或る、フルート吹きの青春   作:ハヤブサ320

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EP.32 小さな革命

 太陽公園で解散したその足で、隆翔は京阪電車に揺られ中書島駅のホームに降り立った。希美は既に到着してホーム上のベンチに佇んでおり、薄手のシャツとデニムのパンツという装いで隆翔を出迎えた。

 

「サンフェスお疲れ様!」

 

 寄り添った勢いで絡み合った指は熱を帯びていた。希美の隆翔へ会いたい気持ちが現れているようで、じんわりと温かな気持ちが指先から広がっていくのが分かった。

 

「久しぶりだね」

「ホント、練習ばっかで会えなくてごめん」

「それは私もだよ。だから凄い嬉しい」

 

 眩しいまでの笑顔が隆翔を照らす。隆翔にとって、希美は紛れもなく太陽だ。それは出会ってから変わっていない。しかし、ただ照らされるだけの関係から互いに温め合う関係に変化した。隆翔は休部騒動を経て、背中を預けあい、寄り添うことを知った。

 

「それより、初めてのマーチングはどうだった?」

「うーん、一回でいいかな。俺的には座奏のほうが性にあってる」

「あはは、それは私もかな。その点、うちのオケ部はマーチング無いから助かってる」

 

 一度経験してみて思ったが、座奏とあまりにかけ離れた練習方法には付いていけそうになかった。そもそも身体を動かすこと自体は苦手であり、演奏に直結すること以外の運動はごめん被りたい。以前、運動神経の良い希美にその話をしたら、じじ臭いと一刀両断されてしまった。

 

「でも、可愛い衣装だけはたまに着たいって思うかな」

「あー、あのヘソ出しのエロいやつ」

「否定はしないけどエロいって言うな。で、今年はどんな衣装だったの?」

「写真送ったでしょ」

「男子じゃなくて女子のほう」

「えっとね、上は男子とほぼ一緒で、下は白のキュロット。こんな感じだった」

 

 隆翔が見せた写真は、本番前にパート全員で撮った記念写真。どこかのパートから始まって、フルートも撮ろうとなったんだとか。今年の衣装を見た希美は、僅かに眉を顰めた。

 

「可愛いけど、だいぶ硬派だね。私は出なかったけどさ、二年の頃の衣装はもっとやばかったらしいよ。ノースリーブでミニスカだし。めっちゃ体型が出そうだった」

 

 隆翔は希美がその衣装を着た姿を想像した。うむ、これはなかなか、と自分でも鼻が伸びているのが分かる。

 

「それはぜひ見てみたかったな」

「変態さんかな?」

「希美の前だけね」

 

 肯定されると思っていなかったのか、希美はぷはっと吹き出した。何それ、と言いながら小突く姿には、いつもと変わらない気安さがあった。

 

「そういえばさ、あがた祭りなんだけど、どうする?」

「あー、もうそんな季節か」

「……付き合って初めてのお祭りだね」

 

 夕日に染まる横顔にドキッとする。宇治の学生といえば六月五日のあがた祭りは遺伝子に組み込まれた一大イベントだ。昨年は吹奏楽部に入部したてであり、交流も兼ねて吹奏楽部の男子連中と屋台を練り歩いた。

 

「今年は希美と行きたいなぁ」

「ほんと? そしたら浴衣着ちゃおっかな」

「マジ? そしたら俺も甚兵衛探してみる。無かったら買うし」

「えへへ。楽しみだな」

 

 笑顔全開ではにかむ恋人に心打たれながら、隆翔は幸せを噛み締めていた。希美の笑顔にサンライズフェスティバルでの疲れも吹き飛んでいた。この幸せは受け取るだけではいけない。何があっても守り抜かねばと決意を新たにさせるものだった。

 

 

 

 

 

     ◇◆◇

 

 

 

 

 

 翌日からコンクールの練習が本格化した。経験豊富な三年生に実力がついてきた二年生、粒ぞろいの一年生と、今年のA編成は誰がなってもおかしくはない状況だ。昨年同様、滝は自身の求める実力に見合わない生徒は容赦なく落とす。それが五十五人に満たなくても、上級生だろうが下級生だろうが条件は変わらない。

