ゴミ拾いボランティアの日になった。
俺が任されたのは学校からちょっと離れた地区になる。
本来はグループ単位での行動で、生徒会役員がグループ長となって参加希望をした生徒たちをまとめながらゴミ拾いをするらしい。
が、そこはハスミ会長が気を利かせてくれたのか俺だけは単独の行動を許された。
と言っても、同じエリアの反対側からはハスミ先輩がグループ長をやってる別動隊がいるが。
とにかく、人と話したりするのは極力避けたい俺にとってはありがたい気遣いだった。
「ふぅー……」
2Lのゴミ袋とゴミ拾い用のトングを持って、息を吐きながらゴミ拾いを始める。
とはいえ、三中がトリニティ総合学園にエスカレーターで上がれるようなお嬢様校だ。前世の時でもそうだったが、基本的に富裕層になればなるほどゴミのポイ捨てみたいなマナーの悪い行動をする人間は減る。
つまるところ、拾うゴミなんて案外無いのだ。
拾うゴミなどないのだからサボっても良いか、なんて考えもなくはない。が、何もすることのない仕事時間というのは非常に苦痛なのを俺は知っている。
それに比べればゴミ拾いというのはゴミ袋とトングを持って歩きまわっているだけで”仕事をしている”という気分になれるのだから随分とマシなものだ。
今の時間は13時を少し過ぎたところだ。今日は元々午前中で授業が終わる日だったから、俺みたいに強制参加をさせられた普通の学生は遊びたいだろうに気の毒なことである。
まあ、授業終ってから昼休みを挟んでのボランティア開始だから下校時間ともそれ程かぶっていない。学区は静かなものだった。
おかげで、ゆっくり落ち着いてゴミ拾いに専念することが出来てありがたかった。
そうしてあっちへふらふら、こっちへふらふらと歩きながら目につく空薬莢だったりコンビニのビニール袋だったりをゴミ袋へポイポイ放り込んでいると不意に誰かの視線を感じた。
あからさまに体が震えそうになるのを何とかこらえながら、チラリと横目で視線を感じた方向を横目で見て見る。
「あぁ、ゴミ拾いのボランティアの子かい? いつもありがとうねぇ」
そこには最近何とか見慣れてきた2.5頭身くらいの犬の獣人がいた。しわがれた声と程々に曲がった背筋、どことなくつやの無い体毛から見ておばあさんなんだろう。
そんなおばあさんが穏やかに目を細めて微笑みながら俺に声を掛けて来ていた。
「……ども」
向けられた視線に、声に、悪意はない。
それでも、俺はその視線が少し怖かった。
だから最低限顔だけ向けて、出来てるかどうかも分からないけど会釈をする。
人として本当に最低限レベルの礼儀だけ果たして、早くこの場を離れたかった。
けれど、現実はそううまくいかなくて。
「ねえお嬢ちゃん。良ければちょっと上がって行ってくれないかい? 少し重い荷物を運んでほしくてねえ。勿論、お礼はするから」
今の俺はボランティアだ。仕事はゴミ拾いだが、その本質は地域貢献である。
であるからには、地域の住人の頼みを断ることはできないだろう。
だからそう。ゴミ拾いをする時間が減ってもこれは正当な理由だ。怒られることはない。
そんな言い訳を頭の中で必死に練り上げながら、俺はおばあさんの言葉に頷くしかなかった。
結論から言って、大したことなんてやらなかった。
重い荷物を運んでほしい。その言葉以上のことなんてなくて、ミネラルウォーターの2Lペットボトルが6本入った箱を2,3個おばあさん家の玄関から台所まで運ぶだけだったのだ。
だから、それを運んだらすぐに離れようって思ってたのに。
お礼をすると言ってきかないおばあさんに押し負けて、俺は今畳が敷かれた居間の座布団の上で座っていた。
「待たせちゃってごめんねえ」
申し訳なさがほんの少し混じった、けれどどこか楽し気に浮ついた声でおばあさんが
「ちょっと前にねえ、良いお茶っ葉と羊羹を貰ったんだけどなんだか一人で楽しむのはもったいなくてねえ。ご近所さんはみんな忙しいみたいだし、ダメにしちゃうかと思ったのよ~」
「…………」
ダメになる前に食べられそうで良かったわぁ、なんて笑いながらおばあさんはゆったりとした、けれど手慣れているのであろう動きで湯飲みにお茶を注いでいく。
二つの湯飲みにお茶を注ぎ終わると、おばあさんは俺の前に湯飲みを置いてくれた。
何の変哲もない、その辺に売ってそうなシンプルな湯飲みだ。けれど、どうしてかゆらゆらと立ち上る湯気は見ていて落ち着く気がした。
「どうぞ、召し上がって。荷物のお礼だよ」
ニコニコと笑いながら羊羹の乗った小皿を差し出されてしまえば、やっぱり大丈夫ですなんて言えるはずもなくて。
