太陽が照らす海よりも碧く 作:heavy weather
曜と仲直りできた日から、目の前がパッと明るく開けたような気分が続いていた。
スナックのバイトに向かう足取りも、どこか軽くなる。
軽食の仕込みをしていると、笠井さんが言った。
「顔を上げるようになったじゃないか、少年」
「え?」
「いいことでもあったのか?」
「……俺、そんなにうつむいてたか?」
「自分じゃ気が付かないものなのかね、いつもうつむいてたよ」
「そっすか」
へぇ、と思った。
自分の仕草ってのは、自分自身では気が付かないものだ。
いずれにせよ、これは良い変化だ。
顔を上げて見渡すと、景色が変わって見えるようになった。
いつもくすんで見えた田舎町は、俺が思っていたよりも、自然の色彩が豊かで美しい。
燦燦と射す太陽、海の輝き、ミカン畑の木々を揺らす風。
市街地だって、そう捨てたもんじゃない。
一番驚いたのは、スナックの中の景色だ。
ある日の夜、俺が客に頼まれてビールを差し出すと、客が「あんがとよ、兄ちゃん」と言った。
俺は驚いて、そいつの顔を見た。
人のよさそうな60代のおっさんだった。
俺を見て、微笑んでいる。
「今夜はギター弾かないのかい?」
その言葉は、嫌みでも何でもないように感じられた。
「弾いてやりなよ、その皿下げたらさ」
カウンターで笠井さんが言った。
「でも、土曜じゃないけど……」
「いいんだよ、客が求めてるんだから」
笠井さんがへたくそなウィンクをした。
俺は苦笑しながら、ギターを手に取った。
指を慣らすように、軽くミッドナイト・スペシャルのフレーズを弾いてみる。
いい感じだ。
指が軽い。
俺は、これまでうまく弾けなかった曲に挑戦してみたくなった。
ジョン・ハートフォードのジェントル・オン・マイ・マインドだ。
その日、俺はその歌をとちらずにギターを爪弾きながら歌いきることができた。
調子に乗って、そのまま、ミスター・ボー・ジャングルも演った。
それから、トム・ドゥーリーも。
最後のワンフレーズを弾き終えた時、ぱちぱちと拍手が鳴った。
俺が汗をぬぐいながら顔を上げると、5人いる客全員が、微笑みながら俺を見つめていた。
そいつらは、たぶんみんな、このスナックの常連客ばかりだった。
でも、俺ははっきりと顔を覚えていない。
嫌な酔っ払いばかりだと思って、ろくに顔を見ていなかったのだ。
俺は、いかに自分が、うつむいていたかを思い知らされた。
自分のたった一つの居場所だと思っていた場所でさえ、ちゃんと目を向けていなかったのだ。
「アーロ・ガスリーを演ってくれよ」
誰かが焼酎のグラスを掲げながら叫んだ。
「いいぜ、覚えたばっかのを演ってみるよ!」
俺はこの日初めて、アーロ・ガスリーのシティ・オブ・ニューオリンズを演った。
夜の時間に、グッド・モーニングと連呼するのは、少し不思議な気分がした。
・
それから一月ほどが経ち、初夏は夏へと変わっていった。
俺は何度か、学校の帰り道で曜を見かけて、そのたびごとに少し雑談をするようになった。
俺が声をかけることもあれば、曜のほうから声をかけてくることもあった。
「洋くんっ」
曜は、俺を見かけると、少し小走りで隣に来てくれる。
そんな仕草が、妙に可愛らしく感じられた。
曜が着ている、中学校の夏服は、白い半袖のブラウスで、とても清潔な雰囲気がした。
夏の光に照らされて、まばゆいばかりだ。
俺は苦笑した。
学区なんて一つしかない田舎町だ。
俺だってほんの数年前まで、その中学校に通っていた。
その時に、女子の制服なんてさんざん見ていたってのに。
・
やがて、学校は夏休みに入ろうとしていた。
「いま帰り?」
明るい声に振り向くと、そこには曜がいた。
ボーイッシュなTシャツと短パンという服装だった。
「私服?」
「うん」
「学校はどうしたんだよ?」
「中学校は昨日が終業式だよ」
そうか、高校と中学で微妙に終業式の日程がずれているのか。
「ふぅん」
俺はそっけなく答えた。
いつもの制服じゃない服装の曜が新鮮に見えたのだが、そんなことを考えてしまうことが妙に気恥ずかしかった。
「高校は明日だっけ、終業式」
「あぁ、そうだな」
「そっかぁ」
よくよく考えると、この2か月ほど、仲直りしてからの俺たちは学校帰りに会って話していた。
学校が夏休みに入ると、会う理由はなくなってしまう。
それは、少し残念な気がした。
「…………」
沈黙が俺たちを支配する。
曜が、何か言いたげに俺をちらちらっと見る。
その表情は、もしも俺の勘違いでなかったなら。
残念そうな表情に見えた。
曜ももしかして、しばらく会えないことを、気にしている?
