或る、フルート吹きの青春   作:ハヤブサ320

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告白のち、雨降り。


三章 引鉄
EP.16 縋る


 夕焼けに染まった宇治川の河川敷を歩く隆翔と希美。

 アスファルトに映る影には、それまであった一人分の距離は無い。

 一定の歩幅で隙間なく歩みを進める影法師には、恋人同士となった実感が込められていた。

 

 

 別れたくないという気持ちが伝播したのか、近くのファストフード店で初々しい時間を堪能した。

 

「隆翔は何にしたの?」

「俺は焙じ茶オレにしました」

 希美のトレイにはグレープソーダが載っていた。

 関西大会後ということもあってお互い空腹感はあったが、ここで食事をしてしまえば夕食が入らない。なので二人のトレイには飲み物以外は置かれていなかった。

 

「ちょっと飲む?」

「え、良いんですか? いただきまーす」

 

 希美のドリンクを手にして、ストローを吸い上げる。口の中を冷たさが刺激し、すっきりとした酸味と炭酸が広がる。

 その視線の先で、希美は顔を半分隠しながらそっぽを向いていた。

 

「どうしたんですか?」

「いや、確かにさっき、その……しちゃったけどさ。そんなに抵抗なく間接キスするとは思わないじゃん」

 

 口元を抑える希美の顔は朱に染まっている。希美は常に同級生や後輩に慕われている。隆翔も初めて見る表情に沸々と優越感が湧き上がって、やめておけば良いのに隆翔は調子に乗った。

 

「先輩も飲みます?」

「本当、そういうとこだよ。飲むけど!」

 

 お返しとばかりに隆翔は自分のドリンクを希美に差し出した。揶揄われていることに憤慨する希美であったが、素直に受け取るとまだ赤い顔でほうじ茶ラテを口に含んだ。

 

「あ、これ美味しい。私、こういうお茶系のラテって飲んだことなかった」

「意外ですね。なんとなく、大人っぽい飲み物好きそうだなって思ってました」

「だって苦そうなんだもん。コーヒーも砂糖とミルク入れる派だよ」

 

 隆翔は以前、希美を憧れの対象として見ていた。その過程で、希美はそういった大人が嗜みそうな好みをしているのではないかと、勝手に想像していた。憧れという障壁が取り払われた今、等身大の希美を知ることが出来たのだ。

 

 

 それから二人は、時間が許す限りお互いのことを語り合った。希美は運動も出来る。体育でも器用に熟す上に、ダンスが得意らしい。今度の体育祭でも運動部に混ざってダンスを踊ると、楽しそうに語った。好きなものはねばねばとした食べ物。納豆やオクラ、山芋が好物らしく、その意外性に隆翔は好感を抱いた。対して嫌いな物ははんぺんやちくわなどの練り物らしい。

 

「え、隆翔も写真とか撮るの?」

「はい。と言っても、景色とかなんで人を撮ったりするのは苦手ですが」

「へ~意外な趣味だね。私もお父さんのお下がりのカメラで撮るのが好きなんだ」

 

 ほら、とスマートフォンの画面を隆翔に見せてきた。そこには淡い色相で撮られた草花や景色の写真が保存されている。優子や夏紀、みぞれの姿も写っており、まさに希美の見る世界が、そこには広がっていた。スマートフォンのカメラでは再現できないものであることは一目瞭然で、お下がりとはいえ、きっと良いカメラを使っているのだろうと推察した。

 

「綺麗ですね」

「本当? ありがと。今度一緒に出掛けた時に持って行くよ」

 

 何気ない希美の言葉に隆翔は動きが止まった。

 それはデートの誘いであった。あまりの自然な誘い方に驚きを隠せなかった。無言で顔を上げると、希美は得意気に隆翔を見ていた。

 

「さっきの仕返し」

 してやったり、と言いたげな希美の瞳が隆翔の感情を昂らせる。やはり勝てそうにないと隆翔は悟った。

 

 

    ◆

 

 

「それで、希美先輩に伝えなきゃいけない事があるんですけど」

「なになに?」

「俺が北中の吹部を退部した話です」

 

