或る、フルート吹きの青春   作:ハヤブサ320

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八章 順風
EP.34 東京流星群


 観光客を掻き分けながら京都駅の地下通路を黙々と歩く。今日も地下鉄烏丸線は大混雑だ。雑踏のノイズを遮断するワイヤレスイヤホンから流れてくる音楽は、四年前にリリースされた隆翔の好きなロックバンドのアルバムナンバーだ。せっかく東京に行くのだから、東京に纏わる曲を聴きながら行きたいと思っていた。

 

 あがた祭りから数日後、隆翔たち北宇治高校三年生は、今日から三泊四日の修学旅行に出掛ける。六月の京都は週の半分が雨予報だが、幸運なことに旅先の東京は晴天の予報だった。旅行日の天候が発表されてから、生徒の間では当日の天気がどうのこうのという話題で持ち切りだった。それもその筈で、旅行三日目は関西在住の高校生にとって憧れの場所である東京ディズニーシーに時間が割かれている。他の日が雨でも、三日目さえ晴れてくれればというのが本音だろう。

 関西人が出掛けるアミューズメントパークは、大阪のユニバーサルスタジオか、ひらかたパークだ。隆翔は両方とも小学生の頃に行ったことがあるが、遠い記憶の彼方にある。希美は卒業記念として、優子たちと三月にひらかたパークへ行っていた。その時にお土産としてもらったワニのぬいぐるみハットは、今も隆翔の部屋に飾ってある。

 

 

 北宇治高校の待ち合わせ場所には、旅行会社の添乗員と学年主任の松本が目印として待機していた。

 ここ、京都駅から新幹線に乗車して東京を目指す。予め作られた班ごとに出席を取ったら、隆翔のテンションも高まってきた。

 

「よお、樟葉。今日は何聴いてんだ?」

「あっ、お前勝手にイヤホン取んな!」

 

 音を聴くことに集中していたから、近付いてくる友人の気配に気が付かなかった。背後から隆翔のイヤホンを引っ手繰ったのは、バドミントン部の滝井倫也だ。流れるような動作で、滝井は隆翔のイヤホンを装着したが、知らない曲だと分かるとすぐに隆翔へ返した。

 

「これ誰?」

「ビーバーだよ。SUPER BEAVER」

「俺知らねえわ。豊野は知ってっか?」

「いいや」

「まあ、あまり有名じゃないから……」

 

 今に武道館を埋めるほどのセンセーショナルが来るはず、と思いながらもそれは実現していない。もちろん関西出身のアーティストも素晴らしいが、関東には隆翔のインスピレーションを刺激するアーティストがたくさんいる。それを知ってから、いつか行ってみたいと憧れを抱いた末の東京への修学旅行だった。

 

 

 

 

     ◇◆◇

 

 

 

 

 修学旅行生で貸し切られた車内ではゲームに興じたり東京観光で何を見るかなどの会話がひっきりなしに続けられており、周囲は常に騒々しかった。かく言う隆翔も窓枠を流れ去る景色を見ながら班のメンバーとカードゲームを嗜んでいた。自分の手札を確認すると、持ち札は三枚。タイミングよく同色のリバースとドローカード、数字札があるので上手く使っていきたい。

 

「っしゃ行くぜ、樟葉にドローツー!」

 

 勝負終盤、滝井が青のドローツーを自信満々に出す。隆翔は手札のドローツーを出してさらっと受け流した。これで累積二枚のドローツーが次の豊野を襲う。出せるカードが無ければ四枚を山札から取らねばならない。

 

 隆翔の班は彼を含めて六人で構成される。北中同期の滝井、三年から同じクラスメイトになった新聞部の豊野安曇。軽音部の森口あんず。吹奏楽部でトランペット奏者の吉沢秋子。そして、この班を束ねるのは生徒会副会長の北浜由佳里だ。ちなみにUNOに参加していない北浜以外の女子二人はとっくに上がっており、ガイドブックを眺めながらおしゃべりに興じている。既にカードゲームなんぞどこ吹く風だった。

 

