Regain Journey   作:G-ラッファ

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前回までのあらすじ

 長年正体を掴めずにいた盗賊組織アラクネ、その大幹部のひとりロレンツと対峙していたアルジードに横槍を入れる少年が現れた。

 同時に乱入してきたジャスミンが彼の相手を引き受けたものの、少年の腕には奇病の症状である赤いカビが発現しており…


83話 井の中の蛙、白く燃ゆ

「それはいま人々を苦しめている奇病…早くお医者様に診せなければ!」

 

「…何言ってんだお前?こんなのずっと前からだぞ」

 

 アラクネの根城にいた少年スマリット。彼の腕に浮かぶ赤い痣─赤カビ病の兆候を目の当たりにしたジャスミンは酷く動揺していた。

 一方のスマリットは心当たりがないといった風に首を傾げ、両者の間には大きな温度差が生まれる。

 

 赤カビ病の進行は異常に早く、おおよそ一ヶ月で死に至る病だ。しかし彼の口ぶりはさらに以前から発症しているように聞こえるし、苦しんでいる様子もない。

 

 報告にあった症状と合致しているのだが─顔を近付けまじまじと観察するジャスミンが癪に障ったのか、スマリットは舌打ちを機関銃の如き速度で連発した。

 

「ジロジロ見てんじゃ…ねえよ!!!」

 

 不意打ち気味に再開した引っ掻き乱打を掻い潜るジャスミン。彼がもし無自覚の患者だった場合、爪から感染するおそれがある─つまり攻撃を食らうことは許されない。

 

 治療法すら模索段階の病気である、感染すれば命はないだろう。なるべく早く、かつ傷つけずに子供を無力化という難題を前に、いくら走っても乱れないジャスミンの呼吸は早くなっていた。

 

(煉獄心拳を…悪しき心だけに作用する煉獄心拳を完成させるしかない。今、ここで!)

 

 スマリットを投げ飛ばして距離を取り、乱れる意識を集中させていると、周囲にいくつもの気配が近付いていることに気付く。

 人数にしておよそ20、他種族と思われる影もチラついていることから混成部隊のようだ。

 

 普通なら監視部隊が増援を引き連れてきたのだろうと推測し、平静を装いつつ先手を打つ方法について考えるべきなのだが…

 

「あなた達の相手をしている暇はありません!後にしてください!」

 

 あろうことか最も気配が多い方角に振り向き、大声で叫んだ。

 

─おいバレてるじゃねーか!かかれ!

 

「遅いッ!!『悪破昇掌』!!!」

 

 あまりにも包み隠さない立ち回りに困惑し、連携が乱れる盗賊たち。号令をかけた男が宙を舞ったのを皮切りに、ジャスミンの拳が盗賊たちへ降りかかる!

 振り下ろした剣は弾き飛ばされ、突きを放った男は槍ごと投げ飛ばされ、ライフルは一足で眼前に迫るジャスミンに狙いをつけられぬままへし折られた。

 

「なんだこの女…!?トカゲ!」

 

 一瞬のうちに半分が倒れ、リーダーらしき男の指示を受けて立ち塞がったのは、黒と乳白色の縞模様を持つレプター族の大男。"トカゲ"は不気味な口を大きく開けて威嚇しつつ、真正面から殴りかかる。

 ジャスミンも拳に魔力を纏い、真っ向から激突することとなったが─

 

(…っ重い!)

 

「そいつはうちにいるトカゲの中でも武闘派でな。この体格差は覆せないだろ?」

 

「おい邪魔すんな!この女は─」

 

「引っ込んでろクソガキが!!!」

 

 突然の横槍へ抗議に来たスマリットを、男はなんと棍棒で殴りつけた!頭部への直撃は免れたものの衝撃を逃がしきれず、大きく吹き飛ばされてしまう。

 身内、ましてや子供への信じられない行為を目の当たりにしたジャスミンは驚愕し、男に向かって叫んだ。

 

「あなた…何をしたか分かっているんですか!?」

 

