さてさて、私たちはようやくミサトさんの部屋の前に着いた。ペンペンに会うのは楽しみだけど、気がかりなことがある。そんな私の心配をしってか知らずか、ミサトさんは呑気に話しかけてくる。
「二人の荷物はもう届いていると思うわ」
「えぇ、いつの間に…てか住所…」
「NERVを甘くみないでね♪」
あれだな、強権振り翳したんだろ。一応言ってみただけ。
「さっ、入って」
「ただいま〜」
勝手知ったるというように家に上がり込む私にミサトさんは驚いた顔をする。続いてシンジ君が
「おっ、お邪魔…します…」
「はい、シンジくんやり直し」
「えっ?」
玄関先に押し戻されるシンジくんにミサトさんは言う。
「ここはあなたの家なのよ?」
意味をとらえかねてそうなので、助け舟を出す。
「自分の家に帰ってきた時になんて言うんだ?」
「あっ…た、ただいま」
「「おかえりなさい」」
こうして、平和な同居生活が始ま…らなかった。
「葛城一尉、これは何ですか?」
「ごみんね〜ちょっち散らかっちゃってるけど、適当にくつろいでて〜」
「…もう一度聞きます。葛城一尉、これはどういうことですか?ちょっち話し合いましょうか」
部屋は戦闘があったのかと思うほど荒れていて、至る所にビールの空き缶やレトルト食品などのゴミがこれでもかと山を作っている。そして、キッチンは使用されて洗われていない皿や、溜まりに溜まった生ごみがあり、異様な臭気が漂っている。簡潔に言って仕舞えば汚部屋である。あまりの汚さにシンジくんは固まる。
「そ、そんなことよりもご飯、食べちゃいましょう」
私は誤魔化そうとするミサトさんを笑顔でぶった斬る。
「正座」
「はい…」
「成人済みで最低限の家事ができてないのはどういうことなんですか?こんな状況で子供を引き取ろうなんてよく思えましたよね?」
「ナ、ナズナ、ミサトさんは仕事が忙しいんだよ。きっと、家事まで手が回らなかったんだ。だ、だからそう怒らないでよ」
「そ、そうなのよ!シンちゃんナイス!」
シンジ君がミサトさんに同情したのか宥めてくるが、私は追及を止めなかった。
「それはわかりますよ。でも溜まったゴミを出すぐらいならすぐできますよね?日頃から少しづつしてればこんなゴミ屋敷にはなりませんよ」
「ゴミ屋敷じゃないわよ!多少は散らかってるけど生活に問題はないんだし…」
「何か言いました?」
「何でもございません…」
それから私は冷蔵庫を遠慮なく開けた。
「あ、ちょっと!人の家の冷蔵庫を勝手に開けるのは…って、え…」
私を止めようと近づいてきたシンジ君は、後ろから冷蔵庫の中身を覗き込んで、驚いた声を上げた。そこには食材はなく、入る限界まで入れられたビールとつまみの品々だった。ビールの銘柄は七福神のとある一柱の名前によく似た『えびちゅ』。
「こんな生活態度で同居なんてどういう神経してんですか?」
「ミサトさん…流石にこれは庇いきれないよ…」
「うぅ…」
アニメではシンジ君に家事を押し付けてたから、ここで改善してもらわないと困る。
ミサトさんを正座させて怒っている間、私とシンジ君で掃除をしていた。途中、ミサトさんがおずおずと提案してきた。
「あの、あたしも掃除を手伝ったほうが、いっ、いいわよね〜汚した本人への罰ってことで〜」
「へー簡単な片付けもできない人が手伝ってくれるんですねーこれは心強いなー」
「うっ、ごめんなさい…」
ミサトさんが体を縮こめる。こんなやりとりを数回繰り返すと、やっと部屋は普通の景観を取り戻した。
掃除の終わった私たちは遅めの夕食を取ることにした。
「いっただっきまーす!」
「「いただきます」」
食卓には温められたコンビニ弁当や、レトルトが並ぶ。手を合わせたミサトさんは真っ先にビールを喉の奥に流し込んだ。見ているほうが惚れ惚れするほどのいい飲みっぷりだ。
「ぷっはあぁぁーー!やっぱ人生、この時のために生きてるようなもんよねー!」
「思考が完全にアル中のそれじゃないですか」
「うるっさいわねぇ!」
「…」
