10月30日の誕生花はスイレン(他にもある)には純粋とか清浄という意味がありまして、誕生日石はオパールとかトルマリンらしいです。特にオパールは純真無垢なんて意味があるようです。
学校に来る前のことを、ふと思い出した。
ホワイトルームが使えなくなったあと、私は次に行くところが決まるのを待っていた。
あそこには、不良品って呼ばれていた子たちがいた。
私にはできないことができる子もいた。同じ服を着て、同じところにいた。
だから、私もあの子たちの仲間だと思っていた。
でもある日、あの子たちにこう言われた。
『あなたなんか仲間じゃない』
私も一緒だと思っていたから。
今も、あのときの顔を覚えている。
また、あんなふうに見られたらどうしよう。
私を誰に任せるのか、話をしている声が聞こえた。
何人かの名前が出ていたけれど、なかなか決まらなかった。
それから、あの人の名前が出た。
私のことを知っているから、その人なら任せられるんだって。
結局、あの人のところへ行くことになった。
「しばらくは、ここにいろ」
頷いて、その顔を見る。
ほかにも何か言われるのかと思ったけれど、それだけだった。
訓練はできなくなっていた。
朝になっても、いつもの時間にすることがない。
少し座って待ってみたけれど、何も始まらなかった。
時計を見る。さっきも見たけれど、まだあまり進んでいない。
何かすること、ないのかな。
足音が近づいてくると、扉の方を見た。
私に何か用かな。
名前を呼ばれると、すぐに顔を上げた。
何かしてほしいことがあるなら、教えてほしかった。
呼ばれて部屋に入ると、あの人は机の前に座っていた。
私が近くまで行くと、顔を上げる。
「身体の方はどうだ」
私は頷いた。
「以前と同じように動けるか」
自分の手を見て、もう一度頷いた。
「そうか。お前には、やってもらうことがある」
私は顔を上げて、続きを待った。
「今はいい。必要になれば呼ぶ」
あの人はまた紙を見始めた。
何をするのか教えてもらえるかもしれないと思って、もう少し待ってみる。
紙をめくる音がした。
「もういい」
顔を上げると、扉の方を顎で指していた。
私は頷いて、部屋を出た。
何をするんだろう。
部屋を出てからも、まだ気になっていた。
ツキシロが来たときも、私は座って待っていた。
向かいに座ったツキシロが、上着から手帳を取り出す。
「お変わりありませんか」
私は頷いた。
両手は膝に乗せていた。
ツキシロは手帳を開いて、ペンを指に挟む。
「そうですか」
ツキシロの指先が動いた。ペンが勢いよく飛んでくる。
右手を伸ばして、ペンを指の間に挟んだ。
「ええ。動きは鈍っていないようですね」
私はペンを持った手を見た。
それからツキシロへ顔を上げる。
「お返しいただけますか」
ツキシロがこっちへ手を伸ばしたので、私はペンを持ち直した。
今度はゆっくり腕を伸ばす。
ツキシロが持ったのを見てから、指を離した。
「ありがとうございます」
ペンが手帳に挟まれた。
私は右手を膝に戻して、その上に左手を重ねた。
あのときのことを思い出しながら、手元のペンを少し持ち直した。
開いたノートには、さっき書いた文字が並んでいる。
ずっと同じところで手を止めていたみたい。
近くで鞄のファスナーを閉じる音がした。
椅子を引く音や、「また明日」と話す声も聞こえる。
私も、片づけないと。
「心音ちゃん」
顔を上げると、桔梗が机の隣に立っていた。
鞄を肩に掛けて、私の手元を見ている。
「考え事?」
「......うん」
「そっか。急がなくても大丈夫だけど、帰る準備できそう?」
私もペンをしまってノートを閉じた。
「このあと、少し付き合ってもらってもいい?」
「何かするの?」
「ちょっと寄り道。心音ちゃんと一緒に行きたいところがあるんだ」
「うん。いいよ」
「ありがとう。じゃあ、行こっか」
桔梗が笑った。
私も鞄を持って立ち上がる。
「何か、手伝う?」
「今日は、一緒に来てくれるだけでいいよ」
「それだけ?」
「うん」
私は頷いて、桔梗の隣に並んだ。
着いたら、何をするのか教えてくれるのかな。