なんとなく、そんな気がした。
しかし、もしも違っていたら、俺のとんだ勘違いということになってしまうが……。
俺は、しばし悩み、話題を何か見つけようとして、曜をチラ見した。
話題……話題……。
その短パン似合ってるな、とか言ったら、気持ち悪がられるだけかもしれないしなぁ。
あっ、そうだ。
「今日もそのバッグ、持ってるんだな」
俺は、曜の持っているボストンバッグを指さした。
「う、うんっ!」
曜の表情が明るくなる。
会話の糸口が見つかったからだろう。
どうやら正解だったようだ。
俺はほっとした。
「水着が入ってるのか?」
「うん、いつも通りだよ」
「そっか。今日も泳ぎに行くんだな」
「もちろん! 夏こそ泳がなきゃね!」
曜が、お気に入りの敬礼ポーズをする。
「そういえば、俺、曜が泳いでるところ見てないな」
「……見たい?」
曜が、少し照れたように俺を見上げてくる。
そのしぐさが妙に可愛らしく感じられた。
「え、えと」
どうなの?と問いかけるような表情。
俺は、覚悟を決めて、うなづいた。
「あ、あぁ、見てみたいな。曜が泳いでるとこ。久しぶりにさ」
「そ、そうなんだ!」
曜が、なんだかうれしそうに笑う。
「それじゃ今から一緒に海に……って、洋くんが水着持ってないか」
「え、俺は別に泳がなくてもいいんだけど」
「ダメだよ、せっかくだから一緒に泳ご?」
「う、わ、わかったよ」
思わず、同意してしまう。
「それじゃ、約束ね! 明後日、朝10時に海の家の前に集合ってことで!」
「どっちの海の家?」
「もちろんボロいほう」
浜辺には海の家が二つあるけど、曜はボロイほうを気に入っているのだ。
「わかった。それじゃ、明後日な」
「うん!」
曜が、元気いっぱいにうなづいた。
・
それから、海へと向かう三叉路まで向かう道すがら様々な雑談をした。
「じゃ、ここで今日はお別れだね」
三叉路に着いた時、曜が、海へ向かう道のほうへ行こうとする。
と、俺は不意に思い至った。
「あれ? よく考えたら、曜の家から泳ぎに行くだけなら、最初からここへ向かえばいいんじゃないのか?」
そうなのだ。
彼女の家からだと、俺の帰り道よりも、ここへ直接アクセスするほう近い。
「え、あ、えぇっと、そ、それは」
なんだか曜が見る見るうちに真っ赤になっていく。
「いや、だから、そのっ」
しどろもどろになって、小声でつぶやいた。
「い、いるかと、思ったから……」
「いる? なにが?」
「~~///」
赤くなった曜が、ぽかぽかと俺をたたいてきた。
「洋くんが! いるかとおもったの!」
「え?」
俺?
「バカッ! べーっだ!」
あかんべーをして、曜が海へと向かう道を走って行ってしまった。
取り残される俺。
数秒して、ようやく彼女の言っている意味に思い至る。
「え!? 俺に会いに来てくれてたのか?」
夏休みに入ったら、しばらく会えないかも。
そう考えたのは、俺だけじゃなかったってことか。
「ま、まじかよ」
頬が熱くなるのを感じた。
見上げると、夏の入道雲が、青い空に広がっていた。
(つづく)
ようやく少し恋愛らしくなってきました汗