再結成した須藤たちと再び勉強会が始まり、何だかんだ順調に回り始めていた。
綾瀬や須藤たちは黒板に書き出された問題を繰り返し見て、そして理解しようと何度も首を捻る。綾瀬と須藤は時折意識が朦朧としているのか、首がカクンカクンと前後するが、それでもなんとか踏みとどまっている。
退学にならないため、バスケのプロを目指すため、そして築きつつある仲間との日々を守るため。それぞれ勉強に懸ける思いは違うが、苦手な勉強にも真剣に取り組む仲間としての一体感みたいなものが生まれてきたと思う。
そして昼休み。オレたちは各々食事を取った後、図書館に集合していた。昼休みは全部で45分。昼食の後、20分間だけ勉強する約束になっていた。
昼休みにも関わらず図書館には多くの生徒たちが勉強に励んでいる。オレたち席についてノートを開いた。
「授業受けてて思ったんだけどさ、地理って結構簡単だよな」
「化学も思ったほど難しくない」
池と山内がそんなことを言う。
「おい綾瀬、ここの計算間違ってるぜ」
「ほんとだ......かけ算間違ってる......」
「俺も桁が多くなるとよく間違えちまうから気持ちは分かるぜ。ところでよ、お前結構社会できるよな。この問題分かるか?」
「えと、確かこれ、だったはず......」
「あー、確かにこんなんだったな......サンキュー綾瀬」
「ん......私も、さんきゅー......」
綾瀬と須藤は何でもかんでも堀北たちに頼るのではなく、自分達で問題を教え合っていく場面も見られるようになった。さっそく効果が現れたみたいだな。
「私から皆に問題!帰納法を考えた人物の名前はなんでしょーか?」
「えーと......さっきの授業で習ったやつだよな?」
「んー......食べ物っぽい名前......だった気がする......」
綾瀬も記憶力が良いとはいえ、何でもすぐに覚えられるほど万能ではない。
「そういやそうだ......すげぇ腹の減る名前だったよな......」
「フランシスコ・ザビエル!......っぽいヤツだろ?」
須藤も答えが出なかったのか、ちょっと惜しかった。ただ、それがいいヒントになったみたいで、池が晴れ晴れとした顔で手をあげた。
「思い出した!フランシス・ベーコンだ!」
「正解っ」
「うっし!これで満点確実だぜ!」
「おー......池、すごい......」
「だろー!」
「いや、全然だろ......」
綾瀬にパチパチと拍手を送られていい気になっている池だが、これぐらいは出来ないと困る。
とは言え、あと一週間、必死に詰め込めばなんとか全員赤点を免れそうだ。
「おい、ちょっとは静かにしろよ。さっきからギャーギャーうるせぇぞ」
隣で勉強していた生徒の一人が顔をあげた。
「悪い悪い。ちょっと騒ぎすぎた。問題が解けて嬉しくってさ~。帰納法を考えた人物はフランシス・ベーコンだぜ?覚えておいて損はないからな~」
池はへらへらと笑いながら、そう言う。
「あ?......お前ら、ひょっとしてDクラスか?」
隣の男子たちが一斉に顔を上げ、オレたちをニヤニヤと笑いながら見回す。
「なんだお前ら。俺たちがDクラスだからって何だよ。文句あんのか」
「いやいや、別に文句はねえよ。俺はCクラスの山脇だ。よろしくな。しかしなんつうーか、この学校が実力でクラス分けしてくれてよかったぜ。お前らみたいな底辺と一緒に勉強させられたらたまんねーからなぁ」
「なんだと!」
真っ先に怒りで立ち上がったのは、言うまでもなく須藤。
「本当のこと言っただけで怒んなよ。もし校内で暴力行為なんて起こしたら、どれだけポイント査定に響くか。おっと、お前らは失くすポイントもないんだっけか。ってことは、退学になるかもな」
「舐めやがって......!」
「止めなさい須藤くん。彼の言う通りよ。ここで騒ぎを起こせば、どうなるか分からない。最悪退学させられるかもしれないわ。それと山脇くん、だったかしら。あなた、Cクラスなんでしょう?とても私たちを馬鹿にできるようなクラスではないと思うけれど」
へらへらと笑っていた山脇が、少しだけ堀北を睨んだ。
「1ポイントも持ってない不良品の分際で、生意気言うじゃねぇか。顔が可愛いからって何でも許されると思うなよ?」
「脈絡もない話をありがとう。私は今まで自分の容姿を気に掛けたことはなかったけれど、あなたに褒められたことで不愉快に感じたわ」
「っ!」
机を叩き、山脇が立ち上がる。
「今度のテスト、お前らから何人退学者出るか楽しみだぜ」
「残念だけど、Dクラスから退学者はでないわ。それに、私たちの心配する前に自分たちのクラスを心配したら?驕っていると足元すくわれるわよ」
「く、くくっ、足元をすくわれる?冗談はよせよ。俺たちは赤点を取らないために勉強してるんじゃねえ。より良い点数取るために勉強してんだよ。お前らと一緒にするな。大体、お前らフランシス・ベーコンとか言って喜んでるとか正気か?テスト範囲外のところを勉強して何になる?」
「───え?」
「もしかしてテスト範囲もろくに分かってないのか?これだから不良品はよぉ」
「.......あなたも私たちのこと、不良品って言うんだね」
綾瀬がペンを握ったまま静かに席を立ち上がった。
綾瀬を見た山脇は強気な堀北とボーッとした表情の綾瀬を見比べて小馬鹿にするように笑った。
「また女かよ。しかもこっちは随分弱そうだな。ちょっと触れただけでポッキリ折っちまいそうだ」
「んー......止めた方がいいよ......?あなたじゃ私に勝てないから......」
「あ?何言ってんだおま────」
山脇の言葉はバキッという何かが折れた音に遮られた。
それは綾瀬が握っていたペンが折れた音だった。綾瀬のペンは真っ二つになっていて、大した動作もなかったことから、まるで割り箸でも折るかのように親指をグッと押しただけで折れたことが伺える。
「なっ.......なんだこいつ......」
「あ、綾瀬ちゃん......?」
綾瀬から不気味な何かが漂い始めたのを感じ取ったのか、Cクラスの生徒はもちろん、池たちも一歩引く。
「ちっ......いくぞ。こんなところで勉強してたらバカが移る」
「だ、だな」
山脇たちは吐き捨てるように言ってこの場を去っていった。
「......壊しちゃった」
「あ、綾瀬ちゃん結構力あんだね......あ、いや!それぐらい俺もできるけどさ!」
山内が綾瀬の真似をするが一向に折れる気配はない。片手でペンを折るにはそれなりの力がいる。
「はーびっくりした......なんだよあいつら......」
「ねえ......さっきテスト範囲外って......言ってた、よね?」
「......どういうこと?」
オレたちは顔を見合わせる。
茶柱先生から聞いたテスト範囲は間違っていない。クラスごとにテスト範囲が違うと言うこともないだろう。それではポイント制度への反映も曖昧になってしまう。
「......確認しにいくわよ」
