卒業後 結婚式
「はぁぁ……緊張する…」
「だね」
卒業から2年後の6月下旬、ひなたと人使は新居のリビングで話していた。
ひなたは、相変わらず小学生に間違われる体型をしていたが、髪は胸あたりまで伸びていて、より父親の消太を思わせる容姿になっていた。
そして人使の方はというと、学生時代よりもがっしりとした体型をしており、顎髭を薄めに生やし、すっかり大人の男性らしくなっていた。
「明日、結婚式だもんね。皆来てくれるかなぁ」
「何か俺まで緊張してきた…」
「緊張って伝染するよねぇ」
ひなたと心操は、明日の結婚式の話をしていた。
あれからひなたと人使は、卒業後すぐにひなたを所長、人使を副所長としてヒーロー事務所を設立した。
最初はやっかみを受けたり未だにひなたを
ひなた達は、海外にもヒーロー事務所の支所を設立し、ワールドワイドに活躍していた。
最初は人を雇う余裕もなく二人で休みなく街の治安を維持して少しずつ収入を増やしていたが、ひなたが資金を得る為に続けていた投資とピアノの配信が大成功し、人を雇う余裕もできて今では200人以上もの部下を抱え、世界8ヵ国で支所を展開しており、同業者の誰よりも世界的な認知度の高いグローバルな事務所となっていた。
さらには、主要国の要人から融資を募り、戦争孤児や貧困児童を保護する為の孤児院を世界各地に設立する計画を少しずつではあるが進めていた。
「こんな早く式挙げられると思わなかった。サイドキックの皆様様だねぇ」
「…ああ。皆には感謝してもしきれないな」
ひなたと人使は、洒落たレイアウトのリビングを見渡しながら言った。
リビングの正面には巨大なスクリーンがついており、まるでホームシアターのようだ。
ひなた達が今住んでいるのは、東京の下町に佇むヒーロー事務所と生活空間を兼ねた豪邸だ。
ひなたは、行く宛のない者達を無条件に雇ってサイドキックにしているため、最初の頃はギリギリで生活していた。
自分達が身を削って毎日休みなく働きサイドキック達には安定した暮らしをさせようとしているひなた達二人を見兼ねたサイドキック達は、二人のいつか家を持って家族皆で暮らすという夢を叶えるため、資金を出し合って二人の為の家を建てたのだ。
一階と二階は接客スペースや事務スペース、会議室、休憩スペース、トレーニングジムなどを兼ねた事務所となっており、三階は広い食堂や大浴場などが完備された贅沢空間となっており、ひなたがあればいいな程度で要求したミニホールも設置されていた。
生活空間となっている三階は渡り廊下で別館へ繋がっており、別館はサイドキック達の為の寮になっていた。
本館の最上階は、所長と副所長であるひなたと人使の為の生活空間となっており、ゆったりとした二人の寝室とリビングとダイニング、子供は5人欲しいと言っていたひなたの希望通り、日当たりのいい広々とした空き部屋が5つあった。
そして本館の裏側には、子供を遊ばせる用の庭が欲しいと言っていた二人の要望を叶え、広々とした庭が設置されていた。
二人は質素な部屋でいいと言っていたのだが、サイドキック達が二人を尊敬し過ぎるあまり、まるでホームシアターのようなリビングに、システムキッチンや眺めのいいバスルーム、大容量のウォークインクローゼット、人使の為のバイクガレージ、まるで図書館のような書斎まで設置してしまっていた。
家を持ってからは安定した暮らしをしていたのだが、その事がきっかけで二人を尊敬するサイドキック達からはやれ「早く結婚しろ」だの、人使の両親からは「早く孫の顔見せろ」だの多方面から急かされ、結局人使の方からひなたに改めてプロポーズをして結婚に至った。
挙式前に一週間休暇を取り、二人でヨーロッパへ旅行に行き、プロポーズはエーゲ海の美しい夜景をバックに行われた。
挙式が決まってからの日程は、慌ただしいものとなった。
まずは会場の予約、ドレス選び、当日の流れの確認、ウェディングケーキや食事はどうするかなど、やる事は盛りだくさんだった。
