「アキ! なでしこちゃん!」
まだ人の少ない朝の警察署に大きな声が響き渡る。
入口の方を見ると、あおいと恵那が走って来た。
「あおいちゃん恵那ちゃん! リンちゃんが! リンちゃんが!!」
先ほど立木を突き飛ばした勇ましさはどこへやら、なでしこはあおいたちに抱きついて子供のように泣きじゃくった。
二人はなでしこをなだめた後、千明を見た。
「アキ、いったいどういうことや? なんでリンちゃんが警察に話聞かれてるんや」
「すまん」
と、千明はあおいに謝った後、
「あたしがもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかったかもしれない」
と続けた。
あおいは小さく息を吐くと、
「詳しく話してみい」
と促した。
千明はこれまでの経緯を話す。
ラディウスに到着したところから、豊島に強引に取材を受けたこと。
チェックイン後にロビーで岩内と田中と話をしたこと。
温泉に入り、食事をし、ロビーでゲームをしたこと。
そして、死体発見から館内を探索してロビーで犯人探しをし、リンが犯人は逃走したと結論付けたこと。
しかしその推理は間違いで、警察到着後の捜査で被害者の死亡時間が判明し、その時間ただ一人アリバイが無いのがリンだったということ。
さらに、安東と立木がフェイク動画を作って動画サイトにアップしたところまで、できるだけ詳しく話した。
「――ほな、あの動画は全部ウソっぱちなんやな」
あおいが言った。
「当たり前だろ。あたしたちはあんな取材は受けてないし、リンは逮捕なんてされてない。もちろん、絶対犯人なんかじゃない。なのに、あんなあからさまに犯人扱いして……」
千明は動画を思い出し、
「くそっ!」
と、腹立たしさで拳を手のひらに打ち付けた。
「あの動画、なんとかして削除しないと」
「アキちゃん」
と、恵那が千明を見た。
「あの動画はとりあえずほっといていいよ。それより、リンの事情聴取はどうなってるの?」
「それが、誰に訊いても『捜査上のことなので答えられない』としか言わないんだ」
時刻は九時を過ぎたところだ。千明たちが警察署に着いてからすでに一時間以上経っている。
その間、千明は五分おきにリンがどうなったのかをいろんな人に訊いて回ったが、まともな答えは返ってこない。
千明はあおいの両腕を掴み、すがりつく声で言う。
「なあ、あたしはどうしたらいいんだ? リンは親には連絡するなって言ってたが、やっぱりした方がいいのか? 学校や先生は? 弁護士とか、裁判所とか、探偵事務所とか、交通事故鑑定人とかに連絡した方がいいのか?」
「いや交通事故鑑定人に連絡してどないすんねん」
「そうだ! どうせここにいても何もできないんだから、ペンションに戻ろう! あたしたちで真犯人を見つけて、リンの無実を証明するんだ!」
「ちょっとアキ、落ち着きや。あんた部長やろ」
呆れたように言うあおいに、千明は。
「その部長がなんの役にも立ってないから相談してるんだよ!」
叫ぶように言い返す。
悔しかった。リンを疑う小池刑事や、フェイク動画を作ってリンを貶めようとする安東と立木、そっけない対応しかしない警察……それらへの腹立たしさよりも、それらに対して何もできない自分の無力さの方が、はるかに腹立たしい。
あおいは大きくため息をつくと、
「まあとにかく落着き」
と、冷静な口調で言う。
「今さらペンションに戻ってもしゃーないやろな。ここにおった方がええ。あとは、そやな……リンちゃんの両親と、先生には、連絡した方がええかもな」
「じゃあ」
と、恵那がスマホを取り出した。
「あたし、リンの家に電話するね」
「ほな、ウチは
あおいもスマホを取り出す。
二人とも、こんな状況でも取り乱さず、感情的になることもなく、冷静に行動している。
おろおろするばかりで何もできない部長とは大違いだな、と、千明は二人を頼もしく思った。
