或る、フルート吹きの青春   作:ハヤブサ320

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EP.35 アフターダーク

 修学旅行三日目。北宇治高校の三年生は修学旅行の一大イベント、東京ディズニーシーに来ていた。

 映画が好きな隆翔は、勿論ディズニー映画も観たことがある。園内では映画をモチーフにしたアトラクションや展示は隆翔の心をくすぐったが、特に気に入ったのは黄金狂時代のアメリカ東海岸を模したエリアだ。まるでチャップリンやワイルダー、フランク・キャプラの世界に紛れ込んだような没入感に、隆翔は珍しく興奮した。

 噂どおり、班行動というのはあくまで建前であり、各々好きなように周遊している。滝井は友人たちと行動を共にしており、昨晩森口を誘うことに成功した豊野も既に二人で行動しているようだ。そんな中、隆翔は特別一緒に回りたいという人がいなかった。次は希美と来ようと決心して、班員の北浜、吉沢と行動を共にしていた。

 

「豊野くんがあんずちゃんに気があったなんて、全然知らなかったわよ」

「俺も。知ったのは一昨日だったし」

「でもさ、みんなそわそわしてたよね。ディズニーで告白するか、その前にするかで」

 

 色恋沙汰に無縁そうな北浜でさえ、昨今の浮ついた空気を感じ取っていた。その横で吉沢がポップコーンバケットから甘い香りを漂わせている。

 

「ねえ、由佳里ちゃんと樟葉くんっていつから仲が良いの?」

「確か一年の体育祭じゃなかったかな」

「あの時は本当に助かったわ……」

 

 一年生の秋、北浜は体育祭実行委員としてクラスを取り纏めていた。本番当日、二人三脚で足を挫いた女子の代わりにクラス対抗リレーを走る役回りを探し回っている最中、手を挙げたのが隆翔だった。脚は特別速い訳ではない。でも、音頭を取って頑張っていた北浜の顔に泥を塗るのは違う気がしたので、隆翔は二度走る決断をした。それまで関わりがなかったが、隆翔の性格が気に入ったのか、北浜とはそれ以降何かと会話を続けるようになっていった。

 

「へえ、そんな事があったんだ」

「結果は学年で最下位だったけどな」

「運動部が多いクラスでもなかったし、それは仕方ないわよ」

 

 ストリートジャズが鳴り響く中を練り歩く。視界の端では、甘い香りを漂わせながらチュロスを販売しているスタンドを、同じ制服を着た集団が囲んでいた。

 

「でも、そうやって仲良くなれるのっていいよね」

「普段からその気を見せたらもっと人も寄り付くのに。ダウナー感なんて今どき流行らないわよ」

「いいんだよこれで。正直、いま以上の求心力は求めてない」

「今年も何かあったら協力してちょうだいね」

「体育祭だったら滝井に丸投げするからな。あいつ運動神経だけは良いし」

「ふふ、それもそうね」

 

 当たり前のように滝井を巻き込む隆翔に、北浜はクスッと笑った。釣られて隆翔も笑みを溢した。普段は取っ付きにくさがある北浜だが、一緒にいる時間が増えてからは様々な表情を見るようになった。彼女は意外と笑うのだ。本当、外見は途轍もなく良いのに浮いた話が一切ないのが不思議だ。

 

「吉沢はどうだ。そっちは仲良くやれてんの?」

 

 話題は吹奏楽部に向けられた。吉沢秋子はトランペットパート。高坂と同じ楽器だ。

 

「高坂さん? うん、まあそこそこに……」

「そこそこ?」

「私たち、練習中もあまり世間話とかしないから。高坂さんって、そういうのあまり好きじゃないから」

「そうなのね……」

「昔からだよ。中学でも他人を寄せ付けるような性格じゃなかったし」

「やっぱり? 後輩ちゃんの中には高坂さんに憧れてる人もいるから、言うほど今の空気に心配はしてないんだけどね。いつまで続くかなぁ……」

「まだ六月なのにペットはそんなんで大丈夫なのかよ。あ、ちょっと頂戴」

「はい、どうぞ。そういうフルートはどうなの? 木管ってうちと接点ないから全然雰囲気分からないんだよね」

 

 言われてみれば、他のパートを気にしたことはなかった。隆翔から見て、トランペットは悩みの多いパートに見えた。

 フルートとて悩み事がないわけではないが、解消、あるいは封殺できる程度だ。三年生が抱える問題は大方下級生への対応だ。特に慣れていない一年生への対応は苦慮するところだが、隆翔や沙里が重点的にフォローしたことで、表面化するような問題は上がってきていない。

 

「うちは特に。最近は一年のことも二年生に丸投げしてる。じゃないと来年に差し支えそうだから」

「ウチもそれができたら良いんだけどね……良くも悪くも、みんな高坂さんに憧れてるから独立志向高くて」

「うわ、なんか想像できる」

「玉里ちゃんは音大志望だし、夢ちゃんは友恵先輩イズムを引き継いだ訳でもないし、さやかちゃんと貴水くんは結構一年生とも会話してるんだけど、指導云々までは流石にね」

 

