聖域のとある場所で、らでんが立ち止まり『何か』をした。
するとそこに存在しなかったはずの天界への階段が現れた。
らでんの後に続き、一行は天界への階段を登ってゆく。
「まさかこれ、雲の上まで歩いて登るんですか?」
「そうだが、そうではない。神様が魔法を施しているからね。このまま歩けばいずれ前触れなく雲の上に出る」
「そう……ですか」
既に周囲の木の高さは超えているが、空は一向に近付かない。
まさかを考慮してらでんに聞いたが杞憂らしい。
いっそのこと杞憂の通りに空が降ってくれば楽なのに。
「さて、先程話すと言っていた作戦の続きを話そう」
天界への道を行きながら、らでんは再び切り出した。
列がそこそこ長いので、らでんは普段の数倍声を張り上げる。
真後ろにいたぺこらが耳を曲げた。
「あの……」
「――なんだい?」
「マリンさんはどこへ……?」
「…………さあ、どこだろうね」
フブキがマリンの行方を尋ねたが、らでんは答えなかった。
質問を受けた直後に情報を下ろしたが、マリンの思考は燻んでいたし、まだ聖域の中にいる。
方角からするに「あの村」だとは推測が立てられるが、それは口にしなかった。
「それよりも作戦の続きだ。他人の心配をする余裕は無いと思うよ?」
「はい……」
らでんは歩きながらタバコを咥え始めた。
天界への道で歩きタバコ……何とも無礼な。
タバコの苦い臭いが先頭から風に乗って後方に流れる。
一部の者が鼻を摘んでいた。
「みんな、さっき渡した小刀は持っているね」
誰を指定するでも無く真後ろに声を掛けた。
「――うん」「はい」
「一応ね、一応」
「……そんなに嫌かい? 馴染まない武器は」
「そりゃぁねぇ〜。まず手に合わないんだもん」
「はじめなんか、ぶきちゅかわないかりゃ」
「風真は……まあ、短刀が使い慣れないから」
「まあどれだけ文句を垂れようとこれを使うわけだが」
らでんは小刀を太陽光に当てて反射を見た。
金属光沢が眩しいので目を細める。
その姿が小刀に映って何となく気分を害したので、らでんは手早く懐にしまった。
「おかゆちゃんところねちゃんが『陪審員』を殺して5〜10秒後、そのナイフをトロイアの入り口目掛けて投函するんだ」
「――???」
「何の意味が?」
「時がくれば分かる」
「――投げるのはいいけど、5〜10秒って、全員のタイミング合わせないの?」
「合わせない。各自その時間内であれば自由なタイミングで投げていい」
「んー……まあ契約だから従うけど」
またしても詳細が伏せられて、不安が増す。
金で雇われた3人は重たくも首を縦に振っているが、その他の面々は首が動かない。
皆の疑心暗鬼を感じたらでんが小さく息を吸って再び口を開いた。
「トロイアに入ると、呪いの力が封じられる」
「――呪いが封じられる?」
「ああ、『現世の柱』鷹嶺ルイの持つ秩序の呪いの影響でね」
「うつしよ……?」
「異名だ、そこは気にしなくていい。問題は彼女の力の効果範囲がトロイア内のみである事、そして影響を受けるのが私たちだけに留まらない事」
「――⁉︎ つまり敵も⁉︎」
「ああ。これは如何なる呪いであっても封じられる。例え神であろうとも」
「なぁるほど。それで沙花叉含む3人って訳ね」
クロヱが不敵に微笑んだ。
装備品を再確認してどう戦うかを思案している。
呪いのある敵が相手では分が悪いが、一般人に成り下がった神など恐るに足りない。
いろはもはじめも、それには同意のようだ。
「じゃあ作戦は、トロイアに入って敵を討つ、って事?」
「だけどちゃ、ちょんな上手くいきゅ?」
「敵がわざわざ不利な戦場で闘ってくれますかねぇ。その『秩序』さんが力を抑える事で解決しそうですし〜」
らでんの立案した作戦は色々と都合がいい。
今挙げられた3つの観点を考慮すれば、到底上手くいく策ではないが……。
「これが案外いくものなんだ。大前提として鷹嶺ルイは能力を切る事ができない。そしてトロイアに力を張り巡らせた彼女はもう、一生涯トロイアを出る事が出来ないんだ」
「ぇ……」
「それが秩序の力の最大の欠点だ」
鷹嶺ルイが如何なる人間なのか誰も知らないが、その話を聞いてフブキは不憫に思ってしまった。
耳と尻尾を垂らしながら歩みを進める。
