もうすぐ冬の空気を纏い始める十一月中旬。ただし、私たちが立つ大阪城ホールには真夏のような熱気が支配していた。
全日本マーチングコンテスト。
マーチングに青春を懸ける学生は誰もが憧れる舞台だ。
私たちの一つ前の学校がプログラムを終えた。ジャージで演奏することで有名な、福岡の清良女子だ。
この場所に立つといつも抱く不思議な感覚がある。
扉の先、私たちが演奏するアリーナに立っても、学校の体育館に敷かれたコートラインが視界に映る。何万回と踏んだステップを支えるように、いつもと同じようにシングを吹くんだ。
いよいよ立華の出番。
顧問の熊田先生による激励の後、部長が最後の檄を飛ばした。
「この体制になってから、はっきり言って私たちは去年よりも劣っていました。先輩達は凄かった。ブレなかった。その姿に憧れたし、私は部長を任されたことが誇りでした。でも、全国を目標にしていた座奏では関西銀賞。プログラムの難易度を上げてきたマーチングも、正直言って間に合うか分かりませんでした」
息を呑む二、三年生。部長と同じく、去年の結果を追い求めた故に重圧を感じていたのだろう。
部長は、でも、と言って言葉を紡いだ。
「みんなは覚悟を持っていました。関西大会で全国を決めたときの喜びを、涙を、私は忘れません。今日で三年生は最後です。全部全部、出し切りましょう。燃え尽きたっていい。それだけ価値のある三年間なのだから。一、二年生も、来年あると思わず、この瞬間に全てを懸けてほしい。みんなで金、獲りましょう!」
『はい!』
綺麗に揃った返事を皮切りに円陣が組まれる。
部長の掛け声がアリーナに繋がる通路に響いた。
私はこの儀式が大好きだった。
「笑顔じゃなければ!」
『立華じゃない!』
「We enjoy!」
『Music!!』
「We love!」
『Music!!』
「We are!」
『RIKKA!!』
一歩踏み出して、皆の声が揃う。心のチューニングは整った。
今年も、そして来年も一番上を獲りに行くんだ。
◇◆◇
秋の夕暮れを一身に浴びる校舎に、燦然と輝く垂れ幕が架かっている。
『祝 吹奏楽部 全日本マーチングコンテスト金賞』
私たちが成し遂げたことを、学校を挙げて祝福してくれている。
こんな幸せなことは無い。今でも、あのホールで浴びた大喝采を思い出すことが出来る。
「部長……佐々木部長!」
「えっ、あっ、はい!」
「もう、そろそろ部長呼びにも慣れてくださいよ」
「ごめんね。何か用事?」
「はい。来月の大阪東照との演奏会についてなんですけど……」
全日本マーチングコンテストから二週間が経過し、立華は代替わりをした。
そして私、佐々木梓は第三十八代吹奏楽部部長に任命された。
正直、リーダーに求められる資質とか、そういったことへの自覚はまだない。
少し前に北宇治も代替わりし、久美子が部長になった。そして驚嘆すべき事に、北宇治の幹部クラスはすべて北中吹奏楽部出身者で占められていた。
部長の心意気を、久美子はまだ持っていないだろうな。きっと今頃、彼女が苦手な人前で喋ることを克服している最中だろう。
それ以上に変わったことと言えば、隆翔がフルート奏者に復帰した。しかも美音や花音と同じ木管教室に通い出したらしい。二人から隆翔の名前が出たときは驚きを隠せなかった。
今年の府大会で再会してから、練習後にしばしば自主練に付き合ってもらっていた。あの楽しかった中学時代に戻ったようで私は嬉しかった。
しかし、互いに肩書きが生まれた今は殆ど会えていない。毎週音楽教室で会える二人を疎ましく感じることもあった。
早く会いたい。会って、全国金賞を褒めて貰いたい。
私の隆翔に対する心情は、いつしか定義できるものへと変わっていた。
「最初の一歩からズレてる! やり直し!」
『はい!』
年始に催される演奏会が刻一刻と近づく。
それによって、毎日の練習にも熱が籠もる。
大阪東照高校。この学校の部活動はかなり盛んだ。
野球部は毎年のように甲子園に出場している強豪だし、吹奏楽部もその名前を聞かない年はない。マーチングでも座奏でも全国の常連だ。
でも、マーチングで言えば立華も東照に負けていない。