そう思いながら、桔梗の隣を歩いた。
寮へ戻って、桔梗の部屋の前まで来た。
中から、色んな人の声が聞こえた。
「みんなもいるの?」
「うん。先に来てもらってるんだ」
「今日は、勉強?」
「今日は違うよ」
桔梗が扉を開ける。
「入って」
桔梗は靴を脱ぐと、先に部屋の奥へ入っていった。
玄関には靴がいくつも並んでいる。自分の靴を置けるところを探して、私も靴を脱いだ。
靴をそろえて部屋へ足を踏み入れた途端だった。
パンッ。
突然、乾いた音が響いた。
─────頭と心臓。一発でも、そこはだめ。
そう思ったときには、もうその場にしゃがみ込んでいた。
音のした方へ突き出した鞄が左胸を隠し、空いた腕は頭をかばう。
遅れて髪が頬に当たった。もう一度、同じ音が鳴る。
腕の下から顔を上げると─────
「お誕生日、おめでとう!」
皆の声が重なった。
金色や桃色の細い紙が頭の上を通っていた。
何人かが小さな筒を持っていた。
その先から、長い紙が垂れている。
「......心音ちゃん?」
桔梗が少し目を丸くして、私を見ていた。
私は腕と鞄を下ろして身体を起こし、近くにいた子の手元を指した。
「今の音、それ?」
「うん。クラッカーだよ」
筒を少し持ち上げて見せてくれた。
その先を見ていると、落ちてきた紙が一本、私の髪に引っかかった。
「心音ちゃん、ちょっと待ってね」
桔梗が横から指を伸ばして、そっと取ってくれる。
「びっくりした?」
「うん。ちょっと」
「ごめんね。いきなり鳴らしちゃって」
筒を持っていた子が、こっちを見ていた。
「ううん。大丈夫」
足元へ目を落とすと、つま先のすぐ前にも金色の紙が落ちていた。
部屋の中を見ると、みーちゃんもこっちを見ていた。
低いテーブルの周りに座っている子もいれば、ベッドの端に並んでいる子もいる。
前に井の頭の誕生日を祝ったときも、この子たちと一緒だった。
壁には赤や黄色の紙の輪がつながっていた。
窓のそばにも、薄い紙で作った花がいくつもついている。
ベッドの上の壁には、文字が貼ってあった。
おたんじょうび、おめでとう。
その下には私の名前もあった。
文字の周りにも紙の花がついている。
端から一つずつ見ていると、井の頭が膝を引いてくれた。
「綾瀬さん、こっち空いてるよ」
「ちょっと詰めてあげて」
「鞄はこっちに置いていいからね」
テーブルを挟んだ向こう側でも、少しずつ場所を譲り合っていた。
「心音ちゃんは、ここね」
桔梗がクッションを置いてくれる。
皆の膝の間を通ってそこへ行く。壁際には鞄がまとめて置かれていて、テーブルには紙コップや皿が並んでいた。
その真ん中に、大きな白い箱がある。
鞄を下ろそうとしたところで、松下が蓋を開けた。
白いクリームの上に、苺がいくつも乗っていた。
真ん中にはチョコレートがあって、その上にも私の名前が書かれている。
顔を上げると、皆がこっちを見ていた。
「......これ、私に?」
「うん。今日は綾瀬さんの番だよ」
井の頭が笑った。
「前は私のこと、お祝いしてくれたから。今度は私も、おめでとうって言いたかったんだ」
「私に?」
「うん。綾瀬さん、お誕生日おめでとう」
「......ありがとう」
みーちゃんも頷いてくれる。
「前に誕生日を教えてくれたでしょう?覚えていたんです」
そういえば、聞かれたことがあった。
学生証を出して、そこに書いてある日を教えた。
「みーちゃん、覚えててくれたの?」
「はい。10月30日、今日です」
私はもう一度、テーブルを見回した。
「みんな、それで集まってくれたの?」
「そうだよ。心音ちゃんには内緒でね」
桔梗が顔を覗き込んでくる。
私は壁の紙の花をもう一度見た。
これも、ケーキも。皆が私のために用意してくれたんだ。
誕生日がどういう日なのかは、前にみーちゃんに教えてもらった。
私が生まれた日。
でも、今日は皆に何かしてあげたわけじゃない。
「......私、何かした?」
「何かって?」
「おめでとうって、言ってもらうようなこと」
桔梗は少し私を見てから、笑った。
