ラミエルとの戦いからしばらくたった。使徒は一度も現れることなく今は平和に浸ることができている。僕の零号機を庇ったときに荷粒子砲や熱されたL.C.L.でできた火傷は十分に癒えてきて他の傷跡と同じように薄くなってきている。第3新東京市には戦いの爪痕が深く残り、あのヤシマ作戦の凄まじさを物語っている。僕らの生活にもその変化が現れていた。
「おはよう」
「おはよう。朝ご飯できてるよ」
目をこすりながら部屋から出てきた綾波に席に座るように促す。僕もテーブルに3人分の食事を並べ終わると席についた。新しい物件での3人での生活も随分なれてきた。特に生活に必要なことをあまり多くは知らない綾波は最初はなんでも興味深そうに観察していて、その姿は異性の女の子というよりも幼い妹のように感じていた。僕らは手を合わせて食べ始める。
「「いただきます」」
僕はお見舞いに来たミサトさんに綾波と同居できるように頼んでいた。最初は反対されるかと思っていたけど、ナズナにも提案されていたらしく、綾波の生活を知って引き取ることを了承してくれた。そして、退院したその日にミサトさんに連れられ新しい住居に行くと綾波が迎えてくれた。まさか今までミサトさんと2人きりで生活してたのかと戦慄する。あの生活力のない2人がまともな生活を送れているなんて思えない。どんな汚部屋になっているか、僕1人で対処できるかと警戒していたけど、手続きとかで今日2人とも引っ越してきたばかりなのを聞いて安心した。ごめん、2人とも。特にミサトさんはヤシマ作戦の後始末もあって忙しかっただろうし、手続きも全部やってくれていたから感謝しても仕切れない。
「おはよ〜」
そんなことを考えているとミサトさんがあくびをしながら現れた。彼女は黄色いタンクトップとハーフパンツをだらしなく着崩している。服の裾を上げてお腹をぽりぽりかきながら歩いてくると、冷蔵庫からビールと取り出して一気に呷った。
「やっぱ朝イチのビールはたまんないわね〜!」
…前言撤回かな。ペンペンは冷蔵庫でまだ眠っているらしい。
「なんか、ミサトさんが独身の理由がわかった気がする」
僕はボソッと呟いた。こんな大人にはなりたくないな。
「なんか言った?」
「ナンニモ。それよりもあんまり飲まないでくださいよ」
「わかってるわよ。お昼の進路相談には間に合わせるようにするって」
なんか誤魔化された気分だ。これは本気でミサトさんの将来や肝臓のことを考えた方がいいのかもしれない。そういえば、と綾波に話しかける。
「綾波は進路相談は誰がくるの?やっぱり父さん?」
僕のにはミサトさんがくるけど、今まで一人暮らしだった彼女は誰が来るのだろうか。
「葛城一尉よ」
「レイももう私たちの家族だもの。私が行くのは当然じゃない?」
僕らも家族だと思ってくれているんだ。僕はそのことに少し嬉しくなった。
ピンポーン
登校の準備をしているとチャイムが鳴ったことに気がついた。僕が確認しようとするとミサトさんが代わりに応答してくれた。
「はーい、あら。わざわざありがとう。少し待っててね」
多分トウジとケンスケに違いない。新しい家になってからもあの2人は毎朝来ていた。目当ては一緒に登校することじゃなくてミサトさんだ。2人はどうやらミサトさんに憧れを持ってるらしい。彼らに今のぐうたらなミサトさんの姿は見せたくないなと思った。
「じゃあ行ってきます」
「行ってきます」
「行ってらっしゃい。お昼に行くから」
僕らはミサトさんに挨拶すると玄関の扉を開けた。するといつものように2人が待ち構えている。
「「おはよう!碇君!綾波さん!」」
「おは…よ」
「…」
「「では行ってまいります!ミサトさん!」」
「「…」」
僕と綾波が絶句している中、シンクロ率100%で2人は玄関から乗り出すとリビングに呼びかけた。いつ練習したんだろうか。
「言ってらっしゃーい。気をつけてねー」
「「はい……」」
ミサトさんがリビングから手だけを出して返事をする。2人の前であられもない姿を晒さないぐらいにはミサトさんに常識があって助かった。トウジとケンスケはそれに対してうっとりした表情をする。
