トロイア戦争終幕から数時間後、ノエル宅へフレアが帰還した。
時刻は夜の10時を回っており、街灯の少ない田舎道は真っ暗だ。
しかし服を無くしたフレアは全身を炎の服で覆っている為、暗闇の中で一際目立っている。
空を飛翔してノエルの家上空まで。
そこでエンジンを切って縁側前に着地。
リビングの明かりが見えるがカーテンが敷いてあり住人はフレアの帰還に気付かない。
――と思ったが、数秒後足音と影が縁側へ迫ってきた。
カーテンを開き、扉を開き、障子を開く。
窓の外にはフレアが、窓の内にはノエルが立つ。
ノエルは音を控えめに窓を開けた。
「おかえり。また随分とやんちゃしたんじゃない?」
「相手がみこちだったからね。やんちゃするしかないよ」
「みこち」が何者なのかノエルは知らないが、フレアと同等以上の実力を持つことだけは分かった。
全身燃え盛るフレアを見て苦笑し、一度リビングの方へと消えていく。
30秒後、衣類一式と濡れたタオルを縁側に揃える。
「ありがとう」
フレアは全身の炎を消火して、羞恥心一つ見せず着替えた。
真っ先にパンツを履き、次にブラとシャツ、そして至って普通のTシャツ。
褐色の肌を見つめてノエルは聖母の様に微笑んだ。
「そう言えば、片眼の子はどしたん?」
Tシャツの袖に腕を通しながら尋ねる。
ノエルは振り向いてリビングを見つめた。
「ご飯食べて、お風呂入って――ほいで今は寝ちょる」
「まさかノエル、あの子養うつもり?」
Tシャツに頭を通し、弱火の色をしたポニーテールも掻き上げて通すと、縁側の濡れたタオルの上に立った。
ノエルはフレアのパンツ(自分のパンツだが)を一瞥して、窓を閉ざす。
「一応は面識があるけんね……のたれ死んだりしたら、後味悪いんよ」
「全く……心も身体も、呪いすらも弱いクセして――みんな叛逆なんてしたがるんだから。呆れたよ」
両足をタオルで拭き終えるとフレアはズボンとタオルを掴んで食卓の方へ向かった。
ノエルはカーテンや障子、扉などの戸締り、消灯を確認して後に続く。
「社会に不満を抱くのはいつだって弱者。ノエちゃんも弱者側じゃけん、マリンの気持ちも分かるんよ。それなりに」
リビングへ入ると2人は声量を落とした。
明かりの弱い食卓に、一人前のカレーが配置してある。
皿の中央を区切りにルーとご飯で分割されており、皿は丁寧にラップで覆われていた。
卓上には正方形の桃色の付箋と0.5mmの黒ボールペンもある。
付箋には何も記されていない。
「カレーかぁ……」
「うわ、酷い反応。折角丹精込めて作ったのに」
「文字通り熱い戦いの後で、服も焔で作ってたんだよ? 熱いのなんか食べたくないよー」
「元々今日はカレーに決まっとったの。それに、盛り付けてから1時間以上経つけん、もうかなり冷えちょるよ」
「冷えたカレー美味しくないじゃん」
「じゃあ好きにしなよ。ノエちゃんは明日も早いけん寝る」
ラップで覆ったカレー入りの皿を冷蔵庫に突っ込んで、ノエルは歯磨きする為に洗面台へ向かう。
入れ替わる様にフレアは冷蔵庫の中を漁る。
漏れ出す冷気が心地よく、数秒無駄に電気代を消費する。
今し方ノエルが入れたカレーの他に、生野菜サラダの残り物があり、それ以外は調理前の何かばかり。
「何もないじゃん」
白けた冷蔵庫に悪態をついて野菜ジュースを掴むと冷蔵庫を閉めた。
ノエル愛用のコップを勝手に棚から取り出して、ジュースを注ぐとぐいっと飲み干す。
コップ3杯分を一気に消費したので、未開封だったにも関わらず、ジュースは残り5分の2まで減った。
「ぷはーっ、生き返るぅー!」
コップを流しに置くだけ置いて、ペットボトルは冷蔵庫に返す。
「アイスないかな〜」
続いてフレアは冷凍庫を漁った。