「心音ちゃんが生まれた日だからだよ。みんなでお祝いしたかったの」
「それだけで?」
「うん」
みーちゃんも頷いていた。
まだよく分からなくて、皆の顔を見る。
どこを見ても、こっちに向かって笑ってくれていた。
「綾瀬さん、とりあえず座ろ?」
井の頭に言われて、手元を見る。
まだ鞄を持ったままだった。
「......うん」
クッションに座ると、桔梗も隣に座った。
松下が桔梗の方へ顔を向ける。
「ねえ、櫛田さん。私も来てよかったの?」
「え?」
「この集まりに私が加わることってあんまりないからさ。ちょっと気になって」
「もちろんだよ。一緒に井の頭さんの誕生日プレゼントを考えた仲でしょ?」
向かいにいた井の頭が顔を上げた。
「それ、本人の前で言う?」
「だって、本当のことでしょ?」
桔梗が笑うと、井の頭の頬が少し赤くなった。
井の頭は松下を見て、持っていた紙コップを膝に置いた。
「......松下さんも、そのときはありがとうございました」
「ううん。喜んでもらえてよかった。ていうか、私にもタメ口でいいのに」
「は、はい......!」
松下も笑った。
井の頭は頷いてから手元へ目を戻してしまった。
「じゃあ、今日は遠慮なく混ぜてもらおうかな」
松下が箱の側面を開いて、ケーキを台紙ごとテーブルに出してくれる。
名前の書かれたところが見えるように向きが変わってから、桔梗がろうそくに火をつけた。
小さな火が、私の目の前で揺れる。
桔梗が歌い始める。
みーちゃんが続いて、ほかの皆も一緒に歌った。向こうの席で手拍子が始まって、隣からも同じ音がする。
自分の名前が聞こえたとき、顔を上げた。
皆がこっちを見ていた。
井の頭も、みーちゃんも。端に座っている子まで、私に向かって歌ってくれている。
歌が終わった。
私はそのままケーキを見ていた。
小さな火が、まだいくつも揺れている。
少し待ってから顔を上げると、皆もこっちを見ていた。
桔梗を見る。桔梗はケーキへ目を向けて、それから私に顔を戻した。
「心音ちゃん、ろうそく」
「......うん?」
もう一度、火を見る。
どうすればいいんだろう。
「これ、どうするの?」
「息を吹いて、火を消すんだよ」
つけたばかりなのに。
桔梗の顔を見て、確かめる。
「消していいの?」
「うん。今日は心音ちゃんが消すの」
桔梗が少し身体を引いて、ケーキの前を空けてくれた。
私は身体を前へ寄せる。
息を吹くと、火が順番に消えた。最後の一本も消えて、細い煙が上がる。
「おめでとう!」
また、皆の声が重なった。
火を消しただけなのに、拍手までしてもらえた。
ケーキから顔を上げて、桔梗を見る。
「......ありがとう」
それから向かいにいる皆を見た。
「みんな、ありがとう」
少し声を大きくすると、端の席からも「どういたしまして」と返ってきた。
ろうそくが外されて、ケーキが切り分けられていく。
隣から渡された皿を向こうへ送ると、今度はフォークが回ってきた。届かないところには、近くの子が手を伸ばしてくれる。
テーブルに置ききれない皿を、ベッドに座っている子たちが受け取ってくれる。
向こうまで渡ったのを見てから、私も自分の皿を手に取った。
私の前には、名前の書かれたチョコレートも置かれた。
「これ、全部もらっていいの?」
「もちろん。綾瀬さんのだよ」
松下が言った。
手に取って裏返してみる。裏には何も書いていなかった。
「食べるの、もったいない?」
「名前がなくなっちゃう」
「じゃあ、食べる前に撮っておこうよ」
松下が携帯を向ける。
私はチョコレートを皿へ戻して、文字が見えるように置き直した。
「これでいい?」
「うん。ちょっと待ってね」
撮れた写真を見せてもらった。
ちゃんと、私の名前が残っている。
「その写真、あとで送って」
「いいよ」
端を少しだけ割って食べた。
甘い。
残ったところを見たら、まだ名前の半分が読めた。
「美味しい?」
桔梗に聞かれて頷く。
「うん。桔梗が選んでくれたの?」
「みんなで決めたんだよ」
「結構迷ったよね。チョコのも美味しそうだったし」
松下が言うと、井の頭も頷いた。
