あたしがナズナちゃんの監視カメラの映像を見ていると、リツコが話しかけてきた。
「ナズナさんの調子はどう?」
「呑気に昼寝してるわ〜。こっちは徹夜だってのに」
ナズナちゃんは備え付けの簡素なベッドに横たわってスヤスヤと寝ている。何かナズナちゃんが秘密にしている情報の尻尾を掴めるかと思ったけど、とんだ無駄足だったわね。
「あら、相当お疲れのようね」
そういうリツコにも濃い隈ができていた。彼女も彼女でエヴァの修理で夜通し忙しかったのだろう。
「初号機の調子はどう?」
「シャムシエルの腕で中破。中枢神経までやられてるわね」
先日の戦いで勝利したはいいものの、問題は色々と山積みであった。特にエヴァの大事な機能の詰まっている中枢神経は修復には時間がかかるのだ。
「次の使徒戦まで間に合いそう?」
「できるだけ急いでいるわ」
間に合わせると口にしないのはリツコの性格をよく表していた。と、彼女が話を変える。
「若夫婦との同居生活はどうなの?お姑さん」
「だぁれが姑よ!」
「あなたのことだから家事のことでナズナさんに怒られてるんでしょう?」
リツコは大学時代からの親友であたしのことをよく知っている。不本意なことにあたしが家事がちょっと苦手なことも。
「その様子じゃ図星みたいね。これじゃ姑がどっちかわからないわね」
「だから姑じゃないわよ!それに最近は2人に家事を習ってるんだし…」
リツコが嘘でしょと呆れた表情をする。こっちだって好きで家事ができないわけじゃないのに。話を戻される。
「で、どうなの?2人の様子は」
「全然イチャイチャしないのよ〜そういうこともしてなくて」
おちゃらけたように言うと、予想外の反応が返ってきた。
「中学生でしてたら問題よ!」
「冗談言ってみただけよ!」
「言っていいことと悪いことがあるでしょ!?」
責めるような視線にやりすぎたと反省して、真面目に質問に答える。
「でも、さっきのは本当。仲はいいんだけど恋人って感じじゃなくて、どっちかっていうと…」
「家族?」
リツコの発言に首を振る。
「そんなんじゃないわよ。なんというか…依存し合ってるみたいな感じ」
「…」
その言葉にリツコが絶句する。どんな反応をしていいのかわからないのだろう。
「お互い好き合ってるのは変わんないんだけど、相手のためなら自分がどうなろうが何でもしてしまいそうな気がする。特にナズナちゃんが」
ナズナちゃんは普段はとてもしっかりしてて頼れるように見える。だけど、シンジくんに危険が及べば躊躇いなく庇ってしまえるのは果たして普通だと言えるのだろうか?N2兵器の爆風や落ちてきた照明からシンジくんを守るナズナちゃんの顔は一瞬だったけど、どこか思い詰めているように見えた。
「…過去が関係してるのかしら?」
「全くない、とは言い切れないわ」
もしこれで片割れがいなくなったときに残った方はどうなるのかしら…あたし達は口には出さなかったが、同じことを考えていた。先に口を開いたのはあたしだ。
「もう、2人ともエバーに乗らない方がいいのかもしれない。この先うまくいくとは限らないでしょ?せめてナズナちゃんだけでも…」
「ミサト!あなた自分が何を言ってるかわかってるの!?」
「わかってるわよ!だから…」
「それであの2人は納得すると思って?それに、使徒を倒すにはエヴァが、ひいてはパイロットが必要よ」
リツコが嗜めるが、それはあたしもわかっている。NERVに入って、この役職になったときに覚悟はしていたつもりだった。それでも、完全に割り切ることなどできていなかった。
「でも、それってあの子達の気持ちを利用してるってことじゃない」
「ええ、私達は人類のためにあの子達を利用してるのよ。2人なら使徒を倒せる確率が上がる。ならそうする。それだけ。もう綺麗事でうまくなんていかないのよ。葛城一尉」
リツコはそう言い残すとツカツカと踵を鳴らして部屋を出ていった。
学校でトウジやケンスケと話していると、おさげでそばかすの委員長、洞木さんが話しかけてきた。彼女は僕がナズナと付き合ってると聞いたとき、
「不潔よ〜!!!」
と叫んだ子で、トウジとよく喧嘩をしている子だ。真面目で、転校してきたばかりの頃は何かと僕らの世話を焼いてくれた。トウジは鬼だとか言ってるけど嫌ってるわけじゃないと思う。むしろその反対だろう。委員長もよく口喧嘩をしてるけどトウジのことを悪く思ってないはずだ。言い合っている様子をナズナは
「若いね〜」
なんて言いながら笑って見てる。いや、ナズナも同い年でしょ。どこの近所のおばちゃんだよ。そんな彼女の要件は
