エグリ=マティアス教での戦いはアルジードたちの勝利に終わった。が、首謀者のロレンツは死亡、その過程で子供であるスマリットの手を汚させてしまう等、大きなしこりが残る末路となる。
ジャスミンたちが新たな覚悟を胸にする一方、場面は少し前のエイジャーたちに切り替わる…
シンシアは王政傘下のとある町、革を生業とする家系に生を受けた。
家が卸す革は質が良く、軍隊や騎士団でも採用されるほどには需要があり。明日の食べ物に困るような事は無かったという。
それでも─だからこそと言うべきかもしれない。それなり以上に満たされた環境で育った彼女はいつからか、動物を解体して生計を立てる家に漠然とした嫌悪感を抱くようになった。
「そんな時に声をかけられたんですよね〜、もっと刺激的でキラキラな生き方をしてみないかって」
「それでゲンゼに…でも君は遊女にはならなかった」
「確かに魅力はありましたよ?デボラなんてずいぶん羽振りが良くなったし。でもなーんか違うというか…家を出てまでやりたいことなのかなーって」
とはいえこの街で流れ者が出来ることは少ない。いよいよ食い詰めるかというタイミングを見計らったかのように、ある人物が接触してきたのだという。
語られたのは正体を隠して街に溶け込み、迫る危機を"ボス"へと持ち帰る稼業…身体を売るよりはマシだろうと考えたシンシアはこれを承諾、偵察バチの一員となった…というわけである。
一通りの説明を聞いたエイジャーは目を閉じ、何かを迷っている。そして意を決したように再び開くと…恐る恐るシンシアに尋ねた。
「経緯は理解した。ただその…ここは特殊な街だ。途中で帰ろうとは思わなかったのかな」
「……あは。そうですねー何度かよぎりましたけど…友達を置いていくのもなって。それに家出に失敗したからまた養ってはダサいでしょ?」
「…………そうか。余計な事を聞いてすまなかった」
肩をすくめるシンシアの笑顔はどこか自棄的で、断ち切れない未練があることを物語っている。
もしデボラという人物を取り戻し、説得することが出来たなら─答えはすでに決まっていた。
「君の友人探しをぜひ手伝わせてほしい。アリッサは─」
「もちろんお供します!!!」
アリッサは言葉も身体も食い気味に迫る。
協力するのはシンシアの話に共感したからではない。理由を言葉にはできないが、彼女への不快感はむしろ増大している。
とにかくこの気に食わない、信用ならない街にエイジャーが飲まれるのではないかと心配なのだ。
危険だから待機するよう告げるつもりだったエイジャーも、彼女の迫力を前にしては頷く他ない。シンシアはそんなやり取りを横目に出発の準備を始めるのだった。
「じゃあボスの元へ連れていきますね。裏道を使うのではぐれちゃダメですよ?」
「分かった。それともう1つ…もし遊女のフリを見抜けなかった俺たちが、本気で求めたらどうするつもりだったんだ?」
ドアノブへ伸びた手がピタリと止まる。そして数秒の沈黙の後に振り返ると─シンシアはいたずらな笑みを浮かべ、人差し指を口に押し当てた。
「そうならないと確信したから接触したんですよ。
─────────────────
「…で、目の前にいるのがその英雄さんってわけだ」
それからしばらくして…建物の合間を縫い、時に床下を伝った先に待ち構えていたのはこの街のボス マダム・ステイシー。
青く縁取られた目尻に艷やかな唇、座っていても分かる長身に無駄はなく若さを保っている一方で、側頭部に刻まれた一筋の切傷痕は波乱に満ちた人生を物語っている。
"数多の種族とコネを持ち、民を魔族の脅威から救っている外の世界の英雄"─尾ひれのついた紹介を聞いたステイシーは興味深げな声を漏らすと立ち上がり、エイジャーに詰め寄った。
(この人…大きい!)
エイジャーの身長は180を超えており、この世界でも高い方である。ステイシーの目線はそんなエイジャーとほぼ同じ、女性としてはかなりの大柄。
加えて毛量豊かなファーコートを羽織っていることもあり、その威圧感はかなりのものであった。
「なるほどよく鍛えている…これはあえて受けた傷、腕だけでもずいぶんあるね。何故だい?」
「な、仲間の元へ駆けつけた際、攻勢に移ると間に合わない場面があったからです」
「フゥン…」
(ダーリンの身体をベタベタと…!この街の女は触らないと気が済まないの!?)
