渡世フタバは仲正イチカを落としたい   作:笹の船

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何の価値もない、けれど何よりも温かい慰め

「おや、いらっしゃい」

 

 イチカちゃんを学校で見かけた数日後の土曜日。

 なんとなく、俺はあのボランティアの日に立ち寄ったおばあさんの家に来ていた。

 あの時声を掛けられなかったことをずっとあれから考えてしまって、一人だと息がつまりそうで仕方がなかったから。

 かといって、イチカちゃんがいない今そんな悩みを離せる相手なんて同い年位の子達にいるわけもない。というか、話したところで理解を得られるのかどうか。

 いや、違う。怖かったんだ。正直思ったことを話して、相手に否定されるのが。お前が悪いんだって責められるのが。どうして努力しないんだって言われるのが。

 だから、おばあさんのところに来た。おばあさんだったら、否定しないでただ聞いてくれそうな気がしたから。おばあさんは俺のことを知らないから。きっと話してもよく分からないだろうから。

 

「今日は学校お休み?」

「……はい」

 

 しわがれた優しい声と共にテーブルの上へ湯気がほのかに立ち上る湯飲みとどら焼きの乗った小皿が乗せられた。

 温かいお茶の香りが緊張で早くなった胸の鼓動をほんの少しだけゆっくりにしてくれる。

 

「どうぞ」

「い、いただきます」

 

 お盆から自分の分のお茶とどら焼きの小皿を置いておばあさんが畳の上に座ってそういうのを聞いて、俺は目の前の湯飲みに手を付ける。

 

「あちっ」

 

 舌先にお茶が触れた時、思ったより思ったより熱くて舌先を出しながら湯飲みをちょっとだけ口から離す。舌先がピリピリとした。

 

「熱かった? 冷ましながらゆっくり飲みなさいね」

「……はい」

 

 寒くもないこの時期に湯気が立っているのが見えるんだから、相応に熱いのは分かってたはずなのにそんなことも気づかず舌をヤケドしかけた自分が恥ずかしくてつい声が小さくなる。

 そんな自分を誤魔化すように、ちょっとはしたないけれどふーふーと音を立てながらお茶に何回か息を吹きかけて冷ました。

 そうしてもう一度お茶に口をつける。確か、舌先は特に熱さに敏感だったはずだから今度は少しだけ勢いをつけてお茶を口の中に流し込む。

 温かいお茶が舌の上に乗って、落ち着くお茶の風味が口の中に広がるのを感じながらそのまま飲み下す。

 喉を伝って温かいお茶がお腹の中へと入っていき、体の中からじんわりとした温もりが広がっていくのを感じた。

 その感覚に思わずホッと息を吐く。それから、もう一口お茶を飲んだ。

 もう一回、同じようにホッと息を吐いた。温かいお茶は、それだけで落ち着ける。それとも、おばあさんの家で飲むからそう感じるだけなんだろうか。

 分からない。分からないけど、とりあえず出されたどら焼きに手を付けることにした。

 出されたどら焼きは少し大きめのもののように思える。キヴォトスのどら焼きの平均サイズを俺は知らないから何とも言えないけど。

 でも、少なくとも俺の開いた手とにギリギリすっぽり収まるかどうか位だからまあ大きすぎず小さすぎないってところじゃないだろうか。

 そんなどら焼きを両手で持って、一口頬張る。

 ふんわりとした生地のほのかな甘みと、つぶあんのしつこすぎない甘みとが何というかいい感じに口の中に広がった。

 柔らかな食感の生地とつぶあんをゆっくりと噛みしめながら、飲み込めそうだなと思えてきた頃に湯飲みを手に取ってお茶で口の中のどら焼きを喉の奥へと流し込む。

 

「ふぅ……」

 

 おいしい。それ以外の言葉が浮かんでこない。家で適当に食べるお菓子だって、こんなにおいしく感じることはないのに。

 それから、どら焼きを口にしてはお茶で流し込みホッと一息を吐くということを俺はどら焼きが無くなるまで繰り返した。

 その間、一言も話さなかった。おばあさんも、俺に何かを話しかけてくるようなことはなく自然体のまま自分もお茶とどら焼きを楽しんでいるようだった。

 どら焼きが無くなって少しした頃。空になった俺の湯飲みにおばあさんがお茶を注ぎながら口を開いた。

 