 梅雨時の音楽室は空調が効いていても、隅々まで快適な空気が行き届かないことが多い。これがオーディション後ならまだしも、九十名以上がひしめく環境ならば仕方のないことだった。滴る汗で譜面が湿らないよう、首に巻いたタオルでこまめに拭った。

 

「三十六小節目、ホルンはパッセージが甘いです。ここはしっかり吹き切って」

『はい!』

「次にクラリネット。同じところですが、合流を誤魔化すようなら音はいりません。しっかり音を聞いてタイミングを合わせてください。分かりましたか?」

『はい!』

「では、第二楽章から全員で。三、四」

 

 最初こそ粘着質な滝の指導に戸惑っていた一年生も、サンライズフェスティバルを経てからは徐々に練習に付いてこられるようになっていた。初心者の水井も、ひとつずつ課題をクリアしながら上達している。コンクールの練習から、彼女への指導は二年生に一任していた。これからオーディションが控えているので口には出さないが、水井は来年のAメンバーを見込んでいる。まずは基礎から、という教育方針はパート全員で共有しており、いずれ彼女が後輩を教える立場になっても迷子にならないように、来年の三年生である江藤たちがフォローできる体制を取っていた。

 忙しなくも落ち着いた空気が流れ始めた状況で、冷や水を浴びせられる出来事が起こった。

 

 

 

「コンクールオーディションについて、幹部から話があります」

 

 

 

 合奏体系の扇形の中心で部長の黄前が口火を切った。以前もオーディションについての話はあった。いずれも日程と選考方法、発表についての業務連絡で、これ以上は無いと踏んでいただけに音楽室は一瞬動揺が走った。それをグランドピアノの前に立つ高坂が咳払いしてたしなめた。

 

「すでに課題曲と自由曲の譜面は配っていますし、みなさんも難しい曲だということには気付いていると思います。でもドラムメジャーが以前言ったように、北宇治の実力ならきっと上を目指せると思っています。以前から言っているように、北宇治では一番うまい人がコンクールで吹くことになっています。それは今回も変わりません。でも、今までのように一回だけの選考では全国大会までの期間で成長した人を考慮に入れていませんでした。実際、そういう意見もあったと幹部は把握しています。なので」

 

 黄前は一旦言葉を区切ると、一呼吸して言い放った。

 

「今年からは大会ごとにオーディションを行います。もし全国まで行けたら都合三回、オーディションがあります」

 

 しん、と空気が凪いでいた。この場にいる全員が、黄前の言葉を解釈することに時間を要しているのか、誰かがこの緊張感のなかで発言するのを待っているようだった。

 

「質問、いいでしょうか」

「どうぞ」

 

 挙手された白い手を隆翔はじっと見る。質問の主は南中出身、チューバの鈴木美玲だ。

 

「つまり、大会ごとにコンクールメンバーが変更されるということでしょうか」

「それで間違いありません」

 

 黄前の代わりに高坂が答える。その回答をもって、音楽室は騒然となった。都合三度のオーディション。つまり大会ごとのオーディションは、この部が生まれ変わってから誰も経験したことがないはずだ。「質問があるなら挙手してください」と高坂の注意喚起が響き渡る。そんな中、再び手が上がった。

 

「私からも質問よろしいでしょうか」

「はい、久石さん」

「今回いくつかの楽器で行われるソロオーディションについても、毎回決め直すということでよろしいでしょうか」

「そうです。ソロもソリも、大会前のオーディションで決めます」

「なるほど、これまでと違い、実力の変化も評価に反映するということですね。全国大会が決まった途端、三年生が優遇される、なんてことはもちろんありませんよね?」

「北宇治は完全実力主義です。評価に学年は関係ありません。公平性を担保する為に、滝先生と松本先生に選考は一任しています」

「なるほど、異論ありません。部員の成長を加味した優れた変更だと思います」

 

 思わず「どこがだよ」という声が隆翔の口から漏れた。それと同時に沙里の唇がきゅっと引き締まる。隆翔の一言は喧騒によって遮られたが、隣に立つ沙里は聞き取っていたようだ。

 質問した二年生はユーフォニアムの久石奏。隆翔が関わったことのない部員だった。昨年のオーディションで、どういう経緯か濡れ鼠になったユーフォニアムの一年生がいることは聞き及んでいた隆翔だが、それ以上の印象は無かった。

 

「あの」

「……はい、黒江さん」

 