もしこれで全ての教科でテスト範囲が違っていたとしたら、この一週間無駄な時間を過ごしてきたことになってしまう。
昼休みが終わるまであと10分。オレたちは勉強を切り上げ、全員で職員室へと足早に向かった。
「先生、急ぎ確認したいことがあります」
「大勢で押し掛けて一体何のようだ?」
「茶柱先生から伺った中間テストの範囲ですが、それに間違いはありませんか。先ほどCクラスの生徒からテスト範囲が違うと指摘を受けたのですが」
「......そうか。中間テストの範囲は先週の金曜日に変わったんだったな。悪いな、お前たちに伝えるのを失念していたようだ」
「────な!?」
衝撃の事実を何てことないように説明する茶柱先生は、俺たちに五科目分のテスト範囲と思われるものを堀北に渡した。そこに書かれていたテスト範囲は既に授業で習ってはいたものの、勉強会を開く以前の部分が大半で、須藤たちは殆ど学習していない。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ佐枝ちゃん先生!そんなの遅すぎるぜ!」
「そんなことはない。まだ一週間ある。これから勉強すれば余裕だろう?」
悪びれることもなくそれだけ言うと、茶柱先生はオレたちを職員室から追い出そうとした。だが、素直に従う生徒は誰一人いなかった。
「これ以上居座ったところで、事態は変わらない。それぐらいは分かるだろ?」
「......行きましょう」
「で、でもよぉ堀北ちゃん!こんなの、納得出来ないって!」
「先生の言うように、こうしていても時間の無駄よ。それよりも、新しいテスト範囲の勉強を少しでも早く始めた方がいい」
「けど!」
堀北は踵を返し、職員室を出る。渋々だが須藤たちもその後に続いたが、綾瀬だけはまだ職員室を出ようとしなかった。
「......なんかサエらしくないね?どうしたの?」
綾瀬は本当になんとなく思ったことを聞いたような様子だった。
「私だってミスをすることはある。早くいけ」
「......変なの」
あまり納得していなさそうだったが、綾瀬もオレたちに続いて職員室を出た。
「櫛田さん。少しお願いがあるのだけれど」
「もしかして、テスト範囲のこと?」
「ええ。Dクラスの皆に伝えてくれないかしら」
「うん、分かった。私が責任を持って平田くんたちに伝えておくね」
「私は明日以降に備えて、新しいテスト範囲から更に絞り込みをするわ」
堀北は平静を装っていたが、僅かに焦りがにじみ出ているのが分かった。必死に勉強した部分が水泡に帰すこととなり、時間も一週間しか残されていない。状況はまさに絶望的だ。
「堀北、俺......明日から一週間、部活動休む。それで何とかならねえか?」
願ってもない申し出ではあるが、それはにわかには受け入れがたいものだった。
「それは......あなた、本当に構わないの?すごく、苦労することになるわよ」
「構わねえよ。それに言っちまったからな、綾瀬には負けねぇって」
須藤は綾瀬に向かってニヤリと笑った。綾瀬もそれを見て軽く頷く。
「須藤、本気かよ」
「ああ。今すげぇムカついてんだ。担任にも、Cクラスの連中にも」
不幸中の幸いとでも言うべきか、須藤が勉強に前向きになってくれたことはとても助かる。
「......だな。絶対に見返してやろーぜ!」
「おー!俺たちもやるぜー!」
「おー」
綾瀬を含めた赤点組は互いに見合せ、握りこぶしをかがけた。これで心配だったモチベーションも問題ない。しっかり勉強にも励んでくれるはずだ。
「......」
あと気になること言えば職員室での一連の流れか。見過ごすには大きすぎる要素。明日にでもすぐに行動するべきだろう。
昼休みになると、オレはある目的のために食堂へ向かう。
「どこに行くのっ?」
そそくさと教室を出たオレが気になったのか、櫛田が綾瀬と仲良く手を繋ぎながら跡をつけてきた。
「昼だから飯でも食おうと思って」
「ふぅん。私たちも一緒していい?」
「別に、それはいいけど。でもいいのか?」
「堀北、忙しそう......だから、邪魔したくない」
「それに綾小路くん。昨日最後の方だけちょっと様子おかしかった気がしたんだよね。それでちょっと、ね」
見られてたのか。なかなかめざといな。
これからやろうとしていること、櫛田ならいても問題はないが、綾瀬がいると少し不安がある。
「教えてやってもいいけど、他言しないと約束できるか?特に綾瀬」
「ふぁいほうふ......」
綾瀬は両手を使って口を塞ぎ、多分『大丈夫』と言った。ちょっと可愛い。
「私も大丈夫!秘密にするのは得意だからっ」
とにかく確認は取れたので、食堂に向かうことにした。そして食券売場で券を購入すると、オレはカウンターに並ばずに券売機横まで移動し、メニューを買う生徒たちに視線をやった。
そしてある定食を購入し、思い足取りでカウンターへ向かう生徒を見つけた。
「よし、オレたちもいくぞ」
「ん?うん」
足早にカウンターで券の定食と引き換え、オレはその生徒の前に腰を下ろした。
「あの、すいません。先輩......ですよね?」
「......え?なんだお前」
「二年ですか?三年ですか?」
「三年だけど。それがなんだよ、お前一年だな?」
先輩は席についたオレたちを見回し、さっそく唐揚げ定食を美味しそうに頬張る綾瀬を少し羨ましそうに見ていた。よし、あたりだ。
「Dクラスの綾小路っていいます。多分先輩もDですよね?」
「......それはお前に関係のあることか?」
どうして分かったの?と櫛田が視線で訴えてきた。
「無料で食べられる定食は限られていますから。美味しくないですよね、それ」
先輩が食べているのは山菜定食。
「少し相談があるんです。聞いて頂けたら、お礼もするつもりです」
「......なんだ?」
「一昨年の一学期に行われた中間テストの問題を持っていませんか?もし先輩、あるいはクラスメイトの中には過去問を持ってる人がいるなら譲ってもらいたいんです」
「.......何で俺なんかにそんな話を持ってきた」
「先輩がポイント不足に頭を悩めていそうだったからです。事実、先輩はこうして美味しくない山菜定食を食べてますし。もちろん山菜が好きで食べてるってなら話は別ですけど。どうです?」
「......いくら払える」
「10000ポイント。それが上限です」
「それは無理だ......!俺だってリスクがある。最低でも30000は必要だ......」
「無理です。手持ちが足りません。今ある手持ちは20000ポイント。これなら────」
「ねえ、山菜......嫌いなの?」
交渉の途中で綾瀬が割り込んできた。緊張感がなくなるから止めて欲しい......。
「じゃあ私の唐揚げ、分けてあげる。はい、あーん......」
綾瀬は唐揚げを箸でブスッと刺し、先輩に差し出そうとする。
「な......!あ、えっと......そ、それは嬉しいが、さすがにこんなところでは......」
顔を赤くしながらどぎまぎする先輩。かなり迷っている様子だ。もしかしてチャンスか?
