寒林(かんばやし) ………… オフピステの宿泊客。県内の会社員で、スキーに来た。
冬野(ふゆの) ………… オフピステの宿泊客。県内の会社員で、スキーに来た。
温井(ぬくい) ………… オフピステの宿泊客。県外の大学生で登山部所属。山登りの下見に来た。
鈴木(すずき) ………… 猛吹雪の中で出会った女性。千明たちをオフピステへ案内する。
小屋原(こやはら) ………… オフピステのオーナー。
小池 ………… 事件を担当する刑事。
大垣千明
各務原なでしこ
志摩リン
犬山あおい
斉藤恵那
1・激走! 河口湖雪道
ペンション・ラディウスへ向かう前に自分もスキーをやりたいと、なでしこと二人でスキー場へやってきた千明。
リンとは一回滑るだけという約束だったが、ここのスキー場はナイター営業をしているし、もし天気が回復すれば夜まで楽しんでやろううっしっし、などと考えていたが、すぐに自分の考えの甘さを思い知ることになった。
スキー場に着いた頃に降りはじめた雪は、リフトでゲレンデに上がった時には強い風を伴い始めていた。
上空の雪雲はさらに濃くなり、陽も山の陰に隠れ、周囲は夜の闇に覆われつつある。
ゲレンデにはナイター営業用の照明が点灯しているが、雪の勢いで光が遮られ、かすんだような明るさになっていた。
これ以上雪が強くなれば視界はさらに悪くなって危険だろう。
案の定、照明に取り付けられたスピーカーから、天候悪化により本日のナイター営業は中止してゲレンデを閉鎖するという放送が流れてきた。
千明となでしこは急ぎつつも慎重にゲレンデを下り、リンとの約束通り一回で切り上げてスキー場を後にした。
キャンプ場まで戻ってくると雪と風はさらに強くなり、もはや吹雪と言っていい状況だった。
早くペンションへ行かないと大変なことになりそうだ。急いで荷物の回収へ向かう。
リンが片付けてくれたテントやシュラフなどのキャンプ道具は近くの木の陰に置かれてあった。
千明たちがスキー場に行っていたのは一時間にも満たないが、すでに荷物は大半が雪に埋もれてしまっている。
あのまま雪中キャンプを強行していたらと思うと、千明の背中を雪による寒さとは別種の冷たさが走った。
荷物を回収した二人はキャンプ場を出てペンションへ向かう。
朝は除雪作業車によって歩きやすくされていた道も、今は新しい雪が降り積もり、一歩進むと足首まで埋まるようになっている。
ペンション・ラディウスまでは徒歩で十五分ほどだが、この状況ではもっと時間がかかるだろう。
「とにかくペンションへ向かおう。大丈夫、すぐに着くさ」
なでしこを励まし、千明は先導して歩いた。
陽が落ち、街灯もない真っ暗な道を、ざくざくと雪を踏み鳴らして進む。
雪と風はさらに勢いを増し、猛吹雪と化していた。
ライトで周囲を照らしても、見えるのは雪・雪・雪……。
強い風と共に吹き付ける雪はまるで白い壁のようで、夜の闇も相まって右も左も判らないような状態だ。
それでも野クルの活動で培った経験と根性を頼りに二十分ほど歩き続けたが、ペンションどころか建物ひとつ見えてこなかった。
景色は変わらず、ただ猛烈な雪が吹き付けてくるだけ。
まるで、その場で足踏みをしているかのようだ。
「なでしこ、大丈夫か」
千明は足を止めて振り返り、後ろからついてくるなでしこに声をかけた。
なでしこは降りつける雪が全身に張り付いて雪だるまのような姿になっているが、
「平気」
と、いつもの笑顔で答えた後、
「アキちゃんも大丈夫? 疲れてない?」
と、逆に千明をいたわる言葉を返す。
「ああ、まだまだ大丈夫だ」
千明も笑顔を返すと、なでしこは安堵した表情になった。
その姿からはまだまだ余裕があるようにも思えるが、いかんせんこの状況だ。
いくらエブリジングハッピースマイルのなでしことはいえ、胸の内には大きな不安を抱えていることだろう。
