ようこそ理想郷へ   作:ナムさん

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長い期間投稿できずに申し訳ありません。もう大丈夫です。


第41話 資格

「ふわぁ......このままだと何事なく終わりそうだな......」

 

 四回目の話し合いの最中にあくびをしながら橋本くんがそう言った。そのあくびに釣られたのか、綾瀬さんまであくびをし出す。

 

「ふわ......橋本、眠いの?」

 

「そう言う綾瀬こそ眠そうだな」  

 

「さっきまで少し寝てた......最近は夜遅いから......」

 

「綾瀬さんは夜更かしが苦手でしたか?それなら付き合わせてしまって申し訳ありませんでした」

 

「ううん、別にいい。楽しかった、しっ......」

 

 伸びをする綾瀬さん。美人が伸びをする姿は絵になる。

 

「綾瀬ちゃんって良く寝るよなぁ。なんでそんなに寝んの?」

 

「楽だから。寝てるときは何も考えなくていい」

 

 何も考えなくていい、か。

 まるで起きることを拒絶したがっているような言い方。

 実際綾瀬さんって入学してから1ヶ月の間は授業中殆ど寝てたっけ。

 今でこそそんなことないけど、いつも瞼が重そうで活気に満ち溢れた綾瀬さんなんて見たことない。

 もし綾瀬さんが元気に『おはよー!』なんて言いながら挨拶してきたら卒倒する自信がある。

 

「ずっと寝てるなんてもったいないぜー。この船にはジムもあるから行ってみるのはどうだ?」

 

「ジム?」

 

 柴田くんは何度か行っているみたいで、綾瀬さんにどんな器具があるのかを説明していた。

 

「へぇ、船の中にもそういうのがあるんだ。須藤といってみようかな」

 

 鼠グループは雑談の方向に舵を切り始めた。優待者探しは難航中。皆も会話はするけどこのようにすぐに関係のない話をしてしまう。

 だけど鼠グループが特別って訳じゃないと思う。きっと形は違えど大半のグループが雑談で時間を潰しているはず。それしかやることがないんだから。だけどそれでは優待者に繋がる手がかりは見つからない。

 実際会話だけで優待者かどうかを判断するのは難しい。精々怪しそうな人を見つけるのが関の山。解答を外したらクラスポイントマイナス50のペナルティがあるのに、確たる証拠もない状態でそんなリスクは背負えない。

 この試験はシンキング。葛城くんの言っていたことも案外的を得ている。この試験では勝つための方法を考えなければいけない。

 

「椎名。優待者の法則は分かった?」

 

「......さあ?どうでしょう」

 

 椎名さんは困ったような顔をしながら笑った。

 優待者の法則は確たる証拠。それが分かっているならよっぽどのないことがない限り試験は終わっている。

 結局いつもと同じように進展もなく話し合いは終わった。

 話し合いはあと二回。そして明日は完全自由日だから休みだ。

 

「ねえ綾瀬さん。ちょっと二人で話そうよ」

 

「いいよ」

 

 私は綾瀬さんを連れて船のデッキへと向かう。夜のデッキ、空が闇に包まれている。周りにはあまり人がいない。

 

「このままだと橋本くんの言ってた通り何事もなく終わりそうだね」

 

 改めて二人で試験の話がしたかった私はそう切り出した。

 

「綾瀬さんはどうすればいいか考えてる?」

 

「ううん。私は何も」

 

 きっぱり言い切られてしまった。まあ驚きはないけど。

 

「私としてはクラスポイントが欲しいけど難しそう......」

 

 私は大袈裟に天を仰いで一度綾瀬さんから視線を外した。

 しかし、綾瀬さんの次の発言で私はすぐに視線を戻すことになる。

 

「それならごめんね。クラスポイントは貰えない」

 

 驚いた私は急いで綾瀬さんの顔を見た。

 

「ど、とうして?」

 

「鼠グループは結果1になる。皆がプライベートポイントを貰って終わるんだよ。だからクラスポイントは貰えない」

 

「いやぁ......それは無理があるよ」

 

「ううん、大丈夫だよ。なんとかなるから」

 

 綾瀬さんの言い方は妙に確信めいたものだった。

 結果1にするには綾瀬さんが優待者だと明かした上で試験終了の時間を迎える必要がある。

 そんなの絶対無理。誰かが途中で裏切るに決まっている。

 

