試験のインターバルとなる日。オレは全ての条件を整えるために平田と連絡を取り、軽井沢を地下に呼び出してもらうよう取り付けてもらった。決行は午後4時。
そして真鍋の連絡先も聞き出すことに成功した。オレは正体を悟られないために新規に作ったもう一つのアカウントで真鍋にチャットを送る。
『ちょっといいかな』
『誰?』
チャットはすぐに返ってきたが、当然見知らぬ差出人からの連絡に警戒している様子だった。
だからオレは軽井沢のクラスメイトで、軽井沢に手を焼いているから復讐したいという旨を伝えた。真鍋の警戒心を軽井沢への怒りへと時間を掛けてシフトさせていく。
やがてオレの話に乗った真鍋は軽井沢を呼び出した場所へと所定の時間に足を運んでくれることとなった。
「念のためにこれも伝えておくか」
『それとこれも伝えておくね。軽井沢さん、綾瀬さんにも色々酷いこと言っててさ、綾瀬さんは大人しい子だから何も言い返さないけど結構傷ついてると思うんだ。私、綾瀬さんの友達なの。だから真鍋さんたちに軽井沢さんを懲らしめてほしい』
これはもし真鍋がオレの想定通りに動けなかったときの保険だ。
真鍋が綾瀬を利用しようとしていることは綾瀬から受け取ったメモでなんとなく把握した。おそらく龍園を懲らしめて欲しいとでも頼んだのだろう。故に、真鍋は自分達が軽井沢にもし言いくるめられてしまうようなことがあれば綾瀬に頼るだろう。そのときは、綾瀬を介して真鍋の弱みを握る。そのためのプランも練ってあるので問題ない。
「さて、最後は綾瀬にも連絡する必要があるな」
軽井沢と真鍋が集まる場に綾瀬も呼び出す。これもある狙いのためだ。
オレは綾瀬に電話を掛ける。程なくして電話にでる綾瀬。
『......もしもし』
「悪いな。軽井沢のことについてだ。今日の午後4時30分に軽井沢と話そうと思っているんだが、これるか?」
少し遅めに呼び出したのも理由がある。
『......分かった』
その後、オレは場所を伝えて電話を切った。
綾瀬は軽井沢と真鍋のことなんて知らない。この呼び出しも単純に軽井沢と仲直りするためのものだと思っているはずだ。実際はそうではないけどな。
とにかく、これで全ての条件は整った。あとは時を待つだけだ。
「なによ、携帯通じないじゃない......」
落ち着かない様子で約束の場所までやってくる軽井沢。携帯が使えないと分かるとポケットにしまい、平田を待つ。
そして時刻が午後4時に迫ろうかといところ、フロア唯一の重い扉か音を立てて開いた。
姿を見せたのはCクラスの3人組、真鍋率いる女子たち、そしてもう一人。恐らくリカと呼ばれていた人物。雰囲気が佐倉に似ていて、大人しめの女子だ。
「な、なんであんたらがここにいんのよ!?」
予期せぬ出来事に軽井沢は動揺する。
「あんたがここに入ったのが見えただけ。ねえリカ、前にあんたを突き飛ばしたのって軽井沢さんであってるよね?」
「うん、この人......」
分かりきった答えを聞いて満足そうに喜ぶ真鍋。一方の軽井沢は自分が危険な状況に晒されていることを理解しただろう。
「リカに謝りなさいよ」
「は?なんであたしが。ふざけないでよ」
「この状況でも強がるなんてけっこうやるじゃん。でも私には何となく分かるんだよね」
「......分かるって何が?」
「その怯えた態度。軽井沢さんって虐められてたんじゃないの?」
「っ!?」
普段の様子からでは想像できないがこれは事実だ。
オレは昨日の深夜に軽井沢と平田の会話を聞かせてもらった。そのときに平田の口から直接聞かせてもらったし、軽井沢も認めていたから間違いない。
そしてそれは真鍋にも伝達済み。だからこそ真鍋は確信を持って軽井沢に迫ることが出来る。
「ほら図星じゃない。やっぱりね。そんな感じしてたもん、最初っからさ」
「ち、違うし!」
「嘘なのバレバレ。今なら土下座したら許してあげてもいいけど?」
「しないわよ!」
逃げるように脇を通りすぎようとするが、長い髪を真鍋に掴まれ壁に押し付けられる。
「痛い!痛い!放しなさいよ!」
「静かにしなって」
「あうっ!?」
