体育祭で疲れ果てた生徒たちがぐったりした様子で教室を後にしていく。
「......あなたは全然疲れてなさそうね」
「うん。平気」
本当に頼もしいわね。誰よりも動いていたのにいつもと全然変わってない。
だけど今回の体育祭は綾瀬さんを抱えてもなお勝てなかった。これもまた一人では勝てないということなのだろう。
これからまた身体能力を活かす試験は出てくる。次は全クラスが綾瀬さんを封じるための策を練ってくるかもしれない。そのとき大事になってくるのは私たちの力。
「私は用事があるから先に帰ってて」
「鈴音は帰らなくていいの?」
「大丈夫よ。あなたもまだまだ平気かもしれないけれど今日はしっかり休みなさい」
「うん。分かった」
本当はもっと話したいことがあったけど話している時間がない。
こうして一人一人教室を去って行き、あっという間に教室は私だけになった。
「ごめんね堀北さん。さっき龍園くんから連絡来たよ」
一度教室を出て行った櫛田さんが両手を合わせながら戻ってきた。話を聞くと友達と話していたらしい。
連絡手段を持たない私と龍園くんは櫛田さんを介して出会う手筈になっていた。
そうして歩いていると、あっという間に集合場所にたどり着く。
「よう」
不適な笑みを浮かべながら私を見る龍園くん。
「それじゃ私はここで」
......ここで櫛田さんはいなくなってしまうのね。
彼女が単なる仲介役ならなんらおかしくないはないわね。ただ......私の中で違和感のようなものは拭えない。
「何を気にしてるか知らないが今はこっちに集中した方がいいぜ」
「......そうね。あなたの要求はポイントだったわね」
「あぁ、坂柳のせいで言いそびれたがお前にもう一つ要求がある」
「何かしら」
「やはり木下も途中でリタイアしちまったから悔しくて仕方ないみたいなんだよ。だからお前に土下座でもしてもらって詫びを入れて欲しいんだってよ」
龍園くんは携帯をこちらに向けてくる。
「土下座まで要求するのね」
「事を荒立てたくなきゃ呑んだ方がいいぜ?あの状況ならお前が加害者になることは明白だからな」
潔白を訴えるにはそれ相応の覚悟と力が必要になる。
「これだけは聞かせて。木下さんが私に接触してきたのは故意なのか、そうじゃないのか」
「クク、必死だな鈴音。俺の口から自白させて証拠でも掴む気か?」
「......」
こちらの手は読まれている。
これではポケットに入れた録音状態にしている携帯も意味をなさないだろう。
「そうだな。あくまで想像としてなら語ってやってもいいぜ」
「想像でも何でもいいわ。教えてちょうだい」
「まず俺はDクラスの人間から参加票を入手し、それに合わせて適材適所の人間をぶつけた勝利をもぎ取った。もちろんAクラスもリサーチした上でな」
「そのDクラスの人間とは?」
「それは自分で考えるんだな。早めになんとかしないと傷口は広がるばかりだぜ?」
全くもってその通りね。今後放置し続ければ次の特別試験でもまた同じ事が起こる。
「あなたが私に木下さんをぶつけたのが意図的であることはよく分かったわ。それでも私たちがあそこまで大怪我を負ったのは偶然よね?」
「確かにお前の大怪我を負ったのは偶然の産物だ。だかな、木下の怪我は偶然じゃないぜ」
「えっ......」
「たかが転んだだけで簡単に大怪我なんてするわけないだろ?だから痛がる素振りだけをさせて適当に退場させた後、俺があいつに直接怪我を負わせてやったのさ。こうやってな」
バン、と恐ろしい音が廊下中に響き渡る。
「彼女は......そんなことに従ったというの......?」
「50万分け前やるって言ったら承諾したぜ?金の力ってのは恐ろしいよなぁ」
全ては計画されていたこと、ということなのね......。
勝つためなら本当に手段を選ばない。彼の無茶苦茶な発想と実行力には心底恐怖を感じた。
「さてと、これで満足してくれたか?」
「......そうね。わざわざ想像を聞かせてくれてありがとう」