 隆翔の知り合いで構成されたような班員だが、そこには北浜の多大なる尽力があった。班決めというのは大抵の場合男子はすぐ決まり、女子はいつまで経っても決まらないことが通例だ。そこで北浜は自分以外の十八人の女子を六等分し、余程の不満がない限りトレードを認めないことで固定とした。かなり強引な手段だったが、北浜に理論責めで挑もうと思う女子はおらず、班決めはすんなりと終結した。

 因みにこの班決めでは真由のみが唯一トレードの条件に当てはまり、真由は吹奏楽部で顔見知りの黄前や川島がいる班にあてがわれ、同じ班になった男子が泣いて抱き合っていた。

 北浜といえば、修学旅行のしおりとスマートフォンを見比べながら、明日の自由行動の行程の最終チェックを行っている。

 

「はぁ、ようやく終わったわ」

「お疲れさん。ポッキー食う?」

「いただくわ」

 

 箱を差し出すと、北浜は一気に二本取り出してポリポリと咥えた。慣れないことにかなり疲れている様子だ。視界の端では豊野がドローフォーを出して、累積八枚となって滝井に襲いかかった。自分で仕掛けた攻勢で反撃を喰らった滝井は悔しさに歯を食い縛って手札の束を引いている。

 

「いつも悪いな」

「いいのよ。こういうの、嫌いじゃないし」

「お、なんか今、高坂っぽかった」

「高坂さん? ああ七組の。彼女、アメリカに留学するそうよ。知ってた?」

「さあ? 初耳だ」

「進路担当の武本先生、留学希望者を担当するのは初めてだからって最近バタバタしてるわよ」

「そりゃご愁傷様だ」

 

 進路担当の武本は特進クラスである七組を受け持つ数学教師だ。鍛えているのか、数学を担当しているのに体育教師よりも逞しい筋肉を蓄えている。進路担当と同時に生徒会を受け持っているので、そうした情報が北浜にも入ってくるのだろう。ほとんどの生徒が府内や関西の大学への進学を希望する中、高坂のような留学希望者は希少だ。

 結局UNOの勝負の行方は、大量のカードを持たされた滝井が大敗を喫した。負けっぱなしが気に食わない滝井は北浜を勝負に誘ったが冷たくあしらわれていた。

 

「みんな、こっち向いて」

 

 通路を挟んだ座席から吉沢秋子が首から掛けたカメラをこちらに向けている。隆翔と北浜も口角を上げて彼女のレンズを見つめ、やがて機械仕掛けではない、本物のシャッター音が響いた。スマートフォンが主流の今、吉沢は趣味の写真撮影で使うデジタル一眼カメラを持ち歩いていた。

 

「すごいねそのカメラ。高そう……」

「うん。貯まったお小遣いと、ちょっとだけお父さんに出してもらってやっと買えたんだ」

「写真、好きなの?」

「うん。撮るのも、撮られるのも。旅行の写真なら任しといて」

「頼もしい……」

 

 カメラを片手にして、吉沢は得意気な表情を浮かばせた。北浜といい吉沢といい、この班の女子は頼りになりすぎる。良い班員に恵まれたと隆翔は思った。

 あと一時間もすれば東京駅に着く。初めての東京に心躍るのは、隆翔とて例外ではなかった。

 

 

 

 

     ◇◆◇

 

 

 

 

 新幹線で東京駅に降り立ったあとは貸切の観光バスに移乗し、国会議事堂と国会図書館など霞ヶ関の官公庁を回った。その日の行程はそれで終了し、修学旅行一日目は終わりを告げた。

 

 スマートフォンに希美からメッセージが来ていた。もっとも近況報告に過ぎないが、なかなか会えない恋人との貴重なコミュニケーションツールであることに違いはなかった。

 

「樟葉、それお前の彼女?」

 

 隆翔に声を掛けたのは同室の豊野だ。迷惑を掛けないよう配慮していたつもりだが、起こしてしまったらしい。

 

「悪い。起こしたか」

「いや、まだ眠ってなかったから大丈夫。あのさ、樟葉の彼女って一個上の先輩なんだっけ」

「そうだよ」

「マジで凄えよ。先輩と付き合うとか、俺には無理だ」

「別に特別なことはしてないよ」

「本当。あやかりたいよ」

 