「うわ、志保、ちょっと今の膝蹴りやりすぎじゃない?エグぅい」
真鍋は軽井沢のお腹辺りに膝蹴りを叩き込む。
「ほらリカ、あんたもやってみなさいよ」
「わ、私はいいよ......」
「私たちはあんたのためにやってんじゃん。ほら、別に誰も見てないんだから」
「......う、うん。やってみる......」
ペチッと乾いた軽い音。全く痛くないビンタをするリカ。
「こ、こう?」
「そんなんじゃ全然ダメ。もっと強くやるの。こうやって」
パンッと高い音を立てて真鍋が軽井沢の頬を叩く。それに続くようにリカがゆっくりとビンタを繰り返す。段々ビンタの強さが上がってきた。
「や、やめ、やめて......」
「はは......楽しい......はは......」
いよいよ止まらなくなってきたリカに軽井沢が恐怖で腰を抜かしながら顔をくしゃくしゃにして涙を流していた。
「もう許して......」
そして許しを請う。その姿がたまらなく心地よく気持ち良かっただろう。
これからしばらくの間、真鍋たちの憂さ晴らしが続く。何をされても構わない。
軽井沢は一度徹底的に壊してもらおう。その方が扱いやすくなる。
そう言えば綾瀬も言っていたな。
何度壊れてもその度に新しい部品に入れ換えて悪いところを治していく、そうして壊れたものの価値は上がっていく。
とにかく、綾瀬が遅れてやってくれば真鍋たちは終わる。それまで軽井沢には頑張ってもらうとしよう。
そしていよいよ4時30分。重い扉が開く音が聞こえてきた。
夢中だった真鍋たちもさすがにこの音には気付き視線をやる。
現れたのは綾瀬。予定通りだ。
「あ......綾瀬さん......」
「......」
「なんだぁ綾瀬さんかぁ!来てくれたんだ!もう来るなら言ってよ~。って私たち連絡先交換してなかったっけ!」
「......え?」
真鍋が綾瀬を見て親しげに受け入れたことに軽井沢は驚きの声を挙げた。
真鍋は綾瀬のことを軽井沢に虐められている人間だと思っているため、この状況を見ても自分達の味方をしてくれていると勘違いしている。
だが綾瀬ならこの状況を見過ごさないだろう。それはここまで見てきた綾瀬の性格と軽井沢と仲直りしたがっていた綾瀬ならそうするという確証までは至らないがそんな信頼からくるもの。
真鍋たちはどうなってもいい。救いを求める軽井沢に手を差し出せ。救済に固執しているお前なら動くはずだ。それでオレの目的は果たされる。
「綾瀬さん......助けて......」
「......はぁ?あんた何様なわけ?あんた綾瀬さんも虐めてたんでしょ?そのくせに『助けて』とか頭沸いてんじゃないの?」
「虐めてなんかない......!そうだよね!綾瀬さん!?」
「......」
.......どうしたんだろうか。綾瀬は言葉を発することなく立ち尽くしている。そのことを不気味に思ったのか、真鍋の友達であるリカと呼ばれた人物が不安そうに真鍋へと近寄った。
「ね、ねぇ......この人って本当に味方なの......?」
「そうだよリカ。綾瀬さんはあんたと同じで軽井沢に酷いことされたんだって」
「......この人が、私と同じ......?」
リカはとても信じられないとでも言いたげな表情で綾瀬を見た。そしてその表情にはどこか怯えのようなものも混じっている。
「綾瀬さんもこいつのこと殴る?綾瀬さんが殴ったらヤバイことになるかもよ」
「綾瀬さん嘘だよね......酷いことされてるのあたしなんだよ......?」
「......」
まだ動かない。正直これは予想外だ。綾瀬の性格からしてこんなこと見過ごすはずがないと思っていたんだが......。
まいったな。オレとしては綾瀬が動いてもらわなければ困る。
オレの狙いは軽井沢の寄生先を綾瀬に変えることだった。綾瀬ならその器もあるし、軽井沢とコンタクトを取る上で同じ女子だからやりやすい。オレと軽井沢ではどうしても違和感があるからな。軽井沢が持つ力は綾瀬を介して使えばいい。
そのためには綾瀬がこの虐めを止めて綾瀬が平田に代わり、軽井沢の新たな救世主になる必要がある。だがこの様子では......