「誘導に関しても恐らく上手くいく。特に星街すいせいは。いいかい? トロイアに侵入したらまず、彼女を煽るんだ。どんなやり方でもいいからね」
「それで追ってくるの⁉︎」
「ああ、彼女なら十中八九ハマる。それが罠と知っても」
「それ以外は?」
「それ以外は状況に応じて私やフブキちゃん達をぶつける想定だ」
先程の疑心を解消する策の披露で空気は軽くなる。
心無しか足取りが軽くなったと思ったその時――
「――っ⁉︎」
不意に視界が眩い閃光で満たされた。
失明したかと思う眩しさで思わず目を閉じると、瞼の内側で弱い明滅が起こる。
殆どのものが数秒間不動でいたが、先頭のらでんは迷わずに進む。
その足音を頼りに数歩進んで瞼を開いた先――
「うわぁー……」
「すっげぇ……」
「…………」
真っ白い雲の海が一面に広がっていた。
階段がいつの間にか雲に置き換わっており、右に逸れても左に逸れても雲がある。
どこを見ても雲だけがあり、雲の水平線も見えた。
今までに見たどんな景色よりも神秘的で、絶景だ。
興奮で全身の毛が逆立つ。
「立ち止まってないで、まだまだ歩くのだから」
「あ、はい――」
らでんに催促され一同足早に雲の階段を登る。
想像以上に硬く、弾力がない。
これも神の力なのだろうか?
「さっきの作戦の話に戻るけどさ、あれって結局『星街すいせい』対策になってるよね? 噂に聞く『雷霆』や『明鏡止水』の対策はいいの?」
「だからそれに関しては状況に応じて私が指示を出すと言っただろう? 一瞬一瞬で状況が変化するのが戦場だ。私とて未来が見えるわけではない」
「でもこうなった時はこう、とか考えてるんじゃないの?」
「確かにプランは既に複数設計してある。だがね、それを君たちに今伝達するのは却って危険だ」
打倒すいせいのプランはよく出来ているが、トワとあくあを倒す計画は無に等しい。状況に応じて、と言うが、この中で直接対面して敵うものがいるとは到底思えない。
神の一団でも格別に強いこの3人を押さえない限り、神とは面会すら出来ないだろう。
下々の意見がらでんに集中し、少し苛立った。
自分では何も考えず、勝手にらでんに心酔して――。
「ふぅー……んっん、あー……いいかい?」
煙草を深く吸って怒りを抑圧した。
先端に灰が溜まって今にも崩れそうだ。
「まず、この作戦のスタートは何だった?」
「え? えっと……『陪審員』を倒す事?」
「そうだ、ではその次は?」
「次……? トロイアに入って――」
「違う! ナイフを投げる事だ!」
再確認した所、早速順序を間違えている。
らでんは今答え掛けたいろはにタバコの先端を突きつけて怒鳴る。
ある種のとばっちりでいろはの右腕に煙草の灰が散った。熱い。
「そら見たことか! この時点で手順を間違える君たちに、起こるかも分からない事態に備えたプランを教えるなど愚の骨頂だ、分かるね!」
「――そ、それはっ! だってらでんさんが隠し事ばっかりだから!」
「そうかい私のせいかい⁉︎ これっぽっちも興味の無い君たちに、これだけの知識と策を分け与えているが、それでも私のせいかい⁉︎」
「それとこれとは話が別じゃ――」
「忘れていやしないか⁉︎ 君たちは全員私の指示に従うと口先だけでも約束したはずだ! それに見合う結果を返すと私も公言しているが、君たちが指示に従わないのなら、この戦争は叛逆者の負けだ‼︎ 君たちは少しでも自分の頭で考えてみたかい⁉︎ どうすれば戦争に勝利できるのかを。私が何故君たちに味方するのかを。考えていないだろう? 我先に思考を放棄してよくもまあ他人の案に一丁前な口答えするもんだ‼︎」
「っっ――‼︎」
らでんとフブキの不満が衝突して両者叫び散らす。
しかしらでんの口と頭がよく回るので、フブキは忽ち言葉に詰まった。
容易く言い包められ、他人の目などもあって釈然としないフブキは強く拳を握り、一歩らでんへと迫った。
額や拳に血管が浮き出ている。
物理的に一触即発の空気となったその時――
「フブキさん、落ち着いてください」
「――――。――――。――――」
「らでんちゃん、冷静になって」
「……らでんはいつも冷静やけん」
奏がフブキを、ぺこらがらでんをそっと宥めた。
