「おはよう山内!」
「おはよう池!」
まだホームルームが始まるには少し早い教室に池と山内の元気な声が響く。この2人はいつも遅刻寸前に登校していたのに今日に限って早い。珍しいこともあるもんだ。
「いやぁー、今日の授業楽しみだよなー!」
「な!まさかこの時期に水泳があるなんてさ!水泳って言ったら女の子!女の子と言えばスク水!!」
確か水泳の授業は男女混合で行う。つまり女子の水着姿を拝める機会というわけだ。男なら嬉しくなるものである。ただ池と山内がはしゃぎすぎでいて女子の一部はドン引きだ。
「おーい博士ー。ちょっと来てくれよー」
「フフッ、呼んだ?」
博士と呼ばれた太めな生徒がゆっくりと池たちの方へ近づいていく。確か名前は外村とかだった気がする。
「博士、例のヤツはバッチシなんだよなっ」
「任せてくだされ。体調不良で授業を見学する予定ンゴ」
「例のヤツ?何するつもりなんだ?」
「博士にクラスの女子のおっぱいランキングを作ってもらうんだよ。あわよくば水着の写真とかも」
「おいおい......」
その場にいた須藤もさすがに少し引いている。だが内容はともかく友達らしい会話にうらやましさを覚える。いいなぁ、オレもそんな馬鹿話がしてみたい。
「そんなに未練がましく見てるぐらいなら話しかけにいったら?」
「......お前も来てたのか、堀北」
「数分前にね。綾瀬さんはまだ来てないのね」
綾瀬はいつも遅刻ギリギリまで来ない。少しでも長く眠っていたいんだろう。もう綾瀬の睡眠は趣味と言っていいレベルだ。
人付き合いを嫌う堀北にしては珍しくそんな綾瀬を気にかけている。まあ多分だらしない姿を見たくないとかそんな理由だろうけど。綾瀬も堀北といてよく疲れないな。
「おーい綾小路」
池がオレの名前を呼びながら笑顔で手招きしている。嬉しさのあまり、にやけそうになるのを隠しつつ池に近づく。
「な、なんだよ」
「実は今俺たち、女子の胸の大きさでポイント賭けようって話してたんだけど」
「オッズ表もあるやで」
最低だ......女子が知ったら偉いことになるぞ。
しかし、オレにとっては友達作りのチャンス。逃すわけにはいかない。
「えーと、じゃあ参加しようかな」
「おー!やろうぜやろうぜ!」
博士が取り出したタブレットにはエクセルで女子全員をリスト化したものが開かれている。しかもオッズ付き。
今のところ一番の巨乳候補は『長谷部』という名前の女子。オッズは1.8倍。オレには殆ど聞き覚えが無いためどれくらいなのかはさっぱりわからない。
「で、どうする?一口1000ポイントだ」
「なるほどな......」
正直この手の賭け事に興味はないが、話を聞きつけてわらわら集まってきた男子を見てるとやらないとは言えなかった。でもなんかこうしていると輪の一員みたいでいい。
ただ我々男性諸君は露骨に女子の胸の大きさで盛り上がっていたため、女子の一部からは汚物を見るような目を向けられていた。
おっと、そういえば綾瀬と堀北の名前を確認することを忘れていたな。もちろん二人が上位に食い込むことなどないので名前があるとしたら下の方だ。
まずは堀北か。堀北は最下層グループにいる。当たれば30倍以上だ。まぁこんなものだろう。オレには最初から分かっていたさ。
それで綾瀬は......あ、綾瀬......
綾瀬は最下層どころじゃない。最下位よりも一つ上のところにいた。しかも票数は申し訳程度の1票のみ。オッズもすごいことになってるぞ。
それでも一応最下位じゃないのは綾瀬が決して小柄ではないこと、そして多少なりの夢や希望の分も上乗せされているのだろう。
綾瀬、お前を信じてくれてる人もいるぞ。だがすまない。オレは適当に上位に賭ける。
「......おはよう。綾小路。何してるの?」
「「「うわぁ!?」」」
遅めの登校をしてきた綾瀬がこの集団に飛び込んできた。
突然現れた綾瀬に男子たちは蜘蛛の子散らすようにバタバタと逃げる。
「い、いやちょっと男同士の会話をな......」
「......?なんでそんなに焦ってるの?他の人たちも......」
「えっと......」
純粋無垢な疑問がオレの良心をチクチク痛め付ける。誰か助けてくれ。オレたち仲間じゃないか。
「綾瀬殿!!!」
「......殿?」
突如、博士が声を張り上げて綾瀬の名を呼んだ。この2人には接点などなかったはずだが......
