ちなみにタイトルのリミナリティとは通過儀礼の中間段階と定義されていますが、何かに変化する前と変化する後の間にある境界線に立っているような状態、っていうのが僕なりの解釈です。
団体競技も一旦終了し、次は障害物競争。再び個人競技だ。
オレたちDクラスの個人競技の成績はあまり芳しくない。ここで取り返したいところだ。
「よーしお前ら、ふがいない成績残したら全員しばき倒すからな」
「うげ。なんでしばかれなきゃいけないんだよ~」
「俺はリーダーだからな。下々の連中の尻を叩かなきゃなんねーんだよ」
そんなリーダー誰も求めていないと思うが須藤には強く反発出来ない。
「うわー......なんか嫌だねああいうの」
「須藤くんちょっと調子乗りすぎじゃない......?」
ひそひそと須藤に聞こえないように陰口を叩く女子たち。
その女子たちの一人、佐藤が少しおどおどしながら女子のリーダーである綾瀬に近寄った。
「綾瀬さん......私たちは大丈夫だよね......?」
「ん?何が?」
「ほら、あんまり良い成績が取れなかったら男子みたいに怒られるとか......」
「どうして怒るの?苦手なことが出来ないのは仕方ないから。私だって勉強は全然駄目だし。佐藤、頑張ってね」
「~っ!綾瀬さんマジ天使!」
感極まった様子で佐藤が綾瀬に抱きついた。
「女子はいいよなぁ、気兼ねなく楽しめてさ......いっそのこと綾瀬ちゃんが男子も女子も纏めてリーダーやれば最高だったと思わね?」
そう思ってしまうのも無理はない。
ブラックなこちらとは違ってあちらはだいぶホワイトだ。
「ぜぇ、ぜぇ......くっそー!速いやつ多すぎて6位だった!け、健はまだ競技前だよな!?」
膝から崩れ落ちながら息を荒げる池。須藤が戻ってくるのが恐ろしいのだろう。
「お疲れ池。息、整えた方がいいよ」
出番までまだ少し余裕のある綾瀬が池に近寄って声をかけた。
「綾瀬ちゃん......!こんな俺にも優しい言葉をかけてくれるなんて......!あぁ......君は天使だ......!」
「え......どうしちゃったの......?」
恍惚とした顔で自分を見上げる池に綾瀬が困惑していた。
「うぅ......!聞いてくれよ綾瀬ちゃん!須藤のやつが酷くてさぁ!」
「もうついてけねーよ!綾瀬ちゃんからも何か言ってやってくれ!」
池に続いて須藤に不満を持つ生徒たちがわらわらと綾瀬の周りに集まった。
「えーと......」
「皆落ち着いて!心音ちゃんも困ってるよ」
男子と女子は別れる機会が多かったから綾瀬も状況を把握しきれていないだろう。
棒倒しでは龍園に煽られた挙げ句、周りからよく見えないところで背中を踏まれた。
綱引きでは勝ちはしたものの最後はCクラスが一斉に綱から手を放したために倒れこむ形で終わった。おかげで須藤のイライラが溜まっている。
「須藤くんも頑張ってくれているんだけど、このままなら危ういね......」
「それも龍園の狙いだろうな」
それは平田も分かっているからこそ須藤を糾弾することが出来ない。
「噂をしていると須藤くんの番だね。相手は柴田くんだ」
俊足の柴田と運動神経抜群の須藤。
今のところどちらも個人競技では全て1位を取っている。ここで初めてどちらかが負けることになるな。
今日一番の熱戦が期待されるレースが始まった。
同時にスタートを切った2人だが細い平均台をバランス感覚を活かして前に出たのは須藤。2番手の柴田も危なげなく渡り追える。
次はグラウンドに敷かれた網をくぐり、最後にズタ袋を両足に入れて飛び跳ねていく。
一歩リードしている須藤だが柴田も負けじとついてくる。その存在に気付いた須藤が初めて焦りを見せた。
