或る、フルート吹きの青春   作:ハヤブサ320

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帰宅部一年、樟葉隆翔。

全国の舞台で成果を出した吹奏楽部と、かつての同級生たちの話。


【閑話】とある冬の日

 朝の空気が着々と冷たさを帯び始めた十月、一年四組の教室は週明けの気怠さと喧騒を混ぜた空気で充満していた。

 

「なあ樟葉、聞いたか?」

「何が?」

 

 隆翔の机に身を乗り出して話し掛けた滝井倫也(たきいともや)が、少し興奮気味に語り出す。

 

「ウチの吹部、全国で銅賞を獲ったらしいぞ」

「……へえ、すごいな」

「なんだ、興味ないのかよ」

 

 ビッグニュースだと言わんばかりに食い気味な彼に対し、隆翔は表情を一切変えずに返した。そんな隆翔の反応に、滝井は拍子抜けした。

 

「でも銅賞って凄くね。全国三位ってことだよな? あいつら毎日毎日音出して頑張ってるもんなぁ」

 

 他人の幸福をまるで自分のことのようにしみじみと喜べるのは滝井の美点だ。だが、彼は一つ大きな勘違いをしていた。

 

「銅賞は全国三位って意味じゃないぞ」

「え、違うの?」

「金、銀、銅はどの学校でももらえる。上手ければ金とか銀。銅賞は……参加賞みたいなもんだな。上には上がいるんだよ」

「へ〜、さすがは元吹部」

「わざと言ってるなら性格悪いぞ」

 

 滝井は隆翔の解説に感心する。

 滝井倫也とは大吉山北中からの同級生だ。家も近く、隆翔が中学二年生で部活を辞めた後に交友関係を持った。北中から北宇治へ進学した生徒は校内でも少数派で、私立進学以外の多くは南宇治高校に進学した。

 

「でも、参加賞だとしても全国はやべえよなぁ。北宇治で全国に行った部活なんて聞いたことないぞ」

「まあ、確かにな。でも、お前だって今年は良いところまで行ったんだろ」

「へへっ、府大会ベストフォー」

 

 滝井ははにかみながら指を四本立てる。

 彼は中学からずっとバドミントン一筋でやってきた。今年は一年生ながら夏の大会のメンバーに選出され、インターハイ県予選の準決勝まで進んだという。吹奏楽部の成績に感心しているが、彼も負けず劣らず実力ある選手なのだ。

 

「てか、吹部といえば北中から何人かいるよな。確か二組の塚本と三組の黄前、七組の高坂。三人とも知り合いだろ?」

「……まあな、秀一だけは」

「あとの二人は? 同じ部活だったじゃん」

 

 黄前久美子と高坂麗奈。北中の学区から外れている北宇治にわざわざ進学してくるとは露ほども思わなかった。入学式で見かけた時の落胆具合は凄まじいものがあった。滝井の言う通り知り合いではあるが、両人とも現在進行形で関係を拗らせている。

 忌々しい記憶を打ち消そうとしている中、滝井は明後日の方向に目を向けていた。

 

「黄前はともかく、高坂は相変わらず美人だよなぁ」

「そうか?」

「髪長いし可愛いし、あと胸でかいし」

「声を抑えろバカ」

「それに特進クラスの七組だから頭も良いだろ。欠点を見つける方が大変だわ」

「いや、高坂なんて欠点まみれだろ。それにあいつ、確か友達いないぞ。性格キツイからか分からないけど一緒に喋ってる奴見たことない」

 

 そう、高坂には友達がいない。激しい口論の末に隆翔が看破した事実である。あのトランペット馬鹿と友達になれる奴は、同レベルの音楽馬鹿しかいない。でなければ釣り合わないだろう。

 あまりに予想外だったのか、滝井は呆気に取られている。

 

「……またまたぁ。お前、ライバル減らしたいからって人の株を下げるのは良くないぞ」

「はぁ? 誰が高坂とお近づきになりたいって?」

「え……じゃあ、マジ情報?」

「嘘ついてどうすんだよ」

 

 とはいえ、この二年で誰かしら友達ができていてもおかしくはない。高校デビューは誰しも与えられた権利だからだ。

 

「てな訳で、高坂麗奈はおすすめしないから。もし本気なら、自己責任でな。俺の名前を出すんじゃないぞ」

「高坂をこんなにもボロクソに言う奴、俺初めて見たわ」

 

 彼女を知るその他大勢と隆翔を比較した滝井は若干引いている。

 

「滝井くん。もうすぐ朝礼始まるわよ」

「やべっ、もうこんな時間かよ。じゃあな樟葉!」

「ああ」

 

