キヴォトスの生徒と先生がイチャイチャしたり、傷ついたりする話 作:古魚
ある日のシャーレ、先生のスマホが震える。
「ん? キリノから?」
何の用かと電話に出てみれば、爆発音にも負けない声量でキリノの声が響き渡った。
「先生! 助けてください! 局長が! カンナ局長が!」
「ど、どうしたのキリノ!? カンナに何か……」
「壊れましたぁ!」
♦
時間は少し遡る。
「カンナ局長、お疲れ様です! 中務キリノ、巡回任務終了いたしました!」
「ああ、お疲れ、報告書をまとめたら休憩に入ってくれ。この後の指示は追って出す」
「了解しました! それで、あの、局長……」
巡回終了の報告をしていたキリノは、カンナのある行動に目が止まった。
「なんだ? 私は忙しいんだが」
「どうして空のマグカップをずっと口元へ運んでいるんですか?」
それは、部屋を入ってから数十秒ごとに、マグカップを傾けていることだ。しかし、キリノが部屋に入った時から既に、そのマグカップには何も入っていない。
「……すまない。新しいコーヒーを入れて来る」
自分のおかしな行動に自覚がなかったカンナは、数秒自身のマグカップを見つめた後、そう言って席を立った。しかし、いきなり立ったことで立ち眩みを起こしふらつく。
「局長! 大丈夫ですか?」
慌てて駆け寄ろうとするキリノを止めて、カンナは首を振る。
「大丈夫だ、ちょっと、立ち眩みがしただけで―――」
「あ~ねご~防衛室からお電話っすよぉ! それと、前回のシラトリ区暴動の報告書はどうなりましたー? いや~4轍目って聞きましたけど大丈夫っすかぁ?」
勢いよく開け放たれた扉、大きな音を立てて副局長のコノカが入って来る。それに驚いたカンナは再び姿勢を崩し、慌てて机に手をつく。直後、ビリッという嫌な音。その音を境に、部屋の中には沈黙が訪れる。
キリノは顔を真っ青にし、驚かせた張本人のコノカは額からダラダラと冷や汗を流す。
ゆっくりとカンナは手を退けると、その下には『シラトリ区暴動概要』と書かれた書類があった。勢いよく手をついた反動で、紙束の上層は破け、下層はぐちゃっと皺が付いている。
「報告書は……今、書き直す。防衛室の電話は……電話は……」
カンナの耳がピクピク震えたと思えば、手に持っていたカップをそっと机に置く。
「あ、えっと、姉御? 電話は、私が対応しておきます! 報告書も、全然ゆっくりでいいんで! むしろ私が――」
「もうやだあああああああああああ!」
コノカが必死にフォローしようとした直後、カンナはその場にへたり込み、大声を上げて泣き始めた。
「局長!?」
「姉御!?」
「もうねむい! つかれた! おしごとしたくないいいいい!」
4轍目の昼目前にして、カンナは壊れた。
「し、しっかりしてください局長!」
「やだああああああ! わたしもともとあんぜんきょくがよかったの! こんなしょるいとかでんわとかわかんない!」
びえーんと効果音が似合う大泣きをしながら、カンナは床を転がる。
「こ、これはヤバイ! と、とにかく先生呼んで! あたしはこの様子が見られないように人払いしてくる!」
「は、はいぃぃ!」
♦
キリノから電話を受けた先生は、コノカの力を借りて、カンナをシャーレへと連れて来た。二人はヴァルキューレに戻って局長の不在は何とかするから、局長を頼むと言い残して去って行った。
「さて、引き受けたは良いが……」
カンナの方を向くと、ソファーに座ってこちらを見ていたカンナと目が合う。
「ん? なあに? ぱぱ」
「どうしたものか……」
完全に幼児退行状態のカンナに、先生は頭を抱える。いくら先生とはいえ、ドクターではないので、精神療法の知恵など持ちえない。この状態のカンナと出会った第一声が、まさかの『ぱぱぁ!』だったことを思い出すと、先生の頭痛は悪化いた。
そうして頭を抱えていると、カンナが先生の側により、顔を覗き込んでくる。
「ぱぱ? どうしたの? 頭、痛いの?」
普段からは想像もつかないような甘い声。鋭い目ではあるが、穏やかに瞬きを繰り返し、ギザギザと鋭い牙は、恐怖よりも愛らしさを引き立てている。
「うん、そうだね、ちょっと頭痛いかも……」