 喧騒の中で遠慮気味に手が上がった。声の主は、隆翔のクラスメイトで転校生の黒江真由だ。北宇治生であるが、いまだに清良女子の制服を着用している。その風貌がより異端な立場を強調していた。

 

「いえ、あの……そのオーディションって、私も受けるんですか?」

「部員ですので、当然そうなります」

「そうですか……」

 

 黄前の断固とした回答を聞いた真由の表情は諦観で染まった暗さがあった。しかし部員である以上、よほどの理由がない限りオーディションには参加することになるだろう。隆翔もかつてトラウマの元凶であったオーディションに参加する意志と覚悟を持っている。だからこそ、この期に及んで「参加したくない」という感情に目を向けることをしてこなかった。

 黒江真由という異分子は、北宇治での振る舞い方を計っていると推察した。だからか、彼女の動向が気になって仕方がなかった。目を逸らすのは簡単だが、違和感の正体を無視できるほど隆翔は冷徹ではなかった。

 

 

 

 全体ミーティングは黄前の号令とともに散会し、パート練習の時間に突入した。しかし、全体ミーティングで事実上封殺された不満はパート練習で爆発し、当然練習どころではなくなっていた。

 

「沙里、オーディション三回ってどういうこと?」

「いや、私も初耳なんだよ……」

「え、パーリー会議でも議題に上がらなかったの?」

「うん。直近の会議はサンフェスの注意事項とかが共有されただけだったし……」

「この変更、流石に無理がありませんか? 負担が大きすぎる」

「……でも、府大会はダメだったとしても関西、全国でチャンスがあるのは確かにありがたいかも」

 

 まさかの事態にフルートパートは混乱を極めている。きっと、どこのパートもそうであろう。誰もが予想できることではない。一年生二人はぽかんと口を開けて、囲われている沙里を眺めている。

 結局、変更のプロセスが幹部の口から語られることはなく、あの場では決定事項のように語られた。なので、ほとんどの部員はパートリーダー会議を経た上での変更だと思ったようだ。

 

「と、とりあえず決まっちゃったことは変わらないし、パート練しよう?」

「はい……」

 

 紛糾する同期と後輩を諫めつつ、沙里はメンバーに指示を出す。彼女とて突然の変更に心中穏やかではないだろう。幹部の独断専行。有耶無耶になっているが、この決定に幹部を除いた八十八名の部員が納得するだろうか。より高みを目指すため、コンクール期間中の部員の成長も加味する。その考えには隆翔も頷いた。特に人数が四十名を超える二年生はA編成の当落線上にいる部員も多いため、重圧と負担感こそあれど救済されるシステムだ。しかし、もっと根幹にある部員それぞれの感情は、結局のところ無視され続けている。直々にマネージャー剥奪という判決を下された隆翔だからこそ、その意識は強かった。

 

 

 

 練習中もミーティングでの真由の質問が頭から離れなかった。清良女子は北宇治と比較しても圧倒的な実績と実力のある学校である。恐らく、ここよりも更に実力至上主義であるはずだ。ネームバリューを鑑みても北宇治に来ればスーパーエースとして崇め奉られるはずだった。彼女がユーフォニアム奏者でなければ。

 

 隆翔は誰よりも吹奏楽部の「空気」というものを熟知している。身をもって思い知らされたというのが正解なのだが、ともかく真由の立場は非常に危うく脆い。原因は黄前久美子という存在だ。普段の教室で見た感じ、特に仲が悪かったりといったことは無いのだが、部活、特に今回の自由曲ではソロオーディションがある。これまで三年間を北宇治の技術向上に費やし、部長として采配を振るう黄前の信用はかなり厚い。突然現れた転校生がその立場を奪えば部内の動揺は必至だ。「楽しく合奏したい」という真由の理想から大きく乖離するだろう。

 しかし、それで手を抜かれては困るのだ。悲願の全国大会出場を叶えるにあたっては、黒江真由は最後のピースとなる。たとえ黄前がその実力を認めなくても、隆翔は真由を支持し続けるだろう。言い方は悪いが、真由にはそれほどの「存在価値」があった。

 

 

 

 

     ◇◆◇

 

 

 

 

