或る、フルート吹きの青春   作:ハヤブサ320

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傘木希美の吹奏楽物語後編です。

希美が高校三年生の夏のお話です。


【幕間】傘木希美の物語 −innocent−

 フルートが好き。吹奏楽が好き。音楽が好き。

 いつまでもそうありたかった。けれど、私の後ろをひょこひょこと歩いていた友達は、いつの間にか飛び立とうとしていた。彼女よりも、私の方が音楽が好きなのに。

 飛び立とうとするならば、その鳥籠から出るならば、いっそ翼をもいでしまおうか。

 

 

 

 

 

「傘木先輩、音大目指すんですか?」

「……うん。今のところそうするつもり」

「凄いですね。先輩のフルートはどこで演奏しても通用しますよ」

「本当? 褒めても何も出ないよ~」

 顔に張り付いた笑顔が気持ち悪い。勝手に期待されることのむず痒さが、その感触を助長していた。

 こうして褒めてくれる二年生の樟葉くんは、つい先日、マネージャーとして入部した。

 中学三年のコンクールで、彼は私の演奏を見ていたらしい。しかし、中学二年で躓いてから先日まで帰宅部だった。この前、何の気なしに『韃靼人の踊り』を吹いていたら、突然教室のドアを開けて現れたので驚いて腰を抜かしそうになった。それが彼とのファーストコンタクト。どこかロマンチックな出会いに思えたのは内緒だ。彼との会話は自然と肩の力が抜けた。彼と過去を共有した時、心で繋がったような温かさを覚えた。

 みぞれが新山先生から音大のパンフレットを受け取ったと聞いて、私は焦りを覚えた。

 高校三年生となれば、嫌でも卒業後の進路と向き合う必要に迫られる。でも、明確なビジョンがある人の方が稀な存在だ。最近配られた進路調査票には第三希望まで明記する欄があったが、誰に相談することもなく白紙で提出した。

 

 

 最近、みぞれとのソロの掛け合いに歪みが生まれていた。高校レベルならば申し分ないクオリティだろう。しかし、滝先生の求めるレベルには達していない。北宇治は今年の目標に全国金賞を掲げた。それに異を唱える者は一人として存在しなかった。高みを目指す上で、コンクールで演奏する『リズと青い鳥』の第三楽章、私とみぞれのソロの掛け合いは最も重要だ。任されたことは嬉しかったし、中学の頃から仲の良かったみぞれと、またコンクールで吹ける喜びを噛みしめた。それなのに、どうしても心のチューニングが合わなかった。

 みぞれと肩を並べて、みぞれと息を合わせるという至上命題と反して、みぞれが音大に勧誘された事実が、間違った方向に火を点けた。

「私も、ここの大学、受けようかな」

 私の呟き一つでふわっと光るみぞれの表情に、じんわりと湧き出る優越感を覚えた。これからもみぞれは私の後を歩んでくる。私が通った道が、彼女の道となる。ずっとずっと、変わらないつもりだった。

 なんと醜悪なことだろう。そして、神様は全部見ているのだ。

 みぞれは自分から飛び立った。私という鳥籠から。

 音大を目指すという強がりは、私自身の進路を狭めた。音楽を生業にする未来も想像できない。それ以前に、これから根本的に音楽の勉強や、それに伴うレッスン、学費の相談などを親にしなければならない。しかし、それとなく家族水入らずの時間に呟いてみても、得られる反応は否定的なものだった。

 むしろ、どこか安心してる部分もあった。音大について調べれば調べるほど、身の丈に合っていない事を直視させられた。先日の進路相談でも、併願として受ける大学を担任と一緒に選定した。しかし、内心は予防線を張っているに過ぎなかった。

 昔からそうだ。中学三年のコンクールで府大会銀賞に終わった時も、高校で入った吹部で腫れ物扱いに耐えきれず退部した時も、私はいつも選択を誤ってきた。次も間違えば、私の自尊心は崩れ去るだろう。むしろ、そんなものはとうに消え失せているから、音大を諦めている自分がいるのだ。

「私さ、本当に音大行きたいのかな?」

 誰に言うでもなく呟かれた一言は、準備室で共に作業をする夏紀と優子の耳に入っていた。みぞれと上手くいっていない。いつまでも目を背けていた現状に向き合うときが来たのだと悟った。

