「そろそろ、潮時か……」
少し変わった巫女装束に身を包んだ少女が、目の前に横たわる妖怪の亡骸を見て、独り呟いた。たまたま買い出しに人里に降りようというとき、人を襲う妖怪の気を感じた。人里の近く、間に合うかは五分五分だったが、何とか間に合った。襲われていた人間を逃がし、目の前の妖怪に札や針を用いて退治する。傍から見ればいつも通りのヒーローの戦闘。しかし、当人たる彼女、博麗の巫女だけに分かる、明らかな衰えがあった。
(次の代に替わることは知っていたけど、こんなに早いとはね)
彼女はまだ20にもなっていない少女だった。神社にある博麗の巫女に関する書物にある代替わりに関する項目、そこには歴代の博麗の巫女の代替わりの年齢も記されていた。その年齢にはバラツキがあったが、ある法則があることも分かった。
(力、使いすぎたな)
強大な力を持つ博麗の巫女は、その強大な力故に体に負担をかける。その負担は老いのように体を衰えさせてしまい、力を発揮できなくなっていく。そうなると代替わりとなるが、すなわち力を使う機会や大きさの大小によって、代替わりの年齢が変わってくるというわけだ。彼女の年齢は代替わりした歴代の博麗の巫女の中でも早い方である。ふと、いつもは博麗の巫女として職務に忠実過ぎて人間味すら失っていた彼女が、人間味のあることを考え始めた。
「次の子には、こうなってほしくはないな……」
こんな人間味のあることを考えたのは十年以上前から一度もなかったかもしれない。ただただ、博麗の巫女としてあればそれでよかった。それ以上は求める必要がなかったし、求めてはいけなかった……しかし、それでよいのか。もっと人間らしく、次の子には巫女を務めてほしい。そうするにはどうすればいいのか……こんな事を考え始めてしまったのは、代替わりが近づいたと自覚したからか、それとも全く別の理由か。見当もつかなかったが、少し嬉しかった。
「考えないといけない、かな」
妖怪の亡骸に背を向け、人里の方へ歩きながら独り呟いた。買い物を済ませて戻る間、店の主人含めて誰一人話しかけてくることも話しかけることもなかった。それが彼女にとっての当たり前だった。それも、次の代の子には経験してほしくなかった。きっと人との関わりを断つことが博麗の巫女として忠実、ということではないから。しかし人里の人間からの彼女への印象も、彼女は自覚していた。手の届かない者、強大な者に対する恐怖。そして防衛機構というモノとしての認識。これをどうにかしなければ、自然と次の代の子も同じ道をたどってしまうだろう……
博麗の巫女代替わりの日が近づいてくるのを自覚しながら、彼女はずっと考えていた。そして結論が一つ、頭に浮かぶ。理解者を一人つくるだった。しかし、人里の中にその理解者を作ることが難しいことは、彼女が一番知っていた。どうするか悩み、考え、そしてついに代替わりまであと一週間とないことがなんとなくわかるときが来た。
「上手く行かないものか」
ため息を一つこぼす。ついぞ、いいアイディアも人材も見つからぬまま、自分が神社から消える時期が来てしまった。この後自分は人知れずひっそりと暮らし、ひっそりと死ぬ……そんな曖昧な未来を見ていた。恐怖はなかった。そんなものはとうに捨てたから。しかし次の巫女を育てることができないというのは、何とも不安になる。しかし思い返せば、博麗の巫女の力というのは修行云々でどうにかなるものではない。となると、むしろ自分が教える必要というのはないのかもしれない。そう考えると不安もいくらか和らいだ。そこまで考えをまとめて、買い出しに行くことにした。準備を手早く済ませ、神社を出る。履物を履いたら地を軽く蹴り、宙にふわりと浮いて、そのまま人里を目指していった。