 彼は片手を上げて走りながら教室を出て行った。教師に見つかったのか、女性教諭の鋭い注意が廊下の先から聞こえてきた。

 

「おはよう、樟葉くん」

「おはよ。北浜って意外と朝弱い?」

「何言ってるの? 登校したら生徒会室に行ってるのよ」

「精が出るねえ」

「褒めても何も出ないわよ」

 

 隆翔の隣に座った北浜由佳里(きたはまゆかり)は、この秋に代替わりした生徒会で書記として名を連ねている。真面目で眉目秀麗な彼女らしい身の振り方だ。

 

「ねえ樟葉くん。生徒会に入るつもりはないかしら?」

「なんだ藪から棒に」

「書記の席が一つ空いているの。この学校ってあまりこういう活動に積極的な人が少ないみたいで、あと一枠見つからなくて困ってるの」

 

 普段は他人への期待を安売りしない北浜が、ここぞとばかりに期待を込めた表情で勧誘してきた。突然の誘いに困惑する隆翔に、彼女はさらに畳み掛ける。

 

「あなた、確か帰宅部よね? もしやりたいことが決まってないのなら悪くないと思うわよ。進学希望なら内申にも書けるし、実績にもなるわ。それに、あなたの成績なら推薦しても問題ないと思うし、私も心強いわ」

 

 並べられた耳障りの良い言葉は、彼女の外見しか知らない者が聞けば天にも昇る心地だろう。しかし、隆翔は北浜由佳里という人物を知ってしまっている。その言葉が美辞麗句であることも、全て織り込み済みだった。

 

「で、本音は?」

「あら、全部本音よ」

「ふーん……」

 

 じっと彼女の瞳を見る。一切の曇りがない深緑の瞳は、彼女の深層心理を上手に包み隠していた。

 

「はあ……お手上げね」

「やっぱりな。都合のいい駒が欲しいだけだろ」

「そこまで捻くれていないわよ。あなたの成績なら推薦しやすいのも本当。クラスメイトがいて心強いのも本当よ」

「せっかくの誘いだけど遠慮するよ。他を当たってくれ」

 

 北浜の誘いを断り、隆翔は一限目の数学の教科書を出す。先週で単元が終わったので、小テストがあるなら今日のはずだった。復習しておくに越したことはない。

 

「あら残念。他に良い人いないかしら」

「二年生なら内申を気にして入りそうなものだけどな」

「そうなのよ。実は一人、帰宅部で入ってくれそうな先輩が居たらしいんだけどね。部活に入ったとかで断られたみたいなの」

「へえ、この時期に珍しいな。じゃあ、そうだな……五組の柊木(ひいらぎ)とかは? あいつも帰宅部だし、同じ女子だろ。気が合うんじゃねえの?」

「柊木さん……確かあなたと同じ北中よね。どんな子?」

「顔は良いけど性格が暗い」

「……あなたの知り合いはそういう人しかいないの?」

 

 呆れた北浜は隆翔を憐れんだ。

 

「ごめんごめん。ぶっちゃけるとよく知らないんだ。知り合いの知り合いって感じ。ただ、中学の頃は黒髪だったし、本ばかり読んでる印象だったけど高校デビューしたんかな」

「え、知り合いじゃないの?」

「そうだよ」

「誰の紹介って言えばいいのよ……」

 

 柊木芹菜(ひいらぎせりな)。彼女もまた数少ない北中出身の同級生だ。隆翔と直接の接点はないが、中学の頃に梓が懇意にしていたと記憶している。中学では目にかかるほど長い前髪が特徴的だったが、高校に入った途端染めたのか、丸みを帯びたモカブラウンのヘアスタイルに変わっていた。

 

 やがて担任が入って来て、この話は終わった。

 体育祭で彼女を助けてから、隆翔は何かと頼まれごとをされるようになっていた。積み上げた信頼から隆翔を生徒会に勧誘するのも頷ける。

 北浜は隆翔の過去を知っている。聡明な彼女は、隆翔が組織というものに潜在的な恐怖心があると見抜いていた。それから何かと隆翔を気にかけるようになった。

 ただ、隆翔としては今の距離感が心地よかった。生徒会で北浜のように優秀な生徒の右腕として活動できたらさぞ充実することだろう。しかし、隆翔が再起をはかるのは、そこではない気がしてならなかった。

 

 

 

 

     ◇◆◇

 

 

 

 

 吹奏楽部の吉報から数ヶ月。

 宇治市上空には冬にしては珍しく厚い雲が垂れ込めている。冷え方からしても、夜からの雪予報は恐らく当たるだろう。

 