「違うの?」

「……うん」

 夏紀も、音大が既定路線だと信じ切っていた。それはそうだ。強がって豪語したのは他でもない自分なのだから。

「フルートは好きだけど、そもそも私、プロになりたいのかなって。仕事にするのと、楽器続けたいは同じじゃないし」

 張り詰めた空気がべっとりと肌を撫でる。なんでもないように本音を混ぜ込むのは、昔から逃げの一手を打つ時に使う手段だった。

「二人みたいに普通大学行った方が良いんじゃないかなって」

「……それ、みぞれは知ってるの?」

「知らないよ。なんで?」

 酷く冷たい声が喉を伝った。

 みぞれには言ってない。だって、あの子は選ばれてるから。

「なんでって、一緒の音大行こうって言っといて。プロになるのは違うから辞めますって何?」

 尤もな糾弾だった。優子に打ち明けたのは、残り僅かな自尊心を打ち砕いて欲しかったからだ。真っ直ぐな優子なら、それが出来る。本当、打算尽くしの自分が嫌になる。

「一年の時だってみぞれに黙って部活辞めて、やっぱりやりたくなったからって戻ってきて、どれだけみぞれを振り回したら……」

「優子」

 ヒートアップした優子を制した夏紀は、優しく諭した。

「近くにいるからって、なんでもかんでもみんな話すわけじゃないもんね」

 夏紀は私に甘い。ただ、今の言葉には甘さと一種の諦めが同居している様に見えた。同級生や後輩の前では、フルートのエースとしての姿を見せなければならない。それが北宇治の為になるのなら。しかし、夏紀と優子の二人の前で晒す姿は、鏡にどう写っただろうか。想像に容易い醜さを想像し、私は自嘲するように溜息を漏らした。

 

 

 これは罪と罰だ。

 みぞれ自ら、滝先生へ第三楽章の通し練習を願い出た。その不気味なまでの意志にぞくりと悪寒がした。まるで、心臓を逆撫でされるような不快感が身体を駆け巡った。

 私は滝先生のタクトに従って、フルートを構えた。

 それからの演奏はあまり覚えていない。みぞれのオーボエと私のフルート。実力は同じくらいだと勝手に高を括って、勝手に期待していた。それが見事に裏切られた。

 最初の一音を耳にした瞬間、音楽室の皆が息を呑んだ。複雑な指使いを物ともしない、まるで歌うようなメロディー。繊細なのに力強い。私のソロは、音楽室を制圧したみぞれのオーボエに掻き消された。吹いている私ですらみぞれのオーボエに惹き付けられる。

 完全に呑まれた。そう自覚した瞬間、涙腺が熱くなって込み上げる涙に視界が奪われた。

 みぞれの音は光り輝いていた。皆、その光に吸い寄せられている。その光は暖かくて、同時に寒気がした。見たくなかった、という感情を悟ったとき、みぞれの光を隠していたのは私だと知った。止めどなく流れる涙はみぞれへの贖罪だろうか、情けない自分が恥ずかしいからだろうか。

 濃縮された感情の集合体。みぞれの音は正にそれに近かった。

「これは……とんでもない物を掘り起こしたね」

 半分呆れたように橋本先生が呟く。

「鎧塚さん、素晴らしかったわ。いまの感じを忘れないで」

 指揮台の前に興奮気味の新山先生が駆け寄って、みぞれの演奏を絶賛した。これが、音大に見初められる実力なのか。

 練習はそのまま休憩に入った。私は吐き気がして、その場を離れた。

 

 

 私の醜い本音を、誰にも言いたくなかった。同級生にも、先生にも、優子にも、夏紀にも、樟葉くんにも。踏み込んでくれば、いつも私から距離を取った。

「俺にも言えないことですか。先輩が吹部に誘った、俺にも」

 こうやって、土足で踏み込んでくるような一言が嫌いだった。

「やめてよ。私は誰も特別に思ってないよ」

 最後の警告だと言わんばかりに、私は樟葉くんを睨みつける。

 しかし、彼は意に返さないような素振りで、また一歩踏み込んだ。

「みぞれ先輩、凄かったそうじゃないですか」

 彼は最低だ。分かっていてナイフを突きつけてくる。私が何で傷ついているかなんて、彼にはお見通しなのだ。本当、性格が悪い。軽蔑してしまう。

「樟葉くん、私が本気で音大目指してるように見える?」

「違うんですか?」

 みぞれには、私はいつも自分勝手だと言われた。その通りだ。私は誰のためでもなく、自分のためにフルートを吹いている。辛くて辞めるのも、吹きたくなったから復帰するのも自由。それがどうして、みぞれを優先する理由になるのだろう。だから音大も、目指す意味がなくなった。

「あの時音大に行くって言ってから、色々引っ込み付かなくなっちゃった。みぞれにはああ言ったけど、私の音楽センスっていうの? そういうのは、きっとみぞれに勝てない。私はみぞれ以上には上手くなれない」