そう。これはあくまで想像。何とでも言い逃れが出来るように龍園くんは話している。
「さっさと認めるんだな。お前の完敗だという現実をな」
自分がいかに愚か者で、力が及ばないことを嫌でも分からされる。
そんな現実を受け止めるのは辛いことだ。
目を逸らすことが出来ればどれほど楽か。
だけど─────。
「ここで逃げたら、私はまた隣に立てなくなってしまう」
「あ?」
坂柳さんの言う通りだ。
これまで私はずっとあの子に振り回されていただけだった。
自分に力が足りていないことは分かっている。だからこそ、ここで逃げてはいけない。いつまでも綾瀬さんや龍園くんに差をつけられたままではいけない。
「龍園くん。私はあなたと戦うわ」
「......何を言っている?お前に勝ち目なんてねぇぞ」
「まだ分からない。戦う余地は残されている」
「無駄な足掻きだ。それに負けたら自分がどうなるか分かってるんだよな?」
「分かっているわ。だけど負けを認めて易々と100万ポイントを渡すわけにはいかないわ」
今回は代役を立てるためにプライベートポイントが必要だった。今後も同じようなことが起きるだろう。
「それに......綾瀬さんの頑張りを無駄にしたくないのよ」
体育祭で敗北した上にクラスで不利益を負ってしまったらあの子が頑張った意味がない。
「まぁ俺としても構わないぜ。そうしてくれるならこちらも更にむしり取るだけだ。逃げんじゃねぇぞ─────」
ピロン、とこの場に相応しくない音楽が鳴った。
「......私の、携帯から......?」
私の元に届いた知らない連絡先からのビデオメッセージ。
一体何故こんなものが私の元に送られてきたのか分からない。私は吸いよせられるように再生ボタンを押した。
すると、確かCクラスの女子生徒が酷く怯えた様子でカメラに映っていた。
『龍園くんは......堀北さんを事故に見せかけて怪我をさせるつもり、です......ひっ......!』
女子生徒は視線の先にいる何かに怯えているようだった。そして先ほど龍園くんが話したことを事細やかに説明しはじめる。
やがてカメラがぐるっと回り、そこには坂柳さんの姿が映っていた。
『フフ、きっと私の予想が正しければそこには龍園くんもいるかと思われますが、どうでしょう?』
愉しそうに笑う坂柳さん。まさかこの状況すらも見越していたと言うの......?
『堀北鈴音さん。もしあなたが戦う選択をしたなら私はあなたの味方をしてあげましょう。もちろんこの程度では何とでも言い逃れが出来る範囲。ただ、私が味方ならあなたが負けることはありません』
絶対的な自信が画面越しからでも伝わってくる。
『あなたがどうするのか、楽しみに待っていますよ』
そこで画面は終了した。
一部始終聞いていた龍園くんは目をギラつかせながら笑っていた。
「やっぱり真鍋が利用されたか。心音が連絡先を聞いてきたときから何かあるとは思ってたが......想像以上に面白ぇことしてくれるじゃねぇか」
「綾瀬、さん......?綾瀬さんが関係しているというの?」
まさか、カメラを向けているのは綾瀬さんということ......?どうして、彼女が......。
龍園くんは私に目もくれず喋り出す。
「坂柳のやつ、とことん俺の邪魔がしたいみたいだな。いや......あいつの目的は心音か?クク、どちらにせよふざけてやがるな」
続けてピロン、とまた音が鳴る。
今度は龍園くんの携帯からだ。
龍園くんはいいところを邪魔されたとでも言いたげに舌打ちをしながら視線を落とす。そこで龍園くんの表情が一瞬固まった。そして携帯を操作し始める。
『いいかお前ら。Dクラスの堀北鈴音を潰すための策を─────』
今度は録音された音声で、龍園くん本人の声が聞こえてきた。同じように私を潰すための策を話し合っている。
「おいおい......とことん楽しませてくれるじゃねぇか......今度はお目当てのやつまでやってくれたか。クク、ククク!楽しみが尽きねぇなぁ......!」
これは......まさか彼が?