「2人とも何やってんのさ…」
「これが、共感性羞恥…」
綾波が感情の成長段階を数段すっ飛ばした気がするけど、それよりも2人の反応がとにかく恥ずかしかった。僕は2人の脛に軽く蹴りを入れると綾波と協力しながら家から引きずり出して学校へと向かった。
昼休みに窓から次々とやってくる保護者を眺めていると突然、赤いフェラーリがドリフトをして停車した。学校には似合わない荒っぽい運転に直ぐに誰が運転しているのか見当がついて頭を抱える。もし事故を起こしたらどうするんだよ。
「おー!いらっしゃったで!」
トウジが大声で言うとクラス中の男子が窓に張り付いた。ケンスケに至ってはカメラを持ち出している。ミサトさんは車から降りると見つめている僕らの視線に気づいてサングラスをかけたまま手を振った。男子からは歓声が上がる。クラスの女子からは白い視線をいただいていた。
「碇ってあんな美人に保護されてんの!?」
むしろ僕やナズナが保護してるんだけど…。みんなミサトさんのだらしなさを知らないからよく言えるよ。
「ミサトさんはやっぱりええなあ」
「あれでNERVの作戦部長っていうのがまたすごい!」
「へ、へえ…」
作戦会議や訓練のことでナズナに言い負かされているミサトさんを見たことがあるからかあんまり凄さが理解できない。前の学校の授業参観で親が来るのが恥ずかしいって言ってたクラスメートがいたけどこんな気持ちだったんだろうか。
「なあ、ミサトさんってNERVとか家じゃどんな感じなんだよ?」
トウジとケンスケが憧れに目をキラキラさせて聞いてくる。そんな2人の夢を壊したり嘘をつくのは良心が痛むので当たり障りないことを言うことにした。
「えっと…NERVだとみんなをよくまとめてるし、家だとなんか、うん。ミサトさんらしい感じだよ」
「そっかぁ〜」
どんな様子を想像したのか顔を綻ばせるトウジとケンスケ。嘘は言ってないはずだよね。多分。彼らにミサトさんの普段の様子を見せたらどんな反応をするのか興味があったけど知りたくもないような気もした。
僕の進路相談が終わって次はナズナの番となって廊下で待っていた綾波と合流する。ナズナはここにはいないけど相談票を元にやるみたいだ。終わるまで待っていようと綾波と話していたとき、ミサトさんは僕らにこう言った。
「この後ナズナちゃんのお見舞いに行くからあなたたちは先にNERVに行ってなさい」
僕は理解ができなくてミサトさんに尋ねる。
「何でですか?僕らだってナズナのお見舞いに行きたいので待ってますよ」
「ダメよ」
「なぜですか?碇君が入院していたとき、私はお見舞いに行くことができました」
「どうしてミサトさんはよくて僕らはダメなんですか?僕たちだってナズナが心配なんだ!なのに…」
ラミエルを倒してからナズナには一度も会えていない。僕の代わりにフィードバックをほとんど負っていた彼女は病院に運ばれたとき、かなり危険な状態だったらしい。だから集中治療室に運ばれてそれっきりだ。それ以降はミサトさんの口から様子を聞くことしかできていなかった。ミサトさん曰く、あれから一向にナズナは意識不明のままだそうだ。もしかしたら彼女はもうこの世にいないんじゃないか?ミサトさん達はそれを隠そうとしているんじゃないか?そんなあり得ないと笑い飛ばしてしまいたくなる突飛な考えに支配されそうになる。早くこんなくだらない不安から解放されたかった。
「前にも言ったけれど、まだ彼女の容体は安定していないの。だから念のため面会にも制限がかかっているわ。私だって彼女の状態を聞くことしかできていないの」
どうしようもないっといったミサトさんの言葉に僕は唇を噛む。綾波も眉を顰めていた。結局、僕は誰かに頼ってばっかりで自分では何もできない。そんな自分に腹が立つ。
「わかり…ました」
「シンジくん…」
「碇君、いいの?」
「うん。きっとナズナなら大丈夫だと思うから」
大丈夫だと信じたかったから心配そうに顔を覗き込んできた2人にそう答えた。