 そんな真正面から羨まれると調子が狂う。深い溜息を吐いた豊野の悩みは少々深刻のようだ。

 豊野安曇とは三年生で初めてクラスメイトになった。それ以前に、吹奏楽部の関西大会出場を校内新聞で取り上げたいと新聞部から取材依頼があり、マネージャーだった隆翔が窓口となった。その時の取材班が豊野だった。三年生になってからは殆どの仕事を二年生に譲っており、実質引退した身の上らしい。

 

「参考までに樟葉に聞いといた方がいいんじゃない?」

 

 もぞもぞと身を捩らせ、隣の布団から滝井が話に加わった。

 

「何の話?」

「豊野は森口のことが好きなんだよ」

「ああ、なるほど……」

 

 それだけで、隆翔は色々と納得してしまった。

 三日目のディズニーシーでは班別で行動することと注意事項に明記されているが、その指導も形骸化しておりほとんどの生徒が各々自由行動を取る。要は、そこで一緒に回る女子を探すのは男子の宿命とも言えた。豊野も例に漏れずディズニーデートを画策している一人だった。

 

「いつ告るの?」

「……まだ決めてない」

「まだって、明日しか無いじゃん」

「そうなんだけどさぁ……樟葉の彼女って傘木先輩だろ?」

「え、マジ⁉︎ あんな高嶺の花を……」

「何、知ってんの?」

「当たり前だろ! 体育祭のダンス、あれで堕ちない男は居ない」

「あー、あれか……」

 

 去年の体育祭。希美をセンターにして披露された選択授業のダンス。恵まれた容姿でこれでもかと愛想と魅力を振り撒く姿に目を奪われた。無数の視線を向ける男子の中に、隠密な恋愛関係を続けていた隆翔も混じっていた。

 

「でもよ、あの時はもう付き合ってたんだろ。よく隠してたよな」

「俺だったら自慢しまくるわ」

「だから付き合えないんだろ」

「うるせえ」

 

 図星を突かれた滝井の蹴りが腰に炸裂した。

 

「なあ、告白するのに大事なことって何だと思う?」

「そりゃ積極性だろ」

「だよなぁ……」

「森口って結構大人しいよな。でも意外とロックとか好きなんだよ。俺の好きなアーティストとか結構被るし。ただ、豊野の趣味じゃないだろ?」

「……そうだな」

「じゃあ趣味路線はやめた方がいいな。絶対ボロが出る」

「八方塞がりじゃん」

「無理に話すより、ああいうタイプは引っ張った方が好印象かも。参考にすべきなのは、北浜かな」

「え、どういうこと?」

 

 女子への告白に際して、参考人物に女子の北浜を挙げた隆翔に二人は首を傾げた。隆翔は北浜に信頼を寄せている。だからこその人選だった。

 

「明日、見てりゃ分かるよ」

 

 

 

 

 

 

 翌日、快晴の中で修学旅行二日目を迎えた。

 北浜由佳里率いる隆翔たちの班は、彼女の立てた綿密かつ無理のないスケジュールの中で充実した東京観光を送っていた。東京都心の、どこまでも伸びる摩天楼は景観条例の厳しい京都府民にとって新鮮だった。東京タワーに上り、ウォーターフロントから水上バスに乗り、今は浅草寺の仲見世通りで人形焼きに舌鼓を打っている。

 しがない田舎から出てきた学生集団にはトラブルやイレギュラーは付き物だが、幸いなことに出くわしていない。北浜の隙のないプランニングによるところが大きいのだろう。女子ながら率先したリーダーシップと気配りに隆翔ら男子三人は尊敬の眼差しを向けていた。

 

「樟葉、なんか分かった気がするわ」

「そうか。ま、とりあえず頑張れよ」

 

 つぶあんの人形焼きを食べながら、豊野は気合を込めた。昨晩隆翔が参考にしろと言った北浜の振る舞いに感心したのか、森口を誘う糸口を見出したようだった。あとは本人次第だ。

 

 

 

「あれ、樟葉たちもここだったの?」

 

 

 人がごった返す通りの先から黄前と加藤が現れた。

 

「よう、もう参拝は済ませたのか?」

「うん。お土産も買ったし、もうすぐしたら次の場所まで行くんだけど……」

「ん?」

 