 男は答えを返さない。スマリットの元へ駆けつけようにも倍以上の体格から放たれる"トカゲ"の拳が重く、押し返すことができずにいる。

 まずはこちらをなんとかせねば─ジャスミンは"トカゲ"と呼ばれた大男に視線を戻すと、説得を試みた。

 

「あなたレプター族ですよね。お仲間はすでに解放しています、こんな人たちに従う必要はありません!ですから今すぐ…」

 

「仲間…鉱山送りにされた連中のことか?アイツらは同郷じゃねえぞ。それに…」

 

 一層重くなる拳は彼の発言が真実であることを物語る。"トカゲ"はみるみる力を強めながら、下賤た笑みをぐっと近付けた。

 

「オレは暴れたくてここにいるんだぜ」

 

「ノロマども!トカゲ野郎が抑えてる間にやっちまうぞ!」

 

「「「おおおおおっ!!!!」」」

 

 武器を構えた盗賊たちが自身を討ち取らんと迫ってくる!拳は拮抗したままビクともせず、その場から動くことができない。

 本来ならば魔力でゴリ押しすることもできるのだが、目まぐるしく変わる状況や底知れぬ悪意との接触に心が乱れ、出力が不安定になっていた。  

 

「メスガキが首を突っ込んでんじゃ…ねえよっ!」  

 

 先ほどのリーダーが棍棒で横っ腹を殴りつける。いくら頑丈といえどジャスミンも人の子、痛みを感じぬわけではない。わずかに崩れた体勢は均衡を崩し、"トカゲ"の拳が肩を打ち付けた。

 

「うぐぁ…っ!」

 

─これはあっちで伸びてるバカの分だ!

 

─すぐには殺すな!誰に逆らったかを教え込んでやれ!

 

─1人で真正面から突っ込んできて勝てるわけねぇだろうが!

 

 追いついた他の盗賊たちも我先にとジャスミンに群がり、いたぶる。スマリットは獲物を横取りされたことに苛立ちつつも、少し離れたところから眺めるだけだった。

 

「ぐうっ…あなた方は何故!スマリット君にあんな仕打ちができるのですか!」

 

「あぁ?」

 

「盗賊に身を窶しても!奇病に苦しむ子供を治療するくらいの良心はあるはず!それが人情というものでしょう!?」

 

 リンチを凌ぎつつも必死に問いかけるジャスミン。だがリーダーが手を止めることはなく、冷たい口調で吐き捨てた。

 

「奇病…あの気色悪ィ痣のことか?あれはママお気に入りのオモチャだぜ」

 

「え…?」

 

「ここへやってきた女どもはガキの血を飲まされてんだよ。で、売春窟を通じて病気をバラ蒔いてんのさ。いけ好かねぇ金持ちどもに…なっ!」

 

 リーダーは再び棍棒を握り締め殴打する。ジャスミンはあまりにも突然で、それでいて非道なネタばらしと暴行に話を理解できぬまま耐え続けることしかできない。

 右肩を負傷し、集団の暴行を受け追い込まれたジャスミンの心は弱りつつある。それは挫折を知らぬが故の脆さでもあった。

 

(病気の子供を悪事に利用するなんて…こんな外道がいるとは知りませんでした)

 

(レプター族についてもです。私は今まで人間としか戦ったことがなくて…討伐隊のみんなはいつもこんな危機を乗り越えてきたのですね)

 

 逃げ場のない痛みを刻まれる度に心にさしかかる影が大きくなる。ジャスミンは己の無知を笑いながら、心の中で謝罪の言葉を考え始めていた。

 

(ごめんなさいアルジード君、あんな啖呵を切っておいて…これではエイジャー君にも顔向けできませんね)

 

 思い出すのは出会った日のこと。類稀なる身体能力から強者として期待されていた自分をか弱き乙女として扱い、何かあれば手を貸すと言ってくれたエイジャーの言葉。

 王都のみんなを救えなかった罪の意識を抱えながら、強大な魔族を相手に心身ともに傷つき、それでも人々を繋いできた尊敬すべき男の顔。

 