開けば真っ先にお高いアイスが目に入る。
「なぁんでバニラなんだよ〜。そこは期間限定のを買ってよねぇ〜」
人様の備蓄に愚痴を溢しながら、また勝手にバニラアイスを手に取る。
棚から小さいスプーンを1本取って食卓の椅子に腰を下ろした。
「今日のご飯はこれでいいや」
アイスカップの蓋を取り、カバーを口で剥がすと真っ白いアイスが顔を出す。
スプーンを突き立てて力一杯アイスを穿る。
「おお、お久しのバニラは美味しいねぇ」
口の中で蕩けるバニラと香りを堪能してご満悦。
歯磨きを終えたノエルが洗面所から戻ると、大層なため息をついた。
「はぁ……買いに行くの大変なんじゃけんね……。今度買い足しとってよ」
「ん〜」
スプーンを咥えて気のない返事。
ノエルは必要のない灯りを全て消して部屋を出る。
「じゃあ寝るけんね。おやすみ」
「あい〜」
22時半、ノエル就寝。
その後フレアは高級アイスを堪能し、湯船で疲れを取って、その日を終えたのであった。
――――――――――
「じゃあ……元気で」
「ぁい……おつぇわに、なりまちた……」
「何かあれば、いつでも呼んでね、ぺこらちゃん」
「ん。ありがと」
早朝から聖域外で地上へと出た叛逆者一行。
先日の決定に従い、はじめとアキロゼはここで離脱となる。
終始暗いはじめがもじもじしながら、弱々しく挨拶を告げる。
アキロゼがはじめを家まで送って行くらしい。
子守りするような優しさで背中に手を当てて宥める。
「……みんなも気をつけて」
アキロゼとはじめは、6人とは違う道を取り、次第に遠ざかって行く。
ある程度の距離まで手を振り合い、適度な所で腕を下ろす。
「……それじゃ、行こっか」
「「うん」」
「案内、お願いするぺこよ」
おかゆところねを先頭に、6人もまた目的地へと足を進める。
聖域を出て小さな平野に佇む一同。
2人の話では村まで4時間もかからないそう。
進行方向の目先で盛り上がる小さな山の中に、その村はあるらしい。
トロイア戦争終幕から半日程。
まだ心の整理は付いていないが、感情を抑えられる迄には落ち着いた。
冷静になって、仲間の死を受け入れて、過去を振り返る事で生まれる疑問もある。
いや……先送りにしていた疑問、が正しい。
「フブキちゃんとミオちゃんって、2人とも怪力、なんだよね?」
切り出したのはおかゆ。
先頭でころねの手を握り、正面を向いたまま問いかける。
「そうだよ」
「それって、同じ呪いなの?」
「……?」
「呪いが感染る、って、本当に起こることなの?」
「いんや、呪いは感染らねぇぺこよ、絶対」
誰よりも素早くぺこらが言い切る。
ぺこらもまた、シオンの手を握っている。
当然、フブキとミオも。
シオンはぺこらに腕を引かれるように歩いていた。
「そもそも私、呪いなんて無いよ」
「「「…………」」」
フブキが別視点からの否定を重ねると怪訝そうな視線が1つ、背後から突き刺さる。その気配と、前の2人から放たれる気配は同類のもの。
「呪いも無しにそれって、おかしいよ」
「何で嘘つくの」
おかゆの胡乱げな瞳とシオンの敵視する瞳が前後から睨み付けてきて、ぞっとした。
ミオの手をぎゅっと強く握り締めた。
「嘘じゃないよ、ホントだよ!」
「仲間なのに、信用できないんだ」
「何で! 信用してくれないのはそっちじゃん! 私はホントに――‼︎」
精神バランスの不安定なシオンが刺々しく当たる。
どつこうとしたのか、シオンが半歩前へ踏み出たのでぺこらが引き留め、距離を確保させる。
「呪いは時に無自覚の力を発揮する。フブキちゃんが自覚してない可能性は十分にあるぺこ」
「いや、自覚してんじゃん」
「本当に自覚するってのは、ぺこーらやミオちゃんみたく、『それが自分の呪いの力である』と言い切れる状態」