苛烈なレースだったが、1位のテープを切ったのは須藤だった。全力で戦った影響もあってか遠目にも須藤が肩で息しているのが分かる。
これで須藤は3連続1位。間違いなく学年トップの一人だ。
堂々と戻ってきた須藤が、縮こまっている池に対して強気に出る。
「オラ見てたぞ寬治!てめぇ6位だったろ!」
「いや俺だって頑張ったんだって!」
「それならもっと上の順位を狙えるだろうが!」
反論した池だったが当然敵わない。そこで綾瀬が仲介に入った。
「待って須藤。あんまり怒らないで。皆が嫌がってる」
「仕方ねぇだろこいつらが不甲斐ねぇんだからよ」
綾瀬の言葉など聞く耳も持たないといった様子だ。そんな須藤に綾瀬もどうすればいいか分からず困っている。
「そんなことよりお前も早く行った方がいいんじゃねえの?間隔短ぇからすぐに準備に入らねぇと間に合わないぜ。お前には期待してるからな!」
「......わかった」
基本オレたちにのんびりしている時間はない。綾瀬もすぐに向かわなければ間に合わないだろう。
そして女子たちの障害物競争が始まる。
1組目は堀北が出だしからCクラスの二人に離される展開となっていた。
「また矢島さん、木下さんと同じ組みたいだね」
「リベンジマッチだな」
障害物という不確定要素が幸いしてか堀北は2位に躍り出た。
矢島の1位は揺るがないだろう。だが後ろの木下も速い。
ズタ袋を脱ぎ捨て最後の50メートル。後は駆け抜けるだけなのだが、後ろを走る木下が気になるのかチラチラと何度も後ろを振り返る。それが失速に繋がり、再度木下に並ばれた堀北。
そして次の瞬間、走っていた堀北と木下が絡まるようにして共倒れする。
「うおっ!?結構すげぇことになったぞ!?」
二人ともすぐに起き上がることは出来ずに次々と抜かれていき、一気に下位に落ちる。
結果としては堀北が7位。木下はかなり足が痛むのか競技続行不可能という形となった。
100メートル走では伊吹、ハードル走と障害物競争では矢島と木下。ことごとく強い相手を当てられている堀北は成績が振るわない。1位を期待されていただけに苦しい展開だ。
そしてこれはここまでの流れを踏まえればとても『偶然』では片付けられない。
明らかに違和感を感じさせる歩き方と仕草をしながら戻ってきた堀北の表情は重い。
「痛むか?」
「っ......我慢してやるしかないわ......」
勝つことを義務付けられた立場であり、普段の性格からしてもリタイアなどしないだろう。
「それにしても気に入らないわね......あの女子、悪意のある接触に見えたわ」
「......というと?」
「私の後ろを走っていた彼女が、何度も走りながら私の名前を呼んだの」
それで何度も後ろを振り返っていたわけか。
「ただ意図が読めないわね。普通ぶつかるなら名前なんて呼ばないはず」
確かに名前など呼ばずに不意打ちした方が転倒させられる可能性が高い。
そうして堀北と話していると次は4組目。綾瀬だ。他にはBクラスに一之瀬、そして何となくAクラスにいたどこか堀北に雰囲気が似てる女子が気になった。あれは確か神室だったか。神室は綾瀬と何かを話しているように見えた。
程なくして始まる障害物競争。
まず先頭を走るのは当然綾瀬。
最初の障害物である平均台に飛び乗ると、一切減速することなく平均台を駆け抜ける。
「は!?危ねぇぞ綾瀬!」
まるでそこに平均台などないかのようなスピード。誰がどう見ても異常な光景だ。
「え......綾瀬ちゃん足下見てなくね......?それなのにあんな走れるもんなの?」
「いや無理無理!怖すきだって!」
またしてもグラウンド上にざわざわと困惑が渦巻くのを感じる。