「安心しろ。ペンションまでは一本道だから迷うはずはない。雪と風で歩きづらいから時間がかかってるだけだ。あとちょっとで着くさ。
疲れた時は遠慮なく言えよ? いざとなったら、あたしが背負ってでも、お前をペンションまで送り届けてやるからな」
千明はクールに言って親指を立てた。
「うん。頼りにしてるよ、アキちゃん」
なでしこはさらに笑顔を深めて応えた。
そのままさらに二十分ほど進み続けるが、それでも景色は変わらず、どこにも辿りつかない。
いくら雪と風で進みづらいとはいえ、明らかにおかしかった。
まるで同じ場所をぐるぐる回っているかのようである。
非常にマズイ状況だ。
雪はさらに降り積もり、一歩進むとすねの辺りまで埋もれるまでになっている。
吹き付ける風は厚手の防寒ジャケット越しでも身を切るような冷たさが伝わってくる。
手袋や雪靴などもはや役に立っているのかどうかわからないほどに手足はかじかみ、息をするたび、鼻腔から喉・肺にかけて氷が滑り落ちていくような冷たさが走る。
「アキちゃん、気をしっかり持ってね。大丈夫。もうすぐペンションに着くから」
千明はなでしこの背に負われ、その力強い言葉に励まされていた。
野クル部長としてあまりにもなさけない姿だが、深く沈む雪と吹き付ける強い風のせいで、非力な千明ではもはや前に進むこともままならなかったのだ。
それに対し、なでしこはしっかりとした足取りで前に進むことができている。
なでしこは見た目こそリンが乗るスクーターのように小柄でかわいらしい姿だが、その実大型四輪駆動車のようなすさまじい力を持っている。
この猛吹雪の中、背中に千明を背負い、両手にテントやシュラフやストーブなどのキャンプ道具を持ちながら、それでも千明よりも早く歩けるのだから、千明としても頼らざるを得なかったのだ。
「すまん、なでしこ」
千明は自分でも情けないと思うほど弱々しい声で謝る。
「え? なにが?」
「あたしがスキーをやりたいなんてワガママを言わなければ、こんなことにならなかったのに。完全にあたしの責任だ」
「そんなことないよ。あたしもアキちゃんとスキーしたかったし、天気も、たぶん大丈夫だろうって思ってた。あたしにも責任があるよ」
なでしこは不平も不安も無いいつもの明るい声で答える。
遭難一歩手前の状況にもかかわらず、文句のひとつも言わない。
「なでしこ……お前ってやつぁ、本当に優しい子だなぁ。こんな状態になってしまったのは間違いなくあたしの責任なのに……部長として、情けない限りだぜ……」
「だから、そんなことないって。アキちゃんが励ましてくれるおかげで、あたしはいつもがんばれるんだから」
「いや、あたしなんて、部長のくせにいざという時なんの頼りにもならなくて、いつもみんなに助けられて、それどころか、いっつもみんなをトラブルに巻き込んでばかりで……」
「やめよう、そんな話。誰の責任でもないんだから。
ねえ、もっと楽しい話をしようよ。ペンションにはもうすぐ着くと思うし。
きっと、あつたかい薪ストーブと、リンちゃんが淹れてくれたあったかいココアが迎えてくれるよ」
「そうだな……」
と、千明はその様子を思い浮かべる。
温かいペンションのロビーで温かい飲み物を飲みながら、リンや他の宿泊客にここまで出来事を話す……その時になれば、きっと良い笑い話になるだろう。
そう考えると、少し気持ちが楽になった。
そして、なでしこの言う通りだと思う。
遭難寸前の状況でネガティブな話をしてもなんのプラスにもならない、もっと楽しい話をしよう。
千明はなでしこの話に乗ることにした。
「ココアで身体を温めたら、その後温泉に入って、サウナに入って、水風呂に入って、またサウナに入って……究極の整いが待ってるぜ」
「うんうん」
「そして、温泉サウナが終わったら、お待ちかねの夕食だ」
「夕食……どんな料理が出るかな?」
「これだけ冷える夜だ。やっぱお鍋なんかいいんじゃないか?」
「お鍋か……イイね。なに鍋かな」