 柔らかかった希美の表情は一転して神妙な面持ちとなる。真面目な話であると察したのか、前のめりで寛いでいた希美は背筋を正した。

 

「……同級生が先輩にコンクールメンバーを譲ったんだっけ。隆翔はそれが許せなかったんだ」

「はい。実はこの前、偶然その同級生と再会しました」

「そうなんだ。ちゃんと話せた?」

「ええ、あの時の事実も喋ってくれました。それで気が済んだと言えば違いますが、今でもその頃に受けた仕打ちを思い出すことがあります」

 

 どうしようもない過去。取り消したり、記憶を消すことは決して不可能だ。古傷を抱えたまま、最愛の人に初めて打ち明ける事実に、隆翔は膝が震えた。

 

「人の噂が怖いんです。自分のことを、誰かが知らないところで話している。そうして噂や嘘が伝播して、仲間で居てくれた友達も巻き込まれるのが怖くて、俺は吹部から逃げ出しました」

 

 希美は黙って聞いている。決して茶化すことなく、隆翔の一言一句を聞き逃さないように。希美の態度に隆翔は救われていた。

 好きだな、としみじみ思っていた。

 

 隆翔は一つの願いを希美に打ち明けた。

「俺たちが付き合っていること、出来る限り秘密にしたいんです。いつか、もっと胸張って先輩に並び立てる日が来るまで……」

 

 自分を、ひいては希美を守るための手段だった。隆翔自身は秘密主義でいることは慣れている。そもそも自分のことを他人に話す機会も少ない。ただ希美は違う。女子というコミュニティの中で自然発生的に話し合われる恋愛話。漏れ出た噂によって部内に不和が生まれることが何より怖い。そして、伝播する噂の当事者として希美が立件してしまうことが何より恐ろしかった。

 

 隆翔の言葉を聞いた希美は考え込んでいた。グレープソーダの氷が溶け、表面の成分が薄くなっている。そしてゆっくりと口を開いた。

 

「いいよ。隆翔の思う通りにしよう」

 

 希美は承諾した。隆翔は即座に感謝を告げようとしたが希美に「ただし」と付け加えられた。

「優子と夏紀、みぞれには報告させて。少しだけ相談に乗って貰ったから」

「分かりました」

「大丈夫。あの三人なら秘密は漏らさないよ」

「分かってます。俺も、先輩達を信頼していますので」

 良かった、といつも通りの笑顔を浮かべながら、希美はジュースを一気に飲み干した。

 

 

 

 

 ファストフード店から出た二人は家路を往く。店を出た頃にはすっかり暗くなっていた。

 今朝も早かった。演奏の疲れもある上に、さらに告白という大イベントもあったため疲労はピークに達していた。

 希美も疲労を隠しきれず、その口もとからは時折欠伸が漏れていた。

 

 宇治川に架かる隠元橋の交差点。二人はそこでお別れする。明日になればまた学校で会えるというのに、希美に対する名残惜しさは一歩進むごとに増幅していた。

 

 確かに感じる温もりが、隆翔の左手を支配した。自ずと希美の手を握る力が強くなった。

 

「じゃあ、希美先輩、また明日」

「うん、今日は慰めてくれてありがとう。また明日ね」

 

 いつまでも惜しんでしまいそうだったので、隆翔から別れの挨拶を切り出した。こういう事はあっさりとした方が良いのだと、昔観た映画が教えてくれている。

 また明日会えるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 希美に背を向け歩き出したその時、背中にトスンと体重が乗った。背中に感じる温もりは、ついさっきまで左手に感じていたものと同じだった。

 

 

「……ごめんね、弱い彼女で」

 

 

 隆翔の制服が希美の吐く息で熱が籠もる。少し弱気な先輩、いや、恋人に縋られている。寂しさは一人につき一人分。分かち合える物じゃないから、隆翔も同じだけ背負った。

 

「俺たち、寂しがり屋同士ですね」

 

 隆翔が振り返ると、希美はふにゃりと笑顔を漏らした。希美の双眸は赤く染まっていた。意識しなくても、この気持ちは共有出来ている。二人の距離は着実に近づいていた。

 