「え、どうした博士......」
様子のおかしい博士に周りは困惑するが、そんなことには構わずに博士はピシッと綾瀬に向かって頭を下げた。
「綾瀬殿にお願いがあります!」
「お願い?」
「一度だけでいいのでお兄ちゃんと呼んでください!」
......なんともまあ欲望丸出しの願いだ。綾瀬は良く分かっていない様子だが首をかしげつつも口を開く。
「......お兄ちゃん?」
「────っ......!!」
己の願いを叶えた博士は感極まって静かに涙を流した。そんな博士を周りは『良かったな』と讃えはじめる。
そのあと池たちから話を聞いたが、どうやら博士の好みに綾瀬はどストライクだったらしく、自分の好きなアニメに出てくる妹キャラにそっくりなんだとか。もしかして綾瀬に一票を入れたのは博士だったりするのかもしれない。
「うひょー!やっぱこの学校はすげぇな!プールもめちゃくちゃ立派だぜ!」
いよいよ水泳の時間となり、水着に着替えた男子たちは足早にプールへと到着していた。
「女子は!?女子はまだか!?」
「着替えに時間がかかるからまだだろ」
昂る池を落ち着かせていると山内がオレに肩を組みながら近づいてくる。
「なんだよ綾小路ー。クールぶってるけどお前だって楽しみで仕方ないんだろー?」
「まあ、少しは......」
「ほらなー!」
やはり気にならないと言えば嘘になる。一番の巨乳と言われている長谷部はもちろん、櫛田や綾瀬、あと一応堀北の水着姿を一度ぐらいは拝んでおきたい。
池たちとどの子が可愛いとか、あの子の胸はでかいぞとかそんな下衆な話ばかりをしていたらいつの間にか5分が経過していた。まだ女子は来ない。
「それにしても女子おせぇな」
「きっと向こうでは楽園が待ってるんだろうなぁ......なあ、もし俺が血迷って女子更衣室に飛び込んだらどうなるかな?」
「女子に袋叩きにされた上に退学になって書類送検されるだろうな」
「リアルな突っ込みやめてくれよ!?」
池は想像して怖くなったのかぶるぶると身体を震わせた。
「わあ~!凄い広さ!中学の時のプールよりも全然大きい!」
男子グループから遅れること数分、女子の声が耳に届いた。
「き、来たぞっ!?......あれ?なんか女子少なくね!?」
「長谷部もいないぞ!どういうことだ!?博士っ!」
山内が慌てた様子で見学用の建物の2階にいる博士へと視線を向ける。
「あ......!博士!後ろだ!!」
「ンゴゴゴ!?」
池が指を指すと、そこには多くの女子が見学組として2階に姿を現したのを確認できた。
「そんな......バカなっ!?巨乳が......巨乳が見れると思ったのにぃっ!」
心中お察しするが、大声で叫ぶものだからその悲痛な叫びは見学席の女子にまで届いている。そこまでいくともう口も聞いてもらえないぞ。
「池、悲しんでる場合じゃないぜ。俺たちにはまだたくさんの女子が居るっ!」
「山内......そうだな、確かにそうだ!ここで落ち込んでる場合じゃないよな!」
「「友よ!」」
山内と池が男同士の友情を確かめ合い、互いに手を取り合う。
「2人とも、なにやってるの?楽しそうだねっ」
「く、くく、櫛田ちゃん!?」
2人の間に割って入るように、櫛田が顔を覗かせた。
櫛田の水着姿はなかなかに刺激的だった。浮き彫りになった妖艶な身体のライン、そして思っていたよりも遥かに大きい胸。
オレ含め男子の殆どが直視することなどできずに目を逸らす。
「綾小路。何してるの?」
「己との戦いに没頭してたんだ」
「どうせ下らないことよ」
綾瀬と堀北もやって来た。2人の水着姿。何て言うか、うん。健康的だね。決して悪くはないぞ。
当たり前ではあるが、綾瀬はいつも着けているどんな形をしたか分からないネックレスをさすがに着けていなかった。
「随分遅かったな。何かあったのか?」
「別に。あなたには関係ないじゃない。一々聞いてこないで、変態」
「なんかトゲがある言い方だな。いつもより攻撃的だぞ。少し気になっただけなのに何をそんなにムキになってんだよ。なぁ綾瀬?」
「んー......」
おや、何かあったかと聞いたら珍しく綾瀬も顔が暗くなった。
これは確実に何かあったな。
2人の間で喧嘩......いや、どうもそんな感じじゃない。
うーむ、しかしそれなら一体どうして2人は不機嫌なんだ?