「おいヤメロ。余計な心配をかけたくないって言ってるだろ」
と、リンが言った。
「へっ?」
恵那とあおいはスマホの操作をやめ、泣いていたなでしこは顔を上げ、千明もぱちぱちと目を瞬かせ、声がした方を見る。
そして。
「リン!!」
「リンちゃん!!」
みんなで一斉に声を上げた。
「大きな声を出すな。みんなの迷惑になる」
リンは周囲を気にしながら言った。
まだ人は少ないとはいえ、受付にもロビーにも数人の人がいる。
みんな何事かとこちらへ目を向けているが、千明はそんなこと気にしてなどいられない。
「それより! お前、大丈夫だったのか!?」
千明が訊くと、リンは
「当たり前だ」
と、何事もないような顔で答える。
「言ったろ? あたしは何もしていなんだから心配するなって。お前、まさかあたしが犯人だとでも思ったのか?」
「そんなわけないだろ! でも、警察はどう思うか判らないから心配してたんだ! どうなったんだ!? 疑いは晴れたのか!?」
「ああ。もう大丈夫だ。ちゃんと事情を話したら、判ってくれた。まあ、警察の到着前に勝手に捜査のマネ事をしたことは、結構強く怒られたけどな。ていうか、捜査のマネ事を始めたのは千明なのに、なんであたしが怒られないといけないんだ」
「それに関しては、正直スマンカッタ」
急に威勢が無くなった千明に、リンは
「健介か」
と的確にツッコミを入れる。
「でも、捜査はどうなったんだ? 犯人はいったい――」
「ああぁぁっ!!」
なでしこが突然大声を上げ、警察署の玄関を指さす。
「いきなり大きな声を出すな」
と、言った千明も、玄関の方を見て
「ああぁぁ!!」
と、同じように声を上げる。
玄関から入って来たのは、よれよれコートにぼさぼさ頭の小池刑事、そして、若い刑事に連れられた安東と立木だった。
その手には手錠がかけられている。
千明たちの声に気づいた安東は、キッ! っとこちらを睨みつけたが、若い刑事に促され、奥にある取調室の方へ連れて行かれた。
「……あれは、任意の事情聴取じゃないよな? 手錠してたから、逮捕だよな? あの二人が犯人だったってことだよな?」
千明が誰とも無しに訊くと、リンが「ああ」と答えた。
「まあ、そうだろうと思っていたけどな」
「へ?」
千明は両目を瞬かせる。
「リン、お前、もしかして安東さんたちが犯人だと判ってたのか?」
「まあな」
リンは平然とした顔で頷いた。
「はぁ!? なんでだ? なんであの二人が犯人だってわかったんだ!?」
「うーん、まあ、それは話すと長いんだが」
「いいから話せ! 話すまで家に帰れると思うな! さあ吐け! 吐くんだ!!」
肩をつかんで激しく揺さぶる千明に、リンはやれやれとため息をつき、
「こっちの方がよっぽど悪質な取り調べをされそうだな」
とぼやいた後、話し始めた。
「まず、個室サウナで豊島さんの死体が発見された後、千明が、岩内さんに死体の検視をお願いしただろ? あれが間違いの始まりだったんだ」
「間違い? 鑑識官を退職したから検視をする権限はないってヤツか? そんなの、時と場合によるだろ?」
「それもあるが、そもそも、あの人が元鑑識官だっていうのは、ウソだ」
「はぁ!?」
またまた声を上げる千明。さっきから「はぁ!?」と「へ?」としか言ってないような気がする。
リンは平然とした顔で話を続ける。
「あの人、自己紹介した時、『山梨の
「じゃあ、あのウジ虫から死亡推定時刻を割り出した、っていうのは?」
千明はあのとき岩内から聞いた話を思い出して言った。
『甲府アパート焼死体事件』だっただろうか。
古いアパートの火災現場から焼死体が発見され、ウジ虫の成長過程から死亡時刻を割り出し、焼死体は火災発生よりも前の時間に殺されていたことが判明した、という話だ。
リンは、「ああ」と頷いた後、
「あの話は、小説のエピソードだ」
と続けた。
「小説?」