結婚式に招待したのは、サイドキック達、ヒーロー科や仲の良かった同級生、ひなた達が1年生の時のビッグ3と、2年生の時のビッグ3、雄英の教師陣、ひなたの知り合いのヒーロー達やその家族、そして人使の家族だ。
◇◇◇
そして迎えた結婚式当日。
「大変よくお似合いですよお客様!」
「ステキ! いっその事私がお嫁に貰いたいくらいだわ!」
ひなたのウェディングドレスの支度をしていたスタッフは、キャアキャアはしゃぎながらひなたを褒めちぎっていた。
ひなたは、髪を後ろで結って編み込んでおり、白い首筋がスッキリとして見えていた。
頭には白銀の真珠やダイヤモンド、プラチナなどで作られた、白い花を模った髪飾りをつけており、白く透き通ったベールをかけていた。
ウェディングドレスは、ところどころにダイヤモンドが散りばめられ、ダマスク模様が美しい純白のAラインのドレスだ。
二の腕の中心あたりまでを覆う純白の手袋をはめ、首と耳には髪飾りと同じデザインのネックレスとイヤリングをつけていた。
そして顔には、ナチュラルでありながら華やかさもあるメイクが施され、まるで陶器でできた人形のようだ。
「えへへ…そんなに褒められると何か照れるなぁ」
ひなたは、ふにゃりと表情を柔らかくして笑った。
するとスタッフ達は、さらにキャーキャーはしゃいだ。
もはやひなたが何をしても歓声が上がったのは言うまでもない。
ひなたの支度が終わり部屋を出ると、既に純白のタキシードに身を包んだ人使が、プランナーやスタッフへの挨拶をしていた。
お互いに気がつくと、二人は思わず動きを止めて頬を染めながら数秒見つめ合う。
「ひー君…」
「ひなた…すごく、綺麗だ」
「えへへ、ありがとう。ひー君もカッコいいぜ!」
人使がひなたを褒めると、ひなたは嬉しそうに笑顔を浮かべた。
その後は二人でスタッフへの挨拶と打ち合わせをし、それが終わると二人の親族の控室へと顔を出した。
新郎側の親族は、人使の両親の悟使と人美が、新婦側の親族は、相澤家からは、消太と笑、そして壊理が来ており、山田家からはひざしと睡、そして息子の
消太はひなた達が雄英を卒業してから1年後に笑と結婚し、壊理は最終決戦後に正式に消太の養女となり、ひなたとは戸籍上の姉妹の関係となっていた。
そしてひざしはというと、実はひなたが3年生の時から成り行きで睡と交際しており、それを知った雄英生は全員驚いていた。
ひなた達の雄英卒業間近で籍を入れ、去年には男の子が生まれ、20歳離れた弟の誕生を、ひなたは盛大に喜んだ。
「天使!? いや、女神!?」
「山田うるさい」
「あんた全然変わらないわね」
「あー、ぅあー」
ひなたのウェディングドレス姿に、ひざしがやかましく騒ぐと、消太が“個性”を使ってひざしを黙らせる。
睡も、相変わらずのひざしのやかましさに呆れていた。
睡の腕に抱き抱えられた陽夢は、ひなたに向かって手を伸ばしていた。
「ひなたは美人だからよく似合うな! 誰かさんとは似つかず!」
「余計なお世話だ」
「あはは…」
笑がジョークを言うと、消太は今度は笑を睨み、ひなたは呆れながら笑った。
相澤の隣に立っていた壊理は、ひなたのウェディングドレス姿に目を輝かせていた。
「お姉ちゃん、キレイ…」
「えへへ、ありがとうエリちゃん」
壊理がひなたのウェディングドレス姿に目を輝かせると、ひなたはふにゃりとを破顔した。
「ひなたちゃん綺麗…お持ち帰りしちゃいたいくらいだわぁ」
「君ねぇ……」
人美がうっとりした様子でひなたに見惚れていると、悟使がツッコミを入れる。
その後は、両家族で一緒に家族写真を撮り、式のリハーサルを行った。
二人ともガチガチに緊張していたが、スタッフのサポートもあり、何とかリハーサルは上手くいった。
二人が予約した会場は、青い海と白い砂浜が美しい海辺の教会だ。
十字架の形に抜かれた壁からは、淡い光が差し込んでいた。