女子更衣室で2人が不機嫌になること......
「あ、そうか。更衣室に女子が集まってみんな裸になれば必ず胸の話になる。それで胸の無いお前らは落ち込んでたってこと......ゴフッ!」
堀北のチョップが脇腹へと襲ってきた。前回とは違って服で多少の防御もできずに直接だから割と痛い。
でもこれが綾瀬だったら......正直堀北のチョップは全力ではないのが分かるから綾瀬ほど痛くはない。綾瀬は加減を知らないから堀北よりよっぽど危険だ。
「そんな下らない話じゃないわ。あなた、いい加減その低俗な思考回路をどうにかした方がいいわよ。本当に品位の欠片もない男ね」
「綾小路。品がない」
「うっ......!とうとう綾瀬までオレを......」
これは結構ショックだ。
堀北から罵倒されるのはいつもの事だから慣れたけど、綾瀬に罵倒されると自分はいよいよ駄目なんだと痛感させられる。
オレが軽く落ち込んでいると、堀北はため息を吐きながらオレの身体をジッと見た。
「......あなた、何か運動してた?」
「......えっ、別に。中学は帰宅部だったぞ」
「それにしては前腕の発達とか、背中の筋肉とか普通じゃないけど......それに......」
堀北は自分の手を見つめる。直接肌で感じた感覚を確かめているのだろう。
「よーしお前ら集合しろー」
いかにもといった感じのマッチョ体型の体育教師が集合をかけ会話は中断される。
「見学者は16人か。随分と多いが、まあいいだろう」
どう見てもサボりの生徒が混じっているが咎めるようなことはなかった。
「早速だがお前たちの実力を見たい。準備体操をしたら泳いでもらうぞ」
「あの、俺あんまり泳げないんですけど......」
「俺が担当するからには、必ず夏までに泳げるようにしてやる。安心しろ」
それを聞いて、泳げないことを申し出た男子生徒は怪訝そうな顔をした。
「別に無理して泳げるようにならなくていいですよ。どうせ海なんていかないし」
「それはいかん。今は泳げなくてもいいが、克服はさせる。泳げるようになっておけば、必ず後で役に立つ。必ず、な」
泳げるようになっておけば、必ず役に立つ?そりゃ、何かと便利にはなるだろうけど。
最初は体育教師らしく暑苦しい指導方針なのかと思っていたが、何か違和感があるような気がしてならない。
ま、オレに体育教師の何が分かるんだって話か。単純にカナヅチを治してやりたいって思いもあるだろう。
全員で準備体操を始める。それから50mほど流して泳ぐように指示される。
去年の夏以来のプール。温度は適切に調整されており、すぐ身体に馴染む。
50mを泳ぎ、プールサイドに上がろうとすると、そこに立つ綾瀬の姿が見えた。水に浸かった様子はない。
「どうした?入らないのか?」
「......海みたい、って思ってた」
綾瀬はどこか遠くを眺めるようにプールを見る。一面に水が広がっているから海みたいと言えなくはないが、海にしてはだいぶ狭い。
続々と上がる生徒たちも増えてきて、もう半分近くはプールサイドへと上がっていた。そんな中、堀北がこちらに近づいてくる
「綾瀬さん。あなた何しているの?早く泳いでおきなさい。注意されるわよ。ほら」
真面目な堀北は授業が進まないのを嫌ってか、綾瀬にプールに入ることを促し手を差しのべた。綾瀬もその手を取る。
「────え?」
綾瀬の手を取った堀北がなぜか驚きの顔で綾瀬を見上げた。綾瀬はまだプールサイドに立ったままである。