フブキの血に飢えた肉食獣の様な瞳がらでんを睨み続ける。
威嚇に使った耳と尻尾もまだ逆立っている。
歯を噛み砕く勢いで歯軋りし、怒りを擦り潰しながら、らでんから距離を置いた。
フブキの肩にミオが手を乗せて優しく頷いた。
らでんはぺこらの一言でいきり立っていた精神を落ち着かせる。
新しく煙草を取り出して勢いよくライターをつけた。
力を込めたせいで右手の親指がひりひりする。
「……私を信用できないなら勝手にすればいい」
最後にそう告げて再びトロイアへの階段を登り始めた。
煙草の濃い臭いがらでんの後方へ流れる。
らでんの美しく揺れる長髪を睨んでフブキは苦い顔をした。
分かっている。
らでん無しにこの作戦は成功しない事など。
でも、隠し事ばかりな上にらでんから正論で叩かれて、少々苛立ってしまった。
「…………」
フブキは静かに深呼吸を繰り返して自身の感情を宥める。
「――――」
一行は黙りとしたままトロイア北門へと進行した。
――――――――――
トロイア北門前。
叛逆者一行の行手を阻まんと1人の少女が片腕を組んで佇んでいる。
何もない雲の平地の上に、逃げも隠れもせず堂々と。
黒の短髪を鍔付き帽子で覆い、銀河の様な瞳を煌めかせている。
彼女こそが第一の関門、『神仙陪審員』大空スバル。
彼女の正面に20メートルほどの距離を置いて、一行は立ち並ぶ。
叛逆者を前にすると、スバルは服の内ポケットより携帯を取り出して何者かに連絡した。
作戦の為に借りた事務用の装飾のない携帯。
「来たぞ。目視で確認できるのは全部で――12。あくあの情報通り、『叡智の書』も同行している。その他に目立った奴はいないが……『隻眼』の姿が見えない」
『…………』
「分かった」
スマホの電源を切った。
その時一瞬、ルーナからのメッセの通知が見えたが、もう返信は出来ない。
スマホを内ポケットに仕舞って、懐から短刀を抜き取る。
らでんが一同に渡した物と似た造り。
スバルの構えを見ておかゆところねも構えるが、らでんがまだ指示を出さない。
きょろきょろと何もない雲の平地を見回している。
「……あれか」
その雲の平地の中に何かを発見して歩み寄る。
雲の上に作為的に設置された小型のカメラ。体重をかけて踏み砕いた。
ぴしっと音を立てて粉々になる。
もう一つ、トロイア北門にも設置されている事を視認したが、あれは壊せない。
だがあの角度はぎりぎりらでん達を捉えられない。
見えてスバル達の戦闘状況だ。
「これでここは敵の死角だ」
「おいおい待てよ。スバルの目にはバッチリ映ってるぞ?」
「――ならキミは、目に見える情報を常に仲間に伝達しながら我々を相手にすると言う事かな?」
「ああそうだ。悪いがこっちにはその手段がある」
「――――」
口頭で挨拶代わりに牽制する2人。
心を見透かす様にスバルの瞳を凝視すると、微かに相手の心が揺れた。
らでんは態とらしく口角を上げる。
「じゃあ、任せたよ2人とも」
「――――?」
「うん」「わがった」
漸く2つの駒を動かす。
おかゆところねはモードを切り替えて戦に臨むが、切り替えていたスバルが動揺に瞳を揺らがせた。
(何のつもりだ……)
らでんの知識があればスバルの力程度看破しているはず。
もし見抜けないとしても、あくあから情報は漏らしてある。
だから大勢でかかって、喉を潰せば終わり。
必ずそう動いてくると思った。
早速読めない展開に胸騒ぎがするが、もう携帯を開く隙は無い。
スバルから仲間への送信手段は絶たれたに等しく、可能なのはこよりからスバルへの一方的な伝令のみ。
(まあいい……スバルを殺さない限りトロイアの門は開かねェんだ。上手くここで2人を相打ちにできれば、寧ろ美味しい)
おかゆがぺこらに貰った小刀を取り出して、スバルと全く同じ態勢になる。
ころねは拳を握っておかゆの隣に並ぶ。
まさかここでただの運動音痴を抜擢するとは思えない。
呪いの有無が気掛かりだ。
スバルはまず視覚情報で意識の分配をよくよく審議する。
紫髪のネコ科少女より、茶髪のイヌ科少女の方ががたいと佇まい、構えがいい。
(垂れ耳わんころの方が格闘慣れしてんな……。いや、と言うより……煌めきにゃんこが見るからに運動音痴だ。あいつ、呪い持ちか?)
