或る、フルート吹きの青春   作:ハヤブサ320

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お待たせしました。
隆翔と希美のイチャコラ回です。
季節完全にあべこべですんません。


EP.44 夏雲奇峰

 集合時間より少し早く着いたバス停で、隆翔は一人、落ち着かないまま立っていた。朝の空気はすでに湿っていて、アスファルトの匂いが夏を主張している。

 時計は七時を五分ほど過ぎていた。といっても、バスまでは時間に余裕がある。

 

「お待たせ」

 

 声をかけられて振り向いた瞬間、隆翔は言葉を忘れた。

 隆翔に遅れてバス停にやってきた希美は、白いTシャツとデニムのショートパンツの先からは健康的な白い手足がスラリと伸び、足元はヒールのサンダルというラフなサマースタイルだった。肩からは着替えやタオルが入っているのか、大きめのトートバッグを提げている。

 大きな麦わら帽子が日差しを遮り、その下から覗く髪は結いすぎず、崩しすぎずまとめられている。首元にはサングラスが引っかけられていて。その黒いレンズには呆けた表情の隆翔が映っている。

 

「どうしたの?」

 

 そんな大人っぽい容姿に固まっていると、希美が表情を覗いてくる。一挙手一投足が隆翔の心を擽っているようでずるい、と感じていた。

 

「五分遅刻」

「……隆翔ってさ、テンプレに傾倒しないよね」

「その心は?」

「普通さ、『待った?』、『今きたところ』とか言う流れじゃん。でも隆翔は絶対に恋愛テンプレみたいな展開には持っていかないよね」

 

 希美は首元のサングラスをいじりながら隣に座った。甘く芳る香水がふわりと鼻腔に残った。

 

「そういうのは、あまり好きじゃないな」

「……じゃあ私がやってって言ったら、する?」

「うーん……希美は俺が嫌がること、絶対にしないでしょ」

 

 マリンブルーの瞳がじっと隆翔を捉える。隆翔の答えに、希美は目尻を落とした。

 

「ふふ、分かってんじゃん」

「当然でしょ。あ、今日いつもと違う香水だ。何の香り?」

「アクアノートってやつなんだけど、変じゃないかな?」

「良いと思う。名前も海にピッタリじゃん」

「ちょっ……近い。やめてっ」

 

 さりげないお洒落だったのか、気付いてくれたことが嬉しくて口調が上がる。

 希美の首元に顔を這わせると擽ったそうに体を捩って隆翔を制した。押し付けられた指にはダークスタイルのネイルが施されており、より大人らしさを引き出していた。

 恋人同士の距離感を堪能していると、幹線道路の先から大型バスが地を這ってやってきた。

 

「ほら、バス来たよ!」

「あーあ残念」

「バカ言ってないで行くよ」

 

 希美は運転士にチケットを見せてバスに乗り込む。その足取りはいつも以上に弾んでいた。

 バスは一般道から高速道路に入った。目的地まで二時間弱。山間部を縫うように走る間も、希美はわくわくが抑えきれないかのように高いテンションを維持していた。

 窓側に座る彼女は頬杖をついて外を眺めていた。

 シンプルな服装なのにどこか様になって見えるのは、無理して着飾っていないからだろう。実際、このスタイルは希美によく似合っていた。

 

「思ったより道路空いてるね」

「確かに。お盆ど真ん中だから覚悟してたけどな」

「早起きした甲斐あったかも」

 

 そう言って、希美は満足そうに小さく頷いた。

 首元に引っかけたサングラスが揺れるたび、淡い香りがふっと流れてくる。

 

「……そんなサングラス持ってたっけ?」

「ううん。水着買った時に一緒にね」

「フレグランスも?」

「うん、そうだよ。分かる?」

「気合い入ってるなって」

「えー、何それ。でも、嬉しいでしょ?」

 

 ぐっと身体を隆翔に寄せて、確実に香る距離まで詰めてくる。そのまま唇がくっついてしまいそうになるところで希美は止まった。

 