そして挙式本番。
先に新郎である人使が入場し、聖壇の前でひなたの入場を待っていた。
式場には、サイドキックや元A組のクラスメイトはもちろんの事、B組や一部の他科の生徒達、ビッグ3達、二人がお世話になったプロヒーローの面々が参列していた。
睡は、ひなたの保護者として、壊理や陽夢と一緒に教会の長椅子に座っていた。
すると、司会者の声が教会に響き渡る。
『それでは、新婦の入場です。皆様、拍手でお迎え下さい』
司会の台詞の直後、会場が拍手に包まれ、教会の扉が開く。
新婦のひなたの両隣には、父親である消太とひざしが歩き、ひなたは消太と腕を組んで入場した。
義母の笑にベールダウンをしてもらい、純白のバージンロードの上を歩く。
どちらか片方の父親とだけ一緒に歩くプランもスタッフから提案されたのだが、ひなたにとっては二人ともかけがえのない父親で、どちらか片方を選ぶ事はできず、結局二人と一緒に歩く事にしたのだ。
ひなたが人使の横に立つと、人使は消太からひなたの右手を受け取って腕を組み、二人で一緒に祭壇前に立った。
その後は讃美歌斉唱や聖書朗読などの流れを踏み、牧師が語り出す。
「新郎心操人使。あなたはここにいる相澤ひなたを妻とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで、これを愛し敬い、貞操を守る事を誓いますか?」
「はい。誓います」
牧師が人使に問いかけると、人使は答えを告げる。
すると牧師は、今度はひなたに問いかける。
「新婦相澤ひなた。あなたはここにいる心操人使を夫とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで、これを愛し敬い、貞操を守る事を誓いますか?」
「はい。誓います」
牧師が尋ねると、ひなたも答えを告げた。
二人が告げると、次は指輪の交換をする。
プラチナのリングに、小さなダイヤモンドがはめ込まれた、お揃いの結婚指輪で、一粒だけお互いのイメージカラーのヴァイオレットとブルーグリーンのダイヤモンドが使われていた。
二人で貯金を出し合って買い、指輪の内側に二人の名前を彫ってもらった、世界に一つずつしかない指輪だ。
ひなたが先に手袋を外し、人使がひなたの細長く白い指に指輪をはめる。
人使がひなたに指輪をはめると、今度はひなたが人使に指輪をはめた。
指輪交換の後は、誓いのキスをした。
人使がひなたのベールを上げ、小さな唇に口付ける。
その後は、牧師が結婚を宣言し、二人が結婚証明書にサインをし、牧師が閉式の辞を行う。
こうして二人が退場していき、その後は皆で記念撮影をした。
「ひなた超カアイイ!」
「ねー! 私入場する時奇声上げそうになったよ〜!」
「えへへ…皆来てくれてありがとうね。でも奇声はやめて」
ひなたは、久々にクラスメイトの女子達とガールズトークをした。
一方で、男子も男子で人使と話していたのだが、嫉妬葡萄は血涙を流しながら主役の二人を睨みつけていた。
「クッソォ…爪割れろ! 禿げろ! チンコもげろ!」
「やめたまえ峰田くん」
峰田が僻みのあまりお祝いの場で縁起でもない事を言うと、飯田が峰田の顔を横に向かせて注意をした。
散々悪態をついている峰田だが、二人の結婚式に参列してくれているあたり、祝福してくれているのは本心なのだろうとひなたなりに解釈していた。
その後は披露宴となり、教会の近くのホテルでパーティーを開いた。
『新郎新婦の登場です!』
司会の言葉と共にひなたと人使が会場に入場すると、会場は拍手に包まれた。
ひなたが、緊張のあまり自分の席がどこだかわからずパニックになっていると、スタッフが二人を席まで案内した。
席に着くと、司会者から開宴の辞とお祝いの言葉が述べられ、続いて主賓から祝辞を受ける。
新郎側の主賓は、雄英の校長の根津、そして新婦側の主賓は、ひなたの学生時代のインターン先だったエンデヴァーだ。