「そうですね。迷いましたよね」
それから、井の頭がこっちを見た。
「決めたあとも、綾瀬さんはどっちが好きかなって話してたんだよ」
隣のみーちゃんにも顔を向ける。
「みーちゃんも、苺の方がいいって言ってたよね」
みーちゃんが自分の皿に目を落として、それから私を見る。
「綾瀬さん、苺も好きだと思ったので」
「好きだよ」
苺とクリームを一緒にすくって食べる。
甘いあとに、少しだけ酸っぱかった。
「これ、美味しい」
「よかったです」
みーちゃんが笑ったので、もう一口食べた。
「でも、チョコも好き」
「じゃあ、次はそっちにしようか」
松下の声に顔を上げる。
「また、みんなで?」
「うん。またこうして集まればいいでしょ」
向こう側でも、何人かが頷いていた。
私はフォークを持ち直して、残っているケーキを見た。
次に食べるものも決まった。
皆の紙コップに飲み物が注がれてからは、部屋のあちこちで話が始まった。
隣で桔梗が話していると、向こうでは別の話で笑い声が上がる。みーちゃんに呼ばれて顔を向けたら、反対側から松下にも声をかけられた。
「綾瀬さん、クリームついてるよ」
松下が自分の口元を指した。
渡された紙で拭いてみる。
「取れた?」
「もうちょっと右」
もう一度拭くと、松下が頷いた。
隣を見ると、桔梗がこちらを見ていた。
「何?」
「ううん。楽しんでくれてるかなって」
「うん。楽しい」
「そっか」
桔梗が嬉しそうに笑った。
私は残っていた苺を食べて、今度は口元を拭いてから、皆の話を聞いた。
「ねえ、そろそろ写真撮らない?」
桔梗が携帯を取り出した。
私はフォークを置いて、手を伸ばす。
「私、撮ろうか?」
「心音ちゃんはこっち」
桔梗に袖を引かれた。
ベッドの前に皆が集まっていく。向こう側から来る子が通れるように膝を引いて、それから私も桔梗の隣へ移った。
「タイマーにするね」
松下が机の上の本に携帯を立てかける。
画面を覗き込んでから、皆の方を見た。
「後ろ、もう少し真ん中に寄って。端の子が切れちゃう」
「ここなら写る?」
「もうちょっとこっち。顔、隠れちゃってるよ」
ベッドに腰掛けていた皆が近づいてくる。
みーちゃんたちは私の前に座った。桔梗の肩が私の肩に触れる。
後ろの子の顔が見えるように、少しだけ身体をずらした。
「じゃあ、いくよ。みんな笑ってね」
松下が携帯を操作して、急いで隣へ戻ってくる。
近くにいる皆の口元を見てから、自分の口の端に指を当てた。
両方の人差し指で、少しだけ上へ持ち上げる。
「こう?」
隣で、桔梗が小さく吹き出した。
「うん。心音ちゃん、携帯の方見て」
言われた方へ顔を戻す。
指は、そのままにしておいた。
少ししてから、写真を撮る音がした。
「撮れたかな」
松下が携帯を取りに行く。
皆もその周りへ集まった。私も後ろから覗こうとすると、画面をこっちへ向けてくれる。
真ん中に、私がいた。
指で口の端を持ち上げたままで、桔梗がその隣で笑っている。
前にも後ろにも皆の顔が並んでいて、端の方では、顔が重ならないように首を傾けている子もいた。
皆の頭の上には、紙の輪と私の名前も写っていた。
「全員、入ってる?」
「うん。ちゃんと写ってるよ」
言われて、端からもう一度見た。
いた。皆、一緒に写っている。
「その写真、私にも送って」
「もちろん。あとで送るね」
私は頷いて、もう少しだけ画面を見せてもらった。
座っていたところへ戻ると、桔梗が机の引き出しから小さな箱を取り出した。
「これ、皆で選んだんだ。誕生日プレゼントだよ」
両手に乗せて、桔梗を見る。
「開けていい?」
「うん」
蓋を開けると、紺色の細い何かが入っていた。
「これなに?」
「髪留めだよ。バレッタとも言うかな」
ふちが銀色で、両端に小さな葉っぱがついている。
真ん中には、白くて少し細長い石があった。
手に取って少し傾けてみる。
石の中に青や緑が浮かんだ。もう少し動かすと、端のところが赤く光る。
「......オパール?」
桔梗が少し目を丸くした。
「え、心音ちゃん、分かるの?」