「あ......ごめんね」
それから程なくして綾瀬は堀北に軽く引っ張られる形でプールへと入る。そして綾瀬は泳ぐ、というよりはプカプカ浮かんでプールの感覚を確かめていた。
「なあ、さっきは何やってたんだ?」
「......なんでもないわ」
堀北はそのままプールサイドに上がってしまった。なんだかよく分からないまま堀北に続く。
やがて綾瀬も上がってきて、全員が50mを泳ぎ終えたところを体育教師が確認する。
「とりあえずほとんどの者が泳げるようだな。では早速だが競争をしてもらう。男女別50m自由形だ」
「き、競争!?マジっすか......」
「1位になった生徒には特別ボーナスをやろう。5000ポイントだ。どうだ?少しはやる気出てきただろう?」
「おぉ!ボーナスとかあるのかよ!」
運動に自信のある生徒たちから歓声があがる。
「一番遅かったやつには補修を受けさせるからな」
「えー!」
逆に運動に自信のない生徒からは悲鳴があがった。
「女子は人数少ないから5人を2組に分け、1番タイムの早かった生徒を優勝にする。男子はタイムの早かった上位5人で決勝をやるぞ」
景品でポイントが出るなんてこともあるのか。おかげで一部の生徒もやる気が出たみたいだから効果はてきめんだ。
競争に参加するのは男子が16人、女子が10人。まずは女子からのスタートだ。
「ああ......櫛田ちゃんめっちゃ可愛い......胸もやっぱ結構でかいし......」
「綾瀬ちゃんも可愛いよなぁ......胸はないけど」
プールサイドで女子を品定めする男子たちの間でぶっちぎりの人気を集めたのは櫛田。次点で綾瀬といったところ。
綾瀬はコミュニケーション自体はあまりとれないが、決して突き放したりはしない。それに美人なことはもちろん不思議ちゃん的な要素が可愛いと評判で、それなりに人気はある。
「お、いきなり綾瀬の番だ」
綾瀬がスタートラインに立つと歓声があがる。2階の見学席からも博士の声が聞こえた。
「皆!目に焼き付けろよ!今日のおかずを確保するんだ!」
「「おう!」」
男子の絆が結束されていく。これが水着の力なのか。そんな男子たちを見て平田は少しだけ困ったような顔を見せたが、すぐに笑顔に切り替わった。
第一レースの走者たちが並ぶ。綾瀬は3コース。
綾瀬と一緒の走者たちは緊張していたり不安げな表情の生徒ばかりだ。自分の運動神経に自信がないのだろう。
対して綾瀬は一切動じる様子がなく、周りの注目なんてどこ吹く風。何度かこの光景を見てきたけど流石と言わざるをえない。
いよいよ笛が鳴り、第一レースの走者たちが一斉に飛び込んだ......はずだったが綾瀬がスタート地点に立ったままボーッと突っ立っている。その間、他の走者は不慣れな泳ぎで必死にゴールを目指していた。
「おい綾瀬?どうした?」
「これ、何するの?」
「な、何だとぉ?」
さすが常識が通じない女、綾瀬心音である。
「まさかやったことないのか?えぇとだなぁ......笛が鳴ったのと同時にここから飛び込んで、泳ぎながら向こう側を目指すんだ。ふむ......すまない、これは俺の説明不足だったか。仕方ない綾瀬は次の番にでも......」
「さっき笛が鳴ったから......もう泳がなきゃ駄目なんだね」
「お、おい!綾瀬────」
おそらく体育教師は綾瀬は次の番に飛ばそうかと考えていたところだったろう。
