Fate/Answerer 作:pqrsman
走った。走って、走って、それでも尚、足りないような気がした。
何から逃げているのか。言峰綺礼からか、あの金色の男からか。それとも、己が置き去りにした英雄の最期からか。
分からない。ただ、走るしかなかった。
クランの猛犬は言った。生きろ、と。あいつの喉笛を噛み千切るためにも、生き延びろと。
だから走った。それ以外のことを考えれば、足が止まってしまいそうだったから。
夜の冬木を駆ける。繁華街を離れ、住宅街を抜け、気付けば坂を上っていた。
「……?」
バゼットは僅かに眉を顰めた。
おかしい。自分は何処へ向かっている。
逃走経路など決めていない。そもそも、まともに考える余裕などなかった。ただ言峰から、あの金色の存在から、出来る限り遠くへ。それだけを考えていた。
にもかかわらず、足は迷わなかった。右へ、左へ。道を曲がる度に、何かへ近付いている感覚が強くなっていく。
呼ばれている。
そんな馬鹿げた感覚を、魔術師として鍛えられた理性が即座に否定した。
違う。己が何かに呼ばれているのではない。これは。
「霊脈……」
掠れた声が漏れ、ようやく理解する。
冬木の地下を巡る巨大な魔力の流れ。土地を走る血管。その中でも、とりわけ太いものがこの先へ続いている。
疲労、出血、混乱。それらによって鈍っていた感覚が、無意識の内に魔力の濃い場所を求めていたらしい。
あるいは、何かに縋りたかっただけなのかもしれない。
バゼットはそれを認めなかった。認めたくなかった。
故に、また足を動かした。
やがて辿り着いたのは柳洞寺だった。
冬木でも有数の霊地。その長い石段の下へ辿り着いた時、ようやく場所の名を思い出す。
「……最悪ですね」
乾いた笑いが漏れた。
よりにもよって、聖杯戦争の参加者が根城として選んでいても何ら不思議ではない場所へ、自分から足を運んでしまった。
引き返すべきだ。理性はそう判断する。
だが、背後を振り返った先には暗い道があるだけだった。誰もいない。それなのに、あの金色が、あの神父が、今にも闇の向こうから現れるような気がした。
そして何より、戻ればあの場所へ近付く。
クー・フーリンを置き去りにした場所へ。
「……っ」
胸の奥が軋む。
バゼットは前を向き、石段へ足を掛けた。
一段、二段、三段。
もう走ることは出来なかった。脚は鉛のように重く、一歩上る度に太腿が震える。何度も転びそうになりながら、それでも上った。
その途中、頭を過ぎる言葉があった。
どうして。
どうして彼だった。どうしてあの男を信じた。どうして気付けなかった。
どうして、どうして、どうして。
「……違う」
誰に言ったのか、自分でも分からない。
「今は……違う」
考えるな。登れ。生きろ。それだけでいい。
それだけで。
やがて山門が見えた。
そこまで辿り着いた瞬間、バゼットの足が止まった。
静かだった。あまりにも静かだった。
虫の音すらない。風に木々が揺れる音も、遠くの街の喧騒さえここまでは届かない。
そして、止まってしまった。
走ることを。
「あ……」
声が漏れる。
その瞬間だった。
今まで足を動かすことで押し込めていたものが、堰を切った。
青い背中が見える。
『疾くいけ! マスター!』
聞こえる。
『生きろ!』
違う。聞こえてなどいない。
それは記憶だ。
もう、あの声の主は。
「……すみません」
膝が折れ、石畳へ手を突く。
「すみません……」
何故謝っている。誰に謝っている。
自分を生かした男にか。自分が死なせた男にか。それとも、自分を裏切った男を信じた己自身にか。
分からない。
何も分からなかった。
「私が……」
もっと早く気付いていれば。私がもっと強ければ。
私が。
私が。
「クー・フーリン……」
名前を口にした。それだけで、とうとう零れた。
一滴の涙が頬を伝い、顎から離れ、石畳へ落ちる。
ぱたり。
本当に、それだけの小さな音だった。
なのに。
世界が応えた。
「―――?」
顔を上げる。
空気が変わっていた。
濃密な魔力が、一瞬だけ山門へ収束する。
「な……」
魔法陣はない。詠唱も、触媒も、召喚の準備など何一つしていない。
だというのに知っている。この感覚を。
数日前、己が一人の大英雄をこの世へ招いた時と同じ。
召喚。
「馬鹿な……!」
立ち上がろうとする。脚は動かない。それでも拳だけは構えた。
何が来る。誰が来る。敵か、味方か。
いや、そもそも。
何故。
その時、風が吹いた。
ほんの一瞬、山門を覆う木々が大きく揺れる。月明かりが途切れ、再び差した時。
そこに、男がいた。
「―――」
紫の着流し。長い青髪。そして、人の身にはあまりにも長過ぎる刀。
それを片手に携えた男は、山門へ寄りかかるでもなく、ただ初めからそこに居たかのように立っていた。
強い。
バゼットの全身がそう告げた。
