「絶交しようぜ俺ら」
凍り付くように冷たい空気は11月のものだと思えなかった。手が震えるのはそんな寒さのせいか。それとも。
その言葉を聞いた勝喜の表情を見て、『今。取り返しのつかないことをしているんだな』となんとなく思った。
それ以降、あいつとは話してもないし。会ってもない。
・・・・・・
今までの歴史で50人未満の症例。1か月ほど前のことだ。世界中のほとんどの人間に認知されていないこの病気は一夜にして俺の体を変えてしまった。生殖器は見慣れない形に変わり、胸は膨らみ、身長は縮んだ。朝、鏡を見て異常に気付くわけだがそれはもうパニックで。自分の身に何が起きたのか見当もつかなかった。そんな俺は母に連れられ病院に行き、説明を受けてようやく自らの性別が変わってしまったことを理解した。
結論から言うと一生俺の体はこのままらしい。医師から説明されたことなんて治療法がないというショックで吹き飛んでしまったからほぼ覚えていないが、すごく大層な病名だったことは何故か覚えている。
いきなり性別も変わって人生滅茶苦茶だ、と最初はよく嘆いたものだが今は言うほど悲観的にこの状況を見ていない。楽観的でもないが。
この体は前の体よりちょっと不便で、ちょっと便利だ。普通に生きていくには何の問題もない。ただ、今まさにちょっと不便な部分の問題にぶち当たっている。
その問題を一言で言ってしまえば『人間関係』だ。
今まで通り男のグループの中でつるむとしたらそれだけで問題が起きる。
数人の男の中に突如女子が現れるわけだが、そこで恋愛沙汰なんかになったらすこぶる面倒くさい。「私のために争わないで」なんて気味が悪いセリフを言う未来はごめんだ。元男の友人と恋愛なんて気持ちの悪いことにはならないだろうが、あくまで可能性の話をしている。それに俺は男女の友情なんてオカルトは信じていない。男女の間に純粋な友情なんて存在しない。
あと、単純に男からのボディタッチが増えた。意味もなく俺に肩を組むことなど前は絶対にしなかったはずだ。いや、勝喜はやっていたかもしれないが。…あいつは別として他のやつも便乗してくるのだから性質が悪い。
そして周りの目が気になる。例え男女の友情が成立し、ボディタッチの回数も男の頃と変わらないとしても、それはそれで周りからしたら奇妙なものだろう。男のグループに1人いる女。多分『サークルクラッシャー』とか『姫』とか裏で呼ばれるようになるはずだ。それにそういう女子は同性から反感を買う(イメージがある)。人の反感を買ってまで一つのグループに所属しようとは思わない。
こうした事情があって元居たグループから距離を取ったわけだが、そこでもう一つ『ひとりぼっちになってしまう』という問題が生じる。突然女になったのだから周りには最早些細なことだと思ってスルーしてほしいものだが、突然性別も変わってぼっちになった人間など周囲からは噂や嘲笑の的にされかない。そのため友達を作ってぼっちを回避のが俺のしばらくの目標だった。しかし、グループなんてもう当に出来上がっている高2の11月にグループから放流された俺とコミュニケーションをとってくれる人間はいるのだろうか。
さて、ここからはこの体のちょっと便利な部分なのだが。『いた』んだ。そんな人間が。
昼休みに俺の目の前で菓子パンを頬張っている彼女。慈悲の擬人化こと天川 由羅である。彼女はクラス委員を務めるクラスの中心人物で基本的に誰に対しても優しい。クラスで孤立しているような人間がいるとほっとけない性格なのかすかさず駆け寄ってくるような人間だ。そんな彼女が昼休みにひたすら寝たふりをかましている俺に話しかけてくるのは最早必然だったのだろう。
男の頃はあまり関わりもなく、むしろ誰に対しても優しい感じが理解不能で苦手だったが、ぼっちという特異な状況下ではこんなにもありがたい存在だったとは。女にならなかったら天川と大して関わることもなかったであろうことを考えると、この体に少し感謝してしまう。
だって天川は美しくて、性格も良いから、なんとなく彼女の傍に入れるだけで少し嬉しい気持ちになる。多分、彼女の前世は女神なのだろう。そうに違いない。
「青山くん?そんなに見ても私のドーナツはあげないよ?」困ったようにこちらを見る天川さん。
「いや、いいんだ。俺は君の顔を見てるだけで満足感でお腹いっぱいだよ。」
「そう?意味がわからないけど。まあ青山君が良いならいいや。
…そういえば。さ。」