「お願い綾瀬さん!助けて!」
「もう綾瀬さんも私たちに混ざろうよ。スカッとするからさ」
二人に板挟みされる綾瀬は冷たい視線で両者を一瞥した後に、ようやく口を開いた。
「────私は何もしない」
「えっ......嘘、でしょ......?」
オレも軽井沢と同じ気持ちだった。まさか静観するとはな。これでいよいよ綾瀬が何を考えてるのか分からなくなってきた。
「綾瀬さんってば慎重だなー。でもよかったよ。これで綾瀬さんが私たちの味方だって分かったからね」
この現場を見逃すということはそういうことになる。
「じゃあ続きを始めようか」
止まりそうにない真鍋に軽井沢が再び怯えた顔を見せたが、ここで意外なことにリカが介入した。
「まって......!もういい!」
「はぁ?どうしちゃったのリカ?」
「あっ......いや、もう満足したからさっ、だからもういい......やっぱりこの人あんまり信用できないから......」
確かにいくら何もしないと言われているからって他クラスの人間にこの現場を見られるのはあまりよろしくないだろう。
「えー......せっかく面白くなってきたのに......」
リカ以外の三人はまだ続けたさそうだったが、しぶしぶリカに続いていくことにする。その際に軽井沢の顔を見た後、馬鹿にしたように笑った。
「じゃあまた話し合いのときに会おうね」
そして取り残される軽井沢と綾瀬。軽井沢は壁に背中をつけながら時折すすり声を漏らしている。
ここから綾瀬はどうするつもりなんだろうか。軽井沢と仲直りしたいんじゃなかったのか?
オレはもうしばらく様子を見ることにした。
涙。それはもう私には流れないもの。
そんなものをもし私が流してしまったら、そのとき私は使い物にならない不良品として扱われていた。それが嫌だったってわけじゃないけど、もう私の心は涙を流すように出来ていない。
だから目の前で涙を流している人を見ると羨ましくなる。この人たちは私が失ったものを持っているんだって。
「軽井沢」
「話しかけないでよ!」
私が軽井沢に手を差し出すと、それを強く払われた。
「そんなにあたしのことが嫌いだったんだ......まさか真鍋たちの味方するとは思ってなかった......!」
「別に真鍋たちの味方なんてしてない。それにあなたのこと嫌いじゃない」
「嘘つかないで!!あいつらのこと見過ごした時点で味方したのと一緒じゃん!」
「そうなんだ。それはごめん。でも味方をしたつもりはないし、あなたのことが嫌いじゃないっていうのは本当。信じて」
「そんなの!信じられない......!だって無人島試験のときに......あたしは......」
「佐倉のこと?それなら私は気にしてないし、佐倉だってもう大丈夫だよ」
佐倉のことを勝手に弱い人だと思っていた。だけど昨日の佐倉を見て、私は考えを改めた。佐倉はもう、弱くない。それなら私と佐倉は普通の友達であれる。
「じゃあなんで!なんでっ......助けてくれなかったの......?」
もし佐倉やみーちゃんなら助けてた。だけどあなたの場合は違うの。
「あなたの価値を────見定めていたから」
「......価値?」
強い人間は生き残り、弱い人間は切り捨てられる。
世界は、そう出来ている。
軽井沢。私はもうあなたをDクラスの中で一番弱い人だと判断した。
人の価値はその人の強さで決まる。つまり、あなたにはもう価値なんてないの。
だから私は────十字架をぶら下げた。
せめてもの、手向けのために。
そして、救済のために。
「軽井沢。あなたは弱い人だったんだね」
「な────!?ちがっ......あたしは......!」
「普段のあなたを見てると気づかなかった。あなたは嘘をついていたんだ。弱いのに、強いフリをしていた。逆だったらすぐに分かったんだけどな」
松下、とか。強い人が弱いフリをしても染み付いた身体の動かし方までは隠せない。
松下は隠してるつもりだけどあれなら結構運動は出来る。勉強のことは知らない。
「あたしはっ......!弱くなんかない......真鍋たちにだって、必ずやり返すんだから......!」
「無理だよ。あなたの力だと絶対に出来ない」
「くっ......!ふざけないでよ!!」
怒った顔になった軽井沢は、立ち上がって私の胸ぐらを両手で掴んだ。
「何なのよあんた!神様にでもなったつもり!?あたしのこと何も知らないくせに偉そうに!!」
「離して」
「離して欲しかったら取り消して!さっきの発言!」
「取り消さない」