 隆翔は学校から程近いファストフード店に呼びつけられていた。神妙な顔をした、親友の秀一を伴って。

 

「折り入った相談なんてどうした?」

 

 吹奏楽部員の彼は、毎日遅くまで居残って練習に励んでいる。今は、再来週に迫った定期演奏会に向けて鋭意練習中なのだそうだ。そんな秀一から、放課後に相談と称して呼ばれていた。秀一の奢りで頼んだカフェラテの香りが鼻腔をくすぐる。対して彼は、真冬だというのに氷が浮かぶコーラを頼んでいる。

 

「実は……」

 

 口を開いた秀一は周囲を気にして抑えた声で隆翔に打ち明けた。

 

「はあ? 黄前の気持ちが知りたい?」

「バカ! 声がでけえよ」

「あ、悪い」

 

 秀一が前のめりになって隆翔の口を抑えようとする。

 彼の相談というのは、同級生であり幼馴染みである黄前の本心を知りたいというモノだった。彼らは同じマンションに住む昔からの顔馴染みだ。昔から距離感が近かっただけに、思春期を迎えた秀一には彼女の思わせ振りな態度が心の琴線にしっかりと刻み込まれていた。

 

「てか、それくらい自分で聞けよ。同じマンションだろ」

「そうだけど……それが出来たら苦労しねえって」

「ヘタレ」

「うっせ」

 

 項垂れる秀一を尻目に、隆翔はトークアプリを開く。高校生活も間も無く一年が経過する。中学の友達と最後に話したのは随分前の出来事になってしまった。以前、梓経由で交換した黄前のアカウントには、まだ一度も会話の形跡がない。

 

「全国の時にプレゼントしたのだって、あれ以来一度も付けてるとこ見たことないし」

「何贈ったの?」

「ヘアピン。花の」

「へえ、秀一にしては良いチョイス」

「俺にしてはってなんだよ。てか、同じ吹部の奴に聞いたんだよ。そしたら『イタリアンホワイトっていうお花のアクセサリーとか良いと思います!』って食い気味に押されて」

「で、ヘアピンにしたと。『あのヘアピンどうした?』ってしれっと聞いてみたら?」

「いや、それだと俺が押し付けたみたいになるじゃんかよ」

 

 隆翔のアドバイスをことごとく袖にする秀一に、隆翔は心の中で「めんどくさ」と呟いた。男子の繊細な恋心を見せられても一文にもならない。ウジウジしている彼に、隆翔は起死回生の一手を下した。

 

「お前、さっきから誰に連絡してんの?」

「ちょい待ってろ……よし、これでOK」

 

 ポチッと送信ボタンを押すと、緑色の吹き出しがタイムラインに投稿された。メッセージに既読が付いたのを見届けて、隆翔は秀一に画面を見せた。その瞬間、気怠そうだった彼の目がカッと大きく開いた。

 

「お、お前、何してんだよ!」

「何って、告白のお膳立て」

「これのどこがお膳立てなんだよ。勝手に事を進めやがって!」

 

 隆翔がやったことは、黄前への牽制だった。項垂れる目の前の秀一の写真も付けて。文面はただ短く、『黄前絡みで面倒臭いことになってる。何とかしてくれ』とだけ。

 返信はすぐに来た。何度かのやり取りを経て、黄前は秀一へのお返しを決意してその場は収まった。

 

「お前、本当に女子と付き合ったことないのか……?」

「あ? ねえよ」

「にしては扱い慣れすぎだろ。俺にもそのテク教えてくれ」

「テクとかじゃ無いけど、七面倒くさいのは男女関係なく鬱陶しいってだけだよ。エスパーじゃないんだから相手に聞かずして気持ちが分かる訳がないだろ。下心ありきじゃなければストレートに聞けばいいし、告白したきゃ真っ直ぐ伝えれば良い。何も気に病むことなんか無いよ」

 

 二人は長年の付き合いで培った信頼関係があるから、仮に恋人同士になっても問題なく進展するだろう、と言うのが隆翔の見立てだった。それに、秀一は割と女子から人気がある。顔立ちも整ってるし、背も高く性格も優しい。十人いたら漏れなく全員が彼を好青年だと評するはずだ。

 

「ま、自信持てよ」

「その揶揄い半分な慰めやめろ」

「あら、ごめんあそばせ」

「キモいわ!」

 

 ファストフード店で行われた相談は、秀一が黄前との約束を取り付けたところで終了した。きっと、黄前はヘアピンのお返しを渡すためだけに現れるだろう。彼がその後、どういう言葉で、シチュエーションで思いを告げるのかは、隆翔の預かり知らぬところだった。