実力伯仲。決して見劣りしない演奏をするほど、私たちは練習しているし、結果も着実に付いてきている。新米部長の私でも、先代や先々代の先輩達がやってきた練習に間違いはない。軋轢や衝突はあっても、結果が付いてくると分かれば納得し、満足した。
本番に満足できるために、私たちは伝統を受け継いで、今日も朝から晩まで手足を動かしている。
「一年、やる気ないなら帰って!」
『はい!』
「手抜いて来年困るのは自分だよ!」
『……はい!』
「ホルンの一年、ゴメハ忘れたんなら覚えるまで端っこでやって! みんなにケガさせる」
『分かりました!』
隊列を邪魔しないように数名が体育館の端で行進練習を繰り返す。
五メートル八歩。通称『ゴメハ』はマーチングの基本だ。このルールを乱せば隊列はバラバラになり、ズレた位置を起点に他の生徒と衝突する危険がある。そもそも、一年生は春に身体に浸透するほど歩かされるから、覚えている筈だった。
「十分休憩!」
他校にマーチングで負けたくないというプライドが練習を苛烈にしていく。
今、私の心に燻る焦燥感は決して良いものではない。でも、今はこれくらい厳しくして行かなきゃいけない。でないと舐められる。それは部長として良いこととは言えない。
「花音先輩、美音先輩、すごーい!」
下級生の黄色い歓声の先で、西条姉妹がガードを使った見事なコンビネーションを見せていた。
二人のカラーガードは、二つ上の先輩である
「花音、美音、あまりはしゃがないで」
「やべ、部長に見つかった」
「はーい、解散解散」
二人の号令にギャラリーは蜘蛛を散らすようにいなくなった。
「はあ、まったく……」
「そんなに堅くならないの」
花音がするりと肩に腕を回してくる。触れられた部分がこそばゆい。
「誰のせいだと思ってんのよ」
「あら、ごめんあそばせ」
その反対側から、美音が囁く声で宣った。
「最近会ってないからじゃないの、樟葉隆翔くんに」
突如出された名前に、心臓が跳ね上がる。体温が上がったのが、自分でも分かった。
「い、今は関係ない!」
「やだ、熱い熱い」
「恋する乙女は可愛いよ、梓」
最近、私に対する二人のいたずらが激化した。大変遺憾である。私がどんな思いで指導してるか知らない癖に。
火照る顔を冷ますため、洗面台の蛇口を乱暴に捻って水を出す。
勢いよく吐き出される水を両手で掬い、バシャバシャと顔面に叩きつけた。
どうせこの後汗だくになるんだ。練習着が濡れることも厭わない。
びしょびしょに濡れた顔が鏡に映った表情を見て、絶句した。
私、こんなに怖い顔してたっけ……。
「はぁ……」
誰にも聴かれていないことを良いことに、海よりも深い溜息を漏らした。
こんなことではいけない。もっと自分を律しなければ。
私は首にかけたタオルで水気を取りながら、体育館に戻った。
◇◆◇
「これ、主賓が私である必要あった?」
カコン、とピンが倒される小気味良い音が響く。
今、私がいるのは近所のボウリング場。正確に言えばフットサルや卓球、バッティングセンターが併設されたアミューズメント施設だ。
母が休みの日に、二人でよく来たことのある思い出の場所だ。
「良いんだよ。梓、ボウリング好きだろ」
私よりもワンサイズ重い球を丁寧に吹きながら、隆翔はサムホールに親指を嵌め込んだ。次は彼が投げる順番だ。
「そうなの?」
「うん。昔、ここにお母さんとよく来たんだ」
その向かいでジュースを啜る久美子が疑問を口にした。私がボウリングに熱中したのは小学生の頃だ。知らなくて当然だった。
つるつるに磨かれたレーンを緑色のボールが滑る。球は左右に分かれて残ったピンに触れることなく擦り抜けていった。
「うわ、スペア取れなかった」
「二兎追う者は一兎も得ずってな」
「うるせえ」
二ピン残してターンを終えた塚本を揶揄う隆翔が入れ替わるようにレーンに入る。自動的に配置する機械が塚本の残したピンを無常にも掃き出し、新しいピンが用意されていた。
隆翔は左側面からセンターへ切り込むようにボールを投げた。そのまま行けばガターに落ちるが、斜めにスピンがかかったボールはレーンをはみ出ることなく左に曲がり、ピンを全てなぎ倒した。ストライクだ。
「っしゃあ!」
隆翔のガッツポーズのあと、レーン上部に吊されているモニターにピエロが踊っている映像が流れた。
