警察が到着すると、すぐに捜査が行われた。
捜査を指揮したのは小池という名の刑事だった。
ボサボサ頭にトレンチコートと、見た目は冴えない中年男だ。
「――では、大垣さんに志摩さん。昨夜から今朝にかけてのことを、簡単に話してください」
受付小屋のロビーで、テーブルを挟んで三人が座る。
取調べ――のような雰囲気はない。
小池刑事の顔はにこやかで、ちょっとした雑談をするかのようだった。
フロントには山小屋施設のオーナーが仕事をしている。
重要な取り調べなら、第三者に話が聞こえるような状況で行ったりはしないだろう。
ふたりはこの小屋に来るに至った経緯から、昨夜のことを話す。
吹雪で道に迷い、鈴木の案内でこの施設に来たこと。
雪で予定していたペンションに向かうことができなかったので、やむを得ずここに泊まることにしたこと。
死んだ寒林と冬野とは、受付小屋のロビーで知り合い、お菓子とお茶を飲みながら自己紹介と雑談をしただけだということ、など。
小池刑事はふむふむと頷きながら時々メモを取る程度で、口を挟まれるようなことはなかった。
「――ご飯を食べた後は眠くなったので、あたしはすぐに寝ました。確か、九時頃だったと思います。
リンが寝たのはその後です。
それで、朝起きてご飯の支度をしようとしたら、外から温井さんと鈴木さんの悲鳴が聞こえてきたので、あたしたちも外に出て、倒れている二人を発見しました。
息はしていませんでしたし、脈もありませんでしたので、その場でリンが通報しました」
千明が話し終えると、小池刑事は
「なるほどなるほど」
と頷いた。
「判りました。では、夜中に何か変わったことがありませんでしたか? なんでもかまいませんので、おっしゃってください」
千明は首を振り
「いえ、特にありません」
と答えた。
「あたしは朝までぐっすり眠っていて、一度も目を覚ましませんでした。リンはどうだ?」
千明が話を向けると、リンも首を振る。
「あたしが寝たのは0時頃です。夜中に一度目を覚ましましたが、特に何もありませんでした」
「そうですか。判りました。大変参考になりました。ありがとうございます」
小池刑事はにこやかな顔のまま言う。
たいして実のある話はしていないはずだが、それでも話はこれで終わりのようだ。
殺人事件とかなら、恐らくこんなに簡単には終わらないだろう。
小池刑事も、千明と同じくお酒に酔った末の事故と考えているのかもしれない。
話が終わったようなので、千明が席を立とうとしたら。
「小池刑事、あの二人は、どうして真冬の夜に、裸同然の格好で外に出たんでしょう? この山では、同じような出来事が頻発してるって聞きましたけど」
リンが、小池刑事にまっすぐな視線を向けて言った。
質問されると思っていなかったのだろうか、小池刑事は一瞬目を大きく見開いたが、すぐまたにこやかに笑う。
「頻発というほどでもありませんが、確かに似たような出来事はいくつかありますな。
どれも不幸な遭難事故で、事件性はないと判断されていますがね。
今回の出来事も、恐らく同じでしょう。
まだ捜査段階なので断定はできませんが、あの二人の小屋からはお酒のカップやら瓶やらがたくさん見つかってます。
お二人の身体には外傷はありませんでしたから、大方、昨晩酒盛りをして酔っぱらい、裸で外に出て、そのまま雪の上で寝てしまったんでしょうな。
実は私も同じような経験がありましてね。まあ、その時はまだ秋の中ごろでしたから、大事には至らなかったんですが」
むっふっふ、と小池刑事は笑うと、
「いえ、失礼しました。御協力感謝します。何かあったら、またご連絡します。まあ、なにもないでしょうけどね」
と言って、これでおしまいと言わんばかりに、ドアの方へ手を向けた。
今度こそ話は終わったものと思い、千明は席を立ったが、それでも。
「でも、亡くなった二人の衣服は、小屋の中のかごの中に畳まれた状態でありました。酔っぱらった勢いで服を脱いで極寒の外に出るような人が、服を一枚一枚畳んでかごに入れるでしょうか?」
リンは席を立たず、視線を小池刑事に向けたまま言った。
小池刑事は表情を歪めた。
「それはその人の性格によるでしょうな。几帳面な性格の人なら、酔っぱらっていてもちゃんと服を畳むかもしれません。
なんですか? 志摩さん。あなた、まさかこれが殺人事件だとでもおっしゃりたいんですか?」
「いえ、そうではありません。ただ、小池刑事の仰るような、お酒に酔った末の事故ではないように思います」
「お、おいリン。大丈夫か、そんなこと言って」
千明は心配して言う。本当に今日のリンは、らしくない。
