0・雪中のソロキャンガール
「山の天気は変わりやすい」とは、よく言ったものである。
見上げると、空はいつのまにかどんよりとした雪雲に覆われつつあった。二時間ほど前は快晴であったのに、どこからこれほどの雲が集まって来たのだろう。
空気は冷たく、じっとしていると肌に無数の針が刺さるかのような痛みがある。雪に覆われた山肌からときおり吹き付けてくる風は、肌を切り裂かれるかと思うほどの鋭さだ。
これはかなり荒れた天気になるかもしれない。
「――いやあ、絶好のキャンプ日和だなぁ」
一面雪に覆われた山中の広場で、
『暗雲たちこめる』という言葉がまさにピッタリな状況。
イヤな空気を吹き飛ばそうと無理してポジティブなことを言ってみたものの、当然、そんなことで不安が消えるはずもない。
それでも、今さらこのキャンプを中止にすることはできない。
何はともあれまずはテントを立てなければならないが、この状況でテントなど立てられるのだろうか?
広場はどこも雪・雪・雪。
当然、こんな状況でキャンプをしようなどというモノ好きが千明以外にいるはずもなく、広場に人影はない。
まだ誰にも踏み固められていない雪はお高いかき氷のようにふわふわで、一歩踏み出すとくるぶしの辺りまで簡単に沈んでしまう。
それでも足は地面まで届かず、かなりの量の積雪であることが想像できた。
試しにテントを固定するための
これではしっかりと固定することができないかもしれない。
テントをしっかりと立てることさえままならない。
はたしてここで本当に一晩過ごすことなどできるのだろうか。
「めちゃくちゃ遭難フラグ立っとる感じやな」
ざくざくと雪を踏みしめながら、千明のサークル仲間の
脇に抱えたスノーボードと、黄色をベースにしたスノーボードウェアにニット帽とゴーグル、と、スノーアクティビティーを満喫する気満々の格好だ。
これから隣のスキー場へ行くのだろう。
あおいの後ろからは、同じくサークル仲間の
みんなピンクやライトブルーのスノーウェア姿で、スキーやスノーボードを持っている。
「アキちゃん、やっぱり雪中キャンプはムチャだよ。やめた方がいいんじゃない?」
なでしこが心配そうな声で言った。
「はっはっは。まだ始めてもいない段階で諦めたりしたら、我が野外活動サークルの名が
千明は両手を腰に当てて胸を張った。
正直自分でもやめときゃよかったと思い始めているが、言い出しっぺの手前、あっさり引き下がるわけにもいかない。
「でも、こんな雪深いところでのキャンプは、リンちゃんもやったことないって言ってるし……」
なでしこは助けを求めるようにリンを見た。
「まあね。興味はあるけど、やるにしてもまずは経験者と一緒じゃないと、ちょっと不安かな。未経験者がいきなりひとりで挑戦するなんて、絶対やめといた方がいいと思う」
リンもなでしこに同意する。
このメンバーの中でキャンプ経験が最も長いのはリンだ。
そのリンでもまだやったことがなく、絶対にやめた方がいいと警告するからには、やはり千明の行為はとことん無謀なのだろう。
「無理せず、あたしたちとペンションに泊まろうよ」
と、こんどは恵那が言った。
「そうすれば、テントとかの準備もしなくてもいいから、今からみんなで一緒に遊べるし」
うーむ、と、千明は腕を組んで考える。
千明としてもそうしたいのはやまやまなのだが、いかんせん
それさえあれば、なにもこんな極寒の雪山でキャンプなどしない。
ここは、富士山の北側、河口湖からほど近い場所にあるキャンプ場だ。
この辺りは『山梨の雪国』と呼ばれるほど雪が多く、冬はスキー場や温泉などの観光客でにぎわう地域である。
千明たちがこの地域を訪れたのはキャンプが目的ではない。
先日、あおいとなでしこがアウトドア雑誌に載っていた温泉サウナ付ペンション一泊二日券の懸賞に応募したら、見事に当選したのだ。
それも、二人同時にである。
さっそくリンと恵那を加えた五人で出かけようとしたのだが、宿泊チケットはそれぞれ二名分という問題があった。
つまり、五人で出かけた場合、タダで泊まれるのは四人だけで、一人は自腹になってしまうのである。
そこで、一人分はみんなでワリカンにしようとなでしこが提案し、他のみんなも同意していたのだが、ちょうど欲しかったキャンプ道具を買ったばかりで絶賛金欠中だった千明はそれを拒否。
少しでも費用を節約するため、雪中キャンプを行うと宣言したのである。
「ま、何事も経験だ。やってみたら、意外となんてことなかったってことになるかもしれないぞ?」
千明は余裕をアピールしようと無理に笑った。
「――ん?」
リンが何かに気づいた。