「…………つまり、フブキの力は呪いだけど、フブキがそう思ってないだけ……ってこと?」
「そう」
ぺこらが人差し指を立て、無自覚の力の発動の存在を語る。
おかゆやころねの様に、呪いはあるがその力が不明、ではなく、逆のパターンなのでは、と。
しかしその理論は「呪いの発症」を証明する不可欠な要素の有無で破綻する。
フブキは激しく尻尾を揺らして振り返った。
「でも私! どこにも刻印なんて持ってないよ‼︎」
皆の足が止まった。
フブキの叫びをミオ以外は誰1人信じていない。
4人の目は一点に集中する。
「じゃあそれは何。リスカでもしたの、趣味わる」
「ッ――」
シオンの毒舌にミオが拳を握り締めて強く踏み込んだ。
ぺこらがシオンを、フブキがミオの腕を引いて感情を抑制させる。
「落ち着いてミオ。気にしてないから」
「……自分が無能だからって、フブキに当たるのやめてくれる」
「ッッ‼︎」
宥められたミオは拳を納め、目には目をの精神で反撃した。
戦闘中でさえ滅多に表に出さない獣の目。
鋭利な琥珀色の眼光に射抜かれ、シオンは身じろぐ。
すると今度はぺこらの頭に血が上り、一歩ミオへと踏み出した。
臥蚕眉を吊り上げて奥歯を噛み締めている。
ぺこらが理性を失えば、彌収集がつかない。
それを知ってか知らずか――
「話が逸れとるでな」
ころねが口を挟んで場を静止させた。
ぺこらが手足を力ませてその場へ踏みとどまる。シオンの歯軋りの音を懸命に振り払って、感情を抑える。
「すぅ……ふぅ……」
微かに口を窄めて深呼吸する。
らでんに倣って――タバコは吸えないが、演技して精神を統一。
人は感情で動く。
感情に――振り回されるな。
見習え。ぺこらは誰よりも間近で、彼女を見て来たはずだ。
「そうぺこな――その尻尾、刻印じゃねぇの?」
数拍置いてぺこらは話題を戻す。
ミオが鋭くシオンを睨め付けて強引に黙らせているので、これ以上悪化はしないはず。
フブキは意図的に尻尾を揺らし、膝上まで回す。
その尻尾――先端の黒塗り部分には白い星の印が刻まれている。
明らかに作為的ではない紋様。誰もが呪いを疑う。
しかしフブキは獣耳を垂らして困惑気味に答えた。
「これは生まれつきなの」
「……出生時に呪いが付与される事って、あるの?」
「多分、無くはないぺこ。事例は聞いた事ねぇけど、これを見るにそう言う事ぺこな、きっと」
フブキは手の上に尻尾を乗せてまじまじと刻印を見つめた。
生まれつき備わっていたチャームポイント、一番星。
ミオに何度も褒められて、愛でられた事を覚えている。
「これが……呪いの刻印……」
ごくりと息を飲んだ。
遅れてきゅるっと喉が鳴る。
「それはそれとして、ならどうして2人は同じ力を持ってるの?」
振り返っていたおかゆは進行方向に向き直って疑問を重ねた。おかゆの揺れる二股の尻尾をころねは目で追っている。
フブキの力が呪いであるなら、全く同じ力を、全く異なる刻印を持つミオも所有していることが不自然でならない。
この世界、類似した力はあれど、全く同じ呪いが同時に生まれることは無い。
「フブキちゃんが出生時に呪いを得たなら、ミオちゃんの方が呪いの発現が後だよね?」
「そう、なるね」
「……ミオちゃんの呪いって、本当に『怪力』なの?」
歩みを再開しておかゆが更に切り込む。
フブキとミオ以外は詳しく知らないが、二人は相当なイレギュラー。
ミオも歩みを進めながら、冥界での出来事を想起した。
ぼたんとの戦闘時、魂の入れ替わった状態でフブキが怪力を放った。
その場の全員、『それは呪いの刻まれたミオの身体が放った力だ』と認識した。
だがもし、呪い自体が「身体」ではなく「魂」に刻まれているとしたら?