技ありの投球に久美子が感嘆の声を上げる。
「樟葉上手いね、カーブ掛けれるんだ」
「前に動画で見た」
「なんか腹立つ」
塚本にどや顔を見せながら、隆翔は私の横に座った。
「アンタ仮にもフルート奏者でしょ。指ケガしても知らないから」
隆翔の次に控えるのは、なんと高坂麗奈だ。
孤高の印象が強い彼女がここにいること自体に驚きだが、どうやら久美子に誘われて同行したようだ。
どうして私と北宇治の幹部が揃ってボウリングをしているのか。
先週、珍しく久美子から連絡が入った。
『梓ちゃんの全国金賞をお祝いしたいから、来週どこかで遊ばない?』
偶然部活の休養日が被ったようで、近所のボウリング場がその会場となった。
ちなみに、ボウリングを提案したのは隆翔だった。
「麗奈がんばれー」
久美子の気の抜けた応援に、麗奈はコクリと頷いた。
細くしなやかな指から放たれたボールは真っ直ぐと転がって、いくつかピンを倒した。
固まって残ったピンを、二投目で確実に倒してスペアを獲った。堅実な彼女らしいプレイだ。
何投か終えて一旦小休止。この時点での一位は隆翔で二位が私。久美子、麗奈と続き、隆翔に触発されて慣れないカーブを多投した塚本が最下位だった。
「秀一下手なの?」
「まだ本気を出してないだけ」
「往生際が悪いぞ」
「そうよ。熱くなっちゃって馬鹿みたい」
「好き勝手言いやがって!」
私の目の前で展開される日常会話。そうだ、昔はこうして話してたんだった。目の前の忙しさに悩まされて、そうしたことも忘れていた。
「なんか、みんな気が合ってていいね」
「どこが?」
「だって、みんな部長とか副部長にドラメなのに、こんなに仲が良いから」
「立華は違うの?」
隆翔の疑問に、否定する言葉は出なかった。
「うーん、険悪なことはあまりないけどこうやって遊びに行くことはないかな。やっぱり部活の時、あんだけ厳しくしてたら普段にも影響を及ぼすのかも」
「梓は部活になると高坂モードになるってこと?」
「喧嘩売ってんの?」
「安くしておくぞ」
「買った」
売り言葉に買い言葉で、途端に隆翔と麗奈の雰囲気が険悪になった。
中学の頃に隆翔が麗奈と喧嘩して泣かせたという噂は、どうやら真実のようだ。
「やめなよ二人とも」
「しないわよ。こんなところで」
「てか、高坂モードって何? 麗奈ってそんなに厳しいの?」
「厳しくするのは当たり前。でないと全国金賞なんて取れない」
「流石、ストイック~」
「あまり厳しくされるのも困るんだけどな」
「そこは、秀一が上手くバランス取りなよ」
一連のやり取りをみて、私は一つ得心がいった。
なぜ北宇治で久美子が部長に選ばれ、塚本と麗奈が補佐する立場になったか。
麗奈は上手い。中三のコンクールで一人だけ悔し涙を流しただけある。その挫折が今の麗奈を形作るのであれば、自然と辻褄が合う。
もっとびっくりなのは、いつの間に久美子が塚本との恋人関係を解消していたことだ。先日、この集まりに塚本が来ると知って私が気を遣おうとしたことで発覚した。久美子曰く、多忙になる部活や学校生活で恋愛に構っていられる余裕がないから振った。その過程で、隆翔は憤慨しながら久美子を責め立てたそうだ。
「今度ね、大阪東照との演奏会があるの」
「あ、知ってる。一年の子が見に行こうかなって騒いでた」
「そう、それ。部長になって初めての大きな仕事なんだ」
「すげえじゃん。頑張れよ」
「ありがと」
隆翔の言葉がじんわりと心に浸透する。私は自然と笑みが生まれた。
不思議だ。他のみんなの前では気丈にしていられるのに、隆翔の前だと弱い自分が顔を出してしまう。
その心が表情に出たのを、久美子が見逃す筈がなかった。
「でも、それだけじゃなさそうだね」
私はこの際、思っていることを相談することにした。
「練習メニューも指導法も、この二年間で先輩達を見てきたから自信を持って教えられる。でも、やってもやっても足りないと思うのは、私の我が儘なのかなって」
言葉が尻すぼみになる。正直、他校のことなんて考えてる余裕もないだろうに、四人は私の話を黙って聞いていた。
私の告白に最初に反応したのは麗奈だった。
「そんなの、当たり前じゃない」
「え?」