 加藤は言い淀むと、黄前に耳打ちした。黄前も加藤の言葉に同意したのか、首を縦に振った。

 

 

「ちょっとお願いがあるんだけど、聞いてもらってもいい?」

「何?」

「うちの男子が真由ちゃんにべったりで困ってて、どうにかしたいんだよね……」

 

 黄前が指さした方向に目をやると、土産物屋の前で班員の男子三人が真由を囲んでいる。真由は表情こそ取り繕って接しているが、男子に囲まれて身動きが取れず居心地を悪そうにしている。

 

「あれはひどい。露骨すぎる」

 

隆翔も豊野に同意する。しかし、そんな状況で真由を一人にさせている現状は気に入らなかった。

 

「つか、黒江の近くにいてやらなくて良いのかよ。仮にも黄前は同じユーフォだろ?」

「いや、これでも色々と気を使ってたんだけど、あいつら全然諦めないんだよ。久美子を責めないであげて」

 

 隆翔の追求に黄前は俯いた。彼女自身も、それなりに責任を感じているようだ。真由も困っている状況ならば手を差し伸べた黄前に縋ってもいいと思うが、実際はそうなっていない。案外、この二人は上手くいっていないのか。

 

「お前らの班、次はどこ行くんだ?」

「えっとね、上野動物園だよ」

「……OK、何とかしてみる」

「本当⁉」

「だから、二人は出来るだけ黒江の近くにいてやってくれ」

「分かった!」

 

 隆翔の決断を聞き届け、二人はいそいそと真由のもとへと戻った。他の班のトラブルを抱えるのは良い選択ではない。しかし、オーディション絡みで真由に恩を売るという目的もある。自分の班員を巻き込むことに心が痛むが、プラスになり得る案件だと内心では考えていた。

 

 隆翔たちは浅草観光のあと、上野の国立博物館へ行くことになっている。その行き先を上野動物園に変更する。幸いにも真由に付き纏っていた男子は滝井と仲が良い。連中の気をうちに引いてもらって、真由は北浜たちと同行してもらえば良いだろうというのが隆翔の考えであった。

 

「分かったわ。そういう事情なら一緒に行動しましょう」

「悪いな。せっかく組んでもらったプランなのに」

「気にしないで。その代わり、あの男子たちをよろしくね」

「了解です」

 

 事情を聞いた北浜は隆翔の提案を二つ返事で了承した。国立博物館に行きたがっていた彼女だったが「また来ればいいの」と自分の意向を抑えてまでクラスの風紀を優先した。本当に学ぶところが多い。そんな彼女の希望を自分の打算で潰してしまったことに、一抹の罪悪感を覚えた。

 それから隆翔たちは黄前らと共に行動して上野動物園へと向かった。入園後は男女別々に行動し、余計な問題は発生せずにホテルへと戻った。

 夕食と風呂を済ませ、隆翔はロビーにあるソファーで携帯をいじっている。そこに、ジャージ姿の真由が現れた。

 

「樟葉くん、今日はありがとう。さっき、ちゃんとお礼言えなかったから」

「気にしなくて良かったのに。それに、うちの男子どもがごめんな。さっきキツく言っといたから」

「……樟葉くんって、優しいよね」

「いきなり何?」

「ごめん、そういうつもりじゃないんだけど……ただ、どうしてなのかなって気になって」

 

 現在進行形でお前に恩を売ってるからなんて、口が裂けても言えない。いや、言うのは簡単だ。だがしかし、オーディションで本気出してくれと頼んでしまえば、真由は心を閉ざすだろう。居場所が不安定な彼女は今、空気を壊されることを最も嫌っている。それを回避するためなら、オーディション辞退も辞さない構えだ。

 

「ま、黄前の頼みだったからな。中学からの付き合いだし」

「へえ、久美子ちゃんと同じ中学校だったんだ」

「あと吹部だと高坂と塚本も一緒だよ」

「だからなんだ。幹部の三人って本当に仲がいいよね」

「えぇ、本当にそう見える?」

「うん! なんか、深いところで繋がってる感じがして。ああいうの見てると、羨ましいって思っちゃう……」

 

