だった。顔を覚えた当時の客を、何度殺してやろうと思ったかは数え切れない。
それでも力を手に入れたステイシーがしたのは"遊女を管理し、眼前の不幸を減らすこと"…愚弟の進んだ道が恋しくないと言えば嘘になるが、奴らと同じ場所に堕ちるのは御免だ。
再会が叶わなくなった今、後始末をつけることが姉として出来る唯一の罪滅ぼしである。捨てた名を再び抱く彼女の目には、強い決意が宿っていた。
街の名はゲンゼ、欲望渦巻く淫奔の街。蝶はそれぞれ嘘の鱗粉を纏い、今日も夜を舞うのだ…
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─遠い昔の物語 緑途絶えた果て地あり
─先祖の魂守るため 残り続ける人々がいた
ここは医療の街ホスピナス─患者たちが集う憩いのスペースにて、アルジードは楽器を手に吟じていた。元々娯楽が少ない地である、こういった類のものは一際ウケがいい。
老若男女の視線を浴びる中、アルジードは堂々としている。小銭稼ぎのためとはいえ、各地で重ねた経験は伊達ではないようだ。
─神すら見捨てた果ての地に 祈りは虚しく消えゆくばかり
─それでも縋る人々に迫るは 地を這う無数の悪意なき野生
─空に迫るは混沌の如く冥き黒雲 終焉の確信を灼くかのように 猛々しき雄叫びが鳴り響く
ここは"死"に近い街、芸人は明るい演目を選ぶのが定石だ。にも関わらずアルジードが吟じる話は険しい。希望が打ち砕かれる内容など。
エイジャーは不安そうに聴衆へと視線をやる。みなずいぶんと聞き入っているようで、その表情は真に迫っていた。
─黒雲より出るは雷纏いし蒼き龍 龍は獣どもを貫いて 荒廃の地に雨をもたらした
─喜びも忘れ唖然る人々が次に見たのは 雷雲かき分け来たる耳長の賢人
─賢人がひとたび一瞥すれば 眠れる草木が再び目覚め
─千幻自在の人ならざる者 ひとたび笑えば謂れなき自信が湧いてくる
─それら従えし
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「「「えーー!もう行っちゃうの!?」」」
「予定より早く身体が治ってね…追っている事件も未解決だし、あまり長居は出来ないんだ」
子供たちの失望する声がこだまする。幾重にも重なったそれを向けられている男─聴衆から少し離れた場所で聴いていたエイジャーはバツが悪そうに苦笑いを浮かべる。
歪な肉体の再調整─ルルの知識・経験不足により起きた予想外の不具合は、皮肉にもルルの力によって早まることになる。
医師が提案したのは手術した傍から傷を塞ぎ、体力を回復させ即座に次へ移るというものだった。元より本人の治癒力を高める術、継ぎ目を埋める程度なら異常は起きない。
いくら回復するとはいえ、短期間に複数の手術を受ける負荷は半端なものではない。それでも早く復帰したいという本人の意思を尊重した結果、期間を大幅に縮めることができたのだ。
だが誰もが戦線復帰を喜ぶわけではない。"以心電心"を用いて外の世界を見せてやり、あるいは旅の芸人が演らないろうな話をしてくれる2人は子供たちからずいぶんと
「もっと外のこと教えてくれよ…じゃないと薬飲まないぞ!」
「だってよ団長。いっそ先生にでもなるか?」
「わ、私ももっと聞きたい…!アルジードさんはロマンチックなお話もいっぱい知ってるから」
「…らしいけどどうする?先生」
内気な少女の懇願にたじろぐ。飛ばした皮肉が即座に返ってきてしまい、さすがのアルジードも困っている。
2人は表の人間、子供の願いを無下にできるほど非道ではない。どうしたものか顔を見合わせていると、見慣れた顔が姿を現した。
─ふふ、あまり2人を困らせちゃダメよ
子供たちを嗜めるのはクオレア。赤カビ病が一旦の終息を見せ、ジャスミンの点針術を受けた彼女は以前より顔色が良くなっている。
「外には助けを求めてる人がたくさんいるの。彼らがどんな戦いをしてきたか、あなた達も知っているでしょう?」