「どうして、そんなことが言えるの?」

 

「私は皆の幸せを望んでいるから」

 

 私にはとても皆の幸せを望む女の子には見えなかった。

 それに幸せを望んでいるから結果1になるっていうのもよく分からない。

 いや、そりゃ皆がプライベートポイントを貰えたら幸せなんだろうけど、大切なのはどうやってそうするかなんだ。

 

「綾瀬さん......何をする気?」

 

「────何も」

 

 そう言った綾瀬さんの目から微かにあった光がフッと消えた。

 私は突然起こった綾瀬さんの異変に困惑していた。まるで何か地雷を踏んでしまったかのような感覚。

 

「松下。人はどうして嘘をつくと思う?」

 

 唐突に振られた話題。私は普段実力を隠している自分のことを聞かれていると思ってドキッとした。

 

「この試験は嘘をつく試験。私は特に。だから私は自分じゃない自分になる必要がある。だけどそんなこと私には出来ない。どうして皆は当たり前にそんなことが出来るの?」

 

 なかなか返答に困る質問だ。

 人は嘘をつくために仮面を被る。私だってそうだ。

 私の場合は面倒を嫌って。だけど人によっては自分が嫌いだからとか人に好かれるためとか色々ある。

 

「そうすることで都合がいいからじゃないかな」

 

 とりあえずこれだけは間違ってないと思う。たとえ優しい嘘であっても、人を陥れるための嘘であっても。

 

「そう」

 

 綾瀬さんは短くそう答える。

 

「............」

 

 そして綾瀬さんは口を閉じた。

 何も喋らないでいる綾瀬さんは人形みたいで、凄く冷たい。まるで生気を感じない。

 

「綾瀬さん......どうしたの?」

 

 私は恐る恐るといった様子で聞いた。

 しかし、綾瀬さんはそのことに答えることなく振り返った。

 

「ありがとう松下。あなたに話を聞けてよかった」

 

「あ!ちょっと......」

 

 綾瀬さんは私の呼び掛けに止まることなく歩き出してしまった。

 ......あんな綾瀬さんはちょっと予想外だったかも。

 いつもそこまで喋る子ではなかったけど、あの雰囲気はものが違った。  

 あれで皆の幸せを望んでいるなんて言われてもって感じだ。

 私は少しだけ綾瀬さんのことを理解したつもりでいたけど、また綾瀬さんのことが分からなくなってしまった。

 綾瀬心音。

 あなたの本質はどこにあるの......?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話し合いも終わったから私は佐倉と遊ぶ。さっき寝たからあんまり眠くない。

 

「綾瀬さん。こんばんは......」

 

「佐倉。こんばんは」

 

 約束の時間。

 本当はいつも寝てる時間。でもナイトプールにいくから起きてる。明日は話し合いもないから夜までなら寝れる。

 

「佐倉はプールが好きなの?」

 

「う......プールは好きじゃ、ないかも......」 

 

「え?じゃあなんで私をプールに誘ったの?」

 

「そ、それはぁ......色々......」

 

「?」

 

 よく分からないけどまあいいや。

 私は佐倉と二人で船の中を歩く。

 プールの目の前まで来ると、見覚えのある人がいた。石崎とアルベルト。

 

「あれ、綾瀬さんじゃないですか!」

 

 石崎の大きな声に佐倉がビクッとする。そして私の背中に隠れた。

 

「今からプールですか?」

 

「そうだよ。佐倉と一緒にいくの」

 

「佐倉......?」

 

 石崎は佐倉の顔を見て首をかしげた。

 

「......覚えてないの?」

 

「......あー、なんとなく覚えてますよ!」

 

 須藤のことがあったのになんとなくなんだ......佐倉が可哀想.......