「いいんだ。小池刑事が、なんでもかまわないから仰って下さい、と言ったんだからな」
リンは平然と言った。
小池刑事は「ははは」と乾いた笑い声を上げた。
「そうですね。確かにそう言いました。ですが、素人が警察の捜査に口出しするのはあまり感心しませんな。もちろん、お話は参考にさせていただきますがね」
「ええ、話を聞いていただいて、それでどうするかは、警察の方にお任せします」
リンはどうあっても話を続けたいようなので、千明はまた座り直した。
「あたしが気になったのは、つららです」
リンがそう言うと、小池刑事はまた目を丸くする。
「はい? つららですか? あの、屋根からぶら下がっている」
「そうです。この受付小屋や、あたしたちが泊まった5号小屋には、軒先からまんべんなくつららがぶら下がっているでしょう?」
そう言ってリンはロビーの窓に目を向けたので、千明と小池刑事もそちらを見る。
リンの言う通り、窓の外には軒先からぶら下がったつららが見えた。
「確かに、そうですな」
小池刑事が頷いた。
「玄関の軒先にもありましたね。落ちてきそうなものもあるので、危ないな、とは思っていましたが」
リンは視線を小池刑事に戻す。
「それに対し、寒林さんたちが泊まった4号小屋のつららは、玄関の上の軒先だけにぶら下がっていました。気付かれませんでしたか?」
「はて、どうでしたかねぇ? 申し訳ありません。私、そこまで見ていませんでした。いや、志摩さんは、なかなかの観察眼を持っていらっしゃる」
小池刑事はどこかバカにしたような口調で言う。
それがどうかしたのか? と言わんばかりの態度だ。
なんだか千明もだんだん腹が立ってきた。
こうなったら、どうにかしてこの刑事を見返してやりたい、とまで思い始めてきた。
しかし、4号小屋のつららが玄関の軒先にしかなかったことは千明も気付いたが、それが何を意味しているのかまでは判らない。
リンは説明を続ける。
「建物の軒先につららができるのは、屋根に積もった雪が建物内の熱で溶け、滴り落ちているのが寒さで凍るからです。
この受付小屋や、あたしたちが泊まった5号小屋ではストーブを点けていましたから、その熱が屋根の雪を溶かし、それがしたたり落ちて凍った。
だから、軒先にまんべんなくぶら下がっているんです」
なるほど、と、千明は納得する。
確かに、千明たちが5号小屋を使う前はまだつららは無く、朝になったらできていた。
それは、ストーブの熱が原因だったのか。
「でもよ」
と、千明は疑問を口にする。
「ストーブなら、寒林さんたちの4号小屋にもあっただろ?
火は完全には消えてなかったから、寒林さんたちも夜ストーブを使ったはずだ。
なのに、なんで4号小屋にはつららが玄関先にしかできてないんだ?」
「それは、あの小屋の断熱効果が高いからだ」
「断熱効果?」
千明は首を傾けた。
小池刑事を見ると、同じくなんのことかよく判っていないようで、首をかしげている。
リンは説明を続ける。
「つららができる家とできない家の違いは、壁や天井の断熱効果に違いがある。
昔の家は断熱効果なんて無かったから、雪国では屋根からつららがぶら下がり放題だった。
でも、最近建てられた家では、つららができることはほとんど無い。
技術の進歩で断熱効果が高いから、熱が外に漏れないんだ。
熱で雪が溶けないから、つららもできない」
「そうか。4号小屋の玄関は開いていたから、そこから中の熱が漏れ出して、玄関先にだけつららができていたのか」
「そういうことだ」
「でも、寒林さんは、4号小屋は日露戦争前に建てられたままだ、って言ってたぞ? そんな古い小屋が、なんでつららもできないほど断熱効果が高いんだ?」
「それは寒林さんが適当に言ったことだと思う。そもそも、あの怪談話自体が誰かの創作だからな」
小池刑事が「怪談話?」と首を傾けたので、千明は昨夜聞いた日本兵の幽霊が出るという話と、おそらくそれは創作で実際の話ではない、ということを簡単に説明した。
「じゃあ」
と、千明はリンの方を向く。
「寒林さんは、なんでそんなことを言ったんだ?」
「4号小屋は、2等なのにあたしたちが借りた5号小屋と比べて、宿泊料が格段に高くなっている。
寒林さんたちは『幽霊が出る』という話でごまかそうとしたが、それはウソで、恐らく他に秘密があるはずだ」
確かに、昨晩千明が4号小屋だけが宿泊費が高い理由を訊いた時、寒林とオーナーの小屋原が「言っちゃダメ」というふうなやりとりをしていた。
それを幽霊の話でごまかしていたのなら、あの小屋にはどんな秘密があるというのだろう。