「……い、いただきます」
上手く声を出せなくてなんだか低い声になってしまった。不機嫌そうに見られてないかな。
うつむき気味に、それでも湯飲みを両手でゆっくりと持ち上げてから息を吹きかけてお茶を冷ます。湯飲みに口をつけた時にお茶から僅かな熱気が立ち上るのを感じたのだから、冷まさなければ飲めたもんじゃないだろう。
そうして少し冷ましてから、お茶を口に含む。
お茶の味は、前世からよく知る緑茶の味だった。息を吹きかけて冷ましたおかげで良い感じに温かい。
それを飲み下せば、温かいお茶が喉を伝ってお腹の方へと流れていくのを感じる。
俺の良く知るお茶の味と、温かいお茶が体を心から温めてくれる感触に思わず吐息が漏れた。
そう言えば、転生してからこんな風にゆっくりと何かを味わったことなんてなかったかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えながら、小皿に乗った羊羹を添えられた竹串で刺して口に運ぶ。
つるりとした舌ざわりの羊羹を噛めば、くどすぎない甘さと小豆の食感が口いっぱいに広がった。
それを味わうようにゆっくりと何度も噛みしめて、それから温かいお茶を口に含んで一緒に飲むこむ。
その美味しさと心地良さに、また小さく吐息が漏れた。
そして、次の瞬間には急に喉の奥が締め付けられるような感触に襲われた。この感覚は良く知っている。泣きたくなった時のアレだ。
こんなところでいきなり泣き出したら迷惑だ。だから我慢しないと。そう思ってた。
「あら……大丈夫? 羊羹、美味しくなかった?」
「え……」
でも、そんな俺の我慢なんて意味がなかった。
心配そうな表情と声のおばあさんに見つめられて、俺はそこで初めて自分の頬を何かが伝っていることに気が付いた。
それが何であるかなんて、考えなくてもすぐに分かった。
「嘘、なんっ……で……」
絞り出した声が泣いている時の自分の上ずったソレでしかなかった。
その事実を自覚した時にはもう、我慢なんて出来るはずもなくて。
次から次へと、目から涙がボロボロとこぼれだして止まらなかった。
制服の袖でぬぐってもぬぐっても、涙が止まることはない。それどころか、鼻水までダラダラと出てくる始末だ。
ずびずびと鼻をすすっていると、おばあさんがおろおろとしながらもティッシュを持ってきてくれた。
はしたないとは思ったけれど、音を立てて鼻をかむ。それから、また涙をぬぐう。今度は、ティッシュを使ったけれど。
涙は止まらないけど、鼻水はある程度出し切って落ち着いたころだ。不意に、まだ飲み切ってないお茶と食べきってない羊羹が視界に入った。
未だに涙をぼろぼろこぼしながら、羊羹を食べてからお茶で飲み込むことをもう一度やる。
おいしい。
羊羹は後一切れ残ってる。お茶も後一口分くらいは湯飲み残ってる。
だから、もう一回同じことを繰り返した。
おいしかった。
キヴォトスに転生してから、初めて”おいしい”なんて感情を抱いた。
イチカちゃんに作ってもらってた料理がおいしくなかったわけじゃない。でもあの頃は、そんなことに意識を割いていられる余裕すらなかった。
ずっと怖かった。俺の些細な言動が、イチカちゃんの知る渡世フタバじゃないってバレたらどうしようって。バレて、お前は誰だなんて言われたらって。
イチカちゃんに抱きしめられているあの瞬間だけが、俺の居場所だった。いや、そうだと思い込みたかった。
だから、今の今まで俺はキヴォトスに自分の居場所があると思えたことがなかったんだ。
なのに、どうしてだろう。
こんなちょっとおいしいお茶と羊羹を食べただけで、どうしてこんなに温かくて
酷い裏切りだ。これまでずっと良くしてくれてきたハスミ会長やツルギ先輩、そしてイチカちゃんへの。
そう分かっているはずなのに、それでもその後ろめたさよりも安らぎの方が大きいのはきっと……このおばあさんが渡世フタバを知らないからなんだろう。
そんなことを考えていたら、突然ポケットのスマホの着信音が鳴り響いて俺は小さく体を飛び上がらせてしまった。
おぼつかない手つきでポケットからスマホを取り出せば、ディスプレイにはハスミ会長の名前が表示されていた。
慌てて通話ボタンを押して、スマホを耳に当てる。
「も、もしもし……」
『フタバさん? 今、どちらにいるのですか?』
声は優しかった。それでも、怒られているような気がして頭が回らなくなる。なんて答えたらいい? なんて言ったら相手は納得する?