そんなカンナを見てため息をつくと、カンナがそっと手を伸ばし、先生の頭を優しく撫でる。
「痛いの痛いのとんでけー! ぱぱどう? 痛くなくなった?」
「そうだね、今ので全部どっか行っちゃたかも」
もういいや。先生は心の中でそう呟いた。もうこの状態のカンナを受け入れ、精一杯甘やかし、明日元に戻っていることを期待しようと、そう考えたのだった。ある意味、カンナの可愛さに負けたと言っていいだろう。
「カンナ、何かしたいことはある?」
そう尋ねるとカンナはパーッと顔を明るくし、「うんとねうんとね!」と言いながらからだを揺らが、グーと先生にも聞こえるほど大きなお腹の音を鳴らすと、「えへへ」とはにかむ。
「おなかすいた」
「ちくしょうかわいいな」
断末魔のような一声を残し、先生は一先ずカンナを部屋に置き、自身はエンジェル24へと足を運んだ。カンナに食べたいものをリクエストしたところ、オムライスと返答が返って来たからだ。
普段料理をしない先生だが、別にできない訳ではなく、人並みに作ることはできる。
「お待たせカンナ、オムライスできたよ」
「わーい!」
執務室内の机でお絵描きをしていたカンナの前に、皿を置く。それを見たカンナは、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「おいしそう~!」
いそいそろカンナは机を片付け、流しに手を洗いに向かう。その姿を後ろから見ながら、育ちがいいなぁなどと考えている先生。手を洗い、満面の笑みで席へと戻って来るカンナ。動きはまるでイブキの用だが、見た目はしっかりカンナのまま、事情を知らなければ、先生は泡を噴いて倒れていただろう。それほど、脳のバグを疑う光景だった。
「いただきまーす!」
♦
「ごちそうさまでした!」
終始幸せそうにオムライスを食べるカンナを、先生はニコニコしながら見つめていた。
食器を片付け、お腹が膨れたカンナは、先生とともにお絵描きに興じ、トランプで遊び、探偵ウサギシリーズの新作を読んだ。そうこうしている内に日も傾き始める。
「もうこんな時間か……カンナ、そろそろシャワーを浴びておいで、お布団に入る準備をしようか」
「はーい」
先生は、明らかにカンナが一切帰る様子がないため、コノカの手配によって、お泊りセット一式をシャーレに届けてもらっていた。
「さて、カンナのベッドを用意しておかないとな……」
カンナが着替えを持ってシャワールームへ向かったことを確認し、先生は休憩室の一部屋にリネンの準備をする。
「シャワーを一緒に浴びようとかまで言ってこなくて本当に良かった……いや、本当に……」
小さい子は一人でお風呂に入れない子も多い。そのことを考えると、カンナが共にシャワーを浴びようと言い出すのではないかとひやひやしていた。しかし、予想外にもそんなことはなく、カンナは先生の言う通り、おとなしくシャワーを浴びに行った。
「小さく……はなってないが、精神年齢が幼くなっても、カンナはいい子だな……」
そうしみじみと感じる先生だった。
♦
カンナがシャワーから上がった後、用意した部屋に連れて行き、ベッドへと寝かせると、先生もシャワー浴びる。ただ、一人ベッドに寝かせると、明らかに不満げな表情をしたことだけが、引っ掛かっていた。
「さて、私は少し仕事を片付けてから……」
急を要するものは終わっていたが、貯めてもロクなことがないのはよく分かっているため、先生はそうぼやきながら執務室へと戻っていた。
「カンナ? どうしたの?」
部屋へ戻るとそこには、ベッドに寝かせたはずのカンナがソファーに座っていた。
「パパ、一緒に寝よ? 一人じゃ寂しい」
今にもくぅ~んと鳴き声が聞こえてきそうな表情で、カンナはそう先生に迫る。
「そうは言っても……さすがに生徒と同じ布団で寝るのは……」
「生徒の足を舐めたり、混浴したり、二人きりで夜を越したり、ベッドに潜り込まれているというのに、私と一緒に寝るのはだめなのですか?」
ぼそぼそと、低い声でカンナは呟く。
「か、カンナ?」
それに違和感を覚えた先生は動揺する。それを見て、カンナは焦ったように声色を戻す。