「そう。『昆虫法医学捜査官』って小説に、同じ事件を同じ方法を用いて死亡推定時刻を割り出す捜査官が出てくる。それをマネして言ったんだろう」
「なら、岩内さんって、何者なんだ」
「そこまでは判らないが、たぶん、ただの推理マニアだろう。単にあたしたちをからかおうとして言っただけだ。まさか、あの後館内で殺人事件が起こるなんて思ってもなかっただろうからな。だから、岩内さんが検視後に言った『死後一時間』っていうのも適当だ。鑑識官と名乗った手前、検視してくれと言われて、後に引けなくなったんだろう」
「なら、なんでその時それを指摘しなかったんだ」
「憧れの鑑識官になり切ってあんなに気分良さそうにしてたら、わざわざそれを指摘するのは野暮ってモンだろ」
「変なところで変な気を使うな。まあそれより、それがどう真犯人に繋がるんだ?」
「岩内さんの言うことはアテにできないし、その上、被害者がサウナで死んでいる以上、死亡時刻や犯行時刻を特定するのは困難だから、その線で推理するのは無理だと思った。だから、あたしは始めからアリバイ面からの推理は捨て、犯人の動機面から推理しようと思ったんだ。そうなると、怪しいのはやはり被害者と元から接点のある安東さんと立木さんだ。他の人たちは、豊島さんとは今日初めてこのペンションで会ったんだから、殺害するほどの動機があるとは思えない」
「しかし、ホントに今日初めて会ったかは判らないだろ? ホントは顔見知りだけど初対面だってウソをついてるかもしれない。あるいは、ホントに初対面だったとしても、些細な悪口とかにカッとなって犯行に及ぶことだってあり得る」
「確かにその辺も考えられなくはないが、可能性としては低いだろう。疑うなら、やはり接点のある人物だ」
「でもさ、リンちゃん」
となでしこが手を挙げた。
「犯人は被害者を刃物で滅多刺しにするほど残忍で凶悪なんだよ? 安東さん、そんな危ない人には見えなかったけど」
「それは違う」
リンはなでしこを見て言う。
「被害者を滅多刺しにしたからと言って、犯人が残忍で凶悪と考えるのは間違いだ」
「え?」
「これは、テレビなんかにもよく出演する伝説の監察医が書いた本で読んだんだが、数十ヶ所滅多刺しの死体を見て、『犯人は残忍で凶悪な性格だ』と判断するのは安易なんだそうだ。それは、ただ死体を見た衝撃を言っているに過ぎない。本当の監察医なら、なぜ犯人がそれほど滅多刺しにしたのか、その心理まで考えなければならない」
「だから、そんなことも平気でやれるほど、残忍な性格ってことだろ?」
千明が言う。
「それが逆なんだ。犯人は残忍なんかじゃない。むしろ人一倍臆病で小心者だ。だから、相手を刺して、被害者が早い段階で死んでしまっていても、それが信じられず、反撃されることを恐れて、何度も何度も刺すんだ」
「……確かに、そう言われたら、その通りかもな」
「以上のことから、あたしは、犯人は被害者と元から接点があり、戦闘力が低く、臆病な性格の人物と考えた。そうなると、立木さんの可能性は低い。被害者よりもはるかに屈強だからな。なら、犯人は女性の安東さんということになる」
「でも、立木さんも逮捕されてたぞ?」
千明はさっき警察署の奥へ連れられて行った二人の姿を思い出す。安東だけでなく、立木にも手錠がかけられていた。
「恐らく犯人
と、リンが答える。
「犯人をかくまう罪だ。豊島さんの殺害時刻、安東さんと立木さんは部屋にいたって証言していただろ? 安東さんが犯人なら、それはあり得ない。二人で口裏を合わせ、ウソの証言をしたんだ。他にも、あのフェイク動画を作るのに協力している可能性もある」
「ん? あの動画、リンも見たのか?」
「ああ。事情聴取されている時、小池刑事と一緒に見た。あれで、警察も安東さんたちが犯人だと確信したんだ。あんなあからさまなフェイク動画、自分で犯人だと言ってるようなものだからな」
千明はスマホを取り出してもう一度動画サイトにアクセスする。
今度はあり得ないほど車がびっしり
