1・バス待合所キャン□
ペンション・ラディウスへ向かう前に自分もスキーをやりたいと、リンと二人でスキー場へやってきた千明。
一回滑るだけという約束だが、ここのスキー場はナイター営業をしているし、もし天気が回復すれば夜まで楽しんでやろううひゃひゃのひゃ、などと考えていたが、すぐに自分の考えの甘さを思い知ることになった。
スキー場に着いた頃に降りはじめた雪は、リフトでゲレンデに上がった時には強い風を伴い始めていた。
上空の雪雲はさらに濃くなり、陽も山の陰に隠れ、周囲は夜の闇に覆われつつある。
ゲレンデにはナイター営業用の照明が点灯しているが、雪の勢いで光が遮られ、かすんだような明るさになっていた。
これ以上雪が強くなれば視界はさらに悪くなって危険だろう。
案の定、照明に取り付けられたスピーカーから、天候悪化により本日のナイター営業は中止してゲレンデを閉鎖するという放送が流れてきた。
千明とリンは急ぎつつも慎重にゲレンデを下り、約束通り一回で切り上げてスキー場を後にした。
キャンプ場まで戻ってくると雪と風はさらに強くなり、もはや吹雪と言っていい状況だった。
早くペンションへ行かないと大変なことになりそうだ。
急いで荷物の回収へ向かう。
なでしこが片付けてくれたキャンプ道具は近くの木の陰に置かれてあった。
思っていたよりも荷物は少ない。
置いてあるのは食糧とランプとブランケットなどの小物が入ったバッグだけで、テントやシュラフやストーブなどのかさばる物はどこにもない。
おそらくなでしこが持って行ってくれたのだろう。
結構な大荷物になったはずだが、それを一人で運んでしまうあたり、さすがは野クル1の力持ちである。
急がなければいけないので、荷物が少ないのはありがたい。
荷物を回収した二人はキャンプ場を出てペンションへ向かう。
朝は除雪作業車によって歩きやすくされていた道も、今は新しい雪が降り積もり、一歩進むと足首まで埋まるようになっている。
ペンション・ラディウスまでは徒歩で十五分ほどだが、この状況ではもっと時間がかかるだろう。
「とにかくペンションへ向かおう。大丈夫、すぐに着くさ」
リンを励まし、千明は先導して歩いた。
陽が落ち、街灯もない真っ暗な道を、ざくざくと雪を踏み鳴らして進む。
雪と風はさらに勢いを増しり、猛吹雪と化していた。
ライトで周囲を照らしても、見えるのは雪・雪・雪……。
強い風と共に吹き付ける雪はまるで白い壁のようで、夜の闇も相まって右も左も判らないような状態だ。
それでも野クルの活動で培った経験と根性を頼りに二十分ほど歩き続けたが、ペンションどころか建物ひとつ見えてこなかった。
景色は変わらず、ただ猛烈な雪が吹き付けてくるだけ。
まるで、その場で足踏みをしているかのようだ。
「リン、大丈夫か」
千明は足を止めて振り返り、後ろからついてくるリンに声をかけた。
リンは降りつける雪が全身に張り付いて雪だるまのような姿になっているが、
「なんとかな」
と、いつものクールな顔で答えた後、
「千明こそ平気?」
と、逆に千明をいたわる言葉を返す。
「ああ、まだまだ大丈夫だ」
千明も笑顔を返すと、リンは安堵した表情になった。
その姿からはまだまだ余裕があるようにも思えるが、いかんせんこの状況だ。
いくらいつもクールな女(を装っている)リンとはいえ、胸の内には大きな不安を抱えていることだろう。
「安心しろ。ペンションまでは一本道だから迷うはずはない。雪と風で歩きづらいから時間がかかってるだけだ。あとちょっとで着くさ。
疲れた時は遠慮なく言えよ? いざとなったら、あたしが背負ってでも、お前をペンションまで送り届けてやるからな」
千明は得意のキメ顔で言って親指を立てた。
「いや、そう言いながら、絶対あたしに背負わせるヤツだお前は」
リンは千明の言葉を疑うように目を細めた。
そのままさらに二十分ほど進み続けるが、それでも景色は変わらず、どこにも辿りつかない。
いくら雪と風で進みづらいとはいえ、明らかにおかしかった。
まるで同じ場所をぐるぐる回っているかのようである。
非常にマズイ状況だ。
雪はさらに降り積もり、一歩進むとすねの辺りまで埋もれるまでになっている。
吹き付ける風は厚手の防寒ジャケット越しでも身を切るような冷たさが伝わってくる。
手袋や雪靴などもはや役に立っているのかどうかわからないほどに手足はかじかみ、息をするたび、鼻腔から喉・肺にかけて氷が滑り落ちていくような冷たさが走る。
「――千明、待って」
後ろからリンが呼び止めたので、千明は振り返った。