しかし、綾瀬が勢いよく水中に飛び込んだ。
今さら飛び込んだところで手遅れ。そう思われたが────
「うお!めっちゃ早いぞ!!」
綾瀬の泳ぎは意外も意外、物凄くアグレッシブで、強烈に波を掻き立てながら高速で突き進む。普段のボーッとした綾瀬からはまったく想像できない動き。水を得た魚という言葉がそっくりそのまま当てはまる。
「マジかよ!こっから巻き返すんじゃねぇの!?」
「うおー!綾瀬殿ー!!」
最初は水着にしか興味がなかった男子たちも綾瀬の泳ぎに熱狂的な盛り上がりを見せる。
タイムのロスはおよそ15秒ほど、だが他のコースにいた走者たちを次々と抜いていき、綾瀬はギリギリで1位をもぎとった。まさかのどんでん返しに男女ともに興奮を隠せなかった。
息を乱すこともなくゆっくりとプールサイドへあがる綾瀬のもとに体育教師が駆け寄る。
「綾瀬!水泳部に入らないか!?お前なら全国にも行けるぞ!!」
「え......疲れそうだからいい......」
やや興奮気味の体育教師の誘いもあっさり躱す綾瀬。教師があそこまで本気で勧誘するなら教師の目からみても相当早かったのだろう。
タイムとしては37秒66。
だがそれも最初のロスがあってなおそのタイムなのだから早すぎるぐらいだ。
もしあれが無ければ一体何秒となっていたか。しかも息ひとつ乱れていないとなれば本気だったのかどうかも分からない。
興奮も冷めやらぬまま次は第二レース。注目の選手はまず櫛田。次に堀北。最後に水泳部の小野寺という女子だ。
本来なら一番の本命は小野寺なのだが櫛田、堀北となればそうはいかない。
櫛田は池を筆頭に数多くの男子が目が離せず、悶えるものもいる。堀北も黙っていれば美人なので、人付合いを嫌う点さえなければ人気もあっただろう。
そしてスタートする第二レース。試合は堀北と小野寺の一騎討ちといった展開を見せた。しかし、現役の水泳部を相手にするのはさすがに厳しかったのか、堀北は数秒の差で負けてしまった。だが堀北はそんなこと意にも介さずに涼しい顔でプールサイドにあがってくる。
堀北のタイムは28秒ほど。小野寺は26秒台。櫛田は31秒台と3人ともなかなかの好タイムだ。だからこそ浮き彫りになる綾瀬の異常さ。
オレは綾瀬と堀北に声を掛けにいった。
「惜しかったな堀北」
「別に。勝ち負けは気にしてないから。それもより綾瀬さん。あなた運動できるのね」
「確かに。水泳得意だったのか?」
「んー......」
あ、しまった。言った後に気づいたがこの手の質問は綾瀬には駄目だったか。
きっと返ってくる答えは『わかんない』。またいつものやり取りをするのかと思っていた。
だが、意外にも予想外の答えが返ってくる。
「泳ぐのは得意。多分、一番。自分が船になったみたいだから」
「船......?」
今まで綾瀬が自分から得意と言ったものはなかったからオレは衝撃を受けていた。
さっきもプールを海みたいと言っていたから海、もしくは船が好きなんだろうか。
でも船になったみたいだから泳ぐのが得意ってなかなか変わってるな。
とにかくオレは綾瀬の謎が1つ解けたみたいですっきりしていた。
しかし、綾瀬が続けて放った言葉が更なる謎を生み出す。
「────私が私であるために、必要なこと」
「......?」
さすがに理解不能だった。
なぜ唐突にそんなことを言い出したのかが分からない。船......になることが必要?
