或る、フルート吹きの青春   作:ハヤブサ320

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立華高校二年生となった佐々木梓の物語。
小説『立華高校マーチングバンドへようこそ』の翌年のお話です。


【幕間】佐々木梓の物語 −Lonesome−

 卒業証書の入った筒を片手に校庭へと繋がる階段を駆け下りる。手の掛かる幼馴染みを探して校内を駆け抜けた。

 春の日差しが校舎に差し込んでいる。今日、私は大吉山北中学校を卒業した。

 昇降口から伸びる階段の先に、見紛うことのない背中が目に入った。

 

「あ、いた! 待ってよ隆翔!」

「梓・・・・・・」

「はぁ、やっと追いついた。いいの? 吹部のみんなと写真撮ったりしなくて」

 

 階段を駆け下りた勢いで息が整わない。それでもなぜか最後の機会であるかの予感がして、隆翔を探していた。

 吹部という言葉に隆翔はあからさまに表情を曇らせた。

 

「どうして? 俺はとっくに帰宅部だよ」

「そ、そうだけどさ、隆翔は北宇治行くじゃん。殆どの生徒とは、もう会うのは最後かもしれないんだよ?」

 

 隆翔は参ったなと言ったように苦笑いを浮かべる。そんな表情、私に向けて欲しくなかった。

 

「わかった・・・・・・じゃあ、私と写真撮って」

 私は隆翔の腕を抱えて少しだけ密着する。スマホのカメラを起動して、画面に私と少し眠たそうな目をしている幼馴染みが映る。

「笑って?」

 

 カシャッと電子音が響いた。

 

 

 

 カメラロールのお気に入りに保存してある一番古い写真。仕方なさそうに笑う隆翔は、私が見た彼の最後の姿だった。

 あれから二年が経った。

 私と隆翔は一度も会っていない。

 

 

 

 

 

 

「ねえ梓、座奏とマーチングってどっちが大切だと思う」

 

「それは私に求める意見で正解なの?」

「正解かどうかなんて分からない。梓は、どっちに練習のリソースを割きたいかって聞いてるの」

 

 眼鏡にお下げ髪が特徴的な同級生、戸川志保は水筒を片手に忌憚ない意見を求めてくる。水分を取る彼女の喉がコクコクと動いている。

 私の通う立華高校は全国でも有数の吹奏楽強豪校だ。ただしそれはマーチングに至っての話で、『座奏』と呼ばれるコンクールにおいては、ここ最近は関西大会出場が関の山だった。去年の先輩たちは練習量も、時間効率においても完璧に管理していた。それでも私たちは座奏で全国の扉を叩くことは許されなかった。

 志保の言葉に少しだけ間を置いて返答する。

 

「一年生を見てみなよ。足は揃ってない、音は外す。まだまだそんな余裕言ってる時期じゃ無いんだよ。私はマーチングで全国行きたいから立華に来たんだし。あ、今のオフレコね。モチベーションに関わるし。私は座奏でも全国が理想だと思うよ」

「梓には愚問だったか」

 

 本音を引き出されたと思ったら、すぐに仮面を装着する。個人の問題よりチームを優先する。去年の先輩達が示した態度を私達が引き継ぐことは当然だった。

 

「実際、座奏でも全国行けたら良いな」

「・・・・・・そうだね」

 

 分かってる、去年の立華は凄まじかった。ただ、今年の立華は去年ほどの実力は無い。分かっているから、三年生はいつも緊張感で張り裂けそうな顔をしている。

 私はそのケアをすることで精一杯だった。

 

 

 新体制で活動してから約半年が経過した。二年生となった私は今年もマーチングコンテスト全国金賞を目指して練習に明け暮れる日々が続く。

 マーチングの京都府大会は九月上旬、そして間髪開けずに関西大会、少し間が開いて十一月に全国大会が開催される。私たち立華高校は毎年このスケジュールを優先して活動する。

 

「ガード! 今のステップは罰金物だよ。音を聴いて!」

「前に倣って体幹しっかり、隊列歪んでる」

「返事だけしてそのクオリティしか出来ないの? 三年間無駄にするよ!」

 

 一歩間違えればパワハラ、文面だけ見れば脅しに近い。それでもマーチングの上達には避けては通れない道である。耐えて耐えて耐え忍ぶ。涙を流しながら腕を振る一年生。足が揃わず何度も厳しい指摘を受け、貴重な休憩時間を上級生とマンツーマン指導に費やす。そうして自分の足りない部分を補いながら練習に付いていく。毎年この光景が繰り返されてきたいた。

 今年、この学校で初めて後輩を持った。厳しい言葉や嫌味、罵声は何度飛び交ったか分からない。しかし指導には説得力を持たせなければ響かない。立華に入ったからには上手くなってほしいという共通認識だ。指導に当たって、去年の先輩を真似ることしか出来ないのは、私達の力不足だろうか。