『これ、撮影者が喋るときだけ周囲の音が聞こえなくなるよな』
『女の子も口が動いてるのに声が消されてるところもある』
『正直素人レベルの捏造』
『てかメガネの
など、撮影者を疑う流れになっている。
さらには『真犯人逮捕』という動画へのリンクもあり、それを見ると、小池刑事に連れられ警察署に入って来る安東と立木の姿を撮影した動画だった。
キッ! と、安東がこちらを睨んだあと、若い刑事に促され、奥へ向かって行く。
「――て、これ、今さっき撮った動画だろ!」
千明は顔を上げてみんなを見た。
恵那が、なんのことかな? というようにとぼけた顔をする。
コイツがやったのか、と確信する千明。あの一瞬で撮影をし、すぐさまアップしていたのだろうか。油断も隙もないヤツだ。
だが、おかげでコメント欄には
『まさかの犯人安東たん』
『前から愛人説あったからな』
『痴情のもつれかな。ありきたりな動機だ』
『ワイはメガネの娘の方がカワイイと思う』
というコメントが並び、千明たちの個人情報を特定しようなどという人はもういなかった。
みんなで安東が投稿した捏造動画の削除要請を出そう、という声も出てきている。
事情が事情だから、すぐに削除されるだろう。
動画の方は、これで安心して良さそうだ。
「しかし」
と、千明はスマホをしまってリンを見る。
「最初から犯人が判ってたなら、なんでそれを早く言わなかったんだ? なんで『犯人はすでに逃げた』、なんて推理をしたんだ? 犯人が判っていたなら、あの推理はウソだったってことだよな?」
「安東さんみたいな臆病な犯人は、真相を暴いて追い込む方が危険だ」
リンは取調室の方を見ながら言う。
「余計なことをしなければ、それ以上被害が出る可能性はまず無かったはずだ。なのに、千明が犯人探しなんて始めるから、逆に危ない状況になったんだ。相手はすでに一人殺してるんだぞ? それが暴かれそうになったら、恐怖のあまり相手の口を封じようと、さらに犯行に及ぶ可能性もある」
確かに、ミステリードラマなんかでは、第二第三の犯行は真相を暴かれそうになったから口封じのために
「じゃあ、リンは、それを収めるために、わざとウソの推理をしたのか?」
「まあな」
と言った後、リンはフフっと笑って、
「貸しひとつだぞ」
と付け加えた。
今回の事件で、千明も安東が犯人の可能性を疑い、口論になった。
あのままだったら安東に口を封じられていたという可能性はあるかもしれない。
それを回避するため、リンは『犯人はすでに逃走した』というウソの推理をした。
あの推理でみんな納得し、安東も疑いが晴れたので、第二第三の犯行に及ぶ必要は無いと悟ったのかもしれない。
「いやいやいやいや、アキちゃん、そんな話に納得しちゃダメだよ」
と、恵那が千明に言った後、今度はリンを見た。
「あんた何ヒーローぶってるの? ありえないでしょ」
「女にヒーローはおかしいだろ」
と、律儀にツッコミを入れた後、リンは
「ありえないって、何がだ」
と訊く。
「仲間をかばうためにウソの推理をした美談みたいに話してたけど、それで自分が危機に陥ってたら、意味が無いでしょ? リン、あんた、警察から殺人犯だって疑われたんだよ? その上、真犯人に
「それで犯人に逆ギレされて殺されたら、元も子もないだろ」
リンは自分のスタンスは崩さずに言う。
「警察はそんなにバカじゃない。ちゃんと捜査すればあたしが犯人じゃないことは判るだろうし、真犯人も捕まえてくれるはずだ。それに、もし冤罪で捕まっても、あたしは未成年だし、死刑なることはない」
「なにそれ? 死ななければいいってものじゃないでしょ」
と、恵那も恵那で譲らない。
「有罪になったら、もう元の生活には戻れない、一生殺人犯だって言われ続けるんだよ? 無罪になったとしても、逮捕されて裁判を受けて留置だか拘置だかされてた時間は戻らない。なんでやってもいないことで人生狂わされなきゃいけないのよ? そんなバカな話はないでしょ」
