ボランティアに参加して、おばあさんと出会ってから1ヶ月くらいたった頃だ。
転生した直後に比べれば大分心が落ち着いてきたと思えるようになってきた。
もちろん、元気一杯になった訳じゃない。
相変わらずツルギ先輩との戦闘訓練は厳しいし、人と話すのは疲れるし、それ以外にも突然辛くなって吐きそうになることも多い。
そもそも家の外に出るのだってまだ勇気がいる日が少なくないのだ。
だからあくまで『転生した直後に比べれば』でしかない。何かのきっかけで、またあの頃に逆戻りする可能性はいくらでもある。
それでも、こうして今日も学校に来ている。
「うわ……魔女箒」
「知ってる? アイツマジでヤバイから、ツルギ先輩が直々にに監視してるんだって……」
「あんな汚ならしいのに、生徒会に出入りしてるのはそれのせいなんだ。いや、早く退学にした方がいいじゃん」
「ヤバイから、こそじゃない? ごみは箒で掃除するものって言うかさ」
「あー。百里あるー。つか、それ考えたのって──」
回りから聞こえてくる噂話は今日も平常運転だ。噂、というかほとんど事実だが。
普通なら心を痛めるような陰口なのかもしれない。でも、ああやって気味悪がって俺から距離を取ってくれるのなら俺としてはむしろ好都合だった。
最も、前みたいな露骨な嫌がらせはごめんだが。今の状態であれをやられてしまったら、自分がどうなるか想像が出来ない。
キレて主犯格をボコボコにするのか、前みたいにふさぎ込んでいくのか。
いや、ふさぎ込んだところでストレス自体は溜まっていくんだしいずれ前みたいに何処かで大爆発するんだろう。
その時はどうしようか。そんな想像がかきたてられて、そうなった後のことを考えて気分が悪くなる。
だからそんな想像をすることを止めようとするのに、一度膨らみだした想像力は止まることを知らず、あり得るかもしれないシチュエーションをどんどんと脳裏に映し出した。
前みたいに俺の持ち物を放り投げた奴の髪の毛を掴んで反対の手で殴る。
周囲が動揺している間に銃を抜いて、近い奴から順番に眉間を撃ち抜いていく。
きっとちょっと離れてたやつが我に返って悲鳴をあげながら背を向けて逃げ出していくから、ソイツの膝裏を撃ち抜いて転ばせる。
地面を蹴って転んだ奴との距離を一気に詰めて、立ち上がろうとするソイツの頭に回し蹴りをお見舞いしてやる。
それでも俺に銃を向けてくる奴もいるだろう。でもきっとソイツらの銃口の向きを見極めれば避けることは簡単だろう。多少成績がいい位の相手でも、ツルギ先輩の猛攻に比べたらガキの遊びみたいなもんだろうから。
そうして俺に歯向かってくる奴らをボコボコにして……それから……?
「……ぅ、ゲホッ」
そこまで考えて、自分のバカな妄想に吐き気がした。往来でえづく音を出すのだけは止めようとこらえて、むせるような咳をすることで何とか誤魔化す。
そんなことをしたって、きっと状況は何も変わらない。むしろ、俺の立場……というか俺を生徒会に囲い込んでまで何とかしようとしてくれる先輩たちの立場が酷いことになる。
そうなれば、俺も退学になるだろう。退学になれば、きっと生きていくことはできない。
キヴォトスに転生して、頭の中に残っている”渡世フタバ”の記憶の断片から学籍は日本で言うところの戸籍にかなり近いようだった。
つまり、これが無くなると自分の身分を証明するものが無くなる。そうなれば、各種福祉だの精度の恩恵を受けることが出来なくなる。住む場所にすら困るだろう。
もしも学籍を失ったら、俺はきっと生きていくことはできないと思っている。
戦う力はそこそこある。だから最悪その辺の不良をカツアゲでもすれば日銭を稼ぐくらいはできるのかもしれない。
でも、そんな生活に俺の心が耐えられるとは思えなかった。
自分に害をなす奴らに反撃する妄想をするだけで吐きそうになる俺が、一体どうしてそんな無法者な生活を送ることが出来るっていうんだ。
いっそ転生前の記憶が無くなってしまえば、こんな悩みもなくなるんだろうな。