 大通りから零れる淡い街灯の光に照らされる希美。今、この空間に二人だけだと思えば、自然と顔が近づいた。

 

 呼吸が止まる。初めてキスをした夕方、心臓は早鐘を打ち、その時間は永遠にも思えた。今、二回目の繋がりを持つ。少しだけ隆翔には希美を気遣う余裕が出来た。目を瞑ると感覚が研ぎ澄まされ、彼女の柔らかな唇から伝わる熱に興奮を覚えた。時間にして数秒、希美が小さくぷはっと息を吐き、顔を真っ赤にして隆翔を見上げた。二人の身長差は約十五センチメートル。前のめりになって、隆翔に体重を預けながら抱き締めた。

 

 

「すごく、ほっとするよ」

「これからはいつでも出来るんですよ?」

「うん。でも、今日の寂しさは、今日だけのものだから」

 

 隆翔は希美の気が済むまで受け止め続けた。そして希美と歩む未来が、幸せであって欲しいと祈った。

 

 

    ◆

 

 

 翌日の部活は、多くを自主練習に充てられていた。

 年に一度のコンクールが終わっても、招待されたイベントや学校行事での演奏があるため、練習を休む暇は無かった。

 

 

 コンクールが終わった今、三年生の多くは夏休みの間に開かれるオープンキャンパスや学習塾の夏期講習に参加するため練習を休みがちになる。今日に限っては優子、夏紀、希美は欠席していた。結局、希美は進路を優子や夏紀と同じ私立大学へと決めた。その選択に後悔が無いと言えば嘘になるだろう。しかし、一度決めたら真っ直ぐと突き進める心胆を持っていることこそ希美の長所だ。隆翔は希美の姿勢に憧れを抱いた。

 

 

 

 練習後、滝は隆翔を職員室へ呼んだ。マネージャーとしての仕事は一段落ついていたので、足早に向かう。夏休みであるにも関わらず、普段と変わらないほど教師達が闊歩していた。その中をするすると滝の席へと向かう。

 

「ああ、来ましたか。樟葉くん、と高坂さん」

「え?」

「……何?」

 後ろに立つ高坂の存在に隆翔は全く気が付かなかった。隆翔が上げた驚きの声に、高坂は不快さを隠そうともしなかった。

 

 滝は一つ咳払いをして、早速本題へと切り込んだ。

「今日呼んだのは、樟葉くん、今後の君のことでです」

「……はあ」

 

「単刀直入に言います。あなたに、フルートの奏者になってもらいたいのです」

 

 一陣の風が過ぎ去った。

 忘れていた。このままマネージャーとして過ごしていくものだと、勝手に思い込んでいた。

 

「……正直、驚いています。なぜ俺に奏者復帰を要請するんですか?」

「はい。実は以前に高坂さんより、この部の傑出したフルートの実力が傘木さんの引退により下がってしまうのではないか、という提言がありました。そこで白羽の矢が立ったのが、以前北中でフルートを吹かれていた貴方の存在でした」

 

 隆翔は高坂を見る。その瞳は、滝に一点集中していた。

 隆翔と高坂は決して良い仲とは言えない。中学校で生じた二人のわだかまりは、そう易々と解消されるほど甘い話ではない。

 

 滝は言葉を続ける。

「今年はあなたがマネージャーとして入部され、加部さんと二人三脚で取り組まれたことで様々な事務関係の作業がスムーズになりました。その結果、練習に割くリソースは増えたと言っても過言ではありません。しかし、楽器を吹けなくなってしまった加部さんとは違い、貴方にはもう一年北宇治で吹くチャンスがある。その機会を我々の助力という形で潰えてはならないと思っています。勿論、マネージャーという仕事も重要だと、今年の活動を振り返って思うところではあります。続けるか、そうでないかは貴方に委ねます」

 滝は判断を委ねている。もう一度、フルートを吹く機会を与えてくれているのだ。来年、隆翔ら三年生が悲願の花を咲かせるために。

 

 隆翔は困惑した。滝の進言に即答できる状況ではなかった。

 心の奥底で、過去に受けた傷が疼いた。

 

