「――というわけで、そっちへ向かおうにも道が雪に閉ざされててとても歩けるような状態じゃないから、今晩はここに泊まることにするわ」
ペンション・オフピステの受付小屋で、千明は窓から外を見ながらスマホでなでしこと話していた。
窓の外は相変わらず静かなもので、空には満天の星空が広がっており、もう雪が降る気配は微塵も無い。
オーナーの話によると、朝になって除雪車が動けば歩けるようになるだろう、とのことだった。
≪うわあぁん! 二人が無事で良かったよおぉー!≫
電話の向こうでむせび泣くなでしこ。
なでしこは吹雪きはじめる前にペンションに到着して難を逃れていた。
いつまでたっても到着しない千明たちを探しに行こうか迷ったそうだが、やはり雪が強くて外に出ることはできず、ずっと心配していたようである。
「ゴメンな、なでしこ。あたしがスキーがしたい、なんて言ったばかりにリンを危険な目に遭わせて、その上お前を一人にしてしまって……みんなで楽しく温泉サウナを満喫するはずだったのに、全部あたしのせいだよ」
≪そんなことないよ! 二人に、スキーに行っていいよ、って言ったのはあたしだし、あたしが一番悪いよ! ゴメンね! あたしのせいで二人を怖い目に遭わせて……うわああぁぁん!!≫
「夜中に大声を出して通行人を驚かせる妖怪か」
リンが千明の横からツッコミを入れ、さらに話す。
「大丈夫、千明もあたしも、ケガも何もしていないから。それより、チケットは二枚あるんだよね? だったら、両方使って二人分の食事ができないか、スタッフさん訊いてみたらどう?」
すると、なでしこはピタリと泣き止んだ。
「え? リンちゃんたちの分、食べていいの?」
「ああ。使用期限があるから、今日を逃したらもう機会はないからな」
「判った訊いてみるねありがとうリンちゃんアキちゃんにもよろしく!」
なでしこは早口で言って電話を切った。
千明とリンは顔を見合わせ、やれやれと肩をすくめた。
「まあ、一人にしてしまったことは、今度何か埋め合わせをしよう」
千明が言うと、リンも「そうだな」と頷いた。
「ま、アイツのことだから、すぐに他の宿泊客と仲良くなるよ」
二人の様子を見ていた鈴木が、
「残念でしたね」
と声をかけてきた。
「ラディウスは老舗のペンションなので、料理も美味しいって評判ですから」
「そうなんですよね。まあ、あたしは自業自得なんですけど、リンとなでしこには悪いことをしました」
鈴木はふふっと笑うと、
「良かったら、あっちで、みんなとお茶しませんか? あったかい飲み物と、お菓子やおつまみとかあるみたいですよ?」
鈴木がロビーを指さした。
テーブルで三人の男性客が飲み物と食べ物を囲んでいる。
三十代前後の男性二人と、それより少し年下の男性だ。
千明たちと目が合うと、
「みなさんもどうぞ」
と、笑顔で誘ってくれた。
「やった。じゃあ、おじゃましまーす」
千明たちはそこへ加えてもらうことにした。
六人はそれぞれに挨拶をする。
三十代前後の男性二人は寒林と冬野と名乗った。県内に住む会社員で、週末の休みを利用してスキーに来たそうだ。
もう一人の男性客は温井という県外の大学生で、登山部に所属しており、今度この辺りで行う登山の下見に来たのだと言う。
千明とリンはココアを、鈴木と温井はコーヒーを、寒林と冬野はビールを飲みながらお菓子やおつまみを食べる。
六人はすぐに打ち解けることができた。
「――そうでしたか、それは災難でしたね」
千明がこの施設に来るに至った経緯を話すと、寒林たちは同情する口調で小さく笑った。
「ええ。でも、途中で鈴木さんに会えて良かったです。あのまま二人で雪に閉ざされたバス停にいたら、今ごろどうなってたことか……」
雪がやんだとはいえ、積雪で身動きが取れなければ、状況はあまり変わらなかったであろう。
夜になって気温が下がれば最悪凍死、春になって雪が溶けるまで発見されなかったことさえあり得る。