進路相談が終わると私はすぐに病院へ向かった。ドアをノックする。
「どうぞ」
部屋の主からの返事を確認するとゆっくりとドアを開ける。
「遅いわよ、ミサト」
「ごめんごめん」
いつものように遅く来たことに小言を言うリツコにいつものように謝る。
「まあまあ。葛城一尉もシンジたちの進路相談があったみたいだし、あんまり目くじら立てないであげてくださいよ」
そう言って笑うのはベットで体を起こしているナズナちゃんだった。私は彼女に声をかける。
「ナズナちゃん、調子はどう?」
「痛み止めのおかげでかなり楽ですよ。全快するのはまだ時間がかかりそうですけど」
私は彼女の様子を見る。彼女の体はシンジくんの時とは比べ物にならないほどの量の包帯に覆われていて、いつかのレイを思い起こさせた。綺麗な顔もガーゼに覆われて台無しだ。そんな痛々しい姿をしながらも彼女の様子はいつもと変わらない。
「ねえ、これでよかったの?シンジくんもレイもあなたのことをとても心配していたわよ?なのにお見舞いには来させないようにしてくれなんて」
本当はナズナちゃんは1週間前には目が覚めていた。しかし、お見舞いに来た私に彼女が最初に放った言葉は
「シンジとレイを私の病室に入れないでください。私の容態も絶対に伝えないで」
だった。その真剣な態度に気圧されたのと、何となく理由が理解できていたから彼女の言うと通りにしていたけど、シンジくん達のナズナちゃんが気がかりでならないという様子に私の心は揺らいでいた。早くあの子達を安心させてあげたいと思いが強くなっていた。
「もし、今の状態を知ったら自分を責めるでしょう。シンジなら特に。そうなるくらいなら知らない方がいい」
「ナズナちゃん…」
私が絶句してナズナちゃんを見つめると、彼女は私が怒っていると受け取ったのかバツが悪そうに目を逸らした。私はため息をつくとリツコに向き直る。
「んで?あたしを呼んだってことは結果が出たんでしょ?」
「ええ」
リツコは持っている資料に目を落とす。ナズナちゃんはこれまでの戦闘でエヴァのフィードバックでここまでの重傷を負ったことがなかった。これは異常と捉え、検査を行っていたのだ。リツコの重々しい表情に緊張が高まる。
「結論から言うと、ナズナさんはヒトではなくなったわ」
私はバッとナズナちゃんを見る。ナズナちゃんが人ではなくなった?姿は人間そのものなのにそうではない?じゃあここにいる子は何?疑問は山ほどあった。彼女は静かにリツコの次の言葉を待っている。その顔には感情という感情は抜け落ちているようだった。
「…ナズナちゃんが人じゃ無いってどう言うことよ?」
「検査で確認されたナズナさんの身体機能の変化はヒトのものとは大きく外れているわ。このことからこう表現せざるを得なかったのよ」
「…ということは私が目覚めてから一度も眠れていないのも、一度も食事をしなくても平気なのもそれに関係があるんですか?」
「はあ!?あなたそんなこと一度も言ってなかったじゃない!」
思いっきり肩を掴んで問い詰めそうになったがギリギリのところで踏みとどまる。彼女に聞きたいことはいくつもあった。しかし今一番に聞きたいことはどうしてそんな重大なことを言ってくれなかったのかということだ。そんな人として当たり前のことができていないことを。彼女は申し訳なさそうに言う。
「検査でちゃんと診て詳しいことがわかってからの方がいいと思ったんですよ…」
「っ…わかったわよ。続けて」
それはもっともなので私は気持ちをグッと抑え、リツコに説明の続きを促した。
「ナズナさんの質問への回答はYesよ。あなたは睡眠も食事も必要のなくなって成長もしない体になった。それに伴って味覚がなくなっているわね。加えて生殖機能も失っていることも確認されているわ。これからも検査や実験などで詳しく調べていくつもりよ」
私はその言い方にかっとしてリツコの胸ぐらを掴む。
「ちょっと、なんでそんなふうに言えるのよ!?そんな動物みたいに。少しはナズナちゃんの気持ちってもんを考えたらどうなのよ?」
