渡世フタバは仲正イチカを落としたい   作:笹の船

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歪んだ願い

「フタバちゃん……その、こういうこと言うのすごく心苦しいんだけど……」

 

 ものすごく言いづらそうな様子のイチカちゃんが、俺から顔を逸らしながらそう切り出してきた。

 ついに来たか。そんな言葉が頭の中に浮かびあがってくる。

 俺が家から出なくなって、今は秋だ。

 少なくとも一学期はほとんど学校に行かなかったことになる。

 学校、というのはテストで点を取ればいいという場所でもない。少なくとも、日本の学校はそうだった。

 

「学校、行こう? その、このままだと進級できないって、事務の人から連絡が来てて……」

 

 気まずそうにイチカちゃんが差し出してきた紙には、予想した通りの言葉が書かれていた。

 そう。出席日数だ。これが足りなければ、いくらテストの成績が良くても学校は進級できない。

 手渡された紙には、出席日数が足りなくなると進級が難しいこと、ただしテストの成績が良ければ多少の融通が利くことが書かれていた。

 

「……うん。分かった」

「ごめんね……これだけは、私の力じゃ……」

「ううん、大丈夫。ありがとう」

 

 大丈夫、と言いながら自分でも分かるくらいに俺の言葉は弱弱しいものだった。

 理屈は分かっている。そうしなければ自分の首を絞めることも。

 けれど、学校に行くこと……いや、そもそも外に出なくちゃいけないことを想像するだけで喉を緩く締め付けられるような感覚がした。

 幸い、テストの成績次第である程度の融通が利くとある。

 だから、少しでもイチカちゃんの辛そうな顔を和らげてあげたくて言った。

 

「いい成績取れれば、ちょっとは楽になるみたいだから。大丈夫、何とかなるよ」

 

 勉強自体はそれほど苦じゃない。いや、これは正しくはないか。

 引きこもっている間、毎日のように来てくれていたイチカちゃんは、俺の肌とか髪のケアだけじゃなくて俺のクラスで配られていた学校の課題も持ってきてくれていた。

 その課題を解く俺の横で、イチカちゃんも自分の課題を消化しつつ俺が詰まってそうなら教えてくれるっていう勉強会みたいな時間がもうしばらく続いていた。

 そんな時間が、日々何かに怯え続ける俺にとって数少ない癒しの時間だった。

 イチカちゃんの匂い、柔らかな声、時折触れる指先の温もり。自分を肯定してくれる言葉。

 ただ惰性で生きているだけで、自分で自分の何を肯定できることもない俺にとってそんな時間は救いだった。

 男とか女とか関係なく、頑張ったことを人に評価される。男だった頃でさえご無沙汰だった成功体験を、イチカちゃんは毎日くれた。

 頑張れば、イチカちゃんが褒めてくれる。だから、俺はイチカちゃんと一緒に勉強する時間が好きだった。

 だから、イチカちゃんさえいてくれれば学校のテスト位何とでもなる。そんな確信があった。

 まあ元々成人男性としての知識も頭に残っているんだ。歴史や地理、公民みたいな社会系の科目はどうにもならないけど、それ以外は日本にいた頃の知識の流用が大分使えるんだからこの部分だけは強くてニューゲーム状態と言っていいかもしれない。

 

「イチカちゃんがずっと教えてくれてたから……テスト位、良い点取れるよ。多分」

 

 そう言って、イチカちゃんをそっと抱きしめる。

 声は震えていないだろうか。体も震えていないだろうか。変に(りき)んでイチカちゃんに痛い思いさせたりしてないだろうか。

 ああでも。自分でも浅ましいと思うけれど。

 なんて、なんて安らぐんだろう。

 腕の中のイチカちゃんの温もりで自然と肩に入っていた無駄な力が抜けていくのが分かる。

 もっと、もっとイチカちゃんを感じたくて顔をイチカちゃんの肩にうずめて深く息を吸う。

 こんな女子中学生の体に欲情したみたいな行為をしてるなんて、俺は変態だ。

 そんな理性からの糾弾を、けれど感情が全て叩き潰した。

 だってしょうがないじゃないか。この世界は俺に優しくない。俺に優しいのはイチカちゃんだけなんだ。

 大体、今の俺は大人の男じゃなくて、留年した女子中学生なんだ。これくらい、年頃の女の子同士だったらやってたっておかしくないだろ。

 心の中で誰にするでもない言い訳をつらつらと並べ立てていると、不意にきゅっと抱きしめ返されたのが分かった。

 次いで布擦れに近い音が耳元でする。それが布擦れじゃなくて、イチカちゃんが俺達のことを周囲から隠すように羽で覆った音だと分かったのはこれが二人で抱きしめ合った時のルーティーンになった証拠だろう。

 

「フタバちゃんは、私が守るから……だからずっと一緒にいようね。私も、フタバちゃんがいたら頑張れるから……」

 

 イチカちゃんのささやきが俺の鼓膜を震わせて、その奥の脳みそを溶かす。

 ずっと一緒。なんて気持ちのいい響きなんだろう。

 何も分からず放り込まれたこの世界でただ一人、しっかりと憶えていた子。

 そんな子から、ずっと一緒と言って貰えた。必要だと、暗に言って貰えた。

 人としてまともなこと何一つできない俺を、必要だと。

 その言葉に心の底から安心する。

 そして同時に、ちょっとだけ俺も頑張ろうって気持ちになる。

 俺だって男なんだ。女の子にして貰ってばかりというのは格好がつかない。

 勿論、いきなり普通に生活なんて無理だし嫌だ。出来るわけがない。

 それでも、イチカちゃんが笑ってくれるんだったら、ちょっとくらい辛い思いをしてでも頑張る価値はある。

 きっとそうすれば、この子はもっと俺を必要としてくれるだろうから。

 

「うん。ずっと、一緒」

 

 体は女の子だけど、少しずつ頑張って行ったらイチカちゃんは俺を”そういう対象”としてみてくれるだろうか。

 いつか俺がこの世界で普通に生きられるようになって、イチカちゃんが危ない時や困っている時に助けられるようになったら、この子は俺と本当の意味でずっと一緒に生きていきたいと、思ってくれるようになるだろうか。

 そうだったら、いいな。

 いや、そうなってほしい。それを現実にしたい。

 ふつふつと、自分の中に淀んだ願望が沸き上がってくることに気が付いた。

 イチカちゃんを、独り占めしたい。そんな願望。

 今のイチカちゃんは、元の渡世フタバが積み重ねてきたものと最後に自分を庇って昏睡した渡世フタバを再び失いたくないっていう恐怖から一緒にいようって言ってるんだと思う。

 でも、その気持ちはやっぱり俺であって俺じゃないフタバに向けられたものだ。

 それはおかしなことじゃない。むしろ、仕方のないことだ。

 だって、目が覚めてからのフタバがイチカちゃんの知ってるフタバじゃないなんてこの子は知らないんだから。

 けれど、なんだか面白くないと思った。思ってしまった。

 今の渡世フタバは”俺”なんだ。だから、もっと俺のことを見て欲しい。

 横恋慕かもしれない。でもそれならさっさと元のフタバがこの身体の主導権を乗っ取ってくれればよかったんだ。

 そうしたら、俺はこんな苦しい思いをすることもなかったんだから。

 俺は、悪くない。

 今日何度目かの言い訳を心の中で叫びながら、俺はイチカちゃんを抱きしめる力を少しだけ強めた。

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