抱えていたスノーボードを置き、さっき千明が雪に突き刺したペグを引っこ抜く。
地面には刺さってないので、すぽっと簡単に抜けた。
「おまえ、コレいつものペグじゃないか」
リンは千明に呆れた目を向けた。
「これじゃあ地面に固定できないだろ。もっと長いものはないの?」
「ない」
千明は胸を張って言う。
リンの言う通り、今回千明が持ってきたのはいつもキャンプで使っている長さ二十八センチのペグだ。それ以外の長さは用意していない。
「なんで偉そうに言うねん」
と、あおいも呆れ声で言う。
千明がそちらを見ると、いつの間にかキャンプ道具を広げてチェックしていた。
「テントも寝袋も、いつもと同じやな。ひょっとして、雪中キャンプ用の道具、なんにも揃えてないんとちゃうか?」
図星であった。今回のキャンプに関して、千明は何ひとつ新しい道具を買い足してはいない。
まあ、それらを追加購入するくらいなら、そのお金でペンションに泊まっている。
「……よくそんなんで雪中キャンプをやるなんて言い出したな。完全に自殺行為だぞ」
と、リン。
「大丈夫大丈夫。確かに雪用の道具は買ってないが、家からストーブを持ってきたし、イヌ子となでしこからシュラフやブランケットを借りたから、これを重ね着すれば、凍死することはないだろ」
「防寒対策だけでどうにかなるとは思えないけどな」
リンはさらに言う。
「テントの中でストーブを使うのはいいとして、中の温度が上がると、テントの下の雪が溶けてくる。その辺の対策はどうしてるの?」
「あー、えーっと、もちろん考えてるぞ。そうだな。キャンプ場の管理人さんから、段ボールとブルーシートを借りてこよう。テントの下に段ボールを敷けば雪に伝わる熱を遮断できるし、ビニールシートも敷いておけば、もし雪が溶けだしても、テントの中にまで浸水はしてこないだろ」
「完全に思いつきで言うてるやろ」
と、あおい。
「そんな行き当たりばったりでどうにかなる思たら大間違いやで? 意地張らんと、ペンションに泊まりや?」
「いや、失敗を恐れていては、人は前へ進むことはできない。仮に失敗したとしても、そこから学んで、次に活かせばいいんだからな」
「凍死したら次も何も無いやろ」
あおいは大きくため息をつくと、「まあええわ」と言って、リンたちを見た。
「アキのことやから、どうせすぐに
「まあ、そうだな」
リンはペグを雪に刺し戻し、スノボを持った。
「夜は雪になるって言ってたから、今のうちに遊んでおかないと」
「じゃあ、またね、アキちゃん」
恵那はにこやかに手を振る。
「ゴメンねアキちゃん。絶対にムリはしないでね」
最後まで心配そうにしていたなでしこも、みんなと一緒に行ってしまった。
こうして千明は、寒風吹きすさぶキャンプ場にひとり取り残された。
なんだよ。もうちょっと強く誘ってくれてもいいじゃないか、と千明は思いつつ、こうなったら意地でも雪中キャンプを成功させてやる、と強く思い直し、鼻息も荒くテントの設営に取り掛かった。
だが、もちろん雪中キャンプはそんなに甘くはない。
陽が傾き、夕方近くになっても、千明はテントの設営すらできていなかった。
まず、雪の上にテントを立てるためにやわらかい雪を踏み固めなければならないのだが、この作業だけで二時間近くかかってしまった。
ようやく踏み固めの作業が終わり、どうにかテントを立てたのだが、リンが言った通りペグが短すぎて地面にしっかりと刺さらず、ちょっと強い風が吹いただけですぐに飛ばされそうになるのだ。
幸いスマホは繋がるので、ネットで情報を検索し、雪でペグが地面に届かないときの対策を見つけた。
ペグを十字に組んで雪の中に埋め上から踏み固める、という方法だ。
一応それでテントの設営はできたのだが、もうひとつリンが指摘した通り、中でストーブを使うとすぐに雪が溶け出してびちゃびちゃになってしまった。
そのスピードはあまりにも早く、段ボールやブルーシートなどでは、とてもじゃないが一晩耐えられそうにない。
「――いやー。スキーもスノボも楽しかったし、雪山で食べる
テントの外から聞こえよがしに言うあおいの声が聞こえてきた。
千明がテントから顔を出すと、みんなスノーアクティビティーを満喫しまくった顔でやってくる。
そして、千明を見ると、あおいはニヤニヤしながら
「おや、アキやないか? どや? 雪中キャンプ、満喫してるか?」
と言った。
その顔にカチンときた千明は、
「もちろん楽しんでるぞ」
と言って親指を立てた。
「まあ、ちょっとだけトラブルもあったが、それもまた良い思い出になるってもんだぜ」
もちろん強がりであり、付き合いの長いあおいにはお見通しだろう。