 トランペットパートの二年生は四名が在籍している。吉川優子シンパサイザーの貴水卓、卒業生である滝野純一の妹である滝野さやか、長身で高坂に憧れている浅倉玉里、そして友恵が手塩にかけた後輩の小日向夢だ。三者三様、この場合は四人だが、それぞれの性格も考え方もまったく異なる四人組だ。去年の今頃、優子と友恵が試行錯誤しながら指導していた光景が思い浮かんだ。

 高坂ほどではないが、一癖も二癖もあるような部員を抱えるパートに違いないが、そこで唯一まともだと思えるのが吉沢だった。

 

「良くも悪くも、芸術肌なのね」

「そんな正当化する必要ないだろ」

「由佳里ちゃんが言ってることもわかるなぁ。でも、上手くバランスはとれてると思うよ。サックスとかクラみたいな大所帯でもないし」

 

 そういう意味では、フルートとトランペットは似ている節がある。規模もそうだが、少数精鋭としての矜持みたいなものは共感できた。

 

 

 

 笑顔の花が咲き誇る修学旅行も終盤に差し掛かっている。真由の一件は残念だったが、すべてはオーディション次第だ。仮にソリストが真由になれば、責任を持って全力で挑んでくれるはずだ。

 そもそも、真由に関しては元々なかったかもしれない戦力なのだ。故に、黄前がソリストであることに悲観的という訳ではない。

 

「勝つための音楽」が果たして本当に音楽なのか。希美と奏でた即興演奏。フルート同期達と出たアンサンブルコンテスト予選。そして、ソリストを賭けて挑む今年のコンクール。ベクトルで見れば全く違ってくる。音楽とは楽しくあって然るべき、というのは、ピアノを挫折した頃に懐いた感情だ。しかし、今は希美の想いを胸にフルートを吹いている。それもまた、音楽であり、言い換えれば「勝つための音楽」になるのかもしれない。

 

 全国大会で金賞が獲れたら、この設題に答えを導くことができるのだろうか。

 

 

 

     ◇◆◇

 

 

 

 梅雨も明け、本格的な夏が訪れた。パート練習の教室は冷房の使用が封じられている上に騒音等の問題で窓を閉め切っているため、個人練習をする場所の環境はどこも変わりがない。そして今日も今日とて、隆翔は沙里と共に個人練習に励んでいた。

 

「いよいよ明日だね、オーディション」

「だな」

 

 沙里の言葉に悲壮感はない。運命に委ねるまま、努力の末に勝利と敗北があるのみと割り切っている。

 

「ねえ、隆翔くんってコンクール嫌いでしょ」

「……どうして分かった?」

「分かるよ。というか、態度に出してたでしょ?」

「うん」

「ほらね。でも、君のそういうところ、ちょっと好きだな」

「アウトローに憧れる痛い奴でしかないよ。少なくとも吹奏楽部的には異端でしかない」

 

 隆翔の自嘲に沙里は腹を抱えて笑った。

 

「あはは、そんなに自虐しなくてもいいじゃん。でも、最近私も思うんだ。音楽が好き、フルートが好き、それだけで良いじゃないのかなって。コンクール向けの、滝先生が目指そうとする演奏が部としては正解。三年にもなれば十分理解してる。でも、そうは言っても、素直に好きなように演奏してる時が、一番私らしいと思うんだ」

「私らしい、か……」

 

 沙里の気持ちが、隆翔には分かる気がした。

 隆翔が自分らしさを出せた演奏は、多く見積もっても二回だけだ。一度目は中学二年のコンクール。二度目は昨年、河川敷で落ち込む希美に向けて演奏した『韃靼人の踊り』。自暴自棄の末に辿り着いた軽快なメロディーラインは、吹っ切れた隆翔の心の内を体現する。しかし隆翔とて吹奏楽部員だ。輪を乱す演奏は合奏とは言えない。

 

「そういえば、修学旅行で黒江を説得した」

「いつの間に。どうだったの?」

「空振ったよ」

「……そっか」

 

 階段の吹き抜けを通り抜ける透き通った沙里のフルート。彼女の音の特徴は、感受性豊かな音色と、それを駆使した表現力だ。その技術は去年の希美に匹敵するか、それ以上だ。対して隆翔は希美を追い求めて行き着いたコピーだ。それでも滝の求める音だと理解しているから、希美の音を目標にして演奏している。

 

 フルートの二本柱はブレない。自分たちでそう思っていないと、足元が崩れそうで怖かった。

 

「とにかく私、本気でやるから。隆翔くんも本気でやってよ」

「もちろん」

「手を抜いたら、先輩に言いつけるから」

「え、俺なんで弱み握られてるの?」

 

 冗談だよ、と言って沙里は溌剌とした笑顔を見せた。

 

 

 

     ◇◆◇

 

 

 

 ミーティングが終わっても、オーディション前日ということもあってか居残る生徒が多い。パート練習の時間と同じくらい、学校中からあらゆる楽器の音が響いていた。

 

「へえ、よく撮れてるじゃん」

「撮るのすきだから、みんなのもあるよ」

 