「どうした? 限界か? いいぞ。遠慮せず、あたしに負ぶされ」
千明はしゃがんで背中を差し出したが、リンは
「いや、そうじゃない」
と言って続ける。
「これ以上進むのはやめよう。むやみに動き回ると、体力を消耗して危険だ。『山で天候が悪化した時は、逆らわずに動かないようにしろ』――伝説のマタギの言葉だ」
「誰だよそれ」
「とにかくこれ以上動き回らない方がいい。じっとして、天気の回復を待つんだ」
「待つったって、こんな状態じゃ、すぐに凍死しちまうぞ」
雪も風も勢いを増すばかりだ。
じっとしていたら、五分とかからず雪に埋もれてしまいかねない。
リンが右側を指さした。
「あそこだ」
千明は指された方向にライトを向ける。
だが、吹き付ける雪と夜の闇とが混ざり合い、なにも見えない。
「なんだ? なにも見えないぞ?」
「大丈夫。行くぞ」
リンが雪をかき分けそちらへ向かったので、千明も後を追う。
少し進むと、雪が大量に降り積もって小さな山のようになっており、その上部から蛇腹状の板の先端が突き出していた。
「千明、シャベルって持ってる?」
リンが板の先を見つめながら訊く。
「シャベル? いや、持ってないが、スコップならあるぞ」
千明はバッグの中を探って折り畳み式のスコップを取り出した。
スコップやシャベルはテントの設営時に役に立つからキャンプ時にはなるべく持参するようにしている。
特に今日は雪中キャンプの予定だったので、雪かきに必須と思い、掘るときに足をかけることができる大きいタイプを持って来ていた。
千明からスコップを受け取ったリンは目を細めた。
「これはシャベルだろ」
「え? シャベルっていうのは、園芸とかに使う小さいヤツのことだろ? これは大きいからスコップだ」
「それは関東地方特有の言い方だ。関西では、大きいものをシャベル、小さい方をスコップと呼ぶことが多い」
「確か羽生蛇村でもその呼び方をしてたな」
「どこだよそれ」
「でもよ、山梨は関東だから、大きい方がスコップでいいんじゃないか?」
「シャベルとスコップの違いは企画によってきちんと定められている。
上部の持ち手が平らで掘る部分に足がかけられるのがシャベル、持ち手が丸く足がかけられないのがスコップだ。
これは足をかけるところがあるからシャベルで、スコップではない。
また、シャベルは英語、スコップはオランダ語で、元々は同じものだ」
「別に呼び方なんかどうでもいいから、それをどうするんだ」
「お前が間違った覚え方をしているのが悪い」
そう言うと、リンはスコップ改めシャベルを使って蛇腹板の周りの雪を掘りはじめた。
少し掘ると、『待合所』と書かれた看板が現れた。
どうやらこの小山はバス停の待合所に雪が降り積もったもので、上部から出ていたのはトタン屋根の先端だったようだ。
「思った通りだ」
と、リン。
「もう少し雪をどかせば中に入れる。ここで雪を避け、天気が回復するのを待とう」
「判った。しかし、よくこんなの見つけたな」
「たまたま目に入って、もしかしたらと思っただけだ。とにかく急ごう」
リンはさらにシャベルで雪をかき分け始めたので、千明もそれを手伝う。
シャベルもしくはスコップは一本しかないので、荷物の中から愛用のスキレットを取り出して雪を掘り返した。
手塩にかけてシーズニングを繰り返した千明の相棒とも言えるスキレットをこのように使うのは心苦しいが、命には代えられない。
しょせんワンコインで買える安物だし。
降り積もったばかりの雪はまだ柔らかく、五分ほどで、小柄な千明とリンなら何とか中に入れる広さの穴ができた。
「これでいい。入るぞ」
リンと二人、穴の中にもぐりこむようにして入る。
雪は待合所の中まではそれほど入りこんでおらず、二人で身を寄せ合うには充分すぎるほどの広さだった。
三方は木の板壁に囲まれ、正面は雪が降り積もって雪の壁になっているので、雪と風は充分遮られる。
それだけで温度が一〇度以上も増したように思った。
「千明、ブランケットがあったよね?」
リンの問いかけに、千明は「ああ」と頷き、バッグの中からブランケットを取り出した。
すると、いきなりリンが抱きついてきた。
「お……おいリン、こんな時に、変な気を起こすな」
千明は照れた声を上げる。
「でも、お前がどうしてもって言うなら、一回くらいならいいぞ。ただし、イヌ子となでしこにはナイショだからな」
「バカ。なに言ってる」
リンは顔を真っ赤にして言うと、抱きついた状態でブランケットをかぶった。
「こうした方が寒さをしのげる。今はとにかく、体温の低下を避けるんだ」