「嬉しいよ。早く今日が来ないかなって待ち遠しかったし」

「ふふっ、私も」

 

 隆翔の反応に満足したのか、希美は自分の座席に座った。

 

「あ、そうだ。関西おめでと」

「ありがとう。って前に電話で言ってくれたじゃん」

「それはそれ。だって忙しくて全然会えなかったから。それに花火大会も行けなくてごめんね」

 

 北宇治の府大会後、希美は大学のサークル合宿に出掛けていた。お盆が明けると希美も演奏会があるので、強化期間となっていた。

 

「私もオケサーでファーストになれたし、隆翔はソリストで関西決めるし、私たちって強すぎるんじゃない?」

「強いのは希美だけだよ」

「またそんな謙遜して。一円にもならないよ?」

 

 拗ねたふりをする声音が可笑しくて、隆翔はふっと小さく息を漏らした。

 バスの揺れに合わせて肩が触れる。意識しないようにしても、距離の近さが否応なく伝わってくる。

 

「隆翔さ」

「ん?」

「何か、考え事してる?」

「……え」

「気のせいかな。歯切れが悪いっていうか、いつもの隆翔なら私にボディタッチくらいするじゃん」

 

 希美はそう言って、くすっと笑った。

 

「……人をスケベ野郎みたいに言わないでくれる?」

「えー、ほとんど事実じゃん」

「公序良俗に反さない程度のスキンシップはいかんのですか?」

「人前じゃなきゃね。まあ、隆翔こそ私がしてほしくないことは絶対にしないから、そこは信頼してる。それに、悩み事も話したくなったらで良いよ。いつでも聞いてあげるから」

「……うん」

 

 また甘えてしまった、と小さく溜息を漏らした。

 関西には進出した。希美を含めた外部の人は、今北宇治が直面している問題が見えない。当然のことだった。問題は解決しなければならない。勝利のためには何でも利用する。それがたとえクラスメイトでも。中学からの友達でも。

 それは口が裂けても希美には言えない。そして、隆翔は希美のようにはなれないことも自覚していた。

 伝えようとしても、希美の笑顔の前では全部くだらないことに思える。友達を利用するなんてこと、希美が聞けば怒るだろう。怒るで済めばマシな方だ。激怒の末に幻滅されれば終了だ。そんな勇気は持ち合わせていなかった。

 

 

 

 

     ◇◆◇

 

 

 

 

 水平線から立ち昇る大きな入道雲。夏の景色で思い浮かぶ情景としては最上位に組み込まれる景色だ。空は深く鮮やかな青で塗りたくられ、入道雲がコントラストに映える。その空の下では白い砂浜を覆い尽くすかの如く、テントやパラソルが立っている。

 

「着いたー‼︎」

 

 隆翔と希美は京都市内からバスを乗り継ぎ、目的地である若狭の海水浴場に到着した。着くや否や、希美は麦わら帽子を深く被りサングラスを掛け、水平線に向かって叫んだ。

 

「ホラ、隆翔早く行こう!」

「ちょっと待ってくれ……荷物が重いんだ」

 

 はしゃぐ希美を前に、隆翔は両手と肩で大荷物を持つ。着替え、飲み物、テントその他と

 

「えー、男の子でしょ。そっち守ってあげるから貸してよ」

 

 そう言って隆翔の肩から飲み物の入ったクーラーボックスを引ったくった。

 希美は帽子を押さえながら砂浜への階段を下りる。その後ろ姿を見て、隆翔はようやく胸のつっかえが無くなったことを感じた。

 人の流れを避け、二人は少し端の方に場所を取った。

 畳まれていたテントを広げるが、思ったより骨組みが言うことを聞かない。

 

「んしょ……ここをこう曲げるはずなんだけどな」

「そのパーツ、逆じゃない?」

「え、どこ?」

「ほら、ここ」

「あ、本当だ。どうもアウトドアは苦手だ」

「インドア派だもんね」

 