その後は代表者が音頭をとって皆で乾杯をし、ウェディングケーキが運ばれてくる。
運ばれてきたのは、高さ2mはある城の形をしたウェディングケーキだ。
このケーキは、卒業後ヒーロー業をしながらパティシエとして店を開いた砂藤の力作だ。
普段なら数ヶ月待ちの砂藤のスイーツだが、今回は二人の結婚式という事で、特別に友達価格で作ってくれたのだ。
中にはフルーツがゴロゴロと入っており、ケーキも、味に飽きないようプレーン、ショコラ、カスタード、ミルク、抹茶、チーズ、イチゴ、オレンジ、レモン、バナナ、きな粉、コーヒー、紅茶、ラムレーズンなどなど、何種類ものケーキで作られており、各層ごとにフルーツのピューレが挟まっていた。
ケーキの外側も、フルーツやチョコレート、マシュマロ、マジパンなどでデコレーションされ、上の方には美しい円錐型のクロカンブッシュが聳え立っており、まるでシンデレラ城だ。
城のステンドグラスの部分やフレームの部分には、丁寧な事に飴細工や砂糖細工が使われていた。
「うわぁ……りっきーすごいなぁ」
「これさ、俺達の為に友達価格で作ってくれたらしいよ」
「えっ、そうなの? 後でお礼とケーキの感想言わなきゃ」
二人は、一緒に大きな刀を持ってケーキに入刀した。
ケーキに入刀したあとは、来賓全員にケーキを配り、ファーストバイトの演出をした。
だが、人使にケーキを食べさせようとしたひなたが、途中でくしゃみをしてしまう。
「くしゅっ」
ひなたがくしゃみをすると、人使の顔面にケーキがべちゃっと押しつけられる。
顔面がクリームまみれになった人使の顔面をみて、ひなたは必死に平謝りした。
「わーっ、ごめん! ホントごめんねひー君!! そんなつもりじゃなかったの!! ごめんなさいごめんなさい!!」
「全然大丈夫。ひなた悪くないから」
平謝りするひなたに対し、人使は紳士的な対応をした。
人使はお色直しの為に一旦退席し、ひなたは来賓に向かって何度も頭を下げる。
ちょうどいいタイミングという事で、ひなたもお色直しをした。
予想外のハプニングに、会場は笑いに包まれた。
来賓が食事を交えて談笑していると、お色直しを終えた二人が戻ってくる。
ひなたは、薔薇の花の刺繍が施されたミントグリーンのドレスを、人使は、ヴァイオレットのスーツを着ていた。
二人が席につき、食事を始める中、ひなたがワイングラスに手を伸ばそうとしたため、人使がひょいと取り上げた。
「ひなた、酒はやめとけ」
「むぅっ、子供扱いして! 僕もう20歳だよ? 子供じゃないもん!」
「悪かったって。ほら、ジュースあるから機嫌直せよ」
「わ、ありがとう!」
人使がスタッフに頼んで代わりにオレンジジュースを持ってきてもらうと、ひなたは触角をピンと立てて礼を言った。
すると人使は、ニヤニヤしながらボソッと呟く。
「ガキ」
「むぅ…ひー君やっぱりさっきの根に持ってるでしょ」
人使がニヤニヤすると、ひなたはぷぅっと頬を膨らませる。
その後は、二人で各テーブルを回って蝋燭をつけ、二人が席に戻ると再び祝辞の言葉が送られる。
祝辞が終わると、今度は余興の時間となった。
耳郎の演奏や歌と、芦戸と葉隠のダンスで会場を盛り上げ、二人は1年生の時の文化祭を思い出しながら拍手を送った。
その後は、二人の人生をまとめたビデオレターとなった。
人使は、自分が生まれた時の写真から順にビデオを流しながら、照れ臭そうに頬を染めてボソボソと両親に感謝の言葉を告げた。
ひなたのビデオレターは、生まれて初めて家族と一緒に行った時に撮った遊園地の写真から始まった。
今までの人生を振り返っているうちに、ひなたの目からはボロボロと涙が溢れ出す。
ひなたが泣きだすと、人使はひなたにハンカチを差し出した。
「泣くなよひなた、化粧が落ちるだろ」
「だっで、だっでぇぇぇ! ふぁあああああん!!」