 幹部三人衆が仲睦まじいという意見には首肯し兼ねる。

 隆翔にあって真由にないもの。それは時間を積み重ねた友達だ。なんだかんだ、隆翔は中学の吹奏楽部を退部した後も秀一との交友は続いた。だから多少傷ついても自分を守ることができた。その後に内藤秀との再会が叶ったのは、一度は切れたと思っていた梓との縁が再び繋がったから。今日まで隆翔が冒険できたのは、すべからく人との繋がりによって育まれたものだ。

 対して、短い期間で多くの土地で過ごしてきた真由には、深い繋がりのある友人がいない。真由からしてみれば、隆翔たちは自分には持っていないものを持っている人間に見えるだろう。彼女がユーフォニアムを吹き続けるのは、それが自分そのものだからだ。真由自身を写す鏡であり、真由自身の武器でありコミュニケーション媒体。それが彼女が持っている白銀のユーフォニアムなのだ。

 

 隆翔は今後を占う賭けに出た。一瞬だけ、真由に対して隆翔の心の扉を開けよう。それで真由が拒絶をするならば今後は一切の援助はしない。オーディションも彼女の好きにすればいい。ただ、もし拒絶されなかったら北宇治が府大会、いや関西大会をも突破する可能性がある。確実ではない故に大きな賭けだ。

 

「別に、俺は黄前をそこまで特別視してないよ」

「……どうして?」

「黄前も高坂も自分が好き過ぎるから、かな。どっちかといえば不器用な奴だし、信念はあっても非情になりきれない。俺とは価値観が全然違う」

「で、でも、北宇治が好きだから全国金賞を目指すのは一緒でしょ?」

「違う」

 

 真由の推測を強く否定した。自分の言葉に強い否定が重なり、真由は言葉を失くした。

 

「北宇治に愛着はないよ。だって、俺は今回が高校で初めてのコンクールだから」

「……え」

 

 敢えて真由に語らなかった隆翔の過去。それを明らかにすることで、隆翔と真由が同じ額に収まる存在であることをはっきりと明示した。唐突なカミングアウトに真由の表情は固まった。恐らく彼女は、隆翔が北宇治で三年間一生懸命に過ごしてきたと思っていただろう。マネージャーとして活動してきた下地もあったし、幹部三人との繋がりも深いと見たはずだ。しかし、それは全て真由の妄想に過ぎない。外見を取り繕っているだけで、現実はもっと複雑にこんがらがっている。

 

「……でも、やっぱり北宇治で三年間吹いてきた久美子ちゃんを押しのけてソリを吹くことはできないよ。だって、そんなことになったらみんなきっと悲しむよ」

「みんなって誰のこと?」

「みんなは、みんな……」

 

 ああ、ダメかな、と隆翔は思った。真由は隆翔の想像以上に集団に元から存在した空気を壊すことを嫌っている。いや、アレルギーと表現するのが正しいだろう。たとえその空気が淀みきっていたとしても。

 これ以上心を開くのは危険だ、と隆翔自身がアラームを上げている。残念ながら真由は隆翔の期待に応えることはなかった。隆翔の賭けは見事に外れてしまった。手札はまだ残っているが、とっておきのカードを切ったつもりだ。心が沈んでいく。隆翔の思惑を黙って受け入れた沙里にはなんと弁明しようか。

 

「せっかくの修学旅行なのに、暗い話をしちゃって悪かったな。部屋戻るわ」

「あっ……」

「……何?」

「ううん、何でも無い。今日はありがとね……」

 

 葛藤の末に、真由は困ったように眉を寄せた。何か言いたくて、でも言えなくて、せっかく手繰り寄せようとした糸を離してしまったあとの虚無感がそこにはあった。

 

「樟葉と真由ちゃん、こんな所でどうしたの?」

「久美子ちゃん……」

「そうだ、樟葉。今日はありがと。あと……ごめん」

「もう良いよ。感謝は黒江から聞いたから」

「ううん。同じ部活で同じ楽器なのに、私がフォローしなかったのは本当だから。樟葉が怒って当然だと思う。だから、ごめんなさい……」

 