次の障害物である綱くぐりまであっという間にたどり着いた綾瀬は勢いよく前転しながら地面に伏せた。そして軍隊顔負けのほふく前進を見せる。
「まるでゲームみたいですな......さすが綾瀬殿!」
次のズタ袋では跳ねるというよりは跳躍という表現が正しいほどの動きを見せた。一回の飛びで稼ぐ距離が先ほどまでの生徒たちとは桁違いだ。
ズタ袋を脱ぎ捨てて最後の50メートル。後ろには誰もおらず、綾瀬に追いつけるものなど存在しない。もう歩いたとしても余裕の1位だろう。
だが綾瀬はそれでもスピードを緩めなかった。それどころか────
「なん、だよあれ......!」
「さっきよりも......速い......?」
堀北が驚愕の表情を浮かべながら呟いた。
堀北の言うとおり今までの走りよりも何段階かギアが上がっているのが分かる。
あそこまで速い人間はオレも見たことがない。もしオレが本気を出したとしてオレは綾瀬に勝てるのだろうか。まぁそんな風に競い合う機会など訪れることはないだろうが。
「相変わらず綾瀬の底は見えないな」
2位の神室がようやくズタ袋を終えた頃にもう既に綾瀬はゴールしていた。意外にも5位の一之瀬はようやくズタ袋に取りかかるところである。
「圧倒的すぎるだろ!」
「あれならオリンピックとか出れるんじゃない!?」
英雄が帰還したみたいに大盛り上がりしながら綾瀬を迎えるDクラス。
その一方、他クラスや上級生たちの殆どが化け物でも見るかのような目で綾瀬を見つめながら沈黙していた。
誰もあれに勝てるわけがない。
そんな諦めと絶望が感じ取れる。
「綾瀬さんが今まで本気を出していないことは分かってた。それなのに、急にどうして......?」
「きっとお前のためだろうな」
「え?」
オレはそれだけを伝え、次の競技の二人三脚の準備に取りかかる。
「堀北さんの様子はどうだった?」
遠目に様子を確認していた平田が、心配そうに声をかけてきた。
「結構深刻だな。オレとしてはリタイアするべきだとは思うが」
「苦しい展開だね。女子の方はますます綾瀬さんに頼ることになるかもしれない」
綾瀬に任せれば少なくとも団体戦は大丈夫だろう。
ただこのままでいいのかとも思ってしまう。
「なぁ平田。運動部に所属してる身として綾瀬のことをどう思う?」
気になったことを聞いてみると、平田はオレの質問が意外だったようだ。
「どう思う?うーん......やっぱり頼もしいと思うかな」
さすが平田と言ったところか。だが多くの人間は違う。特に競い合わなければいけない立場となれば。
オレは綾瀬を見る。
あれほどの動きを見せても変わることのない表情。喜びや感動といった類いのものは一切感じられない。
そんな綾瀬を見ていると、オレの頭には昔の光景が頭に浮かんだ。
「みーちゃんは......」
私は1位でゴール。私は一緒の組だったみーちゃんの方を見る。
一生懸命走ってる。一番後ろだからさっきの鈴音みたいなことにはならなさそう。
結構時間かかりそうだから先に戻って鈴音のところに向かおう。早めに戻ってあげないと。
「綾瀬さんおかえり!」
「綾瀬ちゃんすごかったね~!」
男の子たちはもう次の競技に向かっていて、私の前に終わった女の子たちが私に声を掛けてくれた。
「ごめん、また後でね」
声を掛けてくれた皆にはごめんなさいだけど、今は鈴音が優先。
「綾瀬さん......」
「足、痛むでしょ?走るのは止めた方がいい」
怪我は結構ひどい。これだとまともに走れない
「でもリタイアなんて出来ないわ......」
頑張り屋さんの鈴音ならそう言うと思ってた。でも今回はそれだと危ない。
「鈴音、あなたは狙われていた」
「......あなたもそう思う?」