 

「もし良かったら一緒に遊びましょうよ!アルベルトもいいよな?」

 

「......」

 

 アルベルトは何も喋らなかったけど頷いた。

 

「それは嬉しいけど、今は佐倉と遊びたいの。後で少し話すぐらいならいいよ」

 

「了解です!」

 

 石崎は元気に返事をした後、水着に着替える場所に行った。石崎がいなくなったのを見て、佐倉が小さな声で話しかけてくる。

 

「さっきの人、須藤くんと喧嘩してた人だよね......あのときは怖かったけど、綾瀬さんの前だと全然違うね」

 

「そう?私はあの石崎しか知らないから分かんない」

 

 石崎の怖いところなんて全然想像できない。

 

「綾瀬さんって何か怖いものとかある......?」

 

「ないよ。何も」

 

 そんなものはとっくに壊した。

 最後に怖いって思ったのはいつのことだっけ。多分5歳のとき......とか?あんまり年齢とか数えてなかったからそこら辺は分かんないや。

 

「佐倉は何が怖いの?」  

 

「私は......視線とか、色々......」

 

「そう。怖くなったら私に言って。なんとかしてあげる」

 

「あ、ありがとう......」

 

 佐倉は顔を赤くしながらそう言った。

 私たちは水着に着替えるために服を脱ぐ。服を脱いでいくと、佐倉の胸に目がいった。

 

「大きい......」

 

「え!?」

 

 佐倉の胸は他の人と比べると一番大きい。堀北じゃ絶対敵わなくて、桔梗でも少し敵わない。

 

「いいな。私と全然違う」

 

「あ、綾瀬さんもいつか大きくなるよ!」

 

 ここまでなれるのかな。もし佐倉ほど大きくなれれば手と足に加えて胸でも攻撃できる。しかもここが固かったら心臓を守れるからあったら便利そう。あ、でも重くて動きにくいかな.....

 

「それよりも!綾瀬さんの水着、可愛いね」

 

「私が持ってるやつじゃないけど......」

 

 佐倉か選んでくれた貸し出し用のピンクの水着。胸と下のところがヒラヒラしてる。

 

「やっぱりシンプルに可愛い色も似合うね!」

 

「学校で使う水着の方が動きやすい......」

 

「か、可愛いのも大事だよ......!」

 

「可愛いってよく分かんない......それよりも、佐倉はどうして上着を着てるの?」

 

 佐倉は水着の上に服を着てた。それだと泳げなさそう。

 

「それはぁ......今はまだ、恥ずかしいから......」

 

「......そっか」

 

 どうして自分を見せるのに嫌がる必要があるんだろう。

 恥ずかしいっていう感情が私には理解できない。

 私がおかしいのかな。ずっと誰かに見られてきたから今さら恥ずかしいだなんて思えない。

 

『観察を始めます』

  

 頭の中に昔よく聞いたアナウンスが響いた。

 

「佐倉。早くプールに行こう」

 

「あ、うん......!」

 

 頭の中に響く音を振り払うように歩く。

 

「わぁ......!凄いね綾瀬さん......」

 

 プールの中は昼に見れるものとは全然違った。

 いろんな色の光がキラキラしてて眩しい。いま見てるものが、いつもの世界じゃないみたいな感覚。

 

「人もいっぱい......夜なのに......」

 

「まだそんなに遅い時間じゃない......から?」

 

「え......」

 

 今は夜の10時ぐらい。鈴音との勉強がなかったら寝てる時間。皆元気。

 プールを見てみると、あんまり泳いでる人はいなくてただプールに浸かってる人が多い。

 

「これって泳いでもいいんだよね?」

 

「大丈夫......だと思うよ」

 

「分かった」

 

 私はプールの中に飛び込もうとした。

 

「あ、待って!」

 

「......?」

 

 佐倉が私を止めた後、羽織っていた服のポケットからカメラを出す。

 

「綾瀬さんの泳いでるところ、写真撮ってもいい?」

 

「別にいいけど......佐倉は泳がないの?あ、水着が恥ずかしいんだっけ」

 

「それもあるけど......綾瀬さんが泳いでる姿が好きなんだ。だから見てたいの」

 

「なんで?」

 

「......綺麗だから、かな」

 

 ......これも理解できない。

 泳ぐ姿の何が綺麗なんだろ。

 また昔を思い出しそうだったから私はさっさとプールに飛び込んだ。

 佐倉と話してると昔をよく思い出す。きっと十字架をくれたあの子と似てるからなんだと思う。

 

「っ......」

 

 頭が焼けそうになった。

 佐倉には自分の顔を見せないようにして水の中に潜る。

 無理やり冷やされる頭。あぁ、そうだ。私はこのプールを泳ぐんだ。

 目的地のない海の旅。そう思えるならまだ気が楽。

 

 私は今、船になっている。

 何度も部品を壊して、交換した船。

 

 感覚が沈んでいく。

 

 深く、深く。

 

 水の中は静か。まるで私の心音みたい。  

 

 冷たくて、静かな世界。

 

 響き渡る騒音も、私を縛る線も全部────沈んで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわあああ!!皆逃げろ!!」

 

「綾瀬心音だ!巻き込まれるぞ!!」

 

 す、凄い......周りが騒然としてる......