人里に着いた彼女は、必要なものだけに目をつけて、無駄なく買い出しを済ませていく。その途中、里で一番大きな道具屋を通り過ぎた時だった。
「もう父様なんて知らない! 知るもんか!!」
小さな子供の声。いつもなら無視するところだが、何か彼女の勘に触れるものがあったのだろう。何の気なしに振り向いてみると、予想通りというか、小さな子が家出をすると言うことで飛び出したところだった。周りの人間の黒髪と違う、陽を反射しやすい赤色の長い髪の毛。それが魔力による変色だと、彼女にはわかった。ふと道具屋の方へ目を移す。背を向けた父親らしき男と、その上に掲げられた屋号が目に入った。
「霧雨店、か」
ぽつりと呟いただけで、残りの買い物を済ませようと再び歩き出そうとしたとき、ふと先程の子が走って行った方向を思い出す。人里は塀などで囲っているわけではないから、大通り両端以外にもいくらでも出口はある。そして彼女が向かった先にあるのは……魔法の森。
「しまった!」
小さく舌打ちして、地を蹴る。周りの人々は何事かという顔をしていたが、それに構う暇もつもりもない。彼女の走って行った方向へ限界まで速度を上げていった。子供の足だ、すぐに追いつくはず……そう自分に言い聞かせてみるものの、逆に小さい子供だからか、予測できない行動を起こさないかと不安になる。少し速度を落とし、高度を上げ、周りを見渡すようにしながら探し始めた。細かな気配が多すぎて、気配を頼りに探すことはできない。
「まさか、もう森に入ってしまった……?」
ここまで来て見えないとなると、もはや森の中に入ってしまったとしか思えない。となると、降りて探すしかない……見えてきた森の入り口で降りた彼女は、札をいくつか取り出していつでも投げられるようにしておく。この森の中では瘴気のせいであまり妖怪の類は住んでいないが、逆に生息している者は強く、強靭であることがほとんどである。つまり追っているあの子が見つかってしまった場合、非常にまずいことになる。幸い、森の中は気配が少なく、あの子の気配を捉えることができた。
「あっちか……」
年中じめじめとした湿気がまとわりつく森の性質をうっとおしく思いながら、感じた気配の方向へ歩き出す。おそらくそこまで距離もあるまい――――と思った矢先に、もう一つ大きな気配を感じた。背筋を悪寒が走り、一気に地を蹴って駆け抜ける。地を蹴り、時には木を蹴り、一直線にその気配二つの間に割って入るように駆けた。
「ひっ!」
目の前に少女の姿を捉えた瞬間、彼女の顔が博麗の巫女とは違う方向を見ながら恐怖に染まるのが見えた。その視線の先にはもはや形すら持たぬ不定形の物の怪。あれでは割って入っても意味がない……そう判断した彼女は、最後に強く木を蹴って方向と速度を調整すると、少女を抱えて何本も襲いくる針状の妖怪の一部を使った攻撃から抜け出す。しかし狭い森の中をいくら駆け抜けても襲ってくる触手相手ではこのままではいずれ捕まることは明白だった。舌打ちとともに彼女は少女を抱える右手とは逆の左手で、いくつかの符を投げる。霊力を以て宙を舞うそれらが一瞬で彼女らの前方に展開し、巫女が更に霊力を注ぐ。
「覇ッ!」
前方に結界が形成される。周囲ではなく一方向に集中的に展開されたそれはすさまじい堅牢さを誇り、触手の雨を食い止めた。その隙にもう一度左手で別の符を多数投げる。
「夢想……」
数多の触手を以てしても捉えることのできない不規則な軌道を描き、不定形な妖怪の身体に何枚も突き刺さる。そして次の瞬間、博麗の巫女が一気に霊力を爆発させる。
「封印!」
符の一枚一枚が強烈な輝きを放ち、その光が晴れるころには、妖怪の姿は忽然と消えていた。肩で息をする博麗の巫女に抱えられながらその光景を見た少女は、様々な感情を抱いて妖怪のいなくなった空間を見ている。そして博麗の巫女の方に視線を移して話しかけた。