「ちょっと、考えさせてください」

「分かりました。いつでもお待ちしています」

「失礼します」

 

 軽く会釈して職員室を出る。それに高坂が続いた。

 快諾は出来なかった。感じる引け目は誰でも無い、自分へ向けたものであった。

 

「樟葉」

 背後からの鋭い声に足が止まった。何を言うかは分からないが、高坂の言葉はふんわりしたものではない。その声の主に、無言で振り返った。

 

「樟葉、言ったよね。音楽と向き合いたいって。分かるでしょ、今のフルートから調先輩と希美先輩が抜けたらどうなるかくらい」

「まあな。来年良い一年生が入ってくるかもしれないけど」

「そういう話じゃない。この前少し聴いただけでも分かる。アンタの音はちゃんとしてる。一年生にはない安定感がある。今からまた練習すれば来年のコンクールに出られるかもしれない」

 確かに時間はある。まだ二年生の夏休みだ。来年のコンクールまで丁度一年の猶予があった。

 

 高坂は隆翔の技術を買っている。それに彼女の音楽観には隆翔も信頼していた。

 

「……ちょっとだけ時間をくれ。気持ちの整理をしたい」

「もう誰も、樟葉のことを悪く言う人はいないと思うけど」

 

 思い出されるのは、やはり中学のこと。

 今の言葉は高坂なりの気遣いだったのだろう。一時期のわだかまりに比べたら、高坂との関係は氷解している兆しがあった。彼女の態度が、隆翔を素直にさせた。

 

「そうだな。ありがとな、高坂」

 

 

     ◆

 

 

「マジか……」

 翌朝、希美からメッセージが届いた。

 その文面は普段の砕けた感じではなく、几帳面さが浮かぶ文体だ。正直のところ、この依頼には気が滅入った。

 

 呼び出されたのは三年生の教室。隆翔が着いたときは、まだ誰も到着していなかった。

 校舎の最上階に位置する三年生の教室からは、宇治市街の景色が一望できた。来年見るかもしれないこの景色に、希美たちが卒業する実感を抱いた。

 

「あ、いた」

 

 教室へ入ってきたのは優子に夏紀、そしてみぞれだった。

 希美からのメッセージには、部活前にこの三人が隆翔と話をしたい、という内容だった。希美は来ていない。とすれば、きっとみぞれと希美の関係に纏わるものだろうと即座に判断した。

 

「おはようございます」

「うん、おはよう」

「ごめんね練習前に。ちょっとだけ時間ちょうだい」

 

 優子と夏紀は物腰の柔らかな態度で本題に切り込む。みぞれは黙ったまま、隆翔をじっと見つめている。その深い蒼を頌える瞳は、油断していると食い殺されてしまうような恐ろしさを孕んでいた。

 

 

 

「……希美と、付き合い始めたんだっけ」

 

 

 

 夏紀が遠慮がちに話題に触れる。その表情に歓迎の意志はなく、探りを入れるようであった。

 しかしそれでも、希美に対する想いは揺らがない。隆翔は心を強く持った。誰でも無い、希美の為に。

 

「はい。その通りです」

 

 ヒュッと息を呑む音がする。

 

 同時に、先程まで貫くように見つめられていたみぞれの視線が下がった。

「みぞれ……」

「ううん。大丈夫」

 差し伸べる優子の手を、みぞれは丁寧に断る。

 

「私が言ったの。コンクール前までに、ちゃんと希美と話してって」

 みぞれは平静を装った。隆翔が接してきた中で、こんなにも無理矢理に感情を抑え込んでいる彼女を見たのは初めてのことだった。

 

「ありがとう」

「みぞれ……」

「樟葉くん、聞いてほしいことがある」

 

 みぞれは抑揚の少ない声で、淡々と語り出した。

 南中で希美に出会ってから、彼女がみぞれに与えたオーボエのこと。モノクロームな日常の連続に、色彩が生まれた事。

 隆翔がみぞれに抱いた歪な印象は、みぞれが希美に抱く好感が理由だった。

 

「私があのまま希美を手放さなかったら、希美とずっと立ち止まったままだった。私が前に踏み出せたように、樟葉くんは希美の手を引いてくれた。だから、ありがとう」

 