 修学旅行で撮った写真の現像が終わったからと、隆翔は真由から何枚か受け取った。

 

「よかった。焼き増しした写真は、明日北浜さんたちにあげようと思ってるの」

「いいじゃん。いまはスマホの写真が主流だもんな。逆に新鮮味があっていいかも」

 

 真由の撮った写真には、急遽合同で行った上野動物園での集合写真や、その夜に女子部屋で語らった時に撮っていた姿が写っている。動物園ではしゃいでいた滝井がゴリラに威嚇されている瞬間もバッチリ収められている。

 

「……楽しかったなぁ」

「だな。初めての東京だったけど、めっちゃ良かった」

「私もだよ。でも、なによりこのクラスで修学旅行に行けて嬉しかったな」

 

 写真を眺めながらしみじみと思い出に浸っている。こうして実物の写真に残ることは、真由にとって大事な儀式のようなものなのだろう。人よりも関わっていく時間が短いだけに。

 だからこそ感じた違和感を、隆翔は言及せずにはいられなかった。

 

「でもこの写真、黒江が全然写ってなくない?」

「……実は私、あんまり自分が写真に写ってるのが好きじゃないんだ。みんなを撮るのは好きなんだけど」

 

 あがた祭り前にあった二者面談の日、隆翔が釜屋との写真を撮ろうとした時、真由は拒絶気味だった。そのわけが漸く判明した。

 真由のような、美人とも形容できる容姿から出る言葉だと嫌みに受け取られかねないが、本心だということは伝わった。両手の指を所在なさげに絡ませて、後ろめたさが仕草に出ている。

 

「……まだ、オーディションの辞退を考えてるのか?」

 

 真由は黙って頷く。その後で、遠慮がちに呟いた。

 

「……私が受かったら、みんな悲しむから」

「だからさ、みんなって誰? みんなの中には俺も入るの?」

「………」

 

 追い詰めるような隆翔の態度に真由は萎縮した。そのつもりはなかったが、隆翔は「ごめん」と謝罪した。

 

「……私ね、この学校に来れて本当に嬉しかった。引っ越しはお父さんの都合だったけど、北宇治でも清良みたいな合奏ができるんだって思ってたから、毎日の部活が楽しいんだ。そう、私はね、楽しく合奏できればなんだって良いの」

「だから、黄前や久石を落とすことになるオーディションが嫌だ、と」

「……うん、そうだよ。何かまずいことでもあるかな」

 

 あるわけがない、とは言い難い。隆翔がこの学校のオーディションシステムに関わるのは今回が初めてだ。去年は希美の勝利を一切疑わなかった。それは隆翔だけじゃなく、フルートパートをはじめ多くの部員がそう思っていた。希美の実力が、周りの空気を支配していた。

 圧倒的で、頭ひとつ抜け出した技術の持ち主。今年でいえば高坂に相当するのだろう。しかしユーフォニアムには、不運なことに黄前久美子がいた。それが真由の誤算だった。

 ため息も吐きたくなる。ただ、今はそれを飲み込んで真由と向き合った。このワイルドカードをむざむざ失うほど、隆翔は愚かではない。

 

「黒江のユーフォはさ、北宇治の希望なんだよ。清良女子って色眼鏡で見られることもあるけど、それだけの実力を伴っている訳だし。何かを変えなければならないっていう気持ちは本当だよ。もう、去年と同じ思いはごめんだ」

 

 打算的な思想以前に隆翔が抱いていた真由に対しての本物の期待。説得のためにあえて主語を大きくしたが、真由の技術への期待を寄せているのは隆翔だけではない。目指す目標のプロセスを共有した沙里も同じ思いなのだ。

 

「お前を拒むやつなんか知ったこっちゃない。俺は、お前がちゃんとオーディションを受けて、たとえその時に黒江が嫌な思いをするようになっても全力でサポートするよ。約束する。今の北宇治には、黒江の力が必要なんだってことは、ずっと言っていくよ」

「……わ、私ひとりの力なんて、大したことないよ」

「じゃあ、そういう空気にすればいい。パートは違うけど、うちのパーリーの沙里は少なくとも同じ思いだよ。だから、ホラ」

 

 そう言って、俯く真由に手を差し伸べた。

 

「一緒に頑張ろうぜ」

 

 これからどうしていくかは、府大会のオーディション結果次第なのだから。だから今はこれで良い。

 真由もおずおずと手を差し出して、その手を握った。

 

「うん、頑張ろうね……」

 

 隆翔よりも小さく繊細な肌をした手は、不気味なまでに冷たかった。

 

 真由が全力で黄前に挑んだ結果なら、隆翔としても願ったりかなったりなのだ。「上手い人が吹く」という北宇治の方針にも合致する。

 しかし、その理想は青写真でしかないことを、真由は理解していた。

 

 

 

 

     ◇◆◇

 

 

 

 

「それでは、これより府大会のオーディションを行います」

 

 

 

 今年初めて蝉の鳴き声を聞いた。

 

 そして、運命のオーディションがはじまった。

 

 

 

 

【つづく】

 

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