魔力量ではない。圧力でもない。神代の英雄が纏うような圧倒的な神秘とも違う。
なのに、近付けば斬られる。
一歩ではない。半歩。指一本。ほんの僅かでも彼の間合いへ身体を差し込めば、その時には首と胴が離れている。
そんな馬鹿げた確信があった。
男がこちらを見る。
目が合った。
一息。
男は何も言わない。
二息。
その視線が血に汚れた服へ、震える拳へ、そして泣き腫らした顔へ向く。
三息。
男が僅かに笑った。
「さて」
穏やかな声だった。戦場には似つかわしくない。まるで月見の最中に客でも訪ねてきたかのような、そんな声。
「女の涙に呼ばれた―――などと言えば、多少は格好もつくか」
長刀を肩へ預ける。
「……は?」
あまりにも場違いな言葉だった。
理解が追い付かない。
「あなたは……」
問おうとして、気付いた。
人間ではない。
肉体を持っている。だが、その存在は明らかに現世の者ではない。
霊体。
それも。
「サーヴァント……?」
男は自分の手を見た。握り、開き、何かを確かめるように眺める。
「ふむ」
本人すら少々不思議そうだった。
「どうやら、そのようだ」
「どうやら……?」
「私にも仔細は分からぬ。呼ばれた故、来た」
「そんな召喚が……」
「現にこうして立っている以上、あるのであろうよ」
無茶苦茶だった。
魔術師として到底納得できる説明ではない。
だが同時に、バゼットは気付いた。
男と己の間に、何かが足りない。
召喚は成立している。しかし、繋がっていない。
サーヴァントとマスター。その契約が未だ完成していない。
男も気付いたらしい。
「成る程」
再びバゼットへ向けられた視線は、今度はほんの少しだけ真剣だった。
「呼び出した者と、仕えるべき者が別というのも奇妙な話だが……
まあ、選ぶのは自由だろうよ」
男が一歩進む。
バゼットの身体が反射的に硬直したが、殺気はなかった。
「さて、小娘」
「……小娘?」
思わず反応してしまった。
男の口元が僅かに吊り上がる。
「その顔で睨まれても、恐ろしくはないぞ」
「な……」
言い返そうとして、出来なかった。
今の顔がどんな有様なのかは想像するまでもない。汗、血、埃、そして涙。
酷いものだ。
男はそんな己を見て笑っている。
だが、嗤ってはいない。
それが何故だか堪えた。
「事情は知らぬ。追われているのか」
答えられない。
「戦っていたのか」
拳を握る。
「誰かを失ったのか」
呼吸が止まった。
男はそれ以上何も聞かなかった。ただ山門の向こうから夜の冬木を眺める。
「まあ、見れば分かることもある」
一つ息を吐き、肩に預けていた長刀を下ろした。
刃は抜かない。ただ柄へ手を添えただけだった。
それだけでバゼットには理解出来た。
もし、この男がこちら側へ立つのであれば。
強い。
恐らく、とても。
だからこそ、続く言葉が胸へ刺さった。
「問おう」
男が言う。
「泣き腫らした顔の小娘よ」
月が、その横顔を照らした。
「初顔合わせの私に助力を求めるか?」
バゼットは答えようとした。
当然だ。ここは聖杯戦争である。
サーヴァントを得られるのであれば契約すべきだ。戦力は必要だ。言峰を倒すためにも、クー・フーリンの仇を討つためにも。
協会の執行者として。魔術師として。合理的に返答すればいい。
契約します。
その一言でいい。
なのに。
「―――」
声が出なかった。
また、青い背中が脳裏を過ぎる。
一人で戦わせた。
一人で残してきた。
今、また目の前の男を道具として扱うのか。
そんなこと。
出来るわけがない。
「……私、は」
喉が震えた。
「私は……」
男は急かさなかった。
ただ待っている。
だからバゼットは、魔術師ではなく、執行者でもなく、聖杯戦争のマスターでもなく。
ただ一人の、何もかも失った女として答えた。
「……助けて、ください」
男の目が僅かに細くなる。
弱々しい声だった。
情けないほど、惨めなほど。
それでも今度は、自分で選んだ。
「お願いします」
沈黙。
そして、男は笑った。
「承った」
その一言と共に、右手が焼けた。
「―――っ!」
鋭い痛み。
だが、知っている痛みだった。
己の手を見る。
そこに新たな紋様が浮かび上がっていく。
令呪。
同時に、男と己の間へ目には見えぬ何かが通った。
魔力が。
魂が。
互いを認識する。
契約。
今度こそ完全に。
バゼット・フラガ・マクレミッツは、再び聖杯戦争のマスターとなった。
男が山門へ向き直る。
長刀を片手に月を背負い、まるでそこが己の居場所であるとでも言うように立つ。
「さて」
そしてこちらを振り返った。
「頼まれた以上は働こう。まずは、その酷い顔をどうにかせねばな」
「…………」
バゼットはほんの僅かだけ呆然として、それから。
この夜初めて、泣くこと以外で息を吐いた。
Fate/ strange fakeを一気見して熱が有り余っているので数年ぶりに戻ってきました。