あの時怪力を放ったのは、ミオの「身体」ではなく、フブキの「魂」なのかもしれない。
では何故、魂を戻した後もミオの身体で怪力が放てるのか。
論点はそこだ。
「例えばさ、ぺこーらの呪いとか、真似できたりしない?」
「え、真似?」
「そう。人の呪いを真似できたりするのかなって」
「なるへそ〜、ぺこちゃん賢い」
咄嗟に閃いた発想だが、筋はいい。
ころねが揶揄うように持て囃す。
お世辞じみた賞賛にもぺこらは耳を跳ねさせるが、隣のシオンは退屈そうに目線を下げて小石を蹴飛ばした。
跳ねた小石は偶然ミオの踵に当たるが、気付かないかった。
「どうやってやってる?」
「1万円、出ろー‼︎って思ってやってる」
右手を盛大に突き出して念じるとひらひらと1枚の紙幣が宙を舞う。
ぱちん、とフブキが万札を捕まえ端なくポケットにしまう。
「よし……1万円、出ろーっ‼︎」
……………………。
虚しさを煽るように微風が平野を吹き抜けた。
「ハズレやな‼︎」
ぺこらの当ては外れた。
ぺこらはにっこり笑って無かったことにした。
「だっさ」
所がシオンがここぞとばかりに冷笑を浴びせる。
「――――」
「何」
「別に〜、この苦労は無能には分からないんだなぁ〜って!」
「は? なに? やんの?」
「上等だよ」
「ちょちょちょちょちょっ‼︎」
ミオとシオンが再度火花を散らす。
ぺこらとフブキが宥めるも忽ち険悪な空気が立ち込める。
ころねとおかゆは呆れ果て、二人の世界に入っていった。
今度は意図的に小石を蹴り飛ばしてミオの足にぶつける。
「アンタが何を苦労してるっての⁉︎ かなたん居なけりゃ死んでたクセに‼︎」
「呪いの無い人には分かんないからねぇ! 仕方ないねぇ!」
「――‼︎ お前らだけが特別な境遇だと思ってんじゃねぇぇよ‼︎」
「へぇ〜、自分が特別だと思ってるんだぁ〜、恥ずかしい〜」
「うっ……ぐぅっ――――――っ‼︎‼︎‼︎」
「「――‼︎‼︎」」
手が出ない程度に押さえていたぺこらとフブキだったが、シオンの変化を察知した途端、強引に距離を置かせた。
激昂したシオンが顔を真っ赤にして全身をわなわなと震わせていた。
目頭は異様に赤く、腹からもじわりと赤い液体が滲んでいる。
感情の決壊により涙が溢れてきた。
ぺこらが正面から素早く抱擁して暗幕を下す。
シオンの啜り泣く声を胸の内で受け止めて、割れ物を扱う様に慎重に髪を撫でた。
「大丈夫、大丈夫……」と赤子をあやす様に、何度も何度も繰り返し囁く。
慰めると言う名目で抱擁できる事に小さな喜びを覚えている事は、この際どうでもいい。
ぴく、ぴく、と涙声に重ねてシオンの小さな身体が跳ねている。
ぽたぽたと涙が垂れ、平野の乾燥した土を濡らす。
「……」
「みーおー」
「…………」
「みお。ちゃんとあやまって」
「……」
「ちゃんとごめんなさいして」
先に噛み付いたのはシオンだ。
だからミオは反省の姿勢を見せず、一度は不貞腐れてそっぽ向いた。
しかし、シオンが案外本気で泣いており、フブキも頬を膨らませて母の様に叱り付けてくるので、罪悪感が徐々に増幅していく。
渋々……渋々……。
本っ当ーーーーーーーーっに渋々とシオンに歩み寄り、心底不満げな顔で、シオンの方なんて一切見ないで――
「ご!め!ん!」
と、謝罪とは名状し難い謝罪をした。
却ってシオンを刺激する勢い。
「うっさい゛‼︎」
「――」
ぺこらの胸中でシオンが叫んで反抗する。
瞬間、ミオの額に薄らと血管が浮き上がった。
「みお……ほら、行くよ」
これ以上の接触は控えた方がお互いの為。
フブキがミオの腕を引いて先へと進むおかころの背を追った。あの二人、本当に4人を無視して進んでいる。なんてカップル。