人使は、ひなたを泣き止ませようとしたが、ひなたはより一層泣き出す一方だった。
それを見たひざしと消太は、やれやれと呆れ返る。
「あーあ、泣き虫は変わんねぇなぁ」
「……ああ、そうだな」
ひざしが片眉を上げながら言うと、消太も頷く。
だが二人とも、ひなたが大泣きしているところを見て、どこか嬉しそうだった。
ひなたは本当につらくて何の希望も見い出せない時、泣きたくても泣けないという事を知っていたからだ。
逃げられない痛みに耐える為に、全ての感情を心の奥底に閉じ込め、泣く事も笑う事も知らなかったせいか、消太に引き取られてからの幸せな日々に対する免疫が無く、最初の頃は少しでも幸せな事がある度に感情がバグって泣いてしまう事があった。
今でもその名残りなのか、ひなたは、幸せな時ほど大泣きする癖が染み付いていた。
化粧が落ちてぐしゃぐしゃになったひなたの顔は、人使と暮らす日々が幸せな証拠だった。
消太は、ビデオレターの中には無い、初めてひなたと地下の研究施設で出会った時の事を思い出す。
あの頃のひなたは、髪はボサボサに伸び切っていて、肌はボロボロで痩せこけていて、自傷行為を繰り返したせいか両手がいつも血塗れだった。
今のひなたには、かつての面影はどこにもなかった。
最後は両家代表の挨拶と人使の謝辞で締めくくり、披露宴はお開きとなったのだが、A組の生徒がはしゃぎすぎて“個性”を出し、消太が『抹消』を使って黙らせ雄英時代の鬼教官のようなノリになったのは、もはやお約束だった。
◇◇◇
披露宴の後は、二人の着替えをし、会場を移して二次会を行った。
二次会の衣装は、二人とも和装にし、会場も和風の宴会場を予約した。
人使の衣装は紋付袴で、ひなたの衣装は紅を基調とした華やかな色打掛だ。
ひなたは、会場で宴会を始める前にトイレに足を運んだ。
「あっ、ごめん。先お手洗い行ってくるね」
「一人で大丈夫か?」
「うん。ひー君はお手洗い行かなくて大丈夫?」
「じゃあ行っとこうかな」
ひなたと人使は、一緒にトイレに行き、男子トイレと女子トイレの前で一旦別れた。
用を足したひなたは、トイレの洗面台で手を洗い、バッグの中に入れていたハンカチを取り出そうとする。
「ふぅ、スッキリした」
だが、水気を切った手をバッグに入れたその時、身に覚えのないものがバッグに入っている事に気がつく。
何の気は無しに取り出してみると、何やらいかがわしいラベルが貼られた小瓶が出てきた。
ひなたのバッグにいつの間にか入っていたのは、媚薬入りの香水だった。
「!?」
それを見たひなたは、目を白黒させて顔を真っ赤にする。
恐らく、二人の関係を冷やかしたい誰かが、二人の隙を見てバッグに忍ばせたのだ。
瓶を手に取ったひなたは、一瞬人使の顔が脳裏に浮かぶが、首を横に振って邪念を払うと、瓶を奥の方にしまい込んでトイレを後にした。
一方、人使の方はというと。
人使は、用を足した後、トイレの鏡で身嗜みを整えていた。
人使が何の気はなしに懐に手を入れると、身に覚えのない小瓶が入っている事に気がつく。
それを手に取って見てみると、精力剤の小瓶だった。
人使は、はぁっとため息をつきながら、誰にとは言わず悪態をつく。
「……誰だよこんなの入れたの。セクハラじゃねえかこれ」
人使は、くだらないと言わんばかりに瓶を捨てようとした。
だがその時、ひなたの顔が一瞬脳裏に思い浮かぶ。
人使は、顔を少し赤らめながら、小瓶を懐に突っ込んだ。
人使がトイレから出てくると、しばらく経ってからひなたもトイレから出てくる。
「よ」
「ん、ひー君お待たせ」
人使が軽く声をかけると、ひなたは触角をぴこんっと動かす。
人使は、ひなたの顔をまじまじと見つめ、顔を赤らめながら謝る。
「…ごめん、ひなた」
「ん? 何が?」
「いや、こっちの話」
ひなたが子猫のようにコテンっと首を傾げると、人使はふぃっと横を向いて誤魔化す。
二人が会場に行くと、早速二次会が始まった。
