パレットでの話し合いが終わって、私は一度、寮に戻った。
部屋に鞄を置いて、椅子に掛けてあった服を畳む。
携帯で時間を確かめると、そろそろ出た方がよさそうだった。
今日は橘と夜ご飯を食べる約束をしてる。
外に出ると、空はもう暗くなり始めていた。
橘は寮の入口から少し離れたところにいた。私に気付くと、携帯をしまって手を振ってくれる。
「綾瀬さん。こちらです」
「橘。待たせちゃった?」
「いいえ。私も来たばかりですよ」
体育祭が終わったら、また一緒にご飯を食べる。
今日はその約束の日だった。
「今日は何をしていたんですか?」
「次の試験のことで鈴音たちと話してた」
「もう次の試験なんですね」
「うん。皆、色んなことに気付いてて凄かった。......いっぱい話してたらお腹空いちゃった」
「では、続きは食べながら聞きましょうか」
私は頷いて、橘の隣を歩いた。
この前一緒に行ったレストランは、今日も人がいっぱいだった。
入口にも何人か待ってる人がいる。
「......入れるかな」
「大丈夫ですよ」
橘がお店の人に名前を伝えると、すぐに席へ案内してくれた。
「夕食の時間は混みますから、先に予約しておいたんです」
「おー......ありがとう、橘」
さすが橘だ。
席に着くと、橘が注文するための画面を私の方へ向けた。
「今日は何を食べますか?」
「んー......橘は?」
「私は、このパスタにします」
「じゃあ、私はハンバーグと、オムライス」
「ちゃんと残さず食べてくださいよ?」
「うん。あと、これも」
パフェの写真を押そうとすると、橘が私を止めた。
「待ってください。デザートは食事の後です」
「でも、先に頼んでおかないとなくなっちゃうかも」
「......では、先に注文して、後から持ってきてもらえるか聞いてみましょう」
橘はお店の人に声を掛けた。
先に注文しておいて、食後に持ってきてもらえることになった。
「これでいいでしょう?」
「うん。ありがとう」
「分からないことは、聞いてみるんですよ。画面に全部書いてあるとは限りませんから」
私は頷いて、注文を終えた。
「それで、どんな試験なんですか?」
「二人で受けるんだって。あと、問題も私たちが作るの」
「試験問題を、ですか?」
「うん。違うクラスに解いてもらうの。私たちも、違うクラスが作った問題を解くんだって」
「なるほど。ペーパーシャッフルですね」
「へえ。そういう名前なんだ」
今日、サエが説明してた試験。
名前までは聞いてなかった。
「橘、知ってたの?」
「ええ。あなたより二年も長く、この学校にいるんですから」
橘は、少し得意そうだった。
「ペアの相手はもう決まっているんですか?」
「まだ。頭のいい人と組むかもしれないって、鈴音たちが言ってた」
「それなら勉強を教わることも出来そうですね」
「うん。でも私と組んだら大変そう」
「この前のテストはどうでしたか?」
「下から二番目だった。体育祭の点数も足したから、一番下じゃなかったよ」
「体育祭で頑張った分が、役に立ったんですね。ですが、それで安心しないでくださいよ」
「うん。試験で取った点数は、あんまり変わんないし」
話していると、ご飯が届いた。
橘が自分のお皿をずらして、私の二皿を置く場所を空けてくれる。
「いただきます」
「いただきます」
まず、ハンバーグにフォークを伸ばした。
「授業中に寝たりしているんじゃありませんか?」
一口飲み込んでから、私は首を振った。
「寝てないよ。サエの話も聞いてるし、問題集もやってる」
「問題集も?」
「うん。鈴音が教えてくれる。間違えたところもちゃんと直してるよ」
「それはいいことです」
違う式を使ってたら、正しい式を書いて。
もう一回、計算する。
答えが合ったら、次に進む。
今日も、そうやった。
「では、教わった問題は、次には一人で解けそうですか?」
「......どうだろ」
少し考えてから答えた。
「でも、教えてもらったのは全部書いてあるよ」
「書いたら終わり、ではいけませんよ。答えを見ずにもう一度解いてみてください」
「うん、分かった」
間違ってたら、また直す。
次の試験まで、問題集をやる。
「今回、二人の点数が足りなかったら、私と組む人も退学になっちゃうんだって」
「ええ。二人で受ける試験ですからね」
「だから、やらないと。私と組んだせいで、その人が退学になったら困るから」
橘はフォークを置いた。
「では、分からないことを黙っておくのも駄目です」
「......でも、いっぱいあるよ」
「でしたら、いっぱいあると伝えるんです。一つしかないと思われたら、相手も一つしか手伝えませんから」
「......そっか」
教えてもらったところを、全部やって。
まだ分からなかったら、その人に言う。
「私に出来ることがあったら、その人の分もするね」
「その前に、自分が困っていることを言うんです」
「......そっちが先?」
「そうです。二人で受けるんですから、相手に手伝ってもらうことも考えてください」
「うん」
その人に、何をしてほしいか聞いてみよう。