私たちが軽口を叩いている中、黙々と食べているシンジ君にミサトさんは顔を顰めた。
「もう!暗いわねー!レトルトも結構うまいでしょ?」
「あ、すみません…父さんのこと考えてて…」
「お父さんと会ってどうだった?」
「…ますます父さんのことがわからなくなりました」
「そう。でも、会わないよりはいいと思うわ」
「そう、ですかね…?」
「ええ。ナズナちゃんはお義父様への挨拶の手応えは?」
ミサトさんは優しく微笑むと、私ににんまりとした表情を向けた。私を揶揄って酒の肴にするつもりなのだろう。
「ありゃかなりの臆病者だな」
「「え?」」
見事にハモった。鳩が豆鉄砲を喰らった様な顔もそっくりで思わず笑ってしまう。
「自分を拒絶されたくないから最初から他者を拒絶して、他人が自分の意に沿わなければ、無理矢理思い通りにことを運ばせようとする。駄々をこねる子供と一緒です。目的のためなら手段を選ばないタイプなのでかなりタチが悪いですね」
自分なりのマダオの評価を下すと、二人が目を丸くする。まさか自分の父親や上司がこんなふうに言われるとは思っていなかったのだろう。
「むしろ父さんは堂々としてると思うんだけど?」
「ハッタリだよ。自分が傷つきたくないから、人が簡単に関わってこない様に尊大な態度を取ってるんだ」
「碇司令を臆病者とか子供呼ばわりする人は初めてよ…」
「そんなこと、考えてもみなかった…父さんは冷たい人だと思ってたから…」
「マダオは簡単に言えば、人付き合いが極度に苦手で不器用な人だよ。シンジが諦めずに向き合い続けていたら、分かり合える日が来るんじゃないかな?」
シンジ君が考えるそぶりをする。マダオはシンジ君のことを不器用なりに愛しているから、2人が和解できたならそれに越したことがないんだが。まあ、ここが漫画版じゃない限りっていう条件がつくんだけど。
「ナズナちゃん、ずっと思ってたんだけど、マダオって?」
「マジでダメダメなお義父さん」
「「…」」
そんなこんなで食べ終わり、私は先に風呂をもらうことにした。
脱衣所で服を脱ぐ前に、風呂場を覗く。すると、ペンギンがいた。
え?ペンギンがいるのは南極だろって?南極はセカンドインパクトで海に沈んだんじゃなかったけ。それにこのペンギンは他のと訳が違う。
「あの、ミサトさん?風呂になんかいるんですけど?」
「ああ、彼は新種の温泉ペンギン。名前はペンペンよ」
「ペットが居るのにあんな部屋って何考えてんですか?」
「あ゛っ…」
ミサトさんと友好的な会話をしている間に、ペンペンが風呂から上がった。
「よろしくね、ペンペン」
「クワワ!」
シンジ君とペンペンも友好的な会話をしている様子に癒され、溜飲が下がったので、意気消沈しているミサトさんを放置して風呂に入ることにした。
あたしはテーブルでビールを呷りながら、キッチンで洗い物や片付けをしているナズナちゃんを眺めていた。一度手伝おうかと声をかけると、
「ミサトさんは皿を割りかねないので酒でも飲んでてください」
と真面目に拒否されてしまったので、お言葉に甘えて晩酌をしている。失礼ね、あたしだって皿くらい洗えるわよ。多分。あたし達の間に会話はなく、シンジくんが浴びているシャワーの音と、皿が当たるカチャカチャと言う音だけが場を支配していた。
「ナズナちゃんはシンジくんと付き合ってどのくらいなの?」
何となく声をかけてみることにした。
「半年以上ですね」
「ふーん。告ったのはどっちなのかしら?」
食器洗いが終わったのか、今度は調理台や棚をゴソゴソと整理整頓しだしたナズナちゃんに続けて問いかける。
「それはシンジからですよ」
「へー!ちょっと意外かも」
あんなにシャイな子がね〜見直しちゃったわ。
「そうですかね?」
「そうよ〜!だってナズナちゃんがシンジくんに『お前を失いたくない!』って言った時、顔を真っ赤にさせて俯いてるような子よ!?普通、告白したのが逆だと思うじゃない、っていうか性別反対でしょ!?」
「私達を何だと思ってるんですか」