 綾瀬さんがこの広いプールを物凄い勢いで泳いでいた。周りの人たちは皆綾瀬さんに驚いて距離を取る。そして綾瀬さんに目を離せずにいた。

 凄く綺麗で、力強い泳ぎ。あんなのを見せられたら、ずっと見てたくなる。まるで白いイルカが海を泳いでるみたい。迫力で言ったらクジラにも見える。そんなこと言ってたら綾瀬さんが大きく見えてきた。

 10分近く泳いでいた綾瀬さんはスピードを落としてこっちにくる。

 プールから上がってきた綾瀬さんは、息一つ切らさないで涼しい顔をしていた。無人島のときもそうだったけど、綾瀬さんの疲れた顔なんて一度も見たことない。

 

「ただいま」

 

「お、おかえり......やっぱり凄いね綾瀬さん......皆びっくりしてたよ......」

 

「そうなの?」

 

「気づいてなかったんだね......」

 

「泳いでるときは何も聞こえないから」

 

 結構な騒ぎになってたけど......そんなものなのかな。あんまり泳がないから分からない。うぅ......視線が集まってる......

 

「えっと、もっと、泳がなくてよかったの?」

 

「あまり佐倉を一人にさせたくないからいい。このプールには二人で遊びにきたんだから私だけが泳いでるなんて駄目でしょ?」

 

 わ、私を一人にさせないために......そんなこと初めて言われた。嬉しくてドキドキする。

 綾瀬さんっていつもはカワイイのにたまにカッコいいんだよね......。

 

「ちょっと休憩しよ。あそこでジュース飲めるって」

 

 綾瀬さんがライトアップされたテーブルの方を指差した。そこでは小さなブースが開かれていて、談笑している人たちがいる。明日は何もないからか人が多い。

 そこに向かう途中、綾瀬さんは多くの人に見られていた。

 

「あれ、綾瀬心音だぜ......」

 

「さっきの......化物だろ......」

 

 大体の人が綾瀬さんに怖いものを見るような目を向けていた。相変わらず綾瀬さんはその視線に興味を示さずにいる。

 

「......気にならないの?」

 

「何が?」

 

「色んな人が綾瀬さんのこと見てるけど......」

 

「気にしたって意味ない」

 

 そう言い切れることを本当に羨ましく思う。むしろ一緒にいる私の方が怖く感じるのに。

 私はネットで色んな人に見られたけど、実際にこういう視線を向けられるのはまだ慣れない。そういう意味では綾瀬さんの方がグラドルに向いてる。しかもカワイイからきっと人気でる。うん、間違いない。

 飲み物を持ってテーブルにつくと、綾瀬さんは両手で長めのコップを持ちながらストローでジュースをたどたどしく吸う。その姿が可愛らしい。ついついカメラを手に取って綾瀬さんに向けてしまった。

 パシャっと音を鳴らして撮れた写真。ああ......カワイイ......綾瀬さんの水着姿、最高!

 綾瀬さんって肌が凄く綺麗。ここまで真っ白だと美しさすら感じる。よく綾瀬さんは人形みたいだと言われるけど、本当にそう見える。

 パッと見た感じだと鍛えてるって感じじゃないけど、あんなに早く泳げるならさすがに鍛えてる、よね?

 

「カメラ、元通りになってよかったね」

 

「あ、うん......あのときは本当にありがとう」

 

「ううん、私は何にもしてないから。それで、私は上手く撮れた?」

 

「実はあんまり......」

 

 ちょっとぼやけてたり、距離が遠すぎたりで上手くは撮れてない。

 でも、それでもいいの。泳いでる綾瀬さんを撮りたいのは確かだけど、水着姿の綾瀬さんが撮れればそれで満足。

 

「あ......その、綾瀬さんは泳ぐのって、好き......?」

 

 質問した後で気づいたけど、あんなに泳ぐのが凄いんだから好きに決まってる。やっぱり私って会話が下手......