「ねえ。もしかして博麗の巫女様なの?」
純粋な子供の視線。それを見るのはいつ振りか、少し戸惑いを覚えた彼女は、その戸惑いを隠して肯定した。
「すっごい! すっごいわ!! 魔法みたい!! かっこいいのね!!」
はしゃぐように博麗の巫女に言う少女。地面にゆっくりと立たせて頭を撫でてやりながら、こんな風に慕われるのは初めてかもしれないことを思い出す。
「貴女、さっき家から飛び出していった子ね。ここは危ないわよ、早く里に――――」
「嫌。戻りたくない」
先程までの楽しそうな興奮した様子は消え失せ、口を尖らせて言う。子供ながらに家出をしたのだから、予想通りといえば予想通りの答えである。博麗の巫女は少し考え込んだ。ここで彼女を無理やり家に帰すのは簡単だ。しかし、それではこの子の問題は恐らく解決しない。彼女が自ら家に帰るようにしなければ。そしてもう一つ。彼女は自分に怯むことなく接してくれた。そして自分が博麗の巫女になりたての頃の年と比べてほんの少し年が足りない、その程度の見た目である。そこで彼女が出した答えは――――
「そう。ねえ、さっき私が使ったような技、使えるようになってみたくない?」
え? と一瞬呆けたように返した少女は、次の瞬間にキラキラと目を輝かせて首を縦に振って肯定した。先ほど「魔法みたい!!」と言った少女の心はがっちりと掴めたようだ。確か霧雨の道具屋は、マジックアイテムの類は一切置いていない。しかしこの目の前の少女は魔法やそういった存在に憧れているのだろう。
「じゃあ、教えてあげるわ。でもね、今の貴女の身体じゃまだ無理だと思うの。三年よ。三年後、貴女に手紙を出してあげる。その手紙に書いてある通りにすれば、貴女に教えてあげるわ」
幾年かぶりの微笑みを浮かべながら、少女に言った。そしてそれまで、家で少しでも力をつける準備をするように、と。少女は素直に頷いて受け入れた。それを褒めながら、再度頭を撫でてやった。久しぶりに、人と触れ合った時間だった。
その一件から三年が過ぎた。博麗の巫女は既に代替わりを果たし、今は新たな巫女が頑張っているはずだ。そして先代となった彼女はと言えば、彼女の予想通りひっそりと暮らしていた。但しそれは人としてではない。すでに力の使いすぎで体に負担をかけすぎた彼女は死んでいた。今はただ、成すべきことに縋って生きる悪霊ともいえる存在になっていた。姿はすっかり変わり、足もなくなり髪の色さえも変わっていた。そして力の源も霊力から魔力へと変わっていた。とはいえこの二つはあまり変わらないが。そんな彼女はつい先日、手紙を出していた。指定した場所に指定した日時に来い、という内容であったが、その日は今日である。
「さて……本当に来るかどうか」
既に巫女装束でない彼女は、この日から着ることに決めていた、典型的な魔法使いを彷彿とさせる衣装を着ていた。あの子が、魔法に憧れていたあの子が少しでも喜んでくれれば、と思ってのことだった。もはや人間時代に癖になっていた茶をすすることを、悪霊になっても止めていなかった彼女は、生前から愛用していた湯呑片手に静かに待つ。もしあの少女が来なかったときは、それはあの少女がもっと別の目的を見つけて上手くやっているのだろう。そうなると当代の博麗の巫女のことは気にかかるが、自分にできることは既になくなってしまう。大人しく成仏するほかないだろう……そんなことを考え込んでいた時、不意に扉をたたく音が三度聞こえた。ほう、と息を吐きながら、入るよう促した。
「あの……ここでいいの?」
ゆっくりと、怯えるように扉が開いた。そうだ、と肯定してやると、目だけで覗きこんでいた彼女が扉を広く開けて、中に入ってきた。人里でごく一般的な服装の彼女が不安げな顔をしているのは恐らく、自分があの時とは全く違う姿だからだろう。