向かいにいた松下も、持っていた紙コップを置いた。
「綾瀬さん、宝石とか詳しいの?」
「前に、一度見たことがあったから」
もう一度見てみる。
白い石にも銀色のふちがついていた。
葉っぱには、細い線が入っている。
「桔梗。これ、高かったんじゃない?」
桔梗は少しの間、私を見ていた。
松下も同じようにこっちを見ている。
「少しだけね。でも、大丈夫だよ。船上試験でいっぱいポイントも入ったし」
「私、もらっていいの?」
「もちろん。心音ちゃんに似合うと思って選んだんだよ」
桔梗が箱の端に指を置いた。
「それに、オパールって10月の誕生石なんだって」
「誕生石?」
「生まれた月ごとに、決まった宝石があるんだよ」
「私のは、これなの?」
「うん。それで、これにしたの」
髪留めを取り出して、手のひらに乗せた。
指先で端を持って、ゆっくり向きを変える。
青いところが緑になって、その隣に薄い赤が見えた。
もう一度、少しだけ傾けてみた。
「綺麗」
「でしょう?」
桔梗の方を見ると、嬉しそうに笑っていた。
「気に入ってくれた?」
「うん」
手のひらへ戻して、銀色の葉のところをそっと撫でた。
「ありがとう、桔梗。あと、みんなも。大事にする」
「うん。気に入ってもらえてよかった」
「今、つけてくれる?」
「もちろん。ちょっと待ってね」
髪留めを受け取ると、桔梗が私の右側へ少し身体を寄せた。
「少しだけ、そっち向いてくれる?」
言われた方へ身体を向ける。
桔梗の指が右の頬の横に触れた。耳の前にかかっていた髪を少しすくって、後ろへ流してくれる。
耳の上で、ぱちんと小さな音がした。
そのまま待っていると、毛先を整えていた指が離れた。
「痛くない?」
「うん。大丈夫」
「できたよ」
桔梗の方へ顔を戻すと、向かいにいた松下が少し身を乗り出した。
「わ、似合う。綾瀬さん、こっち向いてみて」
松下を見る。
松下は私の顔の横を見てから、嬉しそうに頷いた。
「うん。そのバレッタ、綾瀬さんの髪に合ってるね」
「すごく似合ってます。綾瀬さんの髪の色にも」
みーちゃんも、隣からこっちを見ていた。
「石も綺麗だね。ちょっと動くだけで色が変わる」
井の頭に言われて、少し首を傾けてみる。
「あ、今、緑になった」
「……緑?」
「うん。綾瀬さんにも見せたいな。さっきは青かったんだよ」
向こうの席からも「見せて」と声がした。
そっちへ顔を向けると、今度は「可愛い」「似合ってるよ」と言ってもらえた。
耳の上に指をやる。
いつもは髪が落ちてくるところが、少し空いていた。
「心音ちゃん、自分でも見てみる?」
「うん」
桔梗が携帯を操作して、画面をこちらへ向けてくれた。
そこに映っている自分の顔を覗き込む。
右の耳が、いつもよりよく見えた。
少し顔を横へ向けると、真ん中の石が青く光った。
「見える?」
「うん」
髪留めの端に触ってみる。
画面の中の私も、同じところへ指を伸ばしていた。
さっき手のひらに乗せていたものが、今は私の髪についている。
もう少し顔を動かして見ていたら、隣で桔梗が笑った。
「やっぱり、これにしてよかった」
「私も、これがいい」
画面から顔を上げて、桔梗を見る。
「ありがとう。このまま、つけてる」
「うん」
もう一度、画面に映った髪留めを見る。
明日もつけたい。
空になった箱を鞄へしまう。
もう一度だけ耳の上に触ってから、皆の方へ向き直った。
足元に残っていた紙テープを拾ってから、食べ終わった皿を重ねてテーブルの端へ寄せる。
皆が少しずつ片づけてくれて、空いたところに残っていた飲み物が並んだ。
私も両手で紙コップを持って、桔梗の隣に座っていた。
窓の外を見ると、暗くなり始めていた。
部屋の中ではまだ話が続いていたけれど、携帯で時間を確かめた子が立ち上がると、ほかの皆も帰る支度を始めた。
「今日は、ありがとう」
鞄を持った皆に言うと、松下がこっちを向いた。
「どういたしまして。私たちも楽しかったよ」
井の頭も鞄を肩にかけながら、こっちを見た。
「次に集まるときも来てね。チョコのケーキ、食べなきゃ」
「うん。忘れない」