 一人で勝手に落ち込んでいると、綾瀬さんは予想外の返答をしてきた。

 

「泳いでいるとね、私は船になったみたいなの」

 

「ふ、船......?」

 

 言ってることは分からなくもないけど......私には綾瀬さんが船というよりもイルカとかクジラに見えた。船だと少し躍動感みたいのに欠けるというか......

 

「私は佐倉も船に乗せようとした」

 

「え、私を......船、に......?」

 

「だけど、今はまだ分かんない。あなたに資格があるのかどうかは、まだ」

 

 ......どうしよう。全然理解できない。資格ってなんだろう。多分私が想像する船と綾瀬さんが想像する船って違うんだと思う。

 それから少しの間考えたけど、結局よく分からなかった。

 変な沈黙が生まれそうだったので私は聞いてみたかったことを聞くことにした。

 

「綾瀬さんは......水泳部に入ろうって思わなかったの?」

 

「思わない。私に勝てる人なんていないし、誰も私についてこれないから私がいても他の人が悲しい思いをする」

 

「す、凄いね......そこまで言えるなんて......」

 

「何も凄くなんかないよ。誰も私に勝てないことは、当たり前のことだから」

 

 綾瀬さんからは揺るぎない自信を感じた。自分に勝てないのが当たり前だなんて絶対私には言えない台詞だ。

 自分の力にそこまで自信を持てることは本当に凄いことだと思うし、羨ましいとも思う。

 でも、同時に誰もついてこれないっていうのは寂しいと思った。

 

「綾瀬さんは、それが寂しいって思ったことある?」

 

「さぁ、分かんない」

 

 綾瀬さんは間髪いれずにそう答えた。

 その姿が、私には......。

 私は綾瀬さんがどれぐらい凄い人なのかを言葉で言い表せない。ただ、漠然と凄い人だと思ってる。

 でも、凄い人はときに孤独だ。綾瀬さんが言ってたみたいに、誰もついてこれないから。

 だけど、私は少しでも綾瀬さんの隣に立てるようになりたい。

 綾瀬さんにはいつもお世話になっている。今回遊びに誘ってくれたのだって私のためなんだと勝手に思ってた。

 そんな見守られてばかりの自分じゃ綾瀬さんの隣には立てない。

 

「綾瀬さん。私と一緒に、泳ごう」

 

「え......でもプールは苦手って......」

 

「泳ぐのは得意じゃないよ。でも、私だって綾瀬さんと泳ぎたいから」

 

 私は羽織っていた上着を脱いで水着を晒した。普通に肌を露出する水着。

 そして、メガネも外して上着のポケットにいれる。

 

「え......」

 

 綾瀬さんが小さな声を漏らした。

 恥ずかしい。怖い。他の人からの視線も感じる。

 でも、今、このときだけなら勇気を出せる。

 

「......どうして、メガネを外したの?それは、佐倉にとって嫌なことじゃなかったの?」

 

「いいんだ。今日は綾瀬さんと一緒に、遊びたいから」

 

「ただ、そのために?」

 

「うん。メガネがあったら、遊べないもん」

 

 いつもならメガネを外すと学校のときの私とは違う私になった気分になるのに、不思議と今日はあんまり自分が変わっている気がしなかった。

 自然な自分。ただ友達と遊ぶだけの自分。ちょっと視線は気になるけど......。

 

「......そっか。それなら、分かった」

 

 いつもの私だったら、もっと露出の少ない水着で来てた。でも綾瀬さんにだけ可愛い水着を着せて自分だけ地味な水着でいるのは失礼な気がした。

 

「あ、でも......上着、どうしよう......」

 

「任せて」

 

 綾瀬さんは私の上着を手に取って周りを見渡した。

 

「見つけた」  

 

 その視線の先にはさっきプール前で会った二人がいた。綾瀬さんがその二人が気づくまで手招きしていると、そのことに気づいた二人が真っ先にこちらに向かってくる。

 

「綾瀬さん!お呼びですか......って、誰ですかこの美人は!?」 

 

 石崎くんが私を指差して驚愕していた。一応さっき会ってるはずだけど......そんなに違うのかな......

