或る、フルート吹きの青春   作:ハヤブサ320

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二章 燦然
EP.11 再会


 宇治の街を朝日が照らす頃、既に北宇治高校では多数の生徒が忙しなく動いていた。

 コンクール当日は早朝から準備が始まる。学校が手配したトラックに楽器を搬入するため、朝から校内は吹奏楽部員が一往一来する。

 

「樟葉くん、そっち持つよ」

「ありがとうございます。友恵先輩」

 

 階段で友恵はティンパニを運ぶ隆翔を手助けした。ティンパニの反対側の支柱を持つと「いっせーの」の掛け声で一段一段ゆっくりと降りる。

 

「昨日、よく眠れた? 私は緊張しちゃって全然だったよ」

「マレットとか忘れたらやばいな~って思いはしましたけど、俺は熟睡でした」

「あはははは。ちょっと危ないから笑わせないで。それ本当に去年やってるんだから」

「マジですか、笑えませんね」

 

 階段を下ろすとキャスターでトラックまで一気に運び入れる。ティンパニが最後の楽器だったようで搬入すると荷台の扉が閉まった。それを確認して隆翔もバスへ乗り込んだ。

 座席へ向かう途中、隆翔は希美と目が合った。

 一瞬だけ無言の時間が訪れ、何事もなく擦れ違った。「おはよう」とか気の利いた一言でも言えば良かったが、昨日の告白もあって気恥ずかしかった。

 席に着くと程なくしてバスが発車した。友恵には眠れたと気丈に振る舞ったが、正直のところさっぱり眠れなかった。昨日の告白を希美はどう受け止めてくれたのだろうか。希美は自分をどう見てくれていたのだろうか。いつまで経っても自問自答は尽きない。

 外の景色が移りゆく中で、バスの心地よい揺れに身を任せ隆翔は一時の眠りについた。

 

 会場へ着いてまず目にしたのは、三年前に退部を決意し梓と共に笑い合ったあの噴水だった。ただ感傷に浸る時間は無く、早急に楽器の搬入を急がねばならない。

 男子生徒は主に力仕事優先であるため、隆翔も例外なく駆り出されている。

 

「隆翔、そっち持ってくれ」

 

 ウィンドマシンの後ろから秀一が顔を出している。二人は他校の生徒や関係者でごった返す会場内を慎重に運ぶ。

 舞台裏に到着すると、そこは緊張感から物々しい雰囲気に包まれていた。出番を待つ生徒、既に出番を終え緊張感から解放された学校の生徒、何度も背中を摩られ緊張をやり過ごそうと必死な生徒、緊張感すらも楽しもうとする気丈な生徒。ここの様相は三者三様であった。

 楽器搬入が終わり、順番までの待機中の出来事だった。誰かの「立華だ」の一声によって到着した集団に視線が集まる。水色のブレザーを纏った学校、立華高校の到着だった。

 

 そして、その瞬間はなんの躊躇いもなく唐突に訪れた。

 

 

「……隆翔?」

 

 

 

 立華高校の集団から、突然名前を呼ばれた。声の主は決して身長が高いわけでは無い。ただ、長身で容姿端麗な生徒の中にいても、間違いなく隆翔と視線が交わった。黒い髪を高い位置で結んだポニーテール。見紛う筈がない、隆翔が誰よりも長い時間を一緒に過ごした幼馴染の佐々木梓であった。

 

「……梓」

「嘘、嘘でしょ! 隆翔、どうしてここにいるの?」

 

 大興奮の梓が隆翔の手を取ると、その場でぴょんぴょんと跳ねた。物珍しそうに眺める北宇治と立華の双方からの視線が痛い。そんなことを考えているから、隆翔はつとめて冷静に梓と相対した。

 

「久しぶり。元気してたか」

 

 会えずにいた二年前までの鮮明な思い出が濁流となって押し寄せる。思わず、昔のように梓の頭を撫でた。

 

「うん! 凄い、ちゃんと復帰してて嬉しいよ。やっぱりフルートなの? 北宇治の演奏は去年から見ていたけど隆翔いなかったしもうやってないのかと思ったよ」

 

 相変わらずスラスラと言葉が出てくる梓のマシンガントークですら懐かしい。隆翔は興奮に色めき立つ梓の肩を押さえて再会を噛み締めていた。

 

「今、ここでマネージャーをやってるんだ」

「え、奏者じゃないの? 『リズと青い鳥』ってフルートのソロあるから、てっきり隆翔が吹くのかと思ってたのに」

 