「ああ、すまないね。私は分け合って一度死んだ。今は霊体だけど、間違いなくあの時の博麗の巫女だよ。今は元、だけどね」
あまり目の前の少女は話を飲み込めていないらしく、ぽかんと口を開けている。しばらくすると、じゃあ、と切り出してきた。
「何て呼べばいいのかしら。巫女様、じゃダメなんでしょう?」
そう言われて、少しばかり唸る。確かに、もはや巫女と呼ばれる存在ではあるまい。しかし自分の名ももはや思い出すことができなかった彼女は、しばらく考え込んで、一つの名前を思いついた。
「そうね。じゃあ魅魔、とでも呼んでもらおうかしら」
「魅魔……? 魅魔様ね! 私は魔理沙!」
元気よく返してきた彼女の頭を、あの時のように撫でてやった。昔よりも体温が低いことを忘れていて、魔理沙が冷たいと言うまで気づかなかった。
それから数年。魅魔と名を変えた彼女は魔理沙に基礎から魔法を教えた。魔法と言っても、ほとんどが無属性の、魔力を直接ぶつけるだけのような魔法だ。もともと霊力を以て行動していた彼女が、教えられるだけ魔法を使えること自体が彼女の才能を物語っているのかもしれないが。
「魅魔様、一つ教えてほしいことが」
夜中、書物を呼んでいた魅魔に魔理沙が話しかけてきた。なんだ、と聞いてやると、言い難そうにもじもじとしながら、少しづつ言葉を紡いだ。
「その、ね。魅魔様、あの時私に教えてくれるって言ったとき、どうして教えてくれようとしたの?」
思わず僅かに目を見開いた。単に彼女に夢を叶える力を与えたいという本心が半分、当代巫女の助けになればという半ば邪な本心が半分だったのを、見破られたように感じたから。子供の勘というのは侮れない……そう思うと同時に、さて本当のことを言うべきか、とも思った。目の前の年端もいかぬ少女は、きっと10に届くかどうかといったところだろう。あまり下手に言ってしまえば心に治せぬ傷を負わせてしまう。
「……どうして、気になった?」
「だって、魅魔様は初めて会ったのに教えてくれるって言ったから。気になっただけなの」
「そうか。簡単なことだよ。私はお前に夢をかなえる力を与えたかった。見返りとして、仲良くしてほしい奴がいるだけさ」
結局、魅魔は真実を伝えることを選んだ。ただ、その言葉は慎重に選ばれたものだった。魔理沙は自分の中で噛み砕いているのか、少し考え込んでいる様子である。
「仲良くしてほしい……って誰と?」
「それは、まだ教えられない。もうすぐ合わせてやるけどな。そうだ、魔理沙。近々私は博麗の巫女に用がある。お前もついてくるといい」
そう言うと魔理沙は目を輝かせて、いつものように大きく頷いた。そのあと魅魔は、魔理沙にカバーストーリーとなる目的と、魔理沙のやるべきことを伝える。いよいよ、彼女の計画が実行に移される日が来たのだ。
魔理沙が寝てから数十分。魅魔は家の外で夜風に当たっていた。かつて、当代の博麗の巫女と戦ったことがある。まだ彼女は、陰陽玉の真の使い方に気づいてはいないだろう。そして、意外なことに……彼女はまだ「少女」であった。自分があの年のころにはもう既に、少女らしいことなど考えた記憶がなかった。未熟というべきなのか、それとも。未熟であるならば、いっそやりようがある。そうでないなら逆にやりようがない。できればまだ未熟であってほしい……そう考えを巡らせていると、風が優しく魅魔のそばを通り抜けていく。今度の彼女とのやりよう如何によっては、自分は消滅する。最高の結果は望めなくなるが、それでも最悪にはならない程度に整えることはできているであろうか。遠くを見つめるような目をしたまま、彼女は風に吹かれていた。