「......分かった!10000ポイントで手を打つ!だから箸を置いてくれ!......名残惜しくはあるが......」
「......いらないの?」
正直15000ポイントぐらいは覚悟していたが、綾瀬のファインプレーで10000ポイントで済んだ。天然って恐ろしい。
「分かりました。10000お支払するのでオマケを一つ付けて貰えませんか?入学直後にやらされた小テスト。その解答が見たいんです」
「分かった、それもつけてやる。ま、お前の心配は無用だと思うけどな」
「ありがとうございます」
交渉成立させると、先輩はそそくさと席を立った。その際にチラッと綾瀬の方を見て、小さくため息を漏らす。よっぽど名残惜しかったんだな。
「ね、ねえ綾小路くん......大丈夫なのかな?こんなことして......」
「問題ないさ。ポイントの譲渡は学校のルール内だ。違反に問われることはない」
「でも......過去問を貰うってちょっとズルいっていうか......」
「ズルい?オレはそうは思わない。さっきの先輩の反応を見て確信したよ。こんな風に生徒同士で取引するのは珍しいことじゃない」
オレは櫛田たちに先ほどの先輩が特別驚いた素振りを見せなかったことから多分交渉は初めてじゃないということを伝えた。
「でも過去問は過去問でしょ?今年のテストと全く無関係ってこともあるんじゃない?」
「この前の小テストでやたら難しい問題があっただろ。後で調べたらあれは高校二、三年生の問題だった。そんな解けるはずのない問題では学力なんて測れない。それなら何かそれ以外の目的があったのかもしれないと予想した。それに加えて昨日職員室を訪れたとき、教師たちの反応がおかしかったのも気になった」
「チエ、私を見てて笑ってた。サエも全然おかしなことじゃないって感じだった」
「言われて見れば......普通テスト範囲が変わったことを伝え忘れるなんて一大事を他の先生が黙って見過ごすわけないよね......」
程なくしてオレの携帯に三年の先輩から添付画像が送られていた。過去問だ。まずは小テストの方を確認する。綾瀬と櫛田も気になるのか、近くで携帯を覗き込んできた。
「え......!最後の3問が一言一句一緒だね......じゃあ、もしかして中間テストも......!?」
「ああ。同じように応用できるだろう」
「凄い凄い!やったね綾瀬ちゃん!これがあれば私たち満点だよ!」
「満点......凄い......」
櫛田は喜びを分かち合うように綾瀬に抱きついた。
「これ、皆にも見せてあげようよ!そしたらクラスの皆が満点取れちゃうかも!」
「いや、過去問はまだ見せない」
「どうして?」
「今年だけ違うかもしれないし、信用しすぎるのもな。それに折角の猛勉強に水を差したくない」
これはあくまで保険であることを頭に入れておかなければならない。
「テスト前日にこれが過去問だってネタバラシする。そして一昨年はほぼ同じ問題だったってことを一緒に教える。そしたら、皆はどうする?」
「分かった!夜、必死にかじりついて過去問を暗記する!」
「おー......」
「そういうことだ。綾瀬はこのことを早めに知ってしまったが、皆と同じように勉強してくれ。過去問を暗記するのは2日前ぐらいからでいい」
「うん」
この点綾瀬なら問題ない。勉強のやる気はあるし、記憶力もいいから試験も難なく乗り越えられるだろう。
「ねえ......いつから過去問を手に入れようって考えてたの?」
「テスト範囲が間違ってると知ったときだ。ただ、茶柱先生が中間テストのことを話したとき、退学者を確実に出さずに乗り切る方法があると確信を持って話していたのが気にはなっていた」
「えっ......そんなに前から!?」
勉強が得意ではない綾瀬や須藤がいる以上、テストを正攻法で乗り切るのはだいぶ厳しい。
だからこそ学校側も退学にならないための逃げ道というか、手段を用意しているのではないだろうか。そう考えると色々納得がいく。
「ひとつお願いがあるんだが、この過去問は櫛田が入手したことにしてくれないか?仲良くなった先輩からもらったことにしてほしい」
「それはいいけど......綾小路くんはいいの?」
「オレは事なかれ主義なんだよ。不用意に目立つことはしたくない。それに櫛田はクラスメイトから信用されているしな」
「......分かった。綾小路くんがそういうなら」
「綾瀬も、内緒にできるか?」
綾瀬は再び口を塞ぎ、コクコクと頷いた。
「じゃあこのことは私たちだけの秘密だね」
「ま、そういうことだな」
また櫛田との間に秘密を作ってしまったか。今回は綾瀬もいるから幾分マシではあるな。
それからの一週間はあっという間だった。そして、いよいよ中間テスト当日がやってくる。
「欠席者はなし。ちゃんと全員揃っているみたいだな。お前ら落ちこぼれにとって最初の関門がやってきたわけだが、何か質問は?」
「僕たちはこの数週間、真剣に勉強に取り組んできました。このクラスで赤点をとる人はいないと思いますよ?」
「随分な自信だな平田」
もちろん過去問のことは共有済み。だから多くの生徒が高得点を取る自信に満ち溢れている。それに過去問がなくとも、それまで必死に勉強してきたんだ。あとはやれることをやるだけ。
「それでは、始め」
配られた問題用紙を見る。一通り確認すると、過去問と一言一句同じの問題がズラっと並んでいた。
全ての問題が過去問と一緒というわけではないが、それでも簡単に解けるものばかり。
そして4時間に渡るテストの時間が終わり、休み時間。オレたち勉強会のメンバー、池と山内、櫛田が堀北の周りに集まっていた。
「楽勝だな!中間テスト!」
「俺120点取っちゃうかも」
「私も、多分凄い......」