(アリッサちゃん怒ってるな〜。それにしても…)
シンシアはいつにも増して品定めに熱心なマダム・ステイシーを物珍しげに眺めていた。
彼女に謁見できる人間はそう多くない。危ういバランスで成り立っている街の長である、当然の警戒だ。
故にここへ来る人間は偵察バチが素性を調べた上で接触し、その上でステイシーが品定めをする。そこで有益と判断されて初めて交渉が始まるが、そうでない場合は─
「…シンシアの目は節穴じゃないようだね。それで何をさせるつもりだい?」
どうやらお眼鏡に適ったらしい。シンシアはほっと胸を撫で下ろすと、遊女失踪事件に協力してもらうこと、そのためにステイシーが持つ情報を開示してほしい旨を説明する。
だが要求を受けたステイシーは指でこめかみを数回タップすると…再び自席に戻ってしまった。
「その件はアンタが思っている以上にデリケートだ。承諾はできないね」
「…ここは質のいい遊女と安全に遊べるのがウリです。事態を放置して噂が流れるのはボスにとっても痛いですよね」
「デボラとアンタは同郷だろう?私情を挟むんじゃないかと言ってるんだ。本気で解決したいなら手を引きな」
圧。
今の状況を説明するにはこの1文字が最も適しているだろう。ステイシーの突き刺すような視線はアイラインの青よりも冷たく、シンシアも纏う空気が別人のようである。
今はまさしく蛇に睨まれた蛙…を通し越して大蛇に睨まれたオタマジャクシ。指一本動かさずにいるエイジャーとアリッサは同じことを考えていた─
((2人の意識がこちらに向きませんように))
と。
張り詰めた空気の中、ピクリとも動かない4人。心を削る我慢比べで最初に音を上げたのはシンシアだった。
「…分かりました、一旦ボスに預けます。デボラが見つかったら私が迎えに行く…そこは譲りませんよ?」
「まあいいさ、それで手を打とう。何か分かれば報せるよ」
シンシアは舌打ちを声に出しながら、未練たらたらな様子で部屋を出ていく。足音が聞こえなくなった頃、ステイシーはあらためて2人に向き直った。
「さてと…品定めの続きだ。アンタは壊滅した王都の生き残りだね?」
「…よくご存知で。シンシアもそこは説明しなかったはず」
「情報源はいくつもあるからね。次の質問。ここが王政傘下じゃないのはアンタも知ってるはずだ。なぜ首を突っ込む」
「新たに発見された奇病と今回の事件に繋がりがあると睨んでいます。そして仲間の予想が正しければ彼の仇が関与している。先に到達し、これを収める必要があります」
言葉選びからは仲間の復讐は否定せず、しかし手を汚させたくないという思いが汲み取れる。
この男は灰色の道を歩いている。世の中が綺麗事だけで乗り切れるものではないと知りつつも、そうあるよう泥を被る…"みんなの幸せ"に自分を含めないタイプなのだろう、と考察しつつも、ステイシーは隣のアリッサに視線を移した。
「アンタは…騎士団の人間ではないね。なぜこの男に同行している?」
「肩書きに拘るなんて古いわね。ダーリンのお手伝いをしたくてあたしにはその力がある、他に理屈なんて必要ないと思うけど?」
この少女は常に強くあろうとしている。本人の気質もあるだろうが、何かに対する反発が根源か。
一方でアイデンティティを他者に依存する脆さも持ち合わせている。これまで何人も見てきた、破滅する遊女に近い危うさだ。
やり手ではあるが些か不安定、というのが2人に対する見立てでである。失踪事件の協力者として懸念は大きいが…
…まで考えたところでドアが叩かれる。ステイシーは時計を確認しその理由を理解すると、小さく伸びをしてファーコートを脱ぎ捨てた。
「ええと…どうなさいましたか?」
「ティータイムの時間だ。アンタたちもどうだい?」
─────────────────
(交渉の途中でおやつなんて…どういうつもりですかね)
密かに投げかけられた質問にエイジャーは答えかねていた。
先ほどまで放っていた圧はどこへやら、ステイシーの視線は年相応の穏やかなものになり頬杖までついている。曰く「ティータイムにきっちり休むのがルーティン」とのことだが…
相手は特殊な街の長、こちらを油断させる罠だと疑うアリッサの気持ちも分かる。が、それを加味しても今の彼女は本気でリラックスしているようにしか見えない。
エイジャーが適切な距離を測りかねていると、開かれた扉から甘い香りが飛び込んできた。
「ボス、本日はマドレーヌを焼いてみました。シナモンティーは甘さを控えめに」
「いい香りだねぇ…今日もいい仕事じゃないかトラリィ」
(!ダーリンあの人って…)
トラリィと呼ばれた給仕の男には見覚えがあった。浮ついた空気の店ばかりの中、落ち着いた空気を提供している喫茶【ハニカムシェード】のマスターその人である。
ハニカムシェードはやや奥まった場所にあり、シンシアから教えてもらった店なのだが…様々な憶測がよぎる2人に気がついたのか、トラリィはティーセットを差し出した。
「彼女は私がここに来る事を知らないと思いますよ。いつもリラックスしておいでですから」
「そうですか…ん!?」
「「美味しい…!」」
マドレーヌは上品な甘さの中に蜂蜜が香り、独自配合のシナモンティーが甘くなった口内をリセットしてくれるため何度でも一口目の感動を味わうことができる。
先ほどまでの警戒はどこへやら、思わず顔を見合わせる2人にステイシーは呆れたように笑った。
「上手いもんだろう?コイツはあくまで給仕。シンシアのやつが見抜けないのも当然さ」
曰く夜逃げした妻の借金で首が回らなくなり、カタとして娘を奪われかけたところをステイシーが助けたのだという。今の立場は代償として課せられているものだが、進んでやっていることだとトラリィは穏やかに語る。
「ボスは娘の教育費も出してくださいました。私の残りの人生など安いものです」
(さっきまで高圧的だったけど意外といい人…なんですかね?)