勉強以外にも、私に出来ることがあるかもしれない。
「綾瀬さん。今度、問題集を持ってきてください」
「問題集?」
「ええ。実際に解くところを私にも見せてもらえますか?」
「橘が教えてくれるの?」
「まずは、どこで止まってしまうのか見てみます。ただ頷いて終わり、にはさせませんからね」
私は、テーブルの端に置いていた携帯を取った。
次に会うときは、問題集。
忘れないように、そう打っておく。
「でも、橘って忙しそうだから」
「時間は相談しましょう。困ったことがあったら、それまでにも連絡していいんですよ」
「また同じこと聞くかも」
「聞いてください。分からないまま進んで、後から困るよりいいでしょう?」
「......何回聞いても、いいの?」
「ええ。すぐに返事が出来ないことはありますけど、ちゃんと読みますから」
そう言って、橘は少し胸を張った。
「先輩ですから」
夏休みに、壊れた携帯を何とかしてくれたときにも、橘はそんなことを言ってた。
「......ありがとう」
「どういたしまして。ですが、まだ更生が済んだわけではありませんよ」
「......まだ、やってたんだ」
「不良生徒を更生させると言ったからには、途中で投げ出したりしません。あの部屋はちゃんと片付いていますか?」
「......今日は、出てくるときに服を畳んだよ」
「それはいいことです。他は?」
「他は......今度やる」
「そこまでやってください!」
橘の声が大きくなった。
近くの席の人がこっちを見ると、橘は慌てて口元を押さえた。
「......もう。あなたと話していると、調子が狂います」
「橘、やっぱり面白いね」
「私は真剣なんですよ」
橘がまたパスタを巻き始める。
私はハンバーグを一口分切って、小皿に載せた。
「橘、これも食べる?」
「......ありがとうございます。でも、これでお説教が終わったと思わないでくださいよ」
「まだあるの?」
「あります」
そう言いながら、橘はハンバーグを食べた。
それから、自分のパスタも少し分けてくれる。
「こちらも食べてみますか?」
「うん」
小皿を受け取ると、橘は私の方を見た。
「そういえば、体育祭は楽しかったですか?」
「うん。皆、いっぱい走ってた。須藤も頑張ってたし、鈴音も......」
「ええ。皆さん、頑張っていましたね」
橘は私の話を聞いてくれた。
須藤のこと。池と一緒に走ったこと。皆が喜んでたこと。
話していると、あの日のことを色々思い出す。
でも、橘が聞きたかったのは、少し違ったみたい。
「綾瀬さん自身は、どうでした?」
私自身。
自分が走ったときのことを思い出してみる。
走るのは、いつもとそんなに変わらなかった。
前に進んで、ゴールまで行く。
終わったら、皆がこっちに来た。
笑ってる人が、いっぱいいた。
楽しかった、のかな。
よく分かんない。
考えながら、橘がくれたパスタを食べる。
向かいには橘がいる。
私が黙ってても、答えを待ってくれてる。
「......今は楽しい」
橘のフォークが止まった。
「今、ですか?」
「うん。ご飯、美味しいし」
橘はすぐには返事をしなかった。
「......体育祭のときは?」
「皆、喜んでくれたよ」
「皆さんのことではなくて......」
そこで言葉を止めて、橘は私の顔を見た。
「......分かんない」
橘が少しだけ眉を寄せる。
何か言いかけたけど、口を閉じた。
「橘は? 今、楽しくない?」
「え?」
「さっきから、食べてないから」
橘は手元のフォークを見て、それから私へ視線を戻した。
目が合うと、少しだけ逸らす。
「......退屈はしていませんよ」
「そっか」
橘は小さく咳払いをして、背筋を伸ばした。
「ただし! 綾瀬さんを更生させるという大事な目的もありますからね。次までにはお部屋を片付けておいてください」
「......またお説教?」
「片付けておけば、しなくて済むんです」
今度は、いつもの橘の声だった。
私の顔をもう一度見てから、橘はようやくフォークを持ち直した。
食事が終わると、橘がお店の人に声を掛けた。
頼んでいたパフェが運ばれてくる。
「また一緒に食べようね」
「いいですよ。今度は問題集も一緒ですからね」
「うん」
「次は何を食べたいですか?」
「んー......まだ分かんない」
「では、それはまた今度考えましょう」
今度。
今日だけじゃなくて、また橘とご飯を食べられる。
「約束?」
「ええ。約束です」
「......忘れない?」
「忘れませんよ。今日もちゃんと一緒に来たでしょう?」
「うん。じゃあ、また連絡するね」
「はい。待っています」
「問題集も、大丈夫。さっき携帯に書いたから」
画面を見せると、橘は頷いてくれた。
全部食べてお店を出た頃には、外はすっかり暗くなっていた。
橘と並んで、寮までの道を歩く。
「今度は、橘のパスタも頼もうかな」
「ええ。では、そのときは私がハンバーグにしましょうか」
寮に着くまで、次のご飯の話は続いた。
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