鰻重、鮪の刺身、鰹のタタキ、生牡蠣、栄螺の壺焼き、蛤の酒蒸しなどなど、お祝いの席に相応しい食事が並んだ。
そこに何かしらの意図を感じないわけでもないが、二人は用意された食事を美味しく頂いた。
最初は人使のウェルカムスピーチから始まり、皆で写真を撮った後、余興などを交えて楽しい時間を過ごした。
だが二次会の後半にもなれば、皆次第に酒が回り始め、中にはクラスメイトにさえ隠していたゲスい本性が現れる者もいた。
「なあなあ相澤と週に何回エロい事してんだ? 10回か? 20回か?」
「えっ、えぇ…」
峰田が酒の勢いで二人にウザ絡みすると、二人はドン引きし、峰田の後ろにいた八百万は汚物を見るような目を峰田に向けていた。
追い詰められた二人は、とうとう本当の事を話した。
するとクラスメイト達は、声を大にして驚く。
「え〜っ、まだヤってない!?」
「しっ、声がデカい!」
クラスメイト達が驚くと、人使が顔を赤くして黙らせた。
人使は、冷やかすクラスメイト達を宥めつつ、ひなたの方をチラッと見ながら話す。
「そ、そういうのは、結婚してからって決めてたから…」
「う、うん…」
人使が言うと、ひなたも頷いた。
付き合ってからもう4年経つというのに、二人はキス以上の関係に至った事がなかった。
真面目な人使は、二人とも大人になって結婚してからそういう事をしようと決めていたのだ。
だがその発言は、ハイエナ達に肉を放り投げるようなものだった。
クラスメイト達は、一斉に食いつく。
「じゃあもう今日から解禁って事!?」
「うるさい!」
「おっ、やっちゃう感じ!?」
「やらない!」
「この後ホテル行くんだろ? なあ」
「行かない!!」
酔っ払った勢いでいやらしい質問をしてくるクラスメイト達に対し、人使は顔を真っ赤にしてムキになって否定し、ひなたもトマトのように顔を赤くしていた。
ヒーローというよりはむしろセクハラオヤジのようなノリになってきたクラスメイトを、委員長の飯田と副委員長の八百万が窘める。
「静粛に!! 静粛に!!」
「皆さんお下品ですわよ!」
ピュアな二人は、ゲスい会話を必死に健全な会話に戻そうとした。
一方で笑は、どんどんゲスい方向へと流れていく会話の中で、ゲラゲラと笑っていた。
「ブハ!! なあ消太、私らもどうよ?」
「いい加減にしろよお前…」
「わ、何も聴こえない」
「教育上宜しくない」
笑が消太に話題を振りながら“個性”を発動しようとすると、消太は笑を睨みつけて“個性”の発動を阻止しつつ、壊理にゲスい会話が聴こえないよう壊理の両耳をしっかり塞いでいた。
一方で、人美は、息子のクラスメイト達の会話を聞いて楽しそうに笑っていた。
「ふふふ。皆相変わらず楽しそうで何よりだわぁ。…それはそうと人使。一体いつになったら孫の顔を見せてくれるの?」
「圧をかけるな圧を!!」
人美が笑顔を浮かべながら圧をかけると、人使は来賓の前にも関わらず顔を赤くして母親に向かって怒鳴った。
途中でかなり下品な話になりつつも、二次会自体はつつがなく終える事ができた。
二次会が終わった後、二人は最初に来てきたカジュアルな衣装に着替え、来賓に見送られながらサイドキックと一緒に家に帰っていった。
二人が家に帰る頃には、夜の9時を超えていた。
◇◇◇
二次会を終えて帰ってきた二人は、早速家の四階に上がって楽な格好に着替え始めた。
ひなたは、綺麗に高い位置で編み込んだ髪をほどきながら人使に話しかける。
髪をほどいたひなたは、髪を伸ばしているせいかどことなく消太に似ていた。
「楽しかったねー、披露宴」
「うん。まさか皆来てくれるとは思わなかった」
人使が言うと、ひなたはふふっと笑った。
「ねえひー君、先お風呂入ってきていいかな?」
「ああ、うん…」
そう言ってひなたは、先に風呂に入った。
ひなたは、部屋に隣接した眺めの良いバスルームに入ると、自分の身体を隅々まで洗った。