そう考えると、千明は寒気を覚えた。
「それにしても、ここに来られたのは幸運でした」
千明はてへっと笑うと、
「皆さんは、どの小屋に泊まられてるんですか?」
と訊いてみた。
「僕は、一番安い3等小屋です」
温井が答え、オフピステのパンフレットを取り出して施設内マップを広げた。
「ここの、9号小屋です」
千明たちが借りたのは5号小屋で、温井が指さした9号小屋はかなり離れていた。
パンフレットには宿泊費も書かれてあり、7号から9号は最も安く設定されている。
「あたしは1等小屋にしたの」
鈴木がマップを指さす。
「登山の前の夜は、いつもちょっと贅沢をするようにしているからね」
鈴木が示したのは1号だ。
こちらは風呂トイレ暖房などの設備が整い、食事も夜と朝の二食付いているが、その分宿泊費は千明たちの泊まる2等小屋よりもかなりお高めだ。
「僕たちは、2等小屋を借りてるよ」
そう言って、寒林が指さしたのは、施設内では他の小屋から少し離れた場所にある4号小屋だった。
値段を確認した千明は、あれ? と首を捻った。
2等小屋はストーブと簡易的なベッドと風呂トイレキッチンがあり、1等小屋と3等小屋の中間という位置づけのはずだ。
千明たちが借りた5号小屋と同じで、当然、宿泊費も同じような値段になるはずである。
実際、いくつかあるほとんどの2等小屋は千明たちと小屋と同じ宿泊費なのだが、寒林達の泊まる4号小屋だけが、なぜかかなり高めに設定されていた。
その値段は、2等小屋であるにもかかわらず鈴木が借りた1等小屋とあまり変わらない。
他の2等小屋と比べると、明らかにその小屋だけ高く設定されているのである。
「この4号小屋だけ、他の2等小屋と比べると高いんですね」
千明は首を傾けて質問する。
「なにか、他と違う点でもあるんですか?」
すると、寒林はなにやら含みのある笑みを浮かべた。
「そうなんだ。実は、その4号小屋は、ちょっと秘密があってね」
「秘密?」
千明が身を乗り出して話を聞こうとしたら、フロントにいたオーナーの小屋原が「寒林さん」と名を呼び、言っちゃダメです、というように人差し指を口元に当てた。
すると寒林は、
「ああ、そうだったそうだった」
と言って、手のひらで口を押さえた。
どうやら話してはいけないことらしい。
無論、そんな態度をとられると、千明としては逆に興味が湧いてくる。
「秘密ってなんですか? 教えてくださいよ」
千明がそう言うと、鈴木と温井も興味を持ったのか身を乗り出した。
三人から見つめられ、寒林は困ったなぁというような顔をしたが、やがてオーナーに意味ありげな笑みを浮かべて一度頷くと、話し始めた。
「実はね……この小屋、
声のトーンを極端に落とした寒林は、胸の前で手のひらを垂らした。
「……え?」
千明と鈴木と温井が声を上げた。
その反応に満足したような顔で寒林は続けた。
「聞いたことないかい? 昔、この地域で訓練中の日本軍が遭難したって事件」
「ええ。確か、雪中行軍訓練中の事故だったんですよね?」
千明が答える。
「そうなんだ。
事故が起こったのは、日露戦争直前の明治三十五年の二月。当時ロシアとの戦争に備えていた陸軍が、雪中での戦闘を想定した行軍訓練を行ったんだ。
でも、途中で猛吹雪に遭い、全二百十人の兵隊の内百九十九人が凍死する大惨事になったんだよ。
その幽霊が、今もこの辺をさまよっているらしいんだ」
「…………」
リンは、無言で寒林を見つめながら話を聞いている。
なでしこと違い、リンはこういう怖い話を怖がったりはしない。
むしろ千明と同じくホラー好きな方で、キャンプ中は二人で夜中まで恐怖映像の動画を見たりすることもある。
寒林は話を続ける。
「これも聞いたことないかい? この山では、今でも遭難による死亡事故がたびたび起こるんだけど、どういうわけか、遭難者は真冬なのに裸同然の姿で発見される、って」