綾瀬たちは問題ない。教室内を見渡しても不安そうな表情をした生徒はおらず、自信の程が伺える。しかし、それは一人を除いての話だった。
「須藤くんはどうだった?」
机に座って過去問を凝視する須藤に声をかける櫛田。
「須藤くん?」
「......あ?わりぃ、ちょい忙しい」
薄ら額に汗を浮かべながら答える。
「お前もしかして......過去問を勉強しなかったのか?」
「英語以外はやった......寝落ちしちまったんだよ」
「ええっ!?」
つまり須藤は残された短い時間のみで初めて見る過去問を覚えなければいけない。
「須藤くん、点数の振り分けが高い問題と答えの極力短いものを覚えましょう」
堀北が須藤の隣に立ち、稼ぎにいく部分を明快にしていく。
「だ、大丈夫かな?」
「英語、難しい......変な文字いっぱい......」
英語は基礎が出来ていないと何かの呪文のようにしか見えない。よって暗記するのも容易いことではない。
「後は託すしかない、よね......」
「ああ」
時間は無情にも流れて行き、英語のテストが始まる。もうオレたちに出来ることはない。あとは須藤を信じるほかないのだ。
最後のテストが終わった後、オレたちは須藤の周りに集まっていた。池や山内が不安げに声を掛けるが、須藤は冷静さを欠いている様子だった。
「くそ......なんで寝落ちなんかしちまったんだよ......」
「須藤くん」
「......なんだよ。また説教か?」
「確かに過去問をやらなかったのはあなたの落ち度よ。でも、テストまでの勉強期間、あなたは真剣に勉強に取り組んだ。精一杯の力を振り絞ったなら胸を張ってもいいと思うわ」
「なんだよ。慰めか?」
「慰め?私は事実を言っただけ。今までの須藤くんを見てればどれだけ勉強することが大変だったかわかるもの」
堀北は一瞬、綾瀬の方を見た。綾瀬と長い時間いたからこそ、勉強が出来ない人間の気持ちをより深く理解出来たのかもしれない。
「堀北......」
「それから......一つ訂正させて頂戴。私は前にバスケットのプロを目指すことは愚か者のすることだと言ったわ」
「んなこと、今思い出させんのかよ」
「あれからバスケットのこと、色々調べてみたの。そしてやはりプロを目指すのは途方もない道であることが分かった。でもあなたはそれでも諦めずにバスケットに情熱を注いでその道を歩もうとしている。私はそんなあなたのことを何も考えずに侮辱した。無知な人間がその夢をバカにすることほど愚かなものはないというのに」
堀北は表情こそいつもと殆ど変わらなかったが、ゆっくりと頭を下げた。
「あのときはごめんなさい。......私が言いたかったのはそれだけ。それじゃ」
そう謝罪の言葉を言い残し、堀北は教室を去る。
「な、なあ見たか今の!あの堀北が謝ったぞ!?」
「信じらんねぇ......!」
そんな堀北を見てオレたちは驚きを隠せなかった。
肝心の須藤はと言うと、茫然としていたが、暫くすると慌てたように自分の心臓に右手を当てて、焦った様子でオレたちに振り返る。
「や、やべえ......俺......堀北に惚れちまったかも......」
いよいよ中間テストの結果発表の日。生徒たちは固唾を呑んでそのときを待つ。
「本日、採点結果を発表することは伝えていたな。それが行われるのは今からだ。放課後じゃ、色々と手続きが間に合わなくなるかもしれないからな」
「それは......どういう意味でしょうか?」
「慌てるな。今から発表する」
生徒の名前と点数の一覧が載せられた大きな白い紙が黒板へと貼り出される。
「正直、感心している。お前たちがこんな高得点を取れるとは思わなかったぞ。数学と国語、それに社会には満点を取った生徒が10人以上もいた」
100という数字が並び、生徒たちからは喜び、歓声の声が上がる。
気になっていた綾瀬の名前を確認すると、なんと殆どが高得点。社会に至っては100点まで取っていた。やはり記憶力がいいのと早めに過去問の存在を知っていたアドバンテージが影響している。
そして不安だった須藤の結果は......四科目が60点前後。肝心の英語が38点。英語以外は須藤にしてはかなりの高得点。英語も赤点のラインを示す線が見当たらない。
「っしゃ!!」
思わず、須藤は立ち上がり叫んだ。池や山内も同時に立ち上がり喜ぶ。オレと櫛田は目を合わせ、とりあえずホッとした。堀北と綾瀬はその顔に笑みや喜びこそ無かったが、内心安堵している様子でもあった。
「見たろ先生!俺たちだってやるときはやるんだぜ!」
「ああ、認めている。お前たちが頑張ったことは。だが────お前は赤点だ、須藤」
須藤の名前の上に一本の赤いラインが引かれていく。
「は?ウソ、だろ?なんで俺が赤点なんだよ!赤点は31点だろうが!」
「誰がいつ、赤点は31点だと言った」
「いやいや、先生は言ってたって!なぁみんな!?」
「お前らが何を言っても無駄だ。前回、今回の赤点基準は各クラス毎に設定されている。そしてその求め方は平均点割る2。今回のテストの平均は80。それを割れば40。つまり38点の須藤は2点足りなかったということだ。惜しかったな」
「ウソだろ......俺は......俺が、退学ってことか?」
「短い間だったがご苦労だったな。放課後退学届けを出してもらうことになるが、その際には保護者も同伴する必要があるからな。この後私から連絡しておく」
淡々と説明されていく抗いようのない現実。
赤点を取ったら退学。ようやくこれが本当の事なんだと生徒たちは実感する。
「ま、待ってください先生!本当に......須藤くんは退学になるんですか!!」
須藤を真っ先に気にかけたのは平田だった。須藤からは嫌われ、半ば暴言に近いことを言われていたのにも関わらずだ。