「っ......!」
私の胸ぐらを掴む両手に更に力を込められたのが伝わった。そういう気配を感じる。
「あたしはもう弱くなんかない!あんただって、怖くなんか────」
「本当に?」
軽井沢の目を見つめる。潤んだ瞳。怒り、悲しみ。色んなものが混ざってる。
ただ、その奥底にある恐怖の感情を引き摺り出してあげる必要がある。そうして初めて、本当の軽井沢と話が出来る。
「悪いことは言わない。今すぐ離した方がいい。これは警告。もし言うことが聞けないならこの指をへし折る」
「......は?」
右手を軽井沢の手に添えると軽井沢が震えた声を出した。
「この指、何本折る?1本?2本?それとも全部?」
「冗談、でしょ......?」
「一応伝えておくけど、人の指を折ることなんて初めてじゃない。指だけじゃない。腕も、足も折ることが出来る」
もし軽井沢が抵抗するようなら本気で折る。そうでもしないと救済にはならない。
「ひっ......!あ、あんた......!なんて目してんのよ......!分かった!分かったから!離す!!さっきの発言も取り消さなくていい!!だから......もう止めて!!」
軽井沢はその場で尻餅をついた後、急いでこの場から逃げようとする。
「────動かないで」
「あっ......」
たった一言で軽井沢は動きを止めた。全身が固まったみたいになってる。
「...........」
「な......んなのよ......なんで、私のことをそんな目で見るの......?」
軽井沢を見つめ続ける。抵抗の意志を失うまで。
「やめて......見ないで......その目で見ないでぇ!!」
必死に目を逸らそうとしている。
私は軽井沢の顔を両手で掴んで無理矢理こっちを向かせた。
「私を否定しちゃ駄目。私はあなたの目の前にいるのだから」
「ひいいい!!!許して......許してくださいっ......」
軽井沢はもう動けない。
動かせることが出来るのは顔の部分だけ。
目からは涙。口からはカチカチと歯を鳴らす音。
「今、あなたの体温はどうなってる?きっと一気に冷えたんじゃないかな。いくら怒っても、あなたは私に見つめられただけで怖くなって震える。それはね、あなたが弱いならなんだよ」
顔を近づける。触れてしまいそうな距離。この距離だからこそ軽井沢の震えがより鮮明に伝わってくる。
「だけどそれは言い方を変えると、あなたには私の底を覗くことが出来るということでもある。大抵の人間にはそれが出来ない。あなたこそが私の真の理解者になれる人だ」
この学校では私を理解できる人なんてなかなかいない。
あの場所とは違う、強さだけで価値を測る場所ではないから。
だけど、少なくとも軽井沢は私と同じ考えを持ってる。
強いか、弱いか。弱肉強食。その言葉の意味を軽井沢が誰よりもよく分かっている。
「私のことをよく見てくれる鈴音でも、私のことをよく知ってる桔梗でも、少し前まであなたのように弱かった佐倉でも私のことを本当の意味で理解することは出来ない。価値がないあなただから、誰よりも私を理解して震えられるの」
「価値が......ない......?」
「この世界は強い人間だけが生き残って、弱い人間は切り捨てられる。少なくとも私がいた世界はそうだったよ。あなたの世界は違うの?」
「そ......れはっ......」
「違わないよね。だってあなたは必死に強いフリをしていたんだから。私には今まであなたがどういう風に生きていたかなんて知らない。でもこれだけは分かる。あなたには何かに立ち向かえる力なんてありはしない。心が、もう既に折れてる。あなたならどうして私がこんなことが言えるのか、分かるでしょ?」
「......しら、ない。あんたなんてっ、知らないっ......」
「そう。それなら教えてあげる。私にはどう足掻いても勝てないからって怯えて、心が折れる人をいっぱい見てきたからだよ。弱い人は皆そう。心が折れて立ち上がれなくなるの。それはあなたもだよ。さっきもそう、今だってそう」
「......もう、止めてっ......」
「あなたは恐怖に直面したとき、自分に嘘をつくことを忘れちゃうんだ。あなたにとって強さとは、自分を守るために必ずなければいけないものなのにね」
「もう止めて!!!」
頭を抱えて大きな声を出す軽井沢。そして少しの間肩で呼吸した後、また涙を流した。
「......ほんと、綾瀬さんって何者なのよ......同じ高校生とは思えないね......私も色んな人を見てきたけどさ......綾瀬さんみたいな怖さを持った人は初めてだよ......」