 

『立華は強豪校だし、どうしたって結果を求められる。もっと完璧に、もっと上手く。そうやって初めて次の本番の切符をつかめる』

 

 厳しく、そして真の強さを兼ね備えた去年のドラムメジャーの言葉を思い出す。立華の吹奏楽部に入ったと言うことは、しんどい練習を覚悟する必要がある。中学ではそれなりに上手い演奏者でも、立華にはそれなりに上手い演奏者が集結する。その中で上達して本番で輝くか、腐って一生補欠で終わるかは毎日の練習の密度に左右される。

 

「明日からコンクールの練習となります。座奏が中心となるので音楽室の準備をお願いします」

「はい!」

「以上です、解散」

 

 部長が指示を仰ぎ今日の練習は終わった。

 明日からコンクールの練習が始まる。座奏とマーチングは根本的に違う。隊列を揃え、気迫のある掛け声やダイナミックな身体の動きを演奏に落とし込むマーチングと、コンクールなどの座って音を奏でる座奏。言うまでもなく立華では前者の成績が卓越して良い。

 

「はあ・・・・・・」

 

 去年の関西大会、銀賞に終わった日のことは今でも思い出す。一年生でコンクールに選ばれたことよりも、周りの三年生が醸し出す一体感について行けなかった寂寥感に集中出来ずに涙を流した。

 今年は絶対に、そんな思いはしたくない。

 

「どうした梓、そんな神妙な顔して」

 

 ハッとして顔を上げると、美音が表情を覗いている。顔に出ていたのであれば、それなりに疲れているのだろうか。無理矢理にでも明るく振る舞うよう口角を上げる。

 

「なんでもないよ、美音。ガードお疲れ様」

「いえいえ。ま、色々考えるよね。私もこれからオーボエの練習に切り替えるのめっちゃ大変」

 

 同級生の西条美音はオーボエ担当でマーチングではカラーガードを担当している。双子でフルートを担当する姉の花音と共に埼玉県の吹奏楽強豪中学校から推薦入学している。

 カラーガードとは、マーチングバンドにおいて学校や団体のシンボルとなる色彩のフラッグを用いて表現するパートである。演奏に合わせて背丈ほどある旗をリズム良くはためかせることで、マーチングにおける視覚的な魅力を表現する重要なパートだ。美音の姉、花音の他にも同じパートの名瀬あみかも同じくカラーガードを担っている。

 

「それでも二人揃ってコンクールメンバー入りしてるんだから流石だよ。そのセンスを見込まれてガード任されてるわけだし」

「褒めてもなにも出ませんよ。というか、ほんと大丈夫?」

「・・・・・・ううん、大丈夫。いつも通り」

 

 本心から心配してくれる美音に何も無いよと明るく対応するが、顔の表情筋が引き攣っている。ちゃんと笑えているだろうか。

 もう私には曇った表情を見せることは許されない。一年生の頃から練習の鬼だのトロンボーンのエースだのと持て囃されていた。一年生の内は謙遜で遇っていたが、二年ともなれば後輩に背中を見せなければならない。自覚が生まれ、それはエースという看板を背負う覚悟となった。涙を見せることは立場が許さなかった。

 

 

 

 

 

 夏休みの樟葉家。お母さんが仕事で帰りが遅い日は、隆翔の家でよく預かってもらっていた。私のお母さんと隆翔のお母さんは友達で偶然家が近かった。物心つく前のアルバムにも、おむつを履いている私と隆翔、お母さん達が写っている写真がある。小学生の間は放課後や夏休みで家に一人でいることを心配してくれた隆翔のお母さんが率先して預かってくれた。私の第二の母も同然であった。

 

「梓ちゃん、金管バンド入ったんだって?」

「そうなの。毎日練習もあって友達ともいっぱいお話できるし、それにお母さんがお仕事で大変な日でも金管バンドがあれば心配しないと思うし」

「・・・・・・そう。何の楽器を吹いてるの?」

「トロンボーン。こうやって腕を前に伸ばして音を変えるんだけど、重いしすぐ腕が痛くなっちゃう」

「あら、いいわね。音が出ると楽しいでしょ」

「うん! 今度ね、演奏会があるからお母さんにも見てもらうんだ」

 

 無邪気にはにかんだ私に、隆翔のお母さんは優しく、暖かく頭を撫でてくれた。

 小学生の私は夏休みの過ごし方が苦手だった。他の友達は長期休みに入れば旅行に出かけたり、親戚の家に帰省している。母子家庭だった私はお母さんが働いているので、そういったこともあまり縁がなかった。