「ナズナ、一緒じゃないの?」
「あ、うん。今日は家の用事で休みだって」
登校してこなかったナズナのことだった。命令違反をした僕を庇って謹慎でNERVの独房にいるなんて言えないので、誤魔化す。
「いいんちょ、村雨のことを名前呼びかいな」
「そういや村雨とよく話してるよね」
トウジやケンスケも会話に加わる。
「碇君はナズナと知り合って長いのよね?」
「そうだけど…?」
「ちょっと碇君に聞きたいことがあるんだけど、いい?」
気まずそうに続ける委員長。
「何?」
「どうしてあの口調なの?私がはしたないって何回言ってもやめないし…」
最近この話題をよく聞くなあ。3人が興味深そうに僕の答えを待っているが、
「それが、僕にもわかってないんだよね。中1のときに突然口調が変わってさ。聞いても教えてくれないし」
その時のナズナの気にするなと苦しそうな笑顔を見てからそれ以上問い詰めることはできなかった。やっぱり僕って頼りないのかな…?あれから一度もナズナが弱音を吐くことも、つらそうな顔をしているところさえも見た事がなかった。心の中で落ち込んでいると、それを聞いた3人は残念そうな顔をする。
「そっか〜シンジでもわからないか」
「じゃあ、もう注意をしてもどうにもならなそうね…」
この場はそれでお開きになった。
いつもは男女それぞれ3人ずつの6人で食べる昼ごはんも今日は5人で食べていた。
「今日は僕が作ったんだ」
「…村雨さんのお弁当じゃないのね」
弁当箱の包みを手渡すと、綾波が言う。ご飯やお弁当は僕とナズナと交代で作っている。このことは綾波も知っていて、本来なら今日のお昼ご飯はナズナが作るはずだった。
「ごめん。嫌なら残してもいいから」
「…いいえ、食べるわ。碇君のも美味しいもの」
そう言って食べ始める綾波。それなら良かった。それを見た委員長が話す。
「綾波さん変わったわね」
「…そう?」
綾波が首を傾げる。
「前よりも話す様になったよな」
「センセや村雨が来るん前は人と喋るんことなんて見たことなかったわ」
と言うケンスケとトウジ。
「…わからないわ」
そう言って綾波はまた首を傾げた。
「綾波さん、前よりも顔が柔らかくなった気がするわ」
「…顔はもともと柔らかいわ」
「…」
僕らはこの時、思考が一致した。
『綾波(さん)ってもしかして天然…?』
その日の放課後、なぜかクラスで3バカトリオと呼ばれ始めたトウジとケンスケの3人で帰っていると、
「あ、お疲れ〜」
呑気に声をかけてきたのは
「ナズナ!?良かった。もう戻ってこれたんだね」
幻なんじゃないかと急いで駆け寄る。
「やっと謹慎明けてな。家事を全部任せて悪かった。大変だったろ?」
「ううん、平気。あ、ケンスケ」
彼をナズナの前に押し出す。ケンスケは突然のことに慌てる。
「何するんだよ!」
「僕、謝れって言ったよね?」
「うっ…だからっていきなりはないだろ…」
トウジもケンスケを促す。
「ケンスケ、今言わなこの先ずっと言えへんで」
「ケンスケが私に?何かあったか?エヴァのことはもう怒ってないけど」
本当に何もわからないと言った様子のナズナに、ケンスケはとうとう腹を括ったようで頭を下げる。
「村雨、実は俺、村雨の写真を売ってるんだ。隠し撮りしてて悪い…」
「あー…なるほどね…」
ナズナは意外にも怒ってはいないようだが、少し考え込む様子をすると、笑顔でケンスケの腕を引っ張った。
「ケンスケ、ちょっとこっちに来てもらおうか」
「え、待ってやだよ。いや、ほんとごめんて。稼いだ分全額あげるし、もう絶対しないって!」
焦って逃げようとするが、ナズナはガッチリと腕を掴んで離さない。
「いいからいいから」
「お願いだよ!反省してるんだ!っていうか力強!?シンジ!トウジ!助けてくれ〜!」
顔を真っ青にして助けを求めてくるケンスケに、僕らは顔を見合わせると、口を揃えて言った。
「「ケンスケ、諦めろ」」
「嫌だ〜!」
ケンスケの抵抗も虚しく、そのまま路地裏に引き摺り込まれていった。それからこっちには内容がわからなかったけどボソボソと話し声が聞こえ、しばらくすると2人が戻ってきた。
「いやあ〜ケンスケがいてくれてよかったよ」
「まさか村雨と友達に慣れるなんて俺は幸せ者だな〜」
急に態度の変わった2人にトウジは怪訝そうな顔をする。
「なんや急に距離近ないか?気色悪いやっちゃの〜」
どうして2人ともホクホク顔をしているのかはわからなかったけど仲良くなって何より、なのかな。
途中でトウジやケンスケと別れ、ナズナと2人きりになる。少し気まずい空気を感じていると、ナズナが話しかけてきた。