「うん。木下のあの走り方はおかしい。鈴音を狙いにいかないと当たらないよ」
後ろから見えてた木下の走り方は綺麗だったのに途中からまっすぐ走ろうとしてなかった。
それに─────。
「......また狙われるかもよ。だから無茶だけはしないで」
「ただでさえ高円寺くんのマイナス分があるのよ。私で更にマイナスを取るわけにはいかないわ」
「......そう」
やっぱり駄目だ。説得なんて出来ない。
苦しそうな顔をしてるのに鈴音の目が全然死んでない。まだまだやる気だ。
「綾瀬さーん、ちょっといい?」
私を呼んだのは軽井沢だ。
「彼女は次の二人三脚のペアよね。私のことはいいからいきなさい。大丈夫よ。これ以上あなたの足を引っ張るつもりはないから」
鈴音は少しだけ笑って、私の肩に手を置く。
こういうとき、ちゃんとした言葉を掛けられたら鈴音は足を止めてくれるのかな。
須藤も私がしっかり説得できれば、怒らなくても済むのかな。
高円寺だってそう。最初から参加するように言っておけばなんとかなったのかな。
......止めよう。そんなことは私が考えてもどうしようもない。
「軽井沢のところ、行ってくる」
それだけ言って軽井沢のところへ向かう。
「堀北さん、大丈夫なの?」
「私には分からない」
何が大丈夫なのか分からなくて、そう答えた。
「どわあああ!!」
二人三脚をしてる池の悲鳴が聞こえた。須藤が池を持ち上げた状態で強引に走ってる。
「へー......あれってやってもいいんだ......」
私がそう言うと、隣にいた軽井沢がギョッと驚いた顔をした。
「......え!?何怖いこと言ってんの!?あたしにあれと同じことやんないでよ!?」
「大丈夫。私たちには必要ないよ」
「ほんと!?信じるからね!」
誰が相手でも女の子たちなら絶対に負けない。あそこまでやらなくても大丈夫。
「あ。綾小路と平田だ」
「キャー!平田くん頑張ってー!」
平田の番になると女の子たちが一斉に応援し始めた。他のクラスにも応援されてる。でも軽井沢は静かだ。
「んー、綾小路くんって遠くから見てもやる気ない感じ凄くない?もうちょっとシャキッとすればモテそうなのに」
平田じゃなくて綾小路のことを喋ってる。
「......軽井沢は平田の応援しないの?」
「え?あ、あぁ!洋介くん頑張って~!」
あたふたしながら軽井沢も平田の応援をし始めた。なんか変だ。
それから今度は私たちの二人三脚が始まって、私と軽井沢が一番最初だ。
「目指すは1位!あたしたちなら余裕でしょ!」
軽井沢は大きな声で一緒に走る人たちにも聞こえるように言う。
「軽井沢。自由に走っていいよ」
「りょーかい。練習通りでいくよ」
それからスタートの合図が鳴って走り出す。
呼吸、力の強さ、歩幅、足の回転数、全部を軽井沢に合わせてあげる。
これは......本番だから軽井沢が練習よりも少し焦ってるね。
「ヤバッ......!ちょっとバランスが......!」
「大丈夫。支えてあげる」
足がもつれてバランスが崩れそうになる軽井沢。肩に回した手をほんの少しだけ引き寄せて体重をこっちに寄せる。
「すっごい安定感......!」
バランスは取り戻した。
そのままゴールして1位。
「いぇい!圧倒的に1位!」
軽井沢はピースしながら喜んでる。
「よかったね」
「綾瀬さんも少しは喜んだらいいのに」
笑いながらそう言う軽井沢。それが少し羨ましい。
私は二つの人差し指をほっぺに押し当てて上にあげた。
「......何やってんの?」
「......なんでもない」
私たちはすぐにテントに戻って他の人たちの応援に入る。
2組目は鈴音と桔梗。足の速い2人。
相手には神室と矢島がいる。
走り出した鈴音たちは後ろの方にいた。