「佐々木さんの場合、みんなよりも数段優れているから部長になったんでしょ。中学の頃から人並み以上に練習していたのは知ってたし、上手くなるだけ理想は高くなるものよ」
「久美子もそう思う?」
「うん」
私から一瞬たりとも視線を外すことなく、久美子は肯定した。
「樟葉は、この前部活を休んでまで梓ちゃんの関西大会を見に行ったんでしょ?」
「ああ」
「やっぱり凄かった?」
顔の前で指を交えながら、思いの丈を言葉にしてくれた。
「……凄かったのもあるけど、楽しそうだったよ。技術とか、その技の凄さまでは分からないけど、もっと単純にこの時間が終わって欲しくないんだろうなって梓は顔に出てた」
ぽっと瞬間湯沸かし器のように顔が熱くなった。
何よりも、演奏に夢中な時に考えていた事を看破されるとは思わなかった。
裏を返せば、そこまで私を見てくれている、ということだった。素直に嬉しいし、恥ずかしい。
「ランナーズ・ハイ的なやつ?」
「塚本の言う通りかも。演目は何千回と通してやってきたことだから身体が覚えてるし、周りの音が鮮明なのに自分の音が聴こえない、みたいな」
「うへえ、そこまで突き詰めるのか……」
立華の練習量を甘く見ないでもらいたい。
「でも、それくらいしないと全国金は厳しいんでしょうね」
麗奈の言葉に首肯する。
「正直、今年の結果はギリギリだったと思う。審査基準も年々変わってきてるし、去年は代替わりでゴタゴタしたし……」
「今年は大丈夫だったの?」
「去年程じゃなかったかな。演奏会の予定も立ってたから全国の延長戦って感じで臨めてる」
「なんか、感覚はウチと似てるな」
「そうね」
麗奈と塚本は、ニヤっと久美子を見た。
「見るな見るな」
「えー、久美子の部長らしいとこ見てみたい」
「やだ! 休みの日まで部長仕草を要求しないで」
その様子からして、私の予想以上に苦労しているようだ。
話が収まったところで、ボウリングが再開された。
隆翔は相変わらずどこで覚えてきたのか分からない技を繰り出している。それで点数を稼いでいるのだから侮れない。
私と麗奈も小技は使わずに点数を稼ぐが、腕が疲れてきた久美子は段々残るピンの数が多くなっていき、遂に塚本が逆転した。
結局ボウリング大会の勝者は隆翔となった。
休日ということもありボウリング場は混雑している。後の人がいる為、私たちは一ゲームで終えることにした。
「疲れた、腕痛い」
「私もボウリング久々だったから、明日筋肉痛にならないといいな」
「梓ちゃんは大丈夫だよ、腹筋割れてるんでしょ」
「やだ、こんなとこで言わないでよ!」
久美子はたまにデリカシーを忘れたかのような言動をする。
そこら辺の一般男子以上に運動している自覚はあるが、公衆の面前で腹筋が割れていることをひけらかす趣味は持っていない。
受付の横に併設しているシューズボックスに、レンタルしていたシューズを返却する。エントランスへ向かう途中に、プリクラがあった。
「ね、プリ撮らない?」
「お、いいな」
「え゛」
壊れたロボットみたいな声で、麗奈は拒絶した。
「……私、プリクラ苦手」
視線を泳がせながらしれっと撮影機から距離を取る麗奈はちょっとレアだった。
「いいね、よし、撮ろう!」
「ちょ、久美子!」
「大丈夫だって、麗奈。梓ちゃん、プリクラのプロだから」
「そうなの?」
思えば、このメンバーで一緒にプリクラを撮った経験があるのは久美子だけだった。
「そんな褒められるようなものじゃないよ」
「いいから! ほら、秀一と樟葉も入りなよ」
久美子を先頭に、腕を引かれる麗奈、私、後ろに男子二人が控える。
お金を入れると筐体が起動して、ポーズを取るよう要求する。プリクラなんて、めっきり久しぶりとなってしまった。慣れた動作も、懐かしさを覚えるようになってしまっていた。
テンションの高いカウントの後、パシャリとフラッシュが焚かれる。
程なくしてディスプレイに映し出された画像を見ると、各々がポーズを撮る中で麗奈だけが不安そうな表情で写っており、私たちは笑い合った。
「~~~っ! やり直し! もう一枚撮るわよ!」
笑いのネタにされたことが相当悔しかったのか、麗奈は自ら財布を出して二枚目を要求した。もちろん断る理由はなく、二度目のシャッター音が響いた。