 梓の反応に隆翔も眉を細める。隆翔とて、奏者として再会できたらどれほど良かっただろうか。しかし、いくら考えても仕方のないことである。

 かつての幼馴染とはいえ、中学で成長の兆しのあったその体躯は更に女性らしさを増していた。あまり見すぎてしまうと、中学時代に一度怒られているので出来るだけ視界に入れないようにする。

 立華の生徒から「あずさー!」と呼ぶ声がする。立華高校の出番が近づいていた。

 

「もうすぐ私たちの出番だから行くね。連絡先、変わってないよね?」

「うん」

「分かった。また終わったら連絡するね。お互い頑張ろう」

 

 右手の拳を隆翔に突きつけてくる。それに答えるように隆翔も軽く拳を当てた。

 

 

 最後の音出し練習を許されたリハーサル室はそのまま扉を開くと会場に繋がっている。チューニング、最初の音の確認といつもの練習行程を踏む。タキシードに身を包んだ滝は、その光景を穏やかな眼差しで見つめていた。

 

「遂にこの日がやってきましたね。私が北宇治高校吹奏楽部の顧問としてここに立つのは、これで二度目となります。課題曲、自由曲が決まって以降、みなさんは今日という日までずっと努力してきました」

 

 一度言葉を区切って、部員の顔を見渡す。瞳を柔和に細めると言葉を繋いだ。

 

「演奏の完成というのはありません。しかし、完成度で言えば日々どんどんと高くなっていました。私は皆さんなら更に高いクオリティーの音楽を作り上げられると考えています。次の機会につなげられるよう、全力を尽くしましょう」

「はい!」

 

 一丸となった返事に滝は満足そうな笑みを浮かべた。その視線を優子に向け、優子は力強く跳ね上がった瞳を皆に投げかけた。

 

「みんな、おなか壊してない? 体調は大丈夫? 昨日はよく眠れた?」

 

 砕けた口調の問いかけに笑いが漏れる。優子は誇らしげに胸を張った。

 

「今日、こうして全てのメンバーが揃っていること嬉しく思います。怪我も病気もなかった。それって当たり前に思えて凄く大事なこと思います。自分たちのベストな状態で挑めるこのメンバーなら、私は怖い物なんてないと思います。いつも通りの力を出せば、関西、いや、全国も夢ではありません。十二分間の舞台、全力で楽しんでいきましょう」

「はい!」

「それではいつものやつやります。準備はいいですか」

 

 優子の言葉に部員達は一斉に立ち上がる。右腕を軽く構えて、優子が天に向かって腕を突き上げる。

 

「北宇治ファイトー!」

『おー!』

 

 揃った声がリハーサル室に反響する。昂ぶる心を抑えることなく楽器を握りしめる。

 隆翔は一番後ろからその姿を眺めていた。緊張で固まっていた一年生は優子の言葉で奮起し、頼り甲斐のある背中となった。

 

「北宇治高校の皆さん、お時間です」

 

 舞台へ繋がる扉をスタッフが開ける。ここから先は戦場だ。

 

「樟葉くん」

 

 部員を見送った滝が隆翔に話し掛けた。

 

「部長から聞きました。傘木さんのフォロー、ありがとうございます」

「いえ、そんな。俺は何もしてません」

 

 謙遜する隆翔をいつも通り優しい眼差しで見つめる。

 

「そんなことありませんよ。正直、鎧塚さんの演奏を聴いてから私もどうすればいいか頭を悩ませていました。その上で懸念していたのは、やはり傘木さんのことでした」

 

 滝はフルートパートで話し合う希美に視線を送った。

 

「あの日、私は彼女の演奏を頓挫させてしまった。教師として何も言葉を掛けることができませんでした。情けない限りです。それでも翌日、彼女は人が変わったように藻掻きながら演奏をしていたことで、心配が杞憂に終わりました。あなたの献身的なフォローがあったからだと聞いています」

 

 滝は樟葉の肩に手を置いて、隆翔へ期待の眼差しを向けた。

 

「もう既にあなたは立派な北宇治の奏者です。いつか、あなたがフルートで北宇治を導いてくれることを期待しています」

 

 それでは、と滝は部員と共に舞台袖へ向かった。

北宇治高校吹奏楽部へ入部して二ヶ月余り、初めてこの部に居場所が生まれたと実感した。胸を弾ませる高揚感が、その証明だった。

 

 

【つづく】




−追記−
2025.6.13 内容を大幅加筆修正しました。
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