 柔らかく、それでいて太く芯のある音。難しいパッセージをいとも簡単に吹いてしまう実力。こんな音を聴かされたら何としても活かさなければならないと思ってしまう。

 個人練習の時間、屋上につながる階段の踊り場で自由曲を吹く真由は、柔らかな表情を浮かべている。

 

「黒江、こんなところで吹いてるのか?」

「あ、樟葉くん。うん、個人練の場所がなかなか見つからなくて」

 

 これまで教室で話してきた調子となんら変わらない。誰にでも同じような態度を貫くのが、黒江真由という人物だった。亜麻色の長髪を手で梳きながら隆翔の言葉を待っている。その澄んだ瞳に、僅かだが値踏みされているような気持ち悪さを抱く。隆翔は本題に入る前に別の話題を振ってワンクッション置いた。

 

「入部して一か月経ったけど、そろそろ慣れた?」

「うん。みんな優しいし、後輩の子たちも可愛くて、ここに入って本当によかったなって思ってるよ」

「そっか。サンフェスの練習でもマーチングのことで後輩たちに色々教えてるとことか目にしたから、やっぱ技術あるんだなって感心したよ。黒江ならコンクールの即戦力になれると思うし」

「買い被りすぎだよ。自分でもそんなに上手いだなんて思ったことないし」

「そうかな。ぶっちゃけ、俺は黄前よりもユーフォ上手いと思うけど」

 

 一瞬、ほんの僅かな反応だが、真由に動揺が走った。これまで三年間奮闘してきている部長を差し置いて、ぽっと出の転校生の実力を買う人間がいる筈がない。そんな未来を望んでいないような反応だった。答えに詰まることはその肯定だが、それすらも匂わせないような素振りで真由は取り繕った。

 

「まさか。久美子ちゃんより上手いなんてことはないよ」

「うーん。じゃあ見込み違いかな。黒江が転校してきたときに、渡り廊下で吹いてただろ? 客観的に見てだから、本人の主観よりはあてになると思うけど」

「あ、あれは遊びで吹いてただけだから」

 

 触れてほしくなかったのか、必死に取り繕う真由。ここまで来れば、オーディションに対してどう思っているのか分かる。

 

「……樟葉くんも、私に吹いてほしいの?」

「せっかく北宇治の仲間になったんだ。俺は是非ともそうしたいけど」

「でも、やっぱり今までこの学校で頑張ってきた人たちを差し置いて出るのは、なんか忍びないな。久美子ちゃんも、奏ちゃんも」

「ユーフォが三枠あるかもしれないだろ」

「うん。でも、ソリはやっぱり久美子ちゃんが吹くべきだよ。今だって部長として頑張ってるんだし」

 

「……ふーん、全国レベルの強豪出身って訊いたから期待してるけど、そういう学校も案外面倒臭いんだな」

 

 何気ないように伝えた一言が真由に突き刺さる。白銀のユーフォニアムを待つ手が僅かに強張った。真由のウィークポイントに確信はないが、清良の過去にあるように見えてしまった。

 

「女子校だったし、色々あったよ」

 

 それでも尚取り繕う真由は痛々しく見え、言い返したくない訳じゃないと雄弁に語っていた。

 

 彼女を縛れるのもこのあたりが潮時のようだ。これ以上は警戒心を抱かせることになる。だからこそ、抱かせた黄色信号を解くことも忘れない。

 

「ま、戯れはこれくらいにして、伝えたかったのはどんどん頼ってほしいって思ったからなんだ。一応去年はマネージャーやって、部の運営についてはかなり熟知してる方だし。あと、パートメンバーには話しにくいこともあるだろ」

「ありがとう……優しいんだね、樟葉くんは」

 

 そんなことはない。打算的な歩み寄りは本当の優しさではない。少なくとも、隆翔がその優しさを向ける相手はただ一人だけだ。

 真由は逡巡した後「一個だけ」と悩みを打ち明けた。

 

「個人練の場所探し?」

「うん。色々探してみたんだけど、みんな縄張りみたいに持ってるでしょ? だからなかなか見つからなくて」

「確かに……それは、喫緊の課題だな」

 

 吹奏楽部の個人練習は、各個人に場所があてがわれている訳ではない。楽器の大きなパーカッションは音楽室メインだし、それ以外は廊下であったり、校舎裏などを活用して各々集中できるスペースを確保している。かく言う隆翔も、去年まで希美が使用していた練習スペースを引き継いだにすぎず、占有している訳ではなかった。