「しつこな。なんと言われようと、あたしは死ぬのは最悪の結果だと思う。たとえ冤罪になっても、死ぬよりはマシだ」
「……なにそれ」
怖い声で言ったのは――恵那ではなかった。
恵那は、きょとんとした顔で、声のした方を見ている。
千明も声の主を見るが、それが本当にその人が発した声なのか判らなかった。
それほど、その声と普段のイメージが合わなかったのだ。
その声を発したのは、なでしこだった。
なでしこは、涙をいっぱいに溜めた目でリンを見て。
「なにそれ!! そんなの、絶対違う!!」
叫びながら言う。
「あたし、すっごく怖かったんだから! もう二度とリンちゃんに会えなくなるんじゃないかって、すっごくすっごく怖かったんだから!! アキちゃんも、恵那ちゃんもあおいちゃんも、みんな心配してて、でもリンちゃんはお父さんお母さんに連絡しちゃいけないって言うし、どうしていいか判んなくて、ホントに怖かったんだから!! もうみんなでキャンプに行っておいしいもの食べたり旅行しておいしいもの食べたりお土産買っておいしいもの食べたりできなくなるんじゃないかって、ホントにホントに怖かったんだから!! あたし、リンちゃんがいなくなるなんてイヤだから! 絶対絶対イヤだから!!」
ロビーどころか奥にいた職員も何事かと出てくるほどの大声で叫んだなでしこは、恵那の胸に顔をうずめて泣き始めた。
「……あーあ。リンがなでしこちゃん泣かしちゃった」
小学生のような言い方をする恵那。
なでしこがわんわん鳴く声だけがロビーに響く。
それを恵那が慰め、千明とあおいはリンとなでしこを交互に見る。
はたから見れば、リンが原因でケンカが始まったかのような状況だろう。
「なんでだ……」
リンが、ぎゅっと握った拳を震わせながら、ぼそりと言った。肩も震えている。怒りを抑えている――のだろうか。
「え? なに? まさか、まだ何か言うつもり?」
恵那がうんざりしたような目を向ける。
そして、リンも。
「なんであたしがそんなに責められなきゃいけないんだ!!」
なでしこと同じように、叫ぶ。
「あたしはみんなを守るためにやったんだ! なのに、なんであたし一人悪者みたいに言われなきゃならないんだ!! そもそも千明が犯人探しなんて余計なことをしなけりゃこんなことにはならなかっただろ!! なでしこなんて、おろおろしてるばかりで何もしなかったクセに!!」
「ちょっとリン! いくらなんでもそんな言い方ないでしょ!!」
「うるさい! お前は今回の事件に無関係だろ! あたしたちがどんなに危険な目に遭っていたかも知らず、安全な場所でただ寝てただけのヤツが、余計な口出しするな!!」
その時、千明は。
――なんだよ、これ。
目の前の光景を、信じられない思いで見つめていた。
恵那が、なでしこが、リンが。
互いの言動を非難し、傷つけ合っている。
昨日まで、旅行をしたり、キャンプをしたり、温泉に入ったり、おいしい料理を食べたり、あるいは学校の図書室で、部室で、校庭で、くだらない話をしながら笑い合い、勉強や部活やバイトに励み、いつも一緒にいた仲間たちが、今は傷つけ合っている。
――なんでこんなことになるんだよ。そうじゃねぇだろ。
取り戻さなければならないと思った。あの、いつもの日常を。
そのためには。
「余計な口出しって、あんたそれ、まさか本気で――」
恵那がさらに言い返そうとするのを、千明は、手のひらを向けて制した。
そして、目はまっすぐにリンへ向けたまま。
「――三人とも、席を外してくれ。リンと二人で話す」
静かな声で言った。
さらに、
「あおい、なでしこと恵那を頼む」
と、うながす。
「うわお。あおいと来たか」
あおいは驚いた声で言った後、
「アキがウチのこと名前で呼ぶなんてよっぽどやわ。恵那ちゃんなでしこちゃん、言う通りにしよか。二人も、ちょっと頭冷やした方がええやろしな」