「ええ、それも聞きました」
千明は頷く。
ついさっき、千明も猛吹雪に遭って遭難しかけた。
あんな状況で服を脱ぐなど、正気の沙汰とは思えない。
なぜそのような奇行に至ったのだろう。
「それは、日本兵の幽霊のしわざじゃないかって言われてるんだ」
寒林さんが千明の疑問に答えるように言った。
「凍死した兵の霊が、服を剥ぎ取って行くんじゃないかって」
「でも、それが、ここの小屋とどう関係するんですか?」
「その日本軍の兵隊たちが、当時拠点にしていたのがこの辺りなんだ。
昔、この辺は山で猟をする人や富士山で修業をする僧侶たちが使う山小屋が集まっていてね、軍はそれを利用したそうなんだ。
今は観光客向けの宿泊施設になって、ほとんどの小屋は建て替えられたけど、僕たちが泊まる4号小屋だけは当時のままでね。
山で凍死した兵隊の幽霊が、暖を求めて夜な夜な集まってくる、って話なんだよ」
「なるほど。それで、その部屋を選んだんですね」
千明は納得の表情で頷いた。
「海外じゃ、幽霊が出る部屋は『当たり』とされて、値段が高く設定されることもあるらしいからね」
リンも言った。
さすが心霊マニアの心情をよく判っている。
なでしこなら意味が判らなくてパニックに陥っていたかもしれない。
「あ、これ、ここだけの話にしておいてね」
寒林が人差し指を立てて口元に当てた。
「オーナーさんから口止めされてるから」
「そうそう」
と、冬野が頷く。
「あまり悪いウワサが立つのも良くないし。動画クリエイターとかがネットで紹介したりすると、いろいろと面倒だからね」
「確かに」
と、千明も頷く。
動画クリエイターがネットの配信サイトで心霊スポットを紹介した結果、興味本位でそこを訪れる人が続出し、騒音やゴミなどの迷惑行為で近隣住民とトラブルになるケースは少なくない。
「それにね……」
と、寒林がまた声のトーンを落とした。
「この話を聞いた人の元には、一週間以内その日本兵の幽霊が現れるらしいんだ……ほら! 大垣さんと志摩さんの後ろにも!」
「へ?」
千明とリンは後ろを振り返る。
が、そこには薪ストーブがぱちぱちと燃えているだけだった。
「…………」
「…………」
二人は視線を寒林に戻した。
「なにもいませんよ?」
「あれ? もっと怖がると思ったのに」
寒林は苦笑いで言う。
どうやら二人を怖がらせようと思って言ったことらしい。
「あ、すみません。あたしたち、怖い話には結構なれてるんです」
なでしこがいたら大いに怖がっただろうが、残念ながら千明もリンもこのテの話には慣れている。
怪談話を聞いた人の元にその幽霊出る、というのも、怖い話としては定番で、寒林には申し訳ないが、二人を怖がらせるには物足りないと言わざるを得ない。
「なんだ、つまらないなぁ」
寒林は残念そうに頭に手を当てると
「一応、安心して。幽霊が出るのは僕らが借りた4号小屋だけだから」
と言った。
「まあ、あたしたち怖い話は好きですけど、幽霊の存在自体はあんまり信じてないんで、大丈夫です」
千明がそう言った時。
どんどん、と、玄関のドアが叩かれた。
かなり大きな音だった。
怖い話には慣れている千明も、思わずビクッと身を震わせてしまう。
リンもぱっと視線を玄関へ移し、寒林や温井たちも、はっと息を飲んだ。
みんな、無言でドアを見つめる。
ドアはそれ以上鳴らず、静かなままだ。
薪ストーブが燃えるぱちぱちという音だけがロビーに響く。
「……お客さん……かな……?」
温井が恐る恐るという声で言った。
さあ、と、みんな首を捻る。
まだ夜も浅い時間だ。人が来ても別におかしくはない。
しかし、ここは個人の部屋ではなく宿泊施設のロビーだ。
宿泊の受け付けはまだしているので、鍵はかけられていない。
ノックして入る人など、まずいないように思う。
