ようこそ理想郷へ   作:ナムさん

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第69話 食卓の余白

 パレットでの話し合いが終わって、私は一度、寮に戻った。

 部屋に鞄を置いて、椅子に掛けてあった服を畳む。

 携帯で時間を確かめると、そろそろ出た方がよさそうだった。

 今日は橘と夜ご飯を食べる約束をしてる。

 外に出ると、空はもう暗くなり始めていた。

 橘は寮の入口から少し離れたところにいた。私に気付くと、携帯をしまって手を振ってくれる。

 

「綾瀬さん。こちらです」

 

「橘。待たせちゃった?」

 

「いいえ。私も来たばかりですよ」

 

 体育祭が終わったら、また一緒にご飯を食べる。

 今日はその約束の日だった。

 

「今日は何をしていたんですか?」

 

「次の試験のことで鈴音たちと話してた」

 

「もう次の試験なんですね」

 

「うん。皆、色んなことに気付いてて凄かった。......いっぱい話してたらお腹空いちゃった」

 

「では、続きは食べながら聞きましょうか」

 

 私は頷いて、橘の隣を歩いた。

 この前一緒に行ったレストランは、今日も人がいっぱいだった。

 入口にも何人か待ってる人がいる。

 

「......入れるかな」

 

「大丈夫ですよ」

 

 橘がお店の人に名前を伝えると、すぐに席へ案内してくれた。

 

「夕食の時間は混みますから、先に予約しておいたんです」

 

「おー......ありがとう、橘」

 

 さすが橘だ。

 席に着くと、橘が注文するための画面を私の方へ向けた。

 

「今日は何を食べますか?」

 

「んー......橘は?」

 

「私は、このパスタにします」

 

「じゃあ、私はハンバーグと、オムライス」

 

「ちゃんと残さず食べてくださいよ?」

 

「うん。あと、これも」

 

 パフェの写真を押そうとすると、橘が私を止めた。

 

「待ってください。デザートは食事の後です」

 

「でも、先に頼んでおかないとなくなっちゃうかも」

 

「......では、先に注文して、後から持ってきてもらえるか聞いてみましょう」

 

 橘はお店の人に声を掛けた。

 先に注文しておいて、食後に持ってきてもらえることになった。

 

「これでいいでしょう?」

 

「うん。ありがとう」

 

「分からないことは、聞いてみるんですよ。画面に全部書いてあるとは限りませんから」

 

 私は頷いて、注文を終えた。

 

「それで、どんな試験なんですか?」

 

「二人で受けるんだって。あと、問題も私たちが作るの」

 

「試験問題を、ですか?」

 

「うん。違うクラスに解いてもらうの。私たちも、違うクラスが作った問題を解くんだって」

 

「なるほど。ペーパーシャッフルですね」

 

「へえ。そういう名前なんだ」

 

 今日、サエが説明してた試験。

 名前までは聞いてなかった。

 

「橘、知ってたの?」

 

「ええ。あなたより二年も長く、この学校にいるんですから」

 

 橘は、少し得意そうだった。

 

「ペアの相手はもう決まっているんですか?」

 

「まだ。頭のいい人と組むかもしれないって、鈴音たちが言ってた」

 

「それなら勉強を教わることも出来そうですね」

 

「うん。でも私と組んだら大変そう」

 

「この前のテストはどうでしたか?」

 

「下から二番目だった。体育祭の点数も足したから、一番下じゃなかったよ」

 

「体育祭で頑張った分が、役に立ったんですね。ですが、それで安心しないでくださいよ」

 

「うん。試験で取った点数は、あんまり変わんないし」

 

 話していると、ご飯が届いた。

 橘が自分のお皿をずらして、私の二皿を置く場所を空けてくれる。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 まず、ハンバーグにフォークを伸ばした。

 

「授業中に寝たりしているんじゃありませんか?」

 

 一口飲み込んでから、私は首を振った。

 

「寝てないよ。サエの話も聞いてるし、問題集もやってる」

 

「問題集も?」

 

「うん。鈴音が教えてくれる。間違えたところもちゃんと直してるよ」

 

「それはいいことです」

 

 違う式を使ってたら、正しい式を書いて。

 もう一回、計算する。

 答えが合ったら、次に進む。

 今日も、そうやった。

 

「では、教わった問題は、次には一人で解けそうですか?」

 

「......どうだろ」

 

 少し考えてから答えた。

 

「でも、教えてもらったのは全部書いてあるよ」

 

「書いたら終わり、ではいけませんよ。答えを見ずにもう一度解いてみてください」

 

「うん、分かった」

 

 間違ってたら、また直す。

 次の試験まで、問題集をやる。

 

「今回、二人の点数が足りなかったら、私と組む人も退学になっちゃうんだって」

 

「ええ。二人で受ける試験ですからね」

 

「だから、やらないと。私と組んだせいで、その人が退学になったら困るから」

 

 橘はフォークを置いた。

 

「では、分からないことを黙っておくのも駄目です」

 

「......でも、いっぱいあるよ」

 

「でしたら、いっぱいあると伝えるんです。一つしかないと思われたら、相手も一つしか手伝えませんから」

 

「......そっか」

 

 教えてもらったところを、全部やって。

 まだ分からなかったら、その人に言う。

 

「私に出来ることがあったら、その人の分もするね」

 

「その前に、自分が困っていることを言うんです」

 

「......そっちが先?」

 

「そうです。二人で受けるんですから、相手に手伝ってもらうことも考えてください」

 

「うん」

 