「あちゃー......堀北さんめっちゃ辛そうじゃない?」
「やっぱり怪我が辛いんだね」
それでも鈴音は手を抜かない。
頑張って走ってはいるけど最下位。
「次の騎馬戦も厳しいんじゃない?」
「そうだね。またあなたに頼るかも」
「ぶっちゃけ綾瀬さんにおんぶに抱っこって感じだけど、そう言って貰えるなら頑張る」
......おんぶに抱っこ?また知らない言葉かな。
「あたしたちは結構上手くいってるみたいだね」
「それならよかった」
「だけどさ────本当にいいの?」
「いいよ。何も問題ないから」
迷わずにそう答えた。
そう、私は何も問題ない。
10分の休憩。
鈴音は保健室に向かった。
私はDクラスの皆に視線を向ける。
「よっしゃー!次の騎馬戦では俺が大活躍してやるぜ!」
「春樹ー、あんま出来ないこと言うなよなー」
「うるせっ!頑張って女子にいいとこ見せるんだよ!」
「皆、水分補給は大丈夫かな?」
「騎馬戦も勝てば女子は団体戦全勝!」
「めちゃくちゃ勝ちたいね......!」
「午前はあと騎馬戦と200メートル走だけだよね?疲れたー。こんなに走るの久しぶり」
「あとちょっと頑張ろっ!」
皆、楽しそう。
「......」
「......綾瀬?」
声を掛けてきたのは綾小路。
「どうしたの?」
「いや、少し聞きたいことがあったんだが、大丈夫か?」
綾小路は私の顔を覗き込んだ。
「うん。聞きたいことって何?」
「坂柳のことだ。坂柳ってどんな生徒なんだ?」
「頭がいいよ。話しててそう思うし、橋本や他の人からも聞いてるからね」
「そう、なのか......?」
いまいち分かってなさそう。
こういうのは実際に話したりしないと分かんないもんね。
「─────鈴音が狙われること。坂柳は知ってたよ」
「え?」
これから坂柳のことを話してあげようと思ったらちょうど休憩が終わっちゃった。
「次は私たちからだね。いってくるよ」
「あぁ......」
次は騎馬戦。
時間は3分。とりあえずハチマキをいっぱい取ればいい。
騎馬は4人1組でクラスに4つ。クラスにいる女の子はどのクラスも20人だから余った人は出ない。Cクラスのひよりは出ないみたい。
上に乗る人は騎手って言うんだって。
騎手は私、鈴音、軽井沢、前園。
私が自由に動ければすぐに終わるけど、私は自分の足で歩けない。
作戦は私が前に出て相手を引き寄せる。
「皆、そこまで焦らなくていいからね」
私を支えるのは松下、小野寺、桔梗。
「皆、頑張ろうねっ!」
「この競技が一番緊張するよ。さすがに綾瀬さんを何とかするために狙ってくるだろうし」
松下の言う通り相手から来てくれるはず。
試合の合図と一緒にCクラスとBクラスがじりじり距離を詰めてきた。
「......これ、どういうこと?」
「......鈴音が狙われてるね」
予想は外れてCクラスは鈴音を取り囲んだ。それを見て小野寺が皆に指示を飛ばす。
「皆!向こうにいってあげた方がいいかも!」
「分かった。お願い」
私たちと同じく軽井沢たちも援護に回ろうとする。
だけどBクラスの人たちが立ちはだかった。
「────どいて」
「ひっ!」
「綾瀬さんを相手しちゃ駄目!周りのフォローをお願い!」
「う、うん!」
一之瀬の指示でその人たちはすぐに離れた。
「うーん、心音ちゃんとはまともに戦わないって感じだね」
おかげですぐに鈴音のもとにたどり着いた。
「綾瀬さん......助かるわ」
「来たわね......綾瀬!」
後ろは守る。だけど自由に動けないから他はさすがに守れないかな。
「伊吹。あなたは私とやろう。あなたが一番厄介」
「......!へ、へぇ。一番厄介ね......」
伊吹はなぜかニヤけた。
