キヴォトスの生徒と先生がイチャイチャしたり、傷ついたりする話 作:古魚
それはいつも通り、テラスでナギサが紅茶を嗜んでいる時のことだった。
「な、ナギサ様!」
血相を変えて、お付きの生徒がナギサへと近寄る。
「あら、どうしましたか?」
「先生が! 先生が!」
あまりにも切羽詰まった様子に困惑しながら、ナギサはその生徒を落ち着かせ、もう一度聞く。
「先生が、どうかなさったのですか?」
「先生が、シャーレで首を吊った姿で発見され、今病院にいると……」
涙を浮かべながら話す生徒。その言葉を聞いて、ナギサの顔から余裕が消える。一瞬真っ青になり、様々な憶測がナギサの心中を飛び交う。
(自殺? しかしなぜ先生が……。日ごろの激務に疲れて? いえ、もしかしたら自殺に見せかけた他者の犯行……ありえます。先生の影響力は良くも悪くも絶大すぎる。命を狙うものが現れたって……)
しかし、数秒考えたところで、ナギサは我に返る。
「……ティーパーティーホストとして命令を下します。ただ今の情報は、トリニティ内外において一切の口外を禁止。特に、ミカさんに聞かれないようにしてください。万が一言いふらそうとするものでもあれば、武力行使も許可します。私が良いと言うまで、この情報は一切封殺をお願いします」
先生を慕う生徒は多い。もし先生が自殺未遂をしたなんて情報が広まれば、大きな混乱を生むのは明白。そう考えたナギサは、お付きの生徒へとそう伝達した。
「わ、分かりました。すぐに取り掛かります」
ナギサはその返答を受けると、脇腹辺りに刺さる『ロイヤルブレンド』を抜き、マガジンを確認、動作に問題がないことを確認すると、再びホルスターへと戻す。ナギサは、自殺に見せかけた他者の犯行だった場合に備えていた。
ほとんど発砲どころか抜くことさえしなかった自身の拳銃。それが他者のために抜かれることになるなど、昔のナギサでは、他人を信じることが出来なくなっていたナギサでは、考えられないことだった。
「私は、先生のもとへ向かいます。もし何かあれば、セイアさんを頼ってください。きっと彼女なら、対応してくれると思います」
「は、はい!」
速足でナギサはトリニティ学園を後にし、先生がいる病院へと足を運んだ。病院の受付で先生に会いたいことを告げる。
「桐藤ナギサさん、ですね。はい、記録しました」
「記録?」
「ええ、ヴァルキューレからの指示で、先生の病室に出入りした者は全て記録するよう言い渡されていまして……なんでも、弱った先生を狙うものが現れないとも限らないからということでして……」
先生が自殺未遂をしたと言う報を受け、ヴァルキューレ局長のカンナも、ナギサと似たようなことを考えていた。先生が自殺をする理由が分からない、万が一これが自殺に見せかけた他者の犯行だったら? と。
なんて声をかけようか考えながら、ナギサは先生がいる病室の扉をノックする。
「先生、私です。ナギサです……入ってもよろしいでしょうか?」
ナギサの呼びかけに返答はない。
「……先生、入りますね」
痺れを切らし、ナギサは思い切って病室の扉を開けた。
「やあ、ナギサ」
「……起きているなら、返事をしてくださってもよろしかったのでは?」
目元にくっきりと隈が浮かび、喉元には、痛々しい荒縄の跡が見える先生が、ベッド上に横たわっていた。
「ごめんね……でも、あんまり人に会いたい気分ではなかったからさ」
「……一つだけ確認させてください。先生は、自殺しようとしたのですか?」
ナギサの問いに、先生は小さく頷く。
「ああ、カンナは信じてくれなかったけど、私は、確かに自殺しようとした」
「そう、ですか……」
けして誰かに命を狙われていた訳ではないという安堵と共に、ではなぜ自殺などと言う選択をしてしまったのかという疑問、それから恐怖。それらの感情がナギサの胸を支配する。
「自殺に踏み切った理由をお聞きしても、よろしいでしょうか?」
いつまでも踏みとどまる訳にはいかないと、ナギサは決心してそう問う。
「……疲れたんだ。もう、先生という重役をするのがね」
それだけ短く答える先生。だが、ナギサは違和感を覚えていた。
「……なぜ、私の目を見ないのですか?」
「え?」
「なぜ先生は今、私の目を一度も見ようとしないのですか?」
その違和感の正体は、少し考えればすぐに分かった。先生が一度も自身の顔を見ようとしないことに、ナギサは引っ掛かったのだ。
いつでも先生は、生徒の目を真っすぐ見つめ、柔らかな笑みを浮かべて話しかけてくれていた。しかし今日は、一度もナギサの目を見ようとしない。