軽井沢は腕をダランと下げて頭が項垂れた。
「そうだよ......あたしは昔から弱い人間だった......真鍋たちには違うって言ったけど、さっきみたいに虐められたのだって初めてじゃないんだ......」
それから軽井沢は自分の過去を話し始めた。
虐め。私にはそれがよく分からかった。強い人が集まって弱い人を攻撃する。その行動に何の意味があるんだろう。学校に通っていれば分かっていたことだったのかな。
「どう?これが本当の軽井沢恵だよ?笑えるでしょ。いつもクラスで女王様気取ってる私がこんな情けなくってさ。私だって分かってるんだ。男子にも女子にも嫌われてるって......でも!そうするしかなかった!!もう嫌なの......もう虐められたくない......やだ......怖い......!お願い......お願い!!誰にもっ、この事を言わないで......そして出来ることなら、もうあたしに関わらないで......」
軽井沢が手を地面につけて頭を下げた。そこまでするぐらい私を恐れてる。
「あなたは勘違いしてる」
「え......?」
「安心して。私はあなたの味方だよ」
「みか、た......?」
顔を上げてくれた軽井沢の顔は涙で酷く濡れていた。
あなたはたくさん苦しんできたんだね。
でももう大丈夫だよ。私が役目を果たすから。
軽井沢の心はもうツギハギだらけ。修復不可能になった部分を繋ぎ合わせて出来た不良品。
それを救済するのが私の役目だ。
「私はね、あなたを他の誰よりも救いたいの。それだけは絶対に本当だよ」
「な、なんで......あたしと綾瀬さんなんて全然仲良くないじゃん......そんなこと言われたって、信じられないって......」
「仲の良さなんて関係ない。私はあなたが世界から見捨てられることを見過ごせないの」
「何それ......平田くんみたいなこと言うんだね......」
「全然違う。平田は誰も傷つけない。私とは、違う」
私には誰も傷つけずに誰かを救うことなんて出来ない。
「私はあなたを救うためにはあなたが怖いと思うものを壊してあげる必要があると思ってるの。もちろん真鍋でもいいし、真鍋の友達でもいい。他にも怖いと思うものがあったら私に言って。全部、壊してあげる」
「なに、言ってんの......?壊すって、意味わかんないんだけど......」
「難しく考えないで。そのまんまの意味だから。あなたを傷付ける人の四肢を壊すとか、心を壊して二度とそんな気を起こさないようにするとか、そんな単純なこと」
「っ......!!」
軽井沢は私から距離を取ろうとした。だけど動けない。
「あんた......やっぱり普通じゃない......!!」
「大丈夫。ちゃんと治るように手加減するから。そうして治った四肢と心はより優れたものへと変わるんだよ。壊れたって、後からどうとでもなる」
「そういう問題じゃないでしょ!?なんで人をそんな物みたいに......狂ってる......あんた、狂ってる......!」
「そっか、じゃあそれは止める。でもあなたはどうする?一人で立ち向かう?」
「そ、それは......」
「無理だよね。それが出来ているならあなたはこんなことにはなっていなかった」
「......お願い......もう、止めて、よ......そんなこと言われたら、私は、もう......」
立ち上がれない。きっとそう言いたいんだと思う。
立ち上がる必要なんてない。あなたじゃこの世界は生き残れない。
「......もう少し私がいた世界のことを話してあげる」
この話をするのは、軽井沢と同じ人たちの話をするため。
「私がいた世界はね、一度価値がないと判断された人たちが集まる場所だったの。そこに来た時点で壊れてる人が殆どだった。身体、頭、心。とにかく、色んな所が壊れた人たちが集まる場所」
私の場合は最初から脳と心が壊れていた。
「そんな一度終わった人間たちを更に選別をするの。そしてそこでも価値がないと判断されたとき、その人たちはどこに行けばいいか分からなくなった。修復不可能になるまでに壊されて、殆どの人が自分の足では歩けなくなったんだ。そして最後にこう呟くの。『なんで生きているんだろう』って」
次々といなくなっていく人たち。私はそれを見ていただけ。結局生き残ったのは私だけだった。
「生きている意味が分からないって苦しいでしょ?辛いでしょ?」
軽井沢。あなたは何度足掻こうとした?それが上手くいかなくて何度死のうと思った?