「でも悪いけど今はあんたに構ってる暇ないのよ」
「そっか。それなら鈴音に構ってる間にここにいる人たちのハチマキを全部取ることにするよ。私を警戒しないならさすがに逃げられないよ」
「......なるほどね。それが嫌ならあんたを止めてみせろってことね」
伊吹は指示を飛ばして3つの騎馬で鈴音を狙うようにした。そして私と向き合うのは伊吹。
「こうして対峙するのはあのとき以来ね」
「うん、覚えてるよ」
「あんたさ、まだ本気じゃないでしょ」
「どうしてそう思ったの?」
「ジムにいってるときのあんたの方がまだ凄いから......さ!」
勢いよく伸びる伊吹の手を首の動きだけで避ける。
「シユッ────!」
短い息遣いで伊吹が小さく、そして素早く私のハチマキを連続で狙う。
躱してるうちに伊吹の手が私の髪を掠った。
無人島で戦ったときよりも速くなってる。
「ずっと聞きたかったんだけど、なんであんたっていつもそんなギリギリで躱すの?ムカついて仕方ないんだけど」
「ギリギリ?私は避けられる分の力しか使ってないだけだよ」
「......あっそ!」
伊吹の動き出しと同時に右から気配を感じた。鈴音を狙ってると見せて私のハチマキを取ろうとしてる。伊吹の手を払いのけてからそっちに視線を向けた。
「もうちょっと気配は消した方がいいよ」
「っ......」
山村と比べると全然違う。やっぱり山村って凄い。あの気配のなさならきっと不意打ちを専門する人に向いてる。
ちなみに今回の騎馬戦に山村はいない。坂柳と一緒にベンチにいるのが見えた。
「よそ見してんじゃないわよ!」
これも避ける。
「くそっ......!なんで避けれんのよ!」
「目だけじゃなくて色んなもので感じるの。空気、音、肌の感覚とか」
伊吹は唇を噛んだ後、深呼吸し始めた。
「ふぅ......ここで熱くなったら駄目よね。あんたを倒すには今まで通りじゃ絶対に無理だから────」
また少し深くなった。
私の動きを見逃さないようにしてる。
わざと分かりやすく右腕を動かすとすぐに伊吹の身体が反応する。
「いい集中力だね、伊吹。だけど────」
私は伊吹のおでこに人差し指を向けた。
「あなたのハチマキはもう取られてるよ」
「......え!?嘘!?」
少し遅れて自分のおでこを触り始めた。
伊吹のハチマキを取ったのは私じゃない。後ろから近づいてきた神室だ。
「んな......せっかくいいところだったのに!水差さないでよ!」
「いや綾瀬に気を取られすぎだし」
いくら集中しても私に対してだけじゃ隙だらけ。
もうちょっと周りの気配も感じられるようになればいいかもね。
「くっ......!」
3つの騎馬に囲まれた鈴音がハチマキを取られて倒れそうになる。
「皆!後ろに振り向いて!」
松下が指示を飛ばすとぐるっと視界が回って丁度倒れそうになる鈴音を支えられた。
「ごめんなさい......取られてしまったわ」
「ううん、大丈夫。お疲れ様」
鈴音たちと伊吹たちはハチマキがなくなったからすぐにいなくなる。
「あなたたちはどうする?」
「......あんたなんかとまともにやるわけないって」
「そっか」
騎手だった矢島が指示を飛ばして他の騎馬を狙い始めた。
周りを見ると、軽井沢が一之瀬を相手に頑張ってた。前園もあまり状況はよくない。
「2人のフォローに回ってあげよう」
「了解!」
「ヤバい!綾瀬さんが来る!」
私たちが来ると皆すぐに逃げ出した。
これじゃハチマキ取れないや。時間も残り少ないのにハチマキは全然取れてない。
そんなとき、さっきまで軽井沢とハチマキを取り合ってた一之瀬たちが私たちの前に現れた。
「やっほー綾瀬さん。私の相手をしてくれる?」
「私とは戦わないんじゃなかったの?」