私の脳裏にはただひとり、綾小路くんしか思い浮かばなかった。
「ここまでされたらさすがに形成逆転ってやつだな。今回はこれで終わりにしてやるよ。土下座とポイントは諦めるしかない。残念だ」
口ではそう言うが、龍園くんはどこか楽しそうだった。
まだ実感も掴めていないまま私は歩いていた。
今日だけで何度も負けた気分を味わっている。
また助けられてしまったわね......。
だけど不思議と悪い気分じゃない。自分がこれから何をすべきなのかはハッキリと分かったのだから。
「あ、話は終わった?」
「......櫛田さん」
廊下の曲がり角でばったり櫛田さんと出くわす。
「偶然、じゃなさそうね」
「ごめんね待ち伏せみたいなことしちゃって。ちょっと話がしたくってさ」
「そう。私もあなたと話がしたかったわ」
私がずっと櫛田さんに感じていたもの。それを打ち明けるいい機会ね。
「まず私から話してもいい?」
「えぇ」
「ありがとう。それじゃあ......坂柳さんには会えた?」
「坂柳さん?さっきはいなかったけれど......」
「なーんだ。それならあのままいればよかった。そうすれば堀北さんの土下座が見れたかもしれないのに」
それは本来櫛田さんが知り得ないこと。
「......自分が龍園くんと繋がっていたことを隠す気はないようね」
随分とあっさり打ち明けるものだから不意をつかれた気分だった。
「どうして坂柳さんがいたのが気になるの?」
「ごめんごめん。私も坂柳さんだけは敵に回したくないんだよね。最近心音ちゃんとよくつるむようになったから尚更さ」
「それは......何故?」
「坂柳さんの恨みを買いたくないからだよ。サービスで教えてあげるね。坂柳さんは物腰こそ柔らかいけど中身は残虐。逆らう者には容赦しないよ。だから敵に回すと私もどうなるか分からない」
誰よりも顔が広い櫛田さんも坂柳さんを警戒している。私はこれから戦う相手のことを何も知らなかったのだと改めて痛感させられた。
「私が坂柳さんにこのことを伝えるとは思わないの?」
「思わないよ。堀北さんの性格はよく分かってるつもりだから。それに最悪伝えられてもいいよ。私にも『奥の手』はあるから」
奥の手......嫌な予感しかしない響きね。
「あなたが坂柳さんを警戒してるのはよく分かったわ。それなら、あなたが私を退学させたがってる理由を教えて」
「やっぱり堀北さんもそのことは分かってた?」
「ずっとあなたからの敵意を感じていたのよ。そのためにあなたは悪魔と手を組んだ。Dクラスの参加票を流したのはあなたでいいのよね?」
「うん。私にとって堀北さんは邪魔でしかない。堀北さんが退学するまで私はずっと裏切り続けるよ」
櫛田さんがそこまでして私を敵視する理由はなんなのか。
それは私の彼女の繋がりにある。
「あなたと私は『同じ中学』の生徒だった。だから私を退学させたくて仕方ないのね」
「んー......まぁ、そうだね。色々と『問題児』だった私の過去を知るあなたは排除しておきたい、かなぁ......」
櫛田さんはこちらを煽るように余裕そうな笑みを浮かべている。
「ごめんね?歯切れが悪くって。ぶっちゃけるとさ、それ以上にあなたを退学させたい理由があるの」
「それは......何?」
「────心音ちゃんだよ」
「え......?」
意外な理由に私は驚きを隠せなかった。
「心音ちゃんってさ、私の願いを叶えてくれる魔法の道具みたいなものなの」
「分からないわ。あなたの願いとは何なの?」
「誰にでもあるものだよ。『誰かに認められたい』。私はそんな承認欲求を満たしたくて仕方がないの」
「そのために、どうして綾瀬さんが必要なの......?」
「どうしてずっと一緒にいるのに分かんないかなぁ。あんたってほんと節穴だね」
普段の話し方からは想像できない口調だった。普段の彼女は分厚い仮面を被っていたということが良く分かる。
「今回の体育祭でよく分かったでしょ?運動神経がいいだけのバカなんていっぱい見てきたけどさ......あそこまで突き抜けると人は畏敬の念すら抱くようになる。誰もあんな化け物には敵わない。だからこそ私だけのモノにしたい。あの子を扱えるのが私だけであれば、私の敵は心音ちゃんが全部潰してくれる」