などと下手に思考を飛ばす。
その見解はどちらも的外れではない。
だが、そんな事は考えるだけ容量の無駄遣い。
らでんが後方でにやりと笑った。
「おがゆ、行くよ」「いつでも!」
「――――」
――‼︎
おかころが同時に雲地を蹴る。
コンマのずれも無い完璧な飛び出しだったが、直後足の速さでころねが前に出た。
吟味しきれず、スバルはやむ無しところねへ突っ込んでいく。
キラリと鋭利なナイフの刃を向けながら。
「っら‼︎」
「ッ――」
ころねの拳が顔面に迫る。
鼻先を狙った風に見えたが、正確には左頬を狙っていた。
右腕がない為、スバルは右手へと回避する事を苦手としているに違いないと予測して。
見事な判断だが、スバルだって戦闘慣れしている。
一撃目から喰らうヘマはしない。
「っ――!」
スバルは眼前にナイフを立てる事でころねの拳を止めさせる。
運動や格闘技の経験があれど、ナイフに自ら拳をぶつける度胸も強靭な肉体も持ち合わせていないだろう。
狙い通りにころねの右腕が空中で0.2秒ほど停止した。
「おらッ‼︎」
「ふっ――!」
ナイフをころねの心臓目掛けて突き付けたが、遅れて到着したおかゆがナイフをぶつけて相殺。
鉄の削れる耳障りな音と共に火花が散る。
「おらよ!」
「ッア――」
小刀が交差した時、スバルの意識が刹那だけころねから逸れた。
その機を狙って両足を払った。
足が滑って雲のように軽々と身体が浮く。
スバルの身体は受け身を取れず、雲の上に倒れ込んでゆく。
「ンッ‼︎」
「っき――!」
ただでは転ばぬと転倒の直前にナイフをおかゆへ投げた。
反射的に身を縮めると、奇跡的にナイフで弾く事に成功する。スバルの狙った急所と、本能が守ろうとした急所が同じだったのだ。
しかし、スバルは左手を地について片手で1秒ほど倒立。そのまま流す様に、倒れながらおかゆの左頬を蹴り飛ばした。
「んぶっ――‼︎」
「おらよっ‼︎」
「ッッ゛‼︎」
その無防備な一瞬に鉄拳をお見舞いするころね。
渾身の一撃が脇腹に炸裂し、スバルはおかゆの5倍ほどの距離を跳弾しながら飛ぶ。
「おがゆ!」
ころねがおかゆの下へ駆け寄ると、おかゆは鼻を押さえながら立ち上がった。
ぷっくらと軟らかい左頬が更に赤く膨れており、鼻の左半分は真っ赤に染まっている。
人間が喰らっていたら、左耳の鼓膜もやられていた。こんな形で耳の高さがアドバンテージになるとは思いもしなかった。
「大丈夫おがゆ? 痛くない? ああでも血ぃ出てるし痛いよね、えぇっと、えぇっとどうしよう、大丈夫とりあえず落ち着いて!」
「うん」
周囲であたふたするころねに小さく首肯して、おかゆはスバルの様子を確認する。
輝く瞳が吸い込むようにスバルを見つめる。
ぼたぼたぼたと垂れる鼻血はとめどなく……。
「落ち着いたらね、まずはその鼻垂れ何とかしな。よぉしこおねのハンカチ貸しちゃうぞぉ〜。はい、止血止血」
「んっ……あいがと」
態とらしくお茶目を見せて、ころねはハンカチを押し付けた。
おかゆの鼻血がハンカチにじわりと染み込んで真っ赤に染まる。
奇妙な絵柄のハンカチが一層不気味になった。
「ッツー……何だよアイツら、こんな時にふざけやがッて――‼︎」
這いつくばった状態で鋭く2人を睨め付ける。
額から流れる微量の血が瞼の上を通って雲に色をつけた。
肋付近を労りながら巧みに起き上がると、名称を知らぬ骨が悲鳴を上げた。
折れている。
片腕が無いだけで立ち上がるのも一苦労。
更に骨まで折れているのだ。もう既に、戦えるコンディションでは無くなっていた。
嘗ての勁健な姿の大半は見る影を無くしているが、唯一その芯の勁さだけは健在。