「…などとすぐ絆されないことだねお嬢ちゃん。こんなのは印象操作の基本のキ…そうだろう?英雄エイジャー」
「なかなか耳の痛いご指摘だ…でも今の話は本当ですよね。マダム・ステイシー」
放たれるプレッシャーをものともせずエイジャーはマドレーヌをつまみ上げると、角度を変えながら続けた。
「たとえばこの端の部分…すべて蜂蜜が焦げてるんです。トラリィさん、わざとではありませんか?」
「ほぉ!よくお気付きになりましたね。ボスは焦げた蜂蜜の香りがお好きなのですよ」
「完璧な料理と人を喜ばせる料理は違う…
なんという男だ─ステイシーは呆れていた。王都騎士団の武官が料理の真心を語り、それを根拠に信用するなどと。これまでティータイムに同席した者は何人かいるが、その誰もがこちらを警戒していたというのに。
だが同時に納得もした。それぞれの種族が距離を置いて暮らす世界で、他種族が彼に協力する理由が。
(相手の善性を目敏く見つけ、それを頑なに信じるってのがアンタのポリシーかい。こんなのが生き残れる時代になったとはねぇ…)
ある目的のためにろくでもない世界の裏側でのし上がってきたステイシーだが、長になってもしがらみは多い。
今回の事件はしがらみのせいで自力での解決は不可能。しかし裏に馴染みすぎた彼女には善意で協力してくれる、信用できる者がいなかった。
この男ならばもしかすると─ステイシーは棚から契約書を取り出すと、2人の前に差し出した。
「試して悪かったね、合格だ。話を聞きながら目を通しておくれ」
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ゲンゼの下には古い地下街と、そこへ繋がりそうな穴が確認されている、というのがシンシアから提供された情報。
街が把握している情報はさらに深く、穴ではなく通路への入口をすでに発見したらしい。それも比較的新しい鉄の扉…何者かの出入りがあるのは間違いないという。
しかし"何者か"までは把握出来ていない。事が事だけにダイガロンを動かせず偵察バチに任せているものの、その正体は未だ掴めていないとステイシーは憂いていた。
「いっそ扉を壊せばいいのに。悪党がいたら傭兵をけしかけられるんでしょ?」
「そう単純な話でもないんだよお嬢ちゃん。この辺りは土地の権利が複雑かつ厳しい…現在地も分からず暴れるのは自殺行為さ」
「ちょっと待ってよ、それじゃあたしたちが介入したらどうなるの?まさか捨て駒にする気じゃないでしょうね」
「そんな事をしてもアンタらが吐けば末路は同じ。そのための情報網で、長であるアタシがいるのさ」
そう言って机に広げたのは周辺地域の長が連名で出した"外部不干渉協定"と、女性が消えたタイミングを記録したメモ。
エイジャーは2つの資料を交互に睨みながら意図を理解しようとする。そしてあるカラクリに気付き顔を上げると、推理を語りだした。
「遠回しにだけど…権利が複雑すぎて第三勢力が地下街に侵入しても責任を問えないと書かれている。つまり俺たちが調査しても見て見ぬフリをすると…違いますか?」
あくまで少人数に限る、と付け加えてステイシーは頷く。続いてエイジャーは失踪事件の記録を手に持った。
「失踪事件は概ね等間隔、ただ売るだけならこんな痕跡は残さないはずだ。1人も行方が分からないことを踏まえると…おそらく地下で使い捨てている。赤カビ病と関係があるかもしれない」
「それだと地下が死体だらけになりませんか?いくら悪党だからってそんな気持ち悪い場所でその…楽しめますかね」
「問題はそこだ。遺体を外に運べばさすがに目立つ。よほど処理に慣れているかあるいは─その場で遺体を消せる何かしらがいるのかも」
エイジャーの頭をよぎったのはロックリフ鉱山での一件。恩を売ってレプター族を、騙してタルガン族を使役していたアラクネの存在。
前述の2種族は人を食う生態ではないものの、他の危険な種族を従えている可能性は否定できない。
地下に潜むナニカは非常に危険だが、大人数で押し掛ければ動きを察したナニカが撤退、二度と追えなくなる可能性がある…