「…………」
フブミオも小走りに後を追い、前の4人は間も無く小さな山道へと入っていく。
だが、シオンが泣きじゃくって動けない。
ミオが失せると、遂にはぺこらの胸の内で幾度も想い人の名前を口にする。
「あぐぁ……あぐあ……あぅあぁ……あぅっ――あぁ……」
傷に触れない様細心の注意を払って、ぺこらは背を叩き続ける。
シオンが吐き出したい感情を全て吐き出すまで。
「もう゛、やだっ、ぁ……」
泣いてる姿すら愛おしいと、不謹慎にも感じたぺこらは初めて自分の恋愛感情に嫌気が差した。
シオンの声が静まるまで待ちつつ自己嫌悪を感情の隅へ追いやる。
そしてシオンの痙攣が弱まると、ぺこらは1文字1文字丁寧に語りかける。
「シオンちゃん。もうちょっとだけ、耐えて」
「うぅっ…………」
「あくたんの想いを――絶対に聞いて欲しいの」
「あ、ぐあ……ぁ……」
「お願い」
詳細はぺこらもよく知っている。
だがそれをぺこらが口頭で伝えたのでは意味がない。
あくあの想いを、あくあの声でシオンに届ける事、それが今のぺこらの使命なのだ。
4人は疾うに山道へ踏み入っており、間も無く死角へと入る。
「ぺこーらはずっと、シオンちゃんの味方だから」
シオンがぺこらの胸から離れて涙を拭った。
涙を拭い終えてびしょ濡れなシオンの手をぺこらはぎゅっと握った。
ぺこらの手の温もりにシオンも安心感を覚え始める。
ぺこらはいつだって、シオンに優しい。
何故優しいのか、シオンには微塵も分からないが、つい甘えてしまう。
「行こう」
「……う゛ん゛」
2人は先頭との距離を保ったまま4人の後を追った。
時折視界から4人が消えるが、音や足跡、痕跡を頼りに追従して進んだ。
そして約3時間後、一同はとある山中の村に到着したのだった。
――――――――――
とある街の一軒家の前で、情熱の様に赤い車が停まった。
運転席から降りてくるは一条莉々華。
掛けていたサングラスを額までずらすと、髪色と同じ朱の瞳が陽の光を浴びて煌めく。
莉々華は車のロックをかけて一軒家の玄関前に立つ。
表札を確認すると、確かに「火威」と記してある。
「よし……」
意を決してインターホンを鳴らす。
らでんの後を継いで「ある意味最初の」仕事。
緊張で心臓が高鳴り体温が上昇する。
『はい』
インターホンから女性としてはやや低音な声が飛び出す。
黒いカメラをじっと見て莉々華は声を顰めつつ会話を図る。
「『メモリア』の火威青さん、ですね?」
『メモリア? 火威青ではありますけど……何用でしょうか?』
莉々華は早速ミスをした。
青自身は『メモリア』と言う異名を付けられている事を知らないのだ。
今更訂正は効かないが、致命的とは言えない些細なミス。莉々華は冷静に言葉を探す。
「……記憶の呪いを持っていますね。私も呪い持ちです。少々、お時間頂けませんか?」
『…………』
インターホンからノイズと共に微かな息遣いが響く。
「……」
莉々華が大きく息を飲むとその音がインターホンを通過した。
『……いいよ。キミ、カワイイし』
「――は?」
莉々華の渾身の疑問符に被せて、ぶちっ、とノイズが切れた。
5秒ほど待機すると玄関の鍵が開けられ、がちゃっ、と扉が開く。
「おお……これは眼福」
「――?」
開口一番、意味不明。
「さあどうぞレディ、足元と僕の眩しい顔に気をつけてね」
「ぁ――あ」
莉々華の前に現れた女性は極めて魅力的な容姿を備えていた。
誰もが憧れる高身長に、クール方面で整った顔立ち。
だが莉々華が呆然と立ち尽くした理由は、予想を遥かに裏切る女誑しの様な口振り。
初対面にして相手を圧倒する「変」。