「最後にチャレンジしたくってさ。どこまで綾瀬さんと渡り合えるか試してみたいんだよねー」
「いいの?あなたじゃ私には勝てないよ?」
「ふっふっふー、やってみないと分かんないよー?」
じりじりと寄ってくる一之瀬たち。
先に動いたのは一之瀬。
「よいしょー!たぁっ!ほっ!」
元気な掛け声と一緒に連続で攻撃を仕掛けてくる。
......どうしよう。取ろうと思えばいつでもハチマキ取れるかも......。
一之瀬は結構運動が出来ない方だ。それは自分でも分かってるはず。
手を伸ばせばハチマキは取れる。
だけど私はハチマキを取らなかった。
少し時間が経って、試合終了の合図が聞こえた。
「終わっちゃったか。残念」
私たちDクラスは鈴音と前園が取られて、Aクラスは神室以外ハチマキが取られてる。それでも同じぐらい相手のハチマキを取れてるから引き分けかな。
「綾瀬さん。本当は私のハチマキ取れたんじゃない?」
「んー......わざわざ来てくれた一之瀬のハチマキを取るのはちょっとずるいかなって」
「あちゃー......もしかして気付いてた?」
「さすがにね」
Bクラスのために頑張る一之瀬なら勝ち目のない私には挑まないはず。
それなのに一之瀬は私のところへ来た。
「でも私なりに本気で勝とうとしたんだよ?」
「うん。それは伝わった」
騎馬戦も終わったから私は皆が組んでくれた騎馬から降りる。
次は男の子たちの騎馬戦。私たちは引き分けで終わっちゃったから勝ってくれると嬉しいな。
「─────悪い。負けてしまった」
男子の騎馬戦から戻ったオレはどこか申し訳なくなり、綾瀬に報告した。
結果としては敗北。
最初は平田の騎馬である須藤が体当たりをかまして騎手ごと崩す作戦を仕掛けて相手の数を減らしていったが、それではハチマキを取ったことにならずポイントは入らない。
そして人数的にはこちらが有利だったのにも関わらず須藤が龍園の挑発に乗ってタイマンを仕掛けてしまった。
懸命に龍園のハチマキを取ろうとした平田だったが、後に判明したハチマキにワックスを塗る手法でハチマキを取ることが出来ずにハチマキは龍園に取られてしまった。
「謝らないで。それよりも平田は大丈夫?結構派手に崩れ落ちたけど......」
「平田は大丈夫そうだ。それよりも問題は須藤だな......」
龍園には絶対に負けたくないはずだったのに反則技を使われ、しかもいいように煽られた須藤のフラストレーションは本日最高レベル。
「......分かった。須藤は私がなんとかする」
「あ、そういえばさっき言ってたことだが────」
「龍園の野郎!マジでボコボコにしてやる......!」
さっきのことを聞こうとしたら須藤の怒号でかき消された。
もう抑えきれなくなった須藤がCクラスに向かって歩き出した。
「駄目だよ須藤くん!君が龍園くんに暴力を振るったらどうなるか......」
須藤を止めるべく平田が前に立ち塞がるが、その平田を力強く押しのけた。
「るせぇよ!あの野郎汚ぇ手ばっか使いやがって!」
「待って須藤。あなたが何をされたかは分からないけど、落ち着いた方がいい」
「分からねぇなら教えてやるよ。アイツは反則ばっか使ってんだ。いくぞ綾瀬。リーダーとしての役目を果たしにいくぞ。アイツをぶっとばす」
「......役目?それが本当にリーダーとしての役目なの?」
「俺にはとてもそうは思えないな。須藤、お前はただ感情に任せて当たり散らしてるだけなんじゃないか?」
切り出したのは幸村。それに続くように他の生徒たちも声をあげる。
「リーダーならもうちょっと冷静に判断してくれよ。さっきの騎馬戦でも散々だったしさ」
