渡世フタバは仲正イチカを落としたい   作:笹の船

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異世界転生

 目が覚めた。

 いい加減嫌でも分かる。これは、現実だ。

 そう分かってしまえば、なんだかもう疲れて目の前の光景を否定するという気力もわかなくなった。

 窓の外から差し込む光から見て、今は朝らしい。何時かは知らないし、知る気もない。

 窓から見えるのはそれなりに綺麗に整った街並みだ。高さからして地上階ではないのは確かで、かといってそんなに高すぎるっていうわけでもない。多分、2階か3階だ。

 今更ながらに気が付いたけれど、個室だった。病院の個室は高いと聞くけれど、一体誰がそんな風に手配をしたんだろう。

 何せ、この体(渡世フタバ)の最後の記憶は仲正イチカという女の子を突き飛ばして車にひかれたのが最後の記憶なのだから。

 そこまで考えて、この体の子は一体どんな子だったんだろうと記憶をまさぐろうと目を閉じてみる。

 すると、まるで動画配信サイトで切り抜き動画を見ているかのように、これまでの記憶が断片的に瞼の裏に浮かんできた。

 どうやら身寄りのない子供だったらしく、物心ついた時には孤児院で暮らしていたこと。

 割とやんちゃな性格をしていたようで、何かと騒ぎを起こしていたこと。

 孤児院の年下の子に対して面倒見が良くて、何かあれば守ろうと駆けずり回っていたこと。記憶にある騒ぎの中には、孤児院の子にちょっかい出してきた他の子に殴りかかって大げんかになったものもあった。

 頭の出来は良い方だったみたいで、特待生としてトリニティ総合学園という大きな高校へエスカレーター方式で進学できる小学校に入れていたらしい。

 そこで、イチカちゃんと知り合った。

 勉強や運動が出来る割に何かと問題を起こす生徒として有名になりつつあった()()達は、並んで職員室に呼び出されることもしばしばあった。そんなだから、自然と仲良くなるのも当然だったと言えるんだろう。

 ただ、大きくなるにつれて孤児院の年下の子の面倒も見ることが増えていたボクはカッとなってもすぐに手が出るようなことは減っていったのに対し、イチカちゃんはそれが出来ずによく大騒ぎを起こしていた。

 だから、自然とボクがイチカちゃんを抑えるようになって……。

 そこまで考えて、()は激しく首を横に振った。まただ。また()()だなんてこの体の子の一人称に引っ張られてしまっている。

 渡世フタバ、という存在を否定したいわけじゃない。だけど、俺は俺なんだ。

 大体、さっきまで思い出していた記憶だって渡世フタバの記憶という誰かの記憶を外から見ているだけのような感覚で、決して自分の記憶を思い出すって感じではなかった。

 もうこれまでの感覚で痛いほどに分かったけれど、”俺は俺なんだ”という気持ちを強く持っていないと”俺”という存在はあっという間に渡世フタバによって食い尽くされてしまう。

 いっそその方が楽かもしれない。俺のことを忘れて、渡世フタバとして生きていった方がこんな辛い思いをしなくて済むのかもしれない。

 でもそれは出来ない。いや、やりたくない。

 だって怖いじゃないか。”俺”が渡世フタバに食い尽くされた後、この体は”渡世フタバ”として生きていく。それはいいだろう。

 では、食いつくされて消えてしまった”俺”は? 今こうして、そんなクソみたいな未来を考えている俺は一体どうなる?

 死ぬわけでもないのにその存在を消されてしまったら、消されてしまった存在はどこへ行くんだ?

 死んだら天国とか地獄とか、いわゆるあの世って場所に行くんだろうって想像がつく。どんな場所かは分からないけれど、そういう場所があるんだってことを知ってるからまだ何となく受け入れられる。

 じゃあ、死んだわけでもない状態で存在を消されたら、消された存在はどこへ送られる?

 パソコンの中のデータを消したみたいに、何も残らず誰にも覚えてもらうこともなく、何の価値もないゴミデータのように跡形もなく消えるだけなんじゃないのか?