 俯きながらではあるが、素直に謝罪が出来るのは黄前の美点だ。人の上に立つ器とは、そうした素直さと正義感が必須項目に挙げられる。ついさっき、隆翔が黄前に向ける心の内を知った真由は、この光景をどう眺めているのだろうか。隆翔は俯く黄前の肩にポンと手を置いてその場を離れた。

 

 

 

 

 

「なあ、北浜から部屋に呼ばれてんだけど、お前も来るか?」

 

 布団で携帯電話を触っていると滝井が頓珍漢なことを言い出した。消灯時間までまだ余裕はあるが、いきなり女子部屋に行くと言われて易々と腰を上げる訳にはいかない。

 

「流石に怒られるんじゃない?」

「北浜は消灯時間じゃなければ禁止されてないって言ってたぞ」

「違う違う、モラルの話」

「かってえなぁお前は。向こうが良いって言ってんだから行こうぜ」

 

 滝井は隆翔の首根っこを掴むと、意気揚々と北浜の部屋へと向かった。男子と女子はホテルのフロアによって分けられている。隆翔たちは三人部屋だったが、女子が何人で一部屋に割り当てられているのか隆翔は知らなかった。だから今、この状況にたじろいでいる。

 

「なに樟葉、浮気?」

「本当に冗談じゃ済まないからやめなさい」

 

 先程隆翔に頭を下げていた黄前は、一転してじとっとした目で隆翔を睨む。コミュニケーションお化けの滝井に連れられてやってきた部屋は女子六人で使用していた。

 

「あら、いらっしゃい」

「誘ってくれたのは嬉しいんだけどさ、黄前たちはいいのか?」

「ええ、ちゃんと了承は得てるわよ」

「合コンもびっくりの男女比だな」

「行ったことないくせに。馬鹿言ってないでこっちにどうぞ」

 

 北浜に呼ばれた部屋は森口と吉沢の他に、黄前班の加藤と真由も寝泊まりしている部屋だった。加藤は「修学旅行っぽくていいね」とはしゃぎ、真由も少なからず歓迎の意志はあるようだ。ちなみに、不埒な真似をした黄前班の男子は呼ばれていなかった。

 隆翔はさりげなく森口の隣を豊野に譲って北浜の横に陣取った。風呂上がりなのか肩にバスタオルを巻いてメガネをかけている。他の女子も普段は制服姿しか見たことがないので新鮮この上ない。滝井も先陣切って突入した割にはあからさまに緊張している。仕方ないので隆翔がアイスブレイクするしかないだろう。

 

「おい滝井、鼻の下を伸ばすな」

「ばっ、伸ばしてなんかねーよ! そういうお前はどうなんだよ」

「俺か? 新鮮味はあるけど緊張まではしないな」

「かーっ、これだからリア充は! 爆発してしまえ」

 

 滝井とのやり取りによって部屋の空気が弛緩した。森口と吉沢もくすくすと笑っている。一つ屋根の下に男女が集うと、自然と恋愛話に発展する。この中で恋愛経験があるのは、隆翔が知っているだけでも黄前だけだ。勿論トップシークレットではあるが。

 誰かがコンビニで調達してきたお菓子を囲みながら、それぞれの男女にまつわる話が展開される。意外にもその口火を切ったのは豊野が恋慕を寄せる森口だった。

 

「──その男子にライブに誘われたんだけど、私が好きなアーティストの時に人を掻き分けて前に行っちゃって逸れたことに拗ねられちゃって。なんか、勝手だなって……」

「えー、なんか心が小さいね。で、その男子とはそれっきりなんでしょ?」

「うん。別の高校だし、それ以来会ってないよ」

 

 バンド活動繋がりで出会った男子と行ったライブでのあらましを愚痴っぽく語る森口に、吉沢が相槌を打っている。

 

「北浜はそういう浮いた話ってないの?」

「無いわよ」

「即答……見た目はいいんだけどな」

「どういう意味?」

「そのまんまだよ。引く手数多じゃないのか?」

「全然無いわよ。男子だって、正直何考えてるか分からないし」

 

 そう言って、北浜は長い髪の毛先を触っている。ショートパンツから伸びる健康的な脚が主張していた。

 