確かに須藤くんですら敵わない綾瀬さんに武力で右に出るものはいない。
「何でもかんでも自分の思い通りになると思わない方がいいわよ。あの子は......そんなこと、望まないわ」
「それはあんたがいるからだよ、堀北さん。あんたさえいなければ......心音ちゃんは私の言うことだけを聞いてくれてたのに......!」
「っ......」
今まで感じてきた敵意の中で一番強い敵意を感じて思わず怯む。
「最初は関わってはいけない化け物に関わってしまったんだと後悔した。それが私の間違い。心音ちゃんは私の神様だった......!私の中にあるドス黒いものも、満たされないものも全部あなたが塗り潰してくれる......!ふふ、ふふふ......心音ちゃん......あなたが私を救ってくれる......」
「櫛田、さん......」
不気味に笑いながら綾瀬さんを讃えるその姿はまるで神を崇拝する狂信者だった。
「私はもう引き返せないところまで来てしまったの。だって、パンドラの箱を開けてしまったんだから」
「あなたは一体......何を見たの......?」
私の問いには答えず、彼女はこう答えた。
「次の特別試験、楽しみだね」
約束の時間まであと少し。
「ただ負けて終わりだと思っていた体育祭も思ったより楽しめましたね」
私は綾瀬さんから教えてもらった連絡先にビデオメッセージを送った。
堀北さんには今後有用に働いてもらうためにもここで潰れてしまってはよろしくない。
そのためには軽い手助けぐらいしてあげましょう。それに、綾瀬さんと約束したことでもありますから。
「ごめんね、待たせちゃった?」
「あぁ、大丈夫ですよ」
綾瀬さんが約束の時間ピッタリに来てくれました。ここは特別棟。私の部屋でも良かったのですが、この後のことを考えるとここが一番適任でした。
「まずはお疲れ様でした。素晴らしい活躍でしたね」
「ありがとう」
「あなたにとっては退屈な体育祭でしたか?」
「そう見える?」
「えぇ。どこか物足りない、そんな風に見えます」
「......どうなんだろ。これは物足りない、なのかな。でもいつものことだからあんまり気にしてないよ」
張り合いのない戦いほどつまらないものはない。綾瀬さんの場合は戦いにすらなっていなさそうですけどね。
「堀北さんは大丈夫そうでしたか?」
「うん。ここに来る前大丈夫だって言ってた。多分嘘もついてない」
「そうですか。本当なら大怪我を負う前に止められるような手を打てればよかったんですが......」
「仕方ないよ。止められないなら」
本当は怪我を負うような事態は避けられた。ですが敢えてそうしませんでした。そうすることで彼女がどんな反応するのか見てみたかった。
『鈴音が怪我をして壊れたら仕方ないよ』
綾瀬さんはそう言ってあっさりと受け入れた。一之瀬さんのようなお人好しであればそんな事態はなんとしてでも事前に避けようとするでしょう。
しかし、綾瀬さんはそうしなかった。
「この前のビデオメッセージがあればある程度はなんとかなるんでしょ?」
「えぇ」
「それならいい。壊れるのは身体までにしないとね。ここではそれがいい」
「真鍋さんは精神的に壊れてそうでしたけどよかったんですか?」
「あれぐらいならまだ全然大丈夫だよ。本当に壊れたなら喋れたりなんてしないから」
まるで壊れた人間をよく見てきたかのような口ぶりですね。
改めて彼女に抱く印象は不気味の一言に尽きます。
性格は温厚。普通に話している分には害のない存在。それなのにどこか歯車がズレている。他の方はどう思っているか分かりませんが、私は話していて常に違和感を感じますね。
この手のタイプは駒として扱うと痛い目を見る。なぜなら放置していると盤面を滅茶苦茶にする可能性があるからです。
「とにかくあなたには助けられたよ。競技でもAクラスの力を借りれたしね」
「私が手助けしたのは女子の団体戦のみ。それに綾瀬さんの身体能力があれば私の力など必要なかったでしょう」
「ううん、皆で勝ったことに意味があるの」
「そうですか。それでは────あなたのお眼鏡にはかなった、ということでよろしいでしょうか」