と言って、恵那となでしこの背中を押した。
そして千明を振り返り、
「ほな、ウチら向こうの自販機のコーナーに行ってるわ」
と、付け加えた。
三人がいなくなったところで、千明は大きく息を吸い、そしてゆっくりと時間をかけて吐き出した。
「なんだよ? お前もあたしを責めるのか? 何を言われたって、あたしは自分が間違ったことはしたとは思わない! 絶対謝ったりしないからな!」
拳を、肩を、足を震わせ、傷つき追い詰められた小動物のような姿で、それでも牙を剥こうとするリンに対し、千明は。
「リン、そういうのは、もういいんだ」
震える拳に手のひらを添え、優しく包み込んだ。
そして。
「――怖かっただろ?」
その傷ついた心に寄り添うように、手のひらよりも優しく包み込む声で、言った。
リンは、はっとした顔になる。まるで、自分が傷ついていることに、いま気付いたような顔。
昨日からずっと、大切なことを忘れていた――そのことに、千明はようやく気が付いた。
リンは、ただの女子高生なのだ。
本をたくさん読み、いろんな知識を持っている。突然の出来事にも冷静に対応できる。
それでも、リンはまだ、十代の幼い少女なのだ。
殺人事件なんて恐ろしいことに巻き込まれて、怖くないはずがない。
まして。
リンは、犯人として疑いの目を向けられ、一人で警察から事情聴取を受けたのだ。
いくら自分がやっていなくとも、こんな小さな少女が、何人もの男の刑事から、あれこれと詮索されたのだ。
その結果、恵那の言う通り、冤罪をかけられるかもしれなかったのだ。
なでしこの言う通り、もうみんなに会えなくなるかもしれなかったのだ。
リンの胸の内の恐怖は、計り知れない。
千明は手を離すと、今度はリンの震える肩に手を添える。
千明は決して背が高い方ではない。同い年の女子の平均身長よりも低い。
そんな千明よりも、リンの身長はさらに低い。
長い髪をお団子に束ねてようやく千明と同じ背丈になるくらいだ。
こんな小さな身体で、その身体の中にある小さな心で。
リンは、恐怖に耐えたのだ。
リンがしたことが正しかったのか、間違っていたのか、千明には判らない。
判らなくていい。そんなこと、今はどうだっていいんだ。
あたしたちがリンを追いこんでどうする。
あたしたちが温かく迎えてあげなくて、どうする。
そう、今、あたしたちがすべきことは。
「もう大丈夫だ。お前の疑いは晴れた。犯人も捕まった。これ以上怖いことなんて、ない」
千明は、リンの心の恐怖を取り除くように、微笑んだ。
「――がんばったな」
リンの目に、涙がいっぱいに溜まり、そして、頬を伝って流れ落ちた。
それを隠すように、リンは千明の胸に顔をうずめた。
声を殺し、泣きはじめる。
千明は、周りの人からその姿を見えなくするように、リンの鳴き声が周りに聞こえないように。
そっと、その小さな背中を抱きしめた。
リンは泣き続ける。
時々肩を大きく揺らしながら、時々嗚咽を漏らしながら、千明の胸で、泣き続ける。
「もう大丈夫、大丈夫だ」
千明はリンを抱きしめたまま、繰り返し言い続けた。リンの心が落ち着くまで、ずっと、そうしていた。
「――醜態だ」
ようやく泣き止んだリンは、ずーんと肩を落とし、あからさまに落ち込む。
「まさか、千明に慰めてもらうとは」
千明はにひひと笑うと、
「どんなに強がっていても、リンも乙女だな」
と、得意げに言った。
普段クールぶっているリンが大泣きする姿など、恐らく誰も見たことないだろう。
「みんなには言うなよ! 絶対言うなよ! あたしのイメージに関わるからな!」
顔を真っ赤にするリン。
「わかったわかった。二人だけのナイショだ。でも、みんなリンのこと、そんなクールだとか強い女だとか思ってないけどな」
それに、と言って、千明はさらに続けた。
「お前は何でも一人で抱え込み過ぎだ。もっとみんなを頼ってもいいんだぞ? まあ部長は頼りないかもしれんが、部員は意外と優秀だしな」