「…私は事実を言ったまでよ。それにこれは説明しておくべきことだわ」
「でも言い方はあったでしょ」
私たちが睨み合っているとそれを止める声が上がった。どうして止めるのかと今度は彼女を睨みつけてしまう。
「2人とも、やめてください。私は直接的な言葉で伝えてくれて、むしろありがたいくらいですよ。隠されるよりはずっといい。何も気にしていないので大丈夫です」
「あなた自分がどういう状況かわかってるの?もう…」
人として生きることはできない。その言葉を直前で飲み込む。言って仕舞えば彼女の存在を否定してしまうことになる。だが聡明な彼女は何を言おうとしたのか察してしまった。ナズナちゃんは少し困ったように笑ってリツコに話を振る。
「リツコさん、こうなった原因ってわかってるんですか?シンジとレイは私と同じになって欲しくない」
リツコの視線はまた資料へと向けられた。
「考えられる原因としては戦闘時にシンクロ率が140%を、プラグ深度が120を越えたことね。エヴァ一機を吹き飛ばせるほどのエネルギーを持つA.T.フィールドを出せたのも、あなたのそのフィードバックによる大怪我や体の変化もそれが起因している。これらの現象をエヴァの呪縛と呼称するわ。予防策としてエントリープラグに厳重なロックを設ける予定よ」
私は以前リツコがシンクロ率はエヴァとどれだけ同調しているかや高ければ高いほどフィードバックは重くなること、プラグ深度はコックピットとコアがどれだけ近いかを表しているかを説明していたことを思い出す。それらが100を越えてしまえばヒトではなくなってしまうことも。それがナズナちゃんに起こっていることの全てだった。
「治るのよね?」
「まだわからないの。一生このままの可能性が高い、とだけ言っておくわ」
「絶対に彼女を元に戻しなさい」
「…ベストは尽くすわ」
私の心の中はもうぐちゃぐちゃだった。この感情をどこにぶつけていいのかもわからない。そんな私を気遣ったのかナズナちゃんはおちゃらけたように言う。
「私この体になって良かったと思うんですよ。ご飯が必要じゃなければ食費が浮きますし、眠ってた時間でなにかしらできますからね。結構お得じゃないですか?」
どうして彼女はここまでいつも通りでいられるのだろうか。自分の未来を全く考えずに他人のことばかり気にかけて。もうシンジくんの料理を味わうこともできないのに。これからの生活に大きく支障が出る怪我を負ったのに。それなのに今の彼女は周りの人を心配させまいとヘラヘラと笑っている。そうだ。彼女のほうが辛い思いをしているに違いないのに私は何をしているんだろう。彼女のためにできることは今まで以上に支えていくことしかない。拳をぎゅっと握りしめる。その中にあった彼女の白紙の進路相談票がくしゃりと音を立てた。
僕が綾波やペンペンと朝ご飯を食べているとミサトさんが部屋から出てきた。
「おはようございま…え?」
箸で挟んでいたウインナーがポトリと落ちる。ペンペンは魚を半分飲み込んだ状態で固まった。綾波は黙々といつものように食べ続けている。僕らがこんなに驚いたのには理由があった。
「なあにい?鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして?」
「いや、どうしたんですか?」
「ああ、これ?仕事で旧東京に行かなきゃいけないの。晩御飯はいらないから」
珍しく早くミサトさんが部屋から出てきたと思ったらいつもの仕事着よりも身だしなみをきちんと整えて普段の家にいるミサトさんじゃないみたいだ。ナズナがここにいたら明日は槍が降ってくるんじゃないかって言ってミサトさんをからかって爆笑したに違いない。それくらいこの光景は信じられなかった。
「じゃあ、行ってきまーす」
「あ、いってらっしゃい」
僕らが固まっているうちにミサトさんは靴を履いて出て行ってしまった。いつもあんな風だったら僕らも困らないのに。自分の部屋は少なくとも綺麗に片付けてるに違いない。僕は落としたウインナーを箸で再び拾い上げるとパクリと齧り付いた。