「......眼鏡?私、眼鏡かけてないよ?」
「あぁ、ごめんなさい。あなたは私の実力を認めてくれましたか?という意味です」
「うん。それはもちろん。あなたが私の『期待通り』の人でよかった」
その言葉で確信しました。やはり私の考えは間違っていなかった。
「綾瀬さん。私はあなたと私が初めて対峙したときのことをよく覚えています。そのときからずっとあなたは私を観察していました。綾瀬さん。あなたが私の何を観察していたのか教えてくれませんか?」
まるで私のことを人などと思っていない空虚な瞳。
彼女特有の生気のない瞳とも言えなくはないですが、他の人に向ける視線とは明らかに違う。私はずっとそれが気になっていた。
「坂柳。あなたが────欠陥品だということがよく分かった」
「この身体に対して同情や哀れみの目を向けられることはよくありましたが、欠陥品だと言われたのは初めてですね」
「あ、ごめんね。悪い風に言うつもりはなかったの。坂柳は私と同じなんだなって。それを確認したかった」
「......同じ?」
「私と同じで、生まれたときから使い物にならない部品を抱えている欠陥品。そうでしょ?」
確かに私の身体能力は欠けていると言ってもいい。
「あなたが勉強を出来ないのは知っています。ですがそこまで言い切りますか?勉強であればどうとでもなると思いますが」
「普通はそうかもね。でも私はどうしようもないの。だって私は────グミが貰えなかったから」
「......グミ?」
綾瀬さんはポケットからグミの袋を取り出し、一つ右手に乗せて握った。左手には何も乗せず握り、両手を前に出す。
「どっちにあると思う?」
綾瀬さんの意図は掴めませんが、とりあえず素直に綾瀬さんがグミを握った手を指差しました。
「正解。はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
グミを口に含む。
綾瀬さんはまたグミを取り出し、今度は右手に乗せた後、直後に左手に握り直して差し出してくる。
これも見たままの通り答える。
「正解」
またグミを貰う。
「これで最後」
綾瀬さんはグミを最初と同じように右手に乗せて握った。
「どこにあると思う?」
これも最初と同様見たまま答える。
「全部正解。簡単すぎた?」
「まぁ、そうですね」
「私が小っちゃい頃、2歳のときかな。こんなテストをされたことがあるの。3回失敗したら駄目。でも私は1回目でもう失敗しちゃった。その人が何をやっているのか分からなくて何も答えなかったんだ」
まだ言語能力も発達していない時期ですが、本能で察することは出来る。普通であれば3回とも外すことはなさそうですね。
「二回目はさっき右にあったから相手の右手を指差した。三回目は何をすればいいのか分からなくなって、その人を見つめ続けた。つまり私は3回外しちゃったから失敗。他にもこれと同じようなテストをやったんだけど私は全然駄目だった。ほんの少し頭を使えば分かるようなことばかりだったんだけど、そのほんの少しすら私はまともに使えない。生まれた頃から脳に不具合を起こしてたんだよ」
先天性脳疾患。綾瀬さんも私と同じように生まれつきハンデを抱えていたということでしょうか。
「綾瀬さんは小さい頃から特殊な環境にいたようですね」
「普通じゃないと思う。あそこではね、皆が『完璧』を目指してた」
身体能力だけに特化した綾瀬さんだからこそあり得ないと思っていた一つの可能性がここで再び私の脳裏をよぎる。
「......まさかとは思いますが、その場所は辺り一面が真っ白に染められていましたか?」
「うん。私はその景色ばかり見ていた。赤ちゃんのときから、ここに来るまで殆どがそう。私の記憶はその場所のことばかり」
「ホワイト、ルーム......」
私は自然と呟いていた。
常人離れをした身体能力を見てその可能性は思い浮かんでいた。ただ身体能力だけに特化しているなんてホワイトルームではあり得ない。
「んー......ルームってさ、広いところでもルームって言うの?ほら、トレーニングルームとか」
「ルームは部屋という意味でも使われますが、場所という意味でも使われますよ」