駄目だ。さっぱり分からない。まるで何かの暗号みたいだ。少しは綾瀬のことを理解できたと思っていたオレだったが、それは綾瀬心音という名の迷宮の入り口だったようだ。
「やっぱり変わってるわね、あなた。でも今回は見直したわ。水泳だったら高校生のレベルを越えていると思う」
「へぇ。お前が素直に賞賛を送るとはな」
「私だって認めるときは認めるわ。他に得意な競技はないの?」
「んー......分かんない......」
これを謙遜に受け取ることも出来なくはないが綾瀬の場合は本当に分からないんだろうな。
綾瀬にはどうにも自覚というものが欠けている。客観的な視点で自分を見ることが出来ないのだ。
綾瀬はいわゆる天才形と呼ばれる人種なのかもしれない。会話や日常生活にはどこか難があるけどその代わりに能力に特化しているというやつだ。
まだ見たのは水泳だけだから他の競技になるとどうなるか分からないが、かなり期待できそうだ。
もしこれで勉強まで出来たら本物の天才だろうが果たして......
次は男子のレースが始まる。オレは綾瀬に期待を抱きつつ、スタート地点へと向かった。
「かぁ~、水泳疲れたなぁ」
「でも最高だったよな!女子の水着!」
「な!」
プールも終わり、今は昼休み。昼飯を終えたオレは、池たちと一緒に自販機傍の廊下に座り込んで雑談していた。
ちなみに男子は高円寺がぶっちぎりの一位という結果を見せた。タイムは23秒22。はっきり言って化け物である。だが綾瀬もタイムロスがなければそれぐらいだったんじゃないかと考えると綾瀬も化け物だ。
「ところでさ、綾小路。正直に言えば許してやるぞ?」
「何だよ正直にって」
「お前、綾瀬ちゃんか堀北のどっちかと付き合ってたりしてないよな?」
「はあ?」
何を馬鹿な、と言いかけたところで山内と須藤も怪しむ目でこちらを見ていることに気づいた。
「2人はただ席が隣ってだけだ。いや、マジで」
「でも水泳のときとかも親しげに話してたの見たぞ!」
「全然そんなんじゃない。大体2人はそんなタイプじゃないだろ」
「綾瀬ちゃんはともかく堀北のことは知らないし。顔は可愛いから注目はしてるけど絡みない」
「綾瀬と話したことはあるのか?」
「いや?でも綾瀬ちゃんはほんわかしてるからずっと見てられるんだよ。堀北はなんか怖いから無理」
「性格キツそうだから俺はダメだな。ああいう女」
「だよなー。トゲトゲしてるっつうかさ。俺は付き合うなら櫛田ちゃんみたいな明るくて優しい子がいいなぁ」
池のお気に入りは櫛田か。
「あ、でも綾瀬ちゃんみたいな守ってあげたくなる子も良くね?」
「そうだな!綾瀬ちゃんって天然なんだけど見ててどこか危なっかしいから付き合って近くで見守ってあげたいんだよなぁ。あとお菓子とかもあげたくなるし」
「櫛田と綾瀬どっちなんだよ」
「なんだよ綾小路!お前は堀北いるからいいだろー」
「だから違うって......」
堀北と付き合うなんて冗談じゃない。『オレたち付き合わない?』なんて言った暁には絶対にぶん殴られる自信がある。
「そういや平田のやつ、もう彼女が出来たんだって?軽井沢だっけ」
山内がそんなことを言い出した。
軽井沢といえばギャル系の女子だ。
「あーいいなぁー俺も付き合いてぇー」
「だなー、うらやましい.....」
彼女が欲しくて仕方がない2人は廊下に寝そべりながら平田を羨んだ。
オレは飲み物でも買おうかと思い自販機へ向かうと山内から要求が飛んでくる。
「俺ココアー」
「飲み物ぐらい自分で買ってくれ。まだポイントも余ってるだろ?」
「いや、俺もうポイント殆ど残ってないんだよな。あと2000ちょい」
「......お前、もうそんなに使ったのか?」
「欲しいもの買ってたらついな。ほら、これ見ろよ!すげえだろ!」
そう言って山内が取り出したのは携帯ゲーム機だった。
「それ幾らするんだ?」
「25000ぐらいかな。池と一緒に買いにいったんだぜ」