 このままやられたら彼はどんな顔をするだろう。約束を守れなかった自分に失望するだろうか。

 

(…違う。エイジャー君は誰の犠牲も許さないお人。私が死んだと知ればまた傷付いてしまう。みんなを救おうとする彼の手を止めてしまう)

 

 伏せていた瞳がゆっくりと開かれる。

 

(エイジャー君の活躍を聞くのが好き。彼の英雄譚に胸を躍らせていると懐かしい気持ちになるから)

 

 開かれた瞳に闘志が戻り、改めて拳を握り締める。

 

(だけどそれはたくさん苦しんで、傷ついて、それでも苦難を乗り越える、私とは違う"強さ"を持っているから成し得たこと)

 

 胸のあたりが火を吹いたように熱くなる。この時ジャスミンは自覚していないが、本当に赤いオーラが彼女の全身から発せられていた。

 

(エイジャー君が立ち向かってきた困難に比べたらこんな状況…苦でもない!!!)

 

「なんだこいつ!?急に光って…うおっ!」

 

 ジャスミンが心の影を消し去ったその瞬間。彼女の体から発せられたオーラによって取り囲んでいた盗賊たちは小さく吹き飛ばされる。

 赤く揺らめくそれを纏い、乱れた髪の向こうから覗くは琥珀色の鋭い眼光。その威圧感はまるで地の底より審判を下すべくやってきた大王の如し。

 

「私は腹が立って仕方ありません…こんな人たちに苦戦して、少しでも弱気になっていた自分が!!!」

 

 怒りの感情に呼応するように纏ったオーラ─魔力はみるみる大きくなり、その力を一気に爆発させた。熱を帯び、不規則に揺らぐ魔力は本物の炎のようである。

 

 ジャスミンを包むそれは未知への恐怖も相まって盗賊たちを寄せ付けない。温度変化に弱いレプター族の"トカゲ"には特に辛いようで、本物のトカゲのように地べたを這いつくばってしまっていた。

 

「子供の命すら弄ぶ、人と呼ぶのも憚られる外道ども…私がその悪意を焼き尽くして差し上げましょう」

 

 ジャスミンは燃え滾る魔力を掌へと集中させる。凝縮されたそれは小さな光の玉となり、掌にすっぽりと収まった。

 掌で輝くそれが絶大な力を秘めているのは直感で分かる。だがそれ以上に"これを使ってはいけない"という本能からの警告に意識が向いていた。

 

(今まで使っていた氣とは何かが違うような…私の気持ちに追従している?)

 

 未知の力は自身の不甲斐なさ、盗賊たちの外道ぶりに怒った瞬間現れ、今も胸の奥底から湧き出ている。感情と連動しているというのは筋の通った推測だろう。

 であれば使うべきでないと警告している理由も自ずと見えてくる。怒りのままに振るうそれは、煉獄心拳の理念から大きく逸脱しているからだ。

 

 煉獄心拳─不浄を焼き尽くす"裁きの業火"の名を冠した不遜なる流派は、扱いを間違えれば破壊の拳へと成り下がるとは師匠であるド・フィスが常に戒めていたこと。

 煉獄心拳に必要なのは強靭な肉体、緻密な氣のコントロール、そして心…これらが揃って初めて到れる領域である、とも。

 

 体の強さは早期から認められている。氣のコントロールも褒められることが増えた。それでも完成が見えなかったのは、心が未熟だったからに他ならない。

 

(今まで拳が応えてくれなかったのはきっと、私が井の中のカエルさんだったから。今、発露したことにも意味があるはず…そうですよね?)

 

 光は正解とばかりに怒りを表す"赤"から"白"へと染まっていき、放たれる熱は穏やかなものとなる。

 ジャスミンが握り込むと、光は燃え盛る白炎へと変化した。先ほどまでの威圧的な空気はなく、むしろ心地よい。負傷した肩の痛みもいくらか和らいでおり、体も軽く感じられた。

 

「これならきっと…ジャスミン・パーラー、推して参る!!!」

 

─光ったり燃えたり…あれは魔法なのか!?