 隆翔は説明書を読みながら順序通りに組み立てていく。持参したビーチテントは、父が昔に買ったものだ。三人家族向けに作られているので、隆翔と希美二人なら余裕だった。

 テントを骨組みに通すと、立派なテントが完成した。

 

「おおー、中は意外と広いね」

「日差しは遮れるけど、ずっといると熱が篭るから風洞開けておいて。あと、熱中症になるからこまめに水分摂ってね。ここにクーラーボックスが……あれ、あっ!」

「何? どうしたの?」

「クーラーボックス……チャック開いてて氷溶けちゃった。ごめん……」

 

 チャックを閉め忘れたクーラーボックスの中はすっかり温まり、ドリンクを冷やす保冷剤も完全に溶け切っていた。思わぬ失態に隆翔は肩を落とした。

 

「あちゃー。温まっちゃったね」

「申し訳ない……」

「しょうがないよ。テント張ってくれただけでもありがたいし、あとで海の家に行こう」

 

 落ち込む隆翔を元気づけようと、笑顔で隆翔の肩をポンと叩く。リカバリーの提案に救われた。

 

「じゃあ、着替えてくるね」

「うん」

 

 希美はトートバッグを抱えて、簡易の更衣スペースへ向かっていく。隆翔はテントの前で待ちながら、何度も視線を彷徨わせた。今日の為に水着を新調したと言っていた。当然、一緒に買いに行くと思いきや、その提案はやんわり却下され、まだ見たことがない。

 波の音。遠くの笑い声。

 そして胸の奥でじわじわと高まる落ち着かなさ。所在なさを誤魔化すように、持参した浮き輪とビーチボールの空気を入れた。

 

「……お待たせ」

 

 サクサクと砂浜を駆ける音に振り向いた瞬間、隆翔は思わず息を飲んだ。

 さっきまでのシャツとショートパンツだった希美は、今はすっかり海の景色に溶け込んでいる。

 派手さを抑えた色味の水着に、腰に巻いた薄手のパレオ。首に巻かれたスカーフ調のトップスの紐、いつも存在を主張する双丘は、あえて肌面積を抑えることで上品さを醸し出していた。

 

「……どう?」

 

 希美はそう言いながら、つま先で砂を軽く払った。

 視線は隆翔の胸元あたりを彷徨っている。恥じらいを誤魔化すように両手を組んで左右に揺れる。そのたびにパレオが靡く様は、波打ち際に残る泡のようで触れた瞬間に形を失ってしまいそうだった。

 

「……すごく、似合ってる」

 

 照れながら感想を求める姿に隆翔の喉が鳴った。褒め言葉として正しいかどうかも分からない。こういう時、すぐ気の利いた言葉が出る人が羨ましく思った。

 

「……ほんと?」

 

 希美は一瞬だけ顔を上げ、すぐにまた視線を落とした。

 耳の先まで赤くなっているのが、帽子の影からでも分かる。

 

「そんなに見ないでよ」

「見てない……いや、見てるけど」

 

 言い直した瞬間、希美が吹き出した。

 

「なにそれ」

「ごめん。どう反応すればいいか分からない」

 

 正直な答えだった。視線を向ければ失礼な気がして、逸らせば期待を裏切る気がする。そのどちらも選べず、結果として中途半端な位置に目を置いている自分が、ひどく情けない。

 そんな隆翔の様子を、希美はじっと観察していた。

 

「……じゃあさ」

 

 一拍置いて、彼女はくるりとその場で半回転した。

 慣れない動きで少しよろけて、砂に足を取られかける。

 

「え、ちょ」

 

 そう言いながら、両手を広げて立ち直る。

 

「ほら、ちゃんと見て」

 

 希美は少しだけ胸を張った。

 

「隆翔には、ちゃんと見てほしかったから」

 

 その言葉に、胸の奥がきゅっと締め付けられる。見せたい相手に逃げ場を与えない、彼女らしい言葉だった。

 

「……可愛いよ」

 

 今度は、はっきりとそう言った。

 