 私はただ、お母さんに心配を掛けたくなかった。

 ある日、お母さんが電話口で私の夏休みの過ごし方を心配していた。そのことが脳裏に焼き付いて、お母さんを心配させまいと何か打ち込めることが無いか必死に探した。もうすぐ夏休みが迫っていた。そして職員室の壁に貼られた一枚の画用紙が目に入った。

 

「先生、これって部活?」

 

 思わず職員室から出てきた女性の先生に尋ねた。どれどれと屈んで一緒に覗いた先生は、部活みたいなものだよと言った。

 

「放課後は一応毎日練習あるし、夏休み中もいろんな活動をするんだよ。よく音が聞こえてくるでしょ」

 

 先生に半ば無理矢理渡されたチラシを見て、私はこれだ、と思った。

 

「先生、私、金管バンドに入りたい」

 

 

 

 

「隆翔、北中入ったら部活入る?」

「何かしらは入ると思う」

「じゃあさ、一緒に吹奏楽部に入らない?」

 

 肯定的な隆翔に私は嬉しさを前面に出して隆翔を誘った。最初から知り合いのいる部活、これ以上に頼もしいことはない。

 

「ピアノしかやったことないけど出来るかな」

「大丈夫だよ! 隆翔ならすぐ吹けるよ」

 ぶんぶんと頭を振って、必死になってる自分に苦笑する。

「じゃあ、やろうかな」

「やった!」

 

 私は嬉しさの余りぴょんぴょんと弾んだ。ランドセルの中の教材がガコガコと音を立てて揺れている。

 隆翔は小学校に通う間はピアノを習っていた。普段の生活から隆翔が家にいない日はピアノのレッスンに通っていることも知っていたし、合唱では伴奏を任されていたことで彼のイメージにピアノの存在が定着していた。

 あまり自分のことを話したがらない隆翔だったから、その時にピアノで挫折していた事実を私は知らなかった。

 

 

 北中に入学し本格的に部活動が始まった。

 練習は楽しかった。上達していく課程が肌で感じられたし、中学でも友達が沢山出来て退屈しなかった。部活の時間はあっという間に過ぎて、下校しても河原でトロンボーンを吹き続けた。その傍らには、いつもフルートを奏でる隆翔の存在があった。

 

 一年生のコンクール。ついこの間中学生に上がったばかりの私には、何千人という観客のいるホールで吹くのは初めての経験だった。

 白熱電球の熱、特殊な構造のホールが増幅させる観客の拍手の音、壇上に注がれる数えられない程の視線、全てが未知のことで私は怖じ気づいた。そして何が何だか分からないまま、初めてのコンクールが終わった。

 

 それでも人前で演奏するという自信も付いた。コンクールで吹いた経験は、相棒のトロンボーンが上達する近道であるとその時思った。そしてコンクールメンバーから外れた隆翔が終わった後に労ってくれたことが何より嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺、吹部を辞めようと思う」

 

 

 ぽつりと呟いた言葉が夕闇に消えていく。私は隆翔になんて声を掛けたら良かったのだろう。

 隆翔は一人で根も葉もない噂や陰口を受け止めていた。秀ちゃんが辞退したことに納得がいかなかった隆翔が先輩に食ってかかった瞬間を見たときはどうすることも出来なかった。

 

「ごめんな。梓にまで変な噂が立っちゃうようなことして」

「私は全然大丈夫だよ。先輩達も酷いよね、ここまでするとは思わなかった」

 

 実際、私に向けられた言葉なんて大したことはなかった。隆翔と付き合っているのかという糾弾に近い問いかけに、私は常にノーと答えた。陰口が好きな人間はゴシップも好む。それは同じ女子として理解できるが、幼馴染みをダシにして噂話に興じる吹部の連中とは徹底的に距離を置いた。

 

「隆翔は悪くないよ。秀ちゃんのために怒ったんだよね」

 

 隆翔は優しい。友達がこんな目に遭って、自分のことよりも人のために怒れる。ご両親の教育の賜物だ。自分のことで精一杯の筈なのに、私の気遣いをしてくれた隆翔に絆されていくのは自然な考え方であろうか。

 

「私さ、コンクール楽しみだよ。どんな結果でもいい。隆翔と合奏したい」

 

 私は俯く彼の手を取って歩き出す。隆翔のどんな判断もきっと間違うことはないのだと信じながら。

 

 それでも隆翔は、吹部を辞めた。

 コンクールの日の夕方、宇治川の畔で寂しさと遣る瀬なさに涙が溢れた。隆翔と過ごす部活の日々は楽しかった。目が合うといつも柔らかい笑顔を送ってくる。アイコンタクトだけでお互いの調子が分かって、同じ空間に隆翔がいるだけで勇気をもらえた。