そんなことはもう終らせよう。
この世界は、あなたにとって辛いだけだ。
「あなたを方舟に乗せてあげる。あなたはね、理想郷にいくんだよ」
「方舟......理想......郷......?」
方舟とは、理想郷へ至るための船。
理想郷とは、価値を失った人間が安寧を得るための最後の楽園。
「あたしは......どうなるの.......?」
「そこではね、ずっと眠りについたみたいになるの。苦しいとか、辛いとか、もう何も考えなくていいんだよ」
全てが沈黙した世界。安らかに眠るための世界。
理想郷へ至ると、その人の旅はそこで終わる。何も考えないというのは、人として死んだのと同じことだから。
だから私は十字架をぶら下げる。
もうこれ以上あなたが苦しまなくても済むように、あなたの旅を────私が終わらせるの。
「あなたは充分頑張った。だからもう休んでしまおう」
「休む......?」
「そう。誰もあなたの苦しみなんて理解してくれない世界からさよならするの」
「で、でも......平田くんは分かってくれた......」
「それならどうしてあなたは救われていないの?」
「そんなの......簡単に解決出来ることじゃないから.....」
「でもあなたは救いを求めている。それなのに平田は救ってくれなかった。それは、どうして?」
しばらくの沈黙の後、軽井沢は震えた声で答える。
「......あたしに、価値がないから......?」
「......そう、だね」
「────あ、ははっ......そっかぁ......そうだよね......」
「............」
ああ、見たことのある顔だ。
世界に絶望している顔。
私が、そうさせてしまった。
こうするしかなかった。これ以上の方法が私には思い付かなかった。
「あなたはもう、何もしなくていい」
「じゃああたしは......これから先どうすればいいの......?」
「ずっと、私の傍にいて生きているだけでいい。私といればあなたに苦しい思いなんてさせない」
「......あたしを、救ってくれるの?」
「もちろんだよ。そのために私がいる」
私はそっと軽井沢を抱き締めた。
これは軽井沢を巻き付ける糸みたいなもの。
「もう怯える必要はない」
導き、束縛。そのための糸。
軽井沢は私が管理する。
神さまなんてこの世界にはいない。それでも、人は自分にとって都合のいい神さまを造ってそれに縋る生き物。
それなら私が、軽井沢の神さまになろう。
「さあ、行こう。苦しみのない世界へ。そうして汝は救われるのだ」
これが神さまの御言葉、なんだって。そう教えてもらった。
私はこれから軽井沢の人生を奪うことになる。
それは決して、赦されることじゃない。
だけどこの先、弱い人間である軽井沢が苦しみながら生きるよりはマシだって、そう思ったの。
それが今の軽井沢にとって本当に幸せなのか。
もちろん────そんなわけない。そんなことぐらい分かってる。私だって。
「......あなたは、幸せでなければならない」
頭の中に浮かんでくる『白い部屋』で倒れた人たち。
その人たちは苦しみながらいなくなった。
最初は何も思ってなかった。何かを思うことを許されていなかった。
だけど、今は────。
私の人生は深い海の底にいるような人生だった。
小学校の頃からずっと虐められ続けて、希望なんてずっとなかった。
高校生になると、次は虐められないために頑張って、綺麗になる努力もして、強い女子高生を演じた。しかも平田くんが偽物の彼氏になってくれたおかげで少しばかりの平穏が訪れた。
だけど結局化けの皮は剥がされ、また私は深い海の底に沈んだ。
暗い。息が苦しい。自分がどこにいるか分からない。怖い。
そんな私のもとに、1本の糸が降りてきた。その糸を手に取ると、身体が強く引き寄せられる。
海面に引き上げられた私は小さな舟の上に乗せられた。そして舟には糸を手に持った何かがいる。羽が生えた、天使か神様みたいな存在。
「あなたが......私を助けてくれたの?」
「そうだよ。だって私はあなたの神様だから」
私の、神様......
そっと身体を抱き締められ、羽に包まれる。
ゆらゆら揺れる舟。暖かい羽。
ああ......心地いい......
このまま、眠ってしまいたい。
「眠たいの?」
「うん......」
「いいよ。じゃあ、おいで」
身体が引き寄せられ、力が抜けていく。そのままずるずると私の身体は倒れた。
「それじゃ首を痛めちゃうよ」
私の神様は自分の膝に頭を乗せるよう催促した。もう、立ち上がれない。
「あなたは頑張ったね」
そうだよ。私は頑張った。
「でももういいの」
そっか。もういいんだ。
「苦しみながら生きるなんて辛いよね。何も考えずに生きよう?」
これ以上苦しむなんて嫌だ。疲れた。何も考えないって楽そうでいいな。
「あなたの旅は私が見届けた。さあ、そろそろ終着点だ」
今の私。私が弱くてごめんね。
私は役目を終えて、新しい私になるから許して。
「お休みなさい。あなたの楽園に足を踏み入れるものは全員排除するから安心してね」
怖いものなんて何もない。誰にも負けない私の神様が私を守ってくれるから。
さあ、もう眠ろう。
ああ......これで、ようやく......