「っ……ばか」

 

 希美は帽子のつばを深く引き下ろしながら、頬を両手で押さえた。

 

「そんな真っ直ぐに言われると思ってなかったから、心の準備できてないよ」

「じゃあ、言わない方がよかった?」

「それはそれで嫌だな」

 

 即答だった。そんな天邪鬼なところも心をときめかせるには十分過ぎた。

 少し間を置いて、希美はゆっくりと隆翔の方を向く。

 

「……今日、隆翔がちゃんと見てくれたらいいなって」

 

 照れも、冗談も混ざっていない声だった。

 

「だから、緊張してた」

 

 視線を向けることが、こんなにも責任を伴う行為だとは思っていなかった。

 希美は一度深呼吸をしてからにっと笑って、隆翔の手を取った。

 

「海行こうよ!」

「あ、ちょっと……」

 

 砂浜に残る足跡がふたつ。足の裏に感じる砂の柔らかさ。ちりちりと焼かれる肌に残る今日の記憶。あまりにもまっすぐに向けられた好意に、悩んでいたことなど霧消してしまった。

 

 それから二人は満足するまで海でのひと時を楽しんだ。海水浴場という開放的な空間に充てられたからか、童心に返って全力で遊び尽くした。こんなにも心を解放させたのはいつ以来だろうか。海水のしょっぱさ、水面に反射する太陽。すべてが新鮮で、忘れがたい思い出として刻まれることとなった。

 

「カレーライスのお客さま」

「あ、はーい」

 

 午前中ひとしきり遊んだ二人は海の家で昼食にありついていた。希美が頼んだのはカレーライス。隆翔はラーメンだ。

 

「じゃ、いただきます」

「いただきまーす」

「なんか、海の家のごはんって特別な感じするよね」

「味は素朴なんだけどね」

 

 日常と違う情景がスパイスとなって、ただの醤油ラーメンも違った旨味を引き出す。こういうのをロケーション効果と言うらしい。目の前の彼女はカレーライスを満足げに頬張っている。

 

「また来ようね」

 

 ふと、希美は隆翔に向けてそんなことを言った。

 まだ半日ほど遊べるというのに、変なタイミングだと思いながらその言葉に頷いた。

 

 テントの中で、二人は寄り添うように寝転がった。メッシュ製の風洞から涼しい海風がテントに入ってくる。

 太陽が遮られ、薄暗い空間に浮かぶ彼女のシルエット。今は身体が冷えないよう、ラッシュガードを着ていた。

 

「疲れた?」

 

 耳元で囁かれ、隆翔は希美の顔を見た。じっと、碧い瞳が隆翔の顔を見ている。どこまでも吸い込まれそうな瞳。隆翔はそれが大好きだった。

 

「遊び疲れたね。こんなにはしゃいだの、凄い久しぶり」

「私も。ずっと大学とサークルとバイトだったから」

「お昼、奢ってもらっちゃったけどいいの?」

「うん。テントとか色々準備してくれたし、それに私も稼いでますから」

 

 へにゃりと口角を上げて、隆翔の背中に腕を回す。より身体が密着して、女性特有の柔肌が擦れた。

 ビーチテントは閉じられ、外から二人の様子は見えない。どちらともなく目を瞑ると、唇に柔らかな感触がした。

 アクアノートのフレグランスが鼻孔を擽る。爽やかな印象を持つその香りも、今は妖艶なムスクの香りに変化している。身体を捩って、さらに深く深く繋がる。互いに貪るようなキスが続いた。会えない期間の分だけ、二人はお互いを欲した。その想いはシンクロし、肺活量が続く限り、甘やかな時間を紡いだ。

 

「はぁ……好き。重かったりしない?」

「ううん、全然……」

「そ……良かった」

 

 どれだけこうしていただろうか。希美の口元はしっとりと濡れ、銀色に照っている。求めあいの末に希美は隆翔の身体に乗りかかった。いつの間にかラッシュガードを脱いで露わになったウエスト、豊満なバスト、柔らかな肢体のすべてを身体で受け止めた。上からマウントを取る形で隆翔を見下ろし、獲物を見定めた据わった眼を向けている希美に昂揚した。