 どんな友達よりも近い存在。

 私は隆翔に依存していたかもしれない。しかし、それ以上に隆翔のことが好きだった。

 

 

 

「梓ちゃん起きて。会場着いたよ」

 あみかに優しく声を掛けられて起こされる。いつの間にか眠っていたようだ。バスの外には無数の高校生が闊歩している。

 京都府吹奏楽コンクール、高校生の部は京都市のコンサートホールで開催される。特徴的な円柱型の建物の前に立つのは、中学の頃から数えて五回になる。相棒のトロンボーンを受け取って、慣れた道順を辿って裏手の控えエリアへと向かう。隣を歩くあみかは、ドキドキするねと胸を押さえている。

 もう去年のような寂寥感は無い。みんなと一緒に関西大会を目指すんだ。

 

「あれ、北宇治じゃん」

 

 特徴的な茶色のセーラー服は目立つ。昨年、全国大会銅賞という快挙を成し遂げた北宇治高校はどうしても注目される。立華がマーチングコンテストで向けられる視線と一緒だった。久美子や高坂さん、塚本は元気にやっているだろうか。そういえば、トランペットの小日向さんも北宇治へ進学したらしい。

 

 両校の視線が交わる。今年の冬に合同で演奏会をしてからの間柄だ。先生同士の挨拶に始まり、交流で関係を持った生徒同士で軽い挨拶などが繰り広げられている。

 刹那、私の視界に一瞬だけピントが合うような、何かに気が付いた様な瞬間があった。ここにいる筈のない、居ないものだと思い込んでいた人物の姿に、瞳孔が開いていく感覚を覚えた。

 見紛うはずがない。ずっと会いたかった幼馴染の姿が手の届くところに居る。

 

 

 

 

「・・・・・・隆翔なの?」

 

 

 

 声を掛けた彼は私を見るなり驚きを隠しもせず、その瞳を大きく開いた。

 

「・・・・・・梓」

 

 

 私の大切な幼馴染み。彼がそばにいてくれるだけで心の支えだった。

 昔のように隆翔の大きな掌で頭を撫でられる。座奏への不安、エースとしての寂寥感と重圧を感じて重かった身体がふわっと緩和した気がした。

 再会を喜ぶ時間は殆どなかった。ずっと知らなかった連絡先を交換して、お互いの健闘を讃え合った。

 

 立華の演奏が始まる。トロンボーンはトランペットには及ばないけれど花形だ。三年間で成長した姿を見せたい相手はお母さんだけではなくなった。

 

 隆翔、私ずっとトロンボーン頑張ったよ。

 

 先生の指揮棒が掲げられる。最初の一音に研ぎ澄ませる。先刻の邂逅もあって、私の血潮は漲っていた。

 

 

 

 

 その夜、私は思い立って伝えなければならない同級生へ一報していた。きっと隆翔が知れば、忘れていたでは済まされないと思ったからだ。

 彼女からの返信は思った以上に速く来た。

『梓ちゃん、関西大会進出おめでとう。さすが立華のエースだね』

『秀ちゃん、久しぶり。ありがとう。めっちゃ緊張したけどね(笑)』

『私も明日が本番だからドッキドキだよ。眠れなくてこんな時間になっちゃったんだけどね』

 

 秀ちゃん、懐かしいと思いつつ、携帯越しだと少し明るい子の印象を抱く。

 私は不自然にならないように、それでも内心はかなり思い切って文章を打ち込んでいった。

 

『あのね、秀ちゃん』

『なあに』

『えっとね、今日、会場で隆翔に会った。覚えてる? 樟葉隆翔。一緒のフルートだったでしょ』

 送信を押した途端、背中からぞわりと冷たい汗が不快感を伴って沸くのが分かった。隆翔にとってのトラウマなら、秀ちゃんにも同じ事かもしれない。

 秀ちゃんからの返信はそれから少し時間が経ってから来た。

 

『会いたい。会って、ちゃんとお話したい』

 

 その内容に救われたのは私だったのかもしれない。過去に遺恨を遺したまま、これからも二人は楽器を吹くことは私の良心が許さなかった。

 善は急げだ。幸い明日は府大会の疲労を考慮して部活は休みだ。秀ちゃんには隆翔を誘って演奏会へ行くと連絡をした。

 隆翔へ連絡を入れたが一向に既読は付かなかった。夜も遅いから寝てしまっているのだろう。

 目覚まし時計を設定した途端、思い出したかのように睡魔が襲ってきた。本当に長い一日だった。それでも、胸の中は充足感で溢れていた。これから隆翔ともう一度一緒に楽器を吹けると思うと、相棒のトロンボーンを抱きしめたくなる。

 

 

 私に音楽の道標を作ってくれたのは、間違いなく隆翔の存在だった。

 

 

【つづく】

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