「シンジ…お前が追い詰められてるのを気づいてやれなくて悪かった。もっと話をするべきだったな」
そう言って申し訳なさそうな顔をする。シャムシエルの時のことを言っているのだろう。僕はそんなナズナの顔を見たくなくて慌てて否定した。
「ナズナはヘマした僕を庇ってくれたじゃないか!謝るのは僕のほうだよ」
「いや、私に責任がある。あ、ミサトさんと話して監督日記は廃止してもらった。日常生活を他人に見られるのは不快だからね」
いつも僕のことを考えてくれているナズナに胸がいっぱいになる。だけど…
「違うんだ…」
「ん?」
ナズナが優しく続きを促す。
「僕がミサトさんの命令を無視した理由。監督日記のことは全然気にしてないんだ。あれは、ミサトさんに怒られた時の言い訳みたいな…」
「じゃあ、何でか聞いてもいいか?」
一瞬、躊躇してしまう。これを聞いたらナズナは僕を嫌うんじゃないかと嫌な想像が頭をよぎる。でも彼女がそんな事をするはずがないとすぐに頭から不安を振り払う。
「…怖かったんだ」
「…」
僕が何よりも怖かったのは
「あのとき、僕はナズナがフィードバックを受けてることを忘れてたんだ。ナズナの悲鳴を聞いてそれを思い出して、死んじゃうんじゃないかって怖かったんだ」
「…そっか。不安にしてしまってごめん」
そっとナズナが手を繋いで温もりをくれる。
「ナズナは悪くないよ…トウジに感謝されて、使徒を倒せるのは僕だけだって舞い上がって。調子に乗っていたんだ。ナズナのサポートがあってこそだったのに、気づかないで」
「…」
ナズナが黙って僕を見つめる。まるで見透かされるような視線に思わず下を向いてしまう。
「だから、操縦を上手くやろうとして焦って、余計にナズナに痛い思いを…謝るのは僕のほうだ」
するとナズナは呆れたように笑った。
「シンジは気にする必要はないよ。そもそもまだエヴァに乗るのに慣れてないんだ。誰だって初めてのことがうまくいくなんて事はないんだよ」
「でも…」
「シンジ」
僕が否定しようとするとほおを優しく摘まれる。
「なひすんひゃお…」
どうしてこんな事をされるのかわからず間抜けな顔をしていると、僕はナズナに尋ねられた。
「エヴァに乗れば私は君の彼女ではなく初号機のコパイロットだ。私の役目はなんだ?」
ナズナの、コパイロットの役目、それは…
「メインパイロットの補佐…」
「そうだ」
ナズナは深く頷く。
「エヴァがダメージを受ければパイロットにも痛みを感じる。もしそれで怯めば敵に攻撃するチャンスを与えることになる。それはわかるよな?」
再びの問いに僕は慌てて頷く。
「う、うん」
まだ実戦は2回しかしてないけど、それでも一瞬の攻防が命運を分けることになるのはよくわかっていた。
「そのために私がいると思うんだ。ダメージを私が受けることで隙を減らせる。だから、シンジは私を気にせずに戦闘に集中してほしい。私が悲鳴をあげようがエヴァがどれだけダメージを受けようが。それが私達の強みになる」
使徒を倒すためにそこまでするの?いつも自分の身を大切にしないで僕のことを優先するナズナに悔しさを感じる。でも、やめさせようにも反論できる材料が無かった。
「…わかった。でも、無理はしないでね」
「大丈夫だよ。私のことは心配しなくていいから」
そう笑うナズナの顔はいつもと同じように見えるが、どこか影があるように感じた。それから彼女が何か言いたげな顔をしたので問いかけた。
「どうしたの?」
「あ…いや…」
ナズナは言いづらそうに話す。
「私、さ…本当はシンジにエヴァに乗って欲しく無かったんだ」
驚いて彼女を見る。普段の自信のある言葉とは大きくかけ離れた弱々しい声に戸惑いを隠せない。こんなナズナを見るのは初めてだ。
「それは…僕が頼りないから?」
真っ先に浮かんだ理由がそれだった。いつも僕はウジウジしてばっかでナズナに迷惑をかけっぱなしだったから、そんな奴に人類を任せたくないってきっと思ったんだろう。でもナズナは首を振る。
「そうじゃないよ。乗って欲しく無かった理由は…きっとこの先、シンジが辛い思いをするかもって思ったからなんだ」
「どういうこと?」
ナズナは黙って少し考えると、ゆっくり話し出す。
「…エヴァや使徒がどんなものか知ってる?」
「襲ってきた未知の生命体の使徒を倒すためにエヴァが作られたぐらいしか…」
「つまりそれぐらいしか私達に情報が開示されてないってことだよ。考えられる理由はそれが不都合な事実だからだ」
僕は黙り込む。ミサトさんやリツコさん、父さんが僕らに何か隠している?その何かって何?
