その夜、千明は奇妙な夢を見た。
……などということもなく、朝までぐっすりと眠った千明は、実に気持ち良く目を覚ますことができた。
うーん、と思いっきり伸びをした後、メガネをかけ、時計を確認する。
時刻は七時。
カーテンの隙間から朝日が射し込み、外からは小鳥のさえずりも聞こえる。
昨日の吹雪から一転、今日は冬晴れの爽やかな一日となりそうだ。
千明はベッドから抜け出すと、ストーブに火を入れた。
リンはベッドの上段で布団にくるまって眠っている。
もうすぐ起きるだろうから、それまでに食事の支度をしておこうかな、それともまずシャワーを浴びようか、などと考えていると。
「――うわあ!」
外から男の人の悲鳴が聞こえてきた。
なんだ? と思っている間に、「きゃあ!」と、女性の悲鳴も続く。
外で何かあったのだろうか。
カーテンを開けて窓から外を見ると、温井と鈴木と思われる人影が見えた。
降り積もった雪の中、立ち尽くしている。
「……今のは、悲鳴か?」
声で目を覚ましたのだろう、リンがベッドの上に身を起こしていた。
「そうみたいだ。何かあったのかもしれない。ちょっと見てくる」
「待って。あたしも行く」
千明とリンは素早く着替えをし、玄関のドアを開けた。
「おい千明、上、気を付けろ」
先に外へ出ようとした千明を、リンが注意する。
上を見ると、玄関の上の屋根からつららがぶら下がっていた。
見える限り、小屋の屋根の先にはまんべんなくぶら下がっている。
昨日の夜小屋に入った時は無かったので、夜中にできたのだろう。
千明とリンは頭をかばってつららの下をくぐり抜け、温井と鈴木の元へ向かう。
「……あ!」
温井たちに声をかける前に、千明はその異変に気が付いた。
雪の上に、人が倒れているのだ。
温井と鈴木は、それを見て悲鳴を上げたのだろう。
「あれは……寒林さんか……?」
倒れている人の顔を見て千明が言うと、リンが、「ああ」と頷き、
「あそこにも誰か倒れてる。たぶん、冬野さんだろう」
と言って、寒林から少し離れた場所を指さした。
リンの言う通り、そこにも人が倒れていた。
千明は温井たちに声をかけた。
「あれは寒林さんと冬野さんですよね? いったい、何があったんですか?」
千明の問いかけに、二人とも判らないというふうに首を振る。
朝、チェックアウトするため温井が外に出たら、雪の上に人が倒れていたので声を上げ、それを聞いた鈴木が外に出てきて、同じように悲鳴を上げたそうだ。
寒林と冬野はピクリとも動かない。
奇妙なのはその格好だ。
二人とも、かなり丈が短いショートパンツを一枚はいているだけなのだ。
それ以外の衣服は何も着ておらず、帽子やイヤーウォーマーやマフラーや手袋などの防寒具はもちろん、靴下や靴さえ履いていない。
昨夜の気温は氷点下まで下がったはずだ。
極寒の雪の中、どうして裸同然の姿で外にいるのだろう。
――凍死した兵の霊が、服を剥ぎ取って行く。
千明は昨夜の寒林の話を思い出した。
寒林達が泊まった部屋には、雪中行軍訓練中に遭難死した兵隊の幽霊が現れるという。
その幽霊が、ふたりの服を奪っていったのだろうか。
いや、そんなはずはない、と思い直す。
千明は幽霊の存在などあまり信じていないし、あの話は創作だとリンも言っていた。
千明は倒れている寒林と冬野の方へ向かう。
リンも後ろからついてきた。
倒れている二人は苦悶に満ちた顔をしていた。
何か、とてつもなく恐ろしいものを見たか、とてつもない苦痛に襲われたかのようだ。
息はしておらず、腕をとって脈をみてみたが反応はない。
死んでいるとみて間違いないだろう。
「――もしもし、事件です」
千明の後ろで、リンがスマホから警察に通報していた。簡単に状況を伝え、電話を切る。
「雪の状況にもよるが、道路の除雪が終わっていれば一〇分くらいで着くそうだ」
千明は頷くと、再び寒林達を見た。
