神は、人間の堕落を憂いた。
世界は未だやり直すことが出来る——そう思った神は、世界を洪水で洗い流すこととした。
洗濯機を使って汚れを洗い流すのと同じ原理である。
しかし、神も一欠片の善意があった。
全てを滅ぼしてしまうのは心許ない。そう思ったのである。
勤勉に働き、世界で一番の清き正しい存在に声を掛けた。
曰く、洪水を起こして世界を洗い流すから、方舟を作るように——と。
男は頷き、急いで舟を作り上げていった。
舟を作るためには、木材が必要だ。沢山の動物を乗せても、絶対に潰れることのないような、堅牢な舟を作らなくてはならない。そのためにも、普通の木材では意味がない。より堅固な木材を使わなくてはならないのだ。
その樹は、男の住む街に多く生えていた。人と共に生き、人の死を見ても尚成長し育っていく。
男は、その太く逞しい樹を見て、これを材料にしようと試みた。
男は、妻と三人の息子の手を借りて、毎日少しずつ樹を切っていった。何を為ているのだという観衆が現れることもあったが、それでも男達はせっせと木材を作り出していった。
何時しか、男達の作業を誰も見向きもしなくなった。
何も変化しないのだから、致し方ない。
何時までも、何時までも、木材を作り続ける彼らを、最早誰も気にしなくなった。
そうして彼らは木材を準備し終えると、山の麓に舟を作り上げていった。
舟には、船員が必要だ。
彼と、三人の息子、そして妻。
最後に、家畜と動物のつがいを乗せた。
全て、神が望んだことだった。
彼は、それに従うことしかしなかった。
そして、その時はやって来た。
洪水が全てを洗い流した。
人も、動物も、汚れた物を洗い落として綺麗にするかの如く、だ。
洪水は四十日もの間続き、世界の全てを洗い流した。
男達は、毎夜祈りを捧げ、洪水の勢いが止まるのを待った。
それから百五十日の月日が経ち、方舟は山の頂に止まった。
烏を放ち、地上の様子を探るが、烏は帰ってきた。止まる場所がなかったからだ。
さらに鳩を放つと、鳩も帰ってきた。
男は、未だ地上には陸地がないことを思い知り、再び祈りを捧げることとした。
さらに七日経過して、鳩を放った。鳩はオリーブの葉を持って帰ってきた。
一縷の希望が見えた、と男は考えた。
さらに七日経過して、鳩を放つと、鳩は二度と帰ってくることはなかった。
それを合図に、男達は漸く地上の水が引いたのだと悟り、地上へと降り立つこととなった——。
「……世界を終わらせるための鍵。それは幾つも存在する」
窓のないビル。
学園都市第七学区に存在する、文字通り窓の存在しないビルだ。ビルの中では、酸素や電気など様々なインフラを自ら生産することが出来る。籠城しようと思えば、永遠に籠城出来る代物だ。
アレイスター=クロウリー。
男にも女にも、子供にも老人にも、聖人にも囚人にも見える『人間』が、ビーカーに似た巨大な水槽の中に、上下逆さまに浮いている。
しかしその実、『彼』は、学園都市統括理事長——唯一無二の最高権力者として君臨している。
アレイスター=クロウリーの前には、一人の男が立っていた。
「お前の『プラン』に関係のあることか?」
「さあね。ただし、手駒は多く用意しておいた方が良い。……ああ、この場合はバックアップとでも言えば良いか?」
「……何を考えている、アレイスター」
アレイスターは何も反応を示さない。
目の前に居るのは人間であるのに、身体の殆どを生命維持装置に委ねているそれは、最早人間と呼べるのかどうかすら危うい。
「一言で言うならば、『実験』……とでも言えば良いかな」
アレイスターと男の会話は、そこで終了した。