小汚く血を流し、下賎な輩に如何なる醜態を晒そうとも、根幹にある一つの想いが彼女を死ぬまで突き動かす。
(みこちが、世界を変えるんだ――‼︎)
スバルが完全に体勢を立て直すまでの束の間こそが好機。
だが折角のチャンスをおかゆところねは愚かにも見逃しており、見学者達はもどかしい。
いろはとクロヱは仕事柄敵に情けを掛けないし、数瞬の機会も見逃さない。
だから今この瞬間にトドメを刺そうと獲物を掴む。
「手を出すんじゃないよ」
「「――‼︎」」
「言っただろう。万が一君たちがここで負傷すれば、この先勝機が薄れてゆく」
「じゃ、じゃあせめて、あの2人に何か言ってやってよ!」
「それも不要だ。彼女が負ける事はないから、諦めて同人誌でも読んでなよ」
「どっ、同じっ――‼︎」
クロヱといろはを宥める視界の端では、スバルとおかころの衝突が再開していた。
そちらを尻目に見ながら、適当に下ろした情報でクロヱを揶揄うと、いろはが顔を真っ赤に染める。
折角の機会を棒に振った事など意に介さぬように。
「――ばっ‼︎」
「――ぽへぇ?」
「ばかぁっ! 変態がぁ‼︎」
「うわっ、ちょっ、まっ、いっ! ひぃ‼︎」
愛刀を鞘ごと振り回してクロヱに襲い掛かるいろは。
何故か顔が真っ赤だ。
いろはから甲高い声で放たれる罵倒に仄かに頬を赤らめるも、重ねて放たれる攻撃を避ける事に精一杯となり、にやける余裕がなくなる。
納刀状態で仕掛ける辺り、いろはも弁えてはいるので、クロヱも武器は取らず素手であしらい、躱した。
2人の息が上がった。いろははぜぇぜぇと相当息を切らしている。
「沙花叉別に、何も悪い事してないじゃん! ナニ想像して赤くなってんの」
「う、うるさいよ‼︎」
「あれあれ〜? 同人誌ってまさか、R-18だと思ったぁ?」
「キミが読むのは18禁だろう」
「ちょっと横槍刺さないで‼︎」
「やっぱり変態じゃん‼︎」
「うあっ、待っって‼︎」
「問答無用! 成敗だぁ!」
知り合って1日も経過しない内に相当な距離を縮めていた。
戦場の傍でぎゃいぎゃいと騒ぎながらチャンバラする2人を、周囲は冷たい目で一瞥する。
――――いや、ただ1人はじめだけは、羨ましそうにチャンバラに割り込む隙を窺っていた。
友達が欲しいのかもしれない……。
「そうそう。そうやって時間を潰してるといいよ」
火種を蒔いたらでんは仲裁にも入らず、おかころとスバルの戦いの行方を見守っている。
ころねとおかゆの動きの癖などを観察し、呪いの力なども含めてこの先の活用方法を模索していた。
(やっぱ『陪審員』程度で苦戦はせんか。全てを凌駕するってんなら『雷霆』に直接当てたい所やけども……理由がらでんの好奇心やけんね……。でもぺこらさんとタッグ組ませたら、中々に――)
顎を撫でながら研鑽を繰り返す。
ころねの呪い、おかゆの呪い、ぺこらの呪い、奏の呪い、ミオの呪い、アキロゼの呪い、自身の呪い、呪いを持たないフブキ他数名。
みこの???、こよりの???、ルイの???、そらの呪い、すいせいの呪い、トワの呪い、ぼたんの――。
「――⁉︎」
脳内で下ろせる限りの情報を順々に下ろしていたのだが、とあるタイミングで信じ難い情報を入手してしまう。
電撃を受けたような速度で振り返ると、長髪がぶわっと乱れた。
強く瞳孔を広げて天界と地界を繋ぐ階段を凝視する。
視線の先には雲だけがただ只管に伸びている。
もう一度、丁寧に情報を下すと空気が喉を下っていった。
同時に冷や汗も背筋を伝って、ぞっとした。
「――らでんちゃん?」
「想定外の事態だ――!」
「――?」
「ぺこらさん、この場の指揮はキミの裁量に任せる。最悪の場合はキミの優先順位に従って取捨選択するんだ」