「じゃあ、ナズナはわかるの?」
僕に問われたナズナは首を横に振る。
「いいや?多分ミサトさんも知らないんじゃないかな。だけど、その事実が世の中に明るみにされた時、パイロットも無傷じゃすまないと思う。いくら知らなかったとはいえ、世間は重要なことを秘密にしてた組織に所属しているシンジをそうそう許してはくれないだろうさ」
「そう、なのかな?」
「残念なことにね。それから…」
と続けるナズナ。
「エヴァは兵器だ。それも現存する中で最強の。それをよく思わない人もいるし、その脅威が人類に向いたら、とかそれを我が物にしよう、とかのよからぬことを考える奴も必ず出てくる。そうなったら一番の被害にあうのはパイロットだ」
僕は今まで考えてみなかったことに絶句する。心配性だなと笑い飛ばすことも、こんなにスケールが大きく、説得力があるからできるはずがなかった。
「…」
「だから、使徒と戦うよりも辛い目に遭うかもしれない。それなら、まだ引き返せる今のうちに一緒にエヴァを降りよう。逃げることも悪いことじゃない。むしろ、そうして欲しい」
思いもしない一言に驚く。ナズナがそんなことを必死に言うのは珍しかった。僕のことを考えて言ってくれるのはわかるけど、この時ばかりは反論する。
「もし、今逃げたら綾波が1人で戦わなくちゃいけなくなるんだよ?たった1人で怖さも痛さも背負わなくちゃいけないんだ。そんなのは嫌だよ」
ナズナはそれを聞くと厳しい顔をする。
「それはレイの話だろ?言っちゃ悪いがそれはシンジとは関係ない」
思わずナズナを睨みつける。どうしてそんなことが言えるんだよ!
「そんな言い方ってないだろ!?綾波のことをどうでもいいって思っているの!?」
僕の批判にもナズナは顔をピクリとも動かさない。僕たちの間にはギスギスした空気が漂っていた。
「よく考えてみろ。今、シンジは他人を理由にしようとしたんだ。じゃあ、もし私がさっき話したことが事実になったらレイのせいにするのか?そういった生半可な覚悟じゃこの先きっと後悔するぞ」
「…」
その言葉に黙り込む。ナズナがさらに責め立てる。
「何の為にエヴァに乗る?何の為に戦う?NERVにいる人間は皆何かしらの覚悟を決めてんだよ。そこに並べて、いざという時には対抗できるほどの覚悟がお前にはあるのかよ!?」
ナズナが睨みつける様に僕を見る。僕は手をぎゅっと握りしめると、ナズナを真っ直ぐ見返す。
「…ここで逃げたらこれから先、ずっと逃げることになる、と思う。もう、そんなことはしたくない」
頑張って思いを言葉にする。今まで逃げたり、ナズナに守られてばかりだった。ナズナや父さん、綾波までも言い訳にして。だから、これからは向き合っていかなくちゃいけないんだ。ナズナは静かに僕を見つめる。僕はありったけの勇気を振り絞った。
「僕は1人でもエヴァに乗るよ。そのための覚悟も決めたんだ。だから、ナズナとは一緒にいけない」
ナズナと離れるのは不安だけど、やってみせる。その言葉に、彼女はフッと表情を緩めた。すると、さっきまで感じていた緊張感がなくなる。
「いつ私が1人で逃げるって言ったよ?私もシンジを支え続けるってとっくの昔に決めてんだ」
「え?それじゃあ…」
期待を持って彼女を見つめる。ナズナは優しく笑った。
「シンジが残るなら私もここに残るよ」
気づけばあたりは夕暮れに染まっていた。