「なんだ。つまんないの」
千明が唇を尖らせると、リンは
「まあ、そんな冗談が言えるなら大丈夫だ」
と、顔をほころばせた。
二人は身を寄せ合ってブランケットをかぶり、待合所の木組みのベンチに座って寒さに耐えた。
待合所の中は温かいが、それでも、この状況でどれだけ耐えられるかは判らない。
温かさは充分なように思うが、所詮は素人の考えだからあまりアテにはならない。
せめて朝には雪がやめばいいが……二人は身を寄せ合い、天気の回復を祈った。
「……リン、ゴメンな」
千明が謝ると、リンは
「うん? 何が?」
と首を傾ける。
「あたしがスキーをしたい、なんてワガママ言ったばかりに、お前をこんな目に遭わせて……全部、あたしのせいだよ」
「それは違う。あたしもスキーに行くことを認めたから、あたしにも責任はある。あたしも、千明とスキーをしたかったからな」
「リン……お前ってやつぁ、ホントに優しいな……」
ぐすん、と千明は洟をすすった。
「あたしの計算では、スキーをしたいと言い出した千明が7、スキーに行っていいと言ったなでしこが2、一緒にスキーに行ったあたしが1、の割合で悪い。
だから、千明が全部、ということはないぞ」
「ああ、そういうことか」
「冗談だ。それより、食料はなにがあるの?」
「えっと、パックのご飯と缶詰とカップめんとお菓子とかだな。
あたし一人が普通にキャンプで食べて一日分だ。
なでしこが食べれば五分でなくなると思うけどな」
「あいつが持って行かなかったのは運が良かったな。
まあ、それだけあれば充分だ。
天気予報では明日は晴れだったから、一晩くらいなら何とかなるだろう」
「配分は、あたしが9でリンが1だからな」
「おい。せめて7:3にしろ」
「冗談だよ」
ちあきがにひひと笑うと、リンも「まったく……」と言って、また頬を緩ませた。
千明は、こんな状況でも冗談が言い合えるリンを頼もしく思った。
完全に道を見失い、ただやみくもに進もうとして千明を静止し、この待合所を見つけ出して吹雪を避ける場所を確保、千明がネガティブな気持ちにならないように励ます――本当に頼もしいヤツだ。
彼女が野クルに入ってくれれば、自分なんかよりよほど頼りになる部長になるだろう、とも思う。
「……千明」
不意に、リンの表情が険しくなった。
「うん? なんだ?」
「なにか聞こえない?」
「なにか?」
そう言われ、千明は耳をそばだてた。
相変わらずごうごうと風が吹き付ける中、ザク、ザク、と、雪を踏みしめる音が聞こえる。
それは少しずつ大きくなっており、どうやらこちらへ近づいているようだ。
「誰か来たのかな?」
そう言った後、千明ははっと目を開く。
「もしかしたら、救助隊かも。あたしたちの到着が遅いから、なでしこが119に連絡したのかもしれない」
「いや、連絡していたとしても、この雪じゃ救助隊も捜索できないと思う。人間がまともに歩けるような状態じゃない」
「人間じゃない……ってことは、なんだ? まさか、雪女とか、幽霊とか? なでしこがそんな話をしていたが」
「それならまだマシだろうな」
リンは冷静な口調で言った。
怖がるような様子はない。
なでしこと違い、リンは幽霊などの怪談話は信じない方だ。
リンは続ける。
「こんな雪の中を歩けるのは野生動物くらいのものだ。
キツネやウサギくらいなら大丈夫かもしれないけど、シカとかだったちょっとヤバい。
もしクマだったら最悪だ」
「クマなら冬は冬眠してるだろ?」
「そうとも限らない。最近は、冬になっても冬眠しないクマの目撃情報が相次いでいる。
理由はいろいろ考えられるけど、一番の理由はエサだ。
クマが冬眠するのは、冬になると山でエサが取れなくなるからだ。
でも、人里に下りれば冬でも充分なエサにありつける。
そのことを覚えたクマは、冬になっても冬眠せず、人里へ下りてくるんだよ。
そして、そういうクマは概ね凶暴で危険らしい」
「お前、ホントにそういうことよく知ってるよな」
「ダテに本を読みまくってないからな。
とにかく、野生動物だったらヘタに騒いだりするんじゃないぞ。
刺激しなけりゃ、向こうもそうそう手を出してはこないはずだ」
「了解だ」
二人は息を殺してじっとしている。
ざくざくという音はどんどん大きくなる。
そのまま通り過ぎてくれれば……と思うが、どうもまっすぐこちらに向かっているようだ。
匂いをかぎつけているのかもしれない。
大丈夫。ここに入るための穴は小さいから、クマでは入れないだろう。
いや、穴熊というくらいだからクマは穴掘りの名人ならぬ名熊なのか?