でも、黙りっぱなしはもっとマズい気がした。だから、何か言わないと。
「あ、えと、その……み、道に……迷って……」
『それは……大丈夫ですか? 近くに目印などはありますか? 言って頂ければ、こちらから迎えに行きますが──』
「いえ、その……大丈夫です。誰かに聞くので……」
俺はボランティアの報酬を貰っているだけだ。これも地域貢献の一環だ。だから怒られることなんてないはずだ。
そう自分の中で言い聞かせながら、それでも早く電話を切り上げたくてそんな嘘を吐いた。
果たして、そんな俺の嘘は見破られなかったらしい。
電話口から、かすかにホッとしたようなため息が聞こえた。ハスミ会長に嘘を吐いた、という事実が俺の心にのしかかる。
『分かりました。それでは、学校に戻ってきてください。もしまた道に迷うようであれば、早めに連絡してくださいね』
「は、はい……」
そうして電話が切れたのを確認して、ようやく俺は詰まっていた息を吐き出して脱力する。
だが、もうもたもたしている時間はない。早くいかなければまた変に気を遣われてしまうことになるだろう。
幸い、お茶も羊羹も完食している。席を立つにはちょうどいい頃合いに違いない。
「あの、もう、行かないと……なので……」
言いながら、俺はゆっくりと立ち上がる。
そんな俺をおばあさんは少し心配そうな目で見上げていた。
「本当に大丈夫かい? 嫌な人からの電話だったんじゃないのかい?」
確かに、俺の様子を見たらそんな風に捉えられても仕方ないかもしれない。でも、それは違う。
「いえ……良い……先輩だと思います。だから、心配かける前に戻らないと」
「そうかい……引き留めて悪かったねえ」
まただ。どうして俺はこうして人に気を遣わせてばかりなんだろう。
でも、だからこそこういう時は嘘でも言わなきゃいけない言葉があるって俺は知っている。
「あの……ごちそうさまでした。……おいしかったです」
笑いながら言ったつもりだ。上手く笑えただろうか。さっきまで泣いてたから、ひどい顔だったかもしれない。
でも、やれることはやったつもりだ。これでダメでも、俺は悪くない。
だがどうやら、俺の努力は無駄じゃなかったらしい。
おばあさんは穏やかに目を細めてゆっくり頷いてくれた。
「私の方こそ、ありがとうねえ。気を付けて帰りなね」
おばあさんはそう言って微笑みながらゆっくりと立ち上がる。どうやら、玄関まで見送るつもりらしい。
でも、不思議と嫌じゃなかった。おばあさんにぶつからないように廊下に出て、玄関へと向かう。
靴を履いて、隅にまとめておいたゴミ袋と軍手、トングを手に取ってから玄関の引き戸に手をかけた。
「それじゃあ……失礼しました」
視界の端にギリギリおばあさんの姿が捉えられるくらいの角度まで首を回して、また小さく会釈をしながら引き戸を開ける。
そうして外に一歩踏み出そうとした時だった。
「うん。また、いつでもおいで。お茶とお菓子くらいしかないけどね」
それが例え社交辞令的な言葉で、次に本当に尋ねに来たら嫌な顔をされるかもしれなかったとしても。
それでも、その言葉はいつも強張ってる俺の頬を緩むのには十分な温もりがあった。
「……近くを通ることがあったら。また、来ていいですか」
だから、首だけじゃなくて体までおばあさんの方まで振り返りながらそんな柄でもないことを口にしてしまって。口にしてから失敗した、と思ってしまったけれど。
「もちろん。歓迎するよ」
おばあさんの笑顔が、失敗じゃなかったのだと教えてくれた。
それが、何よりの救いだった。
「それじゃあ」
小さく手を振って、今度こそ俺はおばあさんの家を後にする。
前を向いて歩きだすその直前。今度は、自然に笑えた気がした。