「まあぶっちゃけ、男子からしても女子がなに考えてるのか全然理解できないけどな」

「傘木先輩でも?」

「うーん。でも、希美は割とはっきり言ってくれる方だから、まだマシなのかも」

『へえ〜』

「っていうかさ、三月までクラスメイトにも吹部にもよく極秘でいれたよね。どっちから告白したの?」

「告白は俺から。でも、コンクールもあったし保留にしてもらってた。全国終わるまでって」

「なるほど、だから関西大会直後だったんだ」

 

 ここぞとばかりに根掘り葉掘り聞いてくる吹奏楽部の女子たち。普段、部活中は男女の境を意識しないよう努めているが、今みたいな状況になれば彼女らも一端の女の子なのだと意識する。

 以前はこんな恋愛観を語ることなんて絶対にしなかった。余計な詮索を受けることが嫌いだったのもあるが、あの事件で秘密主義を貫くことが必ずしも良いことではないと学んだ。隆翔の転向を希美は受け入れた。それだけで違った世界が広がった。

 このタイミングで、これまで話を聞いていた滝井が隆翔に尋ねた。

 

「樟葉って、傘木先輩と付き合って何ヶ月なんだっけ?」

「再来週で十ヶ月」

「じゃあ、もう行くとこまで行ったん?」

『……‼︎』

「はい、こいつを今から警察に突き出しまーす」

「なんだよ、いててててて!」

 

 気を大きくした滝井が下世話以下の下ネタ一直線な質問をかましてきたので、耳を捻って成敗した。意味を理解した他のメンバーは目を丸くし、北浜は呆れている。

 

「お前、抵抗するってことは肯定してんのと一緒だぞ!」

「正直に言ったところで、こいつら困っちまうだろ」

「で、でも、実際のところは気になるよね」

「……うん。参考程度に」

「あはは……」

「ホラ、逃げ場はないから白状しろ」

 

 ドタバタと押し問答する隆翔と滝井の横で、顔を赤くしながら気にする素振りを見せた森口と加藤。そして黒江はこんな展開になってしまったことに乾いた笑いを浮かべていた。

 逃げ場がなくなった隆翔は一度咳払いをして、真実を最大限オブラートに包んで口にした。

 

「……まあ、一回だけな」

 

 期待通りの回答に黄色い声が上がる。決してひけらかすようなことでもない話題だからか、隆翔の顔は熱くなった。隆翔にとっても希美にとっても特別な記憶だ。

 しかし、これだけ期待の眼差しを向けられては誤魔化すのも憚られる。それに、そういう話題を出しても引かずに乗ってくれるだろうという確信めいたものはあった。

 

 

「すごいね、樟葉くんはおとなだ」

「……どうせ周りにもいるだろ、そういう奴らは」

「秋子、聞いたことある?」

「吹部はいないんじゃないかな。ちえりちゃんと瀧川くんは奥手そうだし」

「あー、確かに。手を繋ぐので精一杯なんじゃない?」

 

 恋愛トークに火が点いた女子たちは、その熱が冷めるまで続けるだろう。やいのやいのと滝井と豊野も巻き込んで同学年の恋愛事情を語り合っている。

 そんな浮ついた空気を、黄前は一歩引いて見ていた。自分の恋愛観にはない、一歩も二歩も進んだ隆翔の恋愛事情に秀一と自分が紡いできた時間を重ねているのだろうか。何にせよ、彼女なりに考えるところがあったのかもしれない。

 黄前はつくづく救われないなと隆翔は思った。プラトニックであることに不都合がなくても、必要以上に秀一との関係を隠していたから自問自答するしかなくなっている。こんな状況でなら打ち明けられる悩みもあっただろうに。

 消灯時間も押し迫り、隆翔は滝井を引っ張って部屋を後にした。豊野はいつの間にか森口との約束を勝ち取ったようで上の空だった。

 

 

 東京の街は眠りにつく気配がない。その空気にあてられたように修学旅行三日目を控えた一行の興奮は最高潮に達しつつある。ある意味熱狂と言っていい。

 眠らない街の片隅で、熱狂を傍目に眠りにつくのは決して悪い気分ではなかった。

 

 

 

 

【つづく】




クラスメイトの名前に関しては『「響け!ユーフォニアム」シリーズ 公式設定集』より抜粋しました。
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