 

「じゃあさ、俺の場所使ったら?」

「え、でもそれだと樟葉くんが……」

「いいのいいの、他にもあてはあるから。校舎の端で音もよく響くし、なによりユーフォ重いだろ? あそこなら三年三組の一個下の階だから移動も少ないし、丁度いいと思うけど」

「そう、じゃあ、お言葉に甘えて……」

「遠慮なさらず」

「本当にありがとう」

 

 その時、真由の本質に近い笑顔を見た。同時に隆翔は真由が本当に必要なのは転校生だからという歩み寄りではないことも理解した。そもそも低音パートでは普段どうしているのだろうか。部活外の時間は彼女本来の物腰の柔らかさから慕う生徒も多い。それでもやはり、知らない環境下で本当に頼ることが出来ない状況は健全とは言えない。

 

「そういえば、来週から夏服だけどそれも清良の制服で通すの?」

「ううん。もうすぐ北宇治のセーラー服が届くの! 夏服からになっちゃったけど、随分待ったから」

「わざわざ買ったの!? 律儀だなぁ……」

「だって、コンクールは流石にここの制服で出たいじゃない。一人だけ違う制服って見栄えも悪いし、なんか仲間っぽくない気がして」

「分からなくもないけど」

「でしょ。早く届かないかな」

 

 北宇治の制服が届くことを何よりも心待ちにしている真由は、先程よりも足取りが軽やかになっている。外部からやってきた真由が抱く疎外感の正体は、こういった細部にも宿っているのかもしれない。

 

 

 

     ◇◆◇

 

 

 

「という訳で、ここで吹いてもいいか?」

「何が『という訳』なのかちゃんと説明して。個人練の場所を共有するのは良いけど、説明責任を果たしなさい」

 

 真由に対してあてがあると言ったのは本当のことだ。ただし、目の前でむくれる親友を諌めるという条件付きではある。

 

「あなたの持ち場は希美先輩の場所だった筈でしょ。なのに、転校生にあっさり明け渡しちゃって良かったの?」

「うーん、それは今後の努力次第ってところかな」

「どういう意味?」

「黒江は多分だけど、相当上手いぞ。今はまだ様子見してるけど、ガチになれば黄前なんか目じゃない。本気を出せば確実に北宇治の戦力になるから、これはほんの先行投資だ」

「確かに強豪からの転校生だけど、判断するには早すぎない?」

「入部して一ヶ月経ったし、むしろ状況分析するには十分な期間だったと思うけど。その上でオーディションに関して気を遣うような発言をしたんだから、本人的には余裕でメンバー入りすると目論んでそうだけど。意識的にしろ、無意識にしろ」

「……確かに、本気を出せばAにもソリストにもなれる上手さを自覚してて本人にやる気があったらそんなこと言わないもんね」

「『一年の詩』第三楽章のペットとユーフォのソリ、高坂と黄前ペアが定石だと思っていたけど、ユーフォが黒江なら話が変わってくる」

「その根拠は?」

「間違いなく黒江は黄前に遠慮してる。人は新しいコミュニティに入る時、自分よりも前から属していた人に合わせようとする。世間体とかを一番気にする時期だろうし。俺もフルートパートへ入った時がそうだったから」

「つまり、まずは黒江さんをオーディションで本気にさせるってこと?」

「そういうこと。流石は沙里、分かってんじゃん」

「褒められてる気がしない……」

「しばらくは様子見だろうな。沙里も獲りたいだろ、全国金」

「そうだけども……ねえ、隆翔くんが全国で金賞獲りたいのって、希美先輩の為なんだよね」

「そうだけど」

「隆翔くん自身にはないの? 全国金を獲る動機が」

「無いよ」

「……そんなあっさり言われても反応に困っちゃうな」

「吹部に入った動機も希美を支えたいからだったし、全国金は希美と部長の悲願だから」

「黄前さん、本気だもんね。色々と気に入らないけど」

「ん? ああ、俺にとっての部長は優子先輩だけだよ」

「……まあ、うん。そうだよね」

「ここだけの話だからな」

「分かってるわよ」

 

 沙里の反応に満足した隆翔はフルートを構えた。沙里もその動きに呼応して、エース同士のユニゾンが校舎に響き渡った。

 

 

【つづく】

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