「おやおや、忠告が一歩遅かったかな? 僕の容姿に見惚れて身動きも取れないとは。すまないね〜、イケメンで」
「ぁ……ぁ……」
がくがくと全身を震わせる莉々華の腰に手を回し、もう一方の手で右手を取る。そのままダンスにエスコートする様に宅内へとご案内した。
玄関内まで上げると扉の鍵を掛けてリビングまで。
「さあ、そちらへどうぞ、姫」
(マジ……きっっっっっっっっっっ…………)
それなりに上質なソファを勧められ、莉々華は内心を曝け出さぬ様表情を取り繕いながら腰を下ろす。
弾力があり、お尻がよく沈んだ。
するとその真隣に青は腰を下ろして、莉々華の肩に右腕を回す。
(何なの――! この人――‼︎)
対面早々に挫けそう。
全身――主に背筋を冷や汗が湿らせて、気色悪い。
「ドリンクは、何をご希望かな? おおおっと、シャンパンかい? すまないねぇ、シャンパンは無いんだ。代わりに思う存分僕を眺める事を許可してあげるから許してよ」
「ぅ……ぁ、ぁ……」
青の勢いに呑まれ莉々華は言葉を失っていた。
結果、数秒の沈黙が流れる。
至近距離で視線が絡み合う。
無言でも口説かれている気分にされる。
無言なのに、存在が異様に煩い人だ。
「――ごめんごめん。1割冗談だよ」
(殆どガチじゃん‼︎)
ツッコミも心内に抑えて、表情も痙攣させながら苦笑をキープ。
青は莉々華の肩から手を下ろし、腰を上げた。
座って見上げると青の身長の高さが際立って見える。
「コーヒー? 紅茶?」
「ぇ……ぁ、こう、ひーで」
「分かった、シャンパンね」
しっかりとボケを残しながらキッチンへ。
給湯器にお湯を注ぎながらソファで固く座る莉々華に、緊張を解す声音で語りかけた。
「キミは悪い人じゃ無さそうだね」
「え――」
「これでも、『呪い』なんて発言されたから警戒してたんだよ、僕」
水の溜まった給湯器のスイッチを入れて、湯が沸くまで待つ。
真っ白いコーヒーカップを2つ棚から下ろし、簡易的なコーヒーメーカーを準備する。
縦に大きいその背中を、莉々華は感服した瞳で見つめた。
「キミがカワイイからこそこの態度を取ったけど、いざって時はキミの記憶を弄るつもりだった」
給湯器が蒸気を吹いて唸り出した。
やがて唸り声が悲鳴に変わる。
「僕は呪い発症から1年。誰にも力の事は明かしていない。なのにどうしてキミは、僕の力の事を知っていたのかな?」
コーヒー粉を茶色のコーヒーフィルターに1.5杯入れて、丁度湧いた湯をじわじわと垂らして行く。
キッチンから芳醇なコーヒーの香りがリビングに拡散され、莉々華の鼻腔をくすぐる。
「あ、ええ、っと……莉々華は、あ――私は知識の呪いを持ってるんです」
「ふっ、キミホントにカワイイね。僕の前でキャラを作る必要はないよ」
「……いや、それは――」
「そう? ならせめて、敬語はやめよ。言葉が固いとカワイイ頰まで強張っちゃうよ」
口角を上げて振り向き様にウインクをかます。
きらんっ、と効果音が脳内再生された。
莉々華は空気を飲んだ。
やや苦い。
この人は変人だが――最初の仕事が青の懐柔で良かったと思った。
初仕事から失敗ばかり。
切り出し、言葉選び、態度、読み合い、賭け引き。
全てにおいて莉々華が一歩以上劣っていた。これでは到底、らでんの後継人にはなれない。
『叡智の書』なんて務まらない。
「はい、どうぞ。シャンパン」
「ありがとう……」
低いテーブルにシャンパンと称してコーヒーを配置した。
香りを含んだ湯気がふわふわと立ち昇っている。
莉々華が一口啜ると、青も合わせて一口。
やや内股で座る莉々華を、対面に立って暖かい目で見下ろす。