「お前も買って参加しようぜー。須藤も来月ポイント入ったら買うって話になってんだ」
池も山内と同じように携帯ゲーム機を取り出す。一体どんなものかと気になってチラッと画面を見る。
「なんだこりゃ......なんでこんな華奢そうな女の子が重装備で剣を振り回してるんだ?」
「お前もしかしてハンター・ウォッチ知らねぇの?超有名ゲームだぜ?変わってんなー。ほら、貸してやるからやってみ?」
モノは試しということで山内がオレにゲーム機を貸してくる。
「あれ、綾瀬ちゃんだ」
いざ触ってみようとしたところで廊下をとことこ歩く綾瀬の姿が確認できた。ポケットがやや膨らんでいることからコンビニで買い物していたのが分かる。ちなみにパンパンに詰め込むのは堀北から止めなさいと注意されて控えるようになった。
「はぁ......いつ見てもめちゃくちゃ美人だよなぁ......綾小路は本当に綾瀬ちゃんと付き合ってたりしてないんだよな!?」
「だからないって。断じて」
というか綾瀬は恋愛なんてもの一切興味なさそうなんだよな。頭の中が基本的にお菓子か寝ることしか考えてなさそうではある。
「せっかくだから声掛けよーぜ!おーい綾瀬ちゃーん!」
「お、おい池!お前すごいな!」
「大丈夫だって」
池はたまに思いきった行動をするときがある。話したことのない女の子に声をかけるなんて普通はあまりできない。何も考えてないと言えばそれまでだけど、池の行動力はたまに羨ましいとさえ感じる。
「お、きたきた」
「......呼んだ?」
「ごめんね急に呼んだりして。いやー、俺たち綾瀬ちゃんと仲良くなりたくてさ。俺の事とか覚えてる?」
「池」
「うおっ!!綾瀬ちゃんに名前覚えて貰ってた!!超うれしい......!」
「ちょ、綾瀬ちゃん!俺は!?俺は!?」
池に負けずと山内も身を乗り出してくる。
「山内」
「よっしゃー!」
「やったじゃねーか山内!」
「池!お前もな!」
「......なんか、楽しそうだね?」
女の子に名前を覚えてもらうのがよっぽど嬉しかったのか抱き合いながら喜びを表現する二人。オレも櫛田に名前を覚えてもらっていたときは同じような気持ちだったから分からないでもないけど、本人の前でここまでオーバーにやるのはいかがなものか。普通の女子だったらドン引きされてる。
というか綾瀬は偉いな。オレは異性のクラスメイトなんて綾瀬か堀北、櫛田ぐらいしか顔と名前が一致しないのに池や山内の顔をしっかり覚えているなんて。
「よっ、綾瀬じゃねーか。水泳凄かったな。やっぱお前バスケもいけるぜ」
「んー......バスケ、堀北にどんなのか少し教えてもらった。難しそう......」
「そうかぁ?やってみたら結構簡単だぜ?」
「え!?綾瀬ちゃんなんで須藤と親しげに喋ってんの......?」
「須藤とは一緒にご飯を食べた仲だから」
「 「なにぃ!?」」
「変な言い方すんなよ。たまたまコンビニで会って一緒に買い食いしただけだっつうの。そのときは綾小路もいたぜ」
思っていたようなことじゃなくてホッと肩を撫で下ろす二人。
「でもこいつ意外とノリいいぜ。話してみると案外気が合うっつーか」
「まじ?じゃあもしかしてゲームとかもやんの?」
「ゲーム?やったことない」
「へぇー、まぁ女の子だから普通か」
「せっかくだからやってみよーぜ!俺の貸してあげるからさ!」
「あ、ずりぃ!俺も綾瀬ちゃんに貸したいのに!」
池が自分のゲーム機を綾瀬に渡す。手に取った綾瀬はどういうものかまるで分かっておらず、裏返したりペタペタ触ったりしている。
「ほー......なにこれ......すごい......」
そして食い込む様に液晶画面を見ながら物珍しそうに声を上げた。瞳もキラキラしている。その様子はタイムスリップしてきて発達した文化を垣間見た人みたいだ。
「ここを動かすとキャラクターが動くんだ。そしてボタンを押すと攻撃とか回避とかできるぜ!」
「ふんふん......」