それから採点ミスはないか、などの申し立てはあったものの、そんなものはなく、須藤の赤点が覆ることはなかった。
「これ以上は時間の無駄だろう。もう少しで1時間目も始まる。私は行くぞ」
そう言って茶柱先生は教室を後にした。それと同時に隣の席からガタッと音が聞こえる。
「......綾瀬?」
「......」
綾瀬はオレの呼び掛けに答えることなく、そのまま茶柱先生と同じように教室を出た。
「......仕方ないか」
思わず溢れるそんな呟き。オレも綾瀬に続く形で教室を出る。早歩きで綾瀬を追いかけると、綾瀬の背中が見えた。しかし、綾瀬がこちらに気づく様子はない。
そのまま歩いていると、綾瀬が1階の廊下、窓から外を見つめジッと立ち尽くす茶柱先生のもとに向かうのが確認できた。
最近こんなのばかりだなと内心思いながらもオレはすぐにそこら辺の支柱に身を隠した。
「サエ」
「ほう......まさか綾瀬が来るとはな。少し意外だぞ」
綾瀬を見た茶柱先生は感嘆の声をあげていた。
「まずは赤点回避おめでとう、と言ったところか?よくあの学力からここまできたな」
「それはみんなのおかげ。私は何にもしてないよ」
「いいや、少なくとも社会に関しては間違いなくお前の実力だ。過去問だけでは100点は取れん。私も社会の先生として鼻が高いぞ?」
確かにあの散々だった入試結果からいきなり100点を取るなんてことは、形はどうあれ教師としては嬉しいものなのかもしれない。
「......ねえ、サエ。今回私たちは頑張った。それでも私たちDクラスは『不良品』って呼ばれてる。きっと、これからも。それは私たちが壊れているから」
「壊れている、か。確かに『不良品』という言葉を真に受けるならそういうことになるな」
「サエは壊れたものはもう二度と戻らないと思う?」
「それは壊れた度合いによるとしか言えないな。例えばここにボールペンがあるだろう?」
綾瀬の質問に急になんだと突き放すこともなく付き合う茶柱先生はボールペンを取り出し、それを分解した。
「もしこれを少しぶつけた程度なら以前と同じく使うことができる。しかし、この中にある芯の部分が折れてしまえばペンとしての機能は失われる。他にも、ペンを持つ部分、ボディだな。ボディが壊れて分解されたら同じくペンとしてはもう使い物にならない」
「どうして使い物にならないの?芯が折れたなら別の芯に変えればいい。外装が壊れて分解されたならまた別の外装で組み立てればいい。それでペンとしての機能はそのまま問題なく使える。そうして少しずつ入れ換えていけば、そのペンは何度だって使えるよ?」
「だがそれでは壊れる以前のものと同じものだと言えるのか?」
「私はね、何度壊れたとしてもその度に新しい部品に入れ換えて悪いところを治していく、そうして壊れたものの価値は上がっていくと思うの。サエみたいに部品を入れ換えて出来たものは以前のものと違うって言う人もいる。でも、私はそう思わない」
テセウスの船。
今まで綾瀬と過ごしてきて分かったこと、そして今の綾瀬の答えを聞いて真っ先に頭に浮かんだのはこれだった。
これは有名な思考実験。
ギリシャの英雄テセウスの所有していた船が経年劣化により、次々に新しい部品へと交換したことによって、最終的には元の部品が一つも残っていない状態になってしまう。その状態を果たして最初のテセウスの船と同じ船と言えるのか、といったものだ。
この問い自体に明確な答えと呼べるものはない。
しかし綾瀬の場合は、全てが新しい部品になったとしても、それはテセウスの船だと答えるということだ。
「これは人間でも同じ。肉体が壊れても、心が壊れても、自分が自分だと認識できればいい。それでその人は何度だって立ち上がることができる」
「ではもし仮に、お前は身体と心のどちらか。もしくはその両方が壊れてしまったらどうする?」
「そんなの簡単だよ。悪いところを丸ごと入れ替えればいい。肉体も、心も」
その回答は実に無機質なものだった。
「あまりに突飛な回答だな。まるで人間を物かなにかと勘違いしているんじゃないか?」
「人間の肉体には無数の線が紡がれている。その線はちぎれる度により強固な線になって再生する。そうして肉体は新しいものへと変わっていくんだよ。他にも、もし腕がまるごと失くなったとしたら移植しちゃえばいい。たとえ別の腕だったとしても、私自身が自分の腕だと認識してしまえば、それで元通り。心だって、人間が心を入れ替ることなんて何も難しいことじゃない。昨日まで優しかった人が急に怖くなったり、頭良い人が狂っておかしくなったりすることなんてよくあることでしょ?」
ここまで語った綾瀬の口調は今までと違って饒舌だった。しかし、人が変わったとか、そういう話ではない。
綾瀬にとってこの考え方は長年付き添ってきたものなんだろう。だからこそ、こうして淀みなく語ることが出来る。
「ふむ......お前の言いたいことはなんとなく分かった。お前の考え方もな。だが、そうは言ってもなかなか出来ないのが人間という生き物なんだ。お前なら出来るのか?『不良品』と呼ばれたDクラスの生徒たちを修復することが」
「ううん。修復すること自体は私にはできない。それは私の役目じゃない。私には考えることが出来ないから、そういうのは綾小路とか堀北に任せる」
そんな大役を勝手に任せられても困る。
「では綾瀬。お前には何ができる?」
「────修復不可能になったものへの救済。それが私の役目」
綾瀬は胸に手を当てながらそう答えた。
修復不可能になったものへの救済。その言葉が何を意味するかは今はまだ分からない。きっとそのままの意味で捉えてはいけない。オレは本能的にそう感じた。
「救済だと?まさかお前は須藤を救うつもりか?」
「いつか、必要なときがきたら。でも須藤はまだ、治すことができる。でも、居なくなっちゃうと何も出来ない。何も、救えない」