「じゃあ、また明日ね」
ベッドの端に座っていた子たちも玄関へ向かっていく。
私も鞄を手に取ると、桔梗が袖に触れた。
「心音ちゃん、もう少しだけいてくれる?」
「うん」
鞄を置いて、皆を見送った。
玄関は靴を履く人でいっぱいだった。先に履けた子から外へ出て、そのたびに「またね」と声がする。
みーちゃんが扉のところで振り返ったので、私も手を振った。
扉が閉まってからも、廊下の向こうで皆の話す声がしていた。
桔梗が隣へ戻ってくる。
耳の上に指をやると、桔梗がそれを見て、鏡を持ってきてくれた。
「もう一回、見てみる?」
「うん」
受け取った鏡に顔を近づける。
少し首を傾けると、今度は石の端が赤く光った。
「ここからだと、赤く見えるね」
「うん。さっきは、ここが青かった」
桔梗も隣から鏡を覗いている。
二人で髪留めを見てから、鏡を膝の上へ置いた。
「桔梗は、何が欲しい?」
「私?」
「私も、桔梗を嬉しくしたい」
「今日は心音ちゃんの誕生日だよ?」
「うん。でも、何かしたい」
桔梗は少し考えてから、私の髪留めに触った。
留まっているところを、指でそっと直す。
「じゃあ、私が困ったときに相談してもいい?」
「うん。私にできることなら、助ける」
「ありがとう。頼りにしてるね」
私は頷いた。
桔梗が何に困るのかは分からないけれど、言ってくれたら手伝える。
「心音ちゃん」
「何?」
「生まれてきてくれて、ありがとう」
髪留めに手をやって、桔梗を見る。
桔梗は笑っていた。
私は留めてもらった髪に、もう一度そっと触れた。
明日だけじゃなくて、その次も使いたい。
「ありがとう、桔梗」
自分の部屋へ戻ってからも、何度か鏡を見た。
髪留めを外すのは、もう少し後でいい。
携帯が鳴ったので見ると、鈴音からだった。
『部屋にいる?』
『うん』
返事を送ると、少ししてから扉を叩く音がした。
開けると、鈴音が立っていた。手には小さな袋を持っている。
「入って」
部屋に入った鈴音が、私の顔の横へ目を向けた。
「その髪留め、どうしたの?」
言われて、耳の上に手をやる。
「桔梗にもらったの。さっき、つけてくれた」
「誕生日のプレゼント?」
「うん」
髪留めが見えるように、少し顔を横へ向けた。
「どう?」
「似合っているわ」
「......鈴音も、そう思う?」
「ええ。あなたの髪によく合っていると思うわ」
そっか。
私は髪留めの端を指先で撫でた。
「鈴音にも、見せたかったの」
鈴音が私と目を合わせた。
それから、少しだけ口元を緩める。
「気に入ったのね」
「うん」
鈴音が持っていた袋をこっちへ出した。
「私からも、受け取って」
髪留めから手を離して、両手で受け取る。
ベッドに座って、袋を膝の上へ置いた。
「これも、開けていい?」
「ええ。誕生日、おめでとう」
中には、柔らかい布が折り畳まれて入っていた。
取り出して両手で広げると、思っていたより長い。
白いシャツの袖と並べてみると、布の方にはほんの少し黄色が混じっていた。端のところに指を滑らせてから、鈴音を見る。
「これ、どうやって使うの?」
「マフラーよ。首に巻くものなの」
「鈴音が選んだの?」
「ええ。アイボリーなら、普段の服にも合わせやすいでしょう」
アイボリー。
この色のことを、そう呼ぶんだ。
「同年代の人に誕生日のプレゼントを贈るのは、あなたが初めてだわ」
「私が初めて?」
「ええ。何がいいか少し迷ったのだけれど」
鈴音が私の持っているマフラーを見た。
「使うにはまだ少し早いから、ほかの人とは被らないだろうと思ったの」
布の端を頬に当ててみる。
柔らかくて、気持ちよかった。
「寒いときに使うの?」
「そうよ。首に巻いておくと暖かいの」
「私、寒いってあんまり思わないんだけど」
鈴音が一度まばたきをした。
「そうなの?」
「うん。みんなが寒いって言ってても、よく分からない」
そういえば、森下も暖かいって言ってた。
「この前も言われたの。ベンチの、私が座ってたところが一番暖かいって」
あのとき、森下に譲ったベンチの端を思い出す。