たどたどしい様子で色んなボタンを押したりスティックをガチャガチャ動かす綾瀬。
オレも綾瀬の画面の方に視線をやる。
操作がめちゃくちゃなせいでゲーム内のキャラクターの動きが乱れまくっているが、それでも綾瀬は楽しそうに動かしていた。あまり感情が分からない綾瀬が鼻息を荒くして夢中になってるものだからなんだかほっこりしてしまう。
しかし、しばらくするとキャラクターの動きがピタッと止まった。綾瀬のスティックやボタンを動かす手とキャラクターの動きが一致していない。
「動かなくなった」
「へ?あれ、なんでだ?さっきまでは普通に動いてたのに」
「ちょっと貸せよ。俺が見てやるから」
「山内わかんのか?」
「まぁ任せろって。昔はゲームを改造したりとかして周りを驚かせてたんだぜ」
あまりやっていい事ではなさそうな冗談を言う山内は池のゲーム機を触って調子を確かめる。
「なんだこれ......スティックの感覚がなんか変だぞ?ボタンもフニフニしてるっつうーか」
「それ単純にやりすぎたんじゃねぇーの?俺も力みすぎてよくコントローラーをぶっ壊してたぜ」
武勇伝でも語るみたいに須藤が割り込んでくる。
まだ分からないが、システムの不具合ではない以上それしか原因はないようだ。
「おいおい池〜、どんだけやり込んでんだよ〜」
「えー、俺そんなにやってたかなぁ......なんかごめんね綾瀬ちゃん!せっかく遊ばせてあげようと思ってたのにさ」
「私の方がごめん。池の大事なもの、壊しちゃった」
「え!?綾瀬さんは全然悪くないって!!」
「そうそう!悪いのはこいつだって!」
綾瀬の発言に焦る二人。自分たちのせいで女の子に責任を負わせる形になるのが嫌なんだろう。
「ううん、私のせい。それ、
「ちょ!何言ってんの綾瀬さん!」
「そうそう。別にこんなの
「駄目。壊したら
表情こそ変わらないが綾瀬の圧力が池をたじろかせた。有無を言わせない威圧感。綾瀬にはそんな不思議な力がある。
「うぅん......でも女の子に払わせるのはなぁ......」
池の気持ちもよく分かる。今回はたまたま綾瀬が触ったときに壊れたというだけだから綾瀬に修理代を払わせるのはすっきりしない。
しかし綾瀬がなかなか引き下がらない。このままでは池の立場がなくなってしまう。
「じゃあ払ってもらうんじゃなくて借りるってことにすればいいんじゃないか?今は返せなくても来月にポイントが入った時にでも返せばいい。綾瀬もそれでいいか?」
「......わかった」
「女の子に金借りるってなんかダサいな俺......ごめんな綾瀬さん!すぐに返すから!」
「別に、いつでもいい」
とりあえず話が纏まってよかった。
綾瀬もてっきりその場の雰囲気に流されるばかりで自己主張なんてものはしないイメージだと思い込んでいたが、意外に頑固なところもあるんだな。
とりあえずゲームは一旦中断となり、オレも山内にゲーム機を返した。
「それにしても喉乾いたなぁ。綾小路早くココア奢ってくれよ〜」
「さっきポイントを貸す貸さないのやりとりしたばっかなのに......」
「少しぐらいいいだろ?頼むよ〜」
「ったく......」
これ以上ごねられるのも面倒なのでさっさと買ってやることにした。
山内のココアを探していると、ふと気づく。
「ここにもあるんだな」
ミネラルウォーターのところだけは無料で押せるボタンがあった。
「どうした?」
「あ、いや結構無料のものってあるよな」
「ああ、食堂にもある山菜定食ってやつだろ?」
「山菜定食、食べてる人。結構いるって。櫛田が言ってた」
友達とよく食堂に行く櫛田が言うなら間違いない。
「好きなんじゃねーの?それか、月末近いからとか」
「そうだといいんだけどな」
オレは一抹の不安を覚えながらも山内のコーヒーを購入した。
「あー、早く来月になってまた欲しいもの買いてー」
山内たちは笑い続けながら叫んだ。
女子更衣室で何があったかは1章が終わった後におまけとして出します