「そうだな。山梨で鍋と言えばほうとう鍋だが、ここは静岡からも近いから、イノシシ肉を使ったぼたん鍋なんかも食べられるかもな」
「ぼたん鍋かぁ……イイねイイね」
「なでしこは、こっちに来る前は静岡にいたんだろ? 向こうは、他にどんな鍋があるんだ?」
「えっとね、有名なのは静岡おでんかな。静岡のおでんは、出汁が濃くて、具が串に刺さってて、青のりやだし粉をかけて食べるのが定番なんだよ」
「ああ。テレビで観たことあるな。実際に食べたことはないから、食べられるといいなぁ」
「他には、伊豆半島の海の幸をいっぱい使った弁天鍋や、天城のわさびを使ったわさび鍋なんかが有名かな」
「わさび鍋かぁ。天城のわさびは有名だからな。でも、鍋にわさびなんて入れて、辛くないのかな?」
「うーん、辛味は熱が加わることでマイルドになるって話だけど、実は、あたしもまだ食べたことがないんだよね。
そうだ。無事に家に帰れたら、今度、みんなで静岡まで食べに行こうよ」
「おう、いいぞ。絶対、約束だぞ?」
「うん!」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……なでしこ」
「……なに?」
「よそう。これは死亡フラグだ」
「そうだね」
千明はコホンと咳払いをすると、話を続ける。
「でも、これだけ寒いと、やっぱりあったかい鍋を食べたいな」
「だよね? アキちゃん、どんな鍋が好き?」
「そうだなぁ。定番だと、寄せ鍋に、キムチ鍋に、味噌ちゃんこに、ちょっと変わったのだと、坦々鍋なんかもいいな」
「うん。後は、ごま豆乳鍋に、カレー鍋に、トマト鍋に、レモン鍋に、夜見鍋に……ぅう……」
不意に、なでしこはうめくような声を出してうずくまった。
「おい、どうしたなでしこ。大丈夫か?」
心配して声をかける。なでしこも女の子。極限の状況に心が弱り、泣き始めたのかもしれない。
と、思ったら。
「……ぅうおおおぉぉ!! お鍋ええぇぇ!!」
なでしこは急に
その力強さは四輪駆動車を超えもはや除雪車のようである。
あったか鍋という燃料を得たなでしこは、それまでの倍以上の速さで道を進んだ。
……が。
その足が、突然ぴたりと止まる。
「……アキちゃん、あれ、なんだろ?」
なでしこが正面を見たまま言う。
そこには、夜の暗さと雪の白さが混じった闇の中に、ぼんやりとした明かりが浮かんでいた。
ペンションの明かり……ではないだろう。
その明かりは小さく弱々しく、ゆらゆらと揺れながら、少しずつ大きくなっている。
こちらに近づいているのだろうか。
なでしこが、はっとしたように肩を震わせた。
「まさか……兵隊さんの幽霊……?」
兵隊の幽霊……そう言えば、なでしこやリンたちがスキーから帰って来たとき、そんな話をしていた。
確か、昔この地域では旧日本軍の兵隊が雪中行軍訓練中に遭難するという事故があり、その幽霊が今もさまよっているとかいないとか。
言われてみれば、その光の動きは人魂とか狐火とか言われる火の玉現象に見えなくもない。
「絶対そうだよ! きっと遭難しかけてるあたしたちを見て、仲間に引き入れようとしてるんだ!」
ひいいぃぃ、と悲鳴を上げ、なでしこはガタガタと震えはじめた。
自分で言って自分で怖がりはじめるのは、なでしこの悪いクセだ。
「大丈夫だ。前にリンが言ってただろう? 人魂とか狐火とかの火の玉現象は、野生動物の目が光を反射しているとか、発光バクテリアに寄生された蚊の群れとか、科学的に解明されているものがほとんどだ」
「きっとあたしたちは魂を抜かれて、地獄に落とされて、針山地獄や血の池地獄やすり鉢地獄なんかで永遠の苦痛を与えられるんだよ!」
千明の言葉にも全く耳を貸さず、なでしこは恐怖におののき続ける。
普段はスーパーポジティブななでしこだが、こういった怪談話にはめっぽう弱く、すぐにハイパーネガティブになってしまう。
こうなると誰の言葉も届かない。