 

─知るかよそんなこと!とにかく逃げるぞ!

 

「逃がしませんよ。煉獄心拳 壱の手…『罪爆打』」

 

 ジャスミンは逃げようとする2名の背中に正拳突きを放つ。その速度はさらなる高みへ到達し、音すら遅れてやってくるほどである。  

 そして正拳突きを通して打ち込まれた白炎はあっという間に盗賊たちを包み込むと、ごうごうと音を立てて燃え始めた。

 

─今、なにを…っあ゛あ゛あ゛あ゛つ゛ぃ゛!!!

 

─おいどうした!?…クソッ、逃げるのは無理だ!殺っちまえ!

 

「煉獄心拳 八の手…『貫手・善常一閃(ぜんじょういっせん)』」

 

 続いて貫手の構えに変え、一閃。爪先や炎に触れた者たちはやはり例外なく白炎に包まれる。

 仲間たちが次々と怪現象に倒れる様に慄く"トカゲ"とリーダー。ジャスミンはそんな彼らと目を合わせると、ゆっくりと歩みを進め始めた。

 

「なっ…何をやったかは知らねぇが熱を抑えたのは失敗だぜ!今度は肩を砕いてやるよ!!!」

 

「動きが固いですよ。煉獄心拳 禄の手『破邪顕掌』」

 

 半ばやけっぱちに振り下ろされた拳は空を切り、懐に潜られたことを認識した時にはすでに手遅れ。"トカゲ"の腹には掌底が打ち込まれていた。

 

「く゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛!!!」

 

 燃え盛る盗賊たちを背に一歩、また一歩と迫るジャスミン。軽蔑の視線にあてられた最後の1人─スマリットを殴ったリーダーは腰を抜かし、後ずさることしかできずにいた。

 

「ち、ちょっと待て!いくらお前でも下の連中まで相手にするのは分が悪いだろう!俺が掛け合ってやるからここは─」

 

「あなた…名前は?」

 

「は…?こ、コーザだが…」

 

「そうですか…」

 

 ジャスミンの視線から軽蔑の色は消えていた。そこにあるのは道を踏み外し、人としての敬意すら感じられなくなった者への哀れみの色。

 

 質問の意図は理解できないものの、ある程度の平静を取り戻したコーザにとってこの時間はチャンスであった。怯えたフリで油断を誘い、腰のナイフで一突きすればまだ勝機はある、と。

 

(腕の妙な炎も小さくなってきた。もう少しだ…もう少しで隙ができる!)

 

「先ほどからトカゲと呼んでいる彼の名前は?」

 

「あ…?確かエラブシィ…だったか」

 

 突然の質問に面食らいつつも、最も得意とする間合いを維持するコーザ。腕の炎はさらに小さくなっており、戦意が削がれてきたのだろうと推察する。

 

「私も、あなたも、そして彼らにも名前があります。親が与えてくれる最初の贈り物…大事にしたいですよね」

 

(なんだこいつ、気分がコロコロ変わりやがって…躁のケでもあんのか?)

 

「なのにあなたはトカゲだクソガキだと汚い言葉で仲間を蔑んで…」

 

 コーザの背中がぞわり、と逆立ち、そして理解した。目の前の女は萎えているのではない、怒りを凝縮しているのだ、と。

 

「あなたは…人をなんだと思っているんだ!!!!」

 

 ジャスミンの叫声とともに再び吹き上がる炎。白く美しいはずのそれには血のような赤黒いものが混じっており、放たれる威圧感も桁違いに跳ね上がる。

 

 今の状況はまさに虎の尾を踏む、あるいは龍の逆鱗に触れたといった風であり、明確な意志を持った暴力が待ち受けていることを意味していた。

 

「あの人たちを包んでいるのは悪意だけを燃やす裁きの炎、見た目ほどの損傷は与えません」

 

「ですが仲間すら侮辱し、子供を躊躇なく蹴飛ばすあなたには甘すぎる。よって私の"個人的な"力の行使を─」

 

「クソが浸ってんじゃねえ!こうなったらやってやるよ…死ねやメスガキがあぁぁぁぁ!!!!」

 

 一か八かの特攻に出るコーザ。一見冷静さを失っているように見えるそれにはいくつもの視線誘導とフェイントが仕組まれており、無傷でいなすのは至難の業である。

 

(こいつの切っ先には毒が塗られてんだ!少しでも掠れば俺の勝ち…だ…?)

