綾瀬心音の独白+第1話 いつだって彼女は世界を狂わせる
壊れたものは二度と戻らないと人は言う。
でも私はそうは思わない。
私は全てをぐちゃぐちゃに壊した。
私の中の、全て。
私を取り巻く、全て。
残ったのは今はまだ空っぽな私。
だけど空っぽだからこそ何でも詰め込むことが出来る。
中身が壊れてしまったなら代わりのものを入れればいい。
人間の中身は無数の線が紡がれている。私の線は何度もちぎれたけど、その度に肉の繊維、精密な配線、ぎゅうぎゅうになった糸、とにかく色んなものを詰め込んだ。
もし器が壊れてしまったならまた新しく作ってしまおう。
たとえ以前とはまったく違う姿になっても、私に刻まれた識別番号が私を私だと証明してくれる。
私は確かに存在していて、中身が何であろうと、器が何であろうと私は私だ。
結局何が言いたいかというと、一度壊れたところで素材を全て新品にすればいいだけ。だから壊れたって何も問題はないということ。
つまり私は何も問題ない。
確かこういうのって何か名前があったよね。でも忘れた。私に色々教えてくれた人は、私には必要のない知識だって言ってた。
私は知らないものばかり。だって殆ど必要なかったから。
でもそんな私にも知ってるものがあった。
────それは方舟の乗り方。
〇いつだって彼女は世界を狂わせる
4月。オレは学校に向かうバスの中、座席に座り変わりゆく景色を車窓から眺めていた。
今日は入学式。オレにとって新しい門出となる日だ。
外もバスの中から分かるほどに快晴。おかげで清々しい気分になれる。
「席を譲ってあげようと思わないの?」
そんな気分はとある女性の声に消し飛ばされた。
どうしてこのような声が聞こえてきたのか分からないのでオレは前方にいる声の主であろう女性に視線を向ける。
どうやら座ることが出来ずにいる老婆の近くで優先席に座っているオレたちと同じ制服を纏った金髪の少年にOL風の女性が注意しているという状況らしい。
「クレイジーな質問だね?レディ。私が席を譲る理由は何処にもない」
「君が座っているのは優先席。席を譲るのは当たり前でしょ?」
「ナンセンスだねぇ。優先席は優先席というだけであって、法的な義務はどこにも存在しない。私は無駄な体力など消費したくないのだ。故に席を譲る必要はないと判断した。理解してくれたかな?」
「そ、それが目上の人に対する態度!?」
「目上?目上とは立場が上の人間に差して言うのだよ。それに歳の差があるとしても生意気極まりない君の態度にも問題がある」
「なっ......!あなた高校生でしょう!?大人の言うことを聞きなさい!」
「も、もういいですから......」
老婆の静止もむなしく、女性の怒りは止まらない。
バスの中に一触即発の空気が流れる。
誰もが早く終わってくれと願っただろうそのとき────
「────あの......ちょっと、いい?」
近くに立っていた一人の少女がこの冷えた空気に臆することなく飛び込んできた。
誰もが望んでいたこの空気を変えてくれる勇者。もしくは空気の読めないただの天然か。
どちらにせよここにいる人間の大体はこの少女がこの事態を収めてくれることを期待しただろう。
しかし、この少女は予想の斜め上を超えた。
「『このバス』に乗らなきゃダメって言われてたんだけど、私はちゃんと『このバス』に乗れてる?」
「......は?」
「この服を着てなきゃいかない学校がある。そこにいかなきゃダメ......なんだって」
「あ、あぁ......あなた高度育成高等学校の生徒?そういうことね。それならこのバスであってるけど......」
「そうなんだ。ちゃんと乗れた。えっと、お菓子あげる。教えてくれたから。大丈夫、私まだポケットにいっぱい入ってる」
「いらないわよ!子供じゃないんだから......」
「......いらないの?じゃあ私が食べる」
少女は周りの目など気にせずにポケットに入っていた小袋に包まれたお菓子を食べ始める。
先ほどの二択はどうやら後者。誰がどう見ても分かる。天然だ。いま自分がどんな目で見られているかなんて一切考えてないな、あれは。
その少女を中心に冷や冷やした空気が一変して変な空気が流れ始める。
「あれ......お婆さん、つらい?おんぶ、する?」
「え......!いいんだよ、無理しなくても......!」
「大丈夫、私力持ち」
と、とてもそうは見えない......