「そんな子供みたいに当たり散らさないでよ。マジ雰囲気最悪。せっかくこっちは楽しくやってるのに」
「もうリーダーは綾瀬ちゃんでよくないか?」
「綾瀬ちゃんならしっかりアドバイスとかしてくれるしなー」
次々と須藤を非難する声。
綾瀬という存在がいることでDクラスの生徒たちはどこか安心感を得ている。それがこの流れを作り出してしまったか。
「須藤くん。綾瀬さんは今回の体育祭で心強く皆を引っ張ってくれて、そして仲間たちにも寄り添ってる。僕は君も仲間たちに頼られるリーダーになれると信じているんだ」
「るせぇよ......」
「君なら出来るはずだよ須藤くん。だから───」
「うるせぇって言ってんだろ!」
目を血走らせた須藤が今にも平田を殴ろうとした。
「────平田。少し痛いよ」
危険を察知したのか綾瀬が左手で平田の首根っこを掴み、後ろに引き寄せる。
「うっ......!」
平田はバランスを崩したものの何とか踏みとどまり、安全な距離に立つ。
2人に割って入った綾瀬は須藤の右拳に対し右手を広げて伸ばした。
伸ばした右手が拳に触れるのと同時に右腕を引き、まるで何かに吸い込まれたかのように勢いを吸収される須藤の拳。
「あ......?」
須藤が何が起きたのかを理解する間もなく、綾瀬は流れのまま右足の踵を軸に身体をぐるっと回転させた。
須藤の力を利用した回転。須藤の背中を取った綾瀬は遠心力を利用しながら左手で背中を押すと、須藤は前方に倒れ込んだ。
「なっ......!?」
須藤は驚愕の表情を浮かべながら綾瀬を見上げた。
「あや、せ......テメェ......!」
「────落ち着いて」
「っ......」
圧倒的な差。ここにいる誰しもがそれを感じたことだろう。
あの須藤が完全に子供扱いされるほどの実力差。たった数秒の出来事なのにそれが明確となった。
綾瀬に見下ろされる須藤も次第に怒りは消え失せ、やがて焦りや恐怖に近い類いの表情へと変わっていく。
須藤は今まで喧嘩では負け知らずだったはずだ。だが綾瀬のは喧嘩なんていう生温いものじゃない。
それは目の前にいる須藤が一番強く感じたはずだ。
「綾瀬......お前マジで何者なんだよ......こんなの普通じゃねぇ......今までどれだけ修羅場をくぐってきたんだよ......」
当然素人には出来ない動き。何度も実戦レベルの戦闘を繰り返してこなければあんな動きは出来ないだろう。
「競技中の動きもお前だけ明らかにおかしいんだよ......人間の域なんて軽く超えてやがる......」
「須藤。あなたには私がどう見える?」
「......化け物にしか見えねぇよ」
「そう」
綾瀬はそんな答えが分かりきっていたとでも言うように淡々と短くそう答えた。
「......くそっ、やってられっかよ」
ふらふらと立ち上がった須藤はそれだけ吐き捨ててこの場を去ってしまった。
「......すっげぇ!何だよ今の!」
「須藤くんも倒しちゃうとか凄すぎだって!」
「須藤のやつ、情けねーな。デカい口叩いて綾瀬ちゃんにボロ負けじゃねーか」
まるで諸悪の根源を撃退したかのような盛り上がりを見せるDクラス。
「つーか綾瀬ちゃんが化け物なわけないって。なぜなら綾瀬ちゃんは俺たちの天使だからな!」
「そうそう!めっちゃ優しく声かけてくれるし......頼りになるし......」
「いや......天使どころかもはや女神ですな!」
敵であれば恐ろしい存在だが、味方であればこれ以上頼りになる存在はいない。
Dクラスの生徒たちは綾瀬を讃え始める。
そして肝心の綾瀬は何も言わず、ただただDクラスの生徒たちを見つめていた。
相変わらずの無表情。
だが────何故だろうか。
オレにはそれが、酷く寂しそうに見えた。