豪華客船に用意されている数々の施設の中でも私、伊吹澪が特に通っている施設。それはジムだ。
「ハァ......ハァ......!」
私はこのジムにひたすら通い続けた。それも全てあの綾瀬に勝つために。
気付けばランニングマシンで30分は走り続けていた。結構なスピードで走っていたため、息が苦しくて今にも倒れそうだ。
「......っ!」
足がもつれて転びそうになる。なんとか手すりにしがみついたことで体勢を立て直したが、このまま続けるのは危険だと判断してランニングマシンの運転を止めた。
「......クソッ!」
この程度で疲労困憊になる自分に情けなくなる。
綾瀬は無人島の試験で汗一つかいてなかった。これが汗をかかない体質だから、なんて一言で片付けられれば良かった。でもそうじゃないことはDクラスに潜入して綾瀬を観察していた私が良く分かっている。
私じゃ綾瀬には敵わないもの。それはスタミナ、早さ、力。絶対に負けないと思っていた頭も戦闘のことに関しては綾瀬の方が上だと思う。
今の私と綾瀬ではあまりにも差がありすぎる。
でもそれは今の話。
いつか絶対に倒してやる。そして私を見下した報いは絶対に受けさせる。
そんな思いが私を熱くさせるのを感じながら、私は一度ジムを出ることにした。
さすがに一息つきたい。
私は自室へ向かうために人気のない廊下を歩いていると、最も出会いたくない人物に出会った。
「げ......」
「あ、伊吹だ。こんにちは」
相変わらずボーッとした顔立ちで呑気に挨拶してくる綾瀬。跳ねまくっている寝癖も相まってとても強そうには見えない。
でも私はこいつに完膚なきまでに負けたんだ。それがムカつく。
「あんた正気?一度戦った相手とよく挨拶なんて出来るわね」
「伊吹は私と戦って楽しかったんでしょ?」
「はぁ!?そんなわけないでしょ!ムカついたっての!」
「そう?残念......でも、いい。そう言われたのも初めてだから、嬉しい」
ムカつかれるのが嬉しいとかなんなのよ......
────私と戦うことになった人は大抵怯えてたんだけどな。
ふと綾瀬がこんなことを言っていたのを思い出した。
一体どんな人生を歩んできたらそんなことになるんだ。
「......あんたはどうやってあんな力を身につけたの?」
「え?」
「あんたの蹴り。今まで食らったどんな蹴りも重かった。それに色々聞いたけどあんた握力もとんでもないんだってね。だから知りたいのよ。あんたがどうやって力を身につけたのか」
気になってつい聞いてしまった。だけどなぜこんな細い身体にあれだけの力があるのかは気になる。
「どうやって......んー......いっぱい壊したからかな」
「壊した?」
「うん」
それだけじゃ何を言ってるのかさっぱり分からない。
「......何を壊したんだ?」
「私を」
「......は?」
壊した、なんて単語を自分に向かって言い放つなんて思ってもいなかった。
「壊して、線を千切って、何度も再生させるの。それだけ」
「それって......もしかしてあんた、筋肉痛のことを言ってるの?」
「んー......ごめん。私、その筋肉痛ってよく分かんない」
綾瀬は馬鹿だから良く分かってないだけで、多分綾瀬は筋肉痛のことを言っているんだと思う。
私も細かいメカニズムとかまでは知らないけど、筋肉に負荷をかけ過ぎると炎症を起こして、それを治す過程で筋肉が強くなるとかそんな感じだったと思う。
もしそれが正しいなら......綾瀬は......
「あんた......どれだけ自分を追い込んだの......?」
「さぁ?分かんない。痛みなんてもう感じなくなっちゃったから」
涼しい顔でそう言い切る綾瀬に私は恐怖を覚えた。
私も筋肉痛になったからって劇的に筋肉が強化するだなんてことはそこまで信じていない。
でも、綾瀬の口ぶりからして私の想像を絶するほどに綾瀬は筋肉痛を味わってきて、再生させてきたんだと思う。
そんな地獄、果たして私は耐えられるのだろうか。
「......分かってはいたけど、私とあんたじゃ積み上げてきたものが違いすぎるってわけね」
自分でも鍛えているつもりだったが、そんなものは綾瀬に比べたら全然足りていない。
改めて綾瀬と自分との差を再認識した私の口から出たのはあまりにも情けない弱気の言葉だった。
クソッ......こんなの私らしくもない......。
「あ......えと......お、落ち込まないで伊吹。あ、そうだ。伊吹に力をいっぱい出す方法教えてあげる。だからそれで元気出して?」
「ちっ......別に落ち込んでなんかないわよ。それで、何?力をいっぱい出す方法?」
「うん。伊吹はさ、力をいっぱい出したいとき、どうしてる?」
「どうしてるって言われても......」
あまりそんなことは意識したことがない。
私は綾瀬と戦ったときのことを思い出してみる。
「あのときは......そう。とにかく熱くなった。あんたにムカついて、倒したくてそうなった」
「へー......私と逆だね......」
「逆?」
「私は力を出すとき、身体中を冷ますの」
「冷ますって......どういうこと?」
「機械って熱くなると駄目になっちゃうんだよね。それと一緒」
「人間にそれを求められても困るんだけど......」
壊したとか冷ますとか綾瀬の言い方はなんだか本当に自分を機械だと思っているようだった。
「身体を冷ましたところでどうなるっていうの?」
「そうするとね、深い海みたいに静かな世界へいけるんだ。深く行けば行くほど何も聞こえない、何も考えなくてもいい。私の全ては本能が動してくれる。ただ目の前のものを壊すために。それで、力がいっぱい出せる」
......理解不能だ。
深い海みたいに静かな世界。
そこはきっと、私の知らない境地。
「伊吹。難しく考えないで」
そう言って綾瀬は右手の人差し指を伸ばし、私の左胸へそっと触れるように突きつけた。
「────心の音を消す。それだけ」
「......やっぱ理解不能だね、あんた。だけどこれだけは分かった。私とあんたには決定的に違うところがあるってことがね。それなら教えなさいよ。あんたのその感覚を」
倒したい相手に教わるのっておかしな話だ。敵にこんな教えを乞うような真似は本当はしたくない。屈辱的だ。
だけど、少しでもこいつに近づくためにはそんな屈辱も受け入れなければいけない。
「絶対にあんたは倒す。そのためにはまず死んでもあんたにくらいつくから」
「そっか。伊吹は私に振り落とされないでね」
どこか見下したような発言だ。
......やっぱムカつく。