「────えっ.....」
瞼を閉じようとしたとき、私の神様の顔が一瞬目に入った。
私の神様は、今にも泣きそうな顔をしていたの。
それが気になってしまって、眠りそうになっていたのに、少しだけ目が覚める。
閉じ掛けた瞼を開けると、そこにいたのは神様なんかじゃなくて綾瀬さんだった。
世界が切り替わる。
同じ船の上なのに、全く違う景色。
綾瀬さんが鮮明に写る。
「......ねぇ綾瀬さん......」
「......何?」
「あなたは......辛くないの......?」
どうしてこんなことを聞いたのか、自分でもよく分かってない。
その泣きそうな顔が、自分と重なったからかもしれない。
もし私が消えたら、この娘はどうなってしまうんだろう。
そんな考えが、私の眠りを妨げた。
オレは完全に見立てを誤った。まさか綾瀬がここまでするとは思っていなかったんだ。
確かに軽井沢は一度壊して治すのが手っ取り早いとは思っていた。しかし、まさかその役目を綾瀬が担うとは......
ただ綾瀬のやり方は歪だ。このままでは軽井沢が使い物にならなくなる可能性がある。
綾瀬が軽井沢にしているものはもはや洗脳と呼ぶに相応しい。
綾瀬の言葉を発するたびに軽井沢の意志が沈んでいく。立ち上がる力を根こそぎ奪われていく様を見せられるとはな......。
軽井沢はもう自分の世界を閉ざそうとしている。それでは軽井沢の良さが全て死ぬ。
軽井沢を今後利用するつもりなら止めるべきだったんだろう。だが、オレはそれよりも綾瀬心音を理解することを優先した。
それはオレの中で綾瀬の危険度が一気に上昇したためだ。浅い理解度で綾瀬心音を扱おうとするとオレですらどうなるか分からなくなった。
結局のところオレはまだ綾瀬心音の水面しか観測出来ていなかったということか。まさに深海のような女だな。深く潜り込むほど深い闇が綾瀬の中にある。
「さあ、行こう。苦しみのない世界へ。そうして汝は救われるのだ」
「............」
目の光を失った軽井沢が引き寄せられるように綾瀬に向かって倒れる。
そしてまるで幻覚でも見てるかのように虚空を見つめながらボソボソと何かを呟いていた。
苦しみのない世界。綾瀬はそれを理想郷と言った。だがこんなものは理想郷などではない。それどころかこれでは......
とにかく、軽井沢はここまでかもしれないな。正直失うには惜しい能力だが、それ以上に収穫はあった。今後優先しなければいけないのはDクラスの底上げではなく────。
「ねぇ綾瀬さん......」
「......何?」
「あなたは......辛くないの......?」
「......!どう、して......」
ある考えがよぎったそのとき、今まで聞き取れなかった軽井沢の声がハッキリと聞こえた。
辛くないかと問われた綾瀬は心底驚いた顔を見せる。
「どうして......眠らないの?」
「......それは......」
「あなたはまだ苦しみたいの?」
「苦しみたくなんか、ないけど......でも......なんか、起きてなきゃって思ったんだ......」
「っ......!駄目!私はもう......あなたみたいに苦しむ人なんて......!」
珍しく声を荒げる綾瀬は頭を抱えながら苦悶の表情を浮かべた。
「あ......がっ......!」
まるで激しい頭痛に苛まれているようだ。
しばらくそうしていたが、やがて落ち着きを取り戻すと、無機質な表情を浮かべた綾瀬がスッと立ち上がり、軽井沢を冷たい視線で見下ろした。
「────これだけはしたくなかったんだけどな」
「綾瀬さん......?」
そして、綾瀬の全身からこの世のものとは思えない音が聞こえてくる。
何なんだこれは......おそらく全身に力を込めたのだろうが、だからってこんな現象はあり得ない。右腕だけに力を込めるのとは訳が違う。本当に人間か......?