あとで私も同じところに座ったけれど、暖かいかどうかはよく分からなかった。
「場所で、そんなに違うのかな」
「日が当たる場所なら違うでしょうね」
「そっか」
手元へ目を戻して、もう一度布を撫でた。
鈴音も私の手元を見ている。
「......あなたには、あまり必要なかったかしら」
「ううん。これがいい」
顔を上げて、鈴音を見る。
「触ると気持ちいい。鈴音が選んでくれたし」
「そう」
「今、巻いていい?」
「部屋の中だけれど」
「うん。巻き方、教えて」
鈴音は少し私を見てから、こっちへ手を伸ばした。
「貸して」
渡すと、鈴音が私の首へ掛けてくれた。
布の端が左右に垂れてくる。片方を持とうとすると、鈴音がその上を軽く押さえた。
「手は離していていいわ」
「うん」
膝の上へ手を戻して、鈴音の指を目で追った。
片方の端が首の後ろを回っていく。顎の下に柔らかいところが重なった。
「少し、顎を上げて」
言われた通りにすると、布の間へ指が入ってきた。
少し緩めてから、今度は左右の端を揃えてくれる。
「苦しくない?」
「うん」
「髪も出しておくわね」
鈴音が私の肩の後ろへ手を回す。
マフラーに挟まっていた髪が少しずつ外へ出てきた。引っ張られないようにしてくれているのか、指はゆっくり動いていた。
顔を上げると、すぐ近くに鈴音がいた。
私の首元を見ながら、まだ布を直している。
部屋は静かで、布がこすれる小さな音が聞こえた。
息を吐くと、肩が少し下がった。
膝の上で重ねていた指もほどける。
顎を戻して頬を寄せると、さっきは触れていなかったところまで布に包まれた。
「これくらいでいいかしら」
鈴音の声に頷いた。
もうどこをどう巻くのかは見ていなかった。
「一度、自分でもやってみる?」
鈴音が布の端に手を伸ばす。
私はその上から、そっと押さえた。
「......あとで」
鈴音が私を見た。
「そう。忘れないうちに練習しておくのよ」
「うん」
手が離れてからも、そのまま座っていた。
首のところに少し顔を埋める。
今はまだ、ほどきたくなかった。
しばらくしてから顔を上げて、鈴音を見る。
「どう?」
「似合っているわ」
「そっか」
前に垂れた端を指で撫でた。
明日も使いたい。髪留めも、これも。
「鈴音」
「何?」
「桔梗がね、生まれてきてくれてありがとうって」
鈴音は黙って続きを待っていた。
「みーちゃんも、前に言ってた。誕生日はそういう日なんだって」
「そうね」
マフラーの端を指に乗せてから、鈴音を見る。
「私が生まれたの、鈴音も嬉しい?」
鈴音は少し黙った。
私はその顔を見て待っていた。
「あなたが生まれていなければ、知り合うこともなかったでしょう」
「私と会えて、嬉しかった?」
鈴音が一度、目を逸らした。
それから、こっちを見る。
「あなたと知り合えてよかったと、私は思っているわ」
私も、鈴音と会えてよかった。
鈴音も、そう思ってくれてるんだ。
マフラーに少し顔を埋めて、それから顔を上げた。
「もう一回、おめでとうって言って」
「......さっきも言ったでしょう」
「うん。もう一回、聞きたい」
鈴音が少し恥ずかしそうにしてから、口を開いた。
「誕生日、おめでとう」
「ありがとう」
今度は鈴音の顔を見て言えた。
「鈴音。一緒に写真を撮ってもいい?」
「写真?」
「うん。みんなとも撮ったの。鈴音とも撮りたい」
写真の画面を開いて、自分たちの顔が映る方へ切り替えた。
携帯を横に持って、右腕を伸ばした。
「鈴音、もう少しこっち」
鈴音が隣へ座り直すと、肩が触れた。
画面を見ながら携帯を少し上げる。
二人の顔が真ん中に並んだところで、手を止めた。
「あら、随分使い慣れてきたんじゃない?」
鈴音が私の手元を見ていた。
「うん。みんなと撮ったりするからね」
「前はよくなくしていたのにね」
「......最近は、なくしてないよ」
鈴音の口元が少しだけ上がった。
「そう。ちゃんと二人とも入っているわね」
「髪留めも、写ってる?」
「ええ。マフラーもちゃんと見えているわ」
空いている左手を口元へ持っていく。
人差し指を口の端に当てると、鈴音がこっちを見た。