「私がいたところは白い空間......うん、ホワイトルームだ。じゃあそれが私がいた場所の名前なのかな?私も自分がいた場所の名前を聞かなかったから知らなかったよ。どうしてあなたは知ってるの?」
「私は一度訪れたことがありますから。そのときは子供たちが大人たち相手にチェスをしていました」
「そうだったんだ......私はしたことないな。んー......これだけじゃまだ本当に私もそこにいたのかって分かんないよね。私だって分かんないもん」
「そうですね......それなら代表者の名前は分かりますか?」
「分かるよ。『アツオミ』。アツオミには頭を下げる人も多かったし、結構偉い人なんだよね?それなら坂柳も知ってるんじゃない?」
「えぇ、よく知ってますよ」
「そっか。ねぇねぇ、アツオミってこの国で一番偉い人になれたのかな?」
「いいえ。総理大臣......一番偉い人はまた別の人ですね」
「そうなんだ......残念だね」
常人ではあり得ない身体能力、そしてホワイトルームの創設者『綾小路篤臣』と何かしらの繋がりがある人物。
敵対しているわけでもなさそうですし、もうホワイトルーム出身と確定してもいいでしょう。
まさか『彼』以外にもホワイトルーム出身の方がこの学校にいるとは驚きですね。
「ホワイトルームがあなたの言うように『完璧』を目指す場所であるなら欠陥品だったあなたは速い段階で脱落したはず。ですがあなたの話を聞く限りこの学校に来る前まではホワイトルームで過ごしてきたようですね」
「そうだよ。どうして欠陥品の私がホワイトルームにいれたのか、知りたい?」
「えぇ。ぜひ教えてください」
生き残りはただ一人だと聞いていた。それなら彼女はホワイトルームによって秘匿されていた存在なのでしょうか。
「分かった。そうだね......やっぱり完璧になる部品が欠落した欠陥品はあそこでは価値がなかった。だから私は一番に脱落した。そこで私は終わり───そのはずだった」
綾瀬さんは一呼吸置いて喋り出す。
「もう少しだけここにいなさいって言われたんだ。だけど皆とは別のことをやらされた。それは身体能力だけを高める特別な訓練。それで駄目だった勉強は完全に捨てたの」
「その試みは見事に成功したんですね」
それは今回の体育祭ではっきりと証明されている。彼女の身体能力に敵う者など誰一人としていなかった。
「これはあくまでデータを取るためにやったもので、誰も成功するとは思ってなかったんだって。でも私が成功例になった。そんな成功例があるから大人の人たちは他の不良品たちにも私と同じように頭脳か身体能力、どちらかだけでも高められるんじゃないかって思ったんだ」
「まるで不良品に与えられた『救済措置』ですね。ただそんな簡単な話ではないのでは?片方の能力だけを高めると言ってもそれ相応の代償も必要となってくるでしょう」
「そうだよ。本来あるべき人間の機能。あそこではそれが壊れるの。私たちは特にね。そのことに私以外は誰も耐えられなかった。結局残ったのは私だけ。だから私は唯一の成功例と呼ばれた」
ホワイトルームにはあらゆるカリキュラムをこなし、誰よりも優秀な成績を収めた『最高傑作』と呼ばれる存在がいる。
そんな『彼』とはまた違う存在。
人道を外れている教育を施すホワイトルームの中でも綾瀬さんたちへの教育は更に人道を外れている。
人間として生きることなど最初から期待されていなかった。まさしく『怪物』になるべくしてなったと言ってもいいですね。
「私がいた場所に落とされた不良品たちは皆絶望してた。どんなに頑張っても上には上がいる。自分では届かない現実ってやつを見ちゃったんだ」
「届かない現実ですか。確かに残酷なものではありますね」
競争社会ではよくあることです。
「別に足りないものばかりでも私はいいと思ってるんだけどな。足りないなら、いくらでも変えることが出来るから。欠陥品と違って救いようがあるよ」
「欠陥品には救いようがないということですか?」
「うん、ないよ。私も、あなたも」
「フフ、手厳しいんですね」
頭脳と力。それぞれどちらかに特化する以外道はない私たち。綾瀬さんの言い方を借りるなら、私たちは変わることなどないということなんでしょうね。
「この学校はいいよね。別に一番じゃなくても皆楽しそうなんだから」