 

 いない。

 

 ナイフを振るうための腕が視界を遮ったコンマ数秒の間に、目の前からジャスミンが消えていた。

 

(そんなバカな!どこ行きやがった!?)

 

「上ですよ」

 

「…!いつの間」

 

─『絶拳』

 

 それはまるで殺意を抱いた太陽が落ちてきたかのようで…

 

 そこまで考えたところでコーザの意識は途絶えた。

 

───────────────

 

─『絶拳』

 

 赤黒い何かを内包した、禍々しき白炎を纏ったジャスミンが拳を振り抜いたその瞬間。逃げ場を失い、圧縮された空気が地面を押し潰し、コーザの体に鳴ってはいけない音を響かせた。

 次に起きたのは爆発…噴火と形容すべきかもしれない。抉られた地面から立ち上る巨大な炎柱は地獄の様相を呈している。

 

 そして炎柱の中から姿を現したジャスミンは一連の戦いを眺めていたスマリットの元へと向かい…スマリットもまた立ち上がると、構えた。

 

「…どうしても、戦わねばなりませんか?」

 

「うるせえな。さっさと構えろよ」

 

 ジャスミンはゆっくり目を閉じ、深呼吸を1つ。両手に裁きの炎を纏わせると─悲痛な表情のまま駆け出した!

 

 正面からの特攻をスマリットは蹴り上げで迎撃し、ジャスミンは寸前でステップを踏み回避。大きく迂回すると"破邪顕掌"で背中を狙う。

 だが攻撃は空を切り、お返しに飛んできた裏拳を掌底で弾くと、互いに距離を取り直した。

 

 攻撃を躊躇し、あえて軌道を背中にずらしたのは事実である。それでも当てる気で放った掌底を躱すのは並大抵のことではない。

 そしてジャスミンはこの状況に覚えがあった。短期間でほぼ対等に打ち合えるまで成長したアルジード、彼が指摘してくれたのは─

 

(動きが単純だから目を慣らしやすい、でしたね)

 

 これ以上は時間をかけるほど不利になる上、裁きの炎もいつまで出せるか分からない─ジャスミンは気合を入れ直すと、通常の魔力に切り替えて地面を殴りつけた。

 巻き上がる土煙で動きを悟られぬようにするという模範的な対策。だがスマリットの目にはそう映らない。

 

「目眩ましだと…舐めやがって!!!」

 

「!!」

 

 土煙を吹き飛ばされたジャスミンは驚愕した。自身が拳に裁きの炎を纏っているように、スマリットも何かを纏わせていたからだ。ドス黒いそれは可視化された鎌鼬のように渦巻いており、風圧によって視界を晴らしたものと思われる。

 

 魔力の気配すら無かった人間が従属呪文を開花させるという未曾有の事態は、緊急性を確かなものとするには十分であった。

 

「ガキは大人の所有物、ガキだから可哀想、どいつもこいつもガキガキガキガキ…都合の良い物差しを押し付けるんじゃねえよ!!!!!」

 

 黒い鎌鼬はみるみる増殖し、全身を覆いつつある。その姿はまるで魔族のようであり、脳裏には"魔族は人から転化するのではないか"という仮説がよぎる。

 

 捨てきれぬ迷いのせいで魔族に堕としてしまうくらいなら─構えをとったジャスミンの眼光は鋭く、炎はさらに燃え盛っていた。

 

「ここから先は子供扱いナシ、人類の脅威として全力を出させていただきます。…それでキミが救われるならば」

 

「だったら…さっさと来いやオラアァァァ!!!」

 