 これは、あの時に似ている。

 あがた祭りの夜、艶やかな浴衣に着飾った希美は、貪り尽くす勢いで隆翔を求めた。あの時の希美も、今のような目をしていた。心から隆翔を自分のものにしようとする独占欲。きっとこれが、彼女の心の鍵を開けた罪なのだ。

 さざなみの音を背に、どこまでも墜ちてしまいそうな白昼の微睡みが二人を包んでいた。

 

 

 

 

     ◇◆◇

 

 

 

 

 陽が傾き、水平線の彼方に向けて沈みつつある。海水浴場に並んでいた無数のテントは多くが片付けられている。

 幻のような時間のあと、二人は再び海に入って遊んだ。日焼け止めは何度か入念に塗ったが、それでも突き刺すような太陽によって白磁のようだった腕はほんのりと日焼けしている。

 

「もうそろそろ終わりかぁ」

 

 この海水浴を心から楽しみにしていた希美は、終わってしまうことへの名残惜しさを口にした。二人は濡れた水着からシャツに着替えていた。

 

「楽しかった?」

「うん。柄にもなくはしゃいだな」

「高校生らしくはしゃいでたよ」

「希美だって」

 

 どこまでも続く水平線を見ながら、希美は隆翔の肩に寄りかかる。

 きっと、言えるのは今しかない。今を逃せば、隆翔は出口の見えない迷路に迷い込む気がしてならなかった。

 

「聞いてほしいことがあるんだけどさ」

「なに?」

「……俺、府大会しんどくてしんどくて仕方なかった。最後のソロなんか吐きそうになるくらい怖くて、眩暈で滝先生の指揮が見えなくて、終わった後、手の震えが止まらなくて……」

「………」

 

 希美は黙って頷いた。

 

「去年、関西の直前に希美が背負っていたものを、やっと理解できたんだ。でも希美は強かった。自分でなんとかしようとしてた。演奏中も迷子にならないように、ずっと自分を保ち続けてた。俺には分かる。その重圧と戦っていた希美に軽々しく『自分にも背負わせてくれ』なんて言ったけど、今思えば情けないくらいに軽挙妄動だったって思う。俺は、俺は弱い……責任を背負って立つ舞台がこんなにも怖いなんて思わなかった」

 

 その告白は隆翔の経験の少なさを物語っていた。ただ、希美は彼の言葉を否定することも肯定することもしなかった。勿論、茶化すことも。

 

「奏者のジレンマだよね。まあ、練習は嘘をつかないなんて、結局審査員の判定次第で簡単に裏切られたりするし一概には言えないけど」

 

 その言葉に含まれた自嘲の笑み。かつて自身が率いた南中を想起したのだろう。

 

「もし今年希美が北宇治の部長だったらって思わない時がないよ……」

「それは久美子ちゃんに失礼じゃない?」

「そうかもね。今のは同期故の厳しさかな。ただ、一枚岩が崩れる瞬間の怖さは、まだ実感できていない気がする」

「そうなの?」

「全国金賞っていう目標に対して、全員の意志が統一できてない。みんな見ている景色が微妙に違ってるんだ」

「景色?」

「うん。あいつは俺たちを一枚岩で見ている。特に今は関西も決まって心に余裕もある筈だから。でも岩っていうのは色んな層があって、色んな成分があるように、一枚岩でも色んな人の思惑とか考え方がある。関西を目の前にして、やるべきことも目指すものもはっきりしているのに不思議と息が詰まるのは、みんなが不安に蓋をしているからなんだと思う。お盆が明けたらなくなっていることが理想だけど、このまま続くようなら少し不安だよ」

「幹部の三人は何も感じてないの?」

「多分、感じてないと思う。黄前や高坂とは没交渉気味だからろくな会話もしてないけど、やる気を保とうと来年を見据えてる部員に冷たい気もする」

 