「フッ、いつかなんてものはない。もう須藤はいなくなるんだぞ」
「......そう、だよね。ねえ、須藤はなんとかならない?」
「残念だがいくら須藤に修復の見込みがあろうがなかろうが赤点である以上この学校は容赦なく切り捨てる」
「じゃあ、赤点じゃなければいい?」
「そうだ。赤点じゃなければ、な。だが須藤は赤点。これが事実だ」
「少し、待って」
そう言った後、綾瀬は目を閉じて考える。時間にしてたった数秒ほどで目を開けた綾瀬が答える。
「私は英語、全然使ってない......じゃない。英語の点数いっぱいある。えっと、だから私の英語の点数を須藤に、貸す。これじゃ、ダメ?」
壊れてしまった池のゲームの修理代をどうするかという話を思い出した。
あれは綾瀬が池にポイントを貸して来月に返すとあのときはなっていた。
そのときとほとんど同じシチュエーション。これが綾瀬なりに何かないかと記憶を掘り返して出てきた答えなんだろう。
「着眼点は悪くない。だがそれは不可能だ。テストはお前たちの物の貸し借りとは違う。そんなことがまかり通れば生徒たちの本来の学力を測ることができない」
「どうしても、須藤はいなくなる......?」
「ああ、このままではな」
「...........っ...........」
綾瀬はとうとう何も言えなくなった。いつもの綾瀬は表情が変わらないから感情を読み取るのも難しい。
しかし、今の綾瀬からは何も出来ない自分に歯痒い思いをしているのが良く分かる。
まったく、その姿はいつになく分かりやすいじゃないか。いつもそうだったらいいんだけどな。
「さっきから変な言い回しが多いですね」
「......綾小路」
オレの姿を見た綾瀬は驚いた様子でオレを見る。一方、茶柱先生は落ち着いていた。
「聞いていたのか」
「ええ、少し前から」
「綾小路、私は個人的にお前を買っている。それは今回のテストに早くも現れた。過去問を入手する方法は正解の一つ。だがそれを共有し、クラスの平均点を底上げしたのはお前が初めてだったぞ」
どうやらこっちの行動は思ったより筒抜けらしい。
「しかし、信頼性ある過去問を手に入れたにも関わらず最後に詰めを誤った。もっと暗記を徹底させるべきだったな。今回は素直に諦めて須藤を切り捨てたらどうだ?その方が楽かもしれないぞ?」
「確かにそうかもしれないですね。けど、今回は手を貸すって決めたんで」
オレはポケットから学生証を取り出す。
「何のつもりだ?」
「須藤の点数。足りない2点を売ってください」
「点数を......売る......」
「......フッ、お前は変わった生徒だな。そのようなことを言い出したのもお前が初めてだ」
「先生は入学式の日に言ったじゃないスか。この学校の中でポイントで買えないものはないって。中間テストだって、学校の中にあるものの一つですよ」
「なるほど。確かにそういう考え方もできなくはないな。だが、お前と綾瀬の手持ちで買える金額とは限らないぞ?」
「じゃあ幾らなんですかね」
「私は今まで点数を売ったことは一度もないからな。そうだな、1点を100000ポイントとしよう。そして今回必要なのが2点だから200000ポイント......しかし、特別サービスとして150000ポイントにしてやろう。今、この場で支払うなら売ってやってもいい」
「綾小路......」
綾瀬は今あるポイントを携帯でオレに見せる。一度堀北に注意されたのにも関わらずだ。そんな綾瀬のポイントは73266。
だが、それでは足りない。オレは過去問を手に入れるために10000ポイントを支払っている。150000ポイントには一人75000ポイントがないと駄目だ。残念ながらオレにはその手持ちがない。
「────私も出します」
背後からそんな声。振り返ると、堀北が立っていた。
「堀北......」
「その様子だと気づいていなかったみたいね。あなたがコソコソ隠れて綾瀬さんを見てたすぐ近くに私もいたのだけれど」
「マジか......」
まさかオレとしたことが背後を取られるとは。だいぶ緩んでるな。
「クク、やはりお前たちは面白い生徒だ」
茶柱先生はオレたちから学生証を取り上げる。
「いいだろう。この話、受理した。一人5万ポイントずつでいいな」
「えと、これで須藤は、大丈夫?」
「ああ。良かったな、綾瀬」
「そっ.......か.......」
突如、綾瀬はその場でプツンと張りつめた糸が切れたみたいに崩れ落ちた。
床に倒れそうになるところをギリギリで支える。その際にすぅすぅと寝息を立てているのが聞こえてきた。どうやら眠ってしまったようだ。
今まで一日中ずっと眠っていたような子が、授業中も放課後もずっと起きて苦手な勉強をしてたんだ。だいぶ無理もしていたんだろう。
「よっと......軽いな」
オレは綾瀬をおんぶした。
綾瀬の身体は想像以上に軽く、本当に一体どこからあんな力を出しているかが分からなくなってくる。
「次の授業まではそこまで時間はないけど......まあ、いいわ。今は寝かせてあげなさい。彼女は十分頑張ったわ」
堀北も綾瀬の頑張りを労った。
これで今回の件は終わり。一件落着。そう言いたいところだが。
「────茶柱先生、一つ聞きたいことがあります」
「......まだ何かあるのか?」
この場を去ろうとした茶柱先生を呼び止める。
「本当は適当に理由をつけて綾瀬だけ先に行かせてからと思ったんですが、綾瀬が眠ってしまった今なら都合がいい」
「綾瀬には聞かせたくない話、ということか?」
「別に期待しているようなものじゃないですよ。ただ少し、気になったことがあっただけなんで」
ずっと感じていた違和感。それは綾瀬と茶柱先生の関係だ。
「先生は綾瀬にはどこか優しいですね」