彼女の指摘は正しく、映像を直接叩き込んだ子供たちも理解はしている。それでも煮え切らない様子を見かねたエイジャーは目線を合わせると、特にやんちゃな少年の頭をポンと叩いた。
「世界の果てを見るのが夢だったよね。俺が外を歩きやすくしておくから、少しだけ待っていてほしいんだ」
少年は俯いたまましばらく考え、そして…静かに頷く。エイジャーは立ち上がり全員を視界に捉えると、さらに続けた。
「俺が魔族と戦うように、みんなが今立ち向かうべきは病魔だ。どんなに離れていても俺たちは戦友で、ちゃんと繋がっているさ」
「「「「戦友…」」」」
生きるのもやっとな存在には勇ましく、誇りある称号に奮い立つ子供たち。"英雄"と持て囃されるだけはあると感心するアルジードと目線が合うと、お前も励ませとジェスチャーを送った。
「そうだな…さっさと治してパパとママを安心させてやりな。親のいねぇオレ達にはもう出来ないことだからよ」
「「「「…わかった!」」」」
「激励が無駄にならないよう手を尽くすわ。それとルルちゃんに少しだけ医学を教えたから、前ほど無茶な繋ぎ方はしないと思う」
そういえば昼間に席を外す事が多かったのを思い出す。マリーから預かった"必要な時だけ文字が浮かぶ白紙の本"に人体の構造などを写してくれたようで、ルルもやる気らしい。
「身体はひとつ、不調を感じたらいつでもいらっしゃい」
「ええ。それではまた」
─いやぁ、アルもなかなか罪な男だね
─…?何の話だ?
魔族と盗賊 命を賭して巨悪と戦う若き背中が小さくなるまで、クオレアと子供たちは手を振って見送っていた…
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「あっ来たよ!2人ともおそーい!」
「ぐふっ…こ、子供たちに引き止められちゃって」
挨拶回りを済ませ、ホスピナスの門を潜った2人は外で待つ者たちと合流した。ルルとアリッサ、そしてアーサーにオーディアの4人である。
全智の樹から使命を、あるいは"一族の歴史"を授かった2人はアルフ族の集落に戻り、調べごとをしていたようだ。
「飛ばすのは計7人、かなり多いけど…いけそう?」
「ルルが供給してくれるので魔力は問題ありません。あとはコントロールですが…」
「着地は
そう言って背中のオメルタに触れる。絶対安静の日々、新たな相棒を理解する時間はたっぷりあった。そのための対話の時間も。
姿こそ巨大な刀剣だが彼には生前の記憶も、心もある。だからエイジャーは人として扱うし、オメルタも自らの意志で付き合うと決めたのだ。
「大所帯になってすまない。事情が事情、誰にでもとはいかなくてね」
そう頭を下げるのはアーサー。今回の長距離・大人数での"大跳躍"はマリーの元へ戻ると決心した彼からの依頼である。
家まではあまりにも遠く、特殊な素性ゆえ無闇に人を介せない。サラサやド・フィスらの部隊も別件ですでに発っており、"大跳躍"での帰還が残された最善手というわけだ。
「ダーリンの命の恩人だもの、断る理由がないわ。それに魂で繋がっている夫婦なんて素敵じゃない?」
「夫婦でいられるかは…彼女次第だけどね」
全智の樹による加護が切れ、死期を悟ったアーサーは手紙と指輪を残して家を出ている。その行動が今に繋がる"正解"だったのは事実だが、夫としての正誤は話が別。
事情を飲み込めていない者たちへ簡潔に説明すると、7人の表情は見事に揃い、気まずい空気が流れ始めた。
「いざという時は仲裁します。事情と功績を説明すればきっと…」
「ああ、頼りにしているよ…俺の覚悟が揺らがぬうちに頼む」
「わ、分かったわ…みんな手を繋いで」
魔力供給のためにルルが、座標決定のためにエイジャーがアリッサの手を握った。残る面々もそれぞれ手を繋ぎ、小さな円が形成される。
生まれも育ちも、種族すら違う7人が"以心電心"を通じて混ざり合う中で、想いはひとつ。
《アーサーを帰るべき家に!!!》
足元の射出陣が超高速で7人を打ち上げる。その日以来、ホスピナスでは祈願成就のシンボルとして"昼間に現れる彗星"が語り継がれることになったとか…