「答えられませんか?」
先生は口を開こうとはせず、黙って俯く。
ナギサは全てを察した。目を見れなくなった先生、自殺に踏み切るほどの理由、そして、それらの訳を話せない。この三つに、ナギサは心当たりがあったのだ。
「……先生」
ナギサはそっと先生の手を握る。
「先生は、エデン条約の時の私と、同じ状態になってしまったのですね?」
全てが疑い深くなり、いつか自分の命も奪われるのではないかと考え、自分の大切な存在すら信じられなくなり、いつしか本心を悟られぬよう人と目を合わせて話すことが出来なくなっていた、あの時のナギサ。
ナギサには、今の先生が、昔の自分と重なって見えた。
「私は、貴方の全てを分かっている訳ではありません。ですが、絶対に貴方の敵ではないことだけは、この命を懸けて断言致します。ですからどうか……」
先生の手を握る力が、少し強くなる。
「どうか私のことは、信じて頂けないでしょうか」
ぽたぽたと、ナギサの瞳から零れた雫が、先生の手の甲を濡らす。
「……ナギサ? 泣いているの?」
「これが……泣かずにいられますか」
ごしごしと自身の目元を拭い、ナギサは絞りだすような声で言う。
「私に、周りを信じろと言った人が、人を信じられなくなるなんて……そんなことになるまで、気づくことができなかったなんて……」
拭っても拭っても、ナギサの涙は止まらない。それでも、先生の手は離さずに握りしめられている。先生は、その手の温もりを頼りに、胸の奥底に仕舞っていた言葉を吐き出し始めた。
「……元々、私はそんな大した大人じゃない。このキヴォトスに来た時からずっと……無理をしていたんだ」
ナギサの涙を拭いながら、先生は続ける。
「先生なんだから、生徒の手本にならなくちゃ。先生なんだから、生徒のために動かなきゃ。そうやって自分を律して、出来る限りの力で、皆に接してきた。そのおかげか、こうして私を心配してくれる生徒もいる」
そっとナギサの頭に手が乗せられる。
「……でも、最近疲れがたまって来たせいか、ふと考えるようになったんだ。失敗したらどうしよう、って。もし私が皆の理想とする先生でいられなくなったら、皆は私のことをどんな目で見るんだろうって」
「きっと、生徒の皆さんは何も気にしなければ、何か対応を変えるということはないと思います。たとえ失敗したとしても、先生は先生ですから」
ナギサは懸命にそう言うが、先生は乾いた笑い声をあげるだけに終わる。
「私も、そう考えようと思ったんだけどね……ダメだった。考えないようにしようとすればするほど、悪い予感が頭をよぎるんだ。皆に失望され、冷ややかな目で見られる光景が脳裏をよぎるんだ」
ぼたぼたと、今度は先生の目から雫が落ちる。
「さっきナギサは、何も気にしないと、何かが変わる訳ではないと言ったけど、信じてあげられないんだ。先生は、生徒の言葉を信じて上げなくちゃいけないのに。生徒から投げかけられる慰めの言葉すら、素直に受け止めることすらできないんだ……」
膨大な業務。先生にとっては死と隣り合わせのこの土地。責任を一身に背負う先生という立場。そう言ったものが段々と先生を追い詰め、心を蝕み、今に至る。
ナギサは、そんな先生を前にして、唇を噛みしめる。自分を救ってくれた存在の、裏に隠した真っ暗な闇を、今この瞬間まで認識できなかった自分が悔しくて、憎くて、許せなくて。『先生』なら大丈夫だろうと、勝手に先生を神格化し、万能な存在と思ってしまっていた自分が恥ずかしくて。
「……私は、先生を辞めようと思う。こんな風になってしまった以上、私はもう一度『先生』に戻れる自信がない」
話し終えた先生は、そう最後に付け足す。
その言葉は、ナギサを衝動のまま突き動かした。
握っていた手を先生の背中に回し、ナギサは先生の身体にひしとしがみつく。
「な、ナギサ? これは――」
「許しません」
「え?」
「こんな終わり方は、絶対に許しません」
ベッドの上に移り自身の身体を先生へと密着させながら、ナギサは力強い声で言う。
「先生を辞めることを止める権利は、私にはありません。ですが、『誰も信じられない』という状態になった先生を放置するなど、私の心が許しません」
少し体を離し、まだ戸惑った表情を浮かべる先生の顔を見ながら、ナギサは続ける。
「先生が私に、他人を信じる方法を思い出させてくれました。私を、一人孤独だった闇の中から救ってくれました。トリニティの重役として、常に気を張っていた私に、力を抜ける場所を与えてくれました。先生は、私に多くのものを与えてくださいました。でも私は、何一つ先生に恩を返すことが出来ていません……」