「分かった」
邪魔な羽織物を脱ぎ捨てながら現場の指揮をぺこらに託す。
急展開に暗雲が立ち込め、ぺこらとアキロゼ以外は冷静になれない。
クロヱといろはもチャンバラを中断してらでんの指示を待つ。が、おかころとスバルの戦いは止まるどころか熾烈を極めてゆく。
「らでんさん?」
「アキロゼさんは私と来てくれ」
「りょーか〜い」
フブキの呼び声を一度無視した。
「らでんさん!」
「フブキちゃん、ミオちゃん」
「――――はい」
今度は反応を示した、ように見せて能動的に名前を呼んだ。
明度の異なる碧眼が絡み合う。
数分前の口喧嘩が2人の脳裏を過ぎった。
「今すぐに階段を降りてくれ」
「――何故です」
「2人ほどの援軍が登ってきている。そのうち1人を出来るだけ下の方で足止めして欲しい」
「――分かりました」
「どちらもここへ到達させてはならない。だが足止めはどちらか1人でいい。2人のうち一方を君たちが押さえれば、もう一方は私とアキロゼさんで押さえる」
「――ん」
「フブキ、行こう」
フブキとミオは口答えなく階段を全速力で降りて行った。
「らでんさん」
「なんだい?」
「……奏たちは、どうすれば?」
「この場の指揮はぺこらさんに任せた。状況に応じて彼女の指示を仰ぐんだ」
「――現段階で、勝算はあるんですか?」
「ああ――まだ十二分にね」
「分かりました」
夕焼けのようなぺこらの瞳を最後に一目見て、らでんはアキロゼと共に階段を降りて行った。
奏は階段の前に佇み、遠ざかるミオとフブキの背を見つめ、無事を願う。
他人に対してこんな感情を抱く事は、2度と訪れないと思っていたのに。
金のアホ毛とサイドテールが風で小さくはためいた。
「――」
こんな世界で、神に祈った。
そしてトロイアに向き直り、おかころの戦いの行く末を見届ける。
「みんな――ナイフはあるぺこな?」
スバルから視線を逸らさず、ぺこらが近場の仲間に装備を確認させた。
懐や腰に手を当てて感触を確かめ、みなばらばらに頷いた。
「ここからトロイアの入り口まで、投げて届く人はいる?」
「風真は届きます」
「沙花叉も」
たった2人。
流石に距離が遠すぎる。
はじめが「自分は無理だよ⁉︎」と懸命に首を振る。
両サイドに小さく結った薄鈍色の髪がぷるぷると馬鹿っぽく揺れた。
「……『陪審員』を倒したら、恐らくトロイアの門が開く」
「うん」
「門が開き始めたら門に向かって走って。そして時間と距離を自分で測ってナイフを投げる。いいぺこな?」
「「「「はい!」」」」「おっけ」
ぺこらの指示に纏まりの良い返事があった。
作戦の再確認を終えると、ぺこらは隣で浮かない顔をするシオンに意識を向けた。
視線に気付かず、思い詰めたようにトロイアの門を眺めている。
どんな姿であっても可愛らしくて、抱き締めたくなる。
「シオンちゃん」
「……ん?」
「……あ、いや……その――」
こちらを見上げる琥珀の輝きを前に、ぺこらは口篭った。
愛くるしい表情。
甘やかしてつい真実を語りたくなるが、らでんに硬く口止めされている。
らでんは得た知識を元に計算し、作戦を立てている。
ぺこらやシオンの感情もきっと作戦に組み込まれているが……ここで真実を伝える事が、考慮されているのか……。
葛藤で顔が強張ると、シオンが不安げにその眉を寄せた。
「――大丈夫、ぺこ!」
「へ……?」
「大丈夫!ぺこだから!」
「……う? うん?」
それが最大限の譲歩だった。
煌々と情熱のように燃える瞳で訴えたが、シオンは困惑するだけ。
その困り顔がやっぱりとてつもなく愛おしかった。
シオンは絶対に護る。
