気が付いたら真っ暗な空間に立っていた。
なんとなく思った。これが地獄ってやつなのかなって。
実に残念な話だが、さっきまで自分が何をしていたかはしっかり覚えていた。
そして最後にビルから落ちたってことも。
だからそう。ここはきっとあの世なんだって思った。
「違うよ。ここはあの世じゃない」
俺の背後から、俺の声がした。
いや違う。俺じゃない。渡世フタバの声だ。
振り返ればほんのちょっぴり俯いて微笑んでるような顔をした本物の渡世フタバがいた。
「君は眠ってるだけ。まだ死んでない」
「冗談はやめてくれ。結構な高さから落ちたんだ。生きてられるわけがない」
コイツと話すのは嫌いだ。でも、だからと言ってどこかへ行けるわけでもない。
だから、ちょっとぶっきらぼうな言い方になったっていいだろ。
ていうか、割ともうどうでもいいんだけど。
「生きてたって、どうせ死刑かなんかだろ。俺みたいなゴミは、生きてたって誰の為にもならない」
「…………」
渡世フタバは何も言わない。俺の言葉が正しいと分かっているからなのか、それとも憐れまれているのか。
「もう勘弁してくれよ。俺が何をしたっていうんだ。死なせてくれ。楽にさせてくれよ」
「僕達が──いや。君が死んだら、イチカちゃんはどうなるのさ」
初めて。そう初めてだ。
渡世フタバから苛立ったような声が発せられた。
でもだから何だってんだ。
「知らねーよ。大体、俺がアイツに最期何したか知らないのか。あんなことしたんだ。流石に愛想尽かすだろ」
そうだ。俺は最期にイチカちゃんを傷つけた。俺を助けに来てくれたであろう、イチカちゃんに酷いことをした。
あまつさえ、俺はあの時イチカちゃんを殴りつけたことに快感すら覚えてたんだ。
イチカちゃんだけじゃない。あの時あの場所にいた不良達をボコボコにしたことにだって気持ちよさを感じていた。
限界までお腹が痛いのをこらえてトイレに座れた時のような、爽快感をだ。
……忘れられるわけがない。このキヴォトスで、あんなありふれた手段で気持ちよさを覚えられるなんて知ってしまったことは。
アレがあの時限りのものだったなんて思えなかった。
だって、別に俺が渡世フタバになる前からそういう想像なんて腐るほどしたからだ。
気に入らない客、上司、その辺を歩いてる品の無いクソ。
そういう奴を暴力で屈服させられたら。そんな品の無い想像だ。
そんな想像を、現実に出来るだけの力があることを知ってしまった。
我を忘れてしまえば、いくらだってやれてしまうことを知ってしまった。
しかも、暴力をふるう相手を選ぶこともできない。目についたヤツは全部ぶっ飛ばす。そういうバケモノになる。
「俺はもう歩く爆弾になっちまったんだよ。危険なものは危険じゃないうちに処分するべきだ。そうだろ?」
「それは……」
渡世フタバは何かを言おうと口をパクパクさせて、けれど結局何も言えずに俯いた。
そりゃそうだ。コイツが言うに、俺もコイツも渡世フタバらしいんだから。俺が何を思ってこんなことを言ってるか、きっとこいつには伝わってるはずだ。
「……俺が生きてたとして。次に目を覚ましても、もう俺はまともな人生を送れやしない。お前が俺なら、分かるだろ」
「だったら、君が死んだってなったら……目を覚まさないってなったらイチカちゃんがどう思うか……それだって分かるでしょ!」
渡世フタバの怒鳴り声に、今度は俺が黙り込む番だった。
ああそうさ。分かってる。
きっとイチカちゃんは”また自分のせいで”と自分を責めるだろうってことくらい。
でもじゃあ、俺がこの後目を覚ますとして。
一体どんな顔をしてアイツに会えばいいっていうんだ。
「……勘弁してくれよ。もうお前が目を覚ましてくれないか。俺はここでいい。……ここがいい」
そうだ。そうしたら万事解決だ。俺は俺が何者かだなんて悩む必要もないし、周りの──イチカちゃんの知ってる渡世フタバであろうとする必要もなくなる。
この暗い世界で、渡世フタバ越しに第二の人生とやらを眺めさせてもらえればそれでいい。
「それが……それが出来たら僕だってそうしてるよ!」
でも現実は残酷だ。帰ってきた答えは不可能であるというものだったんだから。
正直、予想はしていた。だから別に、そんなにガッカリというわけでもなかった。
「まあ、だよな」
ため息を吐きながら視線を足元に落とす。
ちょうどその時だった。視界がぐにゃりと歪んだ。
なんとなく分かった。これは目が覚める前の感覚だ。
ああ、本当に生きてたのかよ。
「ちぇっ、結局また懲役か」
軽い口調で言ってはみたけれど、心の内は穏やかになんてこれっぽっちもならなかった。
またあの地獄に連れ戻されるんだ。気持ちがいいわけがない。
「いつになったら、俺はお前と入れ替われるんだろうな」
歪む視界の中、現実へ引き戻される実感と共に早くなる心臓の音を聞きながら渡世フタバに問いかける。
「……言ったでしょ。君も、僕も──」
薄れていく声。でも、その先の言葉は聞かなくても分かった。
理解も納得も出来ない。ただ、俺達はどちらも渡世フタバだと。そういうことらしい。
「クソ……意味わかんねえよ」
夢の中なのに吐き気を覚えながら、そこで俺の意識は途切れた。