「どういう意味だ?私が贔屓しているとでも?」
「いえ、そうではありませんが。なんだかその、須藤を救うためのヒントを与えてたみたいに見えたので」
「ヒント?なんのことだか。変な言いがかりは良せ」
こっちでは駄目か。取り付く島もない。
「それだけじゃありません。先生は須藤のことは別に救おうが救わまいがどちらでも構わないといった様子でした。オレたちがこの場にいなければ本気で退学にしていたでしょう。だけど綾瀬は違う。救うべきだとわざわざ忠告までしてきた。それが間違ってるとまで言うつもりはありません。ですが、茶柱先生らしくはないと思いましたね」
「私らしくない、か」
茶柱先生は一度ポケットに手を忍ばせたが、ここが廊下であることを再認識するとすぐにその手を引っ込めた。
「一見するとあれは綾瀬を救うための忠告にしか見えないだろ。確かに私は綾瀬を救うようにとお前らを焚き付けた。だがな、あれは私なりにお前たちに向けた忠告でもあった」
「それは......やはり退学者を出すと何かしらのペナルティがあるから、ということ、でしょうか......?」
堀北が問う。
「この学校では退学者など珍しくない。だから私はよく知っているのさ。退学が決定した生徒の中には自暴自棄になって暴れ出す生徒もいるということを」
「......?」
唐突に話の方向が変わった。
オレと堀北は茶柱先生の意図が読めずに困惑する。
「それは綾瀬だって例外じゃない」
「まさか、綾瀬さんもそうなると言いたいんですか?とても彼女はそうは見えません」
「いいや、普段は大人しい生徒でも暴れ出したものはいた。綾瀬だって分からない。それに普段から何を考えているのかよく分からない生徒だ。だからこそ万全を期す必要がある」
「随分物騒なことを言いますね。どうしてそこまで警戒を?もし仮に綾瀬が暴れだしたら一体どうなるんですか」
オレの問いに茶柱先生は答えを伝えるべきかしばらく悩んでいた。
やがて、重々しく口を開く。
「Dクラスは文字通り────再起不能になるまで崩壊するだろうな」
「なっ......!?」
堀北がとても信じられないとでも言いたげな表情になった。
「お前たちに改めて忠告だ。綾瀬心音だけは絶対に敵にするな。綾瀬心音を敵に回した瞬間、お前たちの中にある常識という名の世界は音を立てて崩壊すると思え」
物騒な忠告を残して茶柱先生はこの場を去った。廊下に残されたオレたち。堀北がすやすやと眠る綾瀬を見ながら口を開いた。
「......どう、思ったの?」
「綾瀬のことか。どうも何もあれはもしかしたらの話だ。お前だって言ってただろ。綾瀬が暴れ出すようには見えないって。茶柱先生も綾瀬の身体能力は当然把握しているはずだ。だからこそ暴れだしたりでもしたらどうなるのかも把握している。教師という立場上、万が一を想定したってことじゃないのか」
「そう、よね..... 」
現状の材料ではそう判断するしかない。オレには綾瀬の過去や生き方なんて知らないんだから。
今までなら綾瀬に常識を崩壊されたところで変人だからと納得する事ができた。そういった綾瀬を見るのもなかなかに愉快ではある。
しかし、こうなってくるといよいよ笑い話ではなくなってくるな。
異常なまでの身体能力。その矛先が誰かに向けば、きっと向けられた対象は一溜りもない。
茶柱先生が綾瀬にどこか優しかったのもこれを警戒していたからなのか。
────いや、それにしても説明がつかないところがある。綾瀬と茶柱先生の関係にはまだ何かある。そんな気がしてならない。
「とにかく、彼女がそうならないように見守ってればいいのよね」
「ま、そういうことだな」
今はただ、見守っていよう。まるで子供のように純粋な心を持った綾瀬のことを。もし道を違えそうになったら、そのときはオレたちが導いてやればいい。
「乾杯!」
池が缶ジュースを手に取り、叫ぶ。
中間テストの結果発表から一夜開けたその夜、元勉強会メンバーは一堂に集結していた。そこにはお菓子やらジュースやらが一杯で、辛かった勉強の疲れを労ったり、退学者が出なかったことを祝い合う会が開催されていた。
「......どうしたんだよ綾小路、そんな暗い顔して。須藤が退学にならずに済んだんだぜ?」
「祝勝会を開くのは構わないんだが、なんでオレの部屋なんだろうと思ってな」
「だって俺たちの部屋散らかってるし、女の子の部屋って訳にもいかないだろ?」
「しかし何もないのな、綾小路の部屋って」
「入学して二月だぞ。何かある方が不思議だ」
日常で使うもの以外、必要なものなんて感じない。
「櫛田ちゃんはどう思う?」
「いいと思うな。簡素だけど清潔感あるし」
「だってよ。良かったな櫛田ちゃんに褒められて。ははは」
思いっきり私怨で小突いてくる池。
「しっかし今回のテストきっつかったなあ。須藤なんてまるで駄目だったし」
「あ?お前だって似たようなモンだろコノッ」
「わああ!!やめろやめろ!」
須藤が山内にヘッドロックを掛けた。頼むからオレの部屋でじゃれあわないでくれ。
「これも堀北さんのおかげだよね。池くんたちに勉強教えてくれたんだもん」
「私はただ自分のためにやっただけ。退学者が出るとDクラスの評価が下がるからよ。別にあなたたちのためではないわ」
そんな可愛くないことを言う堀北だが、池や櫛田たちはクスクス笑いながら堀北を見た。
「......なに?その不愉快なニヤケ面、今すぐ止めてくれる?」
「い、いやだってさ堀北ちゃん......肩に綾瀬ちゃんくっつけながらそんなこと言われても、なんか全然迫力ないっていうかっ......」
池が笑いを堪えながら指摘するように、綾瀬は堀北の肩を枕代わりにしながらすやすやと眠っていた。
「あははっ!なんか二人とも姉妹みたい!」
「よっ!堀北お姉ちゃん!」