その誓いを再度念頭に置き、ぺこらはトロイアの門と向き合った。
そして刻々と――トロイア開門の時が迫ってゆく……。
――――――――――
冥界を飛び出して、とある者たちが聖域の森をかけていた。
1人は全身をダークに包んだ少女。
尖った耳と巨大な2本の縞模様のツノ、そして首、手首、足首に大きな枷を嵌めている。
もう1人は全身をグレーな色で包んだやや高身長の女性。
しなやかな身体付きだが姿勢とがたいがよく、膨よかな胸だ。
白銀の髪とチョコンとした耳。スッと垂れた細長い尻尾。
彼女が担当する「恐怖」とはかけ離れた容姿だと言えるが、その印象を無理矢理塗り替えさせる血痕が至る所についていた。
顔面は固まった血と付着した泥で薄汚れ、機動性を重視した服は所々破れてしまっている。
今の彼女はまるで清潔感が無い。
「ッたくよ! なんでオマエ、着いて来てんだ」
「こよりに天界着くまで眼を離すなッて言われたんッすよ」
「めんどくッせェなァ」
爪痕を思わせる左眼の刻印を左手で覆って、奮迅獅子――獅白ぼたんが愚痴を溢した。
周囲の草木に八つ当たりしかけて、踏み止まる。
「吾輩だって面倒くせェよ!」
「クソ……アイツら――今度会ったら極限まで痛ぶッて、最ッ高に惨い死をプレゼントしてやる」
「――白上フブキと大神ミオの事?」
「あと自殺願望の金髪だ」
「あァ……アイツか」
ぼたんの左眼の刻印が疼く。
同行する冥界の王――ラプラスが小さく考え込んでいた。
3人の行末は個人的に興味がある。
特にあの自殺願望のクソガキ。
叛逆には微塵も関心が無いが、この戦争の結末だけは見届けたい所だ。
口を三日月型に曲げて笑う。
「ッ――オイ、何でゲートが開きッぱなんだよ」
聖域のとある森の中央で、天界への入り口が隠す事なく道を開けていた。
2人の帰還を察知して開けた――なんて事はない。
誰かが登った後のようだ。しかも、ゲートを閉じないという事は――
「叛逆者ども、もう入り込んでんのか」
「そうらしいッすね」
「ハッ! あたしを捨て置いて戦争おッ始めるとァ――妬いちまうじゃねェかよ」
ギラリと鋭い眼光で天界を穿つ姿はまるで猛獣。
全身の血が湧き、肉が踊りたがっている。
天界への階段まで後少し――と言った所で、ラプラスが何かに気付く。
「ぼたんさん、誰か降りて来てますよ」
「ア?」
ラプラスの指す位置付近を広めに捉えて、その中で動く物体を見つける。
確かに2人ほどがラプラス達と同じ速度で階段を駆け降りている。
この距離ながら、何者かは明白だった。
全身に巡る血管がはち切れんばかりに浮き上がり、刻印が出血しそうな程疼く。
八重歯を剥き出しに速度を上げた。
「カァッハッハッァ‼︎ 会いたかッッたんだァ‼︎ オマエらァッ‼︎」
「ッ――ばッ――‼︎」
無鉄砲に飛び出すぼたんにラプラスは肝を冷やす。
ラプラスも速度を上げる羽目に。鎖が騒いで鬱陶しい。
2人は猛スピードで天界への入り口まで疾走し、ゲート前にて階段を下って来たフブキ、ミオと対面した。
両陣、適度な距離を保つ。
「奮迅、獅子……」
「よォオマエら、昨日ぶりだなァ‼︎」
「それに……ラプラスさん」
捕食者の目と傍観者の目。
ぼたんは今にも食いかかろうとしていた。
「今度ばかりは手加減しねェからな‼︎」
居丈高に叫び、渾身の一歩を踏み込んだ。
「ぐェッ――!」
息むぼたんのチョーカーを掴んで特攻を止める。
一瞬首が締まって微量の唾液が飛んだ。
勢い余って背中から地面にひっくり返ったので、お尻と背中を痛めてしまう。
驚きと痛みに耳と尻尾が萎れた。そして瞬時に威嚇の態勢になる。
「ッたァ……何すんだラプラス‼︎」