あおいは「そうか、それは良かった」と言って、ますますイヤミな顔で続ける。
「うちらはこれからペンションに行って温泉入ってトウモロコシアイスでも食べようと思てるけど、アキはどうするんや?」
「あー、そうだな。あたしは、そろそろご飯にしようと思ってたところだ。夜は冷えそうだから、鳥もつ鍋でもしようかな」
ご飯をつくるどころか寝床の確保すらままならないのだが、あおいの挑発的な言動を見ていると、どうしても意地を張ってしまう。
「こんなんじゃ、ご飯どころじゃないだろ」
びしゃびしゃになったテントの中を覗いていたリンが言った。
「だからやめとけって言ったんだ」
「やっぱ、アキには雪中キャンプなんて初めからムリやったな」
あおいが勝ち誇った顔をする。
その顔がますます癇に障る。
「ダメだよあおいちゃん、リンちゃんも。そんな言い方したら、アキちゃんますます頑なになっちゃうよ」
なでしこが間を取り持つように言った。
「アキちゃん。意地を張らず、ペンションに泊まろうよ? さっきスキー場で他の人から聞いたんだけど、この辺って、結構怖いウワサがあるんだよ」
「怖いウワサ?」
「うん。なんでも、旧日本軍が雪中訓練中に遭難して、凍死した兵隊さんの幽霊が出るとか、山奥のそのまた奥には雪女が住んでるとか、今でも時々遭難者が出るんだけど、なぜかみんな雪の中裸で発見されるんだとか……他にもいろんな怪事件が起こってるみたいなの。だから、こんな怖いところでキャンプなんてやめよう?」
そう言いながら、なでしこはどこから取り出しのか愛用のブランケットを頭からかぶって縮こまり、青ざめた顔でガタガタと震えていた。
「おまえが怖がってどうする」
と、リン。なでしこは、こういう幽霊や妖怪などの怖い話に極端に弱い。
「ねえ、アキちゃん」
と、恵那が言った。
「お金がないんだったらあたしたちで立て替えておくから、ペンションに泊まろうよ?」
いつものにこやかな顔でズバリと核心をついてくる恵那。
そう。千明的にも最大の問題点はそこなのだ。
そこさえクリアできれば、こんな無謀なキャンプにチャレンジしたりはしない。
「ね、みんな」
恵那はあおいたちを見た。
「ま、しゃーないな。アキ、貸しひとつやで?」
あおいはやれやれという顔をする。
「ここで凍死されても目覚めが悪いしな」
リンも同意する。
「もちろん、あたしもOKだよ」
最後になでしこがにっこりと笑い、そして、千明に向けて手を差し出した。
「さあ、アキちゃん。ペンションで、一緒にアイス食べよう?」
「なでしこ……みんな……」
その優しさに心を打たれた千明は、目をうるうるさせ、そして――。
◇
「心の友よ!!」
涙を流しながら、みんなを抱き寄せた。
「ジャイアン以外が使うの初めて聞いたわ」
リンが暑苦しそうな顔で言った。
よしよし、と、なでしこは千明の頭を撫でる。
「アキちゃんも、ホントは不安だったんだよね」
「まったく……宿泊費なんてワリカンにしたら数千円やろ。そんな金額ケチって命がけのキャンプやろうとするなんて、ほんまアホやな」
あおいは呆れながらも笑っていた。
「でも、一大事にならなくて良かったよ」
恵那が安心した声で言った。
「それでアキ」
とあおい。
「どっちのペンションに泊まるんや?」
「あ、そうか。うーんと、そうだなぁ」
千明は腕を組んで考えた。
今回のペンション宿泊券は、あおいとなでしこが別々の懸賞で当てたため、それぞれ違うペンションに泊まることになっている。
あおいと恵那が泊まるのは『ペンション・ダウンヒル』で、なでしことリンが泊まるのは『ペンション・ラディウス』だ。
千明は事前に教えてもらっていた情報を思い出す。
『ペンション・ダウンヒル』は最近オープンしたばかりのペンションで、宿泊費は一泊一万五千円。
一方、『ペンション・ラディウス』はかなり老舗のペンションで、一泊二万円だったはずだ。
千明は――。
◇
「そうだな。『ペンション・ダウンヒル』の方にするわ」
千明は答えた。
「おや? 意外やな」
と、あおい。
「アキのことやから、高い方に泊まると思うたのに」
「まあ、みんなの愛に支えられて宿泊する身としては、少しでも負担を減らさないといけないからな」
「アキにしては殊勝な心がけやな」
感心感心、と、あおいは何度も頷く。
「よろしくね、アキちゃん」
恵那がまたにこやかに笑った。
「よーし、そうと決まれば、さっそくペンションに行こうぜ。こんな寒いキャンプ場、とっととおさらばだぜ」
千明はみんなと協力してキャンプ道具を片づけると、なでしことリンとは一旦別れ、あおいと恵那と一緒にペンション・ダウンヒルへ向かった。