 その人に、何をしてほしいか聞いてみよう。

 勉強以外にも、私に出来ることがあるかもしれない。

 

「綾瀬さん。今度、問題集を持ってきてください」

 

「問題集?」

 

「ええ。実際に解くところを私にも見せてもらえますか?」

 

「橘が教えてくれるの?」

 

「まずは、どこで止まってしまうのか見てみます。ただ頷いて終わり、にはさせませんからね」

 

 私は、テーブルの端に置いていた携帯を取った。

 次に会うときは、問題集。

 忘れないように、そう打っておく。

 

「でも、橘って忙しそうだから」

 

「時間は相談しましょう。困ったことがあったら、それまでにも連絡していいんですよ」

 

「また同じこと聞くかも」

 

「聞いてください。分からないまま進んで、後から困るよりいいでしょう?」

 

「......何回聞いても、いいの?」

 

「ええ。すぐに返事が出来ないことはありますけど、ちゃんと読みますから」

 

 そう言って、橘は少し胸を張った。

 

「先輩ですから」

 

 夏休みに、壊れた携帯を何とかしてくれたときにも、橘はそんなことを言ってた。

 

「......ありがとう」

 

「どういたしまして。ですが、まだ更生が済んだわけではありませんよ」

 

「......まだ、やってたんだ」

 

「不良生徒を更生させると言ったからには、途中で投げ出したりしません。あの部屋はちゃんと片付いていますか?」

 

「......今日は、出てくるときに服を畳んだよ」

 

「それはいいことです。他は?」

 

「他は......今度やる」

 

「そこまでやってください!」

 

 橘の声が大きくなった。

 近くの席の人がこっちを見ると、橘は慌てて口元を押さえた。

 

「......もう。あなたと話していると、調子が狂います」

 

「橘、やっぱり面白いね」

 

「私は真剣なんですよ」

 

 橘がまたパスタを巻き始める。

 私はハンバーグを一口分切って、小皿に載せた。

 

「橘、これも食べる?」

 

「......ありがとうございます。でも、これでお説教が終わったと思わないでくださいよ」

 

「まだあるの?」

 

「あります」

 

 そう言いながら、橘はハンバーグを食べた。

 それから、自分のパスタも少し分けてくれる。

 

「こちらも食べてみますか?」

 

「うん」

 

 小皿を受け取ると、橘は私の方を見た。

 

「そういえば、体育祭は楽しかったですか?」

 

「うん。皆、いっぱい走ってた。須藤も頑張ってたし、鈴音も......」

 

「ええ。皆さん、頑張っていましたね」

 

 橘は私の話を聞いてくれた。

 須藤のこと。池と一緒に走ったこと。皆が喜んでたこと。

 話していると、あの日のことを色々思い出す。

 でも、橘が聞きたかったのは、少し違ったみたい。

 

「綾瀬さん自身は、どうでした?」

 

 私自身。

 自分が走ったときのことを思い出してみる。

 走るのは、いつもとそんなに変わらなかった。

 前に進んで、ゴールまで行く。

 終わったら、皆がこっちに来た。

 笑ってる人が、いっぱいいた。

 楽しかった、のかな。

 よく分かんない。

 考えながら、橘がくれたパスタを食べる。

 向かいには橘がいる。

 私が黙ってても、答えを待ってくれてる。

 

「......今は楽しい」

 

 橘のフォークが止まった。

 

「今、ですか?」

 

「うん。ご飯、美味しいし」

 

 橘はすぐには返事をしなかった。

 

「......体育祭のときは?」

 

「皆、喜んでくれたよ」

 

「皆さんのことではなくて......」

 

 そこで言葉を止めて、橘は私の顔を見た。

 

「......分かんない」

 

 橘が少しだけ眉を寄せる。

 何か言いかけたけど、口を閉じた。

 

「橘は? 今、楽しくない?」

 

「え?」

 

「さっきから、食べてないから」

 

 橘は手元のフォークを見て、それから私へ視線を戻した。

 目が合うと、少しだけ逸らす。

 

「......退屈はしていませんよ」

 

「そっか」

 

 橘は小さく咳払いをして、背筋を伸ばした。

 

「ただし! 綾瀬さんを更生させるという大事な目的もありますからね。次までにはお部屋を片付けておいてください」

 

「......またお説教?」

 

「片付けておけば、しなくて済むんです」

 

 今度は、いつもの橘の声だった。

 私の顔をもう一度見てから、橘はようやくフォークを持ち直した。

 食事が終わると、橘がお店の人に声を掛けた。

 頼んでいたパフェが運ばれてくる。

 

「また一緒に食べようね」

 

「いいですよ。今度は問題集も一緒ですからね」

 

「うん」

 

「次は何を食べたいですか?」

 

「んー......まだ分かんない」

 

「では、それはまた今度考えましょう」

 

 今度。

 今日だけじゃなくて、また橘とご飯を食べられる。

 

「約束?」

 

「ええ。約束です」

 

「......忘れない?」

 

「忘れませんよ。今日もちゃんと一緒に来たでしょう?」

 

「うん。じゃあ、また連絡するね」

 

「はい。待っています」

 

「問題集も、大丈夫。さっき携帯に書いたから」

 

 画面を見せると、橘は頷いてくれた。

 全部食べてお店を出た頃には、外はすっかり暗くなっていた。

 橘と並んで、寮までの道を歩く。

 

「今度は、橘のパスタも頼もうかな」

 

「ええ。では、そのときは私がハンバーグにしましょうか」

 

 寮に着くまで、次のご飯の話は続いた。

 

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