「コイツらが降りて来たって事は、叛逆は始まってます。噂に聞く『叡智の書』ッて奴が仲間なんッすよ。恐らくですけど」
「だから何だよ!」
「こよりに言われてるんッすよ、ぼたんさんに道草食わすなッて」
「草じゃねェ! よく見ろ生肉だ‼︎」
「そう言うのはいいから――ぼたんさんは先に行ってください」
「…………」
地べたに尻餅ついたままラプラスを見上げる。
チビのくせに偉そうに見下ろしやがって。
尖った獣の牙を光らせて「恐怖」持ち前の威圧感を放つが、ミオ以外は怯みもしなかった。
「コイツらには、個人的な興味もあるんで」
「「――――」」
「……わァッたよ。でも殺すんじゃねェぞ! ソイツらはあたしの獲物なんだ」
「そんなつまらん事しねェッすよ」
ぼたんは立ち上がってズレたチョーカーを直した。
今更土汚れを叩く意味は無いので、汚れはそのままに。
「……」
静かに睨みを利かせながら、フブキとミオの横を通過し、階段へ。
「……おッら‼︎」
「ふぶっ――」
「ハッ――ザマァァみろ‼︎ 次はこんなんじゃ済まさねェからなァ‼︎」
通り様にフブキの顔面を殴ると拳が芸術的に減り込んだ。
右手にフブキの鼻血が付着する。
その腕を大きく振るって恐喝すると、今度こそ階段を駆けて行った。
「フブキ、大丈夫?」
「ぅぢっ……う、うん……」
ミオがひっくり返ったフブキに手を差し伸べる。
その手を取ってぐっと身体を持ち上げると勢いで鼻血が地面に数滴垂れた。
塵紙や手拭いの持ち合わせがないので、白い服で鼻血を拭く。
白い袖が赤く染まって妙な格好良さが生まれた。装いとしては格好悪いが。
「まさか貴様らとこんな早く再開する事になるとはな」
「ラプラスさん……神様の仲間なんですね」
「いや、吾輩は常に自分だけの味方だ。叛逆なんて微塵も興味は無い」
「戦うつもりは無い、と?」
「それは違うな。今は別の仕事の延長線上にある」
「仕事――」
ラプラスが首を回すと骨では無く枷に付いた鎖が鳴った。
魂を戻してもらった恩もあり、極力対立は避けたいと考えている。
しかし、2人の想いは一蹴された。
「義翼の抹殺計画」
「「――‼︎」」
「吾輩の本懐だった計画を神に持ちかけ、フィールドとして冥界を貸したんだ。そして今は、幽閉されていたぼたんさんを解放・帰還させる最後の任務の真っ最中。よって貴様らにぼたんさんの妨害はさせられない」
ラプラス自ら全てを告白した。
途端に2人の表情が変わる。
内に宿る獣の心を引き出して、ラプラスに憤怒を向けた。
「じゃあやっぱり……あなたがかなたさんを……」
「そうだ。吾輩の手に負えないからな。依頼するしかなかった」
「――、――、――」
ミオとフブキの拳が震えた。
止まらない鼻血をまた拭う。
痛み自体はもう引いて、反射で溢れた涙も乾いた。
「貴様らの魂を戻してやったのは吾輩だぞ? 恩を仇で返す気か?」
天界ゲートを立ち塞ぐ2人に嘲笑を飛ばす。
拳の震えが全身に伝播していて愉快だった。
「恩を仇で返すんじゃない。ただ罪に罰を与えるんです」
「罪だの罰だのッて、どこぞの陪審員みてェだな」
「――――」
「それに、罪の話をするなら、義翼の堕天使こそ罪深い存在だ。あいつに罰を与えたのが吾輩なだけ。結局貴様らも、気に入らない奴を力で捩じ伏せる、今の神より自分勝手な人間と言う訳だ」
「もう、御託は結構です」
「そうか、じゃあ……ま、仕事の延長だ。付き合ってやるよ」
漸くラプラスが拳を握った。
「ミオ」
「うん、フブキ」
全員の姿勢が低くなって、弱い風が中央を切り裂くように吹き抜けた。
「――!」
「「――――‼︎」」
木々の騒めきを合図に土が撥ねた。
聖域中央、天界ゲート前にて――衝突、発生。