二人とも外傷はなく、争ったような形跡もない。
雪の上には、寒林と冬野のものと思われる裸足の足跡が、4号小屋から点々と続いていた。
「衣服は、無いな」
周囲を見回したリンが言った。
確かに、見える範囲には彼らの衣服は無い。
「……誰かが持って行ったのか?」
千明は言った。
「その可能性も無いとは言い切れないが、金目のものならともかく、服を持っていくなんて、いまいち理由が判らない。
寒林さんたちの足跡以外はないようだし、おそらく、小屋で服を脱いで外に出たんだろう」
リンは冷静な口調で答えた。
確かに、常識的に考えるとそうなる。
昔話の山賊じゃあるまいし、身包みを剥いで全てを持って行ったりはしないだろう。
無意識に日本兵の幽霊を意識していたのかもしれないな、と、千明は思った。
「ちょっと小屋を見てくる」
そう言って、リンは寒林達が使っていた4号小屋の方へ移動する。
なにやら随分と積極的だ。
「どうしたリン。なんか、らしくないな?」
後を追いながら、千明は小さく笑う。
「そうか?」
「ああ。お前なら、『警察が来るまで素人が余計なことをするな』とか言いそうだが」
「これが殺人事件で、警察がいつ到着するか判らない、いわゆる『クローズド・サークル』的な事件だったら、そうしたかもな」
「クローズド・サークル?」
「ああ。ミステリー作品のジャンルのひとつで、嵐で荒れた孤島の別荘や、雪で閉ざされた山荘など、外部との行き来ができない閉ざされた場所で起こる事件を扱ったモノだ。
おそらく世界一有名な作品が、『そして誰もいなくなった』だな。
クローズド・サークルモノは、警察の手が及ばない場所で事件が起こるから、誰が犯人か判らず、登場人物たちが疑心暗鬼になり、犯人を見つけ出そうと躍起になる、という展開が多い。
結果、無実の人に罪をなすりつけたり、最悪第二第三の殺人に繋がったりもする」
確かに、千明もそういう作品をドラマや映画で観たことがある。
「でも」
と、リンは続ける。
「この事件では警察がすぐ到着するし、あたしの見立てでは殺人の可能性は低いから、真相を暴こうとして犯人から襲われる危険もないだろう。
それに、ちょっと気になることもある」
「気になること?」
「ああ。まあ、警察には怒られない範囲で調べるだけだから、安心しろ」
千明とリンは4号小屋の前までやってきた。
玄関のドアは開けっ放しになっており、すぐ上の屋根からは溶けかけのつららがぶら下がっていた。
千明たちの小屋と違い、つららがあるのはドアのすぐ上の屋根だけで、他の場所には一本もない。
さすがに中には入らない方がいい、とリンが言うので、二人は開けっ放しのドアから中を見るだけにする。
広さは六畳ほど。
机と椅子とストーブ、そして、簡易的なベッドに布団があるだけだ。
ストーブは薪を使うタイプで、かなり大きなものだった。
千明たちの小屋のストーブの三倍ほどの大きさがあり、明らかに部屋の広さに合っていないように思う。
炎はまだくすぶった状態だ。
おそらく火を点けたまま外に出たのだろう。
机の上には日本酒のカップやワインにウィスキーの瓶、そしておつまみが置かれていた。
昨夜は酒盛りをしていたようだ。
「衣服はあそこにあるな」
リンが部屋の隅を指さした。
古い銭湯で見かけるような竹を編んだ丸かごがあり、その中に畳まれた状態の衣服があった。
「リンの言う通り、小屋で服を脱いで外に出たようだな」
千明は言った。
「この様子だと、昨夜は酒盛りをしていたようだから、大方酔っぱらった勢いで服を脱いで外に出た、ってところか?」
千明の推理に、リンは「うーん」と唸る。
筋としては通るはずだが、どうも納得していない表情だ。
遠くでサイレンの音が聞こえてきた。
通報から一〇分ほど。どうやら道路の除雪は終わっているようだ。
「これ以上は怒られるかもしれない。いったん戻ろう」
リンがそう言ったので、千明たちは4号小屋から離れた。