バスルームには、広い円形のジェットバスが設置されており、ガラス張りの正面の窓からは夜景を一望できるようになっていた。
「大丈夫かな…見苦しいとこ、無いよね?」
ひなたは、人使に求められてもいいように、全身の汚れをくまなく落とした。
シャワーを浴び終えたひなたは、今日の為に買っておいた新品の下着を手に取り、ドキドキと胸を鳴らしながら身につけた。
着替え終わったひなたは、寝室に戻ると人使に声をかけた。
ひなたの格好は、猫の肉球の模様のガーリーなパジャマだった。
「ひー君お待たせ」
「おう」
ひなたが声をかけると、人使は読んでいた本を閉じてひなたの方を見る。
数秒間無言でひなたを眺める人使に、ひなたは首を傾げながら尋ねる。
「ん? どうかした?」
「ああ、いや…」
ひなたが尋ねると、人使は首の後ろを手で押さえながら視線を逸らす。
お互い顔を赤くして無言が続く中、ひなたが先に口を開いた。
「ひー君、次お風呂入ってきなね」
「う、うん」
ひなたが言うと、人使は入れ替わりでシャワーを浴びた。
シャワーを浴び終えた人使がTシャツにスウェットパンツといった格好で戻ってくると、ひなたは人使と一緒に同じベッドに横になった。
部屋の照明を消し、ベッドの横に置かれた間接照明の光だけがぼんやりと二人を照らす。
軽いスキンシップ程度にイチャイチャしていると、人使がひなたの手を取って話しかける。
「…なぁひなた。俺達、もう夫婦なんだし…いいよな?」
「えへへ…奇遇だね。僕もちょうど同じ事考えてた」
人使は、ひなたの髪をそっと撫で、そのままひなたの唇に口付けた。
その夜、二人は甘美なひと時を過ごした。
全てが終わった後時計を見ると、既に午前2時を超えていた。
◇◇◇
「ん……」
翌朝、人使は自室のベッドで目を覚ました。
ベッドに横たわっていた人使は、生まれたままの姿をしていた。
昨晩、二人はついに結ばれ、男女の関係になったのだ。
隣には一緒に寝ていたはずのひなたがおらず、どこに行ったのかと思い起き上がる。
すると、ちょうどその時ひなたが人使を起こしにくる。
「ひー君、おはよ〜。朝ごはん作ったよー」
ひなたは、満面の笑みを浮かべながら人使を呼びに来た。
おたまを持って起こしに来たひなたに、人使が尋ねる。
「ひなた、お前まさかずっと朝飯の仕込みしてたのか?」
「うん、まぁね。あ、ついでに昨日汚しちゃったシーツも洗って干しておきました」
(女の人ってすげぇ…)
「今日もスタミナつくご飯作ったから、ちゃんと残さず食べるんだぞ?」
「ありがとな」
ひなたが人使に詰め寄りながら言うと、人使はひなたに礼を言った。
ふとひなたを見ると、耳や首には赤い痕が幾つもついており、そのうちのいくつかには絆創膏が貼られていた。
そしてひなた自身は、心なしか股を庇うようなぎこちない歩き方になっていた。
人使は、ひなたに無理をさせてしまったのだと思い、申し訳なさが今になって込み上げてきた。
「ひー君何してんのごはん冷めちゃうよ?」
「ああ、うん。悪い」
ひなたが人使に声をかけると、人使は頭をかきながらダイニングのテーブルについた。
テーブルの上には、作りたての二人分の朝食が置かれていた。
その後、二人でひなたが作った朝食を食べたのだが、ひなたはいつも以上に幸せそうな表情を浮かべていた。
「どうした?」
「えへへ、何だかこうしてると夫婦みたいだなぁって」
「みたいっていうかもう夫婦だろ」
「あはは、そうだったね」
ひなたの発言に人使がツッコミを入れると、ひなたは幸せそうに笑った。
朝食を終えると、二人は素早くコスチュームに着替え、一階にある事務所に顔を出した。
「おはよー」
「「「「おはようございます、ボス!!」」」」
事務所に顔を出すと、サイドキック達がひなた達に挨拶をした。
ひなたは、一人一人の出勤状況を確認してから、自分の席に座り仕事を始める。
左手の薬指には、昨日人使から貰ったプラチナのリングが輝いていた。