「この学校も根幹はホワイトルームと似たようなものではあります。実力がある人間ほど得をするシステム。他の学校ではここまで露骨なことはありませんからね」
「そうなの?学校なんてここしか知らないから他はよく分かんないけど、不良品って呼ばれてるDクラスの皆もまだ誰もいなくなっていない。それだけでも私にとっては充分」
ホワイトルーム出身の綾瀬さんからすればここもぬるま湯みたいなものなんでしょう。
「何となく過ごしていくうちにね、私はこの学校を守りたい。あの場所と同じようなことを繰り返してはいけない。そう思うようになった」
「素敵な心がけです。ただ守るというのは一体何から?」
「この学校に潜んでいる────最高傑作。それがこの学校を壊しちゃうってアツオミから聞いたんだよね」
やはり綾瀬さんも最高傑作の存在は知っていましたか。
「ねぇ坂柳。あなたにお願いがあるの」
「何でしょう」
このタイミングでのお願い。当然まともなはずがない。
「私たちで最高傑作を────壊してあげよう」
「......それはなかなか面白そうな提案ですね」
ホワイトルームの最高傑作を壊すのは私の望みでもある。ただ綾瀬さんがなぜそれを望むのかは気になるところですね。
「最高傑作は誰よりも完璧で、一番だったって聞いてるんだ」
「なるほど。先ほどの話が繋がってくるというわけですか。確かにホワイトルームのレベルで最も優秀な存在が紛れていれば一般人では歯が立たない。だから届かない現実を見て絶望してしまい、それがこの学校の崩壊になる」
「そんな壊れ方は駄目。壊れるなら────希望がないと駄目なんだよ」
「希望......?」
「そう。ホワイトルームでは勝つことが全てだった。でも皆が勝てないような一番の存在がいるならどんなに頑張ったって意味なんてないでしょ?」
「だから綾瀬さんはボーダーラインそのものを下げるために『最高傑作』を壊そうとしているのですね。ただ上には上がいるように、下には下だっています。それこそ弱くて価値のない方たちはどうするつもりですか?」
「人は要らない部品を壊して、修復させることによって成長していく。だけど何度壊しても駄目ならそれはもう修復不可能。でも安心して。そういう人たちを救済するのが私の役目だから」
そもそも何度壊れても問題ないという認識でいるのがおかしいことだとは思いますが、それは一度置いておきましょう。
「修復不可能になった人たちはもうこの世界で生きることが出来ないんだよ。だから私が────眠らせるの。苦しみのない世界で、誰とも争わずに済むように」
まるで理想郷ですね。そしてそれが希望のある壊れ方、ということですか。
「そのためにも最高傑作は壊すべきだと思う。皆が良くない壊れ方をする前にもね。どう?私に協力してくれない?」
綾瀬さんは手を差し伸べてくる。
綾瀬心音は私が相手にするには最も不得意な相手です。
そもそものジャンル違い。身体能力と頭脳では戦うステージが違う。しかも話が通じているようでどこかズレてしまっているなら心理戦も出来ない。
だからこそ私にとっては厄介な相手が協力を申し出てくれるのならその手を取るのが一番賢い。
ですが─────。
「あなたの思想には共感出来ないのでお断りします」
「......そう」
苦しみのない世界。聞こえはいいですが、それは刺激もなく退屈な世界とも言える。生き物にはある程度の刺激がないと堕落して生きてるのか死んでるのかも分からない状態になってしまうものです。
現実と理想。
どちらも一長一短ですね。
残酷な現実は上手くいかない自分の現状を叩きつけるが、ときに自分を見つめ直すために必要なものである。
根拠のない理想はただの逃避となり自分を見失わせるか、現状に満足しないために必要なものでもある。
ようはバランス。どちらも極端化してしまえば人は取り返しのつかないほどに壊れる。
「それにホワイトルームの最高傑作は私の獲物です。あなたには渡しません」
私には偽りの天才を葬るという役目がある。そして綾瀬さんもホワイトルーム出身であれば同じく対象となる。
「じゃあ......私たちはライバル?」
「そうなりますね。ちなみにあなたは誰が最高傑作だと思いますか?」