「何をしているの?」
「こうすると、笑って見えるから」
「指は下ろしていいわよ」
「笑わなくていいの?」
「ええ。こっちを見て」
左手を膝に戻して、画面の中の鈴音を見る。
鈴音も携帯の方へ顔を向けた。
「撮るね」
「ええ」
右手の親指で画面に触れると、写真を撮る音がした。
腕を下ろして、撮れた写真を開く。
二人とも、ちゃんと写っていた。
私の髪には桔梗にもらった髪留めがあって、首には鈴音が巻いてくれたマフラーがある。
「これ、鈴音にも送るね」
写真を送ると、すぐ隣で鈴音の携帯が鳴った。
鈴音も画面を開く。私の携帯と同じ写真が映っていた。
鈴音が携帯をしまった。
「それじゃあ、私はそろそろ戻るわ」
立ち上がろうとした鈴音の袖をつまんだ。
「どうしたの?」
「もう少し、いて」
鈴音が腰を浮かせたまま、こっちを見る。
「何か話があるの?」
少し考えてから、首を振った。
「ないけど。もう少し、鈴音といたい」
鈴音は私を見ていた。
それから、また隣へ座った。
「......少しだけよ」
「うん」
袖をつまんだままでいると、鈴音がそこへ目を落とした。
「もう離してもいいでしょう。帰らないわよ」
指を離して、手を膝に戻す。
少しだけ鈴音の方へ寄ると、肩が触れた。
「写真は、もう撮ったでしょう」
「うん」
鈴音はこっちを見たけれど、離れなかった。
膝の上の携帯を持ち上げると、鈴音も画面へ目を向けた。
写真の中でも、肩が触れている。
今も同じだった。
「ねえ、鈴音」
「何?」
「私たちって、仲間?」
鈴音が画面から顔を上げた。
返事を待ちながら、マフラーの端を指で握る。
「仲間......間違ってはいないけれど、こうしていると少し変な言い方ね」
鈴音が、触れている肩へ目を向けた。
私もそっちを見る。肩だけじゃなくて、腕も少しくっついていた。
「私が、誰にでもこんなことをすると思う?」
「こんなこと?」
「誕生日のプレゼントを選んで、部屋まで来て。もう少しいてほしいと言われたら、こうして隣に座っているでしょう」
鈴音を見る。
さっき袖をつまんだところには、まだ少し皺が残っていた。
「......思わない」
「だったら、少しは察してちょうだい」
鈴音はそう言って、また携帯へ目を戻した。
肩は触れたままだった。
「そっか」
マフラーを握っていた指を緩める。
鈴音がまだ見ているので、携帯を二人の真ん中へ少し動かした。
画面が暗くなるまで、二人でその写真を見ていた。
鈴音を玄関まで送ったあと、桔梗から写真が届いた。
髪留めとマフラーを外す前に、ベッドへ座って画面を開く。
最初は、名前の書かれたチョコレートの写真だった。
次の写真には、皆が写っていた。
真ん中にいる私は、指で口の端を持ち上げている。
隣で桔梗が顔を寄せていて、その向こうにも皆の顔が並んでいた。
今日は楽しかった。
ケーキも美味しかったし、プレゼントも嬉しかった。
鈴音と撮った写真も、もう一度見た。
髪留めもマフラーも、ちゃんと写っている。
皆の写真を大きくして、一人ずつ顔を見た。
こんなにしてもらったんだから、私も何かしたい。
桔梗が困ったら、手伝える。
ほかの皆には、何をしたらいいのかな。
何をすれば、またこんなふうに笑ってくれるんだろう。
私にできることなら、何でもするのに。
何も思いつかないまま、もう一度、写真を最初の大きさへ戻した。
皆の隣に、私がいる。
何もできなかったら、どうしよう。
画面を暗くしかけて、やめた。
もう少しだけ、このまま見ていたかった。
櫛田から贈られたバレッタについて、
中央の石はホワイトオパールを一粒。光の当たり方や見る角度によって、青や緑、赤などの色が浮かぶ「遊色効果」のあるものを想定しています。
髪留めでいつもより右側がスッキリした感じ。
色んな角度から色んな色が見える石とアイボリーのマフラー。敢えて純白は避けました。
学年別最優秀選手の報酬は何ポイントだと思いますか?
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