デコレーションは私担当だった。
一枚目には『北中ブラバン』の文字とそれぞれの楽器記号。二枚目には『きたうじ×りっか』と書いた隣に、久美子が『全国金おめでとう♪』と書き加えた。
心の底から祝福してくれる久美子の優しさが温かった。
◇◆◇
「今日はありがとう。息抜きになったよ」
「そりゃ良かった」
宇治駅が最寄りの三人と別れた後、隆翔と電車に乗っての帰り道。帰宅ラッシュで混んでいる車内で自ずと互いの距離が近くなる。
触れはしなくても、隆翔の匂いが鼻孔を刺激して心拍数が上がる。
邪な思いを振り切ろうと私は無理矢理話題を変えた。
「隆翔とボウリングしたの、何年ぶりかな?」
「確か、小学五年の時が最後じゃないかな。佐々木家とうちで四人で行ったな」
「あの時も隆翔上手かったよね。一番点数を稼いでる隆翔に対抗心燃やして、うちのお母さんが本気出してた。結局、腰痛めて次の日仕事休んだんだよ」
「え、そうだったのか」
思い出すと今でも笑ってしまう。釣られて隆翔も笑みを浮かべた。
次は黄檗です、とアナウンスが告げる。楽しかった休日も、もうすぐ終わる。
終わってほしくないのは、休日なのか、それとも……。
最寄り駅に着いた私たちは、改札を出たところで別々の方向に別れる。
「じゃあ、またな」
「えっ」
「ん?」
それが嫌で、私は勇気を振り絞って我が儘を言ってみた。
「もう暗いよ? それにうち、ちょっと遠いんだけど」
わー、何言ってんだ私! 死ぬほど恥ずかしい! 生娘か!
隆翔は私の言葉にきょとんとして、そのあと優しい表情で仕方ないな、と呟いた。
駅前を出てから私の家まで大体十分。
これまでも家まで送ってくれたことはあった。でも、今はそれ以上に心臓が高鳴ってる。
会話が成り立たない。いつもはスラスラと言葉が出てくるのに、何を話したらいいか分からない。
何も出来ないうちに、家から程近い、毎日振りの練習に使う公園に辿り着いてしまった。
半分諦めようとしていたところで、不意に隆翔が話し掛けてきた。
「梓、今つらくないか?」
「な、何が?」
「梓ってさ、失敗するの苦手だろ」
サクッと細い矢羽根が突き刺さった。
「……うん」
「立華の事情は知らないけど、多分言いたくないような厳しい言葉を浴びせてるんじゃないかなって思ったんだ。で、なんとなくドラムメジャーよりも上手い部長の自分が前に出る必要に迫られてて、慣れない環境に息が詰まってるような」
「…………」
何も言えなかった。全て隆翔の図星で、私は黙って頷くことしか出来なかった。
公園のブランコに並んで座る。
人一人分の距離感が、今はありがたかった。
「でもさ、今の立華は、梓という屋台骨に縋るしかないんだよ」
「分かったように言うじゃん」
「違うのか? じゃあ言うけど、黄前が部長になった時、あいつに一番期待したのは俺だぞ。なぜなら新部長であり、それに足る器があると判断したからな」
隆翔の言葉はチクチクと自尊心を刺激してきた。その肯定的な視線を、一欠片でも良いから私に向けてほしいのに……。
「そうして、黄前は部長になって初めての仕事を完遂したぞ。あいつなりのやり方でな」
居てもいられなくなって、ガチャンと音を立ててブランコから立ち上がった。
「だって、北宇治はまだ強豪になって浅いじゃん! 立華は違うんだよ……私には、この伝統は重すぎる……」
あふれ出そうな涙を必死に抑える。その代わりに、喉の奥から出たのは慟哭のような醜い言い訳だった。
「……ごめん」
「いいよ。そうやって吐き出すのも大事だ」
「なんでそんなに大人なの?」
「大人じゃないし」
「大人だよ。私より全然……」
感情の行き場がなかった。というより、隆翔に追い詰められた。
そして、私は部長就任以来溜め込んでいた膿を吐き出した。
再び、私たちは家までの道のりを歩き始めた。
「すっきりしたか?」
「……うん」
不本意ながらね。
「東照との演奏会、楽しみじゃないのか?」
「正直怖いよ。東照は今年もマーコンと吹コンで全国金賞だし、立華が色眼鏡使われるのが嫌」
「そうかな?」
私の悩みを、隆翔はあっさり否定した。
「誰が立華と東照を比較するんだ。全国金賞同士の共演だぞ。どんだけ贅沢なことだと思ってんだよ」