 再び両者が相手目がけて突撃し、手業の応酬が始まった。片方が仕掛けて片方が弾く…高速で幾度となく繰り返される攻防は凄まじい勢いで体力を削り取っていく。

 

 状況が動いたのは攻防を200ほど繰り返した時のこと。わずかに遅れを取ったスマリットの防御が崩れ、仰け反る。

 すかさず掌底の型に入るジャスミン。彼女の動きに迷いはなく、宣言通り本気で向き合っていた。

 

「『悪破昇掌』…っ!?」

 

「ぐぅぅぅっ…オオオアッ!」

 

 スマリットを守るようにドス黒い鎌鼬が懐に集まると、なんと掌底を防いでしまった!

 衝撃までは殺せなかったようだが打ち込めば勝ちの裁きの炎、今の一撃で決められなかったのはかなりの誤算である。

 

 苦々しい表情のジャスミンに対し、よろよろと立ち上がるスマリットの顔には笑みが浮かんでいた。

 

「ハァ…ガキ扱いをやめたってのは本当みたいだな…楽しくなってきたぜ…!」

 

 何故そんなに暴れたいのか、何があってアラクネに匿われているのか…問いたいことは山ほどあるが、彼にとってそれらはすべて鬱陶しく、答えも返ってこないだろう。

 

 ようやく習得した煉獄心拳でも心までは救えないのか─己の力不足を嘆きつつも再び構えると、ありったけの炎を右腕に集中させる。今度こそ防壁ごと砕き、内なる悪意を焼き尽くすために。

 

 スマリットも本気の一撃に応えるべくドス黒い鎌鼬を集中させていく。

 凝縮された悪意は目を背けたくなるほどの威圧感を放っているが、ジャスミンは視線を外さない。ただまっすぐに、目を合わせ続ける。

 

 言葉よりも力で伝えることを得意とする、短くも濃厚な2人の戦いは終局を迎えつつあった。

 

「一騎打ちに応じていただき感謝します。終わりにしましょう…この戦いも、キミの苦しみも」

 

「んなことはどうでもいい。だけどオレは今楽しいぜ…ぶっ壊れるくらい本気でやり合えるんだからなぁ!!」

 

「「行くぞ!!!」」

 

 白く燃え盛る炎と禍々しく渦巻く鎌鼬が激突し生まれる衝撃は先ほどまでとは比べ物にならず、周囲のあらゆるものを吹き飛ばす。

 中心にいる2人が無事でいられるはずもなく、余波によって無数の傷が刻まれ続けていた。

 

「…っ!」

 

 先に表情を歪めたのはジャスミンである。先ほどの戦闘で負傷した肩は限界に達しており、気合いで誤魔化せる領域をとうに超えていたのだ。

 

「どうしたよクソ女!もう終わりか!?」

 

「終わりにしますとも!だからスマリットくん!怒りも憎しみもすべてを乗せた全力で来い!!!」

 

(…!)

 

 怒りに満ちたスマリットの目に一瞬、違うものが混じったものの、ジャスミンがそれに気付くことはなかった。邪悪なオーラと拳を弾かれ、無防備になったスマリットへ今度こそ渾身の一撃を叩き込むべく正拳突きの構えに移る。

 

「煉獄心拳 極の型─『業』」

 

 それは意外にも静寂だった。

 

 "音"を圧縮するまでに至った拳から放たれた裁きの炎がスマリットを撃ち抜き、全身を炎柱が飲み込んでいく。

 その凄まじい光景に反して火中のスマリットに苦しむ様子はなく、むしろ穏やかですらある。

 

 ジャスミンはだらりと垂れた右腕を庇いながら、邪悪なオーラが焼き尽くされる様をただ眺めている。その表情は憂いを帯びつつも、しかし吹っ切れた様子であった。

 

「私は皆さんのように器用にはできません。それでも拳を交したからこそ分かり合えることがあると思うんです。だからスマリットくん…」

 

「今度改めて聞かせてくださいね。キミに何があったのかを」

 

 

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