 

「石崎。少しの間これ持ってて」

 

「へ?」

 

 上着を石崎くんに渡すと、綾瀬さんは私に手を差し出した。そして歩き出す。

 

「行こ。佐倉」

 

「あ!綾瀬さーん!ちょっと待ってくださいよ!」

 

 その手はひんやりとしていて、とても固かった。

 不思議な感覚。こんなに冷たいのに、私には温かく感じた。手を繋いだのなんて久しぶりだからかな。

 

「綾瀬さん。その前に、一緒に写真、撮りたいな」

 

「一緒に......」

 

 綾瀬さんに近づいてカメラを構えた。二人がカメラに収まる距離感。

 自分からこんなに人に近づくことなんていつぶりだろう。恥ずかしいけど、安心する。この距離感、大切にしたいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人で写真を撮った後、石崎くんにカメラを預けてしばらく遊んでいた。やがて良い時間になると、私たちはプールを出て部屋までの帰り道を歩いていた。

 

「久しぶりに泳いだなぁ。上手くはなかったけど......」

 

「そうだね」

 

「うっ......」

 

 はっきり言われちゃった......綾瀬さんがそう言うなら間違いない。

 

「さっきの写真、後でちょうだい」

 

「うん!カメラのデータを携帯に送ったらすぐに綾瀬さんにも送るね......」

 

 寮に帰ってパソコンを使わないといけないから旅行が終わってからじゃないと出来ない。帰ったらじっくり編集とかもしてみたいな。

 改めてナイトプールで撮った写真を見る。どれも可愛い綾瀬さんばかりだ。でも、一緒に撮った後も何枚か石崎くんに撮ってもらって、そこには笑顔の私がいる。グラドルとしての活動じゃないのにこんなに楽しそうな自分を見るのは久しぶりだ。

 

「メガネ、付けちゃうんだね」

 

「あ、うん......まだちょっと視線が......あはは......」

 

 メガネは付けた。さすがにメガネを外したまま生活するのはまだ無理だった。でもいずれ見られることの怖さを克服すれば、外すかもしれない。

 

「......ちょっと、いい?」

 

「どうしたの......って、わぁ!?」

 

 綾瀬さんは急に抱きついてきて自分の顔を私の胸に押し付けてきた。

 

「あ、綾瀬さん......?」

 

 私の呼び掛けに答えることなく、そのままの綾瀬さん。こ、これって......もしかして私もぎゅっとした方がいい!?

 どうすればいいのかあれこれ悩んでいると、綾瀬さんは顔をあげてこっちを見た。

 

「佐倉の心音(しんおん)を聞いてた」

 

「え......?」

 

「あなたの心音(しんおん)は激しく動く。それは、とてもいいことだと、思う。怖いとか、恥ずかしいとか、苦しいとか、色々あると思うけど、それを失くさないで」

 

 綾瀬さんはぎゅっと力を込めた。

 その力は結構痛かったけど、痛いとは言えなかった。

 どうして綾瀬さんがそんなことを言ったのかは分からなかったけど、そのメッセージには強い意思を込められているような気がしたんだ。

 綾瀬さんは私から離れて私の顔をじっと見つめた。そして、表情は変わってないはずなのに、微かに笑ったような、そんな気がした。

 

「佐倉、先に部屋に戻ってて」 

 

「ど、どうして?一緒に行かないの?」

 

「今日は眠れないの。部屋にいても、落ち着かない」

 

「それなら私も......」

 

「駄目。あなたの身体は疲れてるよ」

 

「......!」

 

 図星だった。あまり運動をしてない私の身体はプールでちょっと遊ぶだけでもヘトヘトだ。

 

「こういうの、分かるんだ。たとえ隠してても、私には分かっちゃう。あなたはもう休まないと駄目だよ」

 

「でも......」

 

 いいのかな。綾瀬さんを置いて先に帰っても。

 なかなか歩き出せない私に対して、綾瀬さんは小さく手を振った。

 

「────ばいばい、佐倉」

 

「......うん」

 

 少し不安になったけど、こればかりは仕方ないよね。ここに残って疲れのせいで寝ちゃったなんてしたらそれこそ綾瀬さんに迷惑だもん。

 今日は楽しかったな。写真に撮れなかった場面もいっぱいあったけど、この思い出はしっかり胸にしまっておこう。結んだ記憶の糸が、ほどけないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 プールで遊んで佐倉と別れた後、私は廊下にあった椅子に座っていた。