さらに記録の間隔通りならば次の失踪も近く、グズグズしていると新たな犠牲者が生まれてしまう。どう動いてもリスクが伴う上に考える暇すらない状況に、エイジャーも苦い表情を隠せずにいた。
「いかに厄介か理解したようだね。この案件をこなせるだけの人間なんてそういないのさ。まあ、一度の失踪で消える人数は少ないから受け入れる手もあるが─」
「受けましょう。この依頼」
「!?乗っちゃダメです!ダーリンの人の良さを利用してるんですよ!?」
「これ以上の被害を見過ごすことはできないよ。君はその理由を知っているはずだ」
目の前で王都の民をすべて失い、何も出来なかった自責の念は未だ癒えていない…それは行動を共にする中で打ち明けられた心の傷。
被害が大きいあまり共感しきれていないが、心の内を語っている時のエイジャーの顔を見て。もう一度同じ思いをしろと言う事はできなかった。
「ようやく覚悟が決まったし修行の成果もある。それにやりたい事が出来たしね」
「やりたいこと?」
「マダム・ステイシー。状況は極めてシビア、これを解決できる人間はそういません。そこで報酬の上乗せを要求します」
「他所の長にも払わせてやるか…いいだろう。いくら欲しい?」
エイジャーは契約書に何かを書き加えていく。その内容を見た2人は目を見開き、驚きの声をあげるのだった。
─────────────────
「…誰も来ませんね」
「失踪の間隔には多少のブレがある。もどかしいけど我慢だ」
数日後…ゲンゼの敷地から少し離れた街道の茂みに2人の姿があった。
街の中で失踪を捉えられないならば、外の不自然な動きを見張ればいい─エイジャーがもたらした逆転の発想は周辺地域の長に通達され、すぐさま地下通路の捜索が始まった。
そして地元民が滅多に使わない場所が整備されている事に気付き。さらなる調査の末地下通路への入口が発見されたのである。
この道を使い、地下通路へ向かう者を尾行。扉が開いたところで一気にカタをつける…それが最終的な作戦内容だ。
「手伝ってくれてありがとうアリッサ。それとこれを…いざという時に君を守ってくれるはずだ」
エイジャーは大振りのナイフを手渡す。普段腰に携行しているそれは幼少期から使い続けている相棒であり、今は亡き師匠との思い出の品。
ナイフの由来を知るアリッサは手に伝わる以上の重みを感じながら、丁寧にベルトへと括り付けた。
「これ以上引き返せとは言わない。だけど忘れるな、最優先すべきは君の安全だ」
「…はい」
(真剣な時のちょっと強気なダーリン素敵…大事なナイフまで託されたんだもの、未来の伴侶としてしっかり支えないと!)
「…!どうやら待ち伏せは終わりみたいだ。ほら、あそこ」
指し示す先に現れたのはひとつの人影。単眼鏡に映る身なりの整った男性に、アリッサは見覚えがあった。
「あの人知ってる…!
「まさか知り合いの関係者とは…どんな人かは聞いてる?」
「名前は確かグノス・カンティーヤ。最近頭角を現してきた古物商だったはず…どうしますか?」
エイジャーは迷っていた。グノスなる人物が事件とどう関わっているのかによって対応が変わるからだ。
彼が"呼んだ"側であればこちらを認識した瞬間に敵とみなすだろう。騒ぎに気付いた地下街のナニカが逃亡する恐れもある。
だが"呼ばれた"側であれば情報を聞き出せる。敵対する相手を尋問するより信憑性が高く、表側の首謀者に大きく近づくだろう。
現在分かっているのは近隣地域で女性の失踪が相次いでいること、捨てられたはずの地下街を利用するナニカがいることのみ。赤カビ病との関連も含め、少しでも情報が欲しい段階である。
グルーノイ・サノヴァは飄々としているが確かな芯と目を持つ人物、人攫いと友好関係を結ぶとは思えない。エイジャーは彼を信じ、賭けに出ることにした。
「まずは俺が声をかけるから、合図によって対応を変えてくれ。いいね?」
「はい!」
謎に包まれた地下街の闇がいま、明かされようとしていた。