とぼとぼと歩みを進めていた足が勝手に止まっていた。
隆翔は、いつものように優しい視線を向けている。
忘れていた。私の敵は大阪東照じゃない。自分自身なんだ。
「お前のトロンボーンは、掛け値無しに京都一だと思ってるよ」
隆翔は夜道を新興住宅地の自宅まで送ってくれた。あれだけ別れたくなかったのに、家に着いてしまえばあっけないものだと思った。
「送ってくれてありがとう」
「おう」
「おばさんによろしく伝えて」
「おう」
「それから……」
「なんだ?」
「頑張れって言って」
虚を突かれた隆翔はぽかんとした後に、不敵に笑った。
「がんばれ、梓!」
その時、私は今日いちばんの笑顔をしていただろうか。
でもいいや。隆翔が知っていてくれたらそれでいい。
◇◆◇
「大阪東照高校のみなさん。本日はよろしくお願いします!」
『よろしくお願いします!』
年が変わり、新年一発目の一大イベントの日がやってきた。
早朝、大阪東照高校に到着した我々を出迎えたのは、綺麗な校舎に巨大な体育館だった。
今日は、この体育館でマーチングの演奏会が行われる。
午前十一時と午後一時からの二部制で行われ、チケットは完売したそうだ。
校内にあるシンフォニックルームを借りて行われたリハーサルで、私たちは学校の規模と充実した施設に度肝を抜かれた。胆力が足りない生徒は、既に借りてきた猫状態であった。
「はい、立華集合!」
ササーッと私を囲うように部員が集合する。見渡してみても、明らかに上がっている生徒がいる。
あれ、やるか~。東照の生徒が見てるから恥ずかしいけど。
「美音! 花音! なんか一発芸やって」
「はぁ!?」
「いきなり無茶振りだと……」
「いいから!」
渋々と梓に変わって西条姉妹が前に立つ。東照の生徒も、希有な視線を送っている。
腹を決めた二人の目線が交わる。
「ではいきます。はっ!」
そうして繰り出したのは、カラーガードを使った曲芸だった。
身体の柔らかい二人は、ケガしない程度に身体をくねらせ、バトントワリングのように器用にガードを投げ回す。
段々とリズムに乗ってきて、二人に合わせてみんなが手拍子する。
東照の生徒も、二人の曲芸に興味津々だ。やはり、物珍しさが好きな関西人気質は変わらないようだ。
やがて二人同時に投げ上げたフラッグが落ちてくる間にバク転を繰り出し、器用にキャッチした。
『おお~!』
周囲から歓声と拍手が上がる。
気が付けば、立華も東照も関係なく西条姉妹の一発芸に魅入っていた。
「あ~ず~さ~!」
直後の休息時間で、私は二人から責められていた。
「二人ともありがとう、大盛り上がりだったよ」
「アンタ本当信じらんない! 失敗してたら大恥掻いてたじゃない!」
「だって、その為に休憩時間に後輩に見せてたんじゃないの?」
あえてとぼけてみる。いつもこの二人に揶揄われているのだ。これくらいの意趣返しは許されるだろう。
花音は口をぱくぱくさせ反論が出来なくなった。美音は頭を抱えて諦めている。
「良い意味で東照とのアイスブレイクにもなったし、ウチの子らの緊張も解れたから助かったよ」
「……そう、それは良ござんした」
「次からは事前に言ってよ。無茶振り厳禁」
「はいはい」
あの時、隆翔が言った通りとなった。もう誰も立華を色眼鏡で見ていない。
東照のホームグラウンドでも、こうして立華の空気を作ることが出来たのは、私の自信となっていた。
時間は過ぎ、アリーナへの扉が開かれる。
お客さんの興奮が、ビリビリとバックヤードにも伝わってくる。
一度、ゆっくり深呼吸する。
私は立華高校マーチングバンド第三十八代部長、佐々木梓だ。
私たちの演奏、とくとご覧じろ。
「では、いつもの行きます!」
ザッと円陣が組まれ、みんなの心が一つになった。
思えば、この円陣で自分から掛け声をするのも、今日が最初だった。
私の一年が、ここからスタートするんだ。
「笑顔じゃなければ!」
『立華じゃない!』
「We enjoy!」
『Music!!』
「We love!」
『Music!!』
「We are!」
『RIKKA!!』
【つづく】
梓、誕生日おめでとう。
−追記−
2025.3.20 EP.04まで加筆修正を行いました。