「大人しい女の子の方がしっくりくるようなピュアボーイと、恋人を身を挺して守るイケメンな男口調ガール」
あたしのずけずけとした言葉にナズナちゃんは吹き出した。
「ミサトさんは知らないでしょうけど、シンジは芯がちゃんとしてますからね。長年一緒にいればわかりますよ」
そう言うナズナちゃんの顔は後ろを見ていてわからないけれど、きっと微笑んでいるのだろう。
「あら、惚気かしら?」
「だったら何です?悔しかったら家事のできない女性を嫁にもらってくれる様な奇特な男性を捕まえたらどうですか?」
ぐっ…言ってくれるじゃない。可愛くないやつ。それからしばらく会話をしていると、ふとナズナちゃんがこちらを振り向いた。
「…ミサトさん、シンジが風呂に入ってから何分経ちました?」
「えっ、多分…15分くらいかしら?」
「おかしい…」
「どういうことなの?」
聞けばシンジくんは風呂を5分くらいで上がるくらい、カラスの行水なのだそうだ。気にすることはないと笑うが、彼女はそうではないようで浮かない顔をしている。
「あっ…まさか!」
「ナズナちゃん!?」
ナズナちゃんは何かに思い当たったようで、風呂場に飛び込んでいった。あたしは慌ててそれを追いかけた。そこには絶句するような光景が広がっていた。
「シンジ!」
シンジくんは体を包むように腕をまわし、手は爪が皮膚に食い込むほど力を入れてうずくまってシャワーに打たれていた。その男の子とは思えないほどの華奢な体は、酷い傷跡が無数に走っていた。色の薄い切り傷の痕、打撲痕や痣、火傷痕などの古い傷跡が普通に生活していれば異常な数が小さい体に刻まれていた。
「ナズナちゃん、これはどういう…」
「…」
ナズナちゃんは黙って脱衣所のバスタオルを取ると、シャワーを止めた。あたしはシャワーの音でかき消されて気づかなかったが、シンジくんが何かを呟いていることに気がついた。
「うっ…ごめんなさい。ヒュッ…ひぐ…ごめん、なさい…はぁっ、あ…お願い…だから、痛いこ、としないで…うぅ…」
完全にパニックを起こして過呼吸になっている。ナズナちゃんは震えているシンジくんに近づき、タオルをかけると、それごと抱きしめた。
「シンジ、シンジ」
ナズナちゃんがシンジくんにそっと声をかける。
「あっ…ナズナ…はぁはぁ、ぼ、僕…」
「シンジを傷つける奴はここにはいないよ。ほら、深呼吸」
耳元に囁きながら荒い息を吐いている背中をさすっている。
「はっ、はあ…ごめ、ん」
「いいから」
「うっ、うん…グスッ」
発作がおさまって、今度は啜り泣いているシンジくんをナズナちゃんは変わらず優しく抱きしめ続けていた。あたしは何も言えず、そこで見ていることしかできなかった。
また起きてしまった。もうこんな事にはならないようにするって決めてたのに。ナズナは気にするなって言ってくれるけど、情けない自分が嫌いだ。何の前触れもなく、突然あの時の事を思い出すと、次々と他の嫌な思い出も溢れてくるんだ。
肉の焼ける匂い、嗤い声や罵声、そして全身を蝕む鈍い痛み…視界が真っ暗になって、頭の中がぐちゃぐちゃして、息をするのも難しくなって、もがくしか出来ない苦しい世界に閉じ込められる。その中で突然光が差し込んできて、僕は必死にそれに向かう。あの世界から抜け出したとき、その度にナズナが目の前にいて、彼女が助けてくれたのだと理解する。本当は僕がそうしたいのに、いつも彼女に守られてばかりだ。何も出来ない自分が悔しくて、でもそばにいてくれるナズナに安心して涙が溢れてくる。
ナズナがいなければ僕は今頃、ここにはいなかっただろう。あの時やその前に僕の人生は終わっていたはずだ。彼女がいてくれたおかげで、僕は苦しいこともなんとか耐えられたんだ。エヴァに乗って戦うことに決めたのはその恩返しができるかもしれないと思ったからだ。ナズナも一緒に乗るなんて思っていなかったけど。