 佐倉はもう、価値のない人じゃない。さっきのを見て、そう思った。佐倉は方舟に乗る資格を失ったんだ。それならそれで、いい。だって、私が佐倉を壊す必要がなくなったんだから。

 ふと時計を見る。午前1時。いつもなら絶対寝てる。

 でも、今日はあんまり寝たくない。せっかく何も考えずに済む時間なのに、今日はそうならなさそうな気がした。きっと起きたら頭が痛くなってる。

 寝れないときは頭を空っぽにするの。

 

 息を吐いて、力を抜く。

 

 目を閉じて、音も消して────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 うん。こんなものかな。改めて時計を見ると2時半になっていた。そして気づかなかったけど携帯に通知も来てる。石崎からチャットだ。『今起きてますか』だって。

 一時間ぐらい経ってはいたけど一応返信を送ると、1分も経たないうちに石崎からチャットがくる。そして電話がかかってくる。石崎からだ。

 

『綾瀬さん!さっき一緒にいた美人は誰ですか!?俺に紹介してくださいよ!』

 

 電話に出た石崎がいきなり大きな声で話しかけてきたから耳が痛くなった。

 

『あ、勢いで電話しちゃいましたけど大丈夫でしたか?』

 

『今は部屋じゃないから別に大丈夫』

 

『分かりました!いやぁそれにしてもさっきの美人......凄かったなぁ......その、色々と......出来ればまたお会いしたいんですが......」

 

「......会おうと思えば会えると思うよ」

 

 佐倉が石崎とお話したいのかは分かんないけど。

 

「あ、もちろん綾瀬さんの泳ぎも凄かったですよ!その姿はまさに純白のマーメイド......!美しい!』

 

「声、大きい。小さくして」

 

『は、はい!すみませんでした!』

 

 その声も大きい......

 

『それで、昨日聞かれたことについてですか?』

 

「うん。明後日......あれ?もう明日だっけ、私も動こうと思ってる」

 

『......直接ですか?綾瀬さんなら心配はないと思いますけど......どうしてそこまで?』

 

「きっと私のためでもある、から」

 

 とりあえずそう伝えておいた。

 

『よく分からないですけど、俺としては助かります。なんせこれはCクラスにも関わってくることですから......』

 

「────待って。人の気配がする」

 

 携帯に当てた耳とは反対の耳から足音が聞こえてくる。

 私は携帯を切って、その音がする方向を見る。

 少し待つと、こちらに歩いてくる橋本が見えた。橋本が私に気づくと、驚いた顔で私を見た。

 

「あれ?綾瀬じゃないか。こんな時間に何をしているんだ?」

 

「さっきまでプールで遊んでた。寝れないからずっとここにいるの」

 

「まぁあんなピカピカなとこにいたら目が冴えるよな」

 

「橋本は何をしているの?」

 

「こうして深夜に歩いていると面白い場面に立ち会えると思ってな。だけど良かったぜ。こうしてお目当てのお前さんに出会えたんだから」

 

「お目当て?」

 

「そうだ。いつかお前と二人っきりで話がしたかったんだ。それも、大事な話だ」

 

 橋本はニヤッと笑いながら手を差し出した。

 

「綾瀬。Aクラスに来ないか?」

 

 私が......Aクラスに......?

 

「なんで、私?」

 

「うちは賢いやつこそ揃っていれど、今欲しいのは突き抜けた身体能力なんだよ。参謀は姫さんで事足りてるしな」

 

「でもAクラスにだって運動が出来る人はいるでしょ?」

 

「綾瀬ほどのはいないさ。俺は詳細に聞いたぜ?お前さんがCクラスのベースキャンプ地で暴れまわったこと。まったく龍園のやつも抜け目ないよな」

 

「私は遊んでただけだよ」

 

「遊んでた、ねぇ......そんなことが言える時点でレベルが違うのさ。俺も実際にこの目で見てみたかったぜ。女子がリンゴを握り潰すなんて普通じゃない」

 

 私のことは結構知られてるみたい。それなら新しく出来た目標は一つ達成出来てる。

 

「坂柳のことは知ってるよな?」

 

「うん」

 

 坂柳。杖をついてる人。『それなら』凄く頭のいい子。そして私に一番近い人。

 

「坂柳も頭の良さなら常識外だ。だが知っての通り運動はからっきし。まるでお前さんと正反対だな?」

 