千明はなでしこの背中から飛び降りると、かばうように前に立った。
「大丈夫だ。たとえ相手が幽霊でも、お前のことは、絶対あたしが守ってやる」
力強く言葉をかける。
幽霊コワイコワイモードになったなでしこには、どんなに「幽霊なんていない」と言ってもムダだ。
それよりは、こうやって守ってやる姿勢を見せる方がいい。
とは言え。
千明はあまり幽霊などの存在は信じていないから、その光が心霊現象などとは思わない。
ゆえに、もしそれが野生動物の目であった場合、幽霊などとは違う現実的な危険がある。
熊やイノシシだった場合はもちろん、サルやシカやタヌキや野良イヌでさえ、ヘタをすれば大ケガや命の危険さえある。
それほど野生動物とは危険な存在なのだ。
テレビやネットの動画サイトなどで動物のハプニング映像を見ていると、つくづくそのことを思い知る。
クマやパンダなど高い木の上から落ちても平気な顔して遊んでいるし、イノシシは迷い込んだ街のコンビニやパチンコ屋の固いガラスドアをブチ破って侵入・逃走するし、シカは国道で車に撥ねられてもすぐに走り去る。
それに対し、人間なんてちょっと転んで全身を打っただけでもう起き上がれない。
野生動物と人間との間には、本来とてつもない力の差があるのだ。
ましてこちらは小柄で非力な少女と脅えまくってガタガタ震える少女の二人。
ハッキリ言ってネズミ一匹でも命取りになりかねない。いやそれはさすがに無いが、ともかく野生動物だったらヘタに刺激せず、通り過ぎるのを待つしかない。
千明は祈るような気持ちで正面の光を見つめた。
光はゆらゆらと揺れながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
千明はゴクリとのどを鳴らし、なでしこは取り出した安産祈願のお守りに「ハライタマエキヨメタマエ」とお祈りを奉げる。
光が、目の前まで来た。
すると。
「――こんばんは。すごい雪ですね」
いろんな意味で凍りつくような緊張感の中、気が抜けるほどフツーの挨拶をされた。
「へ?」
千明もなでしこも、目をぱちぱちと瞬かせる。
現れたのは、全身雪まみれになった三十代くらいの女性だった。
火の玉のように見えたのは、右手持ったライトの明かりだったようだ。
「こんな吹雪の中、どこへ向かってるんですか?」
小雨でも降ってるかのような気やすい訊き方だった。
ひょっとしたら、猛吹雪だと思ていったのは自分たちが雪に慣れていないだけで、この辺りではこのくらいの雪は珍しくないのかもしれない。
「ええっと、あたしたち、スキー場から、ラディウスっていうペンションへ向かう途中なんです」
気を取り直して千明が言うと、女性は「あちゃー」と言って、のけ反る仕草をした。
「ラディウスは、完全に逆の方向ですね。引き返して今から向かうと、この天気では一時間以上かかると思いますよ? 絶対遭難して死んじゃいます」
相変わらず気安い声だったが恐ろしいことを言う。
やはり、自分たちは遭難しかけていたようだ。
「近くに別の宿泊施設があります。あたしもそこへ向かってるところなので、良かったら一緒に行きませんか?」
女性の提案に、千明はなでしこと顔を見合わせる。
ラディウスへ引き返すと一時間。
いくらなでしこでもそこまでの体力は無いだろうし、また道に迷いかねない。
この状況で引き返すのはあまりにも無謀だ。
今晩の宿泊には懸賞で当てたチケットを使う予定だったので持ち合わせのお金は決して多くないが、たとえお金が足りなくても、この猛吹雪の中追い返されたりはしないだろう。
お金が足りなくてもお願いしてツケにしてもらうか、最悪親に連絡してお金を持ってきてもらおう。
とにかく、今は命を守るのが最優先だ。
「判りました。では、お願いします」
千明となでしこは、手を合わせて言った。
「はい。じゃあ、着いて来てください」
女性はにっこりと笑うと、二人を先導し、雪をかき分けて歩きはじめた。