「さぁ......今のところは全然分かんない。アツオミは教えてくれなかったから」
少なくとも連れ戻すように言われたホワイトルームの刺客ではないということなのでしょうか。どちらにせよ警戒はする必要がありますね。
彼女は危険です。とても盤面に収められるような存在じゃない。
綾瀬心音を下に見てはいけない。彼女もまた、盤上の外にいるもの。常に視線を合わせて警戒しておかなければならない。もちろん見上げるのも駄目です。見上げてしまえば、一瞬で取り込まれることになるでしょう。
「分かった。残念だよ、あなたの協力が得られなくて」
「申し訳ありませんね。私を排除しますか?」
「ううん、そんなことしない。私は......それでもあなたを仲間だと思ってるから」
一瞬だけ、これまで変わらなかった彼女の表情が暗くなった。
そして彼女は歩き出そうとする。
「綾瀬心音さん」
「何?」
「お互い─────寂しいものですね」
「......そうだね」
私もまた、普通の世界からは外れているのでしょう。
そのことについて私は何も思わない。
だけど綾瀬さんはどうでしょうか。
「あなたのことが知れて、よかったです」
今回の私の目的は綾瀬心音を理解すること。
彼女は誰よりも人間に寄り添おうとしている。
でも、人間を翻訳する機関が壊れてしまっているから破壊をもたらそうとしている。
酷く歪で、重大な欠陥を抱えた作品。
ホワイトルームの最高傑作である『綾小路清隆』くんと同じようにあなたも私が葬りましょう。それがあなたにとっての救いになると信じて。
ここからは後書きですが、今回はちょい長めなので全然読み飛ばしちゃって大丈夫です。
はい、綾瀬無双回でした。身体能力を活かすものであれば負ける気がしません。
でも無双なのにスカッとするどころかどこかモヤッとする終わり方となりましたね。どちらかというと爽快感よりも虚無感を意識したので仕方ないのですが。
ホワイトルームの生き残りであった綾瀬ですが、どっぷり浸かってるぐらいにはホワイトルーム側だったり......?
ただその中でも特殊な存在となっているのでホワイトルーム生と呼ぶのは少し違うのかもしれませんね。
一応ホワイトルームの技術を身体能力もしくは戦闘に全振りしているので人間の限界を超えてるどころの話じゃないのかもしれない()
色々疑問はあると思いますが、0巻部分もやるので綾瀬のホワイトルーム時代はそこて詳しくって感じになりますね。
今でも0巻部分は作成中です。ただ0巻を持ってる人ってあんまりいないと思います。
そこでアンケートを取ってみます。回答次第では描写も更に細かくする必要がありますから。まぁ1年生編が終了してからの話なのでだいぶ先にはなってしまいますけどね。
坂柳もとうとう登場しましたね。もっと早く登場させることも考えましたが、この章での演出を大事にしたかったのでここまで温存することにしました。
頭脳と身体能力、使う側と使われる側とかそういった要素に振り切った2人なんですが、この2人の関係が最終的にどうなるのかはまだ検討中です。
須藤と堀北で勉強と運動のくだりをやって、更にそれを極端化させた2人がいることで深みみたいのを出せてたらいいなと思ってたり。
現実と理想、最高傑作と欠陥品。綾瀬は綾小路との対比をめちゃくちゃ意識しました。今後の二人にぜひ注目してください。
次回は綾小路視点で見せてた1章とか2章の話を綾瀬視点でちょこっと見せます。そんなに長くはありません。ただ割と重要だったりします。
長々とお付き合いいただきありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
よう実0巻を持っていますか?
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持っている
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持っていない
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持っていないけど内容は大体知っている。