それに、操縦が上手くなって使徒を倒し続ければ父さんが僕のことを見てくれるんじゃないか、って少しだけ思ってしまったんだ。幼い時に僕を親戚の家に置いていって疎遠になっていた父さん。ナズナの両親であるおじさんやおばさんは僕を家族のように接してくれるけど、それでも実の父親に愛されたいと思ってしまうんだ。僕を置いて行ったのは嫌いになったわけじゃなくて、どうしてもそうするほどの理由があったんだ、って言って欲しいんだ。
こんな自分勝手な考えでエヴァに乗ろうとしている僕を皆は責めるのだろうか。僕に当てがわれた部屋で隣に座っているナズナの温もりを感じながら、思考は堂々巡りを続けていた。
「シンジくんは?」
「やっと落ち着いたみたいで、今は寝てます」
私がシンジ君の部屋から出てきたのを見て、声をかけてきたミサトさんに答える。
「ナズナちゃん、あれはどういうことなの…?」
「…イジメと虐待、とだけ言っときます。最近は少なくなっていたので迂闊でした」
「…」
私には何か言う権利なんてない。私に責任があるからだ。念の為ミサトさんに釘を刺しておいたから、シンジ君に聞くことはないだろう。シンジ君のトラウマを掘り返されでもしたら心がぶっ壊れてしまうかもしれない。ミサトさんならどうせ諜報部でも何でも使ってあの事件にもたどり着くだろうし、強いてこの場で説明する必要はないと感じた。
「シンジくんがああなった時はどうしたらいいのかしら?これからもあの状態になることが考えられるでしょう?」
ミサトさんが発作が起きた時の対処法を聞いてきた。流石に私一人じゃ手が回らないことも考えられたからちょうどよかった。
「症状としては過呼吸や嘔吐がほとんどです。傍にいて背中をさすってやれば落ち着いてきます」
「どう言った時に発作が出るのかしら?」
「基本的には精神的に追い詰められた時…ですかね。今回は慣れない環境や父親と会ったことでストレスのかかった状態でフラッシュバックしたらしいです」
私がちゃんとしていればあんな事にはならなかったのに。私の脳裏にあの日の事がチラついて眉を顰めた。
「そう…」
ミサトさんが呟いて遠い目をした。多分昔のことを思い出しているのだろう。
彼女はセカンドインパクトを起こした彼女の父親が率いる葛城調査隊の唯一の生き残りで、その時のショックで失語症になってしまった経緯がある。だから、ミサトさんはシンジ君に対し、何か思うところがあるのだろう。
「安心して。シンジ君はNERVの病院でも診るわ。カウンセリングするようにしとく」
ミサトさんはちゃんとシンジ君を治療してくれるようでほっとした。
「はい。頼みます」
私は深く頭を下げた。
「ナズナちゃんはシンジ君と一緒に暮らしてたのよね。いつ頃からあれが起きるようになったの?それに、イジメとか…」
「…イジメは物心ついたときから大なり小なり…トラウマになる出来事は付き合う直前に起きて、それから保護の名目で家にいたんです。親が理解のある人だったんで」
両親が精神医学関係の仕事をしていたおかげか、あの頃に比べればシンジ君はかなり回復していたし、ある程度は親の目の届かない学校で発作が起きても簡単な知識を教わっていて対処できていた。正直、前世の記憶があるせいか、血が繋がっているのに他人のように思っていたけれど、あの時ばかりは肉親で良かったと心から思った。
「そうだったのね…」
それきり私達はだまりこむ。今までミサトさんは悪く言えばあまり子供の事情を聞いてこないで、一方的に何か言ってくるような人だと思っていたけれど、それは昔の自分を思い出して躊躇してしまっているのかもしれない。だけど今は、それがありがたかった。
「じゃあ、私もう寝るんで」
そう言って背を向ける。ミサトさんは物思いから覚めたように応える。
「えっ、ええ。…あ、ちょっと待って」
部屋のドアを開けようとした時、ミサトさんが私を引き留めた。
「ひとつ言い忘れていたけど、あなた達は人に褒められる立派なことをしたのよ。…胸を張っていいわ。おやすみなさい、ナズナちゃん」
「私は自分の為に行動しただけです。…その言葉はシンジに言ってやってください」
背を向けたまま答えると、ミサトさんの返事を待たずに自分の部屋に入った。