 

 

 それから数日後、風呂上がりの隆翔のもとに喜びの滲み出た文面が事の顛末と共に送られてきた。そこには相談に乗ったことに対する感謝が述べられていた。

 

「『おめっとさん』、と……この浮かれポンチめ。精々幸せになりやがれ」

 

 悪態を吐きながらも、内心は彼への祝福の気持ちが勝っていた。言い表せない秀一への恩はまだ恋のキューピッドもたまには悪くないと、新たなカップル成立を祝福した。

 

 その翌日、隆翔のもとに思わぬ来客があった。

 

「何か用?」

「いきなり連れ出してごめん。てか、高校で話すのは初めてだね。北宇治に来てるって知った時はびっくりした」

「だな、言ってなかったし」

「そうだよね……」

 

 隆翔のもとを訪れたのは、先日晴れて秀一と恋人同士になった黄前久美子だ。耳元でカールする癖毛は、中学の頃から変わっていない。

 隆翔相手に気まずさを覚えるのは仕方がない。隆翔としてはもう二年以上も前の出来事だ。気にしていないと言えば嘘になるが、彼女の呼び掛けを邪険にするほど心にしこりがある訳ではなかった。

 

「話ってのはね、えっと……昨日、秀一に告白されたんだけど……」

 

 周囲を気にしながら、肝心の部分は小声になる黄前。視線を逸らしながらまごまごする様は、少しおかしかった。

 

「ああ、秀一から聞いた。おめでとさん」

「色々相談に乗ってくれたことも聞いた。てっきり、ヘアピンのお礼がなくて悩んでるのかと思ってたけどね。あはは」

「お前、絶対忘れてただろ」

「わ、忘れてないよ! ただ、タイミングとか諸々が悪くて……」

 

 言い訳にしか聞こえない反論を唱えるが、それでもバツが悪そうにするのは彼への後ろめたさがあるのだろう。

 

「で、樟葉に一個お願いがあるんだけど」

「なに?」

「私が秀一と付き合ってること、周りには内緒にしておいてほしいんだ」

 

 真剣な顔でそんなことを言ってきた彼女に対して、隆翔は閉口した。

 

「……なんで?」

「私、まだ恋愛とかそういうの、よく分かってないんだ。特に秀一とは……ずっと近くにいたから」

 

 隆翔は黙って頷く。

 

「それに部内恋愛って囃し立てられやすいでしょ。周りの目とかもあるし、部活を真面目にやってる人たちの邪魔はしたくないから。我儘なのは百も承知だけどさ……」

「秀一はそれでいいって言ってるのか?」

「うん」

 

 ならば仕方がない。ただ、隠し通すのは本人が思っている以上に大変だ。もしかしたら黄前も完全に秘匿することなど出来ないと思っているのかもしれない。だから隆翔も、敢えて深くまで追求しなかった。二人の関係に口を出すのは野暮だからだ。

 

「わかった。俺からは何も言わんよ」

「ありがと。それとさ、樟葉──」

 

 探るような視線が隆翔を捉える。

 

「部活、戻ってこない?」

 

 その一言は、隆翔を困惑させるには十分だった。沈黙が流れる。言葉がでなかった。

 

「……樟葉?」

「あ、ああ……いや、黄前がそんな事言うなんて思わなかったから」

「そう?」

 

 没交渉だったこの二年間に、一体何があったのか。隆翔が知っている黄前久美子は、こんなにも突っ込んだことは言えなかった。何事にも波風立てず、大勢を見極めて傷つかない振る舞い方をする。そんな女だった。

 ただ、せっかくの彼女の誘いも隆翔は答えは決まっていた。

 

「やっぱり、吹部にはもう入らないかな」

「そっか。ごめんね変な事を聞いて」

「いや、いいんだ……秀一によろしくな」

「うん」

 

 話はそれで終わった。

 黄前の表情は晴れやかだった。秘密だなんだと言いつつも、秀一との新たな関係に内心喜んでいるのだろう。

 それよりも衝撃的だったのが、吹奏楽部への誘い。恐らく、彼女からしたら大した事のない提案だったのかもしれない。戻ってきてくれたらいいな、程度の。ただ、隆翔が辞めたのは二年も前のことだ。だからこそその言葉は衝撃を持って伝わった。今更どうのと言われたところで、心が揺れ動くはずがないのだ。

 戻ることはない。規定事項と化したその考えが示す行く末は、空虚な未来だった。

 

 

 

【つづく】

 

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