リンは恥ずかしそうに目を逸らすと、
「だから、あたしは野クルには入っていない」
と言う。
あくまでも野クル入りを拒否するリンに、千明は苦笑いをしながら、
「それでも、仲間だ」
と、言ってあげた。
「――そうだな」
顔を上げたリンに、ようやく笑みが戻った。もう、涙の名残もない。
その姿に満足した千明は、ぱん、と手を叩き、
「よし、じゃあ、みんなのところに行くか」
と言う。
あおいたちが自販機コーナーへ行って、だいぶ時間が経っている。
そろそろ心配しているかもしれない。
「あ、でもリン」
と、千明は思い出して言う。
「さっきの口ゲンカ、さすがに最後のあれは無いぞ? あたしのことはともかく、なでしこや恵那には言い過ぎだ」
「判ってる。ちゃんと謝るよ」
恥ずかしそうに目を逸らしながら言うリンが、不意に千明を真っ直ぐに見た。
「千明も……悪かった。ゴメン」
「だから、別にあたしはいいって」
千明は、もう一度にひひと笑う。
さっきは絶対謝らないと言ってたのに、ちょっと慰めたらコロッと変わった。
絵に描いたようなツンデレぶりである。
「でもあたし、あんなヒドイこといって……二人とも、もう口をきいてくれないかも」
ずずーん、とまた肩を落とすリンに、千明は
「大丈夫だって」
と言う。
「そうか?」
「そうさ。あたしたちの絆は、あの程度で切れるほどヤワじゃない」
「……だといいが」
尻込みするリンの背中を押し、二人で自販機コーナーへ向かうと。
「リンちゃん!!」
二人に気づいたなでしこが、猛ダッシュで駆けてきた。
「リンちゃんさっきはゴメンね! あたし、リンちゃんの気持ちも考えず言いたい放題言って、ホントにホントに、ゴメンね!」
なでしこは、リンの胸に顔をうずめてまたわんわん泣き、謝る。
「いや、あれはあたしの方が悪い。謝るのはあたしだ。ゴメン。あんなこと、ホントは思ってないから。ホントにゴメン。なでしこがあたしのことをあんな風に思ってくれて、嬉しかったよ。ありがとう」
ぱっ! と、なでしこは涙と鼻水とよだれでぐしゃぐしゃの顔を上げる。
「ホント!? リンちゃんあたしのことキライになってない!?」
「当たり前だろ」
「じゃあ、好きって言って?」
「はぁ? なんでそうなる」
「好きって言ってくれなきゃヤダ! ねえお願いリンちゃん! 好きって言って!!」
「やだ、恥ずかしい」
「なんで? 言って、ねえリンちゃん、言ってよー」
新妻が旦那におねだりするみたいなことを言い始めたなでしこを、苦笑いで見ていたリンだったが、なでしこの後ろから恵那もやってきて、それに気づいたリンは、目を細めてじーっと見つめる。
「そんなに睨まないでよ。もうなにも言わないから」
恵那はバツが悪そうな顔で言った。
「あ、いや、別に睨んでたわけじゃない」
リンは慌てて首を振る。
「その……さっきはゴメン。言いすぎた」
「ううん、謝るのはあたしだよ。そもそもあたしが余計なことを言わなかったら、あんなケンカにはにならなかったよね。あたしは、自分が言ったことが間違いだとは思わないけど、でも、あのとき言うべきことじゃなかったよ。ホント、ゴメン」
リンも、なでしこも、恵那も、みんなで謝り合う。
リンが千明を見たので、ほらな? と、片目を閉じた。
ぽーん、と、缶コーヒーが飛んできて、千明は慌ててキャッチした。
「お疲れ」
と、あおいがやって来た。仲直りをしたリンたちを見て、
「うまいこといったみたいやな。さすが部長さん。頼りになるわ」
と、満足そうに笑う。
「いや、そっちも、うまいこと言ってくれたみたいだな」
缶コーヒーを開け、千明もリンたちを見る。
リンに謝るなでしこと恵那。
千明がリンと話している間、あおいもあおいで、なでしこと恵那の二人と話をしていたのだろう。
そうでなければ、なでしこはともかく恵那があれほど素直に謝ることはないだろう。
「サンキュー、イヌ子」