「はあ......」
てっきり全力で否定してくると思ったが、何も言ってこないことを見るに堀北も案外悪くないって思ってたりするのかもな。
「いやー、それにしても綾瀬ちゃんってほんと人形みたいだよな」
池が綾瀬の寝顔を見ながら言う。
「女子の間でも結構言われてるんだよねー。この前、私と綾瀬ちゃんとその他何人かで服とか買いにいったんだけど、そのときに皆で着せ替えごっこみたいのをしたんだ。これとかすっごい可愛いでしょ?」
櫛田は携帯を取り出し、アルバムを開いた。そこにはふわふわな服、ひらひらな服、パーカー、中にはゴスロリととにかく色んなものを着た綾瀬がいた。後半になるにつれて顔がどんどん眠たそうになっている。
「やっば!可愛すぎる!」
「相変わらずボーッとした顔だけど服がいいと少しはマシに見えんな」
「おい須藤!お前綾瀬ちゃんまで狙ってんのかよ!」
「ばっ......までとかいうんじゃねえ!大体こいつはそんなんじゃねえよ。なんつーか、ライバルみたいなもんだ」
ま、お互い勉強が出来ない脳筋だからな。まだ綾瀬の身体能力をそこまで知らない池たちには分からないことだが、須藤にはなんとなくシンパシーみたいのを感じているんだろう。
「なあ、この状態で綾瀬ちゃんにお菓子を近づけたらどうなるんだろうな」
唐突に山内がそんなことを言い出した。
「お、ちょっと面白そうじゃん。やってみろよ綾小路」
「なんでオレが......」
「いいじゃん、ほら、そこのポッキー使ってさ」
何故かオレがやる流れになってしまったので、綾瀬の口元にポッキーを一本差し出した。すると、寝ているのにも関わらず綾瀬はポッキーをポリポリ食べ始めた。
「おお、凄いな。食べ始めたぞ」
「ちょっと綾小路くん。私の肩に食べかすが散らばってるんだけど」
あ、やばい。完全に堀北のこと忘れてた。めちゃくちゃご立腹である。
「ねえ綾小路くん、苦しみながら後悔するのと、絶望しながら後悔する。あなたはどちらが好みかしら」
「オレは被害者だ......」
そんな感じで祝勝会は続いた。そろそろ頃合いかと思われたタイミングで櫛田がこんな提案をもちかけた。
「ねえ、堀北さん。せっかくこうしてみんなで勉強会をして試験も乗り越えたんだしさ、三人にもAクラスを目指す目標、手伝ってもらわない?」
「Aクラスを目指す......?え、ガチでいってんの?」
「うん。もちろんだよ。ポイントを増やしていくなら必然的に目指すことでもあるし」
「でもAクラスって、俺たちじゃ無理じゃね?だって俺たち頭悪いし」
Aクラスには堀北クラスの学力をもつ生徒がゴロゴロいても不思議じゃない。
「......少なくとも勉強面だけじゃあまり戦力にはならないわね。まあ、他のところで力を借りることはあるかもしれないけど。そのときはよろしく頼むわ」
珍しく素直に頼む堀北。
「な......!?あの堀北ちゃんがデレた!?」
「......よっしゃ!腕力には自信があんだ。バスケと喧嘩なら任せとけ!」
「私も!力になれることがあるなら頑張るっ。皆も一緒に頑張ろ!」
「うおー!櫛田ちゃんにそう言われるとなんかやる気出てきたぜ!」
「俺たちならAクラスなんて楽勝だしな!」
「......んあ?......おー......」
それぞれ奮起し始めるメンバーたち。綾瀬もそれに呼応して手をかがけた。
実力至上主義、か。オレは少しだけ胸がざわつくのを感じた。
遠ざかったつもりだったんだけどな。そういう世界からは。気がつけば身を投じてしまっている。もう、呪われているといってもいい。
堀北は本気でAクラスを目指そうとしている。その意思は決して揺るがないだろう。
きっとそれは、途方もない道だ。
だが、自分で言ってしまったからな。長い目で見守る必要があると。それは堀北に対しても同じだ。
ま、とりあえずはなるようにしかならない、か。ひとまずは頑張ってみることにしよう。
ここからはあとがきですので興味がない方は読み飛ばして頂いて結構です。
まずはたくさんの人にお気に入り、評価をもらって凄く嬉しいです。ありがとうごさいます。やはりお気に入り、評価を貰うとモチベがあがってしまいすね。
衝動的によう実の二次創作を始めてみたいと思ったのでストックとかはありません。このペースなら1年生編完結までに時間がかかってしまいそうです。そこは申し訳ありません。大まかに各章ごとにやりたいこととかは考えていて、そこのところだけ予め作っていたりはしていますが。あと、宝泉と綾瀬のやり取りとかも先に作ってて、結構自分でも気に入っているんですよね。早くそこまでいけるように頑張りたいです。
そして各章の始めのタイトルと最後のタイトルですが、全章こんな感じです。最初のタイトルが最後にはどう変化するのを予想してみるのもまた一興だと思います。
綾瀬心音はいかがだったでしょうか?常識を狂わせる不思議ちゃんをイメージしていましたが上手く描写できていましたかね?
お察しの方もいるとは思いますが、この子は闇が深いです。こんな不思議ちゃんになったのもそうですし、フィジカルモンスターになったのもそれ相応の理由があったりします。
フィジカルモンスターにしたのは僕の頭では策を捻り出す天才キャラは難しかったのと、綾小路に勝てる可能性を持つキャラにしたかったからです。直接対決、とまでは今のところ考えておりませんが。
ストーリーに関しても、よう実らしく伏線を多く仕込ませていただきました。章が進むにつれて少しずつ回収できるようになっていくのでお楽しみを。もちろんまた新しい伏線も追加されていきますがね。
さて、長くなってしまいましたが、これであとがきは終わりです。1章も終わってようやくスタートラインに立ったところ。次章からは綾瀬視点も始まります。どうかご期待ください。