天川はパンの袋を机に置くと神妙な顔をしてこちらを向き直すと
「仲直りは出来た?」と心配そうに聞いてくるのだった。
一瞬仲直りとはなんのことだろうかと考えた後、俺は思い出した。そう言えば彼女にはそのまま話すのが面倒に感じて元の友人たちとは喧嘩をしているだけと説明していたんだ。実際のところこっちから一方的に関係を取りやめる形だったわけだが。
「いやー出来なさそうだね。まー、しゃあない。色々と気まずい状況だしさ。」
野菜ジュースを1口飲んでからそう言って、さらに追及しにくいように俺は笑ってみせた。心配そうな顔を向け続ける彼女を見ていると心が痛い。
「そう。そっか。私に出来ることがあったら何か言ってね?」
頷いてみるものの、そんな気はない。多分彼女に俺がどうしたいかなんて話してもわからないだろう。誰にでも分け隔てなく優しい彼女には。
目を逸らした先には窓があり晴れた空が見える。どこを見ても眩しい。それが少し鬱陶しくて、やつあたりみたいに手元にあった野菜ジュースの紙パックを少し潰して中身絞り出す。ジュゴゴ、と音を立てて口に運ばれてくるそれは清涼剤のようだった。
「逆にさ。天川さんは俺にばっかり構ってるけど。大丈夫?」
話題を逸らす目的もあったが、窓の方を見たまま気になっていることを俺は口に出してみた。
「ん?何が?」といっても彼女はピンとこないようだったが。
「友達。天川さんって黒羽さんとかと話してるじゃん?お昼とかも。」
「あー。まぁ部活で会うからねぇ亜香里は。青山君に比べればどうでもいいよ」
「いやそれはおかしい。」
「おかしくないよー。ん、噂をすれば」
『おーい』と天川が件の女子生徒を呼び止めると、怪訝な顔を向けたまま黒羽亜香里はこちらの方に来た。
女子バレー部でも高身長で、俺が男の時とほとんど変わらない身長である彼女に隣に立たれると威圧感があり、俺はひたすらに愛想笑いを続けた。
「なに?」そんな俺にチラッと目を向けてから黒羽は天川に聞く。
少し考えてから
「いや青山君が女バレに入りたいって…」といたずらっぽく笑いながら答える彼女。
「は!?」
「そうなの?…こういう時って青山はどの更衣室使うの?女子更衣室でいいの?」
「青山君それが狙いだったんだ。」
「いや違う違う。違うからね?俺入りたいなんて言ってないから」
女子バレーなんてキツイ部活筆頭に入るもの入りたいわけがない。それにすごい失礼なレッテルを貼られかけてるからなんとか回避したいというのもあって俺は大げさに頭をブンブン振って否定をアピールした。
「バレー部に入りたいんじゃなくて。えっと…俺のせいで二人が話せなくなってるんじゃないかって思って。なんか…ごめんね?」
俺の言葉にむしろ黒羽は驚いたような反応を示すと、
「あぁ。そんなこと?むしろ由羅が迷惑かけてない?」なんてあっさりとした感じで言った。
てっきり俺は元男の俺が警戒されているもんだと思っていたがそうではないらしい。
「全然そんなことないけど…」
「いや、なんか、青山。そうなってからずっと1人だから1人になりたいのかと思ってた。前と違ってなんか暗い感じだし。」
「亜香里。決めつけはね。よくないんだよ?」
「そうかもしれないけど由羅に言われるのはムカつく。」
2人がじゃれ合っている横で、俺は他人に気を遣われていたということにただただ驚いていた。俺は自分が皆から警戒され、嘲笑されるだけの立場にあるという自己認識を変えた方がいいのかもしれない。
もしかしたら。天川や黒羽のような優しい人間ばかりで俺が無駄に心配しているだけなのかもしれない。そうだとしたら勝喜と一緒にいたとしても変な心配をしなくてもいいのではないだろうか。
いや。そんなことはありないはずだ。この2人が特別優しいだけなのだろう。たいていの人間は噂好きの低俗な者であることを俺は知っている。彼女らを信じるのはまだいいが人間全体を信じるのはよくないことだ。
そう自分を心の中で言い伏せる。
「青山君?」天川の声にハッとし、2人がこちらを見ていることに気付いた。
「いや、ごめん。少しぼーっとしてた。」
「そんなんじゃ女子会まで持たないよ青山。」
という黒羽は言ったが、俺はそれに対して聞き返す
「え?なに?女子?」
「会」
「放課後。私達部活ない日だし、あそぼって話。そこも聞いてなかった?」
天川がそう補足する。彼女らがにこやかに話す中で俺はなんとなく
「…俺、女子でいいの?」と思ったことを一人で呟いた。