 花火大会で秀一が言っていたことを思い出す。

 高坂は、目の前で本気になれない人に厳しい目を向ける。

 もしそれが本当なら──。

 

「そっか……まあ難しいよね。久美子ちゃんは兎も角として、高坂さんは信念曲げるタイプには見えないし。多分、隆翔は特にそういう空気を敏感に感じ取るから優子と夏紀は隆翔をマネージャーに据えたんだと思うよ」

「今となっては後の祭りだよ」

「……そうだね。あのことは私にも責任があるし、長く尾を引かなきゃ良いんだけど」

「いや、あれに関しては希美は何も悪くないよ」

「それでも! 彼氏が困ってたら手を差し伸べちゃだめなの……?」

「ダメじゃ……ない」

 

 そうして彼女はよろしい、と隆翔の返答に満足した。

 希美が部長だったら──。

 そんなことを思ってしまう自分がいる。

 去年の優子が間違っていたとは思わない。ただ、希美ならもっと心強かっただろう。

 高校一年生の頃に彼女らを迫害した当時の三年生の存在は、今の北宇治にとって毒にも薬にもならないとつくづく思った。

 

「希美はさ」

「うん」

「なんでフルートを好きになったの?」

 

 隆翔はふと、希美がフルートに出会ったきっかけが知りたくなった。二人の邂逅から一年と少し。彼女とフルートは切っても切れない存在だったからこそ、今まで気にしてもいなかった。

 希美は思い出す素振りをしながら、恥ずかしそうに語った。

 

「小学校の時に、仲が良い大学生のお姉さんが居たんだ」

 

 それは隆翔の知らない希美の過去。

 小学生の希美は友達も多く、運動も勉強もできる女の子だった。ただ、何か一つに傾倒する趣味はなかった。希美は近所に住む大学生に懐いていた。吹奏楽サークルに通うその人が演奏していた楽器、それがフルートだった。

 

「ある日、その人の演奏会に誘われて観に行ったんだ。もう、めっちゃ上手くて。演奏も凄かったけど照明に照らされて堂々と吹いてる姿に憧れたんだ。あの楽器が吹きたい。中学生になったら吹奏楽部に入って、あのお姉さんみたいになりたい! って我儘言ってたっけ」

 

 過去を懐かしむように語った希美は、清々しい表情をしていた。

 

「それから、そのお姉さんは就職して引っ越していっちゃったんだけど、フルートへの憧れだけは萎まなかった。こうして高校大学でも吹けてるし、何より隆翔と出会えたんだから感謝しなきゃだね」

「そうだね」

 

 隆翔の知らない幼き希美。ただ、間違いなく今の彼女に繋がっている。

 希美はスクッと立って、夕日を背にして隆翔を見下ろした。

 

「関西、見に行くからね」

 

 隆翔に向けた言葉の先で、彼女の顔は逆光でよく見えなかった。

 ただ、その言葉だけが確かに心に刻み込まれた。

 

 

 

     ◇◆◇

 

 

 夜の高速道路を走るバスの車内は、一定の走行音だけが響いている。

 隣では、希美が小さく寝息を立てていた。肩に預けられた重みが、やけに温かい。

 スマートフォンのアルバムには、百枚以上の写真が収められている。海と砂浜に映える希美の笑顔。はしゃいだ顔は年齢以上に幼く見える。でも、それが心から愛おしかった。

 隆翔は一枚の写真を待ち受け写真に選んだ。

 水平線を背に、満面の笑みで振り向く姿。

 きっと希美が見れば恥ずかしがって変更しろと言うに違いない。

 

 関西大会は見に行くからね、と希美は言った。

 ならば合宿初日のオーディション。この機会を逃すわけにはいかない。

 あの舞台に狼狽している場合じゃない。。

 窓に映る自分の目は、往路のそれとは全く別人のようだった。

 覚悟を持とう。

 その道に棘があろうと、荒野だろうと。

 

 

【つづく】

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