キヴォトスと日本じゃ銃の引き金の重みが違いすぎる。向こうでは引き金を引くってことは相手を殺す……そうでなくても大怪我をさせる覚悟を持たなきゃいけないものだった。
少なくとも、俺の認識ではそうだったんだ。
でも、キヴォトスでは喧嘩で殴り合うのと同じくらいの感覚で銃を撃ち合ってる。そして、実際に殴り合ってるのと同じくらいの怪我しかしない。
痛いのは変わりない。でも、体の中を銃弾が抉って内臓が傷つくどころか痣が出来るかどうかすら怪しい場合だってある。
だから、転生前の記憶が無くなっちゃえば戦うってことにそこまで抵抗を感じなくなるんだろうと思う。
実際、イチカちゃんを庇って昏睡状態になる前はよくそんな騒ぎを起こしていたみたいだし。
なんてことを考えていると、自分の教室についていた。閉め切られていない扉の隙間に体を滑り込ませて、窓際の一番後ろに席に座る。
基本的にフリーアドレスなので、どこに座るかが自由なのは楽だった。
とはいってもこの席はもっぱら俺専用席だ。
俺が来たことに気づいた周囲の生徒達から視線が一瞬向けられたのを感じる。人によっては息を呑む音を出しているのも聞こえた。
それから、そいつらが俺から距離を取っていく。
俺が暴走したあの日から、クラスで俺は完全に浮いていたし距離をとられていた。
でも俺にとっては好都合だ。放っておいてくれるならそれが一番良い。変に絡むことになる方が面倒くさいし、辛い。
そんなわけだから、窓際の一番後ろの席は俺の固定席っていう暗黙の了解がクラスで作られていた。ま、俺としてもいちいちどこに座るか悩む手間が省けるから楽で良いんだが。
今日も一日授業は何事もなく終わった。放課後になり、いつも通り生徒会室に向かう。
普通に歩くにしては遅く、かといってノロノロという言葉を使うには早いペースで歩いているその時だった。
同じようなペースで歩きながら俺の視界を横切る誰かが目に入った。
……イチカちゃんだった。心臓が跳ねあがるのが分かる。口の中が一気に乾いていく。
どうしよう。どうしたらいいんだろう。
何も分からなくなって、足が止まる。
よく見なくても分かる。俺の世話をしてくれてた時と比べて見る影もなくボサボサになった髪に、目の下にはくっきりとしたクマが浮かんでいた。
姿勢はまるで鏡を見ているように猫背で、足を引きずるような歩き方になっている。
心のどこかでああ、病んだ人間っていうのは皆あんな風になるんだななんて他人事みたいな言葉が浮かんでくる。
きっと声を掛けるべきなんだと思う。イチカちゃんが今どんな気持ちかは分からない。でも、ずっと俺のことを気にかけてくれていた。助けてくれていた。
だから、きっと恩返しをするなら今この時なんだろう。流行りのラノベや漫画だったら、間違いなくそういうシチュエーション。
なのに。
「────っ」
俺の口は開いたり閉じたりを繰り返すだけで、カバンを持った手はぴくぴくと
ああ、なんて臆病で意気地なしなんだろう。あんなに助けてもらったのに。イチカちゃんがいなかったら生きていけなかっただろうに。
そんな声が頭の中で響く。だけど俺の口も体も大して動かない。
だって怖かった。声を掛けて、俺がそれなりに元気になった姿を見て。イチカちゃんが笑ってくれなかったらって思ったら。
情けない。この恩知らず。そんな自分を責める声と、自分のことで精一杯なんだから仕方がないだろうって言い訳が頭の中でグチャグチャに絡み合い、ノイズになって反響し合う。
どうしたらいいかがどんどん分からなくなって、体も全く動かないままどのくらいそこに立ち尽くしていただろう。
「フタバさん、大丈夫ですか?」
気が付いたら、すぐ目の前に心配そうな顔をしたハスミ会長が立っていた。
我に返って、イチカちゃんが歩いて行った方向を見る。
「……何でもないです」
そこにはもう、イチカちゃんの姿は影も形もなかった。
最初から、そんな人はそこにいなかったみたいに。幻でも見たみたいに。
……あるいは、そうであってほしいという俺の願望だったのかもしれない。