 山から吹き下ろす風が一層冷たく感じた。私の自嘲は、この風に乗ってどこまでも飛んでいくのだろう。

「ショックだったなー、さっきの演奏。オーボエが大きな音出してる訳じゃないんだけどね、みんなみぞれの演奏に狂わされるの。今までみぞれは本気じゃなかったって分かったから。あの子、中学の時から呼吸をするように練習するの。だから上手い。最初からみぞれは才能があったよ。だからみぞれだけ、新山先生から声が掛かった」

 ショックなのは事実だ。今まで溜めていた分だけ、口を開けば期待を裏切ってしまった自虐が堰を切ったように出てきた。

「それから負けたくない、舐められたくないって思うようになった。だから音大行くなんて口走った。ホントに醜い。音大志望することが音楽が上手いっていうステータスに思ってるサイテーな人間なんだよ、私は」

 鋭いナイフで次々に心を傷つけている。一年生の時に崩壊したメンタルがリフレインした。でも、悪いのは自分だからもっと断罪してほしかった。

「まだ音大目指そうって、思ってたりしませんか?」

「私? ないない。だってあんな演奏見せられて、友達を騙して、プライドもズタボロで音大受ける資格無いでしょ」

 少しだけ心が晴れた。必死に抑え込んでいた感情が解放された。

 樟葉くんは何かを逡巡して、真っ直ぐに私の瞳を見た。

「俺は、傘木先輩のフルートが好きです。みんながどう思ってるか知らないけど、先輩のフルートはちゃんと届いてます。今はこんなことしか言えません。だけど先輩には、俺の姿が見えてほしいって思ってます」

 私はそんな綺麗な人間じゃないよ。だけど、欲しかったその一言が冷え切った心に刺さった。

 ガラッと渡り廊下の扉が開かれ、優子が物凄い剣幕で迫ってきた。

「希美、アンタいつまで油売ってるわけ! 練習始められないじゃない。樟葉、アンタも持ち場に戻りなさい!」

 

 

 

「優子、痛い、痛いって!」

 無理矢理私の腕を引っ張って、優子はスタスタと歩く。怒っているのか、心配してくれているのか、それを推し量れるほどの余裕はなかった。

「アンタがみぞれに対してどう思ってるのか。大体想像つくわよ。ムカつくけど、アンタは結構つらい思いをした。勿論みぞれの方がつらかったでしょうけど」

「ははは……」

「だから見誤って欲しくないの。アンタが今、何をすべきなのか。腐ってる暇は無いのよ!」

 優子の叱責は愛がある。誰よりも長い付き合いの優子だから言える一言がある。背中をバシンと叩かれ、強い痺れが伝う。

「みぞれと話せたんでしょ?」

「……うん」

「じゃ、私から言うことはないから。あとは自分で、責任持って立ち直りなさい」

「……うん。ありがと」

 厳しくも、心を許せる友人は私のことを信頼している。もう終わったと思っていたのは、私だけだった。

 

 

 フルートが好き。吹奏楽が好き。音楽が好き。この想いを一人にさせたくない。

 帰宅中、一緒に帰った樟葉くんは『韃靼人』の第一楽章を演奏した。私の演奏法の完コピだった。結局、すべての始まりはこの曲だった。逃れられない運命と、変えようのない現実。それでも、私を勇気づけようとしてくれる彼が健気で、少しだけ可愛かった。

 川辺で初めて聴いた彼のフルートは上手かった。実力で言えば、二年生の高橋沙里ちゃんや小田芽衣子ちゃんにも劣らない。もし、中学二年で辞めていなくて北宇治高校吹奏楽部に入っていたら、私のソロも危うかった。

 帰宅した私は、着の身着のままでベッドに横たわった。重くのしかかる疲労感がじわじわと襲いかかってくる。せめて制服くらいは脱がねばと、身体を起こす。纏っていた水色のセーラー服を上下とも脱いで、纏っているのは下着だけになった。クーラーの冷たい風が直接肌に当たる。当たりすぎは良くないが、火照った身体が冷やされる感覚が心地よかった。

 ふと、視界に入ったフルートケースを手に取る。部屋の照明が反射して輝くシルバーメタリックの本体が煌めく。リッププレートに口をつけた瞬間、楽しそうにフルートを吹く樟葉くんの姿がフラッシュバックした。

「……わ、これ、間接キスじゃん」

 このフルートを貸したときは露ほども思わなかった事態に、クールダウンした筈の身体が再び熱を帯び始めた。恥ずかしいと思うと同時に、両手に抱えるフルートへの愛おしさは増幅していた。

 

 

【つづく】




お読みいただきまして、ありがとうございます。

今後の展開としては、アンコン編、アニメ三年生編と続きます。
今後ともよろしくお願いします。
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