とにかくこのままでは不味い。綾瀬が何をしたいのかなんて正確には分からないが、間違いなく軽井沢は無事では済まない。
綾瀬が屈み、軽井沢に手を伸ばしたところでオレは隠れるのを止めた。
「待て、綾瀬」
「............」
オレが制止に入ると、綾瀬はこちらをじっと見つめてくる。生気のない瞳。
いざ対峙してみると、とてつもないプレッシャーを感じる。呼吸をすることすら息苦しい。こんなことは生まれて初めてだ。今の綾瀬は何をしてくるか全く分からない。
最悪ここで綾瀬とやり合うことも頭に入れるべきだと思ったが、意外なことに嫌な音はすぐに消え去り────
「分かった」
綾瀬がそう、答えた。
少し呆気に取られたが、この様子ならこちらに食いかかってくるようなことはなさそうだ。
「軽井沢。大丈夫か?」
「......なんで綾小路くんがいんの」
「たまたまだ」
「そう......」
一応コミュニケーションは取れるようだが、まるで覇気が感じられない。これは果たして無事なんだろうか。
「軽井沢。今日はもう部屋に戻って」
「でも......」
「いいから、早く」
「......」
強い口調で催促された軽井沢は何も言えず、壁に手を掛けながら立ち上がる。ふらふらとした足取りで立ち去る軽井沢に何て声を掛けるべきか分からなかった。
「......よかったのか?」
「何が」
「軽井沢を救済したかったんじゃないか?」
「今はまだ、出来ない」
今はまだ、か。
「だけど軽井沢のことは守ってあげようと思う」
「なぜそこまでして軽井沢に固執する?」
「軽井沢が一番弱いから」
強い人間は生き残り、弱い人間は切り捨てられる。故に綾瀬にとって軽井沢とは価値のない人間。
綾瀬。オレにはお前の考え方がよく分かるよ。
弱者は敗北者となり、不必要な存在となる。それがこの世の摂理。
だがな、軽井沢は決して弱くない。たとえ嘘だったとしても、偽りの仮面だったとしても、Dクラス女王として振る舞い、過去を克服しようとした。それは間違いなく強さだ。
それを伝えたところで綾瀬は理解してくれるだろうか。
「綾小路。真鍋たちがいたのは偶然でいいんだよね」
「ああ」
「そう」
もちろん嘘だが追及はされない。
「いくつか質問させてくれ」
「いいよ」
「軽井沢は今どんな状態なんだ?」
「どこにいくべきか、迷ってる。だから導いてあげないといけない。だけどもし、軽井沢が私を否定するなら私の存在価値はなくなっちゃうね」
「そんなに存在価値っていうのは大事なのか?」
「それが私の生きてきた世界だから。私はそれしか知らないの」
そんな世界は普通に生きてたら決してあり得ない。
しかし、オレも綾瀬と同じ世界で生きてきたからこそ理解は出来る。
今の綾瀬、そして綾瀬の生きてきた世界。オレはそれを踏まえて、とある結論にたどり着いた。
「なぁ綾瀬。オレは自分の過去を詮索されたくないと思っている。そんなオレが他人の過去を詮索しようだなんて勝手な話、そうは思わないか」
「......何が言いたいの?」
「───ホワイトルーム。この単語に聞き覚えはないか」
「...........」
そこはかつてオレがいた場所の名。
綾瀬の話を聞いているとどうしても連想されてしまう。もし綾瀬がそこの関係者なら色々と『辻褄』が合う。
「さあ。知らない」
嘘、なのかは分からない。
表情も心も完全に冷えきった綾瀬から考えていることを読み取ることなんて不可能に近い所業に思えた。
「そうか」
まぁ知らないと言うならこれ以上は触れない。オレとしてもあまり触れたくない話題だからな。
「軽井沢はどうなる?」
「価値のない軽井沢が生きていけるような世界を私が造ってあげようとしてた。だけど中途半端で終わっちゃったからこれから先は私でも分からない」
これは明日の話し合いで軽井沢の状態を確かめる必要がある。上手く協力関係に持ち込めれば試験にも勝てるが、どうなることやら。
「ねぇ綾小路。私からも質問していい?」
「なんだ?」
「私はちゃんと、人になれてる?」
そう問いかける綾瀬はとても血の通った人間には見えない。
「ああ、お前は人間だ」
しかし、オレは一刻も早くいつもの綾瀬に戻ってもらうためにそう答えた。正直今の綾瀬はオレでも手懐けられる自信がない。
「理想郷。それは皆が幸せになる場所、それであってるよね?」
「そうだな。それであってる」
「そう。それなら、いい」
そう言い残して綾瀬はこの場を立ち去った。
綾瀬が去った後、オレは理想郷という言葉の意味を考えていた。
つぐづく綾瀬の価値観は歪んでいるな。あれでは理想郷どころかディストピアだ。
明日、軽井沢の状態次第では今後の方針を変える必要がある。
その方針とは、いかにして綾瀬にDクラスを崩壊させられないようにするか、だ。そのためには綾瀬を排除することも視野に入る。もちろんアレを利用出来るようにすることがベストではあるが。
だがどうしても手が付かなくなってしまうなら退学させるべきだ。
タイトルにあるのはとある実験の名前です。今回は触れませんでしたけど、いつか作中で触れます。
ここで簡単に説明すると、ネズミたちに理想郷とも言える環境を与えて経過を観察する実験です。