千明はフロントを見るが、オーナーはいつの間にかいなくなっていた。
厨房で食事の準備をしているのかもしれない。
厨房は奥にあるので、ノックの音が聞こえたかどうかはわからない。
フロントには呼び出し用のブザーがあるので、ドアをノックするなどオーナーも想定していないはずだ。
「――開いてますよ? どうぞ?」
千明は、思い切って言ってみた。
ドアは静寂したままだ。
「誰かいますか?」
千明は席を立ち、ドアへ近づいて声をかける。
それでも返事は無い。耳をそばだてるが、人がいるような気配もない。
千明はドアを開けた。
からんからん、と、ドアベルが鳴る。
外の冷たい空気が室内に流れ込んでくる。
ドアの外には、誰もいなかった。
千明は外に身を乗り出して周囲を確認しようとした。
すると。
「千明――」
リンが、後ろから声をかけてきた。
「上、気を付けて」
「え? 上?」
千明が上を見ると、屋根からいくつものつららがぶら下がっていた。
溶けかけて落ちそうなものもある……と思っていたら、案の定その一本が折れ、どす、と、重い音を立て、地面の雪に深々と刺さった。
「うお、あぶねー。身を乗り出してたら、頭を直撃してたかも。サンキュー、リン」
「ああ。それより、ノックした人はいた?」
「いや、誰もいない」
千明は周囲を一通り見て言った後、リンを見てにひひと笑い、声のトーンを落として続ける。
「もしかして……幽霊が来たのかもな」
「……そうかもしれないな」
リンは冷めた目で千明を見ながら言った。
「ちぇ。つまらないヤツだな。さっきの寒林さんの時もそうだけど、誰かが怖い話をしたら、もっと怖がってあげるのがマナーってもんだぞ?」
「お前も怖がってなかっただろ」
そう言った後、リンも外を見て、誰もいないことを確認した。
「ま、誰もいないんなら、気にしないでいいんじゃないか?」
「そうだな」
千明は頷いた。
降り積もった雪の上にはいくつもの足跡がある。
千明たちがここに来る前に雪はやんだから、この足跡は千明たちのものだろう。
しかし、かなりたくさんあるので、後から別の人が来てもいても足跡だけでは判らないかもしれない。
つまり、誰かが来てノックをし、その後立ち去った可能性があるのだ。
何のためにそんなことをしたのかはまでは判らない。
ノックした後用事を思い出して帰ったのかもしれないし、ただ驚かせようとしただけかもしれない。
なんにしても、リンの言う通り気にしないでいいだろう。
二人はドアを閉め、寒林達の元へ戻り、誰もいなかった旨を告げた。
「――さてと、じゃあ、あたしはご飯の前にお風呂に入っとこうかな」
鈴木がぱん、と手を叩いて立ち上がった。
「じゃあ、僕も小屋に戻ります。登山ルートの計画を練らないと」
温井も立ち上がった。
「では我々も」
と、寒林と冬野も立つ。
「じゃあ、あたしらも小屋に行くか」
千明たちは奥の厨房にいるオーナーに挨拶をすると、屋根にぶら下がるつららに注意しながら外へ出た。
雪は相変わらず降り積もっているので一歩一歩ゆっくりと進み、時間をかけて千明たちの小屋へたどり着く。
入るときにもつららに注意しなきゃな、と思って屋根を見たが、千明たちの小屋の屋根には雪が降り積もっているだけで、つららは一本も垂れ下がっていなかった。
「じゃあ、おやすみ」
寒林達がそう言って自分たちの小屋へ向かう。
彼らの4号小屋は千明たちの小屋から少し離れているが、ライトで照らすと見ることができた。
千明たちの小屋と同じように屋根に雪が降り積もっているが、やはりつららはぶら下がっていない。
小屋の大きさは千明たちのものより一回り以上小さいものの、ここから見る限りそれほど古くないように思える。
4号小屋は日本兵が遭難した事件当時のまま、という話だったが、とてもそうは見えない。
「千明、行くよ」
リンが小屋の前で読んだので、千明はまあいいかと思い、リンの後から中へ入った。