少女の体格は特別大きすぎるわけでもなく、かといって小さすぎる訳でもない。表情もボーッとしていて、その瞳は感情らしきものはあまり浮かばない。それがミステリアスな雰囲気を醸し出している。
パッと見の印象だけだと彼女なら人を抱えようものならポキリと折れそうだ。
ちなみに彼女が纏っている制服はオレたちと同じもの。つまり同じ学校の生徒だ。
「なかなかプリティなガールだ。まるで人形みたいじゃないか」
「ぷり、てぃ......?」
「美しいということだよ。外見だけで言えばだがね」
「へー......」
その少年の言う通り少女の顔はとても整っていて美人と呼んでも遜色ないレベル。正直かなりレベルが高い。
そして特徴的なのが髪。肩までかかる程度の長さで、何色にも染まることのない純白な髪は透明感を演出していてとても目立つ。だが所々まるで寝癖のようにはねているのも気になった。
「君は私に席を譲れと言わないのかい?」
「......?あなたがさっき言ってたこと、全然分かんなかったけど、座ってないと駄目なんだよね......?疲れちゃうから」
「その通りだ。実に物わかりが良いガールじゃないか。君も見習いたまえ」
「っ......」
少女はOLの完全な味方にはならなかった。少女にはあまり事態が呑み込めていないらしい。
ともあれこれで終戦。
少年の主張に納得出来る部分もあったからこそOLも言い返すことができずに悔しさを噛み殺している。
誰もがやっとこの騒動が終わったかと思っただろう。
しかし、思いがけない救いの手が差し伸べられる。
「あの......私もお姉さんの言う通りだと思うな」
その声の主は老婆たちの近くに立っていたようで、思い切って勇気を出した様子で少年に声をかける。オレたちと同じ高校の制服だ。
「またまたプリティなガールだね。どうやら今日の私は女性運がいい」
「お婆さん、ずっと辛そうにしているみたいなの。席を譲って貰えないかな?その、余計なお世話かもしれないけど社会貢献にもなると思うの」
「社会貢献になど興味はないからねぇ。それに私をやり玉にあげているが他の一般席に座っているものはどうだ?優先席かそうでないかなど些細な問題ではないかと思うのだがね」
少女の思いは届くことなく、少年は終始態度を崩さなかった。
しかし、少年から真っ向に立ち向かった少女がそれで挫けることはなかった。
「皆さん!お願いします。誰かお婆さんに席を譲ってもらえませんか?」
少女の勇気ある発言にオレを含め周囲の人間は答えることはなかった。
大抵は見て見ぬふり、あるいは迷っている素振りを見せる人たちの二択だ。
しかし、隣の少女は違った。
喧騒などまったく気にせず、白髪の少女とはまた違ったタイプの無表情で過ごしている。
そんな異様な少女に目が離せずジッと見ていると、一瞬だけ少女と目が合った。
「あ、あの、どうぞっ」
少女の訴えから程なくして一人の社会人女性が立ち上がった。
「ありがとうございますっ!」
「......ありがとう?」
二人の少女は感謝を告げると(一人はよく分かってなさそうだが)老婆を席に座らせた。
老人は何度も感謝しながらゆっくりとその席に腰を下ろす。
車内に流れる安堵の空気。
周囲に声を呼びかけた少女は白髪の少女に満面の笑みを浮かべながら頭を下げた。
「ありがとう!お婆さんをおんぶしようとしてくれて!」
「......?なんで、ありがとう?」
「それを聞いたとき私も動かなきゃ!って思ったんだ。だからお礼がしたくて」
「よく分かんない......」
「あはは......ごめんね?なんか変なこと言っちゃって。それよりも君、入学生なんでしょ?私もだから同じ学年だね!」
「へー......お菓子、いる?」
「くれるの?ありがとっ」
二人の少女はバスの中で迷惑にならない程度の声量で会話をしていた。これで二人は友達になっていくんだろうなぁ。いいなぁ、友達。
それから時間は経ち、目的地にたどり着く。
色々あったがこれからオレの学園生活が始まるのだ。
期待と夢を膨らませた学生たちが校門をくぐる姿に感化され、なんだかオレまでワクワクしてきた。よし!オレも続くか!
「ちょっと」
気合いを入れて1歩踏み出そうと瞬間、真横から話しかけられて出鼻をくじかれた。
「さっき私の方をみてたけどなんなの?」
「ああ、悪い。あんたもオレと同じで席を譲ろうとしてなかったから気になった。事なかれ主義としてはああいったことに関わりたくないんだよな」
「事なかれ主義?一緒にしないで。私は自分の信念を持って行動している。ただ面倒事を嫌うだけの人種とは違うわ。願わくばあなたのような人とは関わらずに過ごしたいものね」
「......同感だな」
少し話しただけなのにこう言い返されては良い気分はしない。オレたちは互いにわざとため息を吐き、同じ方角へと向かった。