「や、やだー! わたし、パパと寝るの!」
数秒の沈黙。先生は一度天を見上げた後、頷いた。
「分かった、じゃあ一緒に寝よっか」
「は、はい……よろしく、お願いします!」
もう無理があるってカンナ! 心の中でそう叫びながらカンナの手を引き、先生は休憩室へと向かう。カンナは終始無言で俯いていた。
「……それで、いつから戻ってたの? カンナ」
休憩室のベッドに入った先生は、カンナを見つめながら尋ねる。
「……すみません。シャワーを浴びてる最中に、正気に戻りました」
二人の距離は、互いの息を吸えそうなほど近い。
「本当に、すみません。私は帰りますね、御迷惑をおかけしました」
先生の表情を見たカンナは、そう言ってベッドを出ようとするが、布団の中で腕を掴み、先生はそれを止める。
「待って。この状態を望んだ本心すらも聞けてないのに、帰れなんて言わないよ」
真剣な先生の表情に、カンナは俯きながら顔を赤らめる。
「良かったら、話してくれない? どうして、一緒に寝たいだなんて言ったの?」
「……眠れないんです」
顔を上げないまま、ぽつぽつとカンナは語りだす。
「最近徹夜を続けていましたが、それ以前から、私はよく眠れないんです。眠るたびに、嫌な夢にうなされて、起きても体はだるく、いっそ寝ない方が楽なぐらいの時もあります」
「それは……どんな夢なの?」
「また汚職に手を染めてしまう夢、対処に失敗して、多くの住人に被害を出してしまう夢……先生を、守り切れない夢」
カヤの一件、SRTの一件それらを経てカンナは、より一層『局長』という立場に重責を感じていた。日々の膨大な書類、クレーム、防衛室の指示、それらの疲労は責任とともにカンナにのしかかり、少しずつ歪を大きくしていった。それが決壊したのが今日だった。
「こんな状態ですから白状しますが、私は、先生の隣にいる時、先生が後ろにいてくれる時が、一番安心できるんです。とても心地よいんです」
もぞもぞと布団の中で先生へと接近するカンナ。
「だから、こうして一緒の布団に入れば、嫌な夢も見ることなく、ゆっくり眠れるんじゃないかと、そう、思ったんです……」
目の前にいるくたびれた少女に、先生は、先生としてより、もはや一人の人間として同情していた。
「いつもの私じゃ、こんなことを頼める気がしなくて……だから、こうして幼くなったふりをつづけ―――」
カンナの言葉を効き終える間もなく、先生は自身に寄って来たカンナを抱き寄せる。
「せ、先生!? あの、これは……」
「よしよし、カンナは偉いね」
背中をさすりながら、先生はカンナを抱きしめる。
「いいよ、好きなだけ甘えて。今日ここであったことは誰も知らない、私とカンナだけの秘密だから。皆の目を気にすることはないよ」
「……パパ」
「うん、パパだよ」
先生の言葉を受け、カンナもぎゅっと先生の胸へ抱き着く。
「パパ、あ、頭を撫でて、ください」
「いいよ……よしよし、カンナはいつも立派で偉いよ。とっても凄い」
甘く優しい声でカンナへ囁き続ける先生。
「パパ……」
やがてうとうとし始めたカンナは、虚ろな目で先生を見上げる。先生の体温と布団で温められ、じんわりと火照った心に任せてカンナは囁く。
「だいすき」
その言葉に、硬直する先生。だがカンナはそれを他所に、先生の腕の中で、すうすうと安らかな寝息を立てるのだった。
♦
後日、カンナは仕事に復帰し、華麗に仕事を捌き、ヴァルキューレ一同を驚かせて見せた。先生に対しても特段変わった様子を見せず、あの夜がまるで嘘だったかのようであった。それ以降カンナは徹夜をすることもなく、ストレスが溜まっている様子すら見せていない。
だが、先生は知っている。先生だけは知っている。
『先生、今晩よろしいですか?』
『うん、いいよ。私も仕事を終わらせておくね』
『ありがとうございます。パパ』
モモトークをそっと閉じる。
「さーて、可愛い娘のためにも、さっさと終わらせますか」
何と言っても、尾刃カンナのパパなのだから。
《カンナEND:パパ》
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