千明たちが五分で入ったくらいだから、クマならひとかきかもしれない。
ともかくここはリンの言う通りおとなしくしているのが一番だろう。
ザク、と、音が待合所の前で止まった。
びくり、と身を固くする千明とリン。
すると。
「――こんばんは。すごい雪ですね」
吉○新喜劇だったら全員ズッコケるほど緊張感のない挨拶がされた。
見ると、千明たちが空けた穴から、三十代くらいの女性が覗き込んでいた。
「いや人間かよ」
条件反射的にツッコミを入れるリンに、女性は「はい?」と首を傾けた。
「いえ、こっちの話です。すみません」
と、千明が詫びる。
「こんな雪の中、なにしてるんですか?」
まるで小雨で雨宿りしている人に声をかけるかのような気安さで女性は言う。
ひょっとして、吹雪で身動きが取れず遭難状態だと思ったのは千明たちが雪に慣れていないだけで、この辺りではこれくらいの雪は普通なのだろうか?
「えっと、あたしたち、スキー場からラディウスっていうペンションへ向かう途中だったんですけど、雪が酷くて身動きが取れなくなり、ここで天気が回復するのを待ってたんです」
「ああ、そうだったんですか。
でも、ラディウスは完全に反対方向ですね。
この雪の状態だと、今から向かうと一時間以上はかかると思います。
ここから一〇分くらいのところに他の宿泊施設がありますから、良かったらあたしと一緒に来ませんか?」
女性は親しみやすい笑顔で言った。
ここから一〇分。女性は簡単そうに言うが、この雪の中そう簡単に行けるとは思えない。
実際、スキー場からラディウスまでは十五分ほどだったのだが、そこへ向かう途中に迷ってこの有様なのだから。
「いえ、この吹雪の中、動くのは危険だと思うんです」
リンが言った。
「あなたも、ここで雪を避けた方がいいですよ? もう一人くらいなら入れますから」
「ああ。この雪なら、もうすぐやみます」
女性は笑顔を深めて言った。
もうすぐやむ? そんなバカな、と、千明は内心思った。
風は相変わらずごうごうと音を立てて吹き付けており、千明たちが掘った小さな穴からでも雪は少しずつ入りこんでくる。
とてもすぐやむような状況とは思えない。
しかし。
「ほら、今から晴れますよ」
女性がそう言うと、あれほど強く吹き付けていた風が、ピタリとやんだ。
「へ?」
ぱちぱちと目を瞬かせた後、千明とリンは顔を見合わせる。
ごうごうと獣が唸るような風の音は聞こえなくなり、そよ風すらも吹いてないようにしんと静まり返ってしまった。
二人がブランケットから出て穴から外を見ると、女性が言った通り本当に雪も風も治まっていた。
それどころか、午前中からずっと空を覆っていた雪雲もきれいさっぱりどこかへ行ってしまい、キラキラと星が瞬いてさえいる。
「ほら、やんだ。さあ、行きましょう」
お天気アプリのテレビCMで見たようなセリフを言う女性。
キツネにつままれたような気持ちではあったが、確かに雪はやんでいるし、これなら動いても大丈夫かもしれない。
「あ、でも、大丈夫かな」
穴から出た千明は、自分の財布の中身を思い出して言う。
「あたしたち、雑誌の懸賞で当てたチケットを使って宿泊する予定だったので、あまり持ち合わせがないんです。
今からでもラディウスへ行った方がいいかもしれません」
「いや」
リンも出てきて、そして千明の言葉に首を振った。
「雪がやんでも、道がこの状態じゃ状況はあまり変わらないと思う。
道もよく判らないし、あたしたちじゃ、また迷ってしまいかねない。
この人の言う通りにしよう。
大丈夫。たとえ宿泊費が足りなくても、事情を話せば追い返されたりはしないだろう。最悪、家に電話して親にお金を持って来てもらえばいい。
ともかく今は安全な場所へ行くのが先決だ」
「そうか、そうだな。よし、そうしよう」
千明は同意し、そして女性に手を合わせる。
「じゃあ、お願いします」
「はい。じゃあ、着いて来てください」
女性はにっこりと笑うと、二人を先導し、雪をかき分けて歩きはじめた。