リンは、ゆっくりとした口調で続けた。
「4号小屋は宿泊費が他よりも高く設定されていて、断熱効果が極めて高い。
そして、寒林さんと冬野さんは、裸同然の姿で極寒の雪原に飛び出した。
これらの状況から考えると、おそらくあの4号小屋は――サウナだ」
「サ……サウナ!?」
思わぬ指摘に千明は素っ頓狂な声を上げてしまう。
小池刑事は「はあ?」と、目だけでなく口も大きく開けた。
リンは二人の反応を気にした風もなく続ける。
「千明は、『ケロサウナ』って、知ってる?」
「カエル型宇宙人が経営するサウナか?」
「違う。
ケロサウナというのは、ケロという高級木材を使ったサウナだ。
ケロは北極圏より北の地域で採れる木材で、希少価値が極めて高く、木の宝石とも呼ばれている。
このケロサウナは、木自体がリラックス効果のある甘い香りを漂わせるのが最大の特徴だ。
このケロを使ったサウナの究極の形が、ログハウス型のサウナだ。
小屋一軒丸々サウナになっているもので、本場フィンランドではこのログハウス型のケロサウナはサウナーたちの最高のステータスとされている」
「じゃあ、あの4号小屋が、そのケロサウナだって言うのか?」
「いや、あの小屋からはそんな甘い香りはしなかったし、そもそもケロは希少価値が高すぎてそうそう手に入らない木材だ。
日本ではまだまだ数が少ない。
おそらくケロサウナを真似てログハウス状のサウナを建てたんだろう」
「確かに、中の薪ストーブは、小屋の広さに対してかなり大きかったな。あれは、サウナストーブなのか」
「そう。そして、あのサウナで身体を温めた人は、その後どうすると思う?」
リンの問いに、千明は考える。
答えはすぐに思いついた。
サウナに入り、身体を極限まで温める。外は降り積もった雪。
この状況で、サウナーがやることはひとつしかない。
「雪ダイブか!!」
千明はぱちんと指を鳴らして言った。
千明の解答に、リンは満足そうにうなずいた。
「その通り。サウナから出た後、水風呂や外気浴ではなく、外に降り積もった雪に直接ダイブするヤツだ」
「サウナー憧れの体験だな」
うんうんと頷く千明。
確か、あおいと恵那が泊まっているペンション・ダウンヒルでも楽しめたはずで、千明もかなり興味はあった。
「でも、サウナ後の雪ダイブは非常に危険だ。慎重に身体を冷たさに慣らしてからじゃないと、一発で心臓マヒを起こしてしまう。
まして、お酒に酔っぱらった状態じゃあ、なおさらな」
リンの指摘に、千明は「あっ」と声を上げる。
小屋の中にはたくさんのお酒があった。寒林達が酔っぱらっていたのは間違いない。
そんな状態でサウナに入って雪ダイブなど、もはや自殺行為である。
昨今、サウナは空前のブームとなっているが、酔った状態でサウナに入ったり、いきなり冷たい水や雪へ飛び込んだり、あまり知識のないままそういった危険行為に及び、死亡する事故は多発している。
「雪深い場所でのサウナでは雪ダイブを禁止している所も多い。
それでも雪ダイブの魅力にひかれるサウナーは多いんだろう。
この施設のオーナーはそこに目を付け、常連客限定でサウナ小屋と雪ダイブを高い料金で提供しているんだ。
危険を承知の上でね」
リンはフロントに立っているオーナーの小屋原を見た。
オーナーはリンと目が合うと慌てて逸らし、仕事に戻る。
どうやらずっとこちらの様子を伺っていたようだ。
リンは視線を小池刑事に戻した。
「もちろん、これらは素人であるあたしの推理でしかありません。正しいかどうかは、そちらでちゃんと捜査してくださると助かります」
「もし、リンの言う通りで、きちんと捜査せずにそれを見逃していたら、もう一度同じ事件が起こるかもしれませんね」
千明は、してやったりとばかりににんまりと笑って言った。
リンの言う通りなら、いけ好かない刑事の鼻をあかしたことになる。
もし間違っていても、リンは警察に情報を提供しただけで、あらぬ話を吹聴したわけではない。
ごめんなさいで済む話で、捜査のかく乱や名誉棄損とかにはならないだろう。
『捜査というのは決めつけてかかり、間違っていたら「ごめんなさい」でいいんです』と、昔の偉い人も言っている。
小池刑事は机の上に手を置き、リンたちの言い分を吟味するように指でトントンと叩いていたが、やがて立ち上がり、フロントの方へ向かった。
その途端、オーナーは。
「――すみませんでしたぁ!!」
フロントを跳び越え、そのままの勢いで床に土下座したのだった。
千明とリンは顔を見合わせ、お互いにこりと笑うと、ぱちん、と、ハイタッチをかわした。