 嫌だ。そんなのは嫌だ。ただでさえ自分の体から切り離されてこんな質の悪い悪夢に放り込まれて、この上そんな仕打ちまで受けなくちゃならないなんてありえない。

 だから、俺は──。

 

「渡世さんー、起きてますかー?」

 

 不意に聞こえた看護師の声に驚いて体が跳ねる。

 

「渡世さん?」

「……はい」

 

 居留守を使ったってどうせ部屋の中に踏み込まれるのは明らかだ。

 そんなことをして変に目を付けられるわけにもいくまいと、俺は返事をする。喉から出たのは、やっぱり聞きなれない女の子の声だった。

 心臓が途端にバクバクとはね始める。だって分からない。何の目的があって看護士が俺の病室に来たのかが分からないんだ。

 病室の扉が開けられる音がする。誰かが入ってくる足音も聞こえてきた。……足音は一つじゃない。

 そう思ったと同時に、見覚えのある猫獣人の看護師と年老いた犬の医者がゆったりとした歩調で俺の寝るベッドの傍までやってきた。

 

「渡世フタバさん、おはよう」

「お、おはよう……ございます」

 

 医者は老眼なのか、眼鏡をはずしたり目を細めたりしながら手元のカルテと俺を交互に見ながら小さく息を吐く。

 

「少し痩せているものの、ほとんど健康体に近い状態まで回復している……まるで奇跡だよ。全く信じられん……」

 

 何か一人で勝手に驚いているけれど、俺には何の話か全く分からない。この医者は一体何を言っているんだ?

 そんな気持ちが顔に出ていたのか、看護師がなんでかちょっと低い声で俺にその理由を教えてくれた。

 

「渡世さん、あなたは事故に遭って1年もの間ずっと昏睡していたのよ」

「……は?」

 

 聞きなれないとか、目の前に広がるおかしな光景だとか、そういったものが一瞬で吹き飛ぶ言葉だった。

 昏睡してた? 俺が? 1年も?

 

「……そんなのありえない」

 

 それが俺の正直な感想だった。

 人は食べなくては生きていけない。いくら点滴で栄養を補っても、それだけで生きて行ける程人の体は強くないし、科学もそんなに発展していない。

 少なくとも、渡世フタバの記憶にそんな奇跡を起こせる魔法みたいな技術の知識はない。

 大体、本当に1年も昏睡してたんなら俺の体はもっとガリガリになってなきゃおかしいし、昨日か一昨日に食べた飯だって胃が受け付けなくて吐き戻すとかあってもいいはずだ。

 

「そうだね。私達も驚いているよ。勿論、私達だって最善を尽くしていた。必要な栄養を点滴で補い、持ちうる技術で君の体が衰えるのを抑えていた。だが、そもそも君は瀕死の重傷を負っていたんだ。いつヘイローが砕けて死んでしまうかも分からない程のね。そこからここまで回復したのは、奇跡と呼ぶほかない。少なくとも、私達の持つ知識と技術ではなし得ないことだよ」

「…………」

 

 医者の言葉に、俺は何も言えなかった。

 空白の一年。ありえない回復の仕方。目が覚めた瞬間、自分が自分ではないということへの気づき。持ちうる知識と記憶が全く役に立たない、トンチキな現実。

 異常まみれのこの現状の説明を渡世フタバの記憶の中の知識では出来そうもない。けれど、渡世フタバではなく”俺”の記憶であればそれが出来そうだった。

 そうだ。これはきっとあれだ。ライトノベルでよくある”異世界転生モノ”のテンプレートだ。

 ああそうか。俺は死んだのか。死んで、渡世フタバになったのか。俺はあの飲み会の日、家に帰れずに何処かでのたれ死んだのか。あるいは、家に帰った後急性アルコール中毒か何かで孤独死でもしたのか。