「確かに、そうだね」

 

「だからこそお互いの穴を埋めるためにはピッタリ、そうは思わないか?きっと良いコンビになるぜ」

 

 私はまだ坂柳と話したことがない。でも、話を聞いてると分かる。確かに私と坂柳が力を合わせれば『完璧』になれるかもしれない。私にはそんなものとっくに必要なくなったけどね。

 

「頼む綾瀬。お前の力が必要だ。クラス移動に必要な2000万ポイントは必ず工面する。綾瀬が入ればAクラスは安泰だ」

 

 橋本はもう一度手を差し出した。

 でも私はその手を取らない。

 

「私は鈴音やDクラスのみんなの力になりたいの。だからクラス移動なんてしない。ごめんね」

 

「おいおい......本当にいいのか?Aクラスで卒業できれば将来が約束される特権があるんだぞ?」

 

「私は別にそんな特権いらない。そんなものがあったところで私にはまともな未来なんてないから」

 

「確かにお前の学力は低いかもしれないが、Aクラスなら関係ないんだ。だから......どうだ?」

 

 違うよ橋本。学力とか、そういうことじゃないんだよ。

 私はもう普通の世界から外れちゃったんだ。今さら戻ることは出来ない。

 それにね、あなたの目は私が良く見てきたものによく似てるよ。

 私のことを道具としてしか見ていない目。橋本のは、()()()()()()から分かりやすい。

 

「橋本。あなたは私の力を利用したいんだね」

 

「利用だなんてとんでもない!俺はお前に協力してほしいだけなんだ」

 

「さっきも言ったけど私はクラス移動なんてしない。それに、忠告しておくね」

 

 橋本みたいに私を利用しようとしている人は他にもいると思う。それはいいんだ。それが、私なんだから仕方ない。

 でも、私という道具は簡単に扱えるものじゃないということだけは、知って欲しい。 

 

「私は方舟。とある場所へ連れていくための船。そのためならどんなものでも壊してあげる。でもあなたには私に乗る資格がない。それでも乗りたいなら覚悟しておいた方がいい。あなたが振り落とされて波に溺れても、責任は取れない」

 

「振り落とされて波に溺れるってのは......どういう意味だ?」

 

「簡単に言うなら正気を保てずに死ぬってこと。深い海の底で、あなたは死ぬの」

 

 私を扱えるのは私と同じで普通の世界から外れた人だけ。それ以外の人は狂って壊れるのが末路。

 橋本から笑顔が消えた。

 私の底を測ろうとしている。

 

「結局何を言いたいのか分からず仕舞いだが、一つ分かったことがある。俺はお前をどこか舐めていた。だがそれは間違いだったってことだ。今のお前は坂柳や龍園と肩を並べるぐらい恐ろしいぜ」

 

「あなたには今の私がどう見えてる?」

 

「綾瀬心音の形をした人形だよ。ここまで無機質な人間は見たことがない。お前を見てると身体が冷えてくる」

 

 私の心音は佐倉と違って冷たくて静か。それが私にとって当たり前になった。

 そうすることで身も心も悲鳴を上げずに済むから。その代わりに失ったものは何個もある。怖いとか、苦しいとか、そんなものはもう私にはない。

 そんな私を機械や人形みたいだと言うのは何も間違っていない、と思う。普通の人は、当たり前に心音が鳴るから。

 

「......ここまで、だな」

 

「諦めてくれた?」

 

「今は、な。いずれまたこのことについて話そうぜ」

 

「......まだ、諦めないの?」

 

「ああ。俺はAクラスで卒業しなきゃならないんだよ。そのためにはお前を手放すわけにはいかない」

 

 Aクラス。それが橋本と、殆どの人が望む願い。

 残念だけど私には全員分のその願いを叶えてあげる方法が分からない。

 橋本がいなくなったと同時に携帯から通知の音が聞こえた。綾小路からチャットだ。

 

『明日、軽井沢と話す機会を設ける』

 

 私は『分かった』とメッセージを送って歩き出した。

 

 軽井沢。あなたには資格がある。だから今のうちに謝っておくよ。

 

 

 

 

 あなたは橋本に言ったのとは違う死に方をするかもしれない。そのときは、ごめんね。新しい部品は用意してあげる。

 

 

 

 

 

 




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