このシャンパンはとても苦い……。
ことっ、ことっ、と其々がカップをテーブルに置いた。
「それで――莉々華ちゃんって言ったよね。知識の呪いって、どんな力?」
「ん。欲した知識を瞬間に得る事が出来る力」
「へぇ……便利……なのかな?」
口頭での説明ではイマイチぴんと来なかった。
青はもう一度コーヒーを啜った。
「でも……うーん……僕の事も、記憶の呪いの存在も知らないのに、どうやってそれらを知ろうと思えたの?」
「え――あ――」(確かに――)
青の指摘を喰らって莉々華も腑に落ちない点が生まれた。
青は記憶の呪いを持つ。
この情報を得るには、どうやってその知識を欲せばいいのか。
例えば、「青の呪いは何か」と知識を望めば、「それは記憶だ」と神託が得られる。
逆に「記憶の呪いの持ち主は誰か」と望めば、「それは青だ」と。
しかし、青は呪い発症から自身の存在を隠していた。
らでんでさえ、「火威青」と言う存在も、「記憶の呪い」と言う存在も、事前に得る事ができないのだ。
莉々華はらでんの知識獲得手段を欲した。
刹那でその知識が伝授される。
(らでん……凄いなぁ……)
呪いの継承の情報を今開示する事はできないので、莉々華は感嘆を隠してらでんの手法を自身の功績の様に語った。
「私は毎日、前日に生まれた『呪いの持ち主とその力』を、知識として下ろしてるの」
「それは……大変だね」
「日課になればそうでもないよ。毎日呪いが生まれてるわけじゃないし。寧ろ年に1度とかだと、流れる情報が多過ぎて暗記できないから」
「なるほどね」
あたかも莉々華が行ってきた様に答えた。
アドリブで想像のまま語ったが、大方らでんの意図通りだろう。
この手法で取り溢す呪いは、秩序や魔術保護されたみこなどの、知識が上回れない場合のみ。
「それじゃあ、本題の――僕を訪ねた理由、聞いてもいい?」
「うん。故人の記憶を見せたい人がいるの」
「故人の記憶かぁ……」
ずばっと切り込むと、青は顎を掻いて難しい顔をした。
死者は語らない。
それは当然の事実だ。
だからこそ、青を頼る。
記憶とは何も、人の脳に残るものだけではない。
あらゆる物質が、過去に見てきた景色、聞いてきた音を記憶している。
青の力は、その物質の中に眠る記憶さえ、映像化、音声化させる事が可能なのだ。
死者の体の一部が、常に死者と共にあった遺品が、何か一つでも形を持って遺っていれば、死者に関する記憶を事細かに知る事が出来る。
この手段を使って――かなたに関する記憶を、あくあに関する記憶を、らでんに関する記憶を――あの人達に見せる必要がある。
「遺品はあるの?」
「私は持ってないけど、別の人が」
「もしかして……独り車で来たって事は……」
「うん、お願い――一緒に来て」
青は苦い表情でコーヒーを飲み干した。
口周りに黒い液体が付着する。
「一応、隠居してる身なんだけど」
「分かってる」
「――――」
莉々華の真摯な瞳を真っ直ぐと捉える。
誠実な子だ。
そして何より――カワイイ。
「記憶を見せたい人、って――女の子?」
「へ――? うん」
「カワイイ?」
「可愛い方……だと思う」
その答えに満足そうに首肯して、顎に手を当てた。
優しく自身の顎を撫でてふっ、とキザに笑う。
「カワイイ莉々華ちゃんの頼みだ。仕方が無いから、その仔猫ちゃんたち、迎えに行ってあげるよ」
「――‼︎」
青の女誑しな性格により交渉は難航する事もなく成立。
莉々華は初仕事の成功に安堵してコーヒーを喉に流し込んだ。
「それじゃあ、早速向かおうか」
「うん。車で待ってるね」
「準備したら、すぐ行くよ」
――莉々華の運転の下、2人はとある村へと赴いたのであった。