ナギサは自身の羽で先生の頬を撫でる。
「そんな、私は別に何も……」
「例え先生にその気がなかったとしても、私は確かに、先生に救われたんです。だから、ここでその恩を少し返させて頂きます」
先生に跨る形になるナギサ。
真っすぐに先生の目を見つめ、大きく深呼吸すると、意を決したように口を開いた。
「先生。私は貴方が好きです。一人の殿方としてお慕いしています。これは、その証拠です」
頬に伸びた手が先生の顔を固定し、半開きになっていた口にナギサの桜色の唇が重なる。
驚きのあまり先生は一瞬硬直するが、すぐさまナギサを離そうと力を籠める。しかし、がっしりと両手でつかまれ、腕は羽で押さえつけられ、抵抗は妨害される。
数十秒にも渡る長い口づけの後、紅潮した表情のままナギサは言う。
「今のは、私のファーストキスです。まさか、ファーストキスを捧げ、告白もしたような生徒が、先生のことを見捨てるとでもお思いですか?」
「は、え?」
まだ呆気にとられている先生。だが、若干その眼には光が戻りつつあった。
「私は、たとえどんなことがあろうと、先生を裏切ったり見捨てたり、ましてや失望だなんていたしません。たとえキヴォトス中の生徒が先生を見捨てようとも、私だけは絶対にそのようなことはあり得ません……ですから先生、たとえ他の誰かを信じられなくとも、私の事だけは信じてください」
ナギサの恩返し。それは先生の、ただ一人の無条件に信頼を置ける人物になること。
「別に、私と付き合え、結婚しろだなんてそんなことは言いません。ただ都合のいい人物だと思っていただいて構いません。ただ私は、先生が無条件に信頼できる生徒になります。どんなことがあろうと先生を肯定します。疑心暗鬼になった際は、私だけを信じていてください。そうして、また他人を信じられるようになってくれれば、それで……」
それが、ナギサの考えつく、今できる最大の恩返しだった。
「ま、待ってくれ、どうして、どうしてそこまで……」
「私は先生に救われたのです。それが、今度は私が先生を救う番というだけのこと」
ナギサの瞳には強い意志が宿っている。先生がナギサを信じると言わなければ、いつまででもここにいると言うような、もはや執念と言っても過言ではない強い意志。
「それとも、ファーストキスと告白だけではまだ私のことを信じることはできませんか? でしたら……私の、ヴァージンを捧げることだってできます」
さらに顔を赤くしながら、ナギサはホルスターを外し、スルっと胸元のリボンを外す。
その行為に、慌てて先生は首を振る。
「ナギサストップ! ストップ! そんなこと、簡単に言っちゃ―――」
「簡単になど言ってはいません!」
先生としての制止を、ナギサは強い言葉で遮る。
「こんな言い方をすれば、先生はきっと私のことを叱るのでしょうが、あえて言わせていただきます。貴方の命を繋ぎとめられるのなら、私のヴァージンなどいくらでも捧げます。それでも足りぬと言うなら、私の身体の一部を切り落として先生へと捧げます。それぐらい、先生が健全に生きると言うことは、私にとって重要なことなのです!」
日頃こんな大きな声を出さないからか、ナギサはゴホゴホとせき込む。それでも、自身の服を脱ごうとするナギサを見て、先生はナギサを抱き寄せた。
「もういい、もういいんだ、ナギサ。ありがとう」
「先生?」
「君の気持は十分伝わった。ここまでされて信じないほど、私も愚かではないよ」
ナギサの身体をぎゅっと抱き寄せ、頭を撫でながら先生は言う。その言葉に、ナギサは再び涙があふれて来る。
「本当に……信じてくださりますか? もう二度と、自分で命を絶つなど、そんな愚かしい真似をしないと、誓ってくれますか?」
「ああ、誓う。君の初めてのキスに誓って、もう私は自殺なんてしない。ここまで信じてくれている子を、残してなんて逝けないよ」
ナギサは、整った顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃに崩し、ガラガラの声で「よかった、よかった」と繰り返しながら先生を抱きしめる。
二人の抱擁は、先生自殺未遂の報を受けて駆け付けた各学校の生徒たちが、一挙に病室へと訪れるまで続いたのだった。
《ナギサEND:信じて》
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