 どちらにしても、このいつまでも覚めない悪夢に囚われてしまったということはつまり”俺”は一度死んだんだろう。

 ここに来て、まだ俺を苦しめたいのか。この悪夢の主は。

 そりゃあ、さっき目が覚めた時点でもう”俺”の体に戻れるなんて希望を捨てようとは思った。

 だけど、これはあんまりじゃあないか。一体俺が何をしたんだ。どうしてこんな……。

 ラノベなんかでは、転生した主人公達は皆喜んだりテンション上がったりしていた。

 もしも、そういうイベントがあるなら俺もそうなるんだろうって、勝手に期待していたけれど。

 実際はこれだ。夢は夢だからいいのであって、現実になるべきじゃないんだって今は思う。こんなクソみたいな思いをするくらいなら、転生なんてしないで死なせてほしかった。

 

「渡世さん?」

 

 すぐ傍で聞こえた医者の声で、少しだけ意識が現実に帰って来る。

 自分でも分かるくらいゆっくりとした動きで、俺は医者の方へ目を向けた。

 きっと今の俺の目は誰が見ても分かるくらいに死んでるんだろう。そんなことを考えるくらいには、医者が驚いたような、それから困ったような顔をした。

 

「これから、いくつか質問をしてもいいかな?」

「……はい」

 

 もう、そこからのことはよく覚えていない。

 名前や一番最近で覚えている記憶、それから小さい頃のことなんかを聞かれたけれど、名前以外の質問には全部「そんな気がする」とか「よく覚えてない」とかしか答えなかった。

 どうでも良かった。だって第二の人生を謳歌しようなんて気持ちにはなれないんだ。

 最初の人生だってわけもわからず終わらせられた上に、俺の同意もなくいきなり第二の人生を始めさせられてどうして喜べるってんだ。

 もういっそ、精神が壊れた人間として安楽死にでもさせて貰えないかな。

 俺にいくつかの質問をして、難しい顔をしながら病室を後にする医者たちの背中を見送りながらそんなことを考えている時だった。

 医者たちと入れ違いで、女の子が入ってきた。

 白を基調としてところどころに緑のラインの入ったセーラー服を着た、黒い髪を肩より少ししたくらいまで伸ばした糸目の女の子。

 後頭部に赤い天使の輪みたいなものが浮かんだその子は、俺のことを見るなり目を見開いて動きを止めた。

 俺はその子を知っている。渡世フタバという女の子の記憶の中で一際目立っていた子だから。

 

「フタバ……ちゃん?」

「……イチカちゃん」

 

 名前を呼ばれたから、呼び返した。それ以上はどうしたらいいか、ちっとも分からなかったけど。

 俺に名前を呼ばれたその子は──イチカちゃんは大きく見開いた瞳から途端にポロポロと大粒の涙をこぼして手に持っていたカバンをその場に落とす。

 次の瞬間、俺の視界からイチカちゃんが消えた。

 いや、消えたというのは正確じゃない。だって、気が付いた時には俺は抱きしめられていたから。

 イチカちゃんのサラサラな髪が俺に飛びついた時の勢いでふわりと横に広がって、俺の鼻をくすぐる。

 随分といい香りがするような気がしたけれど、それ以上に耳元で聞こえる鼻をすするような声と背中に回された細い腕が小さく震えているのが気になった。

 だから、俺は自分の手をイチカちゃんの背に回して抱きしめ返す。そして、右手で今にも壊れそうなガラス玉を触るようにゆっくりと彼女の頭を撫でた。

 別に何か考えがあったわけじゃない。ただ、俺に抱き着いてすすり泣く知らないわけでもない女の子がどうにも不憫(ふびん)に思えた。

 どうせ、この子の知る渡世フタバはもういない。それがバレるのは時間の問題だ。

 だったら、今くらいは良い思いしたっていいじゃないか。

 そんな、くだらない同情からくる行動だった。

 そうして、看護師がイチカちゃんを見て俺から引きはがすまで俺達はずっと何も言わずに抱きしめ合っていた。

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