千明はお礼を言ってコーヒーを飲もうとしたら、あおいは不満そうな顔で唇を尖らせた。
「なんや、もうあおいって呼んでくれんのかいな。つまらんわ」
「ん? あたし、そんなこと言ったか?」
千明はとぼけて言い、缶コーヒーを飲んだ。
「まあええけどどな。それよりアキ、あんたの方こそ大丈夫なんか? 何十ヶ所も刺された血まみれの惨殺死体を見たそうやないか?」
「んー、まあな」
あおいはニヤリと笑うと、
「怖かったやろ? ウチの胸で泣いてもええんやで? ほれ、おいで、千明」
と言って両手を広げ、学校1ともウワサされる胸を突き出した。
「はは。ホラーマニアを舐めんなよ? あんなもん、映画とかドラマで見慣れてるっつーの。むしろ、映画の方がリアルでトラウマ級だ」
千明がニカッと笑って言うと、あおいはまた唇を尖らせる。
「なんや、ホンマにつまらんやっちゃな」
「でもまあ、もしかしたら悪夢にうなされるかもしれないから、今夜はそばにいてもらおうかな」
そう言うと、あおいはパッと顔を明るくして
「任せとき。悪夢を見ないように、今夜は寝かさへんからな」
と、親指を立てた。
「アキちゃんあおいちゃん、この近くに、おいしいカフェと天丼屋さんがあるみたいだよ? あたしたち朝ご飯食べてないし、もうすぐお昼だし、せっかくだから食べに行こうよ」
すっかり泣きやんだなでしこが手を振りながら言う。
両方ハシゴするつもりだ。さすがはなでしこ。一食たりとも食事抜きにはしない。
しかし、なぜ天丼なんだ。警察署の近くならカツ丼だろ。などと考えていると、千明のお腹がぐぅと鳴った。
いろいろあってすっかり忘れていたが、朝食を食べてないので、当然のことながらお腹はめちゃくちゃ空いている。
「よっしゃ! じゃあ、まずはカフェで大盛りハニトーといくか!」
千明が言うと、みんな「さんせーい!!」と手を挙げた。
みんな玄関の方へ向かう。千明はぐびっと缶コーヒーを飲み干し、空き缶をゴミ箱に捨ててから、みんなの後を追った。
――あれ、そう言えば。
警察署から出たところで、ふと、千明は思い出す。
――結局リンは、先にお風呂から上がった後、どこへ行ってたんだ?
ロビーにいた岩内と田中の証言では、二人はリンの姿を見ていないという。
ロビーを通らないと二階へ行くことはできないし、二階に行かなければ個室サウナの方へ行くしかない。
「アキちゃーん! 早く早く!」
不意に立ち止まった千明を振り返り、なでしこが手を振って呼んだ。
「ああ、いま行く」
千明は、
「まあいいか、もう終わったことだし」
と自分に言い聞かせるように言う。
リンが犯人であるわけがない。だったら、別にどこへ行ってたっていいだろう。
みんなのところへ戻った千明は、
「よーし、なでしこ、カフェまで競争だ! 負けた方は、天丼屋で味噌汁オゴリな!」
と言う。
「いいよ! 負けないから!」
千明の挑戦を受けて立つなでしこ。
「味噌汁って、随分とケチクサい勝負だな」
リンが苦笑いでツッコむ。
「安定の金欠やからな、アキは」
あおいは肩をすくめた。
「負けた時にもちゃんとオゴれるものを選ぶ辺りがアキちゃんらしいね」
恵那がほほ笑む。
「せっかくだ。お前たちもやろうぜ?」
「やろうよリンちゃん!」
「……そうだな。なんだか今日は、あたしも走りたい気分だ」
「お? リンちゃんがアキたちの勝負に乗るなんて珍しいな。恵那ちゃん、こら、ウチらも断れへんで」
「仕方ないなぁ、付き合いますか」
口々に言うのを、千明は微笑ましく見つめる。
これこそ野クルだ。
「よっしゃ! じゃあ、位置について――」
千明が言うと、みんな前を向いた。
風で舞い上がった雪に陽の光が降り注ぎ、キラキラと輝いている。
「よーい……どん!」
澄んだ空に千明の声が響き渡り、みんな一斉に走り出した。
参考文献
『法医昆虫学捜査官』川瀬七緒(講談社文庫)
『死体の犯罪心理学』上野正彦(アスキー新書)