 みぞれは隆翔が想像しているよりも思慮深かった。希美を慕うが故に、その関係の在り方を今までずっと希求してきた。真面目な彼女の、真面目が故に言葉にしなければならない義務感がそうさせたのだろう。

 

 ポツリとみぞれが声を漏らした。

 

 

「人は、理由も無く一緒にはいない」

 

 

 あまりにも切ない言葉だった。その背景を知る隆翔をはじめ、優子や夏紀も息を呑んだ。

 

「それは、分かる気がします。この前まで、俺も希美先輩と一緒にいる理由を探っていました」

「……そう。君みたいに、希美に恋していたらもっと楽だった」

「そうじゃないんですか?」

「違う。希美のことは好き。希美は私の全部だった。希美と一緒にいれさえすれば、後はなにもいらないくらいに。でも、希美はそうはならないって気付いてから、そう考えるのは辞めた。希美は好き。だけど、希美を好きな自分は凄く嫌だった」

 

 確固たる意志がその瞳には介在している。みぞれとのファーストコンタクトで抱いた、殻に閉じこもった彼女はどこにも存在しなかった。

 

「希美先輩はみぞれ先輩のこと、ちゃんと特別だって思っていますよ。でも、あの人って欲張りで正直なんですよ。周りの目を気にしまくって勝手に傷つくし、でも自分の好きなことにはいつも真っ直ぐ。先輩同士は紆余曲折あったと思います。でもみぞれ先輩には嘘は吐けない。それって、ちゃんと好きってことなんじゃないでしょうか」

 みぞれが驚いたように目を見開いた。僅かな変化だが、彼女の頬は赤く染まっている。

 

 他人の評価に興味の無い、希美とはまるで正反対の性格をしている彼女が、その瞬間に人らしさを垣間見せた。

 

「『二人は特別』で良いと思いますよ。それも一つの答えです」

 

 人は些細なきっかけで、価値観が変わったり成長の一歩目を踏み出すことが出来るのだろうか。少なくとも、みぞれの言葉からは希美に依存しているような素振りは見受けられなかった。

 

「そうだといいな」

「希美先輩は、俺が幸せにします」

「当たり前。そうしなかったら許さないから」

 みぞれは顔をくしゃりと綻ばせ、笑顔を見せた。

「本当よ。希美のことを不幸にしたら祟るからね」

「うわ、重すぎ……」

「物の例えでしょうが!」

「いやいや、結婚前の姑か」

 優子が腕を組みながら隆翔に詰め寄る。夏紀が茶化すことで、教室に漂っていた重い空気は一瞬にして弛緩した。

 

 隆翔が希美と出会った時の感情と、みぞれがこれまで抱いていた感情は似通っていた。隆翔はその感情が恋愛にシフトした。みぞれにも、その兆候になり得る出来事があったかもしれない。

 

 しかし、みぞれはそうならなかった。

 みぞれの孤独感は理解できる。

 好きという感情を伝えるには、これまで感じたことの無い勇気と責任感が生じる。相手の気持ちを考えれば、告白なんてしない方が良い。みぞれは希美との仲睦まじい時間をずっと延長したかった。

 しかし、それは時間が許さなかったのだ。

 みぞれの時間を奪い去ったのは隆翔かもしれない。相手への告白に抱く責任感とは、そういうことだ。

 

 みぞれは微笑んで隆翔に小さく頭を下げた。

「時間くれてありがとう」

「どういたしまして」

 隆翔も会釈で応える。

 

 それを見た優子と夏紀は、飛び立つ親友の背中を安心した表情で見つめた。

「じゃ、今日の練習もがんばろ」

 左手で拳を握る優子は、すっかり部長モードに切り替わっていた。

 

 

 これからクリアするべき課題は山積みだ。

 部内には依然として全国へ進めなかった悔恨がへばりついている。悲しみに暮れる者もいれば、来年のコンクールで雪辱を果たそうと奮起する者もいる。

 残酷で儚い、その時間を過ごす我々には、立ち止まっている暇など無いのであった。

 

 

【つづく】

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