「今日はどうしたの?」

「え……?」

 

 え、だなんて。イチカちゃんを見た時のことを話そうって思って来たくせになんて間抜けな声を出しているんだろう。

 そんな自己嫌悪で口の中を軽く噛む俺におばあさんがあえてなのか、俺の方を見つめることなく急須をゆっくりとテーブルに置きながら続けた。

 

「何か、悩んでるような顔をしてうちに来たから。おばあさんで良ければ話を聞くよ」

「…………」

 

 望んだとおりの展開だ。なのに、俺の口は中々動かなかった。

 何かを言おうとして息を吸い、口を開いて、閉じる。そんな無駄なことを何度か繰り返して。

 でも、何のために来たのかって考えて自分を奮い立たせるようにして喉を震わせた。

 

「……友達が。今元気なくて。……学校にはなんとか来れてるみたいなんですけど。それ、多分俺が悪くて。前は、俺がその子に一杯助けられたのに、この間学校でその子を見かけた時、何にも声かけられなくて」

 

 どんなふうに話そう。どうしたら伝わるか。そんなことをおばあさんの家に来るまでずっと考えていたはずなのに。

 口から出てくるのはそんな取り留めもない言葉ばかり。

 それでも、俺は沸き上がる何かをひたすら言葉にして口から吐き出し続けた。

 

「何かしなきゃって思うんだけど……怖くて……俺のせいであんなことになっちゃったのに、俺が今更助けてあげるなんて言って、お前のせいだって言われたらどうしようって」

 

 喉の奥がキュッとしまって、目から涙があふれ出してくる。鼻水も出てきたから、せめて垂らさないようにってはしたないけど音を立てて鼻をすすった。

 

「俺のこと好きになってくれなんて言わないけど、俺と話したりしなくなったっていいけど……! でも、ボクのせいで辛い思いしたまんまなのは嫌だから……! そんな自分勝手なことばっかり頭に浮かんで、どうしたらいいかもう分かんなくって……! なのに見なかったことにしたくても忘れられなくてぇ……!」

 

 そこから先のことは、もうあんまり覚えてない。みっともなく泣きながら、イチカちゃんをどうにかしたい。でも怖い。どうしたらいいかもう分かんない。せめてもう助けてもらわなくたって大丈夫だってことくらいは示したい。

 そんなことを順番もメチャクチャのまま口走っていたような気がする。

 その間、おばあさんはずっと静かに聞いてくれていた。変に口をはさむこともなく、ずっと優しく相槌だけを打ってくれていた。

 そうして一通り話し終わって俺がぐずぐず泣くだけになった時に初めて、おばあさんはゆっくりと立ち上がって俺の隣に座ってきた。

 

「……?」

 

 一体どうしたのかとゆっくりそちらを向こうとした時、不意に目の前が暗くなった。

 それが抱きしめられたからだと分かったのは、おばあさんの匂いと温もりが伝わってきたからだ。

 

「ずうっと、頑張って来たんだねぇ。大変だったね」

 

 耳に届いたのは、そんな優しい言葉だった。

 そして一番、言ってほしい言葉だった。言われて初めて、そう気が付いた。

 正論だとか、具体的な対策なんて聞きたかったわけじゃない。勿論その方が建設的だってことは分かってる。

 でも、それでも。

 

「大丈夫。その頑張りは、きっといつか報われるからねぇ」

 

 俺が欲しかったのは、”渡世フタバ”じゃない”俺”を認めてくれる慰めの言葉だった。

 たとえその言葉が何の保証もない薄っぺらなただの言葉だったとしても。俺はそれが欲しかった。なんてことの無い、何の保証もない”俺”を肯定してくれる言葉。

 その